仮想空間

趣味の変体仮名

妹背山婦女庭訓 三の切 

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856493

 

1(左頁)

大阪舩町 加嶋屋清助板

妹背山掛合

 再板 婦女庭訓 三段目

 

 

2(左頁)

 妹背山婦女庭訓 三の切

古への神代の昔山跡の国は

都の始にて妹背の始山々

の中を流るゝ吉野川 塵も

芥も花の山 実世に遊ふ

 

 

歌人の云の葉草の捨所

妹山は大宰の小貳国人の

領地にて 川へ見越の下舘

脊山の方は大判事清澄の

館内子息清船日外より

 

爰に勘気の山住居伴ふ物は

巣立鳥谺と我と只二つ 経

読鳥の音も澄(すみ)て 心細くも

哀也 頃は弥生の初つかた

こなたの亭(ちん)には雛鳥の気を

 

 

4

慰めの雛祭り 桃の節句

備へ物 萩のこは飯嬪の 小菊

桔梗が配膳の腰も すふはり

春風に柳の 楊枝はし近く

ノウ小菊いつものお雛は御殿で

 

お祭りなさるれど 姫様の

おしつらひで 此山岸の仮

座敷 谷川を見はらし桜の

見飽 雛様も一入お気が晴て

よからふの こちらも追付よい

 

 

5

殿御持たら常住あの様に

引ついて居たら嬉しかろ ノウ

桔梗の何いやるやら 何が女夫

並んで居ても あのやうに

行儀に畏つて斗居て 手を

 

握る事あへならぬ窮屈な

契りはいや 肝心の寝る時は

はなれ/\゛の箱の中 思ひの

絶る間は有まいと 仇口々も

雛鳥の 胸にあたりの人目

 

 

6

せく つらひ恋路の其中に

親と親とは昔ゟ 御中不和

の関と成 あふ事さへもかた

糸の むすぼれとけぬ我

思ひ恋し 床しい清船様 此山

 

のあなたにと聞たをたより

母様へお願ひ申て此かりや

お顔が見たさの出養生

爰迄は来たれ共 山と山とが

領分の境の川に隔られ 物

 

 

7

云かはす事さへもならぬ我

身のまゝならぬ 今は中々思ひ

の種 いつそ隔てて恋わびる

逢れぬ昔がましぞかしと 切

なる思ひかきくどき 歎ば供に

 

嬪共 お道理でござりますほん

にひよんな色事で隣同士の

紀伊国大和 御領分のせり合

で お二人の親御様はすれ/\

雛鳥様と久我様の 妹背の

 

 

8

中を引分る妹山脊山 舩も

筏も御法度でたつた此川一つ

つい渡られそふな物 小菊瀬

踏して見やらぬか ヲゝめつそふな

此谷川の逆落し 紀州浦へ

 

一てきに流れて居たら鮫の餌食

したが申雛鳥様 お前の病気

をお案じなされ此仮やへ出養

生さしなさつたは 余所(いせ)なから

久我様に お前を逢す後宝(のちたから)様

 

 

9

の粋なお捌 女夫にして下さり

ませと 直にお願ひ遊ばしたら

よもやいやとは岩橋のわたる

事こそならず共 せめて透(とう)目

にお姿をと 障子ぐはらりと縁

 

端(ばな)に 覗こぼるゝ こしもと共

久我之助はうつ/\と父の行

末身の上を まもらせ給へと

心中に 念悲(ねひ)観音の経机

案じ入たる顔形 手に取る様に

 

 

10

ノウあれ/\ 机にもたれて久我様

の 物思はしいお顔持 お癪かな

起つらん エゝお傍へ行たい コレ

爰に居るはいなといへど 招けど

谷川の漲る音に紛れてや

 

聞へぬつらさ エゝしんき こちらが

思ふ様にもないコレこつちや向て

見たがよいと あせえるお傍に

気のつぎ/\ ほんにそれよ口で

云れぬ心のたけ兼て認め

 

 

11

奥山の鹿の巻筆封じ文(ふみ)

恋し小石にくゝり添女の念

の通ぜよ祈願を込て打礫

からりと川に落ち瀧津浪に

せかれて流れ行 エゝどんな

 

心は念は届いても 女力の届

かねば思ふた斗片便り 返事を

浦佐用姫の 石に成共なり

たいと ひれ伏山のかひもなき

久我之助に目を付け いづく

 

 

12

よりか水中に打たも石は重けれ

ど 逆巻く水の勢ひにしづみも

やらす流るゝはムゝ重き君も入鹿

といふ逆臣の水の勢には敵

対がたき時代の習ひ それを

 

知て暫しの中(うち)敵に随ふ父

大判事殿の心 善か悪かを

三つ柏 水に沈めば願ひ叶はず

浮む時は願成就 吉野を假

の御祓川太神宮へ朝拝せんと

 

 

13

柏の若葉に摘取て谷をつたひ

に水の面 見ゆる女中が申々

今の小石が届いたか 久我様が

川へ下りなさるゝあの岩角

のおり曲り川端がいつち狭ひ

 

幸のよい逢せと いふに嬉しさ

雛鳥の飛立斗振袖も 裾

もほら/\坂道を折から風に

散花の 桜が中の立すがた

しどけ難所もいとひなく ノウ

 

 

14

久我様かなつかしやと いふに

思はず清船も雛鳥無事

でと 顔と顔 見合すばかり

遠間の 心斗がいだき

合 詮方涙先立り 申

 

清船様 わしやお前に逢た

さに 病気と云立爰迄は

きて居れど 親の赦さぬ中

垣に忍んで通ふ事叶はず

女雛男雛も年(とし)に一度は

 

 

15

七夕の あふせは有に此様に

お顔見ながら添事の ならぬは

何の報ひぞや 妹背の山の

中を隔つ吉野川の 川に鵲(かさゝき)の

橋はないかとくどきごと 聞く

 

清船も楫有ば早わたりたき

床しさを 胸に包みて 道理/\

我も心は飛立てど 此川の法

度厳しきは親々の不和斗で

ない 今入鹿世を取て君臣上下

 

 

16

心々 隣国近辺といへ共

親しみ有ば 徒党の企有ん

かと 互ひに通路を禁(いま)しめて

船を留たる此川は 領分を分る

関所も同然 命だに有ならば

 

又逢事も有べきぞ 今流し

たる水の柏 波にもまれてうか

みしは心の願ひ叶ふ知せ入鹿が

掟厳しければ我も世上を憚り

て 此山奥の隠住心の儘に

 

 

17

鶯の 声は聞共籠鳥の雲

井をしたふ身の上を 思ひやら

れよ雛鳥と 儘ならぬ世を

恨泣 ノフ又逢事も有ふとは

別るゝ時の捨詞 譬未来の

 

とゝ様に御勘当受る共 わしや

おまへの女房じや 迚も叶はぬ

浮世なら法度を破つて此川

の 早瀬の浪もいとふまじ 何国(いづく)

いかなる方へなと 連て退て

 

 

18

下さんせ わしはそこへ行ます

と 既に飛込む川岸にあはて

驚きとゞむる嬪 イヤ/\放しやと

泣入娘 ヤレ短慮也雛鳥

山川の此早瀬水連を得たる

 

者だに渡りがたき此難所 忽

命を失ふのみか母後室に歎

をかけ 我にも弥憎しみかゝる

科に科を重る道理 かならず

早まり召るなと 制する詞

 

 

19

一すじに 思ひ詰たる女気

も今更よはる折こそ有 大

判事清澄様御入也と知する

声 はつと驚き久我之助帰るを

名残 おしとむるも 我身を

 

我身の儘ならず コレのふ待て

の声斗 後室様御出と 告る

下部に詮方も なく/\庵の

打しほれ登る坂さへわかれ

路は 力難所を行心地空に

 

 

20

しられぬ花ぐもり 花を

歩めど武士の心の険阻刀して

削るが如き物思ひ 思ひあふせ

の中を裂(はぐ) 川辺伝ひに大判事

清澄 こなたの岸より大宰

 

の後室 定高(さだか)にそれと道分けの

石と意地とを向ひ合 川を

隔てて 大判事様 お役目御苦

労に存じますと 声襠をかい

取の夫の魂 放さぬ式礼

 

 

21

清澄も一揖(ゆう)し 早かりし

定高殿 御前を下がるも一時参る

所も一つなれ共 此脊山は身が

領分 妹山は其元の御支配川

むかひの喧嘩とやら睨合て

 

日を送る此年月 心解るか

解ぬかはけふの役目の落去(きよ)

次第 二つ一つの勅命 狼狽た

捌き召るなと𦚧ましり)くしやつく

茨道 脇へかはして仰の通り

 

 

22

入鹿様の御諚意は お互ひに

子供の身の上 受合ては帰り

ながら 身腹分けても心は別々

若あつと申さぬ時は マアお前

にはどふせふと思し召せ 知た事

 

御前で承はつた通り首討放す

ぶんの事さ 不所存な躮は有

て益なくなふて事かけず身

の中の腐りはそいで捨つるが跡の

養生 畢竟親の子のと名を

 

 

23

付るは人間の私 天地から見る

時は同じ世界に涌た虫 別に

不便をは存じ申さぬ ハテきつい

思し切 私は又いかに了簡が違ひ

ます 女子の未練な心からは

 

我子が可愛てなりませぬ 其

かはりにお前の御子息さまの

事は 真実何共存じませぬ只

大切なはこちの娘 忝い入鹿様

のお声のかゝつた身の幸 譬

 

 

24

どふ申さふ共 母が勧めて入内

させ お后様と多くの人に敬ひ

傅かそふと思へば 此様な嬉しい

事はござりませぬ ホゝゝゝと空

笑ひ ムゝシテ又得心せぬ時は

 

ハテそりやもづぜひに及ばぬ

枝ぶり悪い桜木は 切てつぎ

木を致さねば 大宰の家が立

ませぬ ヲゝそふなくては叶ふまい

此方の躮迚も得心すれば

 

 

25

身の出世 栄華を咲かす此

一枝 川へ流すがしらせの返答

盛ながらに流るゝは吉左右

花を散して枝斗流るゝならば 躮が

絶命と思はれよ いかにも此方も

 

此一枝娘の命生花を ちら

さぬ様に致しませふ ヲゝサ今

一時が互ひの瀬ごし 此国境は

生死(しやうし)の境返答の善悪に

寄て 遺恨に遺恨をかさ

 

 

26

なるか サア是迄の意趣を

流して中吉野川と落合か

先それ迄は双方の領分

お捌を待ておりますと

詞峙つ親と親 山と

 

大和地分れても かはらぬ

紀の路 恩愛の 胸は霞

に埋れし庵の 内に別れ

入 立派にいひは放しても定か

に知ぬ子の心 覚束なくも

 

 

27

呼子鳥 娘々と谷の戸に

音なふ初音雛鳥も 母の

機嫌をさし足に かゝ様よふぞ

今日はお目出たふ存じますと

武家の行儀の三つ指に

 

かたい程猶親子のしたしみ

ヲゝよふ飾か出来ました けふは

そなたの顔持もよさそふで

一入めでたい 母も祝ふて献上

の此花備へてたも いくつに

 

 

28

成ても雛祭りは嬉しい物

女子共何成と娘が気に合

遊びをして 随分といさめて

くれといつに勝れし後室の

機嫌は訴訟のよい出汐 今の

 

をちやつと乗出して御らうじま

せと 嬪に腰押れてもとやかう

と 云そゝくれのもつれ髪 イヤ

のふ雛鳥 背だけ延た娘を

親の傍に引付て置ば結句

 

 

29

病の種それで急に思案を

極めそなたによい殿御を持たす

嫁入さすが嬉しいかエゝ ハテ気

づかひ仕やんな可愛娘の一生を

任す夫そなたの気に入ぬ男を

 

何の母が持そふぞ ナア嬪共 ハイ/\

左様でござります お気の通つた

後室様 嫁入の先は大かた今

のナこがるゝ君でござりませふ

と 押推当てとも得手勝手 誰

 

 

30

にか縁を組紐に 胸は真紅の

ふさがる箱取出し 妹背をなら

ぶる雛の日は嫁入の吉日此

箱の主は極る殿御雛の御前

で夫定め コレそなたの夫と

 

いふは誰有ふ入鹿大臣様じや

はいの エゝそんならわたしを嫁入

さすとは ヲゝ大宰の小貳が

娘雛鳥 美人の聞へ叡聞

に達し 入内させよと有がたい

 

 

31

勅諚 エゝイ はつと恟りうろ/\と

詞は涙ぐむ斗 ヲゝ胆が潰れる

筈 夫と申も恐れ多い 一天

の君を聟に取家の面目

日本国に此上のない嫁入の随一

 

果報な娘 此様なめでたい事

が有物か ナア女子共 ハイ/\おめで

たいと申そふか いつそ乱騒ぎで

ござりますと 工合ちがひの

嫁入に 菊も桔梗も投首の

 

 

32

二人は小腹立て行 母の心も色々

に 咲き分けの枝差出し 親のゆる

さぬ云かはし 徒は叱つて返らず

一旦思ひ初た男 いつ迄も立

通すが女の操 破りやとは云ぬ

 

が貞女の立様が有そふな物

とつくりとよふ思案しや此

花は八重一重 互に不和なる

親々の 心揃はぬ二つの花一つ

枝に取結び切放すにはな

 

 

33

されぬ悪縁の仇花 今そなた

の心次第で 当時入鹿大臣の

山嵐に吹散され 久我之助は

腹を切れはならぬぞや 雛鳥と

縁を切て入鹿様へ降参すれば

 

清船も命を助る 知せは川へ

流す桜 ちるかちらぬか身の

納り時に随ふ風に靡き 君

が手生の花になれば八重

も一重もつゝがなふ九重の

 

 

34

内に傅るゝ互ひのさいはひ

恋しと思ふ久我之助 たす

けふと殺さふと今の返事の

たつた一つ貞女の立やうサア/\

見たいと 恋も情も弁へて

 

義理の柵せきとめても涙

せき上/\ながら 母様段々聞

訳ました お詞は背きませぬ

そんなら得心して入内仕てた

もるか アイ/\ ヲゝ嬉しや 出かしやつた/\

 

 

35

それでこそ貞女なれ 馴ぬ

雲井の宮づかへ武家の娘と

笑はれな けふより内裏上臈

の髪も改めすべらかし祝ふて

母か結直してやりましよと

 

いそ/\立は立ながら娘の心

思ひやり 別れの櫛のはかな

さも 解きほどかれぬ憂き思ひ

重き脊山の 庵の内 父が

前に慎で 久我之助が心底

 

 

36

聞し召分けられ 切腹御赦免

下さるゝ事 身に取ていか斗

大慶至極と手を突ば もく

ねんたる大判事やゝ打うるむ

目をひらき 今朝入鹿大臣此

 

大判事を召出し 先帝寵

愛の采女身を投げ死したり

とは偽り 其方が躮久我之助

人知ぬ方へ落しやりしに極れば

必定汝抔が方にかくまい有る

 

 

37

べしとの難題 元来(もとより)あらぬ

大判事 よく/\思へば采女

御難をさけん為 猿沢の

池に入水の体にもてないsて

密に落し参らせしは 中々

 

久我之助が知恵でない 鎌

足公の差図を請ての計ひと

知たは身もけふが始 親にも隠し

包しは大事を洩さぬ心の金打

若輩者には神妙の仕かた

 

 

38

ハゝア出かしたりと思ふに付 邪智

深き入鹿 久我之助が降参せば

命を助ん連来れと 情の詞は

釣寄せて 拷問にかけん謀 責

殺さるゝ苦しみより切腹さすれば

 

采女の詮議の根を断つ大切

天下の主の御為には 何躮の

一人(いちにん)など 葎(むぐら)に生る草一本引く

ぬくよりも瑣細(さゝい)な事と 涙一滴

こぼさぬは武士の表 子の可愛

 

 

39

ない者が凡生有者に有ふか

余り健気な子に恥て 親が介

錯してくれる 侍の綺羅を

錺 いかめしく横たへし大小躮が

首を切る刀とは五十年来しら

 

ざりしと 老の悔みに清船も

親の慈悲心有がた涙命

二つ有ならば君には死して忠

義を立て 父には生て養育

の御恩を送り申さんに今生

 

 

40

の残念是一つと 顔を見上

見おろして わつとひれ伏親

子の誠 こなたの亭には

母後室 サア/\目出たいそなた

の名の雛鳥を其まゝの

 

内裏雛装束の付やうも

此女雛と見合せてサア/\早ふ

と有ければ恨めしげに打守り

女夫一対いつ迄も添とげる

こそ雛の徳思ふお人にひき

 

 

41

はなされ 何楽しみの女御后

茨の絹の十二一重雛の姿

も恨めしと 取て打付縁板に

ころりと落し女雛の首驚く

母の胸板に必死と極る娘の

 

命 包めどせきくるはら/\

涙 娘入内さすといふたは偽り

真此やうに首切て渡すの

じやはいのふ エゝそんならほん/\゛に

貞女を立さして下さりますか

 

 

42

アゝ忝い有がたいと ふし拝む

手を取て ノウ入内せずに死する

のを それ程に嬉しがる 娘の

心しらいでならふか あつと受

ても自害して死る覚悟は

 

知りながら そなたの死ぬる事聞

たか 思ひ合た久我之助供に

自害召れふもしれぬ せめて

一人は助けたさ 一旦得心したにして

母が手づからといた髪は下げ髪

 

 

43

じやない 成敗のかき上げ髪介錯

の支度じやはいの 高いも卑(ひく)いも

姫ごぜの 夫といふはたつた一人

けがらはしい玉の輿 何の母も

嬉しかろ 祝言こそせね心斗は

 

久我之助が 宿の妻と思ふて

死にや エゝ是程に思ふ中一日

半時添しもせず さいの河

原へやるかいのと 引寄/\雛

鳥も膝に取付抱付 忝さと

 

 

44

嬉しさと逢で別るゝ名残の

涙 一つに落る三つ瀬川 川を

隔てて清船が 最期の観念

わるびれず 焼刃直なる魂

の 九寸五分取直し 腹にぐつと

 

突立る ヤレ暫く引廻すな 覚

悟の切腹せく事はない コリヤ

冥途の血縁(けちえん)読さしの無

量品(ほん)親が読誦する間 一生

の名残女が頬(つら)一目見てなぜ

 

 

45

死ぬ イゝヤ存じもよらず 此期に

及んで左程狼狽た未練な

性根はござりませぬ 去ながら

今はの際の御願ひ 私相果し

と聞ば 義理につなかれ 雛鳥

 

も供に生害と申べし 左ある

時は大宰の家も断絶暫く

の間ながら 切腹の義はお隠し

なされ 降参承知致せし体に

後室方へおしらせ有ば女も

 

 

46

得心仕り 入内いたせば彼が

為不義の汚名は受たれ共

是ぞ色に迷はぬ潔白 ヲゝ

出かした よく気が付た 年来

立ぬく武士の意地 不和な

 

中程義理深し命を捨るは

天下の為助るは又家のため

気づかひせずと最期を清ふ

花は三吉野侍の 手本になれ

といさぎよく いへど心の乱れ咲

 

 

47

あたら桜の若者を ちらす

惜さと不便さと 小枝にそゝぐ

血の涙落て 波間に流れ行

それ共知らず悦ぶ雛鳥 アレ/\

花が流るゝは嬉しや久我様の

 

お身に恙のないしるし 私は

冥途へ参じます千年も

万年も 御無事で長生遊

ばして 未来で添てくださん

せと心でいふが暇乞 思ひ

 

 

48

置事いひ置事もふ何にも

ござんせぬ 片時(へんし)も早ふサアかゝ様

切て/\と身を惜まぬ我子の

覚悟に励され 胸を定めて

取上れと刀は鞘に錆付如く

 

離れかねたる血脉(ちすじ)の紲(きづな)今切

殺す雛鳥を 無事と知らする

返事の桜 同じく川に浮ふれば

ハアゝ嬉しや是ぞ雛鳥が入内

のしらせ久我之助が心の安堵

 

 

49

采女の方の御有家は最前申

上る通り此世に心残なし 御苦

労ながら御介錯 サゝかゝ様

切ていの 未練にござんす母様と

泣かぬ顔するいぢらしさ 刀持ても

 

大磐石 思ひは同じ大判事

子よりも親の四苦八苦 命も

ちり/\゛ 日もちり/\゛ ハアそふ

じや 早西に入り日輪はむすめが

お迎ひ 弥陀の来迎西方

 

 

50

浄土へ導き給へ 南無阿弥陀

仏と眼を閉て思ひ切たる首

諸共わつと泣声答ゆる谺

肝に徹して大判事刀から

りと落たる障子 ヤア雛鳥が

 

首討たり 久我殿は腹切てか

ハアしなしたりとどうど座し

悔みも泣くも一時にあきれて

詞も なかりしが 良(やゝ)有て

定高声を上 入鹿大臣へ差

 

 

51

上る雛鳥が首 御検使受取

下されと 呼はる声を吹送る

風の案内に大判事歎きの

姿改て衣紋繕ひしづ/\と

おり立つ 川辺の柳腰 娘の

 

首をかき抱 大判事様 わけ

ては何にも申ませぬ 御子息

の御命はどふぞと思ふたかひも

ない あへない有様 お前様のお心

も推量致しておりまする 添に

 

 

52

添れぬ悪縁を 思ひあふたが

互の因果此方の娘も添たい

/\と思ひ死 余り不便に存じ

ます せめて久我之助殿の息

有中に 此首を其方へお渡し

 

申が娘を嫁入さす心 実尤

嫁は大和聟は紀伊国 妹背

の山の中に落る 吉野の川の

水盃 桜の林の大嶋臺 めで

たふ祝言さしませふはい そん

 

 

53

なら是迄の心もとけて ハテ

互に婭同士(あいやけどし) エゝ忝いと 悦ぶも

跡の祭 ほんに背たけ延た者

を いつ迄も子供の様に思ふて

くらすは親の習ひ あまやかした

 

雛の道具 一人子を殺して何に

せふ跡に置程涙の種嬪共

其一式残らず川へ流れ潅頂(くわんぢよ)

未来へ送る嫁入道具行器(ほかい)

長持犬張子 小袖箪笥の

 

 

54幾棹も 命ながらへ居るならば

一世一度の送り物 五丁七丁続く

程びゝしうせんと楽しみに思ふた

事は引かへて 水に成たる水葬

礼 大名の子の嫁入に 乗物

 

さへも中々に 筐も仇の爪

琴に 首取乗る弘誓の船

あなたの岸より 彼岸に

流るゝ血汐清船が 今はの

顔ばせ見る親の 口に祝言

 

 

55

心の称名 千秋万歳の千(ち)

箱の玉の緒も切れて 今はあへ

なき此死顔 生て居る中此

やうに 聟よ嫁よと云ならば

いか斗祝はんに 領分の遺恨より

 

意地に意地を立通す 其上

重る入鹿の疑ひ中直るにも

直られぬ 義理に成たが二人が

不運 あれ程思ひ詰た嫁

何の入鹿に随ふ迚も死ねば

 

 

56

ならぬ子供 一時に殺したは 未

来で早ふ添してやりたさ いひ

合さねど後室にも これまで

不和な大判事を婭と思し召ば

こそ躮に立て一人の娘 ヲゝ

 

よくこそお手にかけられし過分

に存ずる定高殿 アゝ勿体ない

其お礼はあちらこちらふつゝ

かな娘ゆへ 大事のお子を御切

腹 器量筋目も勝れた殿御

 

 

57

夫に持た果報者とはいひ

ながら あれ程迄手汐にかけ

て育てた子を 又手にかけて

切る心 サゝ推量いたしておる

武士の覚悟は常ながら まさか

 

の時は取乱し介錯仕おくれ

面目ない イエ/\夫でめてたい

祝言 これがほんの葬よ

嫁入 一代一度の祝言に聟殿

の無紋の上下 首ばかりの

 

 

58

嫁御寮に 対面せふとはしら

なんだ それも子供が遁れぬ

寿命 そにもかくにも世の

中の子といふ文字に死の声の

有も定る宿業と隔る

 

心親々の積もる思ひの山々は

解てながれて 吉野川

いとゞ 漲る斗也 涙払ふて

大判事首かき上て声高く

躮清船承はれ 人間最期の

 

 

59

一念によつて輪廻の生(せう)を引くと

かや 忠義に死ぬる汝が魂魄

君父の影身に付添て 朝敵

退治の勝ち軍を草葉のかげ

より見物せよ 今雛鳥と

 

あらためて親が赦して 尽(じん)

未来(すへらい)五百生までかはらぬ

夫婦忠臣貞女の操を立

死したる者と高声に焔(えん)

魔の廰(てう)を名のつて通れ

 

 

60

なむ成仏徳脱と 唱ふる

声の聞へてや 物得いはね

どあはす手を 合せかねたる

此世のわかれ早日もくれ

て人顔も 見へず庵の霧

 

隠れ いづむ娘のなき

骸(から)はこなたの山にとゞまれど

くびは脊山に検使の役

目 我子の介錯なみだの

雛 よしや世の中憂き事は

 

 

61

いつかたへまの 大和

路や 跡に妹山 先立つ

脊山 恩愛義理をせき

くだす 涙の川瀬 三吉野

の花を 見捨て 出て行

 

大字五行義太夫本此度新板に致し

紙仕立を念入表紙に厚紙を用ひ奥付

本のいたまぬやうに仕候

 吾其御最寄の絵草紙屋へさし出し置きし

間御近所にて御求め下されたく候(?)

 

明治十四年四月十一日御届

  東京馬喰町二丁目一番地

 翻刻入 木村文三郎版