仮想空間

趣味の変体仮名

妹背山婦女庭訓 四の口

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856493

 

111

杉酒屋の段

 妹背山 四の口

 

112(左頁)

  妹背山婦女庭訓 四の口

日と供にいとなむさまも

入相の 四方のいちぐら戸

ざし時 子太郎跡を打

見やり 灯を上げ表の戸

 

 

113

夜の構へのそこ爰と こなた

の道より 歩み寄振の袖の

香やごとなき 面を隠す

衣被(きぬかつき) 誰しら絹のやさ姿

窺ふ内に隣の軒 しら

 

せのしはぶき主の求 今

宵はどふして早かりし サア/\

こちへと其跡は 云ず語ず

手を取て 戸口立よせ

入る跡に 子太郎は不審顔

 

 

114

隣の門口耳を当聞すまし

て立戻り 何でものとなりの

えぼしめはおれとは違ふて

よつ程えらい色事仕じや

わい あいつが見ごとなえぼしで

 

アノ代物しめおると聞へた

こちのお娘に聞せたら

大抵の事じや有まい エゝ

はし早いやつでは有ると つぶ

やく所へ娘のお三輪 寺子や

 

 

115

戻り 足早に 門口はいれば

ヤお三輪様戻らんしたか サア/\

事じや/\/\大事じや/\

ヲゝあの人わいの何じやいの

わしに恟りさしやつたはいの

 

さしやつたはいの さしやつた

わいの所かいの コレおまへに

忠義をいふて聞す忠義

とは何の事じやいのエゝ忠

義とは忠臣の事じやはいの

 

 

116

サア其忠臣はしつているがの

それがどふぞしたかや サ

其忠臣はいの アノ隣のえぼし

めが 隣のえぼしとは ムゝ求様

の事かいの ヲゝ求々 其求

 

の姿からおこつた事 こちの

かみ様は家主へ用が有て

いかしやつた 其跡へ何じやか

しらぬが 真白な絹をかづ

き 幽霊かと思ふたら 美しい

 

 

117

けんさいが 隣の門口こと/\

と叩いた そしたら求さんが

つつと出て よふ早ふ来た

なアと 手に手を取て内へ

這入た それからおれがじつ

 

として聞て居たら ソレこちへ

やとふ男共か朝の間に酒

桶洗ふ様に シイ/\といふ音が

した どふでもありや求様

が さゝらでこすると見へる

 

 

118

わいな 何とかお三輪様コリヤ

だまつて居られまいがナ

ムゝそんなら何といやる 求様の

所へ美しい女中様が見へて

其女中殿を連立て這

 

入らしやんしたといゆるのか アイ

そりやマア合点のいかぬ事

幸かゝ様も留主なれば そなた

往て求様を爰へ連て戻

てたも エオツト合点呑込だと

 

 

119

走り出て隣の門 われる

斗に打叩き コレ求様 隣の

酒屋から使にきた 今のが

済だら印判持てござんせ

と 口から出次第求は恟り

 

何やらんと 立出れば物をも

云ず マア/\こちへと無理やり

に手を引連て我家の内

それと見るより娘のお三輪

口に云ねど赤らむ顔 求様

 

 

120

お帰りなされたか ホ是は/\

お三輪様 寺屋へお出なさつ

たげなと 互ひにあぢな

墨付を 子太郎がひつ

取て サアおれが役はもふこれ

 

迄 そこへ何かの立引さん

せ 爰らで我等粋(すい)を通し

夜食の扶持に有つかふ

両人共後に逢ふと納戸へ

走り入にける 跡に二人は

 

 

121

つぎほなくおぼこ育ちの娘

気に思ひ詰たる一すじを

いはふとすれば 胸せまり 今

子太郎に聞たれば 美しい

女中様が 宵からお前へきて

 

じやげな 定てそれは隠し

妻 是迄お前とわたしが

中 逢事さへもたま/\に

千年も万年もかはらぬ

契りとおつしやつた 其約束は

 

 

122

偽りか浮世の訳も弁へぬ

在所育ちのわたしでも いひ

かはした事忘れはせぬ 餘(あんま)り

むごいと取付て涙先立

恨云 是は思ひよらぬ疑ひ

 

成程女中はきて居るが あれは

ソレ春日の神子(みこ)殿其連合

の祢宜殿の 烏帽子を誂

に見へたのじや 美女は愚か

いかな天女が影向有ても

 

 

123

外へちる心はない 和歌三神

を誓荷掛け偽りは申さぬと

時の間に合落付せば 遉

おぼこの解やすく神様迄

誓言に それでわたしも

 

落付た 必かはつて下さんす

なと 立上つて七夕に備へ

祭りし二つのおだ巻 持出

て前に置き わたしが寺やへ

いた時に お師匠様に聞て

 

 

124

置た殿御の心のかはらぬ

やうに星様を祈るには白い

糸赤い糸 おだ巻に針を

付けむすび合せて祭ると

やら ヲゝそれが則願ひの糸

 

の乞功針(きっこうしん) ムゝお前もよふ知て

じやなア 白い糸は殿御と定

女子の方は赤い糸 それで

わたしも此願込 寺やで

見た本の中に心をかけし

 

 

125

女の歌 アゝ何とやら ヲゝそれよ

恋渡る 思ひはちゞに結ぼれ

て 幾夜願ひの糸のおだ

巻 ホゝ其男の返しには 逢ひ

見ての 後もねがひの糸

 

筋を よそへ乱すな君が

おだ巻 アイ/\そふでござんし

た いつ迄もかはらぬしるし

赤い糸をお前に渡し 白い

糸を私が持 契りも長き

 

 

126

願ひの糸 夫婦の約束

星合に 鵲ならぬおだ巻

を 千代のなかだち取かはし

肌に付合 わりなきえにし

求か内より以前の女 歩

 

出てこなたの門口隣の

烏帽子折様は こなたへ来

てござるかな 赦さつしやれと

内へ入姿に求は手もち

ぶ沙汰 お三輪は何の気も

 

 

127

付かず アゝあなたが今のお人

かへ ヲイ/\あれ/\神子様じや

それで薄衣着てござる

ナア申 お前様はアノお連合様

の えぼしを誂にお出なされ

 

ましたのじやナア そふでご

ざりませふがな サゝそふで

ござりますと 紛らかす

つゝむ詞の絹をもる月

の笑顔をひんとすね コレ

 

 

128

申求様 アノ女中はおはした

か 何人でござります アイヤ

是は此酒屋の娘御 ムゝ其

マア隣の娘御と最前から

久しい間 何の用がござり

 

ましたと 問れて求はこ

たへもなくうぢつくそぶり

見て取るお三輪 アゝ申 コレ

神子さんとやら云女中様

人をマアおはしたか何のと

 

 

129

ひつこなした物の云うやう

求様にはアイ わたしが用が

たあんとござんす おまへ

のお世話にはなるまいし

かまふて下さんすな ヲゝ

 

これははいたない其やう

にいはしやつても そもじな

どの用を聞く求さんじや

ないわいのふ サアお帰りと

手を取ば お三輪が隔て

 

 

130

イエ/\/\ わたしがまだ用が

ある 逝(いな)す事は成ませぬ

いゝヤ爰には置はせぬ 邪魔

せずそこ通しやと 手を

引立て立出れば イヤ放

 

さじとお三輪も又あなたへ

引ばこなたへ引く 訳も渚に

たわれる雁 つばさふり

袖ふり訳すがた 恋をあら

そふ其折から いきせき戻る

 

 

131

此家の母 ヤア求殿こな

さんには用が有 どつこへ

もやる事ならぬ 動くまい

ぞと身構へに 何かはしら

ずしら絹の姫は外へと出

 

行を 留る求にまたす

がる 娘をおしわけ母親は

求はやらじと引とゞめ つな

ぐ手と手をしがらみの

風にもたるゝあらそひに

 

 

132

子太郎立出見まはして

これ幸ひと母親の帯に

しつかりくゝつたる 縄先

桶ののみ口にゆひつけ

納戸へにげて入 こなたは

 

たがひに恋したひすがた

みだるゝ 姫百合の手を

ふりきれば一時に 乱れ

てはしるを母親がやらじ

と追ばつなぎ縄 りきむ

 

 

133

ひやうしにのみ口ぬけ

酒は瀧津瀬びつくり

はいもう 三人門へおく

れじと同じ 思ひを跡や先

道を したふて「追て行