仮想空間

趣味の変体仮名

近江源氏先陣館 第二

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      ニ10-01036

 
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    第弐
八重桜散しく法の東大寺 惣追補使(ふし)の御ぼだいを弔ふ結構工みを尽
し 金銀瑠璃破璃錦の戸張 回廊石垣悉く 五色の織絹幾重につゝみ
照日に耀く粧ひは是弥陀経を写されたり 扨又千僧万僧の御経の声すみ渡
三尊爰に来迎かと殊勝なりける事共也 此度の導師建長寺の前住栄西(えいさい)
和尚 朱(あけ)の衣もいと尊く両人に打向ひ 今日は御両所共警固のお役目嘸御大儀
併し天気快晴にて愚僧も甚だ満足と 挨拶有れば造酒の頭 誠に今日は御苦労

千万上々にも御悦び則御法筵に御出座も有べくなれ共 女義の事不浄もいかゞ
御遠慮有 某よきに計らふ旨いんぎんに相述ぶる 詞にいがむ比企の判官 譬どの
様な弔ひも亡君何のお悦び なぜとおつしやれ先君御逝去の跡目は当時実朝公
こりや是政子の方の若殿 又宇治のお局はお部屋なれ共 頼家卿といふ惣領を産み
落されたが修羅の種 弟に天下を乗取れ何の心よからふ 夫レに何ぞや 縁組の祝言
のと様々のたは言 役がらも打忘れ媒(なかうど)の取持顔 見るも中々腹筋と 取ても付ぬ当
こすり 耳にもかけず和尚に向ひ 近頃子細有て京鎌倉の御縁組御取持仕るも 何


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とぞ国家の無事を祈る某御推量下されと 事を破らぬ一言に尤也と観ずる知識
判官はえせ笑ひ ハゝゝゝくさり縄もいへばいはるゝ じたい鎌倉よりの附け人風がお局のお気に入らぬ
イヤモあちらへもこちらへもぬり廻すねれけ武士 ヤア傍若無人の雑言 さいふ和主が不忠の
臣 何が何と ヲゝサ主人に諌めも奉らず 毒を吹込邪心(よこしま)非道 マア舌長なり聞捨ならず おと
骨切て切さぐる シヤこしやくなと立かゝる こは何事と栄西和尚中を隔て 大切の供養の
場所 若し刃傷にも及びなば 後日の言訳いかゞなさるゝ 短慮至極と押しづめ 供養の時
刻は間も有暫く御休み イザ先々とすゝむれば互にすれ合大紋の袖ゆり直し両人は和尚の

詞に随ひて 休足所へと入にけり 供養の御幕打はへしは 北条家の乙の君時姫御寮
頼朝の後室に姉妹の名は有ど 御腹がはり末の子におくれて咲し姫つゝじ 作ぬ木形手
入ずは 何国(いづく)へ枝のつりの袖 都まばゆき風俗(すがた)なり お傍女中多き中片岡が娘住の江 御
覧遊ばせお姫様 京鎌倉の大名方 此廣い境内も埋もるゝ斗の賑ひ 殊に御父時政様よりの
仰出され お前を都へ御縁組遊ばすとやら けふお約束が定まる筈 嘸お悦びでござりま
せうとほのめけば ノウうたての縁定めや 頼家様には若狭殿迚御寵愛の妾 其中へ嫁入
は恋路の中をさきに行 人の恨妬みを受け何楽しみが有ぞいのと 仰にお傍の瀧波が」エゝ住の江


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殿まだな事 頼家様は都の殿様 あんな堅くろしい大将はお使者の其中で 極
上きつすい角前髪 都への嫁入より とうからあなたのお心は 三浦の方へ走り舩 ひよんな事
は状文の櫓でも櫂でも行にくい 荒磯の岩侍 ムゝかたい程お姫様思ひの増すは御尤 サイナ
其堅みを打砕てお手に入たら 敵の城を落したより大きな手柄 住の江殿は片岡の娘御
よい謀はないかいな サアどふしたらよからふと 三人小首傾けて 恋の評定しどけなし コレかうじや
わいの 其堅蔵の三浦殿 お姫様といふては お主様の云号のと猶以てむつかしかろ 其惚人(ほれて)に
わたしが成て堅い所を砕いたら 夫レから跡はお姫様の御威光ごかしにやり付る天の川にも

中立の舟がなければ渡されぬ そこでわたしが妹背の楫取 したが肝心の其三浦殿 わ
しやついに逢た事が ヲゝ其逢ぬがてうど幸い アレ/\/\向ふへくる古文字の素襖は違はぬ三
浦殿 サア急に成てきた 随分首尾よう生捕て 高名見たいと女中達 姫は猶しも
恥しの森の 木隠れ幕の内 斯とはしらぬ使者男やさ風流の角髪は三浦之介義
村 のつしのしめにかけ烏帽子 素襖の袖に春風のそよと 音なふ内意の使者
宇治のお局より時姫様へ使として参上 誰そお取次頼入ると 云入れば幕よりも 暫し
お控へなされよと 勿体付るも恋のしかけとはしらずして三浦之助 素襖の角菱十


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面作り待間媚(なまけ)く住の江が 出合頭に義村を 見ても見ぬ目の心いき 是恋しり
の印也 三浦之助謹で 宇治様の仰には 今度造酒の頭媒酌を以て 時姫様と
主君頼家縁遠邊の御契約 まだ御輿は入ね共 嫁子といへば心安さ たまに貰ひし
東大寺の名香 いと珎らかなる御供がな心斗の送り物御慰み下されよとの御口上 御前
宜しく御披露と袱包を取出せば 是は/\御叮嚀な 御口上と申お使者からと申 御持参の香
よりも色香の深い恋しりの いとしらしい殿ぶりを見るに思ひの勝り草 アゝこれ/\御奏者 拙者への
御挨拶より 早くお上へ使者の趣 ヲゝせはしな ソシテアノ御元服遊ばさねば定る御内室様はまだ

ござりますまいな 左様 部屋住同前の三浦之助 妻(さい)迚は持ませぬ ムゝそんなら内証に云かはし
なされたかはいらしいお方が有るかへ 且以て じやれおつしやらずと先ずお取次/\と 差出す包の手をじつと
アゝこれ何なさる無作法千万 此三浦之助 ついに女中と手から手へ 物取かはした事もない家中の
格式御座興も事いよる 赦しめされと突退くれば つまづきそこにこけながら 袂をひかへコレ申し
京家のお格式はしらず 女中方は又女中の格式 此幕の内は時姫殿の御殿同前 女中御殿
へ殿達が お使者にお出なさるゝからは 此方のあしらひに付けなされにや成ますまい 夫レがお気
に入ずば 此お取次は得申さぬ 夫レはめいわく 女中方の礼義は不案内な拙者 無骨の段は


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了簡有て 御口上早くお伝へ下され イエ/\奏者を侮たなされかた 私も武士の娘 此様に
突こかされて アイタ/\持病の癪かと苦しむ風情 すねて見せると知ながら 女子相手に
短気も出されず お薬上んと用意の印籠 イエ/\お気の知れぬお前の薬 どふもわたしは
ハテ疑ひ深い コレ此通りと毒見の金打 アゝ御心底見へましたと 戴き/\ 此お薬お前の手から
受ましたが 祝言の盃同前 女夫じやはいのと抱付ば 是は又きついおなぶり イゝエせいもん三
浦様 なんぼ堅うなされても もふかう成たらいやとはいはさぬ サア私迚も岩木にはあらね共
そんなら応でござりますな サア夫レは いやとおつしやりやいつ迄も此奏者が癪は直らぬ ハテむつかし

う仕込だ癪 堅う見せるは刀の手前 こつちもかはらぬ仲人は 印籠の重々情のお礼
はこふと しめ返す手の和らぎ口 のぞきこぼれて嬪共 よふ/\三浦様 しつくりの長門印籠様 
蓋が明いたサアお出と 突出されて雲間より松の葉越しの隈(くま)もれて誘ひ申せば恟り仰天
逃ても逃さぬ正真の 惚人はそつちに覚の有るお姫様のお文の返事 サア/\いやとはいはれまい
と 押やる色の門違ひ 恋の身がはり住の江が あんまり具合が出来過てどふやらひよんな
気になれど悋気もならぬ しんき顔 時姫は猶面てぶせ 住の江を頼んでそなたの心を引見る
も 思ひ詰た自が心を推してと 手を取給へば飛しさり 頼家様と御縁組のお姫様 夫レ故


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只今お局よりサア其使こそ自と 御縁のないといふ印 香の煙の色もなきうつり香 うす
き筐共 縁の切るといふ心わしや嬉しいとの給へば イヤ/\/\ 譬御縁は切るる共 天下の後見北条
家のお姫様 我等体に御心かけちれしとは 世の人口も勿体なし 思切下されよと低頭三つ
指住の江差出 いか様おつしやりやそこも有 やつぱりあななは頼家様へお嫁入遊ばして いつそ
わたしと三浦様 ナア申と寄そへば どこへ/\住の江殿 そふ得手勝手はこちらがさゝぬ どふで
もかうでもお姫様 エゝもどかしいと両方をむりに配剤匕かげん 調(てう)じ合せためでたいとさゞめく
中へ御両所おなりとしらせの声 驚きはづず三浦之助 姫は名残もおし鳥の 離れがたなき後ろ

影 見送り/\ ぜひなくも 御寺の方へ入給ふ 案内も同じ東西の 幕しぼらせて政子の方
宇治の局もけたかさは 吉野龍田か月雪の光り合たる風情也 是は/\政子様 御仏前へ
御焼香も相済みしか 誠にけふの追福も あなたと自御一所に御弔ひ申す事 嘸我君
もお嬉しく思しめさんと有ければ こなたもとかう御挨拶 三年と過る年月も はかなの
浮世なつかしの けふの其日と斗にて 互の袖に玉こぼす 露こそ手向けなりけらし 局はいとゞ
しほれ入 老生不定のうき事も たがいつの世に始めしぞ 我君此世にましまさば自らが事
若が事 今の思ひはなき物を一生埋もれ果なんと 悔み涙は妬みっぞと 心にさはる政子の方 イヤなふ


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宇治の方 アノ武蔵野に見る月も 賤がふせやのにごり江に やどりし月も元ひとつ 所々の
風雅により詠めも違ふ 其時々を弁へて世上に付くがよさそふな物ではないかとの給へば
是は御尤去ながら 春の花咲冬は雪 天道四季にわたくしなし 時をのり順をこへ じきも
作法もなき時節 サアそふ思ずのが心の僻み 尤頼家殿も君のお種と云ながら妾腹なれ
ば是非なき不運 イヤ其母々の品位はかはる共頼家は惣領ならずや 兄を差置き弟が 上(かみ)に
立といふ事が ヲゝ有る共/\ 譬乙に生れても君の妻たる自が 産み落したる実朝を 世に
立るのが天下の掟 殊更子は母に寄て尊し そもじは誰(たそ)伊藤祐親(すけちか)の娘ならずや 現在

我君とは仇有中 怨敵の孫娘御咎も有る筈を 却て君の御情 くはつけい歓楽栄
耀の余り 源氏の跡をつがんとは みそさゞいの巣を梅が枝にかけうよりはるかの事 中々及
ばぬ叶はぬと 云込られてくはつとせき立 エゝ聞にくい一言 女でこそ有寄り家を一度武将
に立てて見しやう ホゝゝ イヤそりや蟷螂(たうらう)が斧同前 取るゝなら取て見や ヲゝ取らいではと裲
ひらり 持せし長刀互にかい込 サア/\/\と詰寄しは 野分にさはぐ荻萩の乱れ合たる
ごとくにて すは事こそと嬪はした 手に汗握る寺中の騒動 仏の会座も忽ちに
修羅の街へかけ来る片岡 待た/\と気も狂乱 押隔ててどつかと座し エゝ情なき御有


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様 御両所の御争ひは 偏に天下乱の端 此御心付かざる事 浅間しの御所存や 殊更今はなき
御綱(みつな)祥月の御命日 其お位牌の御前にて かゝるさがなき賤の女の御あらそひは何事ぞ
国家の為を存る故 京都鎌倉御縁を結はゞ 自然と和らぐ御代の礎 さあれば草場
の亡君も嘸な悦びましまさん 操の鑑思さずや 不肖の臣が胸鬲(けうかく)を苦しめ砕くは
千変万化 九牛(きう/\)が一毛も聞召分けられて 何とぞ和順なし給へと わつつくどいつはら/\/\
涙は忠義随一の上に立たる武士(ものゝふ)の諌めに誠を顕はせり 栄西和尚しづ/\と 御弟子
引連れ出給ひ 両後室へ愚僧が御異見是にて悟り下されと 持せし一軸傍へなる 松の小

枝にさらりとかけ なんと御覧なされしか 天の時政に至るといふ文字 兎角天下を
治むるは 天より自然其人にあたへ給ふにあらずんば 中々治る事あたはず 既に取て今日 追
福し奉る右大将 蛙が小嶋のさすらへも 後には天の時至り 六十余州の惣追補使 御
跡目の御述懐 御互に遺恨とならば弥御代の為ならず とくと御合点なされしかと出家
堅気の一行(くだり) 和尚も名に建長寺すつはりとした異見也 政子の方理に伏し 先君の
御追善に はしたなき云いさかひわらはが誤り イヤナフ宇治の方 必心にかけられな 何が扨只
今の不礼はお赦し下されと 互に和らぐ御挨拶 造酒の頭かしらをさげ 憚多き諫言を 御


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聞入下されしな 御恩は重きさゞれ石 巌と成し御代万歳 見せ奉るが直ぐ様追善 仏事終れ
ば御前にもいさ御帰館とすゝむれば とけぬ心を裲に包む式礼政子の方 片岡和尚御見
送り館を さして帰らるゝ 跡に局は張詰めし心の怒りとゞめ兼 ちゞに砕くる思案の体 始終の様
子三浦之助 さはらぬ体に手をつかへ 日も夕陽(せきやう)に斜めなれば御立そふと申すにぞ しづ/\傍へに歩
寄り かけ奉る雌雄の名剣 小脇に手挟みいかに義村 太平の印を見せんと頼朝様 此東大
寺へ納め給ひし此釼 雄剱は自雌剱は其方 是を帯せん良将を 撰み来らん夫レ迄は 勘当
成ぞと一振を 差出し給へば両手に受け 四海太平成る時は 弓は袋にし太刀は鞘に納るといへ共 再

び用をなすべき時節 近きに有との御心候な ヲゝいふにや及ぶ 先君の御恩を忘れし北条一家
の権柄我儘 鎌倉山の月かげを余所に 詠めて頼家を日影の花となし果る其口惜さは
いか斗 たとへ浪路は干潟と成れ 巌は湯玉とかへる共 恨は晴し我心推量せよや三浦
之助 ハゝゝゝ実に御理 逐一に承知仕ると 同じく寄てかけ置し 弓矢追取奉り アレ/\御覧ぜあ
の一軸 天の時政に至るといふ 中なる文字こそ御恨の目充ならん 只一ト矢にて御欝憤赦し
給へと義村が 的をはづさぬ器量に ヲゝ心得しと打つがひ きり/\/\と引しぼり 手先上りに切て
放せば過(あやまた)ず 文字のたゞ中はつしとひゞくれの鐘 お立の行烈主従が別れ いさんで「立帰る