仮想空間

趣味の変体仮名

日高川入相花王 第二

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html
     イ14-00002-680

 

22(三行目)
  第二               顕はせり
花の都の邉りにも狼谷といふ名有 熊野山家の育ちにも容儀たいはい心はへ
清きを家の通り名や 真那子の庄司清次が 一人娘に清姫迚 今年二八の
春過ぎてなつきなじみて親の 懐離れ初旅路 京内参りと心ざし お供の下
女も年ばいな案内名所知り顔に 大事の娘御預かつて紀州育ちのかはいらし 御らうじ

ませ 同し山でも都の山はどこやらが和らかな 清水は桜の時分がお目にかけたいな 是から
宇治の蛍狩 どこもかも見残しのない様にしてお帰りなされへ さればいの そなたの世
話で珎らしい名所も見る 取分けやさしい都人 美しい女中へ 田舎者が来たといふて
笑はれるのが恥かしい 何おつしやるやら 慮外なこつちやが 京にもめつたにお前の様な娘御が
あろかいな 下地の御器量の其上を 京の水でみがき上お帰り 早々諸方から嫁取の相
談 おとなしう成なさらにやならぬ 子供遊びの仕納に 草花摘でお慰み ソレ/\はた/\蛬(きり/\゛す)
と 余念夏野の草も木も 我大君の国なれど其草木にも心置く 名は桜木の


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花咲ず 憚り多き九重や 草(ひとへ)の衣に身を忍び武士のお供は目立んと 女中連れにて
落人の花の 顔ばせ目にかゝり娘は花にも手に付ず うつかり見とれる京薄穂にさへお
ぢる親王は 袂を覆ひて女嬬(によきゆ)釆女 日も傾きぬ急んと 足早にこそ落給ふ ほんにもふ日
がくれる何うつとりとしてござんす サア/\早ふ帰りましよ アゝ申そつちではないわいな イヤこつ
ちへじやはいのふ わつけもない そつちへ行と跡へ戻りますはいな でもこつちへいてじやあつた物
誰がいな サア誰様じやしらぬけれど 何いひじややら すつきりとお前どふやら気味の悪い
お方じや どふでもお前何ぞじやそふなと 恋とは更に気も付ず無理に引立て行あとは

往来とだへて五月(さつき)闇 淋しき中にいさましき 駅路の鈴や催馬楽の 梅がえうたふ声す
なり 鯉の瀧のほりはなんといふてのぼる ほてつはらめ歩みおれと どつてう声は茶碗のいき
り さます嵐も酒くさき金荷負ほせし通し馬 追くる跡から ヲゝイ/\ 馬か借たい待ちあがれ
と うなるは送り狼谷 両人同じほくそ頭巾一本きめしどす声と 目玉に渡世顕はれたり
エゝぼつこしもない 急な荷物で大津迄の早追 余の馬かつたならぬ/\ ムゝならざ置ていけ 何を
ハテ酒価(て)を こふいふ形で(なり)かういふからは知れたこつちや きり/\出せと 馬ゆすり こいつがみとは思へ
共よはみをくはぬが馬士(かた)だけ 酒のヶ験気でやり付んと ムゝこいつらはごまじやな/\ コリヤ目を明て


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働けやい そんな事こはがつて 此海道を夜よなか通らるゝ物かい 出なをせ/\ 酒価がいやなら首
おいていけ イヤこいつが/\ 馬士(まご)の首取るがはやる迚 そんなじやないぞよ 鱆喰(たこくらひ)の八といふては 恐らく
此街道で わいらはしらぬかしらね共 誰しらぬ者もないえらい男 嘘じやないぞよ 誰になと問て
見い わいらが様な追剥の 一人や二人相手にする男じやない 命がおしくはちやつ/\と逃げいと胸打たゝ
いてつよい顔 やりおつたは こりややい おいらを誰じやと思ふ 馬士でも 侍でも 目にかゝつたらのが
さぬ 鬼のぐはん八象の丹平 きのふも一疋馬士めを殺して 谷へ蹴込で置たをしらぬか エゝと
俄に跡じよりを どつこい爰じやと膝踏しめ 何じやい/\ そんなおどしくふ男しやない おりやちつ共

こはふはないが わいらはおれがこはふはないか たわけめ こちとらは一人や二人の小盗みはせぬ 大金を引さらへるの
じや 常の旅人に目はかけぬ わいらが様な馬士が好きじや エゝイ悪い物好じやな 馬追船頭かちの
人 人の嫌ふ物じやが 有が中でも追剥に好かれたは百年め もふ少々の酒価はしんぜう いやじや おい
らか酒価は馬に付けた此金箱と手をかくる それ取られてはとしがみ付く 腕首肩骨はりこかし エゝ
いま/\しい こんなやつ擲き殺せと立かゝればしく/\泣出し お金は上ます 鬼様とやら 象様とやら 最
前申たは皆てつほう まあつひらお赦し下さりませ どふぞ命を助けて あなた方の結構な御商
売の お弟子になされて下さりませ かういや身をふく様なれど 御商売体(てい)には私も器用


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肌 ばくちは好也酒がよし 密夫(まおとこ)も致しまする 素人分では小盗も致して見ました 衒におやりな
されふなら 見事嘘もつきまする 夜は押入家尻切(やしりきり) 昼は小盗み巾着切 鬼様 象様養ひま
せう 拝みまする剥(はぎ)様と取付きすがり泣いたり エゝ殺すにも拍子のないやつ 馬めと一所に隠や
れと手綱にぐる/\しばり付 追立やれば馬士が馬に引れて逸散走り 今夜はうまい
仕事した 是からいんで一活計 おごれ/\とめい/\に 金箱かたげ道急ぐかたへの松のしげみから
コレ/\待あれ待てと呼かくる めんよう外に通りもなし 待てと呼だはどつからじや イヤこつからじやと飛
おりる 大木まさりの大男 ムゝして何の用じや ハテ知れた事 酒価おこせ ヤア大それた事いひ

出したが わりやおいらが顔見しらぬか イヤ見しつているわりや追剥 おれは又 小面倒な常の者
を剥ぐ事が嫌ひ まあ人に仕事さして置て たまつた所を一時に剥いで取る追剥じや 其金こつちへサア渡
せ ヲゝ金が好きなら此刃金と 一度に抜て切かくる 柄元握つて腰骨ぽん/\ 此そふらひしも過て有る
とぶち折/\ 手並は見へたか 見ました/\ お金箱上まする 向後(きやうこう)はお頭様 ヤアどこへお頭穢はしい
其わんぼう脱ぎおらふ エゝ是は余りおどふよく 追剥がはがれたと云ては 世間へ外聞が悪ふござります
どふよくなら踏殺さふか アゝ脱ます/\ 剥でははがれ 剥れては 元の裸に立帰る もふお暇と
顔しかめ命 から/\゛ 逃て行 跡へひよこ/\とぼ/\と在所親仁の風呂敷包 いにがけの駄賃して


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見んと コレ/\ちよつと待て下あれ ハイアイ どなたやら真黒で知れませぬ イヤだんない者(もん)じや 追剥じや
エゝイおなんまみだ/\ 夢になれ現になれ コレ幽霊と違ふて 念仏では消ぬはい ハア扨はお前は
三途川のおうば様の息子殿か どふやらうそきみの悪い所じやと思ふた よござります 出合ふた
が不肖 命にかへる物はない さつぱりとぬいで上ましたら」いつそ是から苦がなふなると 帯ときかくれ
ばコレ/\/\ それ脱でから高がわづか 路銀が有ふサア出した ハアなむ三 ふんどしに隠して出すまい
と思ふたに きつい見通し みやげ買て残つた所 卅一匁三歩 アゝよいは 是から??(杓?)ふつてなと帰りましよ
イヤそれ斗じやないまだ有ふ 出さぬとかうじやと首筋つまみせちがふ折から 連れの女房が

いきせきと片手に稚子小提燈 ヤア親父様をこりやどふ仕やる 助けてやいの追剥殿とうろ/\
涙見合す顔 ヤア大作殿じやないか 女房か はつと恟り逃行く胸ぐら 引ずり戻し引すゆれば 聟殿
かいのと一度の仰天 コレこちの人 京上りとて 播磨を立ていかしやんして なしもつぶてもめんよな事
と親子三人 内を捨て尋て上らにやよい物か 何不自由で浅ましい こんな商売さしやんす
ぞ 但はこちらにあいそつき 本立に成る心か 此力松はかはゆふないかと涙にしめる?燭の 真実
深き夫(つま)思ひ 面目なげに顔を上舅殿女房にも是迄隠し包みしが 拙者はよし有侍 子細
有て主人の敵をねらふ者 浪々の間の切取強盗致し付けたがくせに成て 恥しい体をお目


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にかけしまつひら御免と手をつけば ムゝそれで聞へた たとへはがれたといふて 舅の物は聟の物 可愛
娘が恋聟じや物 何の悪ふ思ひましよ 爰で逢たは明神のお引合 直に連立ていに
ませう ふつつりと盗やめるといふ証拠に いま/\しい盗み物 皆捨てて仕廻ふて下され 成程/\
只今取た此金箱 捨るが武士の金打(きんとう)と 語る後ろの松かげにいつの間にかは立戻る 馬士がけら/\
笑ひ ハゝゝゝ結構な御了簡 最前其金を盗まれましたは私 あんまりにくさに仕かへしせふと
戻つて見れば そいつらはもふおらいで お気のさばけたおぬす様 其金どふぞ私に ヲゝでかした/\ 馬
も引て来たは幸 身は跡からいぬる程に 金を返す其代り 親父殿と女房子播磨迄の通し馬 

ハア心得ました どこ迄也とお召あれ 南無追剥大明神 直に三宝荒神様はお内儀様の笑ひ
顔 いと/\おけがなされなと 追従(ついしゃう)けいはくいさみ声 馬北風に別れ行 折もこそ有れ桜木親王
見付たやらぬと蘭監物 此頃行方を尋しに爰で逢たは究竟一 便よき所で討殺し 忠文公
のお心休めと 情なくも取て引立かけ出す向ふへ ハイ/\/\ 笹りんどうの提燈に 道をよぎりし乗
物も 女中と見るより権柄顔(づら)突のけ/\かけ通るコハ狼藉と色立中間 ヤア/\さはぐな家
来共 お待有ればお侍と 乗物立させ 立出る 威風けだかきおかもじ姿 是は/\監物殿 六孫王
経基が妻 真弓が供前(さき)御狼藉は 意趣ばし有てか 子細仰聞られよと いはれてはいもう


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いやさ/\経基卿の御台と見ば何の狼藉 囚人(めしうど)の桜木親王行方を尋 漸只今見付けし
故 早くぶち殺して天下の災ひをすくはんと 余り嬉しさ心せき 重々の不調法 まつぴら/\といは
せも立ず コハ憚り有り親王様 幸いの折から自にお渡し有いざ受取んと立寄ば こりやどふじや 聞
へた コリヤ親王の贔屓めさるな まだ経基の館には小?がかくまふて有噂 合点の行ぬ
底 折角捕へた親王 又落してやらふとはならぬ/\ ホゝゝゝ是は又あんまりな先ぐり おだ巻姫と
仮初の御悪名 姫君も行方知ず 親王の御事は奥州へ流し奉れと帝の勅諚 夫経基
承る すりや此方の受取 忠文公の御家来がいらざる世話 それ共慈悲にお渡しなくば 親王

を殺し奉れと 帝の仰立ての事か 是より直に禁中へ訴へ 吟味をとげて上の事家来参れと
立上れば アゝこれ/\ それは拙者が大麁相 禁中へは御沙汰なし 然らば親王渡されよ サア夫レは サア/\/\
エゝ面倒なとふくれ顔 つきやる親王御手を取 是より直に伴ひ帰り 奥州へ流し者 恐れ多くは
候へ共と我乗物に 乗せ参らせ いざ御同道お先へと 女中ながらも武将の妻 夫の威光を裲
や底に監物荒気を押へ 是非なく打連れ急ぎ行 松の葉分けの月ならで 始終窺ふ四塚大作
跡見送て心のえつぼ 噂に違はぬ 経基が内のかくまひ者 きやつが屋敷は西八条 思案一
定(じやう)重畳(てうじやう)と 飛がごとくに 「恋をならそと錦木たちゆる 立た錦木 花咲くならば


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わしも実となり落もせう 其ならはしは 陸奥に 今も朽ちせぬ錦木の 里は家並門並
に 世を経る賤の麻機に織る手 引手の色盛り 娘盛にこがれよる心染木の色々は 軒
もまばゆく見へにけり 主は老女と覚しくて 頭(かしら)はまだら指鹿の子 身に木綿のいとまなき
機前に指寄て ヲゝ娘筬(おさ)のすべりもよいかして テモ美しいよい布や 織習ひとは見へま
せぬ したが此母が形に似せて巻いたへそ 嘸立にくうて織づらからふ イエ/\ お前のお気
の様にわさ/\と 糸筋もよう立て 夫は/\織よい事 きのふの目出しから モウ四尋(ひろ)の
墨が入りました ドレ/\ ヲゝ是ははか行 去ながら秋の日は短い事 もふ九つの時計が鳴た おりて

昼食(おこゞ)の拵へしやと いへば娘が アノかゝ様のぜいらしい こちの内に有もせぬ 時計が鳴てた
まる物か よつ程の事いはしやんせ ハテ若いがわるい耳の わしがおなかの時計が さびしうなつたが
聞へぬかと おどけに吹出す折からに 隣の嬶が門口から こりやおむつ女郎よ為業(しごと)が
出来ますよ 軒口には錦木が山の蓬莱 引手の多いも器量のよい故 あやかりたいと
誉められる 子よりも母は嬉顔 ヲゝおたご殿かよふござつた 見て下され あのふつゝかな娘に
さへ 方々から立て下さつた錦木 返事にとんとこまつて居ます 国の習ひとは云ながら
人の娘に恋するのに 状文にも及ばずあのごとく錦木を立てならべ 其中で気に入た錦


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木を取入れると 立て主が直に聟 手ばしかい事した物じやござらぬかと いふにおたごが
打點き イヤこちらが様な物書ぬ者には いつちえい習はし したが其錦木の歌に 錦木は
立てながらこそ朽ちにけれ 狭(けふ・狭布)の細布胸あはじとや そりやまあどふした事でござんすへ ヲゝ
其歌の心は 錦木をいくら立ても 其娘の心に入ねばいつ迄も取入ず 立た儘に朽果る
といふ心 又狭の細布胸あはじとは 此国の狭の里で織る布は 身幅もせばく 一重の物
に仕立ても 胸があはぬといふ事を 身をつくしても恋人に 逢れぬといふ心に読みなし 錦
木は 立ながらこそ朽にけれ 狭の細布胸あはじとや 其元祖はアノ錦木の宮 何と

合点がいきましたかと 聞ておたごが是はしたり 謂れを聞ばおむつ女郎 随分中で色の
よい 達者な錦木つかまへて放さぬ様になされませと 笑ふて帰る其跡は娘のおむつ腰
巻はづし どりやマア御膳拵て 彼お方へも上ませうと いひつゝ勝手へ入にける 表の方
よりのつさ/\窺ひ来る当地の役人 いかつがましき顔付にて 某が武隈伴内といふ者 都
より此国へ流され来りし桜木の親王 配所をぬけ出有り所知れず 察する所此国に 親
王方のやつ原立って 隠し置に違ひない それ共方々詮議にあるくうさんらしき事
あらば 早速に注進せよと さも押柄に云渡せば 是は又思ひも寄らぬ御詮議 私は


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此錦木の宮守親子二人でさへすぎ兼るやせ世帯 親王とやら終に聞た事もない
人 新ぼちの事なら 上の寺をお尋なされませと けんもほろゝに云くろむる折も折 申かゝ様
御膳をお備へなされぬかと なんにも精(しらげ)の昼がれいおかずに事をかけばんを 恭々敷持
出れば はつと思へどさあらぬ顔 コレ/\娘 神様へ据る御膳なら 早い/\まだ早いと あせる心
を仕形と目つき ぐつと呑込む武隈伴内 わざととぼけし顔付にて いか様此家に隠し
有ふ体も見へず よしなき所に隙取しと いひつゝ邊に眼をくばり 心残して立帰る 跡見
送つて溜息つき アゝひやいや娘 折の悪い御配膳 気転のきかぬといふ声の 洩れ

もやせんと跡先に 心を付けて一間に向ひ 供御(ぐご)奉らんとおとなへば しとやかに襖をひらき 配
所の月のはれやらぬ 身は桜木の花曇り 雨にしほれし風情にて ヲゝ朝路 配所に
捨られ便りなき身の上を 我家に伴ひ此ごとく 朝な夕なの心づかひ忘れは置かじ 去なが
ら汝が信ずる御社へいまだ供物も捧げぬ内 我備はるは道ならず 先々是を神前へ
と 仰に老女は手をつかへ 又わつけもない御遠慮 此社は錦木の宮と申て 此所の賤の
身夫婦を 祝ひこめたる御神体 役なしの此ばゞが願つてするお守り たとへ天照神
もせよ 世間て申す王は十ぜん神は九ぜん マア神様より王様が大事 此朝路は陸奥


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守経基がめのと 年寄て此国に残り居るを幸 心を付けよと六孫王の内意な
れば 身にかへて大事に致さにやなりませぬ それ故何がなと存じ 鱠の子の赤貝は娘 
が御馳走 母が好みは干蕪と豆腐のぐつ煮 おかげんのそこねぬ内 サア/\召て下
さりませ いやとよそれは左にあらず 此日本(ひのもと)の主は兄君 我は遠流の罪人なれば 神の祟り
も恐れ有りひらにと辞する御詞 聞て娘は打しほれ 申かゝ様 道を守る今の仰 其家
来は大悪人 上をまねぶ下ではなふて 忠文故にうき御苦労 勿体ない此お姿と そゞ
ろ 涙にくれければ 母もしほるゝ涙を隠し あられもないそりや何事 ちつとなとお心を

慰めふとはせいで 何の夫レが悲しい事 浮しづみは世のならひ 在所の子供が諷ふを聞きや 沖
にさほさし行く海士小舩 浮川しづんづ しつんつういつ 釣た所がおめでたい ハゝゝゝ ヲゝめでたふ御
膳は奥の間で 娘は爰で松虫や機織虫の 秋さむき 障子引立入にけり 娘は
一人くよ/\と 心ほどけぬもつれ荢(?そ)をわけて 返せしおさのはの 目せばきけふの細布に
又差向ふ機音は 我を招くや 花薄風の吹鬢(ふきびん)ほつとせし 姿は色気 離れても 心は
ちゞに染込し 染木携へ ひよか/\来り 門口に錦木立置き 内を覗て さつても見事
えらふえい 機織る姿は七夕か 衣通(そとをり)姫もはだし参り お百度はおろかの事 千束(ちつか)に


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及ぶ錦木を 朽果てさすはどうよくな 是非今日は色よい返事聞ねばならぬ サア/\どふ
じや コレ申と しかけて見ても初恋の 顔を赤める斗にて 音する物はきりはたり
調子も合ぬ 折からに 息もすた/\かけくる女房 それと見るより走り寄り 男の胸ぐら
しつかと取 コレ爰な性わるづら 有ないの世話は女房一人に任し置き 面白そふに錦木
ざんまい あたいやらしい見られぬ サア/\戻りやと引立れば取て突のけヤイそげめ
男の尻から付手回り 又しても/\ 米櫃(げびつ)の中から云廻す ひねくさい悋気おいて
くれ われが其山の神にほつとあいそがつきた故 気をかへてして見る色事 邪魔になる

きり/\いね 何じやわしにいね イヤいぬまいわいの こうけそふに気をかへて色事するとは
マアならぬ そしてうそよごれた形といひ 狐がきたなか色事すなとお触れでも有た
か そふぬかしや意路づくじや 似合ぬ色事して見しよが何とする ヲゝこりや面白
い ならばして見や どこ迄も邪魔して見しよ ホゝ邪魔すりや儕 さつて/\去りこくる
イヤさられまいイヤ去と つかみ合ふやらせり合やら 降てわいたる女夫喧嘩の擲き合
聞いる娘が気の毒さこはさも先に機よりおり かゝ様ちやつときていなと 呼


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はり/\逃て入門には悋気につのめ立つ 中へかけ出わけ入老女 あちらをとむればかきつか
れ こちらをとむれば踏飛され 腰をさすつてあいた/\/\ マア二人ながらしづ
まつて下され 近所隣りの外聞が悪い そしてまあめつそうな 喧嘩するなら
めんめの内でしたがよい どこの国にか人の門口へ持出してのわつぱさつぱ 嗜ましや
れと制せられ しづまる夫婦母親は 錦木見付け手に取て ふしぎそふに打守り
すべて錦木は さま/\゛の色を以てくまどり彩色共錦木共いひ 又染木共いふ
それを放れ又色の糸にて巻立し此錦木 ムゝムゝ此立て主はこなたよの ふつゝかな娘

を思ひ思ふての通ひ路 返事しませう マア/\こちへと二人を伴ひ内に入 先程よりの
様子を聞けば 御内証に見かへての御懇望志が忝い 成程娘を進ぜませう スリヤ
何とおつしやる アノ娘御を私に ヲゝけふ中に祝言をさせまする ハゝ忝い/\と 悦ぶ夫
を押のけ突のけ 女房傍につつと寄り ムゝ女房の有人に娘御をやらふとは ムゝ聞へ
た こりやこなた衆が云合せ わしをさらそといふ事かと いふを聞捨て傍なる細布 おし
げも中よりふつつと押切 これ此布も 晒せば色も白ふなる 又晒さずにも用ひらるゝ
晒して成り共 さらさずに成共 仕様もやうはこなたの胸 とつくりと分別有れと投出せば


35
女房取上 さらすも布さらさぬも布 ムゝどふやら聞き所の有りそな事 明日迄は延され
ぬけふの細布 しつかりと受取ました 然らば拙者は娘御を 申受るも今日中 成程
娘も進ぜませう マアそれ迄は二人ながら 次へ行て待てござれといふに女夫は打諾(うなづ)き
万事は後程 /\と互に 心奥深き一間をさいて入跡へ 深編笠に大小ぼつ込 
羽織のゆきたけのつしりと 浪人めけど鰭有る武士 錦木携へしづ/\と 来るむ
かふへ是も又 錦木腰に指こはらし 懐手してのつさ/\ ふしくれ立し顔かたち 心染
木の色々に かはれどひとつ軒のつまこがれ よる身としられたり 先に来りし侍

笠脱捨て門口より 此家の息女に執心かけ 此間より毎日/\ 軒に立置く錦木
の返答ぜひ今日は承はらんと いへばこなたもとがり声 此近郷に隠れもない塩竃
の千賀蔵 逹て引きにはひけとらぬ男 恋なればこそ錦木を 立ても/\返事せぬ
は 此男が気に入らぬか いやでもおうでもお娘(むす)を貰ふ マアそふ心得てくだはれと たま
から出かける いがみ顔 朝路さはがず戸口に出 ヲゝおふたりながら御苦労やいざまづ
内へと請じ入れ 二本の錦木打ながめ 染木と白木と二つの錦木 ヲゝ面白
そふな心の染木 数ならぬ者の娘 よく/\に思召せばこそ お侍様の日毎に


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お通ひ お志か嬉しければお望の通り 娘はお前に上ませうと聞より千賀蔵ぐつ
と目をむきコレおばゝ 塩竃が見入れた娘 外へやつては男が立たぬ 出直して返事
しやと横につつはる 閂せりふ サゝこなたへも娘は進ぜる ヤゝ何と ハテ娘おむつを進
ぜさへすりや こなたの男は立でないか ヤア紛はしい老女の詞 一旦某約したれば
是非御息女は申受る いかにもお前へ上まする そんならおれには こなたへも進ぜる
/\ ムウ一人の娘を アノ二人の聟にか ヲゝ進ぜる仕様は母が胸 マア御両人狭け
れど 勝手へござれといふに二人も不審ながら 然らば暫く勝手へ参る 必虚

言ない様に ばさま 遅けりやお娘をかたけて走る 詞つがふた合点か ハテ其御念に
及ばぬ事 案内しませうかうお出と 伴ふ二人三つ四つの思ひを一つ胸の内連れて
奥にぞ 入にける 始終の様子物かげに 聞ておむつはすまぬ顔 立出て独り言 互に
顔はしらね共 稚い時より云号有る我身の上 それを知つゝ外の殿御に添はそふ
とは 合点の行ぬかゝ様の心入 常々わたしにおつしやるには 姫ごぜの嗜みは道ならぬ恋
徒ら 取わけて 云号有身の上は主有る體も同じ事 人に袖つま引れても心に 貞
女の諚おろし 必ず浮名を立られなと忝い御異見を 聞て忘れぬ大事の殿御


37
それふり捨て外へ嫁入わしやいや/\ 赦して給はれかゝ様と 道を忘れぬ誠の涙漏れ
聞へて母朝路 ヲゝ娘よふいやつたでかしやつた 連れ合の存生(ぞんじやう)の時は此国で
一郡も領せし侍 其侍が一旦云約束せし大事の男 死別れしたといふではなし 外へやつ
てたまる物か さつきの様にいふたのは 此母か思案有ての事必気づかひしやんな
と 理り聞て落付く娘 アゝ忝なや嬉しやと伏拝む折こそあれ 表の方には武隈
伴内様子残らず聞すまし 用意の呼子吹き立つれば 相図を待たるあまたの家来
ばら/\と走り出 内もせばしとこみ入たる 武隈伴内大音上 ヤア此家(や)の内に隠し

置く桜木親王見付た/\ ふんごんで討てとれ 承はると侍共こみ入向ふに塩竃
千賀蔵 家来を蹴ちらしつつ立たり ヤア儕何やつ邪魔ひろぐなと 睨め付くれば イヤ
おさむぴこつくまい おりやけふから爰の聟 姑の難儀見て居られぬ コリヤ腕に
覚の塩がまが 塩からいめに合してくれんと尻引からげ 身繕ふ 物ないはせそ討取れと
いふより早く雑兵共 抜き連/\討てかゝる ヤアしほらしやといふ儘に むらがる中へわつて
入 掴んで投る人礫 天狗礫や板家(や)の霰 刃向きもならず大勢が わつとわなゝ
き逃行を 余さじ物と追て行 跡へ一村又ばら/\遁さぬやらぬと取まけば 障


38
子蹴はなしこなたの若者ヤアどこへ/\ 最前から待て居た正真の此花婿 たのみの
印はうぬらが首と 大勢相手に切立/\なぎ廻れば 叶はぬ赦せと数多の家来
立つ足もなく逃行を いづく迄もと追て行 武隈伴内取てかへし 一間にかけ入親王
を引立出んとする向ふに 的になつて母娘 こなたよりは女房が さゝへとゞむる相手は三
人 武隈伴内 いらつて切込む切先に 母が肩先切付られ のふ悲しやと娘が泣
親王は漸遁れ逃給ふを どつこいさせぬと御髻(もとゞり) 手にからまいて引戻す
折から出たる以前の侍 刀ぬく手も見せばこそてうど切たる手の内に 残るは黒髪

親王を 肩に引かけ侍は行方 しらず落延たり 南無三宝と武隈が ゆるむ所を
すかさず老女が一刀 うんとのつけにそり返るを おこしも立ずのつかゝりとゞめの刀 指す
所へ 立帰る二人の若者 コレ/\こちの人 親王様を侍に奪ひ取られた早ふ/\と 聞て二人
も恟り仰天 又かけ出すを手負は声かけ これ待った宇治之助殿 おせきなされな
秦次郎殿 親王様の御身の上に気づかひない マア/\待たと呼かけられ三人も驚き
立とまり ムゝ我々が名を知たは ヲゝ夫レこそはこなたが立し此錦木 五色の糸にて巻
立て 糸巻にした心は おだ巻様の御家来 宇治之助殿で有ふがの 又此一本は桜 


39
木殿の 御名によそへし桜の白木 はだを見せたる秦次郎殿 娘を貰ひたいとは偽
り 誠は親王様を受取りたさ 御主人の身の上に気づかひない其印 最前の侍が持
てきた此錦木 それ見やしやれと投出す 見れば小口に仕込みし一通何々六孫王経
基の下知によつて 桜木の親王御供して立のく者なり ムゝ 扨は最前の侍は 経
基公より忍びの付け人 シテ何方(いづかた)へ落給ひしぞ ヲゝそれも奥に手聞て置たり 其行
先は人目多し 親王と悟らぬ様に御髻を切奉り 熊野詣での山伏安珍と名
を改め 熊野へ落し奉れと六孫王の御計らひ それ故切し此黒髪と 聞より

両人 ハアゝ 今に初めぬ経基の御賢慮 忝し/\と悦びいさめば コレ/\秦次郎殿 こな
たの生れも此陸奥 稚い時に親々が云号せし此娘 気に入ずと添ふてやつて下
されと聞ておむつが そんならあなたが云号有殿御かへと 驚く娘宇治之助 某が
立てたる錦木の返答 承はらんと詰寄れば ヲゝこな様の恋娘も只今渡す コレ娘アノ
神前の錠まへを あいと娘が心得て ひらく扉の 内よりも 思ひがけなきおだまき
姫 ヤア御安体にましますかと 夫婦が悦び姫君は手負に取付きすがり泣 ヲゝ驚き
入たる老女の頓智 姫君此家にかくまひ有ると知たる故の我錦木 此上は片時も


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早く御供して 親王様に御対面アゝこれ/\ 姫君様と桜木様 逢してよければばゝがあ
はす 最前渡せし細布の心は悟り給はずか よく/\殿御を大切に 此国迄尋さま
よふ御姿 ふしぎにわらはが廻り逢此家に隠し置きながら けふ迄おふたり逢しませぬ
母が心を聞てたべ 姫君と親王様 一所に有りと聞ならば 忠文が心逆立て 御身
の禍ひ遠かるまじ そこを思ふておふたりを 引分けて置此朝路 必ず恨みと思すなよ
此上何国(いづく)へお供有共 忠文亡びぬ其内は 親王様も姫君様も 其細布の
胸あはじ 追付御代の納まらば狭(けふ)の細布引かへて あすの錦木朽ちせぬ御縁と

心をこめたる其布を 無下にばし し給ふな コリヤ娘 今迄とは違ふ程に お主と夫を
大切に といふ物の何角に付け 母を恋しう思ふであろかいの者やと抱きしめ 今死ぬる身
の今はにも 子に迷ふたる親心 聞ておむつが猶悲しく 手負の母にすがり付 朝
夕お前の望には 次郎様にわたしを添はせ 孫が抱きたい/\とおつしやつたかいもなふ 此
有様は何事ぞ 殿御に逢て嬉しやと 悦ぶ間もなふ母様に別るゝといふ様な 因果な
事が有物かとわつと斗に どうどふし身もうく 斗泣しつむ かくては果てじと次郎は
つつ立こりや/\女房 いつ迄泣ても返らぬくりこと 是より直ぐに親王の御跡


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したひ 見へがくれに御供せん 成程/\ 本街道は関所/\ 六孫王の差図に
任せ 山伏姿の御供申せ ヲゝ汝は是より道をかへ 姫君伴ひ奉れ 出合所は
ヲゝサ/\ 幸い熊野に真那古の庄司 彼にたよつて時節を待たん いさ御立と すゝ
められ ぜひなく /\も姫君の 手を引て夕霧が 随分御ぶじで兄嫁様と いへど返答
泣入娘 次郎がせいて立出れば こなたも姫を伴ふて 別るゝも旅行くも旅 見送る母
はめいどの旅 死出の旅路の 公朖(?はれぎ)には 狭の細布経帷子 のべの薪の錦木は 朽ちせず
絶す陸奥に 錦木塚の草の露虫の声々鳴き連れて 跡白河と都路へ別れてこそは 出て行