仮想空間

趣味の変体仮名

加ゞ見山旧錦絵 第七(廊下~長局~奥庭の段)

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース  ニ10-01093

 

58(左頁)

  第七

 

 

59

星月夜鎌倉山に風誘ふ 扇ヶ谷(やつ)に棟高に 前(さき)の官領足利家の思ひ人 花の方の御

館 咲つゞきたる花の御所 盛十寸見の奥御殿色香争ふ長局 武家とはいへどなまめかし

世のうきを空吹風の有頂天 くつたくなしの婢(はした)共一つ所に寄集り ヲゝおなか女郎お冬女 軒から軒の

隣部屋も事多い時は遠々敷(とを/\しい) 今更云に及ね共人目には楽に見へ 奉公向のせつろしさ 人の楽し

む正月遊びも 御観式(ぎしき)事にかゝつていてほう引一度引事ならず 在所にいれば朝から晩迄

針打したりやり羽子手まり お雑煎腹のへるのも忘れた ホゝゝ御膳仕廻へばおぐしにかゝりお下

迄の其内に 継物したり時分の身仕廻 ヲゝお秋のいやるに違はない 人一ばい精出しても部屋方者と

 

いやしまれ 能奉公もする事ならぬ 皆面々の肩づくじや 此春の出代りには出てのけふと思ふたれど

アゝいづくも同じ鶏の音色と 重(てう)年をしたのじや どの白壁も同じ事 縁次第じやとさがな事

口もはしたの姦(かしま)しさ 主の噂も鳥影も日脚も延て八つ下り お下りのお迎とお初が夫と気も  ←

うかぬ 小腰かゞめて コレハ/\皆打寄てお睦しい面白そふなお咄し 新参の私故其の尾仲間へは這入るまい

後にゆるりと逢ましよと 御殿をさして行所を コレ/\お初殿 そなたもこちらが仲間内マア/\爰へと

呼かけられ いや共云れず惣々の 中へすわればさしでのおなか ホンニこなたは仕合者じや 結

構な旦那を取ば勤ながらも骨は惜マヌそなたの旦那尾上様の心よし 何から何迄御発明

 

 

60

な御生れ 道理こそ育ちが育じや お宿といふは誰有ふぞ 鎌倉一番の大分限 舟が谷

の坂間とやらいふ米問屋 少(ちい)さい時からお姫様育 此お屋敷の御金御用 一式親御が勤みやる

げなの 人は氏ゟ育しやと 影口咄し腰打て まけぬ冬がつぼ/\口 気にはかいやんなおなかゞ御

主人 お局の岩藤様 此広い御殿の内 誰一人お睦う相口といふが根からない コレお初殿 きのふ靏が

岡の事聞てか イエわたしは何にも存じませぬ マア/\聞きや お局様と尾上様と御道々で御代参にお出

なされた時 例のわんざんが出たかして 有ふ事かはしたない 御用先で悪口たら/\゛ まだ其上に大それ

た お中老もお勤なさる こなたの御主人尾上様のおぐしを 主の草履てたゝいたといの 堪忍づよい尾

 

上様御代参なりやお上の名代 しつかとこらへて ひしがくしに其場は済で仕廻ふたけなが ナント思やる聞ている

内かけ嫌いないこちと迄 腹が立て/\/\/\ 夕部は癪か差込でおよなかをたべなんだ 苦は色かはる松風の評

判物じやと口々に そしる折から 奥の間ゟ立出るは 顔も心もすくならぬ曲りくねつた局岩藤 あたり

見廻し/\て ヤイ/\女(おなご)共やかましいそりや何をいふ 次へ行ぬか 立ぬかと 叱られなから婢共 我部屋/\へ

立て行 コリヤ/\初 我にはちつと用が有爰へこい /\ こはい事はないはいのふ こいといはゞおしやいのふ アノそ

なたは女共を集て 一はな立て 何で人の噂いふぞ サアなぜ自が事を悪ふいやつた 何ぞ意根ても

有事か 又は尾上殿か悪ふいへと云付たか サア最ちつと爰へおしやいのふ とふしやいのふと

 

 

61

猫なで声も気味悪く お初は漸傍へ寄 イヤ私はたつた今さんしまして 何にも申間はこさりませ

ぬ 何も申は致しませぬ お赦しなされて下さりませと 行んとするを小腕(かいな)取 モウ/\夫で知れた 奥聞ふ

ゟ口聞けと 悪ふぬかさぬ物を何赦す事が有 アノ悪性根の尾上づら 主が主なら儕迄 悪工み

をしそふなしびとあま 仏性な此わしを よふも/\ない事迄拵へて なぜ云やがつた引さかれめ

ドレ顔見せよ テモ能顔じやナア ムゝ能器量じやなア と傍若無人に引寄せて つめつつ突ついし

められ おろ/\涙お初が思ひ 語りましたも出でばこそ 只伏沈む斗也 お口女中の声高く 御上

屋敷ゟお使者のお出と案内の 声に岩藤きよろ/\目 エゝうぬは仕合せ者 只置やつでは

 

なけれ共 能時のお使者故赦してくれる 立てうせいと怒りの立蹴(け) 口惜涙押隠し しほ/\として

立て行 程も有でず長廊下 のつか/\と権柄眼 出向ふ岩藤互に夫と表向 相口馬の

会釈ほら/\ ヲゝお使者と有をとなたかと思へば大膳様 御苦労様やと互の目遣 仕込悪事

の友烏 したり顔に上座に直り 其以来は打絶申た岩藤殿 お使者の趣余の義ならず

持氏卿御病気成と世上へ披露し 御賢息(けんそく)二方の中 惣領たる花若殿の方の出世成れは

家督との御内意 申入よと後室君京寿院の 今日の御口上かくの通りとのべにけり ムゝ

すりや御家督は花若様 申是迄色々の心尽は仇事かと ほいなげに問ふ詞を打消 何にも

 

 

62

せよそなたや我等が面白からぬ趣なれ共 肝心かんもんの継目の臨綸旨 ナ ナ 我等が方へ隠し

置けば 花若の家督相続思ひも寄ず シテ/\兼ての首尾はいかゞと ひそ/\声も人や聞と

邊を詠め 岩藤が膝摺寄せ サレハ其事 大切なアノ密書 日外問注所で取落し ハツト思ふて

色々と捜しても見へぬ密書 尾上めが拾ふたとは鏡にかけてにらんで置た スリヤ尾上めを其分

に済しては寝覚心がとんと済ぬ きのふ靏が岡へ御代参 尾上めを同道 能折からと思ふた故

立つ居つにいぢめかけ ドウ喧嘩仕かけても上手遣ふて相手にならず 場所がらを弁へ御代参

のわしへ対し 慮外有ては身の越度と ながす程に/\ 煮ても焼ても喰はるゝ様な大体な

 

利発な女めではないはいの 詮方尽て人柄を崩し わしがはいた草履をもつて 尾上めが天窓

をくらはせ 手向させふと思ふた所 聞て下され恐しいやつ 夫をも辛抱しくさつて 手持ぶさたに

其場を仕廻ふた 時に尾上めが婢に初といふ小あま 年に似合ぬさいはぢけのさしで者 又こいつ

めに手向させて夫から尾上めに付込ふと思ふて 今も今迚さん/\゛にいぢめかけたが 是も又同じ

よふな辛抱つよい賢いやつ 手向い所か誤つて斗居おつて 是も又つほへは行ぬ 此分ならばなか/\

もない あいつを遠ざける事は成まい 兼てこちらの工みの様子 けどつておるアノ尾上め 思案かりたい

大膳様と 毒気吹込む一息焔と斗身を焦す 大膳も諸手を組暫くためらい居たりしが ムゝ

 

 

63

はて扨しぶとい女め なみ/\の謀に乗らるゝ女ならず ハテとふがなと思案のうち 襖の影に婢

のお初 様子窺いためらふ共 知らぬ岩藤せゝら笑ひ アゝ仰山な大膳様 此家を一呑にと企るお前

やわしが アノ小尼一疋が何で夫程恐しいぞ アリヤ堪忍ぶでも有まいが 真実生付た臆病者 又これから

模様をかへ あいつを追出す其思案は おあんじなされますな コレ爰にござりまする大膳様 ムゝしからば

能きに計らはれよ きやつめ一人ほいまくれば 跡はのゝ宮高砂の アゝアノ妾つらは心よし 大殿は死で仕廻ふ 若殿の

小びつちよ殿にあてがいふちを喰せて置けは 此一家中はお前とわしが シイ こへか高い壁に耳 岩の物云

世の譬 互に胸は得(とく)と秘めて岩藤吉左右を相待ち申と 浮雲の空頼み奥と表へ時宜式礼別れて

 

〽こそは入にけり 跡見送りて襖の影 お初が夫と抜足邊り詠めて溜息つき テモ恐しい

工み事 お下りの遅ひ故 どうかかうかと思ひ過し 陪臣の行く事ならぬ奥御殿 いて見よふ

とは思ふたけれど 咎らりよか 叱られよかと 取てかへした襖の影 悪局の岩藤どのと アノ伯父

御の大膳殿 大それた悪事の相談 コリヤ大切な事じやわいの 尾上様に申上 お上の

御忠節 アイヤ/\/\証拠も持たず大切な事をなま中に 是を訴へてお主様を科に落し どの

やうな御難義を懸る工みの程も知れぬ わしが大事のお主といふは 尾上様ゟ外にひあない そふ

じや/\と一筋に 恩義にせまる主思ひ 待つ間もとけし長廊下しづ/\御殿を尾上が

 

 

64

下り 夫と見るゟ ヲゝ御機嫌よふ今お下りか いつ/\ゟも遅いお下り どふやらお顔持もすぐ

れず お心悪ふはござりませぬか アノ初とした事がきやうとい物いひ 毎日/\の御前

勤 下りの早い事も有 御用が多けりや遅い事も有は此上まゝ有事 勝手しらぬ

そなた故 案じは無理ならず サア 供しやと何気なき詞に夫と気も付ず 上べを包む

上草履直す草履もきのふの意根 思ひ悩みて一筋に歩む廊下も心には ひつじの

歩みひまの駒 神ならぬ身の夫ぞ共 しらぬお初が物あんじいく間も 遠き長局 部

屋の戸明けて内入るも 常に替りし顔色を悟らせまじと癪にまきらし 正直はさつきにから 持病の

 

癪(つかへ)がおこつたわいの 夕まゝも給(たべ)たふない いつもの通りさすつてたも ハイとお初が指寄て先お

枕を遊ばしませ お風召なとかい巻をかひ/\敷も立廻り お癪のおこるもお道理様じや 夫

に付けても軽い者は奉公迚も気さんじに 旦那様やら御家来やら お友達見るやうに

お心安ふなさつて下さりや 病気(やまいけ)もござりませぬ ヲゝいやる通り 上々方の宮仕へは い

かふしんきを遣ふ物 そなたの爺御(てゝご)は武士と聞たが世ならどのやうな御奉公も仕

やる筈を 町人の娘のわしが遣ふといふは嘸や嘸心うくも思やらふ とかくに人には時節を待 花咲く

春を待のが肝心 ヲゝ勿体ない事御意遊ばす 何事も大旦那のお咄しに御存じ

 

 

65

ならん 私親子が受し御恩は 口にも筆にも尽されませぬ せめてもの御恩報じ ぶ調法な

此私が お傍でどふぞ御奉公とお願申 此春から初奉公の御面倒 有がたふ存じまする 其

大切なお前様が 御病身を案じ申 どふぞお煩いの出ぬ様にと存じますが 年はも行

ぬ私が口から ませた事をいふにしやく者と お叱も有ふけれど 兎角に人は気を晴して 物に

くつたくをさへ残さねば 煩いは出ぬ物じやと 巧者なお医者の申されましたが 其御養生には

物見遊山 アノ お前様も芝居はお好でござりませふなァ ヲゝ 成程わしも芝居は好しやが

そなたも定めて好じや有ふが イヤモウ好のだんではござりませぬ そふ申中かぶきゟ操(あやつり)芝居

 

の浄瑠理が私は面白ふござります ヲゝ夫なれば咄しが合ふ わしもきつい浄るりが好 併

たま/\の宿下りゟ外は 浄るり本で楽しむ斗 私もお屋敷上りませぬ其前は よふ見物

に参りましたが 当り浄るりの多い中に アノ忠臣蔵の浄るり程 面白いのはござりませぬ

ぞへ ヲ ソリヤ誰も同じ事 アノ師直の憎さ/\ イヤ申お前様のお心には塩冶殿の師直へ切

懸られし其所へ 尤な事に思し召すかへ 但し又 不了簡な事に思し召すか サ マア何と思し召ます

さればいの 御短慮には有たれと 意根に意根重る上は 御尤にも有ふかいの イエ/\/\ 憚り

ながら ソリヤお前様の御贔屓口 塩冶殿は大不了簡 ナゼト御意遊ばせ 大切な身を

 

 

66

軽々(かろ/\)敷 短気に其身を亡し給ひて 親御様のお敵 本にわしとした事が麁相な

塩冶殿に親御はないもせぬ物 ナゝゝ何と思し召す 家国を亡し奥様始御家中ちり/\゛

たつた一人の不了簡が千万人の身にかゝつて 御恩を受た者共の歎の程はいか斗と 思し

召すぞいのお情ない ヲゝあほうらしい何のこつちや拍子にかゝつてお前様へ 御異見の様にヲゝ

おかし ソリヤお薬を見てこよかと 何か詞の綾の糸 勝手へこそは立て行 跡に尾上は胸

せまり 忍ひ涙の渕も瀬も 翌(あす)は亡(なき)名を白紙に 硯の海の底はかと なき長文も跡

や先 書置筆の命毛も露と散行 はかなさを 絶入斗 忍び泣 涙と共に書留め

 

革の文箱も浦嶋が明てくやしき 意根の草履 文諸共に文箱の紐引〆てかたへなる

手箱の中を形身わけ数も涙の玉櫛笥 細々(こま/\゛)敷も小文庫に思ひ 詰たる うき涙

包に余る小風呂敷中詰〆て玉の緒も 今を限りの空結に封もしどろに かきくれて思は

ずわつと泣声も袖に 包し忍び泣 何心なく勝手口 お初はこころいつきせきと煎じ上たる

薬鍋 片手に茶碗携へ出 サアお薬と差出し 見れば包と文箱にきつと目を付コレハ

したり お心悪いに何所へのお文 お気がつきやうに何事と 問懸られてさあらぬ体

イヤ此文はかゝ様へ 急に上ねばならぬ文 此包大義ながら つい往て来てたもと物がるに

 

 

67

云付られてもぢ/\と どふやら済ぬ今日のしだら ふせう/\゛に アノ参れなら参りませふが アレ

御らうじませ 空合(あい)も曇つてくる 勝手ヶ間しう思し召ませふが 翌の事になされ

ませぬか テモ初とした事が いかに心安立て迚 主の云付る宿への使 翌の事にでも

せいとはいかに女の主なれば迚 主の云付を背きやるか イエ/\/\何の御意を背ませふ 御持

病の癪も發り お顔持ちも悪い故 イゝヤ癪気はモウ直つた 日のたけぬ内や方行きや

ハイ 早ふ行きや アイ 何をうぢ/\するぞいの 行けといはゞ行かぬか ハイ 只今参りますはいのと 文

箱取上次の間の 案じに胸も張葛籠明て 出したる生木綿の 在所染成紋付も

 

部屋方者の一てうら 帯仕直して一人云 今日にかきつて此お使 行ともなふて/\ 尾上様の

お身の上が案じられてどふもならぬ きのふ靏が岡の喧嘩の様子 御殿一ぱいの取沙汰を

御存じないか わしに迄お隠しなされうお心の程が どふもわしは案じらるゝ 真実底から大切に思ふお

主の大事を 虫が知らするとやらいふのじやないかアゝ心元ない/\ 御機嫌に違ふても 往たふりして

逝まいか イヤ/\/\ どういふ急な御用やら 知れぬ事をそふも成まい かふいふ時の仏神様 そふじや

/\と塵手水 一心無我の手を合せ 南無観音様/\ 南無鬼子母神様/\ お宿へ参つて

帰ります中 主人の身の上頼上ます ドリヤ一走りに走つてかふと 小妻りゝしく高からげ錠口 さして

 

 

68

出て行 影見ゆる迄見送りて こらへ/\し胸の中 思はずわつと伏沈み きへ入斗歎しが やう/\に

顔を上 まだ昨日今日馴染もない此わしを大切に 大恩受た主人じやと 年はも行ぬ心

から 大事に思ふてくれる心 コリヤ忝いぞよ 嬉しいぞよ 岩藤へ意根を察し さつきにも余所

事に 浄瑠理の譬えを引き わしが短気な気も出よかと 云廻したる健気な利発 今別れ

たが一生の別れとは知らずして 嘸やとつかは戻つて来て 歎かん事の不便やと身も浮斗せき

上て前後不覚に歎しが やゝ有て顔を上 とゝ様やかゝ様の 此年月の御不便がり 御恩は海も

猶浅く 山ゟ高き御恵み 片時忘れぬお二人様 此中のお文にも かゝ様の細々といかふ此頃は

 

おしなへて引風の時行(はやり)病 一しほ案じらるゝ程に コレ此守は萩寺の疫病除のお守 傍輩

衆も多い事 悪い病の折見廻 移らぬ程に大事にかきや 又其上に身用心といふて外

にはない 給(たべ)物に気を付て気鬱せぬ様に折節は 酒もたべて気を晴し 煩はぬ様第一は

御奉公大切に 合(あい)薬の黒丸子 切れた時分と気を付て モウ三年で御年も明く 御礼奉

公に早ふして 下がりやるを指折て待て居ると 少さい子供か何ぞの様に 成人の此わしを 大

事がつてござる其中へ アノ文を御らふしたら 何と身も世もあらりやうぞ 常に気細な

かゝ様の 其場で直に死しやんしよ 今死る此身ゟ跡の歎を見る様で 胸もはりさく

 

 

69

悲しさは 何の因果の報いにて 親子の縁の薄墨に書置く筆の逆様事 必お赦し遊

ばせと正体涙せぐり上身も浮く斗取乱す アゝ我ながら未練なり 女なからも武家

奉公 草履を以て面と打たれ 何面目に存(ながら)へて 人に顔が合されうとは思へ共大切な

御前様への忠義を思ひ 今迄はながらへしが 此書置に委細の訳 伯父大膳の悪事の密

書 命を捨て上への忠臣 只何事も宿世の約束 最期のはれの支度して一編のきやう

だらに 唱ん物と一間なる 仏間へさして 日も西へ 夕日まばゆき 空色も 磨立たるねり

塀作り 鹿がけの裏門口文箱抱へて出るお初 形振見すにいきせきと行向ふゟ二人

 

連 何かぶつくさ咄し合 来るもおはつが心の辻占行違い様 叶はぬ/\モウ叶はぬ 取て返すがまだしもの

事 可愛事をしましたと 聞辻占にお初かはつと 見やる空には一群の 泊烏の鳴連て 最期

を告ぐる魂(たま)よばい 心細さも身にしみて 歩みもやらず立留り アゝ気にかゝる/\ 辻占の今の

咄し 烏鳴きの此悪さ アレ/\けしからぬむな騒は コリヤお宿へは行かれぬはいの 様子は知るゝ此文

箱 封じを開き見てのけうと 思ひ切て封押切 見れば包し草履片々 文取上て押開け

何じや 書置の事 コリヤ叶はぬと懐へ一字も読ず一さんに御門の内へと〽入相の

鐘も無常を告て行 転んづ起つ廊下口 半狂乱のお初か仰天 部屋の襖も案内なく

 

 

70

一間を見ればコハいかに 朱(あけ)に染たる尾上が亡骸 抱上て只うろ/\ エゝしなしたり遅かつた 今

一足早くはな 此御最期はさせませぬ コレ申尾上様/\ 旦那様と呼べど答へも涙ゟ外に 詞も

泣き沈む ふえのくさりを思ひの儘 かき切てござる物を 何と答へか有物ぞ ナニ御前様御披露

ムゝコリヤさつきに窺ひ聞た岩藤が密書 是さへ有れば身のあかりは立つ 有難い/\ コレ申御

無念の魂はまだ家の軒にお出なされう エゝ聞へませぬはいなふ/\ 昨日靏が岡で

岩藤顔(づら)に 草履をもつてお打たれなされや其取沙汰は屋敷一ぱい 御家来の私が

身で 口惜しう有まいか無念では有まいかいなふ 女子にこそ生れたれわたしも武士の

 

娘 御鬱憤を晴しかにやふか 夕部一夜さまんぢ共せず 今日迚も思案とり/\ モウ打

明てお咄しなさるか 今打明てお咄しかと見合せて見てもお隠しなさるゝ エゝふがひない

お生れじやと傍で見る目のはがゆくて さつきにも浄るりの譬を引 お心を引て見れば

塩冶判官の短慮なも無理とは思はぬ尤じやと おつしやつた時の其嬉しさ 其お心に

張りが有ば 天晴お手はおろさせぬと悦びは悦びしが ひよつとお前が浄瑠理の塩冶

判官をなされてはと 態とお前をおなだめ申し 透を見合せ岩藤を 一刀にさし通し

御恩を報じ奉らんと思ふに甲斐も今宵の有様 お書置の此面 追付敵岩

 

 

71

藤が首引提て御無念の晴さしませふ 必お待遊ばせと 意根の草履手に取上て 打

詠め/\無念の涙血をそゝぎ こりかたまりし烈女の一念 義女の其名を末の世に 錦

と替る麻の衣 女鑑としられけり 夜も早初夜を 告て行 お夜詰触れの音さへて

鉄行燈(かなあんどう)の光りさへ いとゞ淋しき長局 胸撫おろし手を組で 思ひ詰だる其顔色 気も

張り弓の三日月も入さの影のくら紛れ 手水鉢に差寄て 柄杓持つ手もわな/\と 救い

上たる水一口 恨みの草履片手には 血汐したゝる尾上が懐剣 片手片足の早ねたば

庭の千種に泣連るゝ蛙(かはづ)の声も物凄し あたり見廻し奥の間へ 真一文字に 〽かけり行

 

忍び入たる奥御殿折ふし人もとだへしは 天のあたへと猶奥深く伺ふ折から 何心なく岩藤が

出合頭はさいくつきやう 持もふけたる九寸五分 中老尾上が召仕 主人の意根覚有んと

突かくる こなたもしれ者身をかはし ヤア推参成下司女 ひしいでくれんと襠ぬぎすて お

はつがきゝ腕むずと取り 組伏んと金剛力おせ共 突け共ひるまずさらず 一心こつたる主

の仇かよはき力にふりほとき付け入/\いどみ合 念力通す恨みの刃 請取給へと名乗懸柄

おれよと突通され 流石の岩藤七転八倒 物音聞付女中方 てんでに長刀引しゃめ御

前を守護し取かこむ 次の間ゟ大膳源蔵 おつ取刀に欠来り此体見るゟ驚く大杉

 

 

72

大膳お初をはつたとねめ付け ヤア儕大たん者 御寝所間津書く剣戟を振ひ大老たる岩

藤を手にかけし不敵の段々 一歩だめしの刑に行ふ 覚悟ひろけと呼はる声 もれて奥より

花の方女ながらも天性と 備る武威の功(いさを)しや しづ/\と出給へば ハツト斗に大膳大杉 仰いかゝ

と控へ居る お初は嬉しく岩藤を 心の儘にとゞめの刀 報ひは早きだんまつま 心地能こそ

見へにけり はるかさ下がつて懐中ゟ一通取出し 尾上が同席 藤江が前に手をつかへ 此書付社

主人尾上心をこめし密書なれば 憚りなから御披露と差出せば ソレこなたへと花のかた手に取

上て封押切 奥ゟ端をくり返し 見給ふ体にお初が安堵 もふ此上は片時も早く主人の供と

 

既に自害と見へけるにぞ アレとゞめよと花の方 仰に人々立重り 御意じや /\にお初ははつと

恐入たる斗なり 花の方は気色を正し ナニ源蔵 思ふ子細有なれば 尾上が死骸目通り

にて改めよ 早とく/\の仰に連 変果たる亡からを涙ながらに 跡や先 女力のしほ/\と

蒲団の儘にかき出る 源蔵立寄り死骸引上 打かへしとつくと改め 相違なき自死 得と

見分(ぶん)仕候と 申上れば花の方 ヤイ發とやらん出かしたり 其場を去す主の仇討とめしは 武

士も及ばぬ忠臣の程 ヲゝ神妙にも健気也 其忠臣を感ずる余り 今ゟ取立中老役 其名も

直に二代の尾上 血汐にふれしかれが衣服 改させよの仰の下 世も広ふたに一重(かさね) お初が前に

 

 

73

差出せば 思ひも寄ずお初は只 伏拝み/\有難涙にくれいたる 大膳がむつと顔(つら) 源蔵は

詞を改め 君々たるの御計ひ感じ入奉る イヤノウ尾上殿 残る方なき御前の首尾 お羨しう

存ると 詞遣いも早夫と打てかへたる折目高 お初はナニと挨拶もしばし控へていたりしが 恐入

て手をつかへ 勿体なくも賎しい此身に 空恐しき御懇の御意 有難い共嬉しい共 申上る詞も

なし たゞ此上のお情には せめて主人の菩提の為 尼法師共さまをかへ跡弔い度(たき)お願 偏に

願あげますと真実見へし主思ひ 並居る女中も供涙 袖ゟ袖やぬらすらん 花の方も

御声くもり 女やる身の鑑と成願の一条感ずるに猶余り有り 去ながら尾上が自害は

 

私の意根ならず 是密書イヤナニ此書置 スリヤ其方が忠心も仇を討ちしといふ斗で 主人

尾上が志を立てやらずば 全きに忠とは云れまいぞよ ナコリヤ合点がいたかと詞のなぞ 胸にこた

ゆる大膳は空うそふいてさあらぬ体 さときお初は心付き 斯迄深き御恵み御意をかへすも

恐有ば 宜敷お情お取なし 源蔵様とわるびれず おめず場うてもぬ取廻し実中老の

役がらも 恥しからぬ風情なり いざ拝領の此小袖 早改てと女中の口々 お初は面目

身に余り お請致せし上からは早速衣服改て 御礼申筈なれど せめて尾上が野べ送り

やはり此儘此なりで 供を御免の御願 偏に願奉ると 道を立たる貞実心 花の方も

 

 

74

感心有り ヲゝしほらしき初が願聞届けたり 勝手次第と仰の下 大膳は不興げに ナニ

源蔵落着の上は片時も早く 見苦しき女が死骸 御殿の穢片付召れと云に源

蔵二の間の口 イザ女中達 乗物をかき入て廣敷迄出されよと 詞に随いばら/\と涙払ふて

かき上れど きのふ迄も今朝迄も お情受し尾上様 いたはしさよと女気の 又取乱すむせび

泣 お初は跡に引添ど涙も限りつき果て 歩むも行も夢の夢 故蝶の夢は 語れ供語り兼

たる愛別離苦 会者定離ぞと定めなき 夜半の嵐に花散て おしや可愛や手向

草 主は消れど名は朽ぬ 忠臣義女の道ひろく館を はなれ 〽出て行