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浄瑠璃本データベース ニ10-01093
74(左頁)
第八 道行恋の幻
なきかげの たへぬもおなじ涙川 よるべ定ぬ浮船のかいなきえにし うす雲
に 幻衣のはかなさも 余所は詠めの桜時 月と花とのふたり連 結ぶとす
れどとけ安き 寄片糸に縫之介消にし露の道芝が なき魂(たま)したふ
恋衣思はぬ人を身にかへて立る 心の操姫 ならはぬ旅の妹背鳥 鎌
倉山の朝まだき 霞と ともに日をこめて 世を忍ぶなる形振(なりふり)もくもりが
り成花曇胸のむもりもはれやらぬ 思ひのかげの鏡山 近江路 〽さして
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行そらも 片思ひ成 中津川 樫上坂もいつしかにもらさぬ水の桶畷(なはて) 恋の重
荷のうき寝鳥 君に大田の恋中も 深き鵜沼(うぬま)の宿(しゆく)こへて末の 松山長柄川
御影寺(みえじ)の誓かげ頼む今のうき身をくはぜ川 六つの渡りの舟がよいいつしか花
の心とけ 互に思ひ青(あふ)はかの其中山のさゞめごと いはぬ色なる床の内実の一つ
だになき花の 気づよひお方と目にもるゝ涙にせぐり関川の 寝物語のうき
つらさ結ばぬ夢もさめが井に 番場鳥居本(とりもと)打過て 流るゝ日脚よどみな
き 越知(えち)川にこそ着きにけり 姫はなをさら行きなやみ只さへ旅はうき物と 其言種(ことぐさ)
もまして又 人目忍ぶのうき旅と胸もせまりし露涙しほるゝ花の一しぐれ ヲゝ道
理/\実(げに)誠 踏もならはぬ道のせに 世を忍今のうき身道行く人の今おしえし
越知川と云は是で有ふが 折も折と渡しもたへ ハテどふがなと見やる向ふ 岸に添
たる苫船を是幸と嬉しさの 堤伝ひに声はり上 ノウ/\其船へ物申さん 急ぐ旅
路の足弱を連 渡しもたへて難義いたす 浮世の情わたしてたべ のふ船人と呼子
鳥おぼつかなくも夕霞一圓の心火(しんか)炎々(えん/\)と立覆いたる苫舟の 内には花の立
姿 世を浮船のかぢ枕 恋中川の深き瀬も 朝妻船と世の夢の覚てはかなき
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道芝が 別れし廓の 一つまへきつゝまれにし水馴棹(みなれざほ) さす手引も 全盛の
里の姿を其儘に 影を三つ瀬の渡し守見やる二人も夢現 アそなたは道芝じや
ないかいの ホンニそふじや道芝殿ふしぎな所で アゝコレ/\必麁相云まいぞや ムウ何共ふしぎ
晴やらぬ今は此世になき人の 此浮船に此姿は 夢じやはいな ヤア何と 夢幻の有りや
なし 露置日陰稲妻の光待つ間の仇し夢浮川竹の底深く 浮みもやらぬ流
れのうき身 ういぞつらいぞ勤のならい たばこ呑でもきせるゟ咽が通らぬ薄煙泣
て明さぬ夜半迚もなし 人の詠となる身はほんにしんくまんくの苦の世界四季の紋
日は小車や 先春は花のもと 手折し枝を楽しみて 床に詠むる春の風そよ/\と花ふき
ちらす ちらり/\と桜の薫り 野山を写す里げしき 夏の曙有明の つれなく見へし
別れ鳥ほぞんかけたと囀るは 死出のたをさや 冥途の鳥となきあかす 籠の鳥か
や恨めしや 秋の夜ながに牡丹花の とうろ踊の一ふしに 残る暑さを凌がんと 大門口の
黄昏や いざ鈴虫を思ひ出す つらい勤の其中(なか)に 可愛男を待兼て暮松虫の
思ひ出す 虫の声々かわいいらし 我が住家は草葉にすだく 露を枕にさはらば落よ 泣
て夜毎の妻ほしそふに 殿御恋しき機織虫よ 露を枕にさはらは落よ 泣て夜
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毎の妻ほしそふに 昼は物かき草の陰 冬は落葉に恋の山道ふみわけて
染木/\には草葉もかれてサイナ/\ 君が心は 木がらしの ふみわけて 染木/\には草ば
もかれてサイナ/\ 君が心は 木がらしの 草に吹しく朝の霜 木の間のしつく置きそへて
イサこなたへと夕くれの茜さす日も染色の山の端隠れ 諸羽がい 手に手を鳥
の夕告時 姫はやらじととゞむる袖 引ぞわつらふ花と花 顔にてりそふ楓の綻び
裏次紅(もみ)の夕紅(くれな)いもすそほら/\散かふ風情 はてし縄手の一筋を二道かけしあだ
桜 散行かげの花のふゞき 花の鏡の川の面 跡白浪も夢の夢さめてはかなき〽