仮想空間

趣味の変体仮名

御入部伽羅女 巻之ニ

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554352?tocOpened=1

 

 

21(左頁)

御入部伽羅女巻之二 目録

詮議は花崎二枚手形

(五)御前一番の欠落 一千話(ちわ)文五つが十九匁二分七ル

               一年は廿九水性なれど

               一ひでり男に渡したり金五十両

恋風引込(ひきこむ)唐津茶碗

(六)嶋原一番の目安書(かき) 一筆の命毛あぶない所を

                    一吟味にあひの町宿老(まちしゅくろ)が分別

                    一一つは後生の種蒔え屋宇八が仕合

 

 

22

正直は二度めの御夢想

(七)日本一番男山の 一御託宣きいたよりかたじけない

               一十二疫神の内身体破めつ明神

               一の御えんぎまち/\成事

たのみは乳母が詞一種に

(八)三国一番の御仏  一神のお身にも耳たぶのよいと

               一わるいと京中男女(なんによ)願文(がんもん)を

               一かけ奉るにしきの下帯

 

御入部伽羅女巻之二

 (第五)詮議は花崎二枚手形

それ太上天皇の尊号も。漢家(かんか)には大公の旧躅(きうちよく)

といひ。本朝には草壁の王子と模するも。皆是作

文物語の意也。されば十七人の末社のこらす。東山松林(しやうりん)庵

に寄合此度の寿き。ついに図のない行方(いきかた)。尤長者

の一子なれば大臣にして慥な事。鬼に鉄棒(かなぼう)すかさず

此方より御見廻(おんみまひ)可申や。またあの方の一左右(いつさう)。聞までもなふ

親の身として子に。悪性をすゝむる。慈悲。是を背(そむく)子は

あるまし。殊更夜前(やぜん)の様子手代共を窺ふに。京に住なか

ら嶋原さへ覗ぬ者共。めん/\の身のためなれば

 

 

23

よつて。かゝつて世話をやくべし。此方(こなた)より手をさす事。十に七ツ

のよはみ。あなたからの使をまてと。けふの料理も此当(あて)一盃(はい)

呑とはや。気もがふとく。めつたに肴の数あらし三右衛門

が。六ほう。つくしの八郎殿気になつて。おさへた間(あひ)をむり

いふ處へ長者町の手代荒川籐右衛門と申者御見廻(まい)

申よし。慇懃に手をつかね。先以夜前は遠方より御

来駕(らいか)の段。宗善承り大悦いたし。則伜勝久にも申含め

其身の養性一つは又。親一門への孝行なりと。あまたの

手代とやかくまうせど曾(かつ)て同心いたさず。是非なき

仕合先は昨日御礼の為少微ながらと金拾両(へぎ)にのつ

しりと。宇八申は此御礼に及ばせ給はず。さりながら

 

御白人(しろうと)かた。めつたに。すゝめ給ひしとて御承引なきはこと

はり。先何事なふつれまし出つゝ。彼女の風俗より道中な

どゝて。地女のせぬ詞づかひ。しぜんとの妙あつて。人界(にんがい)へ生

じたる者。此伽羅の香に噦(むせ)ぬもなし。何ぶんにも。我/\

今一度お脈をうかゝひ。道引(みちひき)の守りをさし上てのうへ様子。

御覧たまうはるへきよし此手代顔をぐつて。いかな/\命の堺め。大事

のすゝめにゆだんなし御出入の醫師針立(たて)能役者なと

口をそろえへ世界の遊楽凡夫心法の魂ひ。うここいて大望

?(菩薩)の御住家まで教へ申。道中のすがたえみせても

いやましの病気つのれば。出入の男女もあんじめぐらし

焼鯛(やくたい)さへ火が。おこらず。殊に此頃まて。下京なから筋目

 

 

24

歴/\方の息女大かた婚礼相きわめりしも。変替(へんかへ)のしゆひま

でかたれば。此上は是非も涙を十七人はら/\ながら

よう御出といふもそこ/\。まづ金子の符(ふう)を切。当前づゝ

配分の處へ。聞八か家主町衆(てうしゆ)折つれ。十四五人かけこ

み。うむなしに。宇八をとらまへ。是爰な大膽者借

家して表家(おもや)盗人年月の情をわすれ。爪に火ともす

油銀三百廿匁。外に京中の買がゝりは二段大事といふ

は嶋原一文字屋の鹿恋(かこい)花崎といふ女郎をそゝのかし

金五拾両ぬすませつれのきたるよし。曲輪よりはや

御公儀へ申上んとのじや/\馬轡に口おし膝をかゝめ。とや

かくとの侘殊に各/\の御かいほうにて。此宇八をかくまはれ

 

見れば金子を引ちらけたやうす。御法度の博奕(はくえき)と存

るよしそれは後日(ごにち)の沙汰。此男と金拾両は。町中(てうちう)への

預りと宇八が小腕(こがいな)引たつれは。みな/\あきれ一もとらず

二番めに此仕合(しあはせ)と涙片手に。大勢の者家主に取つき

段/\御尤しかしながら。其金子は我/\配分の金

なれは渡す事成申さず。殊に宇八義。もはやをの

/\がたの手に入し上は。網にかゝりし鳥。しばらく

待給へと。弥四郎といふ末社宇八にむかひ。花崎事合

点参らず其金子の事。いかにと。とへば。宇八顔あげ

最早此上包にをよばず。四五年前よりふかひ中は

稲荷様も。御存なし乍去義にをひては。騒ぎ

 

 

25

給ふなかへつて此方より一文字屋へいひぶん。ありやうは

花崎事去年の春年明(ねんあき)手形をとつた上に勤には

不思議や。いつともなふ。しまつて留(たまつ)て。二三両つゝ親方へ

預け。しなよく。身揚(みあがり)もせぬ上郎。積た所が五拾両の預り

手形印判慥に何時にても出時急度渡すへしと。これ

より言葉に花を咲せて親方が恋風。女郎にしみ/\゛

口説(くどき)かゝれど。此宇八めに。きつふ立𦥑(たてうす)。こもをま

いても。もかぬ心底我抔にきかし。金の事折/\せが

めば空吹風耳にもいれず。わしが金と。戸棚の金五拾両取出

し。気儘な親方いかなもがりも後がしれずと我抔が

 

方へ落つき。年(ねん)あき手形金の手形是爰に二枚共に。後

目の為と取いだせば何も悦び。是さえはれば逆(さか)ねだり

に金五拾。両方御前へ出ても。此方が勝栗伊勢屋。海老

右衛門といふ家主機嫌をなほし。つね/\虫もころさ

ぬ人。めつたな事があらふとは存ぜず。扨其金五拾両は

と。とはるゝ時。花崎が身に付ていれば。只今はどふもならず

の森山近くに親里あつて。是に居申よし聞分(きゝわけ)此上は

何も様にも。友達のよしみに御出あつて。彼轡とせり

ふ頼申。よし/\我抔に御まかせと。身ごしらへする時

亭坊松林罷出。今朝(こんてう)より勝手にて承れはさ扨/\入

まぜたる膾のごとくにあへて。曲輪方には申分ござ

 

 

26(挿絵)

 

 

27

りますまい。扨今朝片旅籠御酒(ごしゆ)共に三匁七分膳と仰ら

れしゆへ其通に仕りし處に昼何様(どなさま)か。りつぱ成御客

御(ご)一人御酒のみぎり吸物三度。夕飯も御あつらへゆへ最早出

来。御酒御望にまかせ。上々諸白壱斗五升代何か二百九拾七匁

五分の外に先刻どやくやと致せし時何方かは不存(ぞんせす)去

年堀川の道具屋喜右衛門方にて壱両二歩に相調へし

肴鉢御破(わ)り廿人前揃ひし皿五つ唐津焼の茶碗二つ是ら

も半分値にして百四拾五匁合て四百四拾弐匁五分

御算用下されませと亭主が後(うしろ)には、丸山中(ぢう)の男廿

四五人。すはといはゞ。打なぐつても取べき。行かた。道具。そ

こなひながら。堪忍とも爰はいはれず。もとより喰

 

たものが。詫言も。ならねば。皆々泣顔して。金子七両壱

歩二朱耳を揃へて渡し品に。せめて金の相場

六拾目がへにまけ給へとわひしき形(なり)して皆/\宇八

が丁へぞ帰りき

 (第六)恋風引込(ひきこむ)唐津茶碗

舌の剣(つるぎ)身をはみ。欲の熊鷹にとらるゝ。是しぜんと和風神(わふうじん)

国(こく)の印仮にもいつはる事なかれ。されば嶋原の轡大

勢又宇八か町(てう)へ詰かけ一昨日申通り。いよ/\明日御前へ罷出

候よし申せば。五人汲みかた/\寄合御尤至極の所。しかし

宇八が家主。今朝(こんてう)も七ツより。尋に出られ。いまた帰ら

れぬ内は。御返事成がたし。とかく今晩相談極め明(めう)

 

 

28

朝(てう)此方より御返事申までは。ひらさら御待(まち)達てたのみ

入所へ宇八を友なひ家ぬしの外。三四十人血気勇(づよく)入みだれ

し。人を見れは皆/\末社。中にも宇八かの女郎屋膝

元へどつかとすはり。聞ば拙者を盗賊に致され。金五拾両盗

ませ花崎をつれ。のきたるに付則御前へ出らるゝよし仮令(たとひ)

其方出られずとも此方より。出る覚悟爰にては申事なし

花崎を。ともなひ早々明日(みやうにち)言上申間。其方も早く参らる

べしと。天窓(あたま)から。りん/\といふ事。胸にこたへ根がsかけ

し大膽なれば。此期にいたつてめつきりと。蹴落され。いかに

も/\互の事は御前が鏡と。どうやら弱ひ口元へ家

主寄て。宇八申さるゝ様子を聞ば花崎は去春(きよはる)年(ねん)も

 

あき則手形に太鼓程な判有様(やう)に申され金子のこと

も同前五拾両の預り手形神明の妙罰八十末社をか

け。宇八嘘でないと申が。手形を書た覚えはないか

事によつて。大切な命がものたねと扨も落着たせんさく時

に花崎か親かたおしうつふき。成程此段私が悪事まつひら

御堪忍下さるべし。其手形二枚共に。いかにも花崎に相渡

し。金子も不残かれが物五拾両の。あやにはあらず恥を捨

ねば理屈くだらず。私内々花崎に行がゝりのわやく

是非もきかぬ。むりをいやがり。ぬけ出しやうすきけば

二枚の手形宇八どのへ預けたるよし。又宇八殿は伏見

の夜舟にて。蕎麦切に。西瓜をわすれ。目まひしな。川へ

 

 

29

落こちの死骸さへ見えぬと聞扨は。手形も水屑(みくず)と

なれば。花崎は我抔か。者と人の憂(うれい)を悦ぶ罰今

身にこたへ大の男泪ぐめば。根が恋ゆへに。にくげも

うすく。家主も道理をふくみ。われらも若ひ時

あつて。女郎の一つも買た身なれば。ほかの事聞やうに

なし。爰は拙者宇八殿へ詫言一たん盗賊の悪名

付(つけ)ども。聞ながしに堪忍なされ子細は。拙者が銀(かね)共

に諸事買がゝり壱貫九百匁。此借銭に古畳三でう

鍋釜も破(われ)たと懸かへこなたの常着(じやうき)と折敷(おしき)二枚花よりといふ

千話(ちわ)文十四五是をさらへて拾九匁弐分がものを。身体不

残渡とのむごき書置。まんざら。疵がないでもなし。

 

こなたが爰へ戻たを幸に。負(おゝ)せ方(かた)中へ人を廻し皆/\

宵より勝手になれば。此言分(いひわけ)を致さるべしと肝心

の事。わきへなれば。花崎親方すゝみ出。宇八どのも永(なが)/\

の窮(ひそり)貧のぬすみに恋の歌とは。我抔とあなた

と荷ふて御らふぜたちまち棒の。折(おれ)る中(なか)。なほり

に宇八殿借銭壱貫九百目後(のち)とも申さず。拙者相立

申べし是にてお町内にも。我等が悪事御堪忍。

給はるべしと尤のいきかたを宇八腕まくりして。是一文字屋

殿。人は一代名は末代の悪名を。拾貫目にも売事なら

ず。とにかく明日御前といへは。残りの末社も口/\

に。爰は宇八が申ごとく。我/\が商売は。いきかた一編

 

 

30

のしよさ。盗人の名を洗はぬ内は。傾国にて酒が呑れす爰

はお町衆御苦労ながらぜ非/\御前へ頼と申せば

轡方には。いよ/\もがき其段は如何様(いかやう)共御一分の立(たつ)様に

一札を百枚なりと。もみ手の数/\又家主宇八にむかひ

とにかくかうした。ふしやうはある事。今日をの/\の

踏わられし。肴鉢唐津の茶碗も元。あのかたの無

実より。出た。けがなれば。けふの入め七両壱歩二朱御合点

かといふ間もおそしと。此金子から。耳を揃へ外に壱

貫九百目。波風もなふ。町へ請取。其上に忝いとの。一礼まで

重々礼いひ轡は。西の里へさらり。こきやこの。鶏(とり)鳴時

相済。跡は大酒宇八が面北(めんぼく)。丁衆の悦び雨降(ふり)地かたまるとは

 

是(これ)爾(しかし)念彼(ねび)観音力(りき)なり。其故は。一端西国と思ひかけ

夜舟までに乗りしが。真(まこと)に宇八川へはまらば花崎も

めいわくいたし。二度曲輪へ帰り花又丁衆も負(おほ)せ方(かた)

中(ちう)も。損といひ。難義といひ。口の葉にかたらぬめいわく

伏見より戻りしゆへにぞ。かゝる幸金十両の路銀

もあれば。是を中間の。遣として。是非西国今一度と。弥

四郎城六すゝめたつれば。又をの/\是にきはめ

宇八が宿にて旅の装束。此度は表へ慥に。かしや

札三枚。張(はら)せて。菅の小笠(おがさ)股引脚絆。最前より

形もよく。京の町をはなれきつて。?(菩提)の道に頼母(たのも)

しき心底。いまだ伏見で日も高く。殊に宇八は。は

 

 

31

まつたといふ。噂をいやがり。いそがば。まわれ淀堤をありく

時。今入船(せん)の昼下り。人の楊梅(やまもゝ)積だやうに。足手ものばされ

ぬ貪欲(どうよく)な。乗せ様(やう)ぞと。大坂市(いち)の側の手代らしくわめけば

備前衆と見え。とつくりと。見さためて乗ふことぞ。ふりま

はしもあぶないといへは。紀州の人の声して蜜柑は皮が。

うすい程うまいか。此舟も板の薄がよいかと。悪口に船頭腹

立。あり様は。廿五文で十里として行(ゆく)事が結構す

ぎての。佞言(たはこと)。あの歩行(かち)を見やれ。下り舟に乗らぬ

南気(あほう)と。登(のぼり)舟に乗(のる)。たはけらしい。十七人づれ。大坂へ

ゆくわろそふ船が。今から天狗程。あよんでも橋本

より先へは。ゆかれず。随分。旅籠。安い分にて一人

 

百六十五文つゝ。それも外に。女郎買(こ)ふて。銀壱両

づゝ気をはれば。喰物も大かたなれど。極めた通(とほり)

旅籠の分では。朝食(あさめし)は腹詰(たんなふ)させず。いとしや。こ

はひ枚方(ひらかた)にて昼食(めし)に百文づゝ定し。明日は雨

なれば。あの足もとては。草鞋も。たまらず一

人(り)まへに五足か六足。六七四十二文が物。八軒屋まで

ゆかるゝ内に随分。しまつして三百拾六文づゝ其方(かた)

衆は廿五文で夕陽(ひのくれ)には大坂へ着(つき)。夜見世見よふと

新地へ往(いか)ふと。算用して物を云やと大音にて

わめくを聞。十七人目と目を見合(あはせ)。身にこたへて。道理を

かんじぬ

 

 

32(挿絵)

 

 

33

 (第七)鳩の峯高(たかい)御奇瑞

太鼓持の西国といふは。鬼に衣より。すさまじい殊勝

な心底。此うちに一人もなく。皆/\都の身過にはな

れ。似合ぬ。是はおもひつきと。上(かみ)京の八ぱといふ末

社今更。気がつき。殊に拾両の金(きん)十七人に割付(わりつけ)

れば。一人前に三十三匁八分七厘づゝ。今の船頭か積(つもり)

をきけは。大坂までさへ銀壱両。あてもなふて。うか

/\五十日にあまる道。よし別義なふ下向して

から。京で当處(あてど)の槌をなしと。ほろ/\泪を

弥四郎見て。是は。どうじやと問ふにつらさを。

一/\かたれば。拾六人も心ぼそく此道は巡礼歌とて

 

不思議なる方便あれども。いかな事。此内に。六角堂

の歌さへ覚ず。はやけふも七ツまへ。城六もちつとあ

るけといへば。内証が六原で。ないといふ。実(げ)に尤京の支

度が爰まで鳩胸ではないはづと。八幡(わた)様に気が付何(いづれ)も

爰に参詣して男山の風景松の葉色も常磐山緑

の空も。長閑に。君安全に民あつく。めぎみ給ふ御神

なれば。宇八懐中より石筆(せきひつ)を取出し。行末安穏の為

且皆/\末社なれば願文を書奉らんと。神前に蹲踞(ひざまづき)

 帰命(きめう)頂礼(てうらい)八幡大菩薩抑我鄙(いやしくも)先祖と申は後仮(ごうたゝ)

寝(ねの)院に仕奉(つかへたてまつりし)無官ダンジン之末葉也年久敷も傾国の

誉高(たかし)而(しか)も。真金(いんつう)沢山なる事。海底より高峯(かうふ)に

 

 

34

積。至茲(こゝにいたつ)て。愚親(ぐしん)可惜(あたかも)瓦石(ぐはせき)のごとくに是を投(なけり)あゝ悲(かなしひな)諸国

遊里にて。宝船(ほうせん)金櫃(きんき)と貴(たつと)まれしも。何而(いつしか)末社となり

雨露霧雪(うろきりせつ)のしのぎあやうし。仍て(よつて)涙(なんだ)湖水のことく露命又

短夕(たんせき)たり。茲にかけまくも御当山の牛蒡は是和薬第一に

用ゆる處たとへは。六味八味の馳走にもまさり。是を服

して女廓(くはく)にむかへは。鬼女(きぢよ)産女(うぶめ)の外龍女といへ共一

陣に。せめよはらす事。神代より今に爾り。伏して

願(ねがわく)は腎。たつぷりとおぎなひを。くだし給ひ而度世に出(いて)

大騒(さはき)文作する事を一時に決し。勝久魂いも替て

傾国虚気(うつけ)の疫病さづけ末社が代(よ)となさしめ給へ。因(よつ)

茲(て)願文如件(くだんのごとし)願主橋之光胤無官従大臺七十五代杉平宇八郎善房

 

と書我身をはしめ十七人の太鼓持共紙入より鬢(ひん)櫛

鑷(けぬき)耳抓(みゝかき)などを取そへ御宝前(ほうぜん)に納め申せば。はや日

も。入相の鐘つく/\゛宇八申やう。今宵は御神前に

一夜をあかし。明なば難波(なには)へおもむくべしと笠を枕に跡

さし合いとゞ。あはれの旅姿。所へ不思議や山鳩一羽

かの願文を引(ひき)くはへ御内陣へ入かと思へば忽この

鳩容顔の美女と現じ都の方(かた)へ行頃は二月廿九日

の夜半のことなりしが。彼長者宗膳屋形へ南方より

光(ひかり)物落其音雷公(いかづち)にまさつて雷音良(やく)鳴やまず

勝久驚き夢中に身汗(しんかん)ひたすといへ共家内

の男女知者なし。ときに西施(せいく)も面(おもて)を。恥龍女も

 

 

35

艶顔かくすべき女性勝久が枕によりそひ。汝此年頃

仏?(ぶつ菩薩)の妙体を貴み。題目数遍骨相をうがつ

といへども真(まこと)の仏心真実の蓮台をしらず凡如来

出世の本意は凡聖(ぼんじやう)一如善悪不二と説(とく)是則煩悩?(菩提)

三界唯一心の源(みなもと)善といふも悪。あくといふも善心。その

ゆへは。汝先祖より五代六代七万財の宝。数の深蔵(みくら)に

おさめをけ共他門の憂へを帰り見ざれば。実報花王の楽(たのしみ)

つくべし。子細といつは。天は父地はは母ともになんぢが病

身に心をくるしめ仏神擁護(おうご)の御手(みて)を待(まつ)是親として。

子をあはれむの常。子其恩のほどこさゞれば不孝の

罪忽八方地獄に堕(だす)。是をあはれみ報身の姿をあら

 

はし汝を不死の菩提にいたらすはやく心をひるがへせ

よと。勝久が手を取給へば。拝(はい)と答て夢は。さめぬ。

より忘然(ぼうぜん)として。本心なく只美麗にまよひ。恋しき

俤立てもいても恋路の八雲たつ足もなふ御振袖の

かごとをわすれす。一家老の何がしを召寄(よせ)夢中

のやうす。艶(えん)女の姿年頃は十八九御紋は慥に

丸に八の字。かきけす様にうせ給へは。此外(かほか)はかたる

に不及いそぎ此頃屋形へ来りし末社とやらを不残

召寄。御姿を尋させよとけしからぬ仰を蒙り手に

あせ握て百人ばかり。又末社を尋に行(ゆく)人。としや

おそしとこれは/\

 

 

36

 (第八)吟味は乳母が詞一種

女の腰より上を阿弥陀が峯といひ。裾を鳥辺野と名

付しは。恋も無常の縁によつて都女のやさし姿も

西方(かみかた)より。迎が来れば。是非もなや。十三四より十六

七なる娘さかりを。けふりとなし帰る道芝刹利も

首陀もかはらぬ處。ついに行(ゆく)道とはかねて聞

物ながら。常なき風に。けふもくれ侍り。爰にあはれ

をとゞめかねしは。都六条烏丸に。やんことなき人の

すえあり。敏達天皇の後胤因幡守行平の一子薬師

寺治郎左衛門尉行頼に九十三代の末葉冨岡民部と

名乗て。年久敷も栄花を。きはめ財宝つもり

 

(挿絵)

 

 

37

なき内にも。息女おぎんと申せしは。今(こん)年。十五の

春風も。いはひ。そだてし。おちめのと。上中下(かみなかしも)にいたるまで

姫君にかしづきまいらせ。諸道諸芸此息女一人に縮(つゝま)り

御器量又。人間の所為にあらず。三十二相の容色なれば

去年の秋より彼長者勝久殿への縁娵(娶:えんしゆ)さま/\との吟

味に。年頃両家互に。不足なく。先以相究(きはまり)。冨岡殿悦び

息女の果報母の親も。日本一の長者を。聟にとつくりと。

定り。たのみの日限四五日といふ内に。俄に変替申

来(きた)れば一家(け)一門はつたと。おとろき。息女も是に心乱(みだれ)

神も仏も憂世になしと。狂乱心実覚悟をきはめ。

今宵夜更ば鳥辺野に行。さつはりと此髪剃

 

にて。心もとをさしぬきあしにて。ひそかに出(いづ)る見拵へ

誠に此事去秋より談合勝久。美男のよし女心に

いとゞうれしく。心の内にて。ちかくなれば。大仏様に

祈誓かけまく。いよ/\此首尾成就いたし。私(わたくし)夫(おっと)となし

給はゞ。鐘の緒は申い不及。お。下帯錦の模様は。お望次第

幾筋成共。命の限り朝から晩まで。拝(おがみ)詰の大仏様

是は。むごひなされやうぞや。同じ口で少(ちい)そうても嵯

峨の釈迦様か。善光寺如来様を。たのんだら。もはや急(とう)

御夢想請て。今時分は。ひとつの夜着に。寝る事も

あらふに仏神頼むも初より見立が大事。乳母や腰元共

が咄をきくに。何によらず。大きなものがよいといふにぞ

 

 

38

まことと思ひ。随分大きな。こなさまを吟味致。今の

浮めを。見る事と前後も。わすれて泣出さるれ

ば。お次よりありし腰もと中居。数十人はしりよつ

て。これはおぎんさま。こはいゆめでも御らうしましたか

やれお腹(ばか)をさすりおろせ先まじないに。金袋圓(きんたいえん)

よと。あたりを人/\とりまき。寝ずの番ゆへ今宵は

本望とげられぬ邪魔につれ。いつとなふ寝入夢路

現(うつゝ)ともなふ。おぎん枕元に寄そひ。おこす者あり。夢

心に枕を。そふき是を見れば。十二三とおぼしき

鬢つら結ふたる童子唯今用事有。大仏へ参れと

の使なり。夜中の事なれば。女の道おそろしかる

 

べし。其と。同道せよとの。仏勅宣(のぶ)れば如何様の御用か

と。打つれ。大仏に跪く。御仏宣(のたま)ふやう汝召寄事別儀

にあらず。すぎし頃より朝夕勝久方への縁を願へど元

より。結ぶの契りにあらず。惣別。妹背の縁といふは。前(せん)

生(じやう)現世未来まで三世(さんぜ)の因(ちなみ)かさならざれば仮令(たとひ)一旦

契るといへども。憂ひ重り。禍おほし。今凡眼より見

る時は勝久に愛着なせども。真の妻(さい)と。なりし時は

一生ほむらの鐘。末の程を詠むべし。女の鼻の先もしら

ずに。それがしを兎や角恨(うらみ)。殊に夢惣の沙汰がない

とて。嵯峨仏。善光寺より。おとつたとの云分。近頃

都育(みやこそだち)には愚(おろか)なる女ぞかし。むかしより。京中の男

 

 

39

女幾千万ともかぎりなふ。随分六ヶ敷祈誓かけれ

ど。一人も願ひかなへざるはなし去ながら其者が寝間

へ行(ゆき)夢想の。告は。ひとりも致さず。見るごとくに。かゝる大

きな身を持。ひとり/\夢想にありかば。先京中の

町をひろげ。家/\を。建なほさねば。中/\出入する

事叶はず是ゆへに。最前のごとく何方へも仏勅たつる

ぞ。泣子も目あけと。清水や。祇園は。身の取まはしも

かるいによつて。一廻り過ぬ願ひも。夢想にあるき。かせがるゝ

ゆへ北野を。のけては。肩を。ならべる神体もなし。殊

に其願百人が九十人は。立身を第一に。次は器量の能

娘。あそこの妹爰の後家。或は横に車つかひ無法

 

な男は。人の妻(さい)さへ。日参して。祈る者あり。かやうな

やつには。面も合さず。却て大きな憂ひ事か。損をさ

するか。百双倍の辛苦を。つづく。されども男は罰(ばち)をしれ

り。只おそろしきは女の心根夫ある身の願ひ事。たとへば

小判の耳塚をついても。此大仏は非礼を受ず。願ひ

の日より。百日目には其女房の命をとるか。其家

の縁を切て。ろとうに。たゝすか。一念とは。こたへさせず。

且又汝が願立鰐口のないを知て。鐘の緒とは聞へぬ

中にも。下帯は望なれど。是もよくつもりを

していふべし。鼻の穴へさへ傘(からかさ)。さして這入ど覚えぬ

程な鼻に。気をつけ。腰のまはり。吟味して

 

 

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見よ。ざつとした。紬で。しても百疋は入ぞかし。一疋五拾目

当(あて)にして。一筋五貫目が下帯。是を錦にての綾にて

のと。高が口先ばかりの願立真に是を地相念入し金

襴一筋。百貫目でも請合がたし。惣じての願頼む時の地

蔵顔。かなへた跡では尻くらひ大仏はじまつて以来(このかた)

数万人の矢数武士。射懸る時は。めつそう矢八に我を

祈り。添加成就の上は。国に帰りましても。朝夕(てうせき)七五三の

御膳をあげまし一生命の親より主より。大切にと。信

心こらせば。爰は一力(ひとちから)指の先。添。あつはれ高名させても

七五三は扨置。重ていひ出しもせぬ侍さへ如此(かくごとし)。まして

若い女の。下帯に気のつく事。虚言(うそ)にもせよ心指(こゝろざし)

 

千筋万筋。してくれた同前。よつて勝久に十双倍

の仕合男。なりに。にて。臍を儘と。大きな我を。頼

んだ替りに内証の徳分。夜な/\思ひ出すべしとあら

たなる御告聞(きく)人うらやみ侍りき

 

御入部伽羅女巻之二終