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御入部伽羅女巻之三 目録
水損(すいそん)のない枚方(ひらかた)小判
(九)道中一番の前金取 一爰は脇つめ御法度の
一ながれ女それで川端ふたり
一ころり山椒みそよりからい心底
飛脚は月にお三度大臣
(十)大坂一番の智恵男 一何成ともむつかしい事
一そんなら梅川におよぎついた
一亀はいかに是は忠(たゞ)ゆるさせぞんせず
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栄花は一時千年(ちとせ)の楽(たのしみ)
(十一)西国一番の忠臣 一実は御家老職脇見に
一緋縮緬は下女が仕合(しあはせ)
一殿のお目かねお国腹十三人
氷室の二字が一字万金
(十二)天竺一番の名言 一吟味は暦の中(ちう)段/\と
一我子に世話をやきあみ笠
一悪所狂ひをたのむおやじ
御入部伽羅女巻之三
(第九)水損(すいそん)のない枚方(ひらかた)小判
抑是は八幡の宮に仕奉る。神職の者也されば当社
佐の郡(こほり)蓮台寺の麓に八幡の宮と顕はれ八重旗雲
をしるべにて洛陽の南山高みくもらぬ御代まもらん
とて。石清水(いわしみづ)。いさぎよき霊山と現じ給ひしより
実(げに)久堅(ひさかた)の榊葉(さかきば)も栄へさかゆる男山。青幣(あおにぎて)白幣
とり/\゛なりし霊験の内に。夜前(やぜん)不思議の神勅(しんちよく)
をかうふりしより。彼(かの)守を。封じ。通夜せし人に
あたへばやと存候。やあ。見れば是に仮寝せし旅(りよ)
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人(じん)あり。神勅の人は是にてあるべし。夜の明たるもし
らま弓引おこさばやと神前の板どう/\と踏給
へば皆/\一度に目を覚し。とひやうもない顔付時に
禰宜(ねぎ)殿云(のた)まふ様をの/\は勿体なくも爰に一夜を明
せし人か如何に凡身なればとてはなはだ無骨
の事也。それ当山と申は八幡(やはた)疫神(やくじん)十二の末社まし
ますにより。千話(ちわ)やふる上方者(かみがたもの)は。いふに不及遠国鳩
の。よぶ声までも老若そろひて。こひといふ神勅しら
ずや。いにしへより御神前にて。僧俗ともに通夜
する事曾(かつ)て明神嫌はせ給ふ是皆神慮の御あは
れみなり。子細と。いつは十二疫神の内に。身体破滅明
神とてわきて。おそとしき宮有(あり)是は野郎傾城のほか
揚屋轡茶屋呂百(ろはく)は各別。落着た有徳の人には
かならず此疫神。見入給ふに忽。心の。しまつをわす
れ。めつたに。傾国野衆(やしう)に乱(みだれ)。はやきは一年おそきは
三年。仮令(たとい)。金銀海山(うみやま)に積をきても。さらに其留所(とめど)
なし。是を?(菩薩)かなしみ。給ひ。をしわすれても通夜。
せし人には其疫病切違(きりちかへ)の守を。さづけ。よとの神勅なり
しに。夜前は。結句。其疫神の守を。かれらにあたへ
よとの霊験。是ぞ弓矢八幡(まん)。逆鱗。まします印なり。をの/\
覚悟を。究め。此守を受られ候得と。さしいだし給へば
中にも宇八。しばらく御待(おんまち)給はるべしと。手水に
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て嗽(うがい)を清め。頓て請取二三度四五度。礼拝地にふして
忝ながれば。神主も。あきれ果。扨気形(きぎよ)の。振廻(ふるまい)。いか
なる。衆にて。貴(たつと)まるゝぞ。宇八承り是には子細あ
りやうに申儀は。重て御礼に登山(とうざん)の節申上(あぐ)べ
し。まづ唯今は。お暇申皆/\麓へさがり着(つい)て。扨
此守を受し上は。西国も無用の事。是より
すぎに。とつくと返し勝久家形へ是を。投込われ
/\が息をつがんと。はや城六先に。たてば宇八弥
四郎袖をひかへ。かく神慮にかなふ上は。下向せし後
如何様共致やうあり。先日伏見より引(ひつ)かへせしさへ勿体
なきに。又ぞや此度帰らん事。各/\は。如何様共。此弥四郎
にをいては是非観音をめぐる気ざし。能(よく)/\思へ
ば朝かほの。夕日を待ぬ露の命。此十七人如何に
身過なればとて。人の身体破却。させても。つかはす
事を第一其親兄弟の身に。なつて御らうぜ。われ
/\をうらむべし。まして朝夕かる口文作(もんさく)より外
後生の道は。是がはじめ。終て後我何(いか)に名人と
て。弥四郎ぶしにて閻魔も見目(みるめ)も。わるい事の帳面は
消(けす)まじ。殊に親の日にも。大臣が肴。はさむに精
進しては銀(かね)にならず。勤の女と太鼓持は。
罪の深かいに今気が付。何(いづれ)も泪ぐみ。八幡西国め
ぐらぬ内は。二度(ふたゝび)帰らぬ心。いつとうして。大坂を
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さし。行(ゆく)道。佐太(さだ)枚方にも。ゆるせ色とて顔に石灰沢
山なる大振り袖巡礼とは見ぬも道理。大坂より内
裏様への大工衆には。色が白く。手足が。花車(きやしや)也字か
光(ぬ)かかへす。賊灰(ごまのはい)には。古ふても浅黄。羽二重。
隠し紅裏合点ゆかず。道づれかと思へば。おなじ中に
も此寒いに紙子の解分(ときわけ)。漸/\木綿の古すぎ
たる袷羽織しかれども帯は。折節京の大臣衆が
仕て通る。幅広の繽織(まがひおり)。わしらが一年の給分七拾目
では出来かぬる帯なれば。耳とつて鼻かむやう
な。衣裳。月夜を当に行人そうな。あんな客は。留
めやんなと。手をもぎちぎる程引とめる。枚方中
に一軒も呼こむ。所なし。はや町はつれ。とある
茶屋に入。一膳めしたべうといへば。五十四五成(なる)
女車延(くるまのへ)をやめ。しばらく十七人がやうすを詠め
芋の煮〆に香物(かうのもの)そへ一膳が十八文肴がお望な
ら此焼物にて廿五文。七文には田舎衆は高いと
思へど。爰の女郎衆百一切にあはしては身に付ての
徳分。きつしくな事なれと。箸とらぬさきに
廿五文づゝ人別に。つきならべてから。まいつて下
されと。さりとは見立た女めと。宇八たまりかね懐中
せし八九両。お嫗(ばゝ)此内なるよい小判を見どりにして
銭とつりかへてやもといへば。此女がてんせず。こゝら
48(挿絵)
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にて小判といふものははやりませぬ。銭がなくば御無
用と。片はしから膳を引そうなる気(け)しき。みな
/\。転業(てんごう)すなとて。早道なる小銭を見すれば女気を
ゆるし。是より。ちよぼくさ。何と皆様。女郎衆は御
嫌ひか。爰は。脇詰御法度にて。皆/\大振袖十七人
壱貫七百の口拾文や廿づゝは。一人前にてまけも致
す酒まいれば外にそれは、をの/\さまの手柄次第
に。五つなりと。六つ成共。川端なれば水損(すいそn)のまいらぬ女
郎衆。銭程の事はありと、二段をば。すゝらす積り。
宇八おかしく。是も床入せぬさきに。銭六十づゝ。ついて
おけば。死(しな)ぬ先の。引導。二人百(ころり)あてがあらばよびもいたそ
が。今の小判より外。早道も紙鳶(いかのぼり)に銭持(ぜにもち)。相談すべしと
何(いづれ)も大笑して。京ぢかくにも。小判見知ぬ人も有にき
(第十)飛脚は月にお三度大尽
千人よれば千差万別大坂者の肝のふといは大海も一足
飛そこなふて。高が此身。おそいか。はやいか是非灰
となす。元をさとつて。西国(さいごく)商(あきなひ)。播磨灘にて大南(おほみなみ)
つのる程に吹ほどに。船頭さへ氏神(うぶすな)住吉船玉へ命を乞(こう)に
大坂男はちつともさはがす生度嶋(しやうどしま)の風景より。鳴門脇の海面(うみづら)
どうもいへずと。此場でさへさはがぬ奴と。針の先で。ついた
事も蚯(みゝず)の穴へはいる様な。京の者のせばい気と。雲泥万
里も。へたてず。たつた十三里の事にて。ちよつと
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片町の入口よりはや人心各別に。家作りも。大幅に金銀か
まはぬ材木の。竪(たて)横。何れを。見てもおろかな事は。ないといふ
宇八は元大坂生れ。残りの末社せき心にて。さりとは不(ぶ)
帥(すい)大坂芸かな。すでに古人も危きを見ずと宣ふ我
命の終べき程の大風に左様の。戯云つくす奴。たとひ
といふも底がしれず。又家作りが大きなりとて。是
を結構(けつこ)といふは。最前の。茶屋の嬶が小判より銭を貴
み。女郎より地女(ぢぢよ)の。幅廣なを悦に等し京の家作りは
詳にして書院さき。床(とこ)脇のいたり。蘭菊花香(くはかう)の数寄
屋作りとて余所の国にしらぬ事申せば。宇八も是に口
をとぢ。それより。京橋に来り。弥四郎申は我々此
姿にて八軒屋より堺筋にいたらば。まさしく当地の朋
友見のがしには致(いたす)まじ。谷町(たにまち)を南へ天王寺より堺に抜(ぬけ)
んと何(いづれ)も。此道にいづれば。両脇に人立つらなり。心まかせ
にありきもならず。各/\不思議此群衆は何事にてと
髪結らしひ男にとへは。されば。此広い大坂にも珎(めづら)
敷(しい)。今年の春より。むめ川といふ新町の女郎。籠入(ろういり)し
てより久しい事じやか。不思議なるかな手足爪
さきあのうつくしさ髪のゆひふり。いつにても
爪をかくすは猫のヘンゲにうたがひなし。こなた
衆を国への土産に女郎の道中といふものを見て
をきやれと。爰にても見立られし處へ。槌屋の
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むめ川。それや来たはとて人の山。高きがゆへに
貴からず。器量をもつて貴人(たつとひと)。数万の中を。八の字もど
き。ゆりごし道中。黒雲あざむく袍(つと)投嶋田は。葉山
市岡が由煙(ゆえん)。をしまず。面形(めんぎやう)猶鶏卵に白粉(はくふん)ぷんたる
薫又鼻中をくじかせ。素足に。錦の金尉(こんがう)。打見には
此折さへ。苦のないやうで時(ぢ)/\に笑(えみ)。刻々に泪有と。水海(すいかい)
法師か名言(めいごん)。此時に思ひ出し。見る程京にて。きゝ
及んだる女郎の噂。先当地の西国へ打込(こめ)と。是より
新町東口の門をはいれば。林都(りんいち)といふ見通しの座頭耳
をかたぶけ。此足音は京の末社。しかも。両足(そく)三十四相
さとつたりと。つぶやく手を取。とてもの事にこれじや
ときけは。七年以前に越後町扇風方(せんふうかた)にて。橋の下
の菖蒲は。たが生(うへ)たと。足拍子踏時(ふむとき)。皆までいふ
な。いかにも其折。助(すけ)どのといふ大臣にあはれし
太夫肴をつまみぐひして骨たてられし時。いたいど
の鯛どのと。はやしたてた宇八なりと。是より
打つれ。ごち。越後町におしよすれは。扇屋伊兵衛
是を見付扨もお久し。まつこなたへと。奥にとにな
ひ。四方山の咄。やめて。先むめ川事座頭に聞は。いち
/\次第は北浜に万年といふ大臣。十年前の大気はや
丸飛丸といふ北まへ船に。千百石づゝ。恙なふ梶とり
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まはし。四五年前に四五百貫目。設(まうけ)たきほひに此里へ
魂丸を。乗込。いかなる悪風横雲にも。ゆるがぬ舟と
憂世小路(せうじ)つり金といふ末社高言せしが。茨木屋
の野風横に吹たてられ。爰は大事と百貫目の金
碇二軒まで家質(かじち)を入ても。いよ/\の大風。飛丸早丸
の外居宅(いたく)までさらりそれより。かよふ千鳥町と
いふ所に店借(たながり)。男世帯はついへのない物に感付(つけ)る
まかなひ女に内をまもらせ。其身は不断旅寝
する飛脚は月にお三度土器(かはらけ)程な。眼をもつても
夜昼ねぬ商売は草のたね。またもとの物は案
しるか損なり。四五年のまに見事ないき。かたを
(挿絵)
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ならふる大臣もなく。扨此度は。梅川どのへ。乗かへ馬の。
手綱見事に。彼君を身請の沙汰。かくれなふ女房の
借銭五十六両二朱九分七厘まて。こせつかぬ。う
なり済で。其後はなんの気(け)もない此里へ両人
の御詮議寝耳へむめ川の水が涌込(わきこみ)。それよりは
曲輪中毎日寄合五十七十百人あまりの人を出(いだ)し
此両人を尋るもとは。彼万年といふ男江戸日本橋両
替より京の店(たな)へ登(のぼり)金千百両余の光も椋(くら)も梅川
殿には御存あるまじしかしあなはおなじ居所河
内の国。高安の事まで咄(はなす)最中に。りつぱなる
中間(ちうげん)京長者町大黒屋宗善手代。御見舞のよし
奥へうなれば末社ども。合点してけれ此方へと座敷
へ。しやじ亭主を呼御引合の下より圓右衛門申さる
るは昨夜半の頃よりにはかに勝久まつかやうの
事申出され。はじめの程は熱病かと夜中(やちう)なが
ら奥村玄正(げんしやう)伊川春庵両人の手にもあまりよく
/\きけば夢の内に。かやうのお女郎紋は丸に
八の字より外覚えとめたることもなし各/\
がたに頼み入此上郎にあはせとの一言ゆへ。又家
内の者百人ばかり中にも拙者は振御鬮(ふりみくじ)大
坂へと下させ給へば先御当所へ早駕籠打かけ
漸/\と唯今の仕合近頃毎度御大義ながら又
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今晩夜舟にて。御上りを頼めば。十七人同心せず先
日さへ勿体なくも。金銀づくにてかはれぬ後生を取
はずすとそんじながら人をたすくる此方(こち)とらが商
売。せつかく上りしかいもなふ。又当地へ下りし我/\此
度は存もよらずと一同につよ弓ひけば。圓右衛門
重て仏のかほも三度目には。お腹たつよし此
度でいまた二度。あなたへの申分(わけ)には当所より名代
頼むと金五拾両。亭主に渡し登舟まで万端
とのおたのみ。伊兵衛も爰は中酌取て。何(いづれ)も様も
お道理ながら。今(ま)一度の御心法(しんぼう)大事の前の諸事
気をつければ。十七人も是をしほに又乗かく
る宝舟夢違(ちがひ)は御座るまいかの
(十一)濁(にごり)を洗ふ下女緋(び)縮緬
美女は都に極めて諸国の人無性にゆかしう思ふは愚也
京なればとて根からの悪女は一皮むけるほと手入
しても。いかな/\此前伊勢御影参(まいり)の節江戸の大分
限者。十九に成一子家来あまたつれ参宮の。ついでに。
内々京両替町越前屋為(ため)右衛門とて歴々の息女幼
少より美女の聞え大形今の世の紫式部和歌の
道さへおつとつて。萬水(ばんずい)湖月を。もどかるゝ程と聞。
手みや。げ。相応に此度東武へむかへる覚悟にてゆか
れしかば娘の親達。たはひもなふ悦び。馳走といふ
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は詞に不及先江戸男の器量よく。聟に。とつての
幸殊に十六になる大事の娘朝夕みがき入し上に
此度は猶大事と。上る間。母親の手入。大勢の。女
共随分。此子の姿つくつて。江戸の父子に。あはせける
に。とうやら気にすゝまぬ顔付。其晩に江戸の親一子
に。此息女の事とはれしかば。一生女房。持ぬとtれも。
此娘は。いやといふ。尤なり。年寄た。親の目にさへ
請取にくしと翌日縁を切江戸へ下りしなに彼の親
気を付草津の姥が餅屋へ内証をふくみ見世のこか
げを。借て筋目は大形にても。器量。年かつこうさへ
気に入たらばと十九人の主従以上廿五日が間朝から
晩まて十二三より五六を限て吟味せしに第一京の娘
大ぶんに参詣つぎに大坂此外は西国の分不残丹
波丹後若狭美濃路の娘一人ももるゝはなけれど。さ
りとはおもふは。まれに。たま/\有ても京大坂は心
ばへ。しやれていやなり。面形(めんぎやう)位高くをのづから
の位有て。打見(うちみ)にぼつとりと。底心(そこしん)発明にして。物
ごし落着。肉合(しゝあひ)中分(ちうぶん)にして痩(やせ)もせず肥(こへ)もせず白身(はくしん)
骨合(ほねあひ)たほやかに一つも望に。違はぬ女然(しか)も木綿の
衣類。八人づれ笠の書付見れば長崎糸屋町莨菪(たばこ)
屋仁介娘年十四といふにちかひなく是より十九人
長崎へ下り。是非ともに貰ひ請(うけ)江戸に下り。翌年長
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崎の両親兄弟まで吾妻に引請。今に楽/\浅草に
かくれなきよし申せば。大坂天満の者是を聞。それ
は。あながち京の息女がわるひでもなし長崎の娘
が。よいでも。なけれど妹背の道は縁が恥し此前
西国方の御歴/\有馬へ湯治あそばしついでに
京御見物お折から御跡ぞなへに供(ぐ)せられし御家老
脇。奥野山外記といふ人つく/\分別ありしは。いまだ御
男子ましまさねば御家の跡目如何此度幸色よき
妾女(せうぢよ)を御目にかけ御機嫌に入なば。国元へかゝへ下らんと
思案もお家も大事に思ふ忠臣御用聞の御服所へ内
証をきかし。京中の此事望(のぞむ)娘十五六より廿(はたち)を限て
其日六十九人彼呉服屋が家形(やかた)にてなんともなふ
御目通を徘徊させ。様子まで御意に入ても御
心にかなはせ給はねば彼御家老脇力(わきちから)をおとし
仮令(たとひ)御子さへとまらは。太夫天神などゝ申。道
の者にてもくるしからねど彼等は又御目に
とまつてから懐胎なければ。せんなきとの仰也
此家の亭主聞左様の者にてもくるしからずは
私嶋原へ御供致(いたし)太夫天神御目にかくべし懐胎
の事。地女にかはらず。ちつともお気遣被成(なされ)まじ。
遊女の分には水銀(みすかね)をあたへ。あるひは。唐人の
卵を吸(すは)すなど申事。皆虚(うそ)の臍より下の沙汰
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を。今時ぬからぬ女郎詮議しても。是ばかりは心にま
かせず。さるによつて。嶋原にて口すぎをする。とり上(あげ)
姥(ばゝ)に。似たる女。幾たりともかぎりなし。是をこと/\
く紐をとかば。年季の内には五人六人づゝ子をもたぬ
女郎は候まじ。ひらさらとおすゝめ申せば。主人を引唱(ともなひ)
奥野山嶋原に行。夕霧柏木などいふ太夫をはじめ
天神不残御吟味あれども御気にすゝまず京女(ぢよ)に。えん
なき事是器量。悪敷(あしき)にあらず只前生(ぜんじやう)の戒行(かいぎやう)とて。爰
大坂中嶋(なかのしま)に俵屋といふ米屋の下女人の目には横びら
たく。毎日鏡に向ふ度に。鼻のひくいが。なげかは
しく。今さら。つまみ上ても廿四五から高ふ成た
ためしなし。ある日。下女前なる川端にて。洗濯の折
節此家の内儀のゆもじ。いまだ。萌立ばかりの緋縮
綿。洗へとの仰畏て。川はたへ出かけるが。此下女つく/\゛
思ひけるは。人は氏よりそたちといふ事。誠に。
はづかしい物かな。我も親達は下(げ)しうも。ない人と
聞しが。生れてから。ついに人のこのもしがな處へ。
絹のゆもじ。拝ませし事はなし殊に二季の出
替り盆正月の養父入も小宿へ行ぬ女はなけれど
我ばかりはならぬ親二人とも息災なれど
長生行すえは。しれがたし。一跡に一人娘と。父母(ちゝはゝ)の
力あしも近年よはく。とやかくおもおへは大事ぞ
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と我此年までついに男に肌をゆるさず。一年に
漸百拾匁の給分内百匁を。親元へ送れば。残る拾
匁にて。男狂ひもはづかしく小宿狂ひの付届一銭
にても。親達へとおもふ。気から。去年の春思ひ切て
弐匁九分いだせし此ゆもじ地がそんじるとおもへば。つ
いに洗ひし事もなきに。いまだ二度ともなされぬ。
此緋縮綿洗はせ給ふ気にくらべさりとは恥し
き我が心。此時洗はんとおもひしかども外にかはりも
なく。さればとて川端につくばひ居て。ゆもじ
かゝぬも。武士の。脇指。さゝぬにおなじ。転方一生の
おもひ出にしばらく洗づ間。此ひぢりめんかし給へと心の
内にて内儀にことはり。彼ゆもじと引かへ。暫時の全盛
是見よかしにまくり上。洗濯せし處へ彼京にて。妾御
吟味の御歴/\御近習。あまたにて緞子の幕打
たる。御舟にめされ爰御下りの時。御大将ちらと
御覧じどころは書(かく)に不及さて器量よい女と仰
られしを。御家老脇承り頓て縁をもつて彼両
親ともに御国本へ召供せられ歓楽きはめし事も
あれは人は皆縁づくといふ時最前の男それは親
孝行より出(いで)し所神明(しんめい)の加護なれは尤それに似
た詞に及はぬ仕合は日外大仏横の御告ありし
富岡式部娘は宗善方の縁ちがひしより両親
59(挿絵)
多輪(たわ)
羅屋(らや)
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殊に是をなげき朝暮辛苦に致されしを娘さ
ま/\いさめ恙ふ親子まじはりまいらすこそ幸
なれ。人のならひは。老少にかぎらず死のわかれ致
すもありしに。さのみ御心をなやみ給ふことにはあら
ずと。おとなしく申されしが過し頃。やんことなき御かた
伏見より御上りの時御覧あそばし御奥様になし給ふ
より此息女には御子も出来たが。今の。緋縮綿様
は。不産(うまず)では。ないかの
(十二)氷室の二字が一字万金
須弥山の図に日月地より去(さる)事四方由旬(ゆじゆん)と。かい聞
ては其分なれと。隙な醫者に尋給へ。あそこ爰つ
まんで聞ても人間一生六十年には聞とめがたしされ
ば大黒屋勝久家形へ末社此度帰りし段あまたの
手代はいふに不及父母ともに。不斜(なゝめならす)。一子が為命の
親とて十七人を屋形にかくまへ是よりは。御咄相手先勝
久末社にむかひ。此度の難波(なには)下り。いかなる故ぞと尋給ふ
さん候西国巡礼と心さし能下りて候。其仏身に
おもふく。かた/\゛。何とて悪所へは立よられ候や。さ
れば此新町のいはれと申は江口神埼よりはるかの
むかし仁徳天皇の御代よりして今に絶せぬ目出度
里ゆへ我/\遠方におもふく時は先この所へ
立よつて後扨心さすかたへ参候事大臣末社の
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習ひにて候。しばらく御慰の為此里のいはれをかた
り候へしむかし仁徳天皇此難波高津(かうづ)の宮にまし
ませし時いまだ新町堀江にならび田畠たりしが一
とせ旱(ひだれ)月をかさね五穀実のらざれば。民憂ひに
しづめり天皇あまりになげかせ給ひ武田大臣を召
れ此うれいを。すくふべしとの、綸言まします時に大臣
おぼしめるはかく五穀ゆたかならぬは龍神いかり。
水貧(とほしき)より民。憂(うりやう)處なれば一水(すい)甘露に似たりと
て。冬の氷を取て春夏まで蔵置(かくしをき)たまふ。これを
氷室と名付五月(さつき)の頃此氷室を出(いだ)し多くの田畠(てんばた)へ
露のごとくに打たまひ。扨其地を。業(ぎやう)ずる男にはじめ
て太鼓といふ物を拵(こしらへ)。打せて龍神に雨を乞ふ。龍王氷まて
をかくしをく心をあはれみ。忽(たちまち)雨水(うすい)。五穀を養ふ今の雨
乞此御代よりはじまり。初て太鼓といふ物百姓に持せ武
田大臣氷室を露のごとく。打給ふゆへ露給はるを大臣と
名付。貰ふ者を太鼓と名付。それよりして天皇在位八十二
年めにかの田地をならしめ。遊君のをかしむゆへ。あたら
しい町といふ儀を。今に久しき新町是なり一年(ひととせ)貫之(つらゆき)
此里御ぞめきの時正月の初買(はつがひ)に
袖ひちこむすひし水の氷れるを春立けふの風やとくらん
あふきやの太夫返し
氷室山このもかのもの下水も君の仰にいかてもるべき
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かやうの古歌きこしめされ候やと申せば勝久。はつた
と手をうち。さて/\きけば。かりそめならぬ霊地
我此度はじめての遊宴。貫之だに春立けふと詠じ
たまふ里なれば其新町にて。加減が見たし。いづれ
も如何にとのたまふ時。末社一度に口をそろへ。よふ
御座りましよ。自体本間は新町よりつかひ出し嶋原
が二段めと。ものはいひなし。いつぞや宇八に嶋原よ
り。むしつをいひかけこゝろよからぬをりふし。さいはい
なる此仕合。ある日又の宗善宇八ばかりを奥に
めされ。先日よりたのみ存る。勝久大坂にての遊
賃近々に支度をすへし。しかしおもんばかるに
つねならぬ我財宝。ほつれやうに思案あるべし。天窓(あたま)か
らくはつと出かけむかしよりはいふにをよばす今より
ち代経(ふ)る後まても。傾城買(かい)の司とよばれ。一子が名
も上んとおもへば。其方の博学賢才。一を打て万(ばん)を
知れと。日外の氷室の由来。新町のいはれを聞(きゝ)。下
にをかれぬ貴殿なれば急ぎ二階へあがり。如何
なる書物も考へ出し。旅立月日の目出度を吟味
あれとの仰畏て。申様。およそ儒仏神の三つと
申は。智恵一人の男は大かた覚ゆる事にて候然
れども。此宇八目は右三廣(さんくはう)の外詩歌官職変
易の道に長じ。天地の事はむねの内三寸の舌に候
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まして是程の事書籍(しよじやく)吟味にをよばす唐本(とうぶん)万年
暦を窺ひ見るに納とあるは妻愛(さいあひ)の道をいみ もし酒
などを此日つくれば。家内滅亡の歌も候開と。あるは吉日
にて嫁どりも中分なり。只上/\大福日と申は。とる
とあるにましたるはなし。此日夫妻に逢初め。随分
中よくする時は。天福来(きたつ)て寿命三浦の大助日(おほすけにち)
をかたれは。宗善きこしめし。とるとは何の事ぞ
やさん候。とるとは。梵語とて天竺の詞にて候。和朝俗
語に申時は。床入とも相筵踏(あひむしろふむ)とも。夫妻のましはり共
行ふなとゝいふも有。皆是同じ麓なる水涌(涌く)所の異
名にて候よし申せば。扨おもしろしと。御機嫌よく弥
取日に相極まり。供の人数が明日にても勝久と相談
あられよ。扨各/\も。心こしらへ望まかせに衣類わき
ざし其外の小遣金先トウブン百両づゝすべしと
圓右衛門に仰付られ是よりして末社姿の花をかざり
勝久に其段申せば如何様ともをの/\次第。先父
上にも対面致御礼を申上んと。両親にむかひ
給へば。今ぞげに堅固の顔付御盃事。千秋相済
おともまはりも各別に。しかつべらしき手代はひかへ
態と子小姓松島永井。針立(はりたて)久厘(きうりん)。座頭のさよ市。ざう
り取御髪揃(ぐしそろへ)六尺五人是は毎日一人づゝ。大坂の首尾申
越べし。此外には色里の品主人家来のわけへだて
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巍々(ぎゝ)としては可笑からず。内証(うち)には其礼深くう
やまひ上むきは随分つくして。只金銀をおしむべか
らず。第一は床入つゝしめ。勝久若き者なれば
あやまつては短命なり五日に一度六日に一度。
是も其わけ。なきにはしかじ猶其女間夫(まぶ)狂ひ
の外。目にあまる事。大目に見なし皆勝久がなぐさみ
なれは堪忍を一として次の大事は酒と食事ぞ。
料理人付てだせば。彼と諸事申合(あはせ)酒は池田の万願
寺屋清乱酒(せいらんしゆ)を常に用(もちひ)よ此外には宇八弥四郎に別而(べつして)の御
頼(たのみ)以上供人三十一人随分身の廻り諸事美をつくせとの
仰一々畏り我おとらしとの身拵へ聞さへめを驚かしぬ