仮想空間

趣味の変体仮名

御入部伽羅女 巻之三

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554352?tocOpened=1

 

 

43

御入部伽羅女巻之三  目録

水損(すいそん)のない枚方(ひらかた)小判

(九)道中一番の前金取 一爰は脇つめ御法度の

                一ながれ女それで川端ふたり

                一ころり山椒みそよりからい心底

飛脚は月にお三度大臣

(十)大坂一番の智恵男 一何成ともむつかしい事

                一そんなら梅川におよぎついた

                一亀はいかに是は忠(たゞ)ゆるさせぞんせず

 

 

44

栄花は一時千年(ちとせ)の楽(たのしみ)

(十一)西国一番の忠臣 一実は御家老職脇見に

                一緋縮緬は下女が仕合(しあはせ)

                一殿のお目かねお国腹十三人

氷室の二字が一字万金

(十二)天竺一番の名言 一吟味は暦の中(ちう)段/\と

                一我子に世話をやきあみ笠

                一悪所狂ひをたのむおやじ

 

御入部伽羅女巻之三

  (第九)水損(すいそん)のない枚方(ひらかた)小判

抑是は八幡の宮に仕奉る。神職の者也されば当社

と申は往昔(そのかみ)欽明天皇の御宇かとよ豊前の国宇

佐の郡(こほり)蓮台寺の麓に八幡の宮と顕はれ八重旗雲

をしるべにて洛陽の南山高みくもらぬ御代まもらん

とて。石清水(いわしみづ)。いさぎよき霊山と現じ給ひしより

実(げに)久堅(ひさかた)の榊葉(さかきば)も栄へさかゆる男山。青幣(あおにぎて)白幣

とり/\゛なりし霊験の内に。夜前(やぜん)不思議の神勅(しんちよく)

をかうふりしより。彼(かの)守を。封じ。通夜せし人に

あたへばやと存候。やあ。見れば是に仮寝せし旅(りよ)

 

 

45

人(じん)あり。神勅の人は是にてあるべし。夜の明たるもし

らま弓引おこさばやと神前の板どう/\と踏給

へば皆/\一度に目を覚し。とひやうもない顔付時に

禰宜(ねぎ)殿云(のた)まふ様をの/\は勿体なくも爰に一夜を明

せし人か如何に凡身なればとてはなはだ無骨

の事也。それ当山と申は八幡(やはた)疫神(やくじん)十二の末社まし

ますにより。千話(ちわ)やふる上方者(かみがたもの)は。いふに不及遠国鳩

の。よぶ声までも老若そろひて。こひといふ神勅しら

ずや。いにしへより御神前にて。僧俗ともに通夜

する事曾(かつ)て明神嫌はせ給ふ是皆神慮の御あは

れみなり。子細と。いつは十二疫神の内に。身体破滅明

 

神とてわきて。おそとしき宮有(あり)是は野郎傾城のほか

揚屋轡茶屋呂百(ろはく)は各別。落着た有徳の人には

かならず此疫神。見入給ふに忽。心の。しまつをわす

れ。めつたに。傾国野衆(やしう)に乱(みだれ)。はやきは一年おそきは

三年。仮令(たとい)。金銀海山(うみやま)に積をきても。さらに其留所(とめど)

なし。是を?(菩薩)かなしみ。給ひ。をしわすれても通夜。

せし人には其疫病切違(きりちかへ)の守を。さづけ。よとの神勅なり

しに。夜前は。結句。其疫神の守を。かれらにあたへ

よとの霊験。是ぞ弓矢八幡(まん)。逆鱗。まします印なり。をの/\

覚悟を。究め。此守を受られ候得と。さしいだし給へば

中にも宇八。しばらく御待(おんまち)給はるべしと。手水に

 

 

46

て嗽(うがい)を清め。頓て請取二三度四五度。礼拝地にふして

忝ながれば。神主も。あきれ果。扨気形(きぎよ)の。振廻(ふるまい)。いか

なる。衆にて。貴(たつと)まるゝぞ。宇八承り是には子細あ

りやうに申儀は。重て御礼に登山(とうざん)の節申上(あぐ)べ

し。まづ唯今は。お暇申皆/\麓へさがり着(つい)て。扨

此守を受し上は。西国も無用の事。是より

すぎに。とつくと返し勝久家形へ是を。投込われ

/\が息をつがんと。はや城六先に。たてば宇八弥

四郎袖をひかへ。かく神慮にかなふ上は。下向せし後

如何様共致やうあり。先日伏見より引(ひつ)かへせしさへ勿体

なきに。又ぞや此度帰らん事。各/\は。如何様共。此弥四郎

 

にをいては是非観音をめぐる気ざし。能(よく)/\思へ

ば朝かほの。夕日を待ぬ露の命。此十七人如何に

身過なればとて。人の身体破却。させても。つかはす

事を第一其親兄弟の身に。なつて御らうぜ。われ

/\をうらむべし。まして朝夕かる口文作(もんさく)より外

後生の道は。是がはじめ。終て後我何(いか)に名人と

て。弥四郎ぶしにて閻魔も見目(みるめ)も。わるい事の帳面は

消(けす)まじ。殊に親の日にも。大臣が肴。はさむに精

進しては銀(かね)にならず。勤の女と太鼓持は。

罪の深かいに今気が付。何(いづれ)も泪ぐみ。八幡西国め

ぐらぬ内は。二度(ふたゝび)帰らぬ心。いつとうして。大坂を

 

 

47

さし。行(ゆく)道。佐太(さだ)枚方にも。ゆるせ色とて顔に石灰沢

山なる大振り袖巡礼とは見ぬも道理。大坂より内

裏様への大工衆には。色が白く。手足が。花車(きやしや)也字か

光(ぬ)かかへす。賊灰(ごまのはい)には。古ふても浅黄。羽二重。

隠し紅裏合点ゆかず。道づれかと思へば。おなじ中に

も此寒いに紙子の解分(ときわけ)。漸/\木綿の古すぎ

たる袷羽織しかれども帯は。折節京の大臣衆が

仕て通る。幅広の繽織(まがひおり)。わしらが一年の給分七拾目

では出来かぬる帯なれば。耳とつて鼻かむやう

な。衣裳。月夜を当に行人そうな。あんな客は。留

めやんなと。手をもぎちぎる程引とめる。枚方

 

に一軒も呼こむ。所なし。はや町はつれ。とある

茶屋に入。一膳めしたべうといへば。五十四五成(なる)

女車延(くるまのへ)をやめ。しばらく十七人がやうすを詠め

芋の煮〆に香物(かうのもの)そへ一膳が十八文肴がお望な

ら此焼物にて廿五文。七文には田舎衆は高いと

思へど。爰の女郎衆百一切にあはしては身に付ての

徳分。きつしくな事なれと。箸とらぬさきに

廿五文づゝ人別に。つきならべてから。まいつて下

されと。さりとは見立た女めと。宇八たまりかね懐中

せし八九両。お嫗(ばゝ)此内なるよい小判を見どりにして

銭とつりかへてやもといへば。此女がてんせず。こゝら

 

 

48(挿絵)

 

 

49

にて小判といふものははやりませぬ。銭がなくば御無

用と。片はしから膳を引そうなる気(け)しき。みな

/\。転業(てんごう)すなとて。早道なる小銭を見すれば女気を

ゆるし。是より。ちよぼくさ。何と皆様。女郎衆は御

嫌ひか。爰は。脇詰御法度にて。皆/\大振袖十七人

壱貫七百の口拾文や廿づゝは。一人前にてまけも致

す酒まいれば外にそれは、をの/\さまの手柄次第

に。五つなりと。六つ成共。川端なれば水損(すいそn)のまいらぬ女

郎衆。銭程の事はありと、二段をば。すゝらす積り。

宇八おかしく。是も床入せぬさきに。銭六十づゝ。ついて

おけば。死(しな)ぬ先の。引導。二人百(ころり)あてがあらばよびもいたそ

 

が。今の小判より外。早道も紙鳶(いかのぼり)に銭持(ぜにもち)。相談すべしと

何(いづれ)も大笑して。京ぢかくにも。小判見知ぬ人も有にき

  (第十)飛脚は月にお三度大尽

千人よれば千差万別大坂者の肝のふといは大海も一足

飛そこなふて。高が此身。おそいか。はやいか是非灰

となす。元をさとつて。西国(さいごく)商(あきなひ)。播磨灘にて大南(おほみなみ)

つのる程に吹ほどに。船頭さへ氏神(うぶすな)住吉船玉へ命を乞(こう)に

大坂男はちつともさはがす生度嶋(しやうどしま)の風景より。鳴門脇の海面(うみづら)

どうもいへずと。此場でさへさはがぬ奴と。針の先で。ついた

事も蚯(みゝず)の穴へはいる様な。京の者のせばい気と。雲泥万

里も。へたてず。たつた十三里の事にて。ちよつと

 

 

50

片町の入口よりはや人心各別に。家作りも。大幅に金銀か

まはぬ材木の。竪(たて)横。何れを。見てもおろかな事は。ないといふ

宇八は元大坂生れ。残りの末社せき心にて。さりとは不(ぶ)

帥(すい)大坂芸かな。すでに古人も危きを見ずと宣ふ我

命の終べき程の大風に左様の。戯云つくす奴。たとひ

といふも底がしれず。又家作りが大きなりとて。是

を結構(けつこ)といふは。最前の。茶屋の嬶が小判より銭を貴

み。女郎より地女(ぢぢよ)の。幅廣なを悦に等し京の家作りは

詳にして書院さき。床(とこ)脇のいたり。蘭菊花香(くはかう)の数寄

屋作りとて余所の国にしらぬ事申せば。宇八も是に口

をとぢ。それより。京橋に来り。弥四郎申は我々此

 

姿にて八軒屋より堺筋にいたらば。まさしく当地の朋

友見のがしには致(いたす)まじ。谷町(たにまち)を南へ天王寺より堺に抜(ぬけ)

んと何(いづれ)も。此道にいづれば。両脇に人立つらなり。心まかせ

にありきもならず。各/\不思議此群衆は何事にてと

髪結らしひ男にとへは。されば。此広い大坂にも珎(めづら)

敷(しい)。今年の春より。むめ川といふ新町の女郎。籠入(ろういり)し

てより久しい事じやか。不思議なるかな手足爪

さきあのうつくしさ髪のゆひふり。いつにても

爪をかくすは猫のヘンゲにうたがひなし。こなた

衆を国への土産に女郎の道中といふものを見て

をきやれと。爰にても見立られし處へ。槌屋

 

 

51

むめ川。それや来たはとて人の山。高きがゆへに

貴からず。器量をもつて貴人(たつとひと)。数万の中を。八の字もど

き。ゆりごし道中。黒雲あざむく袍(つと)投嶋田は。葉山

市岡が由煙(ゆえん)。をしまず。面形(めんぎやう)猶鶏卵に白粉(はくふん)ぷんたる

薫又鼻中をくじかせ。素足に。錦の金尉(こんがう)。打見には

此折さへ。苦のないやうで時(ぢ)/\に笑(えみ)。刻々に泪有と。水海(すいかい)

法師か名言(めいごん)。此時に思ひ出し。見る程京にて。きゝ

及んだる女郎の噂。先当地の西国へ打込(こめ)と。是より

新町東口の門をはいれば。林都(りんいち)といふ見通しの座頭耳

をかたぶけ。此足音は京の末社。しかも。両足(そく)三十四相

さとつたりと。つぶやく手を取。とてもの事にこれじや

 

ときけは。七年以前に越後町扇風方(せんふうかた)にて。橋の下

の菖蒲は。たが生(うへ)たと。足拍子踏時(ふむとき)。皆までいふ

な。いかにも其折。助(すけ)どのといふ大臣にあはれし

太夫肴をつまみぐひして骨たてられし時。いたいど

の鯛どのと。はやしたてた宇八なりと。是より

打つれ。ごち。越後町におしよすれは。扇屋伊兵衛

是を見付扨もお久し。まつこなたへと。奥にとにな

ひ。四方山の咄。やめて。先むめ川事座頭に聞は。いち

/\次第は北浜に万年といふ大臣。十年前の大気はや

丸飛丸といふ北まへ船に。千百石づゝ。恙なふ梶とり

 

 

52

まはし。四五年前に四五百貫目。設(まうけ)たきほひに此里へ

魂丸を。乗込。いかなる悪風横雲にも。ゆるがぬ舟と

憂世小路(せうじ)つり金といふ末社高言せしが。茨木屋

の野風横に吹たてられ。爰は大事と百貫目の金

碇二軒まで家質(かじち)を入ても。いよ/\の大風。飛丸早丸

の外居宅(いたく)までさらりそれより。かよふ千鳥町と

いふ所に店借(たながり)。男世帯はついへのない物に感付(つけ)る

まかなひ女に内をまもらせ。其身は不断旅寝

する飛脚は月にお三度土器(かはらけ)程な。眼をもつても

夜昼ねぬ商売は草のたね。またもとの物は案

しるか損なり。四五年のまに見事ないき。かたを

 

(挿絵)

 

 

53

ならふる大臣もなく。扨此度は。梅川どのへ。乗かへ馬の。

手綱見事に。彼君を身請の沙汰。かくれなふ女房の

借銭五十六両二朱九分七厘まて。こせつかぬ。う

なり済で。其後はなんの気(け)もない此里へ両人

の御詮議寝耳へむめ川の水が涌込(わきこみ)。それよりは

曲輪中毎日寄合五十七十百人あまりの人を出(いだ)し

此両人を尋るもとは。彼万年といふ男江戸日本橋

替より京の店(たな)へ登(のぼり)金千百両余の光も椋(くら)も梅川

殿には御存あるまじしかしあなはおなじ居所河

内の国。高安の事まで咄(はなす)最中に。りつぱなる

中間(ちうげん)京長者町大黒屋宗善手代。御見舞のよし

 

奥へうなれば末社ども。合点してけれ此方へと座敷

へ。しやじ亭主を呼御引合の下より圓右衛門申さる

るは昨夜半の頃よりにはかに勝久まつかやうの

事申出され。はじめの程は熱病かと夜中(やちう)なが

ら奥村玄正(げんしやう)伊川春庵両人の手にもあまりよく

/\きけば夢の内に。かやうのお女郎紋は丸に

八の字より外覚えとめたることもなし各/\

がたに頼み入此上郎にあはせとの一言ゆへ。又家

内の者百人ばかり中にも拙者は振御鬮(ふりみくじ)大

坂へと下させ給へば先御当所へ早駕籠打かけ

漸/\と唯今の仕合近頃毎度御大義ながら又

 

 

54

今晩夜舟にて。御上りを頼めば。十七人同心せず先

日さへ勿体なくも。金銀づくにてかはれぬ後生を取

はずすとそんじながら人をたすくる此方(こち)とらが商

売。せつかく上りしかいもなふ。又当地へ下りし我/\此

度は存もよらずと一同につよ弓ひけば。圓右衛門

重て仏のかほも三度目には。お腹たつよし此

度でいまた二度。あなたへの申分(わけ)には当所より名代

頼むと金五拾両。亭主に渡し登舟まで万端

とのおたのみ。伊兵衛も爰は中酌取て。何(いづれ)も様も

お道理ながら。今(ま)一度の御心法(しんぼう)大事の前の諸事

気をつければ。十七人も是をしほに又乗かく

 

る宝舟夢違(ちがひ)は御座るまいかの

  (十一)濁(にごり)を洗ふ下女緋(び)縮緬

美女は都に極めて諸国の人無性にゆかしう思ふは愚也

京なればとて根からの悪女は一皮むけるほと手入

しても。いかな/\此前伊勢御影参(まいり)の節江戸の大分

限者。十九に成一子家来あまたつれ参宮の。ついでに。

内々京両替町越前屋為(ため)右衛門とて歴々の息女幼

少より美女の聞え大形今の世の紫式部和歌の

道さへおつとつて。萬水(ばんずい)湖月を。もどかるゝ程と聞。

手みや。げ。相応に此度東武へむかへる覚悟にてゆか

れしかば娘の親達。たはひもなふ悦び。馳走といふ

 

 

55

は詞に不及先江戸男の器量よく。聟に。とつての

幸殊に十六になる大事の娘朝夕みがき入し上に

此度は猶大事と。上る間。母親の手入。大勢の。女

共随分。此子の姿つくつて。江戸の父子に。あはせける

に。とうやら気にすゝまぬ顔付。其晩に江戸の親一子

に。此息女の事とはれしかば。一生女房。持ぬとtれも。

此娘は。いやといふ。尤なり。年寄た。親の目にさへ

請取にくしと翌日縁を切江戸へ下りしなに彼の親

気を付草津の姥が餅屋へ内証をふくみ見世のこか

げを。借て筋目は大形にても。器量。年かつこうさへ

気に入たらばと十九人の主従以上廿五日が間朝から

 

晩まて十二三より五六を限て吟味せしに第一京の娘

大ぶんに参詣つぎに大坂此外は西国の分不残丹

波丹後若狭美濃路の娘一人ももるゝはなけれど。さ

りとはおもふは。まれに。たま/\有ても京大坂は心

ばへ。しやれていやなり。面形(めんぎやう)位高くをのづから

の位有て。打見(うちみ)にぼつとりと。底心(そこしん)発明にして。物

ごし落着。肉合(しゝあひ)中分(ちうぶん)にして痩(やせ)もせず肥(こへ)もせず白身(はくしん)

骨合(ほねあひ)たほやかに一つも望に。違はぬ女然(しか)も木綿の

衣類。八人づれ笠の書付見れば長崎糸屋町莨菪(たばこ)

屋仁介娘年十四といふにちかひなく是より十九人

長崎へ下り。是非ともに貰ひ請(うけ)江戸に下り。翌年長

 

 

56

崎の両親兄弟まで吾妻に引請。今に楽/\浅草に

かくれなきよし申せば。大坂天満の者是を聞。それ

は。あながち京の息女がわるひでもなし長崎の娘

が。よいでも。なけれど妹背の道は縁が恥し此前

西国方の御歴/\有馬へ湯治あそばしついでに

京御見物お折から御跡ぞなへに供(ぐ)せられし御家老

脇。奥野山外記といふ人つく/\分別ありしは。いまだ御

男子ましまさねば御家の跡目如何此度幸色よき

妾女(せうぢよ)を御目にかけ御機嫌に入なば。国元へかゝへ下らんと

思案もお家も大事に思ふ忠臣御用聞の御服所へ内

証をきかし。京中の此事望(のぞむ)娘十五六より廿(はたち)を限て

 

其日六十九人彼呉服屋が家形(やかた)にてなんともなふ

御目通を徘徊させ。様子まで御意に入ても御

心にかなはせ給はねば彼御家老脇力(わきちから)をおとし

仮令(たとひ)御子さへとまらは。太夫天神などゝ申。道

の者にてもくるしからねど彼等は又御目に

とまつてから懐胎なければ。せんなきとの仰也

此家の亭主聞左様の者にてもくるしからずは

私嶋原へ御供致(いたし)太夫天神御目にかくべし懐胎

の事。地女にかはらず。ちつともお気遣被成(なされ)まじ。

遊女の分には水銀(みすかね)をあたへ。あるひは。唐人の

卵を吸(すは)すなど申事。皆虚(うそ)の臍より下の沙汰

 

 

57

を。今時ぬからぬ女郎詮議しても。是ばかりは心にま

かせず。さるによつて。嶋原にて口すぎをする。とり上(あげ)

姥(ばゝ)に。似たる女。幾たりともかぎりなし。是をこと/\

く紐をとかば。年季の内には五人六人づゝ子をもたぬ

女郎は候まじ。ひらさらとおすゝめ申せば。主人を引唱(ともなひ)

奥野山嶋原に行。夕霧柏木などいふ太夫をはじめ

天神不残御吟味あれども御気にすゝまず京女(ぢよ)に。えん

なき事是器量。悪敷(あしき)にあらず只前生(ぜんじやう)の戒行(かいぎやう)とて。爰

大坂中嶋(なかのしま)に俵屋といふ米屋の下女人の目には横びら

たく。毎日鏡に向ふ度に。鼻のひくいが。なげかは

しく。今さら。つまみ上ても廿四五から高ふ成た

 

ためしなし。ある日。下女前なる川端にて。洗濯の折

節此家の内儀のゆもじ。いまだ。萌立ばかりの緋縮

綿。洗へとの仰畏て。川はたへ出かけるが。此下女つく/\゛

思ひけるは。人は氏よりそたちといふ事。誠に。

はづかしい物かな。我も親達は下(げ)しうも。ない人と

聞しが。生れてから。ついに人のこのもしがな處へ。

絹のゆもじ。拝ませし事はなし殊に二季の出

替り盆正月の養父入も小宿へ行ぬ女はなけれど

我ばかりはならぬ親二人とも息災なれど

長生行すえは。しれがたし。一跡に一人娘と。父母(ちゝはゝ)の

力あしも近年よはく。とやかくおもおへは大事ぞ

 

 

58

と我此年までついに男に肌をゆるさず。一年に

漸百拾匁の給分内百匁を。親元へ送れば。残る拾

匁にて。男狂ひもはづかしく小宿狂ひの付届一銭

にても。親達へとおもふ。気から。去年の春思ひ切て

弐匁九分いだせし此ゆもじ地がそんじるとおもへば。つ

いに洗ひし事もなきに。いまだ二度ともなされぬ。

此緋縮綿洗はせ給ふ気にくらべさりとは恥し

き我が心。此時洗はんとおもひしかども外にかはりも

なく。さればとて川端につくばひ居て。ゆもじ

かゝぬも。武士の。脇指。さゝぬにおなじ。転方一生の

おもひ出にしばらく洗づ間。此ひぢりめんかし給へと心の

 

内にて内儀にことはり。彼ゆもじと引かへ。暫時の全盛

是見よかしにまくり上。洗濯せし處へ彼京にて。妾御

吟味の御歴/\御近習。あまたにて緞子の幕打

たる。御舟にめされ爰御下りの時。御大将ちらと

御覧じどころは書(かく)に不及さて器量よい女と仰

られしを。御家老脇承り頓て縁をもつて彼両

親ともに御国本へ召供せられ歓楽きはめし事も

あれは人は皆縁づくといふ時最前の男それは親

孝行より出(いで)し所神明(しんめい)の加護なれは尤それに似

た詞に及はぬ仕合は日外大仏横の御告ありし

富岡式部娘は宗善方の縁ちがひしより両親

 

 

59(挿絵)

多輪(たわ)

羅屋(らや)

 

 

60

殊に是をなげき朝暮辛苦に致されしを娘さ

ま/\いさめ恙ふ親子まじはりまいらすこそ幸

なれ。人のならひは。老少にかぎらず死のわかれ致

すもありしに。さのみ御心をなやみ給ふことにはあら

ずと。おとなしく申されしが過し頃。やんことなき御かた

伏見より御上りの時御覧あそばし御奥様になし給ふ

より此息女には御子も出来たが。今の。緋縮綿様

は。不産(うまず)では。ないかの

  (十二)氷室の二字が一字万金

須弥山の図に日月地より去(さる)事四方由旬(ゆじゆん)と。かい聞

ては其分なれと。隙な醫者に尋給へ。あそこ爰つ

 

まんで聞ても人間一生六十年には聞とめがたしされ

ば大黒屋勝久家形へ末社此度帰りし段あまたの

手代はいふに不及父母ともに。不斜(なゝめならす)。一子が為命の

親とて十七人を屋形にかくまへ是よりは。御咄相手先勝

末社にむかひ。此度の難波(なには)下り。いかなる故ぞと尋給ふ

さん候西国巡礼と心さし能下りて候。其仏身に

おもふく。かた/\゛。何とて悪所へは立よられ候や。さ

れば此新町のいはれと申は江口神埼よりはるかの

むかし仁徳天皇の御代よりして今に絶せぬ目出度

里ゆへ我/\遠方におもふく時は先この所へ

立よつて後扨心さすかたへ参候事大臣末社

 

 

61

習ひにて候。しばらく御慰の為此里のいはれをかた

り候へしむかし仁徳天皇此難波高津(かうづ)の宮にまし

ませし時いまだ新町堀江にならび田畠たりしが一

とせ旱(ひだれ)月をかさね五穀実のらざれば。民憂ひに

しづめり天皇あまりになげかせ給ひ武田大臣を召

れ此うれいを。すくふべしとの、綸言まします時に大臣

おぼしめるはかく五穀ゆたかならぬは龍神いかり。

水貧(とほしき)より民。憂(うりやう)處なれば一水(すい)甘露に似たりと

て。冬の氷を取て春夏まで蔵置(かくしをき)たまふ。これを

氷室と名付五月(さつき)の頃此氷室を出(いだ)し多くの田畠(てんばた)へ

露のごとくに打たまひ。扨其地を。業(ぎやう)ずる男にはじめ

 

て太鼓といふ物を拵(こしらへ)。打せて龍神に雨を乞ふ。龍王氷まて

をかくしをく心をあはれみ。忽(たちまち)雨水(うすい)。五穀を養ふ今の雨

乞此御代よりはじまり。初て太鼓といふ物百姓に持せ武

田大臣氷室を露のごとく。打給ふゆへ露給はるを大臣と

名付。貰ふ者を太鼓と名付。それよりして天皇在位八十二

年めにかの田地をならしめ。遊君のをかしむゆへ。あたら

しい町といふ儀を。今に久しき新町是なり一年(ひととせ)貫之(つらゆき)

此里御ぞめきの時正月の初買(はつがひ)に

 袖ひちこむすひし水の氷れるを春立けふの風やとくらん

あふきやの太夫返し

 氷室山このもかのもの下水も君の仰にいかてもるべき

 

 

62

かやうの古歌きこしめされ候やと申せば勝久。はつた

と手をうち。さて/\きけば。かりそめならぬ霊地

我此度はじめての遊宴。貫之だに春立けふと詠じ

たまふ里なれば其新町にて。加減が見たし。いづれ

も如何にとのたまふ時。末社一度に口をそろへ。よふ

御座りましよ。自体本間は新町よりつかひ出し嶋原

が二段めと。ものはいひなし。いつぞや宇八に嶋原よ

り。むしつをいひかけこゝろよからぬをりふし。さいはい

なる此仕合。ある日又の宗善宇八ばかりを奥に

めされ。先日よりたのみ存る。勝久大坂にての遊

賃近々に支度をすへし。しかしおもんばかるに

 

つねならぬ我財宝。ほつれやうに思案あるべし。天窓(あたま)か

らくはつと出かけむかしよりはいふにをよばす今より

ち代経(ふ)る後まても。傾城買(かい)の司とよばれ。一子が名

も上んとおもへば。其方の博学賢才。一を打て万(ばん)を

知れと。日外の氷室の由来。新町のいはれを聞(きゝ)。下

にをかれぬ貴殿なれば急ぎ二階へあがり。如何

なる書物も考へ出し。旅立月日の目出度を吟味

あれとの仰畏て。申様。およそ儒仏神の三つと

申は。智恵一人の男は大かた覚ゆる事にて候然

れども。此宇八目は右三廣(さんくはう)の外詩歌官職変

易の道に長じ。天地の事はむねの内三寸の舌に候

 

 

63

まして是程の事書籍(しよじやく)吟味にをよばす唐本(とうぶん)万年

暦を窺ひ見るに納とあるは妻愛(さいあひ)の道をいみ もし酒

などを此日つくれば。家内滅亡の歌も候開と。あるは吉日

にて嫁どりも中分なり。只上/\大福日と申は。とる

とあるにましたるはなし。此日夫妻に逢初め。随分

中よくする時は。天福来(きたつ)て寿命三浦の大助日(おほすけにち)

をかたれは。宗善きこしめし。とるとは何の事ぞ

やさん候。とるとは。梵語とて天竺の詞にて候。和朝俗

語に申時は。床入とも相筵踏(あひむしろふむ)とも。夫妻のましはり共

行ふなとゝいふも有。皆是同じ麓なる水涌(涌く)所の異

名にて候よし申せば。扨おもしろしと。御機嫌よく弥

 

取日に相極まり。供の人数が明日にても勝久と相談

あられよ。扨各/\も。心こしらへ望まかせに衣類わき

ざし其外の小遣金先トウブン百両づゝすべしと

圓右衛門に仰付られ是よりして末社姿の花をかざり

勝久に其段申せば如何様ともをの/\次第。先父

上にも対面致御礼を申上んと。両親にむかひ

給へば。今ぞげに堅固の顔付御盃事。千秋相済

おともまはりも各別に。しかつべらしき手代はひかへ

態と子小姓松島永井。針立(はりたて)久厘(きうりん)。座頭のさよ市。ざう

り取御髪揃(ぐしそろへ)六尺五人是は毎日一人づゝ。大坂の首尾申

越べし。此外には色里の品主人家来のわけへだて

 

 

64

巍々(ぎゝ)としては可笑からず。内証(うち)には其礼深くう

やまひ上むきは随分つくして。只金銀をおしむべか

らず。第一は床入つゝしめ。勝久若き者なれば

あやまつては短命なり五日に一度六日に一度。

是も其わけ。なきにはしかじ猶其女間夫(まぶ)狂ひ

の外。目にあまる事。大目に見なし皆勝久がなぐさみ

なれは堪忍を一として次の大事は酒と食事ぞ。

料理人付てだせば。彼と諸事申合(あはせ)酒は池田の万願

寺屋清乱酒(せいらんしゆ)を常に用(もちひ)よ此外には宇八弥四郎に別而(べつして)の御

頼(たのみ)以上供人三十一人随分身の廻り諸事美をつくせとの

仰一々畏り我おとらしとの身拵へ聞さへめを驚かしぬ