仮想空間

趣味の変体仮名

おさな源氏 巻三~四

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2567274?tocOpened=1

 

1

おさな源氏物語  二之上 さかきより

 

 

2

  源氏物語  巻之三四

さか木

花ちる里

須磨

あかし

みをつくし

よもぎ

せき屋

えあはせ

まつ風

うす雲

あさかほ

をとめ

 

(図)南

秋好中宮

御蔵町

馬場

馬屋

六条院

明石上

花散里

女三

姫君

玉勢

紫上

乙女の巻にくはしく見えたり

 

 

3

藤大納言

四位少将

左中弁

弘徽殿大后

帥宮北方

致仕大臣室

五君

朧月夜尚侍

 

阿闍梨

蓮生君(末つむはな也)

 

  • 伊予介

紀伊

蔵人右近将監

蔵人少将妻

 

  • 三位中将 夕顔上

宰相 宰相君

 

  • 参議藤原惟光 兵衛尉 典侍

阿闍梨

少将命妻

三河守妻

 

 斎宮は前坊の御むすめ也御母は六条の御休所あふひの

巻に斎宮にたちみをつくしにおりい給ひ絵合に入内

梅つほと申也乙女に中宮御法に皇后宮

 

斎宮は前坊(春宮のこと)の御娘なり。御母は六条御息所、「葵の巻」に斎宮に立ち、「澪標」に下(お)り居給い、「絵合」に入内。梅壺と申す也。「乙女」に中宮、「御法」に皇后宮。

 

  さか木  源 廿二才より廿四才まて

さいくうの御くたりちかつくまゝに御母みやす所心

ほそくおやそひてくたり給ふれいもなけれとうき

世をゆきはなれんとおほすに源氏の大将さすかに

かけはなれ給ふもかなしくて御せうそこたひかよふ

野の宮には九月七日はかり人しれすまたせ給ふ秋の

花おとろへあさぢかはらもかれ/\なるむしのねに

松風すごく物のねもたえ/\に聞ゆ物はかなけなる

小柴垣くろぎのとりいいとかりそめ也火たき屋かすか

にひかりて人けすくなしさか木をいさゝかおりてかはら

ぬいろをとあれは (御息所)

 神かきはしるしの杉もなき物をいかにまかへておれるさか木そ

 (源)乙女子かあたりと思へは榊はのかをなつかしみとめてこそおれ

おほしめしのこす事なき御なからひに聞えかはし給ふ

 

  賢木  源 二十二才より二十四才まで

斎宮の御下り近付く儘に御母御息所心細く、親添いて下り給う。礼も無けれれと浮世を行き離れんと思すに、源氏の大将さすがに掛け離れ給うも悲しくて、御消息たび(度々)通う。野の宮(野宮神社)には九月七日ばかり、人知れず待たせ給う。秋の花衰え、浅茅が原も枯れ枯れなる。虫の音に松風凄く、物の音も絶え絶えに聞こゆ。物儚げなる小柴垣、黒木の鳥居、いと仮初め也。火焚き屋かすかに光りて人気少なし。賢木を聊か折りて、変わらぬ色を、とあれば、

 神垣は印の杉も無き物を如何に紛(まが)えて折れる榊ぞ

 (源)乙女子が辺りと思えば榊葉の顔懐かしみ留めてこそ折れ

思し召し残す事無き御長らいに聞こえ交わし給う。

 

 

4

 暁のわかれはいつも露けきをこは世にしらぬ秋のそらかな

 (みやす所)大かたの秋の別れもかなしきになくねなそへそ野へのまつ虫

斎宮はわかき御心にはみやす所の御くたり定まり

給ふをうれしとおほす (源)

 やしまもるくにつみかみも心あらはあかぬ別れの中をことはれ

さいくうの御返しは女別棟かきてつかはす

 くにつ神そらにことはる中ならはなをさりことをまつややゝさん

みやす床は十六才にて宮に参り給ひはたちにて

をくれ三十にてけふ九重を見給ふ

 そのかみをけふはかけしとしのふれと心のうちに物そかなしき

さいくうは十四にて御かたちいとうつくしけれはみ

かと御心うこき給へり

 ふりすてゝけふは行共すゝか川やそせの波に袖はぬれしや

 すゝか川八十瀬の波ぬれ/\ずいせまてなれか思ひおこせん

 

 行かたをなかめもやらん此秋はあふ坂山を霧なへだてそ

「神無月に院(きりつほのみかと)かくれさせ給ふ兵部卿宮(源氏の御弟ほたる)参り給ひて

 かげひろみ頼みし松やかれにけん下葉ちりゆく年のくれかな

 (藤つほの中宮)さえわたる池の鏡のさやけきにみなれしかけをみぬそかなしき

 年くれていはいの水も氷とち見し人かけのあせも行かな

おほろ月夜(こうきてんのいもうと)は二月になしのかみになり給ふ此かんの君

へ源より御文たひ/\かよふなかたちは中納言の君に

て源をいれたてまつるあかつきかた (かんの君)

 心からかた/\袖をぬらすかなあくとをしふるこえにつけても

 (源)なけきつゝ我世はかくてすくせとやむねのあくへき時そ共なく

藤つほへ参り給ひて (源)

 あふ事のかたきをけづにかきらすは今いく世をかなけきつゝへん

 (中宮)ななき世のうらみを人にのこしてもかつは心をあたとしらなん

源はうんりん院にまうてゝほうもんろんきなときこし

 

 暁の別れはいつも露けきを こは世に知らぬ秋の空かな

 (御息所)大方の秋の別れも悲しきに鳴く音な添えぞ野辺の松虫

斎宮は若き御心には御息所の御下り定まり給うを嬉しと思す。

 (源)八洲(やしま)守(も)る国津御神も心有らば飽かぬ別れの仲を断れ

斎宮の御返しは女別当書きて遣わす。

 国つ神空に断る仲ならば猶去り言を先ずや糾さん

御息所は十六才にて宮に参り(春宮と結婚)給い、二十才(はたち)にて後(おく)れ(先立たれ)、三十にて今日九重(宮中)を見給う。

そのかみ(昔)を今日は掛けじと忍ぶれど心の内に物ぞ悲しき

斎宮は十四にて御容(かたち)いと美しければ、帝、御心動き給えり。

振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬の波に袖は濡れしや

鈴鹿川八十瀬の波(に)濡れ濡れず伊勢まで誰か思い起こせん

行く方を眺めもやらんこの秋は逢坂山を霧な隔てぞ

「神無月に院(桐壺の帝)隠れさせ給う。兵部卿宮(源氏の御弟、蛍)参り給いて、

影広み頼みし松や枯れにけん下葉散りゆく年の暮かな

藤壺中宮)冴え渡る池の鏡の清けきに見慣れし影を見ぬぞ悲しき

年暮れて祝いの水も氷閉じ見し人影の褪せも行くかな

朧月夜(弘徽殿の妹)は二月に内侍(ないしのかみ)になり給う。この内侍君(かんのきみ)へ源より御文度々通う。仲立ちは中納言の君にて、源を入れ奉る暁方、 (内侍君)

心から方々袖を濡らすかな明くと教うる声につけても

(源)歎きつつ我が世は斯くて過ぐせとや胸の明くべき時ぞとも無く

藤壺へ参り給いて、 

(源)逢う事の難きを今日に限らずば今幾世をか歎きつつ経ん

中宮)長き世の恨みを人に残しても且つは心を怨と知らなん

源は雲林院に詣でて、法門論議など聞こし

 

 

5

めしあちきなき身をもてなやむかなとおほし

めすうちにも紫の上の事か心にかゝりて

 浅ちふの露のやとりに君を置てよもの嵐そしづ心なき

 (紫の上)風ふけはまづそみたるゝ色かはるあさちか露にかゝるさゝかみ

かものさいいんへもほとちかけれは

 かけまくもかしこけれ共そのかみの秋のおもほゆつゆふだすきかな

 (斎院)そのかみやいかゝは有しゆふたすき心にかけてしのふらんゆへ

中宮に参り給へは (中宮

 九重に霧やへたつる雲のうへの中をはるかに思ひやるかな

 (源)月影は見しよの秋にかはらぬをへたつる霧のつらくも有かな

 (おほろの 御かたより)こがらしの吹につけつゝ待しまにおほつかなさの頃もへにけり

 (源返し)あひみずて忍ふる頃の涙をもなへての秋のしくれとやみる

十一月ついたち頃きりつほのみかとの御き日なり

雪いたうふりたり源より中宮

 

召し、味気(あじき)無き身を持て悩むかなと思し召す内にも、紫の上の事が心に掛かりて、

 浅茅生の露の宿りに君を置いて四方の嵐ぞ静心無き

 (紫の上)風吹けば先ずぞ乱るる色変わる浅茅が露にかかる細蟹(蜘蛛の糸

加茂の斎院へも程近ければ、

 かけまくも賢けれ共そのかみの秋思ほゆる木綿襷かな

 (斎院)そのかみや如何は有りし木綿襷心に掛けて忍ぶらん故

中宮に参り給えば

 (中宮)九重に霧や隔つる雲の上の中を遥かに思いやるかな

 (源)月影は見し世の秋に変わらぬを隔つる霧の辛くも有るかな

 (朧の御方より)木枯しの吹くにつけつつ待ちし間に覚束なさの頃も経にけり

 (源返し)逢い見ずて忍ぶる頃の涙をも並(な)べての秋の時雨やとや見る

十一月朔日頃、桐壷の帝の御忌日なり。雪甚(いと)う降りたり。源より中宮へ、

 

 

6

 わかれにしけふくれ共なき人に行あふほとをいつとたのまん

 (藤つほ)なからふる程はうけれと行めくりけふはそのよにあふ心ちして

十二月十日あまり中宮の御八講也まことの極楽思ひやら

るみこたちもさま/\のほうもちさゝけ給ふはての日はわが(中宮

御事をけちくはんにて世を背給ふに人々おとろけり

 (源)月のすむ雲井をかけてしたふ共此世のやみに猶やまどはん

 (中宮)大かたのうきにつけてはいとへ共いつか此世をそむきはつへき

年かはりぬれは内わたり花やかなり中宮は御堂

のにしのたいすこしはなれたる所にわたり給て御お

こなひせさせ給ふ源大将参り給ひて

 なかめかるあまのすみかとみるからにまつしほたるゝ松がうら嶋

 (中宮)ありし世のなこりたになきうら嶋に立よる波のめつらしきかな

夏の雨ふりつれ/\なる頃中将殿本ともあまたもたせ

て源へわたり給へりはしのもとのさうびけしきはかり咲

て春秋の花よりもおかしけ也中将の御子八九つはかり

 

にて笛をふき高砂うたへり (中将)

 それもかとけさひらけたる初花にをとらぬ君かにほひをそみる

 時ならてけさ咲花は夏の雨にしほれにけらし匂ふほとなく

おほろのないしのかんの君わらはやみおこたり給ひて久

しう里におはします源参り給ふに折ふし神なり

さはけは右大臣殿もおはしまして源の手ならひしをき

給へるをみつけとりてkへり大きさきにみせ給へり(こうきてん也 おほろのあね)

かんの君はしぬへくかなしくおほさる源は御ちやうの内に

かくれい給へり(おほろの内侍のかみは朱雀院へ参らせんとおほしめすを花の 

えんの夜源あひそめ給てそれより忍ひ/\かよひ給へる也此ゆへすまへ

さすらへ給ふ也)

 

    花ちる里  源 廿四才

きりつほの女御れいけいてんは宮たちもおはせす院

かくれ給ひて後は源にもてかくされておはします

此いもうとの三の君(花ちる里也)源かよひ給ふ五月雨の空

めつらしうはれたるにわたり給ふみちの程中川のわ

 

 (源より中宮へ)別れにし今日来れ共亡き人に行き逢う程をいつと頼まん

 (藤壺)永らうる程は受けれど行き巡り今日はその世に逢う心地して

十二月十日余り、中宮の御八講なり。誠の極楽思いやらる。御子達も様々の捧物(ほうもち)捧げ給う。果ての日は、我が(中宮)御事を結願(けちがん)にて世を背き給うに、人々驚けり。

 (源)月の住む(澄む)雲居をかけて慕う共この夜(子の世)の闇に猶や惑わん

 (中宮)大方の憂きにつけては厭え共いつかこの世を背き果つべき

年変わりぬれば内(内裏)渡り華やかなり。中宮は御堂の西の対(たい)少し離れたる所に渡り給いて、御行いせさせ給う。源大将参り給いて、

 眺めかる尼の住家と見るからに先ず萎たうるる松が浦島

 (中宮)在りし世の名残だに無き浦島に立ち寄る波の珍しきかな

夏の雨降り徒然なる頃、中将殿、本共数多持たせて源へ渡り給えり。橋の元の創美気色ばかり咲きて、春秋の花よりも可笑し気なり。中将の御子、八、九つばかりにて、笛を吹き、高砂歌えり。

 (中将)それもかと今朝開けたる初花に劣らぬ君が匂いをぞ見る

 時ならで今朝咲く花は夏の雨に萎れにけらし匂う程無く

朧の内侍の尚侍君(かんのきみ)、瘧病(わらわやみ)怠り給いて、久しう里におわします。源参り給うに、折節、神鳴り騒げば、右大臣殿もおわしまして源の手習いし置き給へるを見付け、取りて帰り、大后に見せ給えり。(弘徽殿なり。朧の姉。)尚侍の君は死ぬべく(死にそうなくらいに)悲しく思さる。源は御帳の内に隠れ給えり。(朧の内侍の上は朱雀院へ参らせんと思し召すを、花の宴の夜、源逢い初め給いて、っそれより忍び忍び通い給える也。この故、須磨へさすらえ給う也。)

 

  花散里  源 二十四才

桐壺の女御、麗景殿は宮達もおわせず、院、隠れ給いて後は、源に持て隠されておわします。この妹の三の君(花散里なり)、源、通い給う。五月雨の空、珍らしゅう晴れたるに渡り給う。道の程、中川のわ

 

 

7

たり過給ふに小家にあつまをしらへてかきなら

す源御みゝとまりて

 をちかへりえそ忍はれぬ時鳥ほのかたらひし宿のかきねに

 (返し)時鳥かたらぬ声はそれなれとあなおほつかな五月雨の空

(此小家は源のあひ給ひし 人見えたれと誰共なし)三の宮は物しつかにおはしますまつ女

御の御かたにて昔物かたりなとし給ひ廿日の月さしでる

ほとに郭公ありつるかきねのにやおなしこえになく

 (源)たちはなの香をなつかしみ郭公花ちる里をたつねてそとふ

 (女御)人めなくわれたる宿はたちはなの花こそ軒のつまと成けれ

 

   すま  源 廿五才三月より次の年まで

源氏の大将は藤つほの中宮おほろの内侍のかみの事

につけて世中わつらはしけれといつくへもたちかくれん

とおほす彼須磨は里はなれ物すこくてあまの家たに

まれ也と聞給へど人しけき所よりは身のためやすからん

 

たり(渡り)過ぎ給うに、小家に東(東琴)を調べて掻き鳴らす。源、御耳留まりて、

 落ち帰りえぞ 忍ばれぬ時鳥 仄(ほの)語らいし宿の垣根に

 (返し)時鳥語らう声はそれなれど あな覚束な五月雨の空

(この小家は源の逢い給いし人と見えたれど、誰とも無し。)

三の宮は物静かにおわします。先ず女御の御方にて、昔物語り等し給い、二十日、月差し出でる程に、郭公ありつる垣根のにや、同じ声に鳴く。

 (源)橘の香を懐かしみ郭公(ほととぎす)花散里を訪ねてぞ問う

 (女御)人目無く荒れたる宿はたちばなの花こそ軒の妻(軒の端)と成りけれ

 

  須磨  源 二十五才三月より次の年まで

源氏の大将は、藤壺中宮、朧の内侍の上の事につけて、世中煩わしけれ、と何処へも立ち隠れんと思す。彼(かの)須磨は里離れ、物凄くて、海人の家だに稀也と聞き給えど、人繁き所よりは身の為、安からん。

 

 

8

とおほすむらさきの上の思ひなけき給へらんも心くるし

又引くしてゆかんも思ひのつまなるへし夜にまきれ大

とのにわたらせ給ひて若君をひさにすへてかなしと

見給ふ中納言の君を人しれす哀とおほしてその夜は

とまり給ふ(女はうたち 源の思人の物也)大みやの御かたへあふひのうへの

事をおほし出て (源)

 とりへ山もえし煙もまかふやとあまのしほやくうらみにそ行

 (大宮)なき人の別やいとゝへたつらんけふりとなりし雲井ならては

二条院にかへり給へはむらsかいのうへはきやうたいに

むかひおはします源もたちより給ひて

 身はかくてさすらへぬ共君かあたりさらぬ鏡のかけははなれし

 (紫)別てもかけたにとまる物ならはかゝ見をみてもなくさめてまし

 (花ちる里)月影のやとれる袖はせはく共とめても見はやあかぬ光を

 (源)行めくりついにすむへき月影のしはしくもらん空ななかめそ

須磨へは文集なと入たるはこ琴ひとつもたせ給ふ

 

ないしのかみのもとへ (源)

 あふせなき涙の川にしつみしやなかるゝみをのはしめなるらん

 (返し)なみた川うかふみなはも消ぬへしなかれて後の世をもまたなん

藤つほの入道の宮に参り給へは (中宮

 見しはなくあるはかなしき世のはてをそむきしかひもなく/\そふる

 (源)別れしにかなしき事はつきにしを又そこの世のうさはまされる

月まちて出給ふ御とも七八人なり馬にておはするきの

かみか弟うこんのせう御馬の口をとりて

 引つれてあふひかさしゝそのかみを思へはつらし神のみづかき

 (源)浮世をは今そわかるゝとゝまらん名をはたゝすの神にまかせて

古院の御はかに参り給ひて

 なきかけやいかゝみるらんよそへつゝなかむる月も雲かくれぬる

とうくうにも御せうそこきこえ給ふ

 いつか又春のみやこの花をみん時うしなへる山かつにして

御返しはわうみやうふ

 

と思す。紫の上の思い歎き給えらんも心苦し。又引き具して行かんも思いのつま(妻:端)なるべし。夜に紛れ大殿に渡らせ給いて、わあk気味を膝に据えて、悲しと見給う。中納言の君を人知れず哀れと思して、その夜は泊まり給う(女房達、源の思い人なり)。大宮の御方へ葵の上の事を思し出て、

 (源)鳥辺山燃えし煙も紛うやと海人の塩焼く恨みにぞ行く

 (大宮)亡き人の別れやいとど隔つらん煙と成りし雲井ならでは

二条院に帰り給えば、紫の上は鏡台に向かいおわします。源も立ち寄り給いて、

 身はかくて流離えぬ共君があたり去らぬ鏡の影は離れし

 (紫)別れても影だに留まる物ならば鏡を見ても慰めてまじ

 (花散里)月影の宿れる袖は狭く共留めても見ばや明かぬ光を

 (源)行き巡り終に住むべき月影の暫し曇らん空な眺めそ

須磨へは文集など入りたる箱、琴ひとつ持たせ給う。

内侍の上の元へ、

 (源)逢瀬無き涙の川に沈みしや流るる澪の初めなるらん

 (返し)涙川浮かむ水環(みなわ)も消えぬべし流れて後の世をも待たなん

藤壺の入道の宮に参り給えば、

 (中宮)見しは亡く有るは悲しき世の果てを背きし甲斐も無く泣くぞ経(ふ)る

 (源)別れしに悲しき事は尽きにしを又そこの世の憂さは増される

月待ちて出給う。御伴七、八人なり。馬にておわする。紀伊守(きのかみ)弟、右近の尉、御馬の口を取りて、

 引き連れて葵かざしし其の上(かみ)を思えば辛し神の瑞垣(みずがき)

 (源)浮世をば今ぞ別るる留(とど)まらん名をば糺の神にまかせて

古院の御墓に参り給いて、

 亡き影や如何見るらん装えつつ眺むる月も雲隠れぬる

春宮(とうぐう)にも御消息聞こえ給う。

 いつか又春の都の花を見ん時失える山賤にして

御返しは王命婦

 

 

9

 咲てとくちるはうけれと行春は花の都をたちかへり見よ

むらさきのうへゝ源より

 いける世の別れをしらて契りつゝ命を人にかぎりけるかな

 (紫の上)おしからぬ命にかへてめのまへに別れをしはしとゝめてしかな

舟にのり給ひをひ風そひて彼うらにつき給ふ (源)

 から国に名を残しける人よりも行衛しられぬ家いをやせん

 (同)古郷をみねの霞はへたつれとなかむる空は同し雲井か

行平の中なこんのもしほたれつゝわひたる家い

ちかきわたりなり

京へ人出したて給ふとて入道の宮へ

 松嶋のあまのとまやもいかならんすまの浦人しほたるゝころ

ないしのかんの君の御もとに

 こりすまの浦のみるめの床しきをしほやくあまやいかゝ思はん

 (入道の宮 返し)しほたるゝことをやくにて松嶋に年ふるあまも歎きをそつむ

 (かんの君)浦にたくあまたにつゝむ恋なれはくゆる煙よゆくかたそなき

 

 咲きて疾く散るは憂けれど行く春は花の都を立ち返り見よ

紫の上へ

 (源氏)生ける世の別れを知らで契りつつ命を人に限りける哉

 (紫の上)惜しからぬ命に代えて目の前に別れを暫し留めてし哉

舟に乗り給い、追い風添いて彼浦に着き給う。

 唐国に名を残しける人よりも行衛知られぬ家居をやせん

 (同)故郷(ふるさと)を峰の霞じゃ隔つれど眺むる空は同じ雲居か

行平の中納言の「藻塩たれつつ侘びたる家居」近き渡り也。

京へ出し給うとて、入道の宮へ、

 松島の海人の苫屋も如何ならん須磨の浦人潮垂るる頃

内侍(ないし)の尚侍君(かんのきみ)の御元に、

 懲りず間の浦の海松布の床しきを塩焼く海人や如何思わん

 (入道の宮返し)潮垂るる事を焼く(役?)にて松島に年旧(ふ)る海人も歎きをぞ積む

 (尚侍君)浦に焚く数多に包む恋なれば くゆる煙に行く方ぞ無き

 

 

10

むらさきのうへよりとのい物をくらせ給ふ

 うら人のしほくむ袖にくらへ見よなみちへたつるよるの衣を

伊勢へ御使あれはみやす所

 うきめかるいせをのあまを思ひたれもしほたるてふすまの浦にて

 (同)いせ嶋やしほひのかたにあさりてもいふかひなきは我身成けり

 (源 返し)いせ人の波のうへこくを舟にもうきめはからてのらまし物を

 (同)あまかつむなけきの中にしほたれていつまてすまの浦になかめん

 (花ちる里)あれまさる軒のしのふをなかめつゝしけくも露のかゝる袖かな

すまにはいとゝ心つくしの秋風に海はすこしとをけれと

行平の中納言のせき吹こゆるといひけんうらなみよる/\は

きこえて又なくあはれなるものはかゝる所の秋なり

けり琴をすこしかきならして

 恋わひてなくねにまかふうら波は思ふかたより風やふくらん

からのあやなとにさま/\のえなとをかき給ふ

 (源)はつかりは恋しき人のつらなれや旅の空とふ声のかなしさ

 

 (義清)かきつらぬ昔のことそおもほゆる雁はそのよの友ならぬ共

 (惟光)心からとこよをすてゝなく雁を雲のよそにも思ひかけるかな

 (右近のせう)とこ世出て旅のそらなるかりかねはつらにをくれぬ程そ慰む

入道の宮の霧やへたつるとの給はせしをおほし出て

 みる程そしはしなくさむめくりあはん月の都ははるかなれ共

 うしとのみひとへに物はおもほえてひたり右にもぬるゝ袖かな

其頃つくしより大貳のほりけるか大将とのゝかくておは

すると聞てむすめの五せちの君は大将殿のきんの声聞ゆるに

 琴の音に引とめらるゝつなて縄たゆたふ心君しるらめや

 (源)心有て引てのつなのたゆたはゝ打過ましたすまのうら波

けふりのたちくるをあまのしほやくならんとおほすにう

しろの山に柴といふものすふするなりけり

 山かつの庵にたけるしは/\もことゝひこなんこふる里人

きんを引給ひてよし清にうたはせたゆふよこ笛ふき

てあそひ給ふに月すごく見ゆれば

 

紫の上より宿直の物送らせ給う。

 浦人の汐汲む袖に比べ見よ波路へ立つる夜の衣を

伊勢へ御使い有れば、

 (御息所)浮き芽刈る伊勢をの海人を思いやれ「藻塩たる」てふ(という:のような)須磨の浦にて

 (同)伊勢島や潮干の潟に漁りても言う甲斐無きは我身なりけり

 (源返し)伊勢人の波の上漕ぐ小船にも浮き芽は刈らで乗らまじ物を

 (同)海人が積む歎きの中に潮垂れて いつまで須磨の浦に眺めん

 (花散里)荒れ渡る軒の忍(しのぶ)を眺めつつ繁くも露の掛かる袖かな

須磨にはいとど心尽くしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の「関吹き越ゆる」と言いけん。浦波、夜々は聞えて又泣く。哀れなる物は掛かる所の秋なりけり。琴を少し掻き鳴らして、

 恋侘びて泣く音に紛う浦波は思う方より風や吹くらん

唐(から)の綾などに様々の絵などを描き給う。

 (源)初雁は恋しき人の連(つら)なれや旅の空飛ぶ声の悲しさ

 (義清:よしきよ)書き連ね昔の事ぞ思おゆる雁はその夜の友ならねども

 (惟光)心から常世を捨てて鳴く雁を雲の余所にも思いけるかな

 (右近の尉)常世出て旅の空なる雁金は連(つら)に遅れぬ程ぞ慰む

入道の宮の霧や隔つると宣わせしを思し出て

 見る程ぞ暫し慰む巡り逢わん月の都ははるかなれども

 憂しとのみ偏に物は思お得で左右にも濡るる袖かな

その頃筑紫より大貳上り掛けるが、大将殿の斯くておわすると聞いて、娘の五節(ごせち)の君は、大将殿の琴(きん)の声聞こゆるに、

 琴の音に引き止めらるる綱手縄揺蕩う心君知るらめや

 (源)心有りて引き手の綱の揺蕩わば打ち過ぎまじや須磨の浦波

煙の立ち来るを海人の塩焼くならんと思すに、後ろの山に「柴」という者、燻(ふす)ぶるなりけり。

 山賤の庵に炊ける屡々(柴柴)も言(こと)問い来なん恋うる里人

琴(きん)を弾き給いて、義清に歌わせ、太夫横笛吹きて、遊び給うに、月凄く見ゆれば、

 

 

11

 (源)いつかたの空路に我もまよひなん月のみるらん事もはつかし

 (同)友千鳥もろこえになく暁はひとりねさめの床も頼もし

年かへりてわか木のさくらさきそめたるに

 いつとなく大宮人の恋しきに桜かさしてけふもきにけり

宰相殿(頭中将の事也)は物のおり/\恋しくおほして須磨へおはしたり

 (源)古郷をいつれの春か行てみんうら山しきはかへるかりかね

 (宰相)あかなくにかりのとこよを立別れ花の都にみちやまとはん

御をくりにくろ馬たてまつり給ふ

 (源)雲ちかく飛かふたつも空にみよ我は春日のくもりなき身そ

 (宰相)たつかなき雲井に独りねをそ鳴つはさならへし友とこひつゝ

かへるなごりかなしうなかめくらし給ふやよひにはみの

日のはらへし給はんとて海辺に出給ふをんやうじ

めして船にこと/\しき人かたのせてなかすを見給ふ

 (源)しらさりし大海の原になかれきてひとかたにやは物そかなしき

 やをよろつ神もあはれと思ふらんをかせる罪のそれとなけれは

 

 (源)何方の空路に我も迷いなん月の見るらん事も恥ずかし

 (同)友千鳥諸声に鳴く暁は一人寝覚めの床も頼もし

年返りて若木の桜咲き初めたるに、

 いつとなく大宮人の恋しきに桜かざして今日も来にけり

宰相殿(頭中将の事なり)は物の折々恋しく思して、須磨へおわしたり。

 (源)故郷を何れの春か行きてみん羨ましきは帰る雁金

 (宰相)飽かなくに雁の常世を立ち別れ花の都に道や惑わん

御贈りに、黒馬奉り給う。

 (源)雲近く飛び交う鶴(たづ)も空に見よ我は春日の曇り無き身ぞ

 (宰相)鶴が鳴き雲居に独り音をぞ鳴く翼並べし友と恋つつ

帰る名残、悲しう眺め暮らし給う。弥生には巳の日の祓えし給わんとて、海辺に出給う。陰陽師召して船に事々しき人方乗せて、中洲を見給う。

 (源)知らざりし大海の原に流れ来て人形(ひとがた)にやは物ぞ悲しき

 八百万神も哀れと思うらん犯せる罪のそれとなければ

 

 

12

との給ふに俄に風ふきひぢかさ雨ふりてあはたゝし

けれはかへり給はんとするにかさもとりあへす海はふすま

をはりたらんやうにひかる神なりひらめくたとりかへり

て経よみい給ふ神すこしなりやみて風そよるもふくい

さゝかねいり給へは御夢にそのさまともしれさる人

きて宮よりめし給へるに何とて参り給はぬそといふ

さては龍王の見いれたるにこそとおほされ此すまい

なりかたしとおほしめされぬ

 

と宣うに、俄に風吹き、肘笠、雨降りて慌ただしければ、帰り給わんとするに、笠も取り敢えず、海は襖を貼りたらん様に光る神也(雷)閃く。辿り帰りて、経読み居給う。神(雷)少し鳴り止みて、風ぞ夜も吹く。聊か寝入り給えば、御夢に、その様とも知れざる人来て、宮より召し給えるに、何とて参り給わぬぞ、と言う。さては龍王の見入れたるにこそと思され、この住まい成り難しと思し召されぬ。

 

  あかし  源 廿六才三月より廿七才の秋まて

なを雨風やます神なりしづまらて日ころになりぬ

京のかたもおほつかなくおほしめせとかしらさへさし

出人々もあらす二条院よりあやしきすかたにて人

参りたりむらさきのうへの御文に

 浦風やいかにふくらん思ひやる袖うちぬらしなみまなきころ

 

京にもふしきの事とて仁王会おこなひ給ふかやう

にて世はつくるにやと思いさはぐに又の日のあかつきより

風つよく吹てしほみちきていはほも山ものこるまし

きけしき也住吉の神におほくのくはんをたて給ふ

いよ/\かみなりしつまらてらうかのうへにおちてほの

ほもえあかりらうはやけたりうしろの家に上下となく

こそりいてなきとよむそらはすみをすりたるやう

にて日もくれたりやう/\風なをり雨すこし

やみてほしのひかり月もさし出て波のなこり

あらかりしに柴の戸をしあけてなあkめおはします

 海にます神のたすけにかゝらすは塩のやをあひにさすらへなまし

古院夢に見え給ひて住吉の神のみちひtき給ふに

はやく舟出して此うらを立のき給へと御手をとらへ

て引たて給ふ御夢さめてあたりを見めくらし給へは人

もなく月のみきら/\としてあかつきかたに成にけり

 

  明石  源 二十六才三月より二十七才の秋まで

猶、雨風止まず、雷鎮まらで、日頃に成りぬ。京の方も覚束なく思し召せど、頭さえ差し出、人々もあらず、二条院より怪しき姿にて人参りたり。紫の上の御文に、

 浦風や如何に吹くらん思いやる袖打ち濡らし波間なき頃

京にも不思議の事とて仁王会行い給う。斯様にて世は尽くるにやと思い騒ぐに、又の日の暁より風強く吹く。潮満ち来て巌も止まも残るまじき景色也。住吉の神に多くの願を立て給う。弥雷鎮まらで、廊下の上に落ちて炎燃え上がり、廊は焼けたり。後ろの家に上下と無く挙り居て鳴き響(とよ)む。空は墨を摺りたる様にて、月も暮れたり。漸風直り、雨少し止みて、星の光も差し出て、波の名残荒らかりしに、柴の戸を押し開けて眺めおわします。

 海に坐(ま)す神の助けに掛からずば塩の八百会(やおあい)に流離えなまじ

古院、夢に見え給いて、住吉の神の導き給うに、早く舟出して、この浦を立ち退き給えと御手を捕えて引き立て給う。御夢覚めて辺りを見巡らし給えば、人も無く、月のみきらきらとして、暁方になりにけり。

 

 

13

なきさにちいさき舟よせて人二三人参るはあかしの

うらよりつぁきのはりまのかみしんぼち御むかへに参

れる也過にしついたちの夢にてつけしらする事あり

しかとしんじかたき事と思ひしに又三日の夢にあら

たなりけれは舟をよそひて参りたりと申す君お

ほしめしまはすに夢うつゝさま/\しづかならす神の

神のたすけにてあらんをそむく物ならは又いかなる

うきめをやみんとて此舟にめされ明石につき給ひけり

此入道のすまいりやうじたる海止まひろくいかめしき堂を

たてゝ朝夕おこなひすまし高塩にをぢてむすめは

岡部の宿にすませたり君の御けしきを見て老も

わすれてよはひのふる心ちしてよろこひさかえたり 

京より参りたる使をめして身あまる物共おほく

たひてかへし給ふむらさきのうへゝの御返しには

 はるかにも思ひやるかなしらさりしうらよりをちに浦つたひして

 

入道は年六十はかりなるかむすめ一人をもてわつら

ひたるよし時/\かたり申す

 あはとみるあはぢの嶋の哀さへのこるくまなくすめるよの月

久しく手もふれ給はぬきんをとり出てかき

ならし給ふ入道もひはを引たりさうの琴を参

らせたれは君すこし引給ひてこれは女の引たるに

こそとの給へは入道うちえみて

 ひとりねは君も知ぬやつれ/\と思ひあかしの浦さひしさを

 (源)旅衣うらかなしさにあかしかね夢のまくらは夢もむすはす

おかべの宿に御文をつかはさる

 遠近のしらぬ雲井になかめわひかすめし宿のこすえをそとふ

むすめははづかしけにて心ちあしとてふしたり

入道いひわびて

 なかむらん同し雲いをなかむるは思ひもおなし思ひなるらん

 (源)いふせくも心に物をなやむかなやよやいかにととふ人もなみ

 

渚に小さき舟寄せて、人二、三人参るは、明石の浦より先の播磨守、新発意(しんぼち)御迎えに参れる也。過ぎにし朔日の夢にも、告げ知らする事有りしかと、信じ難き事と思いしに、又三日の夢に新たたりければ、舟を装(よそ)いて参りたりと申す。君、思し召し回すに、夢現、様々静かならず。神の神の(重複)助けにも有らんを背く物ならば、又如何なる憂き目をや見んとて、この舟に召され、明石に着き給いけり。この入道の住まい聊爾たる海山広く、厳しき堂を立てて、朝夕行いすまし、高塩に怖じて娘は岡部の宿に住ませたり。君の御気色を見て老いも忘れて、齢経(ふ)る心地して喜び栄えたり。京より参りたる使いを召して、身余る物共多く給(賜:た)びて返し給う。紫の上への御返しには、

 遥かにも思いやるかな知らざりし浦より彼方(遠:おち)に浦伝いにして

入道は年六十ばかりなるが、娘一人を持て煩いたる由、時々語り申す。

 「あわ」と見る淡路の嶋の哀れさえ残る隈なく澄める夜の月

久しく手も触れ給わぬ琴(きん)を取り出て掻き鳴らし給う。入道も琵琶を弾きたり。箏の琴を参らせたれば、君も少し弾き給いて、これは女の弾きたるにこそ、と宣えば、入道打ち笑みて、

 一人寝は君も知らぬや徒然と思い明かしのうら(明石浦)淋しさを

 (源)旅衣うら悲しさに明かし兼ね夢の枕は夢も結ばず

岡部の宿に御文を遣わさる。

 遠近(おちこち)の知らぬ雲居に眺め侘び掠めし宿の梢をぞ問う

娘は恥ずかし気にて、心地悪(あ)しとて伏したり。入道言い侘びて、

 眺むらん同じ雲居を眺むるは思いも同じ思いなるらん

 (源)鬱悒(いぶせ)くも心に物を悩むかな やよや(おいおい:これこれ)如何にと問う人もなみ(無い)

 

 

14

 思ふらん心の程ややよいかにまだみぬ人のきゝかなやまん

三月十三日神なり雨風さはかしき夜みかとの御夢に

古院御けしきあしくてにら見給ふと見え給ふより御

目をわつらはせ給ふ今は源氏の君をもとのくらいに

なし給はんとたひ同じおほしめしの給ふ源氏の君

は彼物のねきかはやさらすはかひなくなとのたまへは

入道よろこひてあたら夜のときこえたり十三日の

月はなやかにさし出たるに御馬にて出たまふか

都のかたおほしめし出て

 秋の夜の月けの駒に我こふる雲井にかけれ時の間もみん

むすめをすませたるかたはことにみかきて月入たる

戸栗すこしをしあけたりうちやすらひなにかとの

給ひけれとうちとけぬさまなれはさしも有ましき

人たに心づようもあらぬに今はかくやつれたる身な

れはあなつるにやとおほしなやめりちかき木丁の

 

 思うらん心の程や やよ如何に まだ見ぬ人の聞きかな止まん

三月十三日、雷雨風騒がしき夜、帝の御夢に古院御気色悪しくて、睨み給うと見え給うより、御目を患わせ給う。今は源氏の君を元の位に

為し給わんと、度々思し召し宣う。源氏の君は彼物の音(ね)聞かばや、然(さ)らずば甲斐無くなど宣えば、入道喜びて、「あたら夜の」と聞えたり。十三日の、月華やかに差し出たるに、御馬にて出給うが、都の方思し召し出て、

 秋の夜の月毛の駒に我乞うる雲井に掛けれ時の間も見ん

娘を住ませたる方は殊に磨きて、月入りたる戸口少し押し開けたり。打ち安らい、何かとの給いけれど、打ち解けぬ様なれば、さしも有るまじき人だに心強うもあらぬに、今は斯く窶れたる身なれば、侮(あなづ)るにやと思し悩めり。近き木丁の

 

 

15

かたはらにさうの琴しとけなくかきまさくりをけ

るをさへやなといひよりて (源)

むつことをかたりあはせん人もかなうき世の夢もなかはさむやと

(明しの上) あけぬ夜にやかてまとへる心にはいつれを夢とわきてかたらん

むらさきのうへの此事をもりきゝ給はんも心のへ

たて有けるとおほして御文に

しほ/\とまつそなかるゝかりそめのみるめはあまのすさひなれ共 

(紫の上 返し)うらなくも思ひけるかな契りしを松より波はこえじ物そと

みかと御目のなやみをもらせ給ふ物心ほそけれは七月

廿日あまり京へかへらせ給ふへきよしせんしくたるつい

の事とはおほしゝかと又此うらを思ひはなれん事を

なけき給へりあかしの上六月よりくわいにんし給ふ (源)

此やひは立わかる共もしほやく煙はおなしそらになひかん

(あかしの上)かきつめて海士のたくもの思ひにも今はかひなき恨だにせじ

きんは又あふまてのかたみとの給 ふあかしの上

 

なをさりに頼め置ける一ことをつきせぬねにやかけて忍はん

(源)逢まてのかたみに契る中のをのしらへはことにかはらさらなん

(同)打すてゝたつもかなしき浦波になこりいかにと思ひやるかな

(あかしの上)年へつるとまやもあれてうき波のかへるかたにや身をたぐへまし

(入道)よる波にたちかさねたる旅衣しほとけしとや人のいとはん

(源)かたみにてかふへかりけるあふことの日数へたてん中のころもを

(入道)世をうみにこゝらしほしむ身と成て猶此きしをえこそはなれぬ

(源)都出し春のなけきにをとらめや年ふる浦をわかれぬる秋

君はないはのはらへし給ひて二条院につき給ふ

ほとなくもとの位にあらたまり権大納言に成給ふ

内に参り給ひて御物語に夜もふけぬ

(源)わたつみにしつうらふれひるの子の足たゝさりし年はへにけり

(御)宮柱めくりあひける時しあれはわかれし春のうらみ残すな

あかしへ御文つかはさる (源)

なけきつゝ明石のうらに朝霧のたつやと人を思ひやるかな 

 

傍らに箏の琴しどけなく掻き弄りおけるを、さえや(までも)など言い寄りて、

(源)睦言を語り合わせん人もがな浮世の夢も半ば覚めや

(明石の上)明けぬ夜に頓て惑える心には何れを夢と分きて語らん

紫の上のこの事を漏り聞き給わんも、心の隔て有りけると思して、御文に、

 しおしおと先ずぞ流るる仮初めの海松布(見る女:逢う女)は海士の遊(すさ)びなれ共

 (紫の上返し)裏無くも思いけるかな契りしを松より波は越えじ物ぞと

帝、御目の悩みを漏らせ給う。物心細ければ、七月二十日余り、京へ帰らせ給うべき由宣旨下る。終の事とは思ししかど、又この浦を思い離れん事を歎き給えり。明石の上、六月より懐妊し給う。

 (源)この度は立ち別る共藻塩焼く煙は同じ空に靡かん

 (明石の上)かきつめて(掻き集めて)海士の焚く物思いにも今は甲斐無き恨みだにせじ

琴(きん)は又逢う迄の形見と宣う。

 (明石の上)なおざりに頼め置ける一言を尽きせぬ音にや掛けて忍ばん

 (源)逢う迄の形見に契る中の緒の調べは琴に変わらざらなん

 (同)打ち捨てて立つも悲しき浦波に名残如何にと思いやるかな

 (明石の上)年経つる苫屋も荒れて浮き波の返る方にや身を類(比:たぐ)えまじ

 (入道)寄る波に立ち重ねたる旅衣潮どけし(涙でぐっしょり濡れて)とや人の厭わん

 (源)形見にぞ替(か)うべかりける逢う事の日数隔てん中の衣を

 (入道)世を倦みに此処等(幾許:ここら)潮染む身と成りて猶此処岸を得こそ離れぬ

(源)都出し春の嘆きに劣らめや年古る浦を別れぬる秋

君は難波(なにわ)の祓えし給いて、御物語に夜も更けぬ。

 (源)海神(わだつみ)に沈みうらぶれ蛭(ひる)の子(蛭児:ヒルコ)の足立たざりし年は経にけり

 (御)宮柱巡り逢いける時し有れば別れし春の恨み残すな

明石へ御文遣わさる

 (源)嘆きつつ明石の浦に朝霧の立つやと人を思いやるかな

 

 

16

つくしの五せちおもひさめぬる心地して

 すまのうらに心をよせし舟人もやかてくたせる袖をみせはや

 (源)かへりてはかことやせましよせたりしなこりに袖のひかたかりしを

 

筑紫の五節(ごせち)、想い醒めぬる心地して、

 須磨の浦に心を寄せし舟人も頓て朽たせる袖を見せばや

 (源)返りては託言(かごと)やせまじ寄せたりし名残に袖の干潟(乾き)かりしを

 

 

  みをつくし  源 廿七八才

二月に御国ゆつり給ふ(冷泉院 十一才)春宮には承兵殿のみこ

立給ふ(朱雀院 の御子也)源は内大臣にならせ給ふ左大臣殿摂政

し給ふ(太政大臣也)御子の宰相様(頭中将の事也)は権中納言也此むすめ十二に

て内に参り給ひこうきてんと申也明石には三月十六日

姫君うまれ給ふ彼うらにははる/\しきめのとも有ましと

京よりくたし給ふ此めのとわかやかなれは源たはふれ給て

 兼てよりへたてぬ中とならはねと別れはおしき物にそ有ける

 打つけの別れを惜むかことにて思はんかたにしたひやはせぬ

此めのとの事をあかしへ (源)

 いつしかも袖うちかけんをとめ子の世をへてなてん岩のおひさき

 

 (明石の上 返し)独りしてなつるは袖の程なきにおほふ斗のかけをしぞまつ

むらさきの上に此事かたり給へは (紫の上)

 思ふどちなひくかたにはあらすして我そ煙にさきたちなまし

 (源)誰によせ世をうみ山に行めくりたえぬ涙にうきしつむ身そ

五月五日は姫君の五十日にあたるらんとおほし明石へ御使有

 うみ松や時そ共なきかけにいて何のあやめもいかにわくらん

 (あかしの上)数ならぬ三嶋かくれに鳴たつはけふもいかにととふ人そなき

五月雨つれ/\なる頃花ちる里へわたり給へは

 くいなたにおとろかさすはいかてかはあれたる宿に月はいれまし

 (源)をしなへてたゝくくいなにおとろかはうはの空なる月もこそいれ

源は願はたしに住よしへまうて給ふかんたちめてん上

人あまたわか君も御とも也(夕霧の事也)松はらの中に

花もみちこきちらしたるとみゆ

 (惟光)住吉の松こそ物はかなしけれ神代の事をかけて思へは

 (源)あらかりし波のまかひに住吉の神をはかけて思ひわするゝ

 

   澪標  源 二十七八才

二月に御国譲り給う(冷泉院十一才)。春宮(とうぐう)には承兵殿の御子、立ち給う(朱雀院の御子也)。源は内大臣にならせ給う。左大臣殿、摂政し給う(太政大臣也)。御子の宰相(頭中将の事也)は権中納言也。この娘、十二にて内に参り給い、弘徽殿と申す也。明石には三月十六日、姫君産まれ給う。彼浦には遥々しき乳人共有るまじと京より下し給う。この乳人、若やかなれば、源、戯れ給いて、

 兼ねてより隔てぬ中とならわねど別れは惜しき物ぞ有りける

 打ち付けの別れを惜しむ託言(かごと)にて思わん方に慕いやはせぬ(してくれたらいいのに)

この乳人の事を明石へ、

 (源)いつしかも袖打ち掛けん乙女子が世を経て撫でん岩の老い先

 (明石の上返し)独りして撫づるは袖の程なきに覆うばかりの陰をしぞ待つ

紫の上にこの事語り給えば、

 (紫の上)思う同士(どち)靡く方には非ずして我ぞ煙に先立ちなまじ

 (源)誰により世を海(倦み)山に行き巡り絶たぬ涙に浮き沈む身ぞ

五月五日は姫君の五十日にあたるらんと思し明石へ御使い有り。

 海松や時ぞ共無き陰に居て何の菖蒲も如何に分くらん

 (明石の上)数ならぬ三嶋隠れに鳴く鶴(たづ)は今日も如何にと問う人ぞ無き

五月雨徒然なる頃、花散里へ渡り給えば、

 水鶏(くいな)だに驚かさずはいかでかは荒れたる宿に月は入れまじ

 (源)押し並べて叩く水鶏に驚かば上の空なる月もこそ入れ

人数多、若君も御伴也(夕霧の事也)。松原の中に花紅葉こき散らしたると見ゆ。

 (惟光)住吉の松こそ物は悲しけれ神代の事を掛けて思えば

 (源)荒かりし波の紛いに住吉の神をば掛けて思い忘るる

 

 

17

其時あかしの上は船にてまうて給へりこれみつすゞり

をたてまつれは源よりあかしの上へ

 身をつくし恋るしるしにこゝまてもめくりあひけるえこそふかしな

 (明石の上)数ならてなにはの事もかひなきになとみをつくし思ひそめけん

  露けさの昔ににたるこひ衣頼みしまの名にはかくれす

あそひの女共参るをかんたちめわかやかにこのましけなるは

めとゝめ給へり「今は斎宮もかはり給へはみやす所ものほり給ふ

俄にをもくわつらひ給ひてあまに成ついにうせ給ひにけり

斎宮は何事も覚え給はねは源氏渡せ給て有へき事共人々に

仰付させ給ふ雪みそれかきたれたる日源より斎宮

 ふりみたれ隙なき空になき人のあまかけるらん宿そかなしき

 きえがてにふるそかなしきかきくらし我身それともおもほえぬ世に

斎宮を朱雀院御けしきあれと引たかへて今のみかと(冷泉)

へ参らせん(みなもとの)御母入道の宮(藤つほの事也)にかくとの給ふ

 

その時明石の上は船にて詣で給えり。惟光、硯を奉れば、源より明石の上へ、

 身を尽くし(澪標)恋る印にここまでも巡り逢いける縁(え)こそ深しな

 (明石の上)数ならで難波の事も甲斐無きに など(何故)澪標思い初めけん

   露けさの昔に似たる旅衣頼みみしま(田蓑島)の名には隠れず

遊びの女共参るを、上達部(かんだちめ)若やかに好まし気なるは、目止(とど)め給えり。「今は斎宮の変わり給えば、御息所も上り給う。俄に重く患い給いて、尼に成り、ついに失せ給いにけり。斎宮は何事も覚え給わねば、源氏渡らせ給いて、有るべき事ども人々に仰せ付けさせ給う。雪、霙、掻き垂れたる日、源より斎宮へ、

 振り乱れ隙き無き空に亡き人の天駆けるらん宿ぞ悲しき

 (斎宮)消えがてに降るぞ悲しき掻き暮らし我身それとも思お得ぬ世に

この斎宮を朱雀院、御気色有れと引き抱かえて、今の帝(冷泉)へ参らせん。(源の)御母、入道の宮(藤壺の事也)に斯くと宣う。

 

 

   よもぎふ  源廿五より廿八才まて

ひたちの宮の姫君すえつむ花は宮本をまち給ふ宮の

内いよ/\あれまさり人すくなになりてきつねこ玉

なとかたちをあらはし物すごし此ふるき宮にわびしく

ておはしまさんよりもうりはなち給へかしとのそむ人

有けれと父宮の御あとをかろ/\しき人にはわたす

ましとて御でうど共も明暮かたみとなりめ給へり兄

のぜんじの君まれに山より出給へとしけき草よもき

をはらはん物共し給はす春夏になれは馬うしはな

ちかふ所となれり野わきあらかりし年らうはくつれ

はてゝわつかにほねはかりのこりたりぬす人もかゝる所には

目をもかけす此姫君の母のはらかははすりやうのきたの

かたにていなかにくたるか姫君をつれてくたり我むすめ

のつかひものにぜんといへとさらにうこくへうもあらねは

 

  蓬生  源 二十五より二十八才まで

常陸宮の姫君、末摘花は、源を待ち給う。宮の

内いよいよ荒れまさり、人少なに成りて、狐、木霊など、形を現し物凄し。この古き宮に侘びしくておわしまさんよりも、売り放ち給えかしと望む人有りけれど、父宮御後を軽々しき人には渡すまじとて、御調度共も明け暮れ形見と成りめ給えり。兄の禅師(ぜんじ)の君、稀に山より出給えど、繁き草蓬を払わん物共し給わず、春夏になれば、馬、牛、放ち飼う所となれり。野分荒らかりし年、廊(ろう)は崩れ果てて僅かにに骨ばかり残り、盗人もかかる所は目をも掛けず。この姫君の母の同胞(はらから)は受領の北の方にて、田舎に下るか姫君を連れて下り、我が娘の使い者にせんと言えど、更に動くべう(べく)も非ねば、

 

 

18

にくけなる事をいひてめのとのこ侍従をつれてくたる

いひとゝめんやうもなくて御ぐしのおちたまりたるを

あつめてかつらにし給へるか九尺あまりにてきよらなる

をしゝうにとらせ給ふとて

 たゆましき筋を頼みし玉かつら思ひのほかにかけはなれぬる

 (侍従)玉かつらたえてもやまし行道にたむけの神もかけてちかはん

年かはりて卯月はかりに源は花ちる里へおはすとて

此ふる宮をおほし出てこれみつを入給ふ姫君は古宮

の夢に見え給ふなころかなしうて

 なき人をこふるたもとの隙なきwあれたる軒の雫さへそふ

 (源)尋ても我こそとはめ道もなくふかきよもきかもとの心を

 (同)藤なみの打過かたく見えつるは松こそやとのしるしなりけれ

 (末つむ)年をへてまつしるしなき我宿を花のたよりに過ぬはかりか

後にはむかしの院にわたし給ふ侍従か今しはし見とゝ

 

憎げなる事を言いて、乳人の子侍従を連れて下る。言い止め様も無くて、御髪(おぐし)の落ち溜まりたるを集めて鬘にし給えるが、九尺余りにて清らなるを、侍従に取らせ給うとて、

 弛まじき筋と頼みし玉鬘思いの他に掛け離れぬる

 (侍従)玉鬘絶えても山路(止まじ)行く道に手向けの神も掛けては誓わん

年変わりて卯月ばかりに、源は花散里へおわすとて、この古宮を思し出て惟光を入れ給う。姫君は古宮の夢に見え給う名残悲しうて、

 亡き人を乞うる袂の隙無きを荒れたる軒の雫さえ添う

 (源)尋ねても我こそ問わめ道も無く深き蓬が元の心を

 (同)藤並の打ち過ぎ難く見えつるは松こそ宿の印なりけれ

 (末摘)年を経て松(待つ)印無き我が宿を花の便りに過ぎぬばかりか

後には東の院に渡し給う。侍従が今暫し見届

 

 

19

けさる心のあさゝはつかしう思へり

 

 けざる心の浅さ、恥しう思えり。

 

 

  せき屋

須磨よりかへり給て又ののり九月つこもり石山に参り

給ふ其日いよのすけひたちよりのほるうち出のはまくる

程に源氏の君はあはた玉こえ給ふときゝて杉の下に

車共おろして過し奉る昔の小者今はえもんのすけなる

を召てけふのせきむかへはえ思ひすて給はしと宣ひけれは

 (うつせみ)ゆくとくとせきとめかたき涙をやたえぬしみつと人は見るらん

石山よりかへらせ給ひて後御せうそこあり (源)

 わくらはに行あふ道を頼みしも猶かひなしやしほならぬうみ

 (うつせみ)あふ坂のせきやいかなる関なれはしけきなけきの中をわくらん

いよのすけは老のつもりにやなやましくなりてつい

にうせぬきのかみ昔よりすき心ありてあさましき心

 

  関屋

須磨より帰り給いて、又の年九月晦(つごもり)、石山に参り給う。その日、伊予之介、常陸より上る。打出の浜来る程に、源氏の君は粟田山越え給うと聞きて、杉の下に車共降ろして過ごし奉る。昔の小者、今は右衛門佐(えもんのすけ)なるを召して、今日の関迎えは得思い捨て給わじと宣いければ、

 (空蝉)往くと来(く)と関止め難き涙をや絶えぬ清水と人は見るらん

石山より帰らせ給いて後、御消息有り、 

 (源)邂逅(わくらば)に行き合う道を頼みしも猶甲斐無しや塩ならぬ海

 (空蝉)逢坂の関屋如何なる関なれば繁き嘆きの中を分くらん

伊予之介は老の積りにや悩ましく成りて、終に失せぬ。紀伊守、昔より好き心有りて浅ましき心

 

 

20

の見えければうつせみはあまになりにけり

 

の見えければ、空蝉は尼に成りにけり。

 

 

  えあはせ  源 卅才

斎宮の入内の事入道の宮(藤つほの女院)御心に入てもよほしきこえ

給ふ院(朱)は御心にかゝりて口おしとおほせと御くしの箱

うちみだりのはこかうこのはこ御たき物なとつかはさるゝと

て伊勢へおはせし時をおほく出て

 (御)別れぢにそへしをくしをかことにてはるけき中と神やいさめし

 (斎宮)わかるとてはるかにいひし一こともかへりてものは今そかなしき

うへ(冷)は絵をこませ給ひててん上人わかき人ともえに心

よせけるは御心とゝめさせ給ひけり此斎宮(みやす所のむすめ也)の女御よく

えをかき給へはみかと御心うつりてしけくわたらせ給ふ

権大納言我人にをとらんやとて上手共めしよせ物かたり

月なみのえにことばをかきつゝけてむすめのこうきてん

 

へ参らせらる源氏の君すまの浦にてかゝせ給へるを紫の

上今まて見せ給はさりけるとうらみて

 独りいてなかめしよりはあまのすむかたをかきてそ見るへかりける

 (源)うきめみしその折よりもけふは又過にしかたにかへるなみたか

中納言心をつくしづくへうしひものかさりいよ/\とゝのへ

給へり三月十日の程左右にわかたせ左は梅つほ(斎宮也)右は

こうきてん(中納言の 御むすめ也)左より平内侍のすけ侍従のないし少

将の命婦三人出たり右よりは大貳のないしの介中将の命婦

兵衛のいやうふ三人出て心々にあらそひけりまつ竹とり

のおきなにうつほのとしかけを合て伊勢物語正三位

を合せて平の内侍のすけ

 いせの海のふかき心をたとらすはふりにしあとゝなみやけつへき

 (大貳)雲の上に思ひのほれる心にはちひろのそこもはるかにそ見る

 (中宮)みるめこそうらふりぬらめ年へにしいせおのあまの名をやしつめん

院より梅つほへ御え共すかはされける中に斎宮のいせへくたり給

 

  絵合(えあわせ)  源 三十才

斎宮の入内の事、入道の宮(藤壺女院)御心に入りて、催し聞こえ給う。院(朱雀院)は御心に掛かりて、口惜しと思せど、御櫛の箱、打ち乱りの箱、香壺(こうご)の箱、御薫物(おたきもの)など遣わさるるとて、伊勢へおわせし時を思し出て、

 (御:朱雀院)別れ路に添えし小櫛を託言(かごと)にて遥けき中と神や諌めし

 (斎宮)別るとて遥かに言いし一言も帰りて物は今ぞ悲しき

上(冷泉院)は絵を好ませ給いて、殿上人、若き人々も、絵に心寄せけるは、御心留めさせ給いけり。この斎宮の女御(御息所の娘也)、よく絵を描き給えば、帝御心移りて繁く渡らせ給う。権大納言、我人に劣らんやとて、上手共召し寄せ物語り、月並の絵に言葉を書き続けて、娘の弘徽殿へ参らせらる。源氏の君、須磨の浦にて描かせ給えるを、紫の上、今迄見せ給わざりけると恨みて、

 独り居て眺めしよりは海士の住む方を描きてぞ見るべかりける

 (源)憂き目見しその折よりも今日は又過ぎにし方に帰る涙か

中納言、心尽くし、軸へ移し、紐の飾り、いよいよ調え給えり。三月十日の程、左右に分かたせ、左は梅壺(斎宮也)、右は弘徽殿(中納言の御娘也)、左より平典侍(へいないしのすけ)、侍従の内侍、少将の命婦、三人出たり。右よりは、大事の典侍、中将の命婦、兵衛の命婦、三人出て、心々に争いけり。先ず、竹取の翁に宇津保の俊蔭(としかげ)を合わせて、伊勢物語正三位を合わせて、平典侍

 伊勢の海の深き心を辿らずば古(ふ)りにし跡と波や消(け)つべき

 (大貳)雲の上に思い上れる心には千尋の底も遥かにぞ見る

 (中宮)見る目こそ うらぶりぬらめ年経にし伊勢をの海士の名をや沈めん

院より梅壺へ御絵共遣わされける中に、斎宮の伊勢へ下り給い

 

 

21

し日のきしきをきんもちにかゝらせて (御)

 身こそかくしめの外なれそのかみの心のうちをwすれしもせす

 (斎宮返し)しめのうちは昔にあはぬ心ちして神代の事も今そ恋しき

かんの君(大宮)より梅つほへもこうきてんへも御絵共参らせらる

判者は兵部卿宮也(源氏の 御弟)さためかねて夜に入ぬ彼すまの

え出たるに人々なみたをおとし左梅つほの御かたかち

に成にけり廿日の月さし手で御琴めし出てわごん

中納言兵部卿の宮さうのこと源はきんびはは少

将のみやうふ明はてゝろく共は中宮より給はれり(此中 宮は)

(冷泉院の御母者藤つほ 入道の宮の御事也)

 

し日の儀式を公望に描かせて、

 (御:朱雀院)身こそ斯く注連(しめ)の外なれ其の上(かみ)の心の内を忘れじもせず

 (斎宮返し)注連の内は昔に非ぬ心地して神代の事も今ぞ恋しき

尚侍君(かんのきみ)より梅壺へも弘徽殿へも御絵共参らせらる。

判者は兵部卿宮(源氏の御弟)也。定め兼ねて夜に入りぬ。彼須磨の絵出たるに、人々涙を落とし、左梅壺の御方、勝ちに成にけり。二十日の月差し出て、御琴召し出て、和琴、権中納言兵部卿の宮、箏の琴、源は琴(きん)、琵琶は少将の命婦。明け果てて禄は中宮より賜われり(この中宮は冷泉院の御母、藤壺入道の宮の御事也)。

 

 

   松風  源 三十才

東の院つくりたてゝ西のたいに花ちる里うつろはし給ふ東

のたいにはあかしの御かたをわたし給はんとおほしけりには

ひろくつくらせゆくすえたのめし人々のつとひすむへき

 

  松風  源 三十才

東の院造り建てて、西の対に花散里移ろわし給う。東の対には明石の御方を渡し給わんと思しけり。庭広く造らせ、行末頼めし人々の集い住むべき

 

 

22

やうにしてへたて/\してしんでんは源の御やすみ所にし給

へりあかしへのぼらせ給へとあれは年へつる浦をはあんれん

事入道の心ほそくひとり残りとゝまり給ふもかなしく

入道もひめ君のうつくしけなるを見たてまつらては

いかてすこさんとおほす入道

 行さきをはるかに祈るわかれちにたえぬはおひの涙なりけり

 (尼君)もろ共に都はいてき此たいやひとり野中の道にまとはん

 (御かた)いきて又あひみん事をいつとてかかきりもしらぬ世をはたのまん

 (尼君)かのきしに心よりにしあま舟のそむきしかたにこきかへるかな

 (御かた)いくかへり行かふ秋を過しつゝうきゝにのりて我かやるらん

大井のわたり中勢の宮のふるき跡にすみ給ふ年頃

へつる海つらに似たれは所かへたるやうにもおほされす御

かた琴をかきならし給へは

 (あま君)身をかへて独りかへれる山里にきゝしににたる松風そふく

 (御かた)古郷に見しよの友をこひわひてさへつることを誰かわくらん

 

おとゝわたり給ひ姫君を見給ふもいかゝあさくはおほさ

れんあま君は昔中勢の宮の住給ひし事を

 住なれし人はかへりてたとれ共清水そやとのあるしかほなる

 (源)いさら井ははやくのこともわすれしをもとのあるしやおもかはりせる

源はさがの御寺にわたらせ給ひ十四日十五日つごもりの

日はおこなはるへき事のさためをかせ給ふ (源)

 契りしにかはらぬことのしらへにてたえぬ心のほとはしりきや

 (御かた)かはらしと契りしことを頼みにて松のひゝきにねをそへしかな

源出給ふほとに頭中将兵衛督参るかる/\しきかくれ

所見あらはされけるとてにはかに鵜かひ共めすきのふ野

にとゝまりぬる君たちも小鳥つけさせたる萩のえた

なとつとにして参れり

月さし出るほとにみき参りてひはわこん笛とも

川風にあはせておもしろし夜ふけててん上人四

五人参れりちよくしには蔵人の弁

 

様にして隔て隔てして、神殿は源の御休み所にし給えり。明石へ上らせ給えと有れば、年経つる浦を離れん事、入道の心細く、一人残り留まり給うも悲しく、入道も姫君の美し気なるを見奉らでは、如何(いか)で過ごさんと思す。

(入道)行き先を遥かに祈る別れ路に絶えぬは老の涙なりけり

 (尼君)諸共に都は出で来この度(旅)や一人野中の道に惑わん

 (御方)生きて又逢い見ん事をいつとてか限りも知らぬ世をば頼まん

 (尼君)彼岸に心寄りにし海士舟の染む来し方(岸方)に漕ぎ帰るかな

 (御方)幾返り行き交う秋を過ごしつつ浮木に乗りて我帰るらん

大井の渡り、中勢の宮の古き跡に住み給う。年頃経つる海面に似たれば、所替えたる様にも思されず、御方琴を掻き鳴らし給えば、

 (尼君)身を替えて独り帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く

 (御方)古郷に見し世の友を恋侘びて囀る琴を誰が分くらん

大臣渡り給い、姫君を見給うも如何浅くは思されん。尼君は昔、中勢の宮の住み給いし事を、

 住み慣れし人は変わりて辿れ共清水ぞ宿の主顔なる

 (源)いさら井(少しの水の流れ)は早く(昔)の事も忘れじを元の主や面変わりせる

源は佐賀の御寺に渡らせ給い、十四日、十五日、晦(つごもり)の日は行わるべき事、定め置かせ給う。

 (源)契りしに変わらぬ琴の調べにて絶えぬ心のほどは知りきや

 (御方)変わらじと契りし事を頼みにて松の響きに音を添えしかな

源出給うほどに、頭中将、兵衛督(ひょうえのかみ)参る。軽々しき隠れ所、身顕されけるとて、俄に鵜飼共召す。昨日野に留まりぬる君達も、小鳥付けさせたる荻(おぎ)の枝など苞(つと)にして参れり。

月差し出る程に御酒(みき)参りて、琵琶、和琴、笛共、川風に合わせて面白し。夜更けて殿上人四、五人参れり。勅使には蔵人の弁

 

 

23

 (御)月のすむ川のをちなる里なれはかつらのかけはのとけかるらん

 (源返し)久かたの光にちかき名のみしてあさゆふ霧もはれぬ山里

 (源)めくりきて手にとる斗さやけきや淡路の嶋のあはと見し月

 (頭中将)浮雲にしはしまかひし月影のすみはつる夜そのとけからまし

 (左大弁)雲の上のすみかをすてゝ夜半の月いつれの谷にかけかくしけん

むらさきの上はちごをあいし給ふ御心なれはあかしの

姫君をいたきかしつかはやとおほさる

 

 (御)月の澄む川の小路なる里なれば桂の陰は長閑けかるらん

 (源返し)久方の光に近き名のみして朝夕霧も晴れぬ山里

 (未庵本)巡り来て手に取るばかり清けきや淡路の島の泡と見し月

 (頭中将)浮雲に暫し紛いし月影の澄み果つる夜ぞ長閑けからまじ

 (左大弁)雲の上の住家を捨てて夜半の月何れの谷に影隠しけん

紫の上は稚児を愛し給う御心なれば、明石の姫君を抱き傅かやばと思さる。

 

 

   うす雲  源 卅より卅一才まて

明石の上は冬になり行まゝに川つらのすまいも心ほそく

みきはの水なと見やり涙をはらひて

 雪ふかみみ山のうちははれす共猶ふみかよへ跡たえすして

 (めのと)雪まなき吉野ゝ山を尋ても心のかよふあとたえめやは

雪すこしとけて姫君をむかへに源わたり給ふ姫君は

何心なく御車にのらんといそき給ふかたことの声はうつくしう

 

   薄雲  源 三十より三十一才まで

明石の上は冬になり行くままに、川面の住居(すまい)も心細く、水際の水など見やり、涙を払いて、

 雪深み山の内は晴れずとも猶踏み(文)通え跡絶たずして

 (乳人)雪間無き吉野の山を尋ねても心の通う跡絶えめやば

雪少し溶けて、姫君を迎えに源渡り給う。姫君は何心無く御車に乗らんと急ぎ給う。片言の声は美しゅう

 

 

24

て袖をとらへ母君ものり給へとなりあかしの上

 すえとをき二葉の松に引わかれいつかこたかきかけを見るへき

 (源)おひそめしねもふかけれはたけくまの松に小松のかけをならへん

めのとの少将御はかしあかがつとりて車にのる姫君は

道のほとにてねいり給へり姫君はこなたにて御

くた物なと参りあたりを見めくらして母君の見え給はね

は打ひそみ給ふめのとめし出てなくさめまきらはし給へり

むらさきの上おかしき御心さまなれはよくすかしてつき

むつび給へり年かへりて源大井にわたり給ふ姫君御

さしぬきのすそにとりつきてしたひ給へはたちとゝまり

てあすかへりこんとて出給ふ (むらさきの上)

 舟とむるをちかた人のなくはこそあすかへりこんせなと待みめ

 (源)行てみてあすもさねこん中/\にをちかた人はこゝろをくとも

其頃おほきおとゝうせ給ふ(あふひの上 のちゝ也)その時世中さはかし

くて雲のたゝずまひ月日ほしのひかりれいにかはり皆

 

おとろきあへり入道きさいの宮春のはしめよりな

やみ給ひて三月にうせ給ふ(三十七才うす雲の女院と申也)

 (源)入日さすみねにたなひくうす雲は物思ふ袖に色やまかへる

御いのりの師の僧都年七十はあかりなるか此入道の宮の

有つる昔を事のついてにさゝやき申さるれはみかと(冷泉)めつ

らかにきこしめしおそろしうもかなしうも御心みたれ

させ給へりさらにしり給はて後の世まてとかめあるへき

事也おとゝ(源)のたゝ人にて世につかへ給ふもあはれにかたしけ

なくおほしなやみ秋のつかさめしに太政大臣に成給ふへ

き事さだめ給ふついてに即位の事もらしきこえ給ふ

おとゝさらに有ましきよし申返し給ふ桃園の式部

卿の宮(斎院の父也)もうせ給ひぬるよしそうするにいよ/\さはがし

世のうしろみにはあふひの上の兄大納言になり右大将

かけ給へるを今一きさみあかり給て何事もゆつりてその

後ともかくもとておほしける秋の頃二条院に斎宮

 

て袖を捕え、母君も乗り給えとなり。

 (明石の上)末遠き二葉の松に引き別れいつか小高き影を見るべき

 (源)生い初めし根も古ければ武隈の松に小松の影を並べん

乳母の少将、御佩刀(みはかし)、天児(あまがつ)取りて、車に乗る。姫君は道の程にて寝入り給えり。姫君は此方にて御果物(おかし)など参り、辺りを見巡らして母君の見え給わねば、打ちひそみ給う。乳母召し出て慰め紛らわし給えり。紫の上おかしき御心様なれば、よく賺して着き睦び給えり。年返りて、源、大井に渡り給う。姫君、御指貫(さしぬき)の裾に取り付きて、慕い給えば、立ち留まりて、明日帰り来ん、とて出給う。

 (紫の上)舟停むる遠方(おちかた)人の無くばこそ明日帰り来ん夫(せな)と待つ見め

 (源)行きてみて明日もさね来ん中々に遠方人は心置くとも

その頃、太政大臣(おおきおとど)失せ給う(葵の上の父也)。その年、世中騒がしくて、雲の佇まい、月日星の光、例に変わり、皆驚きあえり。入道=后(きさい)の宮、春の初めより悩み給いて、三月に失せ給う(三十七才。薄雲の女院と申す也)。

 (源)入日差す峰に棚引く薄雲は物思う袖に色や紛える

御祈りの師の僧都、年七十ばかりなるが、この入道の宮の有りつる昔を、事の序に囁き申さるれば、帝(冷泉)珍らかに聞こし召し、恐ろしゅうも悲しゅうも御心乱れさせ給えり。更に知り給わで、後の世まで咎め有るべき事也。大臣(おとど:源)の徒人(ただひと)にて世に仕え給うも哀れに忝く思し悩み、秋の司召(つかさめし)に太政大臣に成り給うべき事、定め給う。序に即位の事、洩らし聞え給う。大臣更に有るまじき由申し返し給う。桃園の式部卿の宮(斎院の父也)も失せ給いぬる由奏するに、弥よ騒がし。世の後見(うしろみ)には、葵の上の兄、大納言になり右大将掛け(兼任)給えるを、今一刻み上がり給いて何事も譲りて、その後兎も角もとぞ思しける。秋の頃、二条院に斎宮

 

 

25

かで給へりおとゝ(源)木丁へたてゝ御物かたり聞え給ふ春の花の

林秋の野のさかり昔よりとり/\にあらそひ侍もろこし

には春の花のにしきにしく物なしといへりやまとは秋の

あはれをとりたてゝ思へる (源)

 君もさはあはれをかはせ人しれす我身にしむる秋の夕風

源大井へわたり給へはあかしの上

 いさりせしかけわすられぬかゝり火は身のうき舟やしたひきにけん

 (源)浅からぬ下の思ひをしらねはや猶かゝり火のかけはさはげる

 

罷で給えり。大臣(おとど:源)几帳隔てて御物語聞こえ給う。春の花の

林、秋の野の盛り、昔よりとりどりに争い侍る。唐土(もろこし)には春の花の錦に如く物無しと言えり。大和は秋の憐れを取り立てて思える。

 (源)君も左は憐れを交わせ人知れず我身に染むる秋の夕風

源、大井へ渡り給えば、

 (明石の上)漁りせし影忘られぬ篝火は身の浮舟や慕い来にけん

 (源)浅からぬ下の思いを知らねばや猶篝火の影は騒げる

 

 

  あさかほ  源 卅一才

あさかほの斎院は父の御ぶくにておりい給ふ源大臣

はおほしそめたるくせにてをとつれしけかれと斎院

はとけて御返事もし給はす長月にもゝそのゝ宮

にさいいんわたり給ふを源聞給ひて女五の宮の御見

まひに事よせておはしたり(もゝそのゝ式部卿は 女五宮の兄也)しんでんの

 

   朝顔  源 三十一才

朝顔の斎院は、父の御服(おんぶく:喪中)にて居りい給う。源大臣は思し初めたるくせにて訪れ繁かれど、斎院は疾けて御返事もし給わず。長月に桃園の宮に斎院渡り給うを、源聞き給いて、女五の宮の御見舞いに事寄せておわしたり(桃園の式部卿は女五宮の兄也)。神殿の

 

 

26

にしひかしにすみ給ふ斎院のおまへをみやり給へはせん

ざいのけしきのとやかなるもゆかしくておとゝわたり給ふ

まめかしせんじたいめんして申つたゆる

 (源)人しれす神のゆるしをまちしまにこゝらつれなき世をすくす哉

 (斎院)なへて世の哀はかりをとふからにちかひし事と神やいさめん

二条院へかへり給ひてあさかほの色もにほひもかな

れるをおり給ひてさいいんへつかはさる

 見し折の露わすられぬあさかほの花のさかりは過やしぬらん

 (斎院)秋はてゝ霧のまかきにむすほゝれ有かなきかにうつるあさかほ

冬の頃女五の宮へおとゝわたり給へはにしなる門あ

けさせ給ふにちやうのさひつきてあかさるをおきな

のさむけなるすかたにてこほ/\とひきわふるを

あはれときこしめして

 (源)いつのまによもきかもとゝむすほゝれ雪ふる里とあれしかきねそ

 

御物語し給ふに女五の宮は御みゝもきこえすねふ

たけにあくひしいひきのをとすれはおとゝ出給はn

とするにふるめかしき人出てなのるげんあいしあまに

なりて此宮の御てしにてあり今もあためきたる

こはつきにて(もみちのがの巻に源あひ給ひたる年より也)

 年ふれと此契りこそわすられね親のおやとかいひし一こと

 (源)身をかへて後も待見よ此世にて親をわするゝためし有やと

さいいんへ参り給へはこよひも人つてにてたいめん

もあらされは (源)

 つれなさを昔にとりぬ心にて人のつらきにそへてつらけれ

 あらためて何かは見えん人のうへにかゝりときゝし心はかりを

雪のふりつもりたる夕くれ西のたい(紫の上)にわたり給ふ月は

くまなきにわらはへともに雪まろはしせさせたまふ

しとけなきとのいすかた扇なともおとして打とけかほ

おかしけ也夜ふくるまに月いよ/\おもしろし (紫の上)

 

西、東に住み給う。斎院の御前を見やり給えば、千歳の景色長閑やかなるも床しくて、大臣渡り給う。鈍色(にびいろ)の御簾を掛け渡し、黒き几帳の透き影艶めかし。宣旨対面して申伝ゆる。

 (源)人知れず神の許しを待ちし間に幾許(ここら)つれなき世を過ぐす哉

 (斎院)なべて世の哀ればかりを問うからに誓いし事と神や諌めん

二条院へ帰り給いて、朝顔の色も匂いも変われるを折り給いて、斎院へ遣わさる。

 見し折の露忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらん

 (斎院)秋果てて霧の籬に結ぼおれ有るか無きかに映る朝顔

冬の頃、女五の宮へ大臣渡り給えば、西なる門開けさせ給うに、錠の錆付きて開かざるを翁の寒げなる姿にて、こほこほと引き侘ぶるを哀れと聞こし召して、

 (源)いつの間に蓬が元と結ぼおれ雪降る里と荒れし垣根ぞ

御物語し給うに、女五の宮は御耳も聞えず、眠たげに欠伸し、鼾の音すれば、大臣出給わんとするに、古めかしき人出て名乗る。源典侍、尼に成りてこの宮の御弟子にて在り。今も婀娜めきたる声(こわ)つきにて(紅葉賀の巻に源逢い給いたる年寄なり)

 年旧れどこの契りこそ忘られね親の親とか言いし一言

 (源)身を替えて後も待ち見よこの世にて親を忘るる例(ためし)有るやと

斎院へ参り給えば今宵も人伝にて対面も非ざれば、

 (源)つれなさを昔に懲りぬ心にて人の辛きに添えて辛けれ

  改めて何かは見えん人の上に掛かりと聞きし心ばかりを

雪の降り積りたる夕暮れ、西の対(紫の上)に渡り給う。月は隈なきに、童どもに雪転(まろ)ばしせさせ給う。しどけなき宿直(とのい)姿、扇なども落として打ち解け顔おかしげ也。夜更くる儘に月弥面白し。 (紫の上)

 

 

27

 (紫の上)氷とち岩まの水はゆきかへりそらすむ月の影そなかるゝ

むらさきのうへのかたちこひしき人(藤つほ也)のおもかけによく

似給ひていさゝかわけたる御心もなしをしの鳴けれは (源)

 かきつめて昔恋しき雪もよにあはれをそふるをしのうきねか

入給ひてうす雪の御事おほしめしておほとのこもるに

夢におそはれ給へはむらさきの上こはいかにとおとろかし

給ふになみたなかれてけり (源)

 とけてねぬね覚さひしき秋のよにむすほゝれつる夢のさひしさ

とくおき給ひて所/\に御すきやうし給ふ

 なき人をしたふ心にまかせてもかけみぬ水のせにやまどはん

 

 (紫の上)氷閉じ岩間の水は行き帰り空澄む月の影ぞ流るる

紫の上の容(かたち)、恋しき人(藤壺なり)の面影によく似給いて、聊か分けたる御心も無し。鴛(おし)の鳴きければ、

 (源)搔き詰めて昔恋しき雪も夜に哀れを添うる鴛の浮寝(憂き音)か

入り給いて薄雲の御事思し召して、大殿籠るに、夢に襲われ給えば、紫の上、こは如何に、と驚かし給うに、涙流れてけり。

 (源)解けて寝ぬ寝覚め寂しき秋の夜に結ぼほれつる夢の寂しさ

疾く起き給いて、所々に御誦経し給う。

 亡き人を慕う心に任せても影見ぬ水の瀬にや惑わん

 

 

   をとめ  源 卅二三四まて

かものまつりの頃せんさいいんへ源より

 かけきやは川瀬の波も立かへり君かみそきのふちのやつれを

 (返し)藤衣きしはきのふと思ふまにけふはみそきのせにかはる世を

 

   少女(おとめ)  源 三十二、三、 四まで

賀茂の祭の頃、前斎院へ、源より。

 かけき(思いがけない)やは川瀬の波も立ち帰り君が禊の「藤のやつれ(粗末な喪服)」を

 (返し)藤衣(喪服)着しは昨日のと思う間に今日は禊の瀬(時)変わる世を

 

 

28

あふひの上の若君(夕霧也)御けんふく三条の殿にてし給ふ

四位になしてんと人みな思へるをあさきにてかへり給ふ

を大みや(うは君)はあさましとおほしたり(六條也)たかき家の子と

うまれてはつかさくらい心にかなひ夜におこりぬれは

かくもんなとに身をくるしめん事はとをくたはふれあ

そひをのみこのめり世にある時は人みなついせうししたふ也

時うつりおとろふるすえには人にあなつらるゝにかゝり所

なくなり行也此若君をは大がくのみちにならは

さんとてはかせをめしよせ給ふ四五月(つき)のうちに史記

なといふ文よみ給へり

大将は内大臣になり給ふ御子たちあまたおはし

ます御むすめはこうきでんの女御と今一ところあり

此姫君はくはしや(夕霧也)の君とひとつ所にて大みやのそた

て給ふおさな心に思ふ事なきにもあらす十にあまり

給へはけとをくもてなされかきかはしたる文とものおち

 

つるを人々見かくしつゝ過行に内のおとゝ(父)きゝつけ給ひて

したしき中のえんはした/\のものだによからぬ事なる

に大みやの見ゆるし給ふ事とはらたち給ふくはざの

君これをきゝてさては今より後は文のかよひもなり

かたかるへしと打なけきね給ひぬれと心そらにて

中のしやうじをひけとをともせすひめ君もめさまし

て雲井の雁もわかことくやとひとりことし給ふ (夕霧の言葉)小侍従や

さふらふこゝをあけ給へとあれとをともせす (夕霧)

 さよなかに友よひわたる雁かねもうたて吹そふあきのうは風

「内のおとゝの御むすめこうきてんは梅つほにをされ給ひ

くるしとのみおぼさる(梅つほはみやす所の むすめ斎宮の事也)夕霧のめのと姫君に

ちかつきて父おとゝのことやうにおほしめすとも思ひなひ

かせ給ふとさゝめく又姫君のめのとは夕霧の心かよはし

給ふをつらく思ひて物のはしめの六位すくせとつふ

やくをおとこ君きゝ給ひて

 

葵の上の若君(夕霧也)御元服、三条の殿にてし給う。四位に為してんと皆思えるを、浅葱にて帰り給うを、大宮(乳母君)は浅ましと思したり(六條也)。高き家の子と生れては、司、位、心に叶い、世に興りぬれば、学問等に身を苦しめん事は遠く、戯れ遊びをのみ、この世に有る時は、人皆追従し慕う也。時移り衰ふる末には、人に侮(あなつ)らるるに、掛かり所無く成り行く也。この若君をば大学の道に習わさんとて博士を召し寄せ給う。四、五月(つき)の内に史記など言う文読み給えり。

大将は内大臣に成り給う。御子達数多おわします。御娘は弘徽殿の女御と今一所(ところ)在り。この姫君は花車(夕霧)の君と一つ所にて、大宮の育て給う。幼心に思う事無きにも非ず。十に余り給えば気遠(けどお)く饗され、書き交わしたる文どもの落ちつるを、人々見隠しつつ過ぎ行くに、内の大臣(おとど:父)聞き付け給いて、親しき仲の縁は下々(したじた)の物だに、よからぬ事なるに、大宮の見許し給う事と、腹立ち給う。冠者(くわざ)の君これを聞きて、里は今より後は文の通いも成り難かるべし、と打ち嘆き寝給いぬれど、心空(そら)にて中の障子を引けど音もせず。姫君も目覚まして、雲居の雁も我が如くやと独り言し給う。小侍従や(夕霧の詞)侍(さぶら)う、ここを開け給えと有れど音もせず、

 (夕霧)小夜中に友呼び渡る雁金も転(うたて:ひどく)吹き添う沖の上風

「内の大臣の御娘、弘徽殿は梅壺に押され給いて、苦しみのみ思さる(梅壺は御息所の娘、斎宮の子也)。夕霧の乳母(めのと)姫君に近付きて、父大臣の異様(ことよう:普段と違う)に思し召すとも、思い靡かせ給うを辛く思いて、物の始めの六位を宿世(すくせ)よと呟くを、男君(夕霧)聞き給いて、

 

 

29

 くれないの涙にふかき袖の色あさみとりとやいひしほるへき

 色々に身のうきほとのしらるゝはいかにそめける中のころもそ

 (夕霧)霜こほりうたてむすへる明くれの空かきくらしふるなみたかな

「大とのよりことし五せちにてまつり給ふまひ姫は

これみつか娘よしきよかむすめ也これみつかむす

めのさまは雲井の雁のほとゝ見えてやうたいまさり

て見えけれは夕霧たちよりきぬのすそを引うごかして

 あめにますとよわか姫も宮人も我こゝろざすしめをわするな

大殿はむかしのをとめおほし出て文をつかはさる

 をとめ子も神さひぬらし天津袖ふるきよの友よわひへぬれは

 (つくしの 五せち 返し)かけていへはけふの事とぞおもほゆる日影の霜の袖にとけしも

今一人のまひ姫はよしきよかむすめこれみつかむす

めはないしのすけになし給ふ此ないしかせうとの

わらはして夕霧文をつかはさる

 日影にもしるかりけめやをとめ子か天のはそてにかけし心は

 

 紅の涙に深き袖の色浅緑とや言い萎るべき

 色々に身の憂き程の知らるるは如何に染めける中の衣ぞ

 (夕霧)霜氷うたて結べる明け暮れの空掻き暮らし降る涙かな

「大殿より、今年五節奉り給う。舞姫は、惟光が娘、良清が娘なり。惟光が娘の様は、雲居の雁の程と見えて、様態優りて見えければ、夕霧立ち寄り、衣の裾を引き動かし、

 天(あめ)に坐(ま)す豊若姫の宮人も我志す注連(しめ)を忘るな

大殿は昔の少女(おとめ)思し出て文を遣わさる。

 少女子も神寂びぬらし天津袖古き代の友齢経ぬれば

(筑紫の五節返し)掛けて言えば今日の事とぞ思ほゆる日影の霜の袖に溶けしも

今一人の舞姫は良清が娘。惟光が娘は典侍(ないしのすけ)に成し給う。この典侍(ないし)、兄人(せうと:しょうと)の童(わらわ)して、夕霧文を遣わさる。

 日影にも知るかりけめや少女子が天の羽(は)袖に掛けし心は

 

 

30

兄弟これを見けるをこれみつ見つけて母にもみせ

て此君かくおほしめさは参らせんといふ

「二月廿日あまりしゆしやくいんに行幸ありおほき

おとゝ(源)も参り給ふ天子もおとゝもおなしあかいろ

をき給へはひとつものとかゝやきて見え給ふかしこ

きがくしやう七人めして題を給はり文つくらせら

る夕霧もつくり給へり

 (源)鶯のさへつるこえはむかしにてむつれし花のかけそかはれる

 (院)九重をかすみへたつるすみかにも春とつけくるうくひすのこえ

 (兵部卿の宮)いにしへを吹つたへたる笛竹にさへつる鳥のねさへかはらめ

 (冷御)鶯の昔をこひてさへつるはこつたふ花のいろやあせたる

夕霧はその日文うつくしうつくり給ひて秋のつかさ

めしに侍従に成給ふ「大とのゝすまい六でうのみや

す所のふるき宮のほとりを四町をしめてつくらせ八

月にわたり給ふひつじさるのまちは秋このむ中宮

 

古みやなれはやかておはしますへし(梅つほの事也)

たつみはおとゝのおはしますまち也 うしとらは

むらさきの上 いぬいはあかしの御かたなり

むらさきの上の庭には山たかく池ひろく五えう

こうばいさくらやまふきいはつゝじ秋の草ほのか

にうへたり 中宮の庭にはもとの山に紅葉いろ/\

いつみの水とをく岩をたて瀧おとし秋の野はるか

につくれりその頃にあひてさきみたれたり 北のひか

しは夏の御かた(花ちる里也)すゞしげにいつみをなかし

くれ竹卯の花こたかき木ともをうへてたちはな

なてしこさうびくたになとやうの草/\うへたり東

おもてにむまばのおとゝをつくりにしは御蔵也へたて

のかきにから竹松しげく雪をもてあそはんたより

あり菊のまがきはゝそのはら名もしらぬみ山木を

うへたりまつ花ちる里そひてうつらせ給ふさてむら

 

兄弟これを見けるを惟光見付けて母にも見せて、この君の斯く思しめさば参らせんと言う。

「二月二十日余り、朱雀院に行幸有り。太政大臣(おおきおとど)も参り給う。天子も大臣も同じ赤色を着給えば、一つ物と輝きて見え給う。賢き学生(がくしゃう)七人召して、題を給わり文作らせらる。夕霧も作り給えり。

 (源)鶯の囀る声は昔にて睦れし花の影ぞ変われる

 (院)九重を霞隔つる住家にも春と告げ来る鶯の声

 (兵部卿宮)古を吹き伝えたる笛竹に囀る鳥の音さえ変わらめ

 (冷御)鶯の昔を乞いて囀るは木伝(こづた)う花の色や褪せたる

夕霧はその日、文美しう作り給いて、秋の司召しに侍従に成り給う。「大殿の住居、六条御息所の古き宮の邊(ほとり)を四町を占めて造らせ、八月に渡り給う。坤(未申)の町は、秋好中宮の古宮なれば、頓ておわしますべし(梅壺の事也)。巽(辰巳)は大臣のおわします町也。艮(丑寅)は紫の上、乾(戌亥)は明石の御方なり。

紫の上の御庭には、山高く、池広く、五葉、紅梅、桜、山吹、岩躑躅、秋の草仄かに植えたり。中宮の庭には、元の山に紅葉色々、泉の水遠く岩を立て瀧落とし、秋の野遥かに造れたり。その頃に合いて咲き乱れたり。北の東は夏の御方(花散里也)涼しげに泉を流し、呉竹、卯の花、小高き木どもを植えて、橘、撫子、薔薇(さうび)、苦胆(くたに)等様の草々植えたり。東面に馬場の殿(おとど)を造り、西は御蔵なり。隔ての垣に唐竹、松繁く、雪を翫ばん便り有り。菊の籬(まがき)、柞原(ははそはら)、名も知らぬ深山木を植えたり。先ず花散里添いて、移らせ給う。さて、紫

 

 

31

さきの上車(十五)侍従の君そひてわたり給ふ五六日過

中宮わたり給ふ中宮の御前の紅葉おもしろし

箱のふたに花紅葉こきませてむらさきの上の御かたへ

 こゝろから春まつそのはわがやどの

 もみちを風のつてにても見よ

御返しは此ふたにこけをしきていはほのこゝろ

ばえして五えうのえたに

 風にちるもみちはかろし春の色を

 いはねの松にかけてこそ見め

あかしの上は神無月にわたり給ふ

 

紫の上、車(十五:15台)、侍従の君添いて渡り給う。五、六日過ぎて中宮渡り給う。中宮の御前の紅葉面白し。箱の蓋に花紅葉こき混ぜて、紫の上の御方へ、

 心から春待つ園は我が宿の紅葉を風の伝にても見よ

御返しは、この蓋に苔を敷きて巌の心映えして、五葉の枝に、

 風に散る紅葉は軽し春の色を巌根の松に掛けてこそ見め

明石の上は神無月に渡り給う。