仮想空間

趣味の変体仮名

碁太平記白石噺 第二

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース ニ10-01458

 

 

8(右頁5行目)

   第二

丑満の 空物凄き夜嵐に 篠をつく成雨の脚 雲に枝折の雷(いなびかり)ひらめき渡り更渡る 葎(むぐら)の

宿の屋根の上ずつくと立し立姿 丈のかもじも烏羽玉の闇に迷ふや立行の 浄衣の袖に

 

鈴(れい)の音も 澄渡りたる声震し 百日満る我大願 感応あやまり給ふばと 一念凝たる女心 思ひ

の念数摺立/\祈の声も風に迄 音凄まじき折からに 雲間を分て其形相 一同に

夫と白糸縅 弓手に立し籏の紋 色にぞ井手の山吹流し さも欣然たる声正しく 善哉汝

赤心を抽んで天に誓て願ふ所 満する今宵感応有て 汝が胎中の一子に我魂を合体なし

南朝を助け奉ると 詞の下にハツトひれ伏 コハ有難き御仰 斯天勅を示し給ふ 君はいか成御方やと 問へ

と答も口なしの山吹の籏手に取添 ホヲゝいしくも尋とふ物かな 我こどは建武の礼に

湊川の泡と消し 楠廷尉橘の正成が霊魂 汝が兄佐々目の兼房 吉野賀名生(あのふ)

 

 

9

の皇居において清忠に怪しめられ 罪なふして刑に逢し 彼が修羅の怒も安め 我鬱

憤も晴さん為 今又汝が胎中の一子の髀肉に分け入て 南朝を助け奉り 功ならず共一度は足利と一戦なし

再来の忠を尽すべし 一子出生の後人とならば 宇治兵部の助と名乗べきぞ 必疑ふ事なかれ 籏

一(ひと)流与ふと見ゆれば 遠寺の鐘に跡方も破(さむ)るや夢の〽幾世経し 荒にし雛の宮造り 神

寂(たひ)渡る御燈の影 世を雲水の定なく 法の旅とは裏表八重の汐路や峨々たる山 岩をも

砕く武者草鞋打違へたる一舎り 横風も身に添て 拝殿の広縁にふつと眼覚しあたりを詠め

ムゝ夢で有たか 思へば希代の夢 我前生を眼のあたり夫と知たる夢中の示現 伯父兼房は楠の

 

家臣 夫ともしらず此年月 筋なき土民の子なりと思ひ 井手の里の素町人と 埋(うづも)れ果ん悲しさの儘

武術を励む切磋琢磨胸に孫呉が骨髄をかり 三年(とせ)に剩る武者修行も今 陸奥の果に

至り 今宵はからず此宮居に 一夜を宿る夢の告(つげ) 我先生を目前の奇瑞 今南北二朝戦国の

中 何れを夫と心も定めず 漂ふ船のよるべを待 まちおほせたる今日只今 ハア忝や嬉しやと思ひ

凝たる一心不乱 南朝無二の一人と定切りたる 丈夫の魂 夏の夜ながら夜は深き 又寝の夢と笠

引寄 見やる向ふへうそ/\と闇は あやなし夫ぞ共 花橘の木の下へ 窺ひ寄たる旅出立怪しと見

やり引添て ためらひ居る共しらぬ火の御燈も消て真の闇 傍り見廻し手頃の枝 折よと

 

 

10

斗地を掘穿(ほりうがち) 口にくはへし生首を そつと埋(うづ)めて心の印建て腰ゟ矢立を出 筆の立度もほし明り

奥州白坂の町はづれ 明神の森一国一ヶ所の首塚と しるしにとめてすぎ行後 おま

ちやれ旅人 イヤサ何と云はゞマア待 一国一ヶ所の首塚と 今の詞に我を忘れ麁忽に呼留しは

ハテお互に武者修行の心は一つ水と水 お頼母しう存お近付にもとおとゞめ申た 一河(が)の

流れ他生の縁御隔心(きやくしん)なく イザ是へと云も答もくら紛れ 声をしるべに是は/\ ナニ貴公

 

にも夢者修行とな 武術御執心の程感じ入まする イヤ是は/\御挨拶サアまあ是へと

膝と膝 打くつろいで摺火打 たばこのけふり底意なく 扨先お近付には成たれど 末の六月の月

 

代(しろ)も遅く モ是ではお互に面体見しらず アゝどうがなと立上り 青葉の枝を切くべて

用意の火縄炎/\と梢音なふ風につれ もへ立衛士が篝火に 互に見合顔と顔 ヲゝコレ/\是で

こそ真(なこと)の近付 ムゝヤ貴公も未だお年若 シテ御出所はいづく何方でござりますぞ イヤ手前事は

山城の出生 ナニ山城 いかにも ハテナ そんなら我抔迚も同国同然 河内の産(さん)で罷有るてさ ムゝ何

河内の出生の御浪人とな いかにも ハテナア 境はへだつといふた迄で壁一重隣る山城 河内 アゝ

ふしぎな縁とゆふしでの神の廣前出合も神慮 あたる焚火も 冬めきて 世は道連れの値(ち)

遇(く)の縁 コレ見給へ 忝い火徳の用の 清光(せいかう)の月夜にひとしく マア有難い陽徳の妙用 御

 

 

11

浪人左様ではござるまいかい ヲゝ河内の御浪人は扨々きつい陽気を崇敬(そうけう)なさるが ワレ此陽気

の明かな徳と申も コレ此青葉といふ陰気の体をとらまへた焚物と云がなうては陽の火

徳も徒(いたづら)になる スリヤコレ陽徳斗が有難いでもござるまいか ムゝ扨は山城の御浪人には陰徳が御

信仰とおつしやるのか ハテまあそんな物かいなァ 又陽徳が御信仰とおつしやる心はどふで

ござりますぞ サレバサ今戦国の其中に南朝北朝と位をあらそひ年号迄を別々に おたやかなら

ぬ世の有様も 実はといへば 陽徳の南朝が陰徳の北朝に勝ふとなさるからおこること じやガ

コリヤ叶ぬ事じやて ヤ貴公はお若いに似合ぬ咄しに味(み)が有てこいつはよつほど面白いはい ガ若又南朝

 

方に よい軍師でも出来て 北朝に勝たらばよい気味な事では有まいかい 何として/\ 勝なぞとは思ひ

もよらぬ事じや イヤ勝まい共いはれぬて サスリヤ叶はぬことじや イヤ勝 叶はぬ事じや 勝て見せふ 叶はぬ

イヤおれが勝て見せふ アゝコレ/\コリヤ咄じや ヤ ヤサ咄じや ヤほんに咄じや あんまり咄に実か入て 思ぬ高声ハゝゝゝゝハゝゝゝゝ

南無三 今の咄に思はずしらず あんまりりきんできせるを焚火の中へ打込てのけた シカシ咄もかう身

に入て面白いて ガ又其叶はうと云咄のほつくはどふでござりますぞ 俗へも云通り中の悪い物をさして

火と水の中といふまふな物 イヤ南朝じやの吉野方じやのと いしこそふに口はいへど 見る影もない吉

野内裏と 田舎者迄が見こなして 新田楠の良将でも 持余したる北朝の勢い 足利殿の武徳

 

 

12

の高さ なんと イヤサ 足利殿の武徳の高さ ナニカ何と ヤ貴様は咄を聞くと びこ/\とするが 貴様は何と

思召ぞと 向へ廻る喧嘩のこぐち フウスリヤ御自分は足利贔屓京方へ付く御浪人 ハテいな事を御念 若し京

方へ付ば何とすりや シヤこしやくなと互のきつそう 篝の炎もへ立敵/\ 左右方顔に火花と火花 サア此

上は互の曠業(はれわざ)一立合勝負して ホゝゝゝゝ其甲乙をためし見ん サア/\ さあとにじり寄 修行手練の手利と手利

打合せたる刃さきと刃先 陽にひらけば陰に閉ぢ 進み退く虚々実々 千変万化を砕き秘術を

つくして切結ぶ 早月代も 山のはにしらむや夫と橘の 片枝を目かけ切込む切先 シヤならうはと我身を楯 押かこへは

飛しさつて ヤア心得ぬ汝が振廻(ふるまい) しのぎを削(けづり)一命にかへ 此橘の枝をかこふ貴殿の心底合点行ず察する所

 

是則(すなはち) 南朝の忠臣楠廷尉(ていい)橘の正成(しげ)の氏族(しそん)なるか 先帝の御徳全再栄ふ橘の開ける 御運と表(ひやう)

事(じ)によそふ花橘の香と共に 惜む心の香も深しと 見透す斗其一言只者ならず見へにけり 横手を打て

したり/\ 太刀筋と云推察と云 天晴此身の片枝と成べき器量ホゝヤ頼もし/\互に夫と姓名(しやうめい)を口外せんも

壁に耳 名乗我名は山城の浪人 面白し/\ 我名とても河内の浪人 シテ在名は 山城の井出 我は河内の八尾

の邊 互の胸はコレかうと 砂かきなかし指を筆 早月影も清かに 打明したる密意の神文 互いしたゝめ イザ

血判 堅め 誓の 砂起請 跡打消て 何御浪人堅めの神文替す上は神文は コレ此胸中 ホゝ我とても

誓の上 書た物には心はとゞめず 白地の砂の 胸の神文委細は後の面会を待 しからば此場は別れ/\

 

 

13

井出の里の御浪人 八尾の里の御浪人 御縁あらばと左右しめ直したる武者わらじ別れて こそは〽行空の