仮想空間

趣味の変体仮名

蘆屋道満大内鑑 (第一 東宮御所=大内~間の町~加茂館)

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html
     ニ10-00991

 


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  蘆屋道満大内鑑   (第一) 作者竹田出雲
風に叫ぶ青障の外 雨に嘯く古林の中尖れる?(はなさき)蔓(はびこる)
尾 小前大後色中和を兼 死すれば丘を首(かしら)にす是此妙
獣 百歳(はくせい)誰かしらん女とヶ化し 苔の褥に草枕契りを人に
同じうす 葉末の露や末の代に日月星度(じつげつせいと)の光りをかゝぐ 昔を
とへば天地(あめつち)の 恵みに生立(そだつ)蘭菊や 花ぞ都の 香に匂ふ
朱雀(しゆしやく)帝の皇子桜木の親王東宮に立せ給ひ 御息所(みやすどころ)は


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左大臣橘の朝臣元方の御娘 又参議小野の好古(よしふる)の御息女
六の君と申せしも 錦帳に册(かしづか)れ二人の君は両翅(もろつばさ) 比翼連理の
御かたらひ浅から ざりし中なり されば朱雀帝堅王と申せ共 天地の
気候陰陽の狂ひにや頃日(このごろ)出る月影の 白虹(はくこう)につらぬかれ甚だ光りを
失へば 東宮の御方において此事評議有べしと勅を請 左大将元方小野
の好古緒寮の司 末々の官掌迄次第を乱さず参列し 昼迄残る
月影の空を眺て取々に 愚意を述ぶるも及びなき雲を掴むがごとく也

左大将笏取直し 熟(つら/\)思ふに三千世界月一つ日一つ 天竺で見るも唐で
見るも月日の光りに二つはなし 然れば白虹月を貫く此天災 強ち日本
の祟り共一図には定めがたし 万一唐天竺の禍なれば心を悩ます程が
失墜 なんぞ是といふ形(かた)の見ゆる時 評議なさるゝ共遅かるまじ 此義
は此儘捨置れ然るべしと相述らる 小野の好古正笏し イヤ/\夫は理屈
一ぺん 聖主天下をしろし召す民を恵みの御心にははづれたり まぢかく喩へを取
ていはゞ 日月の觸のごとく 此日本の内でさへ東国で見へぬ時も有り


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西国で見へぬ折も有り 況や境を隔てたる唐天竺 日蝕共月蝕共知らず
に済ます事も有べし 此度の天変も其通り 唐天竺はいざ知らず 目下(まのあたり)明らかに見
付たる日本の禍ならずとはいひがたし 斯くいへば迚其家に有らざる此好古
是非を申すも恐れ多く 過ぎし頃身まかりつる天文の博士加茂保憲が娘
榊の前と申す者 女なれ共其家に育ち父が伝への片はしを 存ぜぬ事は有る
まじと召しつれたり 女なれば恐れも有まじ 召されて子細御尋ね 有べうもやと
御免を請て呼つたふ声をしるべに 立出る 始めて上(のぼ)る雲の上遉 女の

気も弱く 薄氷を踏むごとくにて胸はうつせの裲姿おめず場うて
ぬ顔してもそゞろ ふるふて畏る 左大将屹(きつと)見 加茂の保憲が娘榊
とは汝よな 男子なれば親が遺跡(ゆいせき)勤むる年栄い 伝へ知たる事有らば此度の
天変急度考へ 善悪を包まず真直に申上よと仰ける 是は恐れ有お詞 女
の事なれば伝へし事はなけれ共兼々父上の門弟衆に 教へ給ひしをよそ
ながら承り置きしが 一つの真ん丸な物を宙に釣て置けば 其丸い物に自然と
東西南北上下も定まる 是を月日にたとへて 西は天竺東は唐 南は


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日本北はどこと分野といふ物をわかつて 諸事考ゆるが先ず天文の手習ひ
伊弉諾伊弉冉の尊天照大神(てんせうだいじん)を生み給ひ 此子光り花明彩(うるはしく)六合(くに)の
内に照り徹る 天に送つて天上の事を授けんと 天に送りやり給ふ是今日(こんにち)の
日天子 当今(ぎん)朱雀の帝様も同じこと 又次に月読の尊を生給ひ
是も明彩(うるはし)さ日の神に劣らず 日にならべて天上の事をしらせんと 供に
天に送りまつる是が今日の月天子 日の神にならび給へば恐れながら東宮
桜木の親王様も同じこと 此度の天災 白虹日を貫けば天子のお身の

崇りなれ共 月の体(たい)を貫きしは東宮様の御つゝしみ 下(しも)として上を侵すといふ
天道のおしらせなれ共爰に一つのたすけがござんす 廿八宿の星の内 女(ぢよ)と
鬼(き)と申す二つの星月の傍を離れず 女はおんな 鬼はおにといふ字にて
女の鬼は悋気の妬み 上をおかす禍とは申せど 国を乱し民を損ふ迄はなし
女中方の慎みで此禍は しなどの風の天(あま)の八重雲を吹き払ふ様に さらり
/\と消て行くとしつたがましう申上ぐる聞でん ほう易は変易なりとやらん申せ
ば 女の及ぶ事でなし 私の父天文の名を揚げしも 唐土白道千人より 金鵜玉(きんうぎょく)


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兎(と)集といふ書を伝へ 近き君の守護と成り悪事を善事に転じかへし 兼々
其書を保名殿に譲らんとは申されしが 急病故に何の遺言もなく
館の内に勧請せし大元尊神(たいげんそんしん)の社に其書を納め 箱の鍵は自ら扉
の鑰は母に預け果てられし 哀れ道満(みちたる)保名両弟子の中 いづれに成り共書を譲ら
ばかゝる大事の御時の 御用は缺(かゝ)じと憚りなくいふ事いふてしまひしは遉に親の娘なり
六の君御褥を転(まろ)び出給ひ 榊とやらんの詞のはし 此禍は女の妬みと聞も恐ろし
身がちゞむ 和歌三神を誓ひにかけ 自が心に妬み嫉みはなけれ共 御息所の在(ましま)せ

ば 若しさもしい気も有かと 人のさげしみ恥かしら お情は忘れがたけれ共お暇
を給はりて 尼法師共なしてたべ 父上なふと好古の袖に縋りて 泣給へば 御息
所も御涙 なふ其言訳は君よりも自が心が猶恥しい 足下(そこ)にお暇給はらば
自も身をすばり 同じ庵の伴ひぞやと同じく褥を出給へば 東宮暫しととゝめ給ひ
日来(ひごろ)中よき程有りて互に貞女の道を守る しほらしや頼もしや 何事も丸が心に有り無状(あぢきなき)
わさばしし給ふなと 奥にすゝめ労はらせ 女ながら榊が訴へ謂れ有り 其道満保名とは誰
やらんととはせ給へば 左大将さん候 道満(みちたる)と申すは芦屋の兵衛と申す某が召つかひ 保憲が門弟


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の弟一番 保名と申は好古の家来 天門の稽古終に聞ず 子細古好に御尋ねと
申上れば取あへず 安倍の保名と申は某が家来希名となのりし者 年来(としごろ)天文に心を
委ね保憲が門人と成 師匠の保の一字を赦され保名と改め候と 二人の訴へ詳らかに聞こし
召し 保名道満 其業に甲乙なければこそ保憲が存生(じやう)に いづれも書を譲らず身
まかりけん 此上は左大将の執権岩倉治部 好古の執権左近太郎二人立合 大元尊
神の神慮に任せ いづれ成り共神の心に叶はん方へ 金鵜玉兎の書をあたへよとの給へば
御供に候せし岩倉治部左近太郎 階下にひれ伏畏まる 治部の太輔(たいふ)左近太郎とは

汝よな 四海の悦びは丸が悦び 丸が嘆きは四海の嘆き 是小縁(おぼろげ)の業(わざ)ならず 必ず互
の贔屓を拒み 神慮に違(たが)ふ事なれと入御(じゆぎよ)ならせ給ひける 仰げば高き久かたの空に
限りはなけれ共 夫副(それさへ)爰に量りしる君が 御代こそ「打栄へて 世は春ならし
青柳の いと媚(なま)めける乗物は 加茂の保憲の息女榊の前 禁裡をさがり
帰るさや つき/\゛女中の取り形(なり)も 公家と武家との間(あい)の町(てう) 急ぐ跡よりホヲイヲイ 暫し
と呼ぶに何用か誰人かはと傍らに乗物を立てさすれば 安倍の保名が草履取 与勘平息を
切て走り付き 一二町跡からちらりと目印 幸いと顋(ほう)げたのさける程声かけたも 御所の首尾しらぬ故


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無礼は御免 此状箱女中方お頼み申すとさし出す 文と聞より飛立ど人目の有ればしと/\と
ホヲゝいつもながら与勘平大義と斗とく紐も しんくしんきの思ひ川ぬれあふ中の玉づさ
は 邂逅(たまさか)ならで逢ふ事は まれな所が恋の味 文くりかへし読み終り誰(たそ)墨すれ ハイアイと乗
物より硯取出しさし寄すれば 思ひをこむる返しとお認めの 間がな透きがな笑ひ盛りが取巻
て ほんに/\けふはマアよい所へ与勘平殿 夫はそふといつぞはとはふ聞かふと思ふた よい折から世間にかはつ
た名はいくらも 有が中でこなたの名は与かん平とは誰(たが)付けた 旦那様の物好きか但はこなたの望でか
訳の有りそな名じやなふと點頭(うなづき)合て問ひかくれば与勘平居直つて 成程/\ 拙者が名には

因縁由来故事来歴 かる/\゛しうは申されぬ事なれど 問人(とひて)が問人じやお咄し申さふ
元来拙者が名は勘平 旦那のお傍近く参る者幾人(いくたり)も有る中に 天道三宝の冥加に
も叶つたか 此通り無骨の身共とかく保名様のお気に入 身におつしやる事はお詞付き
が格別 どふしてくれいよ勘平 斯(かう)してくれいよ勘平 足さすれよ勘平
などゝ よ勘平/\と仰が終にいつとなく 与勘平/\と人も呼ぶ 我も又わる勘平と云よりまし 忝くも
尊くも 拙者が与の字は主君よりの拝領勘平に与の字の取付た始り あら/\斯くのごとく
ぞと 語ればみな/\打笑ひ 何咄さしても 口がる気さくお主の気に入る与勘平殿 奉公


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する身のあやかり者 アレお乗物から召まする ナイない/\とさし寄れば 榊の前面慚(おもはゆ)げに
コレ保名様への御かへし委しき事は此文箱 随分早ふ御出を 頼む/\とこなたも帰り取り
急ぐ折からどつと一しきり 土砂ぐるめ吹く風に 保名の文も巻き込で 空に漂ひひら/\/\
比良や横川の方より吹く天狗風とはしられたり 榊の前も気の毒がり なふ与勘平 アレ/\
文は西へ/\と行く程に 帰りかけに落つく所 見届けて取てたも 人手に渡れば互の大事そなた
に頼んだ預けた とやかくと隙が入り アゝ心せかれや乗物急げと仰より 六尺七尺一またげ飛ぶ
がごとくに行き過る 跡につゝぽり与勘平状箱持て呆れ顔 エゝめつほうな当途もない

闇の夜に鴉追ふやうな預けもの ヤアしたが風もしづまる そろ/\状殿がさからるゝ エゝま
ちつとじやと 子供が蜻蛉(やんま)つる同然 飛上り/\ ひよいと返りや高上り法度 ひよう/\
ひよんな役目じやと文をし たふて「尋行 水上清き 片渕や加茂の氏人(うぢんと)保
憲の館 保憲死去の其後は 姫の養育髪切りて後室様と内外(うちそと)の 人の敬ひ持て
はやしにほこる悪事ぞうたてけれ 中の間に立出嬪共/\と呼わめき エゝどいつを見て
も居眠りたそふな顔付き 榊は部屋にか上様へ上かつたを 大きな顔で昼寝して居ぬ
か 皆手んてに棒でも持てさすり起こせ撫でおこせと真綿に針を包む折から 当家


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の執権人の皮きた乾(いぬい)平馬 お傍近く手をつかへ 御舎兄(しやきゃう)治部の太輔(たいふ)様 密々の御用
迚御出なされ候と いふ程もなく岩倉治部の太輔国行(くにつら)のつさのさばり上座につき
後室今朝の御所の首尾 姫が咄聞召さつたで有ふの 夫レに付き密々云たき事有て 左
近太郎と云合せの刻限を待たず此通り 先是をお見やれと懐中の一通取出し 平馬も見よ
と投やれば後室取上押ひらき ハア是は正しう保名が筆姫が方へ来た文是がどふしてお手
には入た されば/\某も何となく 不図(ふと)眺(なが)る庭の松が枝に何やらびら付く 又町の子供めらが
紙鳶(いかのほり)落せしかと気を付くれば此文 今日桜木の親王様いかゞ仰出され候や 心元なく後程

密かに参り 承り度存しまいらせそうろうと 文に子細はなけれ共元来御鬮(みくじ)といふ物が ふり物のあぶな物
万一保名に鬮が上がつては 此方は童の手を切たるも同然 どふぞ左近太郎と立合ぬ
内此方へ せしめる思案は有まいか妹 平馬も智恵を出せ/\と気をいら立のせはしなし 後室
さはぐ色もなく 兼々お知なされた通り 此金鵜玉兎集の事は 夫保憲殿存生の内日を撰み
安倍の保名に譲り娘に娶合せ名跡を続(つが)せんと 吉日を待つ内に煩ひ付きお果なされた まそつ
との所を運のよはい 不仕合せな安倍の保名 こなたやわしは芦屋の兵衛に譲り請させたいと思ふた様
に 大事の所を遁れた上々の強い運 冨ても御鬮でも当たるに気づかひはなけれ共 廻らふよりは


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近道と平馬と内証示し合せ 明けにくい宝殿の扉や箱 明たが思案落ついて下されと
簠簋(ほき)内伝の玉兎集治部に渡せば恟りし 是はどふして取出した 尤扉の鍵は其方が預り
なれ共 箱の鍵は娘が預り兼て聞く 大事にかけ肌身を放さぬサア其放さぬを智略にて 盗人の
隙は有れど守り袋も寝る内は枕元へ忍び 鍵の寸法うつし取り拵へし此合鍵 ハゝアしたり/\ 遉治部が
妹程有る 出来た/\有がたし忝しと押戴き 此書を道満にやればあれも出世此方も出世 出世
だらけよい事だらけ此状こそ幸ひ 保名めを盗人にする仕様も有ふうまい/\と悦べば 其うまいを肴
に御酒一つ参らぬか それは耳寄り兎も角もと 馬の合ふたる平馬があない 人喰ひ馬に間(あい)の戸を引立て

てこそ入にけれ 榊は我つかふ嬪をいざなひサアよい隙と部屋を出 もふ刻限は何時ぞ いはず共
気を付けて小鳥共こゝへなぜ出さぬ イヤ申お姫様 けふはお前のお心は小鳥所じやござんすまい
がな けさの御所様のお詞 千に一つ御鬮が道満殿へあがつたら どふぜふと思召ます サア夫故
早ふお出なされと文やつたれば もふ見へるに間は有まい お出をしらせのお鷹の為
なをせといふ小鳥籠 小言いはずと早ふ並べい あいと手ゞ(てんで)に持はこぶ飼ふて心の慰み
と 人に見するは鷽(うそ)鳥よ 二人が中のかたらひは 末長かれと尾長鳥 朝夕爰に置きまし
て見つ見せたさのかほよ鳥それ其鶲(ひたき)は伯父様の 秘蔵せよ迚給はえいし 若し保名様


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気がそれたら 胸のひたきと気が付て見るもいや/\捨はならず 遠のけてそちらに
置けと得手勝手笑ふ口々囀る鳥 声高塀の外面には忍びくる安倍の保名参議
好古にみやづかへよせい有る身に有らね共 先祖は遣唐使に撰ばれ唐土にて日本の名を揚(あげ)し
昔思ふも身の恥と編笠深く顔隠し忍びて爰に立寄れば 御供の与勘平鈴付けし小
鷹を手にすへ走り付き お旦那あれ/\小鳥共が囀る 榊様お出を待兼と聞へた 此方
もお鷹を使にしらせんと 拳を放せば飛上りもどり羽(ば)もぢり羽毛をふるひ 鳥の音(ね)に眼(まなこ)
を付け籠をむんづとつかんだり ヤレお出なされたしらせの鳥嬉しや/\嬪共鷹を与勘平に

渡し小鳥共かたつきやと 庭にかけおり裏門口明けて招けばうなづいて 入るとしめあふ手の
内に色と思ひを含ませり 与勘平鷹をすへコレ嬪中 拙者は人目有り帰れと旦那の
仰罷り帰る コリヤ鷹よけふも又すくちむなはらてかへるな 世間のたとへとはちかふていつ来
ても/\ 鷹骨折て旦那のえじき こらへじやうのよい鷹めでは有るはいと小踊りしてぞ帰りける
榊さゝやき御所の首尾は最前文で申す通り みくじといふ物は天道次第運次第 心に任せ
ぬ神の掟 云出せば愚痴なと叱らしやんすれど とゝ様まあ一年いきてござれば夫婦にも成り
書物もお譲りなさるゝ所を御往生 運の弱いお前なれば けふの御鬮も私が心には上がる迄も


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気づかひで 胸のおどりをコレ見さしやんせ 頼むは大元尊神(たいげんそんじん)吒枳尼(だきに)天 早ふ呼寄せまして
祈り祈念もさせませたく 左近太郎様はまだ見へぬに 伯父御は先般(とふから)来て奥に酒盛 一ばい
と心がせき早ふお顔が見たかつた サア一心に祈誓(きせい)をかけおまへに御鬮の上がるやうに 供に
祈念は怠らぬと力を付くるぞわりなけれ ヲゝなじみなればこそ忝い 我も文を見るより御鬮
の善悪 すぐに生死と定めしがいやるを聞けばそふでもない 信有れば徳有り神は正直の
かうべにやどる 力をそへてたべ随分神慮をあふぐべし とはいふものゝえぼし千早もかけ
ずして 此平服恐れ有り何とせふ 幸い/\父上の素襖えぼし わしが部屋に有る取てこい

あいと急げば急ぐたけ行より早く持てくる ヲゝ誠に/\ 目馴れし師匠の素襖烏帽子
今日着するといふは吉左右/\ 冥加あれ保憲と押いたゞき/\ 着せんとする所へあた
ふた奥へ行く女 何ぞととへば左近太郎のお出故 しらせましにと走り行 御傍輩の中な
がら 見付けられては事やかましさえだが部屋がよい所 いざこなたへと打連れて装束「取持ち
入にける 好古の執権左近太郎照綱案内させて座敷に通れば 治部太輔後室榊乾平
馬うや/\敷 八庫(やくら)の机に御鬮を乗せ両人の中にすへ置きて遥かにしさつて畏る 是は/\
照綱殿御同道と存じたれ共老足のはか行かず 却て御面倒とそろ/\お先へ参つた親王


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仰とは申しながら遠所の所御苦労千万 是は保憲が後家存じの通り拙者が妹 次
は榊お見知りなされて下されふ いかさま御母子共に名は承り及んだれ共お目にかゝるは始め
て 申さば今日は保憲殿遺跡(ゆいせき)の定まり嘸お悦びなされふ ヤ何治部殿 みくじの次第を日の
内に親王へ申上る為なれば 御支度能ばいざ御鬮をお取なされまいか イヤ先お待なさ
れ 仰のごとく今日は名跡の相続 未来の保憲も嘸大悦(えつ) 迚もの事に彼の金鵜玉兎
集を取出し 神前に備へ置其前にて御鬮を取らば 保憲直に譲る心 先ず書を先へ
取出してはいかゞござらふ それは兎も角も御勝手次第 アレ後室 左近太郎殿も御同心 扉

をひらくはそなたの役早ふ/\と有ければ 母は清めのから手水注連縄ほどき立寄
て 海老錠ぽんと扉を開きコレ榊 扉は開いた中の箱はそなたの預り 錠明けて書を取出し
御神前にお備へ申しや あいと諾(いらへ)てしと/\と歩むとすれど気は空に 口は経やら祓ひやら
只一時に一生の 年を寄せたる浦嶋が明けて悔しき箱共しらず 恐れみ慎み取出し二人の中
に据置き 鑰にてひらく箱の内見るよりはつと驚けり 後室そしらぬ風情にて コレ何をうぢ/\
していやる 御両所のお待兼早ふ爰へ持ておじや アレまだいのおれに斗物云せだまつて居る所
じや有まい 合点が行かぬと立寄てヤアこりやどふじや 大切な家の秘書此中にござら


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ぬと聞て驚く左近太郎ほつと溜息つく斗 治部太輔声あららげ ヤア後室 ないといふて事が
済むか 両人は鍵預り外にしらふ者がない 詮議して身の垢ぬけ 左近も是にお居やれば兄
弟迚容赦はならぬ 一巻の有所いはねば骨をひしいで云はす 何と/\と仕組の詞後室榊が
膝引き寄せ コレ今のを聞きやつたか 現在おれが兄弟でも容赦のならぬお上沙汰 そなた迚も
其通り娘の遠慮成ませぬ サア誰に盗んでやりやつたぞ 是は母様のお詞共覚へぬ わしが盗ん
で誰にやろ イヤやりたがる其相人も此母が睨で置た たけ/\しふいやつても盗んだは慥/\いやとは
云さぬ 肝心しまりの鍵はしなたの役 假令(けれう)外におろした錠の相鍵はいつでも仕やすい 大胆な

相鍵してよふも目をぬいたなァ 有やうに云ぬと骨をぽき/\折ていはす サアぬかせ出しおれと腕まくり
する屹相(きつさう)に 榊はとかふ泣斗さしうつむいていらへなし ヤア後室手ぬるし/\ 引くゝつて鴨居へつり上
白状さするは治部が得物 そこのけれよとひしめく所へ 榊が部屋より平馬が高声同類を捕
へしと 保名が胸ぐら引立る是は難題狼藉たり 放せ/\も放さばこそえほし素襖も引しやな
ぐり 座敷へとうど打据れば榊はつと胸ふさがり 左近太郎も一座の手前顔色かはつて コレ保名
かはつた所で対面いたすけふをいつと心得て此所へはどふしてきた 忝くも桜木の親王 保憲が跡目
相続の御差図芦屋兵衛安倍の保名 伽藍籤(せん)の鬮に任せ秘書相伝へは時の運 弟子


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と弟子との立合は後日の心がらじと 御賢慮をめぐらされ治部殿と某二人が名代左近太郎が
鬮取り気づかひで和殿はきたか 親王の下知背くといひ主人小野の好古卿 顔迄よごす不届き者
サア言訳せねは左近が立たぬ 性根を定めて返答有れと理の当然に差付けて 言訳ならぬ身の誤り恋に
心を苦しめり 治部太輔せゝら笑ひ 保名のどろめと道満(みちたる)と同日にいふも勿体ない 遉治部が聟
程有て潔白に身を守り こんな所へ出しやばらせば盗人といはるゝ恥もかゝず 自然と極る
師匠の後継ぎ鬮取りも糸瓜も入らない ヤコレ後室誰に遠慮してお居やる どれ合めらを詮議して
巻物を渡されよと 己が盗取ながら人を虐(せたげ)る欲面(つら)兄弟 後室保名が襟首掴み引ぷせ

れば榊の前 是なふ暫しと寄る所をエゝ面倒な邪魔めらうと 髷を片手に二人を捻付けヤイ恩知ら
ずの罪人めら 師匠といひ親といひ目をぬいてくさり合ふ罰(ばち)の報ひは早い物 おれが産んだら斯
は有まい 元をいへば和泉の国信太の庄司に貰ふた娘 なさぬ中とわけ隔て継子根性親くらひ
日来かはいがる此母をよふ皮にしおつたなァ 儕は又過ぎ行かれた師匠の名乗の一字をもらひ ホゝ結構な
お弟子殿 死なれた夫を譏(そしる)じやないが 娘にあまいあほう故修羅の種をつくらする エゝにつくいやつ原
腹いせにとなごり情もあら拳 目鼻も分かずぶちふせしは地獄の呵責目下(まのあたり) 閻魔王に親
有らばお袋などゝ云ひつべし 榊は涙せきあへず恥かしき御疑ひ ちいさい時よりお世話になり誠の


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親より百倍の 御恩をあだに思はねどはからぬ今のうき難義 保名様に科はない盗まぬ
しらぬいひわけには 此身一つを兎も角もお心はらして給はれと泣詫ぶる こそせつなけれ
アゝ是御身の言訳には及ばぬ 来たるまじき此所へ参りたる保名が不運 おぼへ
なき身の打擲も師匠の連れ合手向ひならず 好古卿への面晴れ保名が家名は
汚るゝ共 五臓六腑は汚れぬ膓(はらはた)引出して申し訳 介錯頼む左近殿と指添
ずはとぬき放す 其手にすがつて榊の前刃物もぎ取りなむあみだと 喉(のんど)にがはと
突立るコハ早まつた生害やと 保名が仰天照綱も呆れ 果たるばかり也 手負は

くるしき 気を取直し早まりしとはおろかの仰 よしなき恋につながれて云わけたゝ
ぬ御切腹 そもやおくれてあられふか 母様も伯父様も御不肖ながら聞てたべ
弟子の中にも保名様 氏といひ器用といひ そちと娶合し末々はと の給ひし
事もあつた故 父のお詞にあまへておふたりの 目顔盗みし母の罰(ばち) 天罰といふ物
にや御しよを帰りの道すがら お前からたまひしふみ俄風にとられしも 今別れん
とのしらせかや玉兎集の行がたも 推量はしつれどもどふも /\いはれぬ相手
清き心は天道や神ほとけを証拠にして しんで行身がいひ訳名残おしの


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保名様 左近様頼み上げますと声も涙もせり詰し 此世の苦患(くげん)四苦八苦刃(やいば)
の氷名残の霜消へてはかなく成にけり 保名は死骸に縋り付き前後ふかく
嘆きしが 元来正直つきつめたる胸に思ひの気も散乱 むつtくと起きて ホゝ ホゝ
ホゝハゝゝゝこりや目出たいどふもいあへぬ ハゝゝゝアゝ面白いと正気失ふ高笑ひ 左近興さめ
コレ保名 照綱じやが覚へて居るか心を定め取り直せと 制すれば猶きよろ/\声
よしや世の中死だがましかいの 生きて思ひをコリヤよい/\ ハゝゝゝ ハゝゝゝけら/\笑ひに一座もうろ
/\ 治部太輔底気味悪く立つしほなければぶつてう顔(つら) エゝ一人はくたばる一人は違ふ 気違ひの

守(もり)は左近太郎詮議して帰られよと 折を引とめヤア是詮議が残り申した 相済む迄
先ず待たれよ イヤ其(そこ)元は若役老人が義は御容赦 はれやれけふは恟りの仕つゞけ それ故
か腹もがつくり 年寄と紙袋(かんぶくろ)は入れにや立てらぬ 内へいんで入れませふと盗み取たる
巻物を腹にかこつけ立帰る ハゝアいぬるは/\ おれもいの ヤ何じや 独りはいなさぬ 何
のいとしいそなたを置て独りは行かぬ サアおじやたゝしよと榊がうちかけ花ずり衣
茶のしげ縫ひ蘭菊の乱れ心やみだれがみ 肩に打かけくる/\/\ くるひ出づるを
コリヤやらぬと とむる平馬をふみ飛し縋る後室取てなげ はり退けぶち退け 恋に苦し


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む恋の仇 恋しき人は殺されても 恋々妻のこい中は何の離りよぞ シヤ ほんに
天はひくそう ひそう比翼の鳥のくち/\ 地は又ならくの庭も離れぬ連理の榊さかき
/\と逆上る 狂人くるへば不狂人 左近太郎がとゞむる袖ふり切/\くるひ行く恋路に迷ふ
ぞはかなけれ 乾平馬仕すまし顔 仏もない堂にござらずと左近殿もお帰りと
いはせも果ず飛かゝりそつくびとらへもんどり打たす 後室猛つてこりや狼藉どふ
仕やる ヤア狼藉とは儕ばら 盗人のばけ顕はれた是を見おれとさし付くる ムゝ夫レは榊が預つた
鍵 ホゝ榊が鍵は今(も)一つ爰に有る 盗人婆めが立まふ内おとしおつた此相鍵よふ榊を殺し

たなァ 主従共に猿つなぎ御所へ引く腕廻せと ねめ付られて二人はわな/\
逃支度する所へ息を切て与勘平 ヤア奴来たか/\ ない/\内証臺所で女中に
聞たにつくいばゞめ 保名様の御名代きやつは拙者に下さりませ ヲゝ兎も角もと抜
放せば平馬も遁れぬ死に物ぐるひ 二うち三打かなはじと奥をさして逃て行
婆が首筋奴が片手きやッといはずとにやんとなけ 猫また婆めが成敗は是よ
/\此注連縄 明けた扉の上にかた/\引ぽどき 首に纏へば刎廻るのら猫古猫
する/\蹄(わな) 縄先左りの手にからまき ちよいと引けば七転八倒ぐつと引ば目玉も


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ぐつと ぬいて取たる一くはんの報ひは目のまへもがき死心地よかりし有さまなり
左近太郎は平馬を追ッつめてうど打たる太刀かげに 首はとんでからだは
乾猫とならんで死してけり コリヤ奴保名に早く追ッ付て 子細を語らば正
気に成べし 急げ/\ ない/\と別るゝ跡へばら/\/\ 取まく下郎うんざいめら なぎたて切
ふせ残党共むら/\はつと追ッちらし 心しづかに刀を納め 出ゆく武士に仁義有
奴に過ぎた忠義あり 帰りし伯父に詮議有 死だる娘に不義あれど
恋にはゆるし有明の 月の都に照綱が武勇の 誉れぞ世に高き