仮想空間

趣味の変体仮名

近江源氏先陣館 第七

 

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      ニ10-01036


57(左頁)
   第七
名にし近江の景色も今戦場と名古の浦 源の頼家公坂本に居城し給ひ 家々
の籏指物比叡嵐に?(ひるがへり)霜に曜く弓鉄砲 陣所の篝火天を灼(こが)し要害 厳しく守り
居る 御城預り佐々木四郎左衛門高綱 城中隅々詰り/\寒夜を厭はぬ夜廻りに 心を配つて
立帰れば 物見の軍侍新開次郎御前に畏まり 某只今遠見致せしに 寄手は比良に陣
を取明日敵の大将は 御舎兄佐々木三郎兵衛盛綱殿未明に寄来る体と見へ 数万の軍
兵弓弦をしめし馬に 鞍置鉄砲火矢の用意最中 御油断有なと述ければ ヲゝ出かした/\


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兄盛綱の軍立心にくし 左有んと某も 兼て手当を仕置たり 猶又汝諸軍に其旨
觸知せよと追立やり 其身は軍慮に他念なく暫時の隙(ひま)も机(おしまづき) 真草行のかたからぬ 愛
に愛持間の襖 物静に押開き 妻の篝火一子小四郎の手を引立出 是は/\またお休み
もなされず 夜昼合戦の御工夫 只今聞は明日より矢合せ 寄来る敵は兄御盛綱様
他人よりは晴の合戦 此子も今年十三なれば 今夜鎧の着初させ 父上の御供して 初
陣に手柄がしたいと逹ての願ひ お聞届遊ばして小四郎の初陣お赦しなされ下
されかしと母の 願ひに小四郎も 明日は父上の 戦場への御供を 御赦免有と稚気に

思ひ詰たる顔色を 父も點頭尤々 主君へ忠義に魂をこらし 我この年をはつたと失念
遉は高綱が子程有出かす/\ 成程そちが願ひに任せ 明日の軍には我に引添 初陣
の手柄を見せよ サア嬉しや父御の得心 そなたも悦びや 鎧の着初に此母が手づから縫仕
立た鎧下 ゆきたけ藍の下染に勝色見する紅梅縅母が手を染添るのが陰陽和合
で着初の故実 此上は作法の通着せてやつて下さんせと 夫婦立寄寿を祝ふて 靍
の小手脚当 東(あげ)方取て打着れば 色は上帯しつかとしめ 遉武者ぶり 鎧の着ぶり 父御にとん
と生写しと 母の悦び高綱も 我子を見上見おろして 悦ぶ眼に涙をうかめ 情なき物


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は武士の身の上 御主人の御為に あす討死も計られず 命は義に寄て軽し 汝迚も
其通伯父甥兄弟引別れ骨肉の戦ひなれば 敵も味方も晴勝負 去ながら
討死するを忠義とは云れまじ 千変万化に軍慮を廻らし 身を全ふして始終の勝こそ
武士の肝要 我采配に付随ひ 未練の働き致すなと父の詞に小四郎も鎧つきして
勇しけに いさみ勧みし武者ふりは 末頼もしく見へにけり 母は悦び軍国(団?)にてあふぎ立/\ 
ヲゝ出かしやつた 只今の爺様の教訓忘りやるな 着初の儀式は奥の間で 父御の
盃頂戴しや 成程/\ 頼家公にも申上初陣の門出を祝はん 篝火来れと打連れて

一間の 「中へ入にける 夜も早更て しん/\と 音は湖水の浪やらぬ 敵か味方か白妙
の雪にきらめく陣羽織 武者頭巾に目斗出し 跡先見廻し城門を 忍びやかに
打擲けば 兼てぬからぬ佐々木が下知 門番櫓にかけ上り透かし窺ふ望月夜 喚鐘(くはんしやう)
ちやんと裲に追取刀篝火が 城門近く走り出程近の者か何者成ぞ さん候供をも
連ず只一人 敵の忍びが内通か何にもせよ名を名乗られよ 何と/\と尋る声
アゝ騒がし音高し 斯いふ我は此城中の主佐々木高綱が兄三郎兵衛盛綱 弟
顔見たさ密かに是迄参りしと 案内の趣取次に 篝火不審はれやらず 一家は


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内証あすは互に釼を振合ふ敵の大将 三郎兵衛盛綱殿いか成術も計られず 内
へは得こそ通すまじ 達と有は用捨はならず ソレ何れも防矢の用意 /\と云折から奥
の間より早使 高綱様の仰には 兄盛綱様久々の御入 門を開いて御通し有 対面なされ
んとの御事と 聞て猶も不審ながら 夫の深い思案こそ有つらめ 此上は門を開き 御通 
なされと申ませいと 礼儀の詞襠に小太刀隠してしづ/\と 油断あら木の門の閂くはつた
ひしめく城門を 開けば盛綱のつし/\ 通る客ぶり出向ふ気配り 互に見合す四つ目結
座するも針の青畳 上ずんべりのえしやくして コレハ/\珎らしい盛綱様 久しうお目にかゝらねと

どなた様にもお揃遊ばし 御堅勝の御様子 影ながら承つて夫を初めわらはが悦び イヤ
もふ夫レは相互 今日も指折て算(かず)ふれば 弟に別れて今年てうど十三年 其節一子も
当歳なりしが 定めて成人したで有ろ 此方にも小三郎といふ同年の躮 見かはす斗の
成人 先達ての合戦には国に残し置たれど 此度は母も子も 是非に同道してくれと
親子の願ひ 久々一家の対面せねば 余り/\なつかしさに参つた 小四郎成人顔早く見たい
一目逢そいておくりやれと世に睦まじき盛綱の 詞は二心も有まいか どふか斯かと胸はふす
ほる篝火か 成程あなたのおつしやる通り 太平の御代なれば 小四郎も伯父御様に お引合せ


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申して何角指し置きお盃を 頂戴致すが順道なれど サア儘にならぬは敵同士 とうであすは初
陣に 父御に引添出ますれば 御対面は戦場にて 躮小四郎が小腕の拳 矢一筋射かけ
ませふ 夫レを一家の盃と思し召て下さりませと いやと云さぬ尤ごかし 盛綱返す詞さへ 鴛
鴦の間の襖押開き 四郎左衛門高綱 夫へ参つて対面を仕らふと 立出る其容(かたち)軍の出
立引かへて 兄弟血因(ちなみ)の長羽織遥かさがつて座に直り 一別以来御意得ねど 兄者人
にも御堅勝 長々母の御介抱身に余つて大慶 先達てはよしなき詞の論寄て 兄弟
の中不和と成り国を立退き 是迄疎遠に年月を送りし失礼 全く御免下さるべしと

親兄の礼こまやかに 手をつき畳にひれ伏は 盛綱も居直つて ホゝ音信不通は
相互 今日来るは久々にて対面が致したさ 又其外に折入て頼み度き子細有て押て
推参 是は/\兄者人 改つたるお詞 身分相応な御用ならば 聞ふじや迄 先ず以て忝し 頼みたい
別義でない 今宵密かに陣屋をぬけ出 只一人来た子細は 某けふより心を改め 頼
家公へ降参に参つた 何卒御前へ取次がして貰ひたい かやうに云ば盛綱 卑怯者と
思はふがそふでない 明日の合戦は 何れが勝共定まらぬ牛角(ごかく)の合戦 籏色悪さに降参
する三郎ならねど つく/\゛思へば兄弟弓を引合ふも 武士の習ひとは云ながら 昔の為義義

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朝の保元の戦ひ 正しく天の道に背けば 平治の乱に義朝は長田に討れ源家
を潰し 永く武道の悪名を残す 何れが付かたれても 父尊霊の魂魄 悲しみはいか斗
兄弟が不孝の罪 天より高く 滄海より猶深し 夫レを思へば何と刃が合されふ 今日
只今心付き恥を捨てて兜をぬぎ 降参に来た此盛綱 骨肉同胞のよしみに
は 頼家公へ御執成頼み入る弟 と手をつき頭をさげにける 物をもいはず高綱 すんど
立て入んとす 是さ弟 聞届けておくりやるか 返答いかにと引留れば 立やる重藤追取
て りう/\はつしとなぐり打 こは何事と驚く妻 本?(本簫:もとはり?)しつかと先ず待て高綱 現在

の兄を打擲するは何故の立腹と 云せも立ずはつたと睨み 兄とは推参慮外千万
凡そ弓取の操はな 善にもせよ悪にもせよ一度び頼まれたる詞を変ぜず 危さを見て命
を捨 二君に仕へぬを道とする事 犬打つ童迄する所 佐々木高綱が頭をふまへし三郎兵衛
盛綱 一旦鎌倉に味方仕ながら 今更籏色の悪きを感じて 生頬(つら)さげて降参とは
よつく腰抜の犬侍 兄弟の縁切た 夫レ共御辺誠高綱が兄ならば 其腐つた性根を改め
弥敵味方と成て 戦場にて四郎左衛門高綱が首取て見せうとお云やれ 夫レこそ誠
の兄者人 有難く存じ奉らん いつの間に其様な臆病神は付きたるぞ エゝ情なや口おしやと


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或いははげまし 或いは敬い 怒りの眼にはら/\涙 ヲゝ尤至極 盛綱も返す詞はなけれ共
御辺は一図に忠斗 孝の道に心付かず 頃日我陣中へ慕ひ来る母微妙 御辺が為にも
親子ならずや どちらが討うたる共 お年寄れし母人の御歎きを思ひやり 生る共死る
共 兄弟一所にせん為に孝行の降参 聞分けて是非お取次 嫁も執成しを頼
む/\の真実も夫の心はかり兼 何と挨拶口こもる ヤア恥を恥共思はぬ人畜 顔見
るもけがらはしい 城内には暫時も叶はぬ 早出て行きやれと手を取て 引出す義
心の誠には 咎めん方もあら気の高綱 あかの他人の卑怯者 ぼいまくつて門を固めよ

無益(むやく)の事に陣立の 支度延引隙おしやあ 篝火来れと立て入る 兄はすご/\計略の裏かく矢
先に返し矢も思案取々 捕出の馬場前(さき)窺ひ寄たる侍は古郡新左衛門 盛綱殿か 城内の
首尾何と/\ イヤもふ弟高綱が義心は鉄石 某も北条殿の御頼み 何卒高綱を鎌倉
へ味方させんと 余所ながら心底をさぐり見れ共 いかな/\二君に仕へる所存のない事 しつかりと錠が
おりました 迚もお手に入らぬ高綱 此上暫時も猶予ならず 短兵急に取囲んで城を落すか
肝要/\ 早明け方も程近し大将へ御程遠 実に尤いざござれと逸足出して行跡に 高綱しづ/\
ゆるぎ出 時政に頼まれて我を鎌倉の味方に付んと あざとき兄が偽り表裏 計略を仕


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損じたれば時を移さず寄せ来らん ヤア/\陣所の諸軍共鉄砲火矢の用意せよと 撥追
取て陣太鼓 乱調に打立れば東の 山に明ねさす白籏 赤籏鯨波はや寄せ来る
「朝あらし 待ち儲けたる坂本勢捕手櫓の矢間(やさま)より 敵を寄せしとさし詰め 引詰め射かゝる矢先は雨
霰 射すくめられて寄せ手の軍兵 責あぐんで見へたる所に 城の大木戸押開き 声花(はなやか)なる
若武者一騎 駒に鞭を打立/\手綱かいくり乗り出し ヤア臆したる鎌倉勢 我討取て手
柄にせよと 鞍笠につつ立上り 我こそ佐々木四郎兵衛高綱が嫡子小四郎高重
今日が初陣と名乗かけ/\ 東西にかけ廻れば 能き敵なり討とめんと 数多の軍兵ばら/\と

追取まく 櫓より母篝火我子の初陣勝負はいかゞと 見れば平場の戦ひに 多勢の中に取
込められ 父に学びし手練の太刀打ち 前後左右より突かゝりくる 琴柱熊手鋼又(?しうもふじ)切払ひ真向
立て破手を砕き 切立られて軍兵共立つ足もなく逃散れば 櫓より見る母親は 嬉しさ足も千
鳥泣き 浜辺の方より 年ばい格好同しけの 駒にまたがり乗り出し めさましき小四郎殿の働き
驚き入る 某はそなたの叔父 佐々木三郎兵衛盛綱か一子小三郎盛清 互に初陣従弟同士
の晴勝負と 両人馬をかけ寄せ/\太刀抜放し片手綱 互に覚への大極無極の太刀さばき
手を尽してぞ戦へば 弓出の山の尾先より 小三郎が父佐々木の盛綱 躮が初陣勝負はい


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かにと 戦ひ見おろず遠目鏡 母は櫓に目も放さず肝をひやする子と子の勝負 そ
こを付込め小三郎と傍なる人に云ごとく 父があせれば篝火は 夫小四郎打太刀がなまつて見へる そこ
を/\と力む爺親あせる母 互に勝負も付かざれば かれ組ん尤と馬を乗り寄せむずと
組 えいや/\ともみ合しが 鐙蹴放し組ながら両馬か間にどうど落 上になり下に成
ころ/\ころび打たりしが 小三郎運や強かりけん 小四郎を取て引ッ伏せ 上帯解て高手
小手 おり重なつて大音上 佐々木の小四郎高重を初陣の手始め生捕たりと
呼はれば寄せ手はどつと誉むる声  櫓の上に篝火がわつと泣く声 閧は谷に響きて「騒かしき