仮想空間

趣味の変体仮名

戯場楽屋図会拾遺 上之巻 コマ4~15

 

 読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554349

 

   戯場楽屋図会拾遺   享和 2 年(1802)刊

 

4

 楽屋図会拾遺序

それふるきことわざにひとのふ

?みてわがふり??? (読めません以下略)


5(左頁)
  ○凡例
一、此書は操りの一覧に限らず たゞ両芝居を合はして舞台の名目楽屋の様子を
  委しくあらはす 但し文中いたつて俗に書きつゞりたれば小女(おんな)童子(わらんべ)も敏し安きを
  もつて肝要とす ゆへに四方の君子粋人も半畳を打込ず悪口(ヤリ)を入るゝこと
  なかれ

一、浪花をはなれ遠国の芝居のことは無用のものたりといへども好人の目を悦ばし
  めんのみにして宮嶋乗込田舎芝居等なり

一、楽屋の部においては立者衆中の部屋衣裳方床山道具方などは初編に
  文をもつて記せり こゝに載するは文義を略してたゞ顔のこしらへ衣しやう
  道具鬘にいたるまて狂言のすじ役々にて用る處(ところ)をあらはす


6
一、附録壱冊は劇場(しばい)一覧をはなれ江南名物名所こと/\゛く出だせり 但し東は
  天王寺 西なんば村 南すみよし 北長堀等にてかぎる 茶屋置屋にいたりては
  一切図にあらはし戯れの文をくわへて一興に備ふ

一、役者衆中自筆の短冊は名所遊行に応じて其地の句をもとめて
  こゝにのする 見る人疑ふ事なかれ

 


楽屋図会拾遺上之巻

   目録
芝居之故事 浄瑠璃操りの發(はじめ)道頓堀芝居細見之図
操舞台之図 傀儡師之話 歌舞妓濫觴 白拍子之事
唐土芝居之事 大歌舞妓表口細見之図 同 舞台之図
浄瑠璃作者 歌舞妓作者 竹本筑後掾之語(はなし)
豊竹越前掾語 浄瑠璃繁昌之語 傀儡師之図
唐土芝居之図 名目役割之事 近松氏画讃の写し
歌舞妓芝居舞台之名目 并 表口名目 外題筆法之事
操芝居舞台名目 浄瑠璃三味線名誉人物之図


7
座本廻り 招き看板出し 寄り初め 乗込み大判成り
内読み 惣本読み 荒立て 人形拵へ
内稽古 通云 町触れ太鼓・田舎芝居 惣稽古 上下桟敷之図
茶屋桟敷懸け暖簾之図 いろは茶屋暖簾之図
藝州宮嶋乗込之図 役者家名俳名替紋之図


 (挿絵)


8(絵図)
源牛若丸
浄瑠璃
前忍 (じょうるりごぜん忍ぶ)


の(能?)古今

若彦は

槙の 下葉に

もる時雨

ぬるとも

そての

色に いてめや

太上天皇

   (読めないので歌を丸々調べました)


9
芝居の故事
芝居といふ名目の起りをたづぬるに ころは人皇五十一代平城天皇
大同三年戊子二月 南都猿沢のほとりの地面に大ひなるあな
あきて 内よえい黒きけむり立のぼる事近国に覆ふ その毒気
にあたりたる人こと/\゛く疫癘におかされざるはなし これに
よりて時の博士を禁庭にめされ 此よしをかんが見るべきよしを
勅諚ありけれど 博士の奏しけるは 穴よりいづるところのけむりは
地中の陰火にして陰火亢(たか)ぶり逆上する刻(とき)においては万民の悩み
の理に候得ば 陽火をもつてこれを除かせたまへと奏聞ぞしたり
ける これよりかの穴のうへに薪を多くつみて焼立てける これにより
てけむりもやみて諸人の病悩も平癒なせしといへり なをまた
此所にて 翁三番叟を舞はせて邪気をはらひ しりぞけ玉ひけり 今も
なを其故実をもつて二月七日に薪能と号して芝のうへに
居て 此わざを就行せり その遺風をもつて猿楽 田楽 能 角力 舞
歌舞伎 操りを興行する場所をさして芝居と名附くる事はこゝを
もつて知るべし
劇場 戯場 春色臺(しゅんしょくだい)抔(など)と書たる事漢語にして 茶屋を青楼といふがごとし


浄瑠璃操り 浄瑠璃操りの元は織田信長公の侍女小野小通(おののおつう)といふ女あり
      容顔美麗にして ことに秀才の人なり 信長公生害の後
秀吉公の廉中につかふ 其むかし紫式部石山において源氏物語
つくりたまへり 其例にならひて三河の国矢矧浄瑠璃姫が由えんを
十二段の物がたに作られけり

此物語の趣意を見るに 三河国矢矧の長者といふもの一子なき事をうれいし 同国
碧海郡(あをみのこほり)峯の薬師に立願して(鳳来寺をいふ)一人の娘をもふく 薬師瑠璃光のさづけたま
へる子なれば浄瑠璃御前と名づく 時に左間頭義朝の末子牛若丸どの鞍馬山
おはせしに 父義朝の仇平家をほろぼし源家一統の御代になさんところは
永安二年二月二日のあけぼのに山をひそかに立出て かの地に下向ある その時矢矧か長者が元に
宿りたまふに かの浄るり御前に忍びて契りたまへり そのゝち奥州に下りたまふ 下略

薬師瑠璃光如来 十二神将の縁をかたどり此物がたりを作られけり 平家
ものがたりは信濃の前司行長入道が作にして生仏といふ法師に是を教
へて ふしをつけ琵琶に合せて語らせけり 是に例して岩舩検校といふ琵
琶法師に音曲の名人あり 此十二段に節をつけたり 又角澤瀧野の両検
校三味せんに合せて曲節をかたりひろむなり 天正年中薩摩次郎右衛門


10(絵図)
道頓堀蛭子橋より
東を見る図

星移り物かわりて中古出羽様
近江さまと云しも 芝居も
時計みせも跡なく 浄るりは
東西入まじり立慶の名は
銭屋まんぢうに面影を残し
四河(あづまや)作りのいろは茶屋も二階
たてとかわりしは 角の芝居の
浜よりぞ 割子は和国やの
仕出し弁当に始り 切鮓は
堺吉の小倉より今に
此川たけに繁昌す
かはらぬは芝居の名代と
顔見せの蛎増水 大
正のうなきの香は
紫蘭よりかんばしく
雲井にけふる南(たば)
草(こ)には 高き屋の昔

しのばしされは義
経弁慶も今はや
ふりて北條佐々木
か目さましき 勢ひは
近松半吾が文国
より出で 絵本大功
記を右にし左にし
ては当時の人気
の請けをとる 作意の
発明なり 見物
群集の山かづら ひく
頃より所せき 大入は
ま事に浪花の繁花は
江南にあり 江南のにぎはひは
芝居にとゞめたり

梅の津や
花も芝居も
南より

 右 酒屋隣


(挿絵の中に読める文字)

 炭百俵
 吉田新吾 丈
 豊竹麓太夫 丈
 吉田吉田吉田・・・
 靍澤松太郎
 豊松重五
 ふしい友吉
 市川団??
 あらし?三郎
 ?いろは
 中山一
 野澤善三郎?
 よし田東?
 竹本咲太夫
 竹本内匠太夫
 


11(絵図)
操り舞台名目

見附のふすまは
一二まひ
はづしたる
心にて舞
台のうしろ
を見せんが
ためなり
其心にて
見るべし

浄るり床 出語座 大臣はしら ぶたいうしろまく ふすま通り 本手 二の手
大臣はしら ひらき 三の手 花道開 花みち 橋がゝり

 


12(9の続き)
といふ人 両検校に節をならひて 摂州西宮傀儡師をかたらひ人形に合せて
十二段を語る これ操(あやつり)芝居のはじめなり また永禄のころ六字南無右衛門
といふ女太夫 京都四条川原において浄るりあやつりを興行す 此評判国々
までもきこへ高く ついに高家に召出され其後豊太閤の御前にてつと
むる 又慶長年中禁庭に召出され叡覧ありしより 浄るり太夫
領勅免なりしなり これより三ヶ津に浄るり太夫分じて伊勢嶋
あるひは山本角太夫 岡本文弥 江戸油屋茂兵衛 四郎与吉 鳥や治郎吉
大薩摩小さつまと おの/\さま/\の流伎をあらはせり

傀儡師發(かあいらいしのはじめ)
抑(そも/\)蛭子の御神と申は 伊弉諾伊弉冉の二柱の御神はしめて遘合(みとのまくはい)して
夫婦となり 一に大日?(おゝひるめ)の尊を生みたまひ 次に月読尊を生み つぎに
蛭子をうみたまふ 此子已(すで)に三歳にもなりたまひぬれども 脚立せたまはず
容像(みかたち)悪しきとて 天磐?樟舟(あまのいわくすふね)に乗せ順風にまかせ放ちすてたまふに ついに
西の宮の浦に着き 爰に鎮座まします 後代に至りて道薫(どうくん)と云人御神の御こゝろ
なくさめけるに これより波風しづかにして 猟舟多くの魚(うを)を得る事久し
時に道薫いばらくいたみて身まかりければ また風をこり波高ふして直
さら猟もなかりしかば 百太夫といふ人 人形(ひとかた)を作りて神の御まへなる箱の
かたはらに身をひそめ 人形をもつて 我は道薫なり 尊の御きげんをうかゝはん
為にいりたりとて 御こゝろをなぐさめける これよりまた波しづまりて猟もあり

けるとなり そのゝち時の帝此事をきこしめされ 禁庭の政ごとに出勤
すべきのよし勅定ありければ 百太夫都にのぼりて此義をつとむ これ
によつて大日本者(は)神国故慮を慰むを以て諸伎(しょし)藝の首(かしら)と為す かくのごとき
の官を下され 諸国諸社神いさめの事勅免なりしより 胸に箱をかけ
人形をもつて神をいさめしなり 是傀儡師のはじめなり 百太夫は諸国を
めぐりて 淡州(たんしう)三原郡 着き 三條村にて身まかりけるに 何某の四人 百太夫
に傀儡(かいらい)を習ひて此後傀儡のわざをなせり これ淡路座操のはじめなり
右あはぢ座あやつりの座元四十に余れり 当時諸国に名高きは上村
日向掾をよしとする 往来對刀御免にして芝居の表口に 大日本諸芸
首(かしら)といふ額を懸ける事なり 此義淡路座の秘書をもつてこゝに出す

○傀儡師の唱歌曰く
伊吹山おろし サア不破の関守 ハンヤ戸ざゝぬ御代こそ目出度けれ
恋しき ヤレおもひ サアふるさと近づき ハンヤ山城のいての里 ハアゴサレ/\たうから コザレ
朝のあらしにさそはれごされ サシヤぼんちはくゞりやうでくゝるかたく門やはたそ
かれ時に ハツ背戸は八重垣 大戸はくゞりあけてたもれは寝やもる月よ ハア五郎左衛門が
心がこゝろうかれてくる/\や ヒヨツクリヤ ヒヨツクリ/\ヒヨイトサシテ目出度イナ ト云

太夫の社は西宮大神宮のうしろにあり 近世 寛延宝暦のころまで西宮より傀儡師
来りしに 今はたへて見えず 当時首かけ芝居など其たぐひなるべし


13(絵図)
大歌舞伎表(おもて)
掛り細見之図

大芝居と極るは道頓堀
にて 角の芝居 中の芝居
筑後太夫等なり
大芝居立ては北の新地の
芝居 又 堀江新芝居
太夫なり 此余は
みな中(ちう)芝居にし
て 竹田 角丸 荒木
の芝居 又 宮
芝居は外(ほか)に四
軒なり 中芝
居は矢倉下看
板段書き大入札
五本鑓 團(うら・圃)は千軒
幟 表の帳場などは

なく 表口に札売り
あり 又 東西の
表に出札場と
いふものあり 爰にて札
を貰て入は場さんじきに
いたる 又立見するも
あり又芝居
立てかた大歌
舞伎よりすこし
小さくして下さん敷
場の仕切 花道の
鳥屋(とや)大幕の
引分け 是等なし
此事人の知る所
なれども遠方の
芝居好きの方へ
作者の勤め
なるべし

中むらのしほ
太夫宮園文字太夫
ワキ宮園染太夫  一枚かんばん  
ツレ宮園和國太夫
三絃時津鸞孔
長歌鈴木萬里

後かんばん

軒出

今日大入にて場所無
御座候間明日早朝より
御出か?下候

あらし?

二日ヨリ
石川五右衛門悪術の事
金門五三桐 此日は五段
瀬川釆女??の事

金門五三桐 正月二日より同十一日迄 弐千百廿一軒

第一 兄弟の名前は城山の桃
第二 主臣の本心は上使の?
第三 夫婦の名残は江北の桜
第四 道行友ちどり恋の下道
第五 両将の対面は時雨の柳

嵐小次郎
亀八
山小八
乍憚口上
三郎

(下)いろは茶や

(左上)ぼんてん
    段書絵

女形 中山一徳
女形 吉澤円次郎
若郎 中村もしほ 同市山七蔵 藤山二吾 姉川乙吉 
娘やく 山村友吉 大谷十吉 山下久吉
女形 澤村國太郎
山風吉弥 山風小市 市川万代 中山与三郎
子やく 坂東清吉 中村小才 叶千吉
女形 中村野塩
女形 叶珉子
女形 吉澤いろは

八蔵
十郎  八枚かんばん  (下)ねづみ木戸
十郎
衛門
?郎
?郎

景事 阿波の鳴戸

嘉七 万蔵 八五郎 文四郎 由兵衛 半次郎 川仙次 口喜八 仁三郎 竹八 右エ門 和七 長蔵 九二助 正三 徳三 正蔵

?(正?)本
今日ヨリ
金門五三桐

大木戸
切おとし


14(絵図)
歌舞伎舞台名目

切穴は舞台の
板すこしさがり
たる心なり
但し黒き
所はぶたいの
下なり ま
はりぶたい
おく病口
一切初偏に
合せて知る
べし

上るりゆか
大臣はしら
もんいた
中二かい
二重ぶたい
けごみ
太夫
おくびやう口
おち間
切あな
あけいた
ま入りぶたい
から井戸
花道
かけいた
はしがゝり
切まく
かよひみち
(上)はふ つり枝 大臣はしら


「朝??とり 三上の山こへて 千万?のほる 青柳のはし
  けいせい美鳥林 七冊物」


15(12の続き?)
狂歌
傀儡師これも淡路を胞衣にしてうみにし国や筑後越前 鉄格子 波丸
首かけの人形廻しのほつたんは西の宮からはしまり/\ 天王寺 蕪坊

歌舞妓の濫觴 歌舞伎狂言のはじめは 慶長十九年におこる 其元は
僧衣を着して鉦をたゝき仏号に節をつけて念仏踊り
云しなり 是法華経提婆品(だいばぼん)にいふ歓喜踊躍と解れたるこゝろなるべし
其地出雲の国の巫女佐渡嶋お国といふ女 名古屋山三郎こゝろをあ
はせ都にのぼりて おゝくの舞女(ふじよ)をあつめて四條川原芝居を興行す これ即ち
我国歌舞妓のはしめなりといへり この歌舞伎の歌(うたひもの)に比田の横田の若笛
とうたふ これ出雲の里の名なりとぞ お国は元巫女なれば神楽を変して舞
うたひ 妓女このわざをなすによりて 歌・舞・妓 の名あり 歌はうたなり 舞はま
ひにして 妓は女なり のちにみだりなる事ありて女狂言を禁じたまへば 若衆
きやうげんと事かはる これも同やうなればとて また停止ありしにさま/\
願ひを立てて若衆の分は飾りをとりて長年(ちやうねん)のごとくになし 芝居を興行すべしと
免許(ごめん)ある 是によつて若衆中ひたいを剃りて紫の帽子にて額をかくせしなり
是今云野郎ぼうしの
はじめなりといふ

附言
○往古(むかし)文治の頃 白拍子と称して朗詠に合して女楽(によかく)をなせり
これみな歌舞妓役者の水元(はじめ)といふべし(未代台頭女青のたぐひならんか)其後
前文のごとく念仏をとりよりして 山三(さんざ)お国の歌舞妓を我朝
芝居のはじめとす 唐土には漢魏六朝のころ楽府と称し
て行なはれしも みな詩をうたひて舞しことにて 白拍子が朗
詠に合せしにをなじ 其後唐玄宗皇帝の時 伝奇院本として芝
狂言のはじめとす また宗の徽宗皇帝のとき 爨国(さんこく)の人来朝せ
しに いづれも美麗に粧ほひて 面てに紅白粉(こうふん)をほどこし その
まゝ優人に命じて そのかたちに擬して舞はせる これ五花爨弄(ごかさんろう)
の舞と称してこれを勾欄(しばい)狂言のはじめとす 夫より民間に
一種の勾欄戯子(こうらんけし・芝居役者の事なり)といふもの出来て 旦(たん・女かたなり)浪子(らうし・やつしかた)
生(せい・たちやく)両脚(りやうきゃく・じつあく)浄(かたきやく)打諢(だこん・どうけ)とそれ/\に名誉の人々 ぶん
じて日本の芝居にかはることなしといふ

名たゝる白拍子といへるは 祇王 祇女 の姉妹は清盛どのゝ寵愛あさからさりしに かゞよりまいりたる
仏(ほとけ)御前といふ白拍子におもひをかへられ せんかたなく 「歌に もへ出るもかるゝもおなし野辺の
草いつれか秋のあはてはつへき 此歌一首をかき残し 剃髪染衣(ぜんえ)とさまをかえ さがのゝ奥に
庵をむすび後世をのみ願ひけるに 仏御前も二人がこゝろざしをかんじ ともに此所に来りて
墨染の姿とはなりぬ 又 義経の妾(せう)静御前は磯禅師の娘にして いづれ白拍子のきこえ高し