仮想空間

趣味の変体仮名

男色大鏡 第三巻


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     請求記号:ヘ13_01753
     (4)


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男色大鑑 本朝若風俗  第三巻
 目録

「一」編笠は重ての恨み  二丁目
おもきかうへの入子鍋の事
中堂さはぎの事
一流床髪結の事

「二」嬲ころする袖の雪  七丁目
富士は藤の掛絵の事
姿の花は冬咲の事
俄幽霊になる事


3
「三」中脇指は思ひの焼残り  十一丁
つき臼はむかしの面影の事
死んでも女嫌ひの事
古里の難儀済ます事

「四」薬はきかぬ房枕   十四丁
念頃の中立の事
春の夜は闇打の事
十六八の花一度に散る事

「色」に見籠むは山吹の盛  廿丁目
四年の道中やつれの事
情の命乞の事
訴訟は思ひを種の事   目録終


  編笠は重ねての恨み
ひのえ午の女は。かならず男を喰へると世に伝へしが。
それには限らず。近江の国筑麻の祭をみしに。此里の
風流(やさ)め縁なくてさられ。或ひは死に別れ。又は隠し妻の顕
はれ重夫(ちやうふ)の数程鍋を覆(かつか)せ。所習ひにて御神事を渡す。
年長けたる女房の姿婀娜(やさしく)。しかも面子(かほばせ)の??(うつくしげ)なるが。鍋
ひとつをかざして是をさへ恥づるも有に。重ねて頭勝にし
て雲踏(あぶな)かりしに。後ろより母の親手を掛て。孫を負て
抱て独りは手を引く。早子共も三人迄持とみへて。諸人の
笑ふもかまはずして。二柱の陰榊の奥に彼面影見残し。
心/\に帰り野の道筋。紫は色薄く。菖蒲の沢水清く。岸の


4
昼顔もにし日に花の艶をうしなひ。人なを頻りに汗をかなし
み。都の富士といふ時花(はやり)出の大編笠をかづきつれたるは。叡
山の児(ちご)若衆是こそ恋の根本中堂の阿闍梨の夜の友。
蘭丸其年もまだ十四とは見る人もなし。美形すぐれて一
山思ひを懸ざるはなし。同じ院内に掛り人。井関貞助是も
児法師にまじりて。立帰る時我笠をぬぎて。蘭丸の笠
のうへにかづけしに。逶迤(なよやか)なる風情のおかしげになれる。それ
も興になして行に跡より指をさして。女のすなる事を。男
も念者の数に笠を覆すこと慟(どよみ)つくつて笑ふ。蘭丸立とゞ
まり我に念友の数ありとや。爰は是非の聞所と申せば。人の
口迄もなし。下早敷(さもしき)御心に尋て見給へといふ。蘭丸悪笑(ほゝえみ)て
それがし師の坊の弄びとなる事。是は情の道にはあらず。明け

暮京より通ふ人こそ。我に独りの念者。今も忘れぬ物を
と。泪に沈むは少しおくれたる様にも見えしが。猶おとなし
くも沙汰して。いづれも外なるに取なし。楫の音帆の手
せはしく。堅田の礒をはしらかし。諸山の晩鐘告わたる時。
やう/\御寺に帰て。過にし口論何の子細もなく済みぬ。
此蘭丸生国は加賀の小松の人。長谷川隼人と申せし方
の末子なり。男子ばかり十二人持て。世に栄へ家めでたく。
国橋の渡り初めにも擇(えら)はれしに。無常も続く物かな。春よ
り散初めて。秋は梢淋しく。その年の霜見月迄に。九人愁へ
の煙となりぬ。三男金兵衛エに世を譲りしに。間もなく同
役に頼まれ。首尾黙止(もだし)がたく。同じ極月廿三日の夜助太刀
打て。是も見おさめの夢とはなりぬ。片親女心のやるせもな


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く思ひに出入息も絶て。七日も立ざる中に又歎きぬ。今は
身の楽しみを捨てて。弓刀の家を遁んと。一子金太夫名跡
を残し。弟蘭丸は出家になしてと思ひ定めぬ。一人髪(ばつ)を断てば。
九族愛欲の罪をまぬかると。十二歳の秋当山にのぼし。父は白
山の麓に分け入給ひしが。其時の御詞に墨染の姿にかへて
我に一目と。くれ/\仰られける程に。過し年も出家を望みして
十五の春迄はと情にとめられて情なし。今宵貞助と打果しな
ば。不老の第一なれ共。けふの野心の止めがたく人も鼾に静まつてのち。
年月の通はせ文共を取集め。今なつかしくかさねみしに同じ筆
には非ず。ひとつ/\文章もかはりぬ。是を思ふに自ら書く事をえず
して。心を人に頼み度毎の気づくし。一しほにあはれふかくぞお
もふ。我むなしうなりなば。跡にて歎きも恨みもかぎりは有

まじ。思ひ定めし身の一日過たればとて。一念はとぐべし。夜も
明けなば都に行きて。可愛(かはゆらしき)男に今一たび此姿をも見せ。かり
なる横陳(そひふし)して細かに次第はかたらず。浮世の名残にもと人
しれぬ泪のやむ事なし。此山の若衆かづらを。柴男のあ
らけなき手して。ことかきに撫で梳(さばき)をさすも心に叶はずとて。お
の/\雲母(きらゝ)越へはるかに四里の山道を行て。三条の橋なる床
迄髪を結はせに出ける。中にも上手とて鬢水のかはく間
もなく。白鷺の清八とて。かゝる下職には。人皆惜む程の
若き者也。一生美道に身をなせば。手づまもすぐれて。
折柳とて一流結ひ出し。髪先二の曲(まげ)のきよらなれば。あ
まねく此床にたよりて。曙より前後を争ふ。蘭丸を見
ては人のおもはくもかまはず手透を待兼し人をさし置き


6(挿絵)


7
櫛も外なるを取出し。心静かに靚粧(よそほひ)をつくりまいらせける
有時床を立はなれ。山下一里も歩み行に。折ふし神送り
の空おそろしげに。五色の雲さはぎて。雨はやさしく風は
あらけなく。落葉は肩を埋みて。撫で鬢の油もかはらき。面影
の替るを惜しやと。綾杉のしげき東陰に袖をかざし。手し
て押さへ峯の晴間を待侘しに。三条より清八御跡をした
ひ来て。懐中より櫛道具なと取出し。御ぐしのそゝけ
侍るを思はれ。是迄と岩の小細(さゞれ)水をむすび揚げて。元のごと
くに児(ちご)達を撫付まいらせけるは。心根ふかくやさしく。蘭松を
恋忍ぶやと。いづれも其色は見すかしにける。是よりふびんと
思ひ初。清八に身をまかせ。行末もひさしく頼もしく思ひし
に。けふは最後の暇乞とは。夢にも清八はしらねばこそいつにか

はりて機嫌も悪(あ)敷く。四五日絶し音信(おとづれ)を疑ひ。当て言のさま/\。
無情(あぢきなく)は思ひながら。中宿にさそひ行て。心よくのみかはして。
酔の内は枕にまくら近く。無理の有程聞暮て。別れはいつ
とても泪ぞかし。健気(わかぎ)なる寺男めしつれて。かへりさまに竹
屋といへる細工人の許に立寄り。しばらく有て出て行を。見へ
隠れに心に掛くれば。彼砥屋に入て様子を尋ねければ。何かはし
らず一腰の目釘をうちかへ。切刃を付参らせけると申。是不思
議と間なく身拵へして。其跡をしたひ行に。西谷の近道。茨(むばら)
葛(かづら)に足をいたませ。息も絶々になる時。梢も峯も見えずなり
にき。やう/\に元(ぐはん)三大師の燈の影に休らひ。こしかたを思ひ。
また蘭丸が心根をうたがはれ。昔日(そのむかし)慈鎭和尚の此山の神姿に
読給へり。我ならぬ人にもかくや契るらんと思ふに付て。濡るる袖か


8
なとは。うつくしき前髪に現しまみへ給ふさへ。又もや人にと思は
れし。ましてや我恋人は。もろこしの鄧通(とうつう)。本朝の義治にも
おとるまじければ。男色の輩(ともがら)は悩(なづむ)べしと。心づかひのやるせ
なき所へ。寺中手炬(たいまつ)を輝せ。蘭丸貞助をうつて立のきしと。
早鐘螺の貝を吹立。年月うらみの悪僧手わけをして
ぞさがしける。清八さてはと跡につゞきて。東にさがれは。あらけ
なき法師の。六七人して蘭丸をとらへて。心任せに自害もさ
せず。とてものがれず打首あへる身なれば。何か思ひ残すべし。
日頃は盃なりともと。おの/\ねがへとつれなく、其事もなくて
過ぬ。折からなれば。此若衆目を肴にして呑めと。坂なる請酒屋
をたゝき起し。口のかけたる徳利をなし。めけ器(ごき)を持て人の手
より口にうつし。時節も有物かな。自由なる御情にあづかると

袖下より手を入るゝも有。今迄は人の云ふ事もきかずやと。
耳引もあり。後帯をほどき。又はかしらに割(さき)紙を付。いろ
/\に嬲けれは。左右の腕(かいな)をひしがれ。是非なきうきめを見
るに。又法師のおのれが舌先口ちかくこする時。歯を喰しめ
黄なる涙をながしける。清八懸つけ入道切ちらし。蘭丸を
いさめて行かたしらずなりぬ。其通りに名ばかり残
れり。三年も過て。ある人の語りしは修行の身にかへ
つれぶきの尺八巣籠りのなつかしや。鎌倉の靍か岡に
してあひけるとや

 
9
  嬲ころする袖の雪
炭売声踏皮(たび)屋の秋。鹿の身の毛も立て。冬山のけし
き白妙の曙伊賀の国の守はつ雪を夢に見しが。誠とは
降けるよと仰られし。御前に小扈従(こしやう)組あひつめし
中に。山脇笹之介とて有しが。御納戸に行て。探幽筆の富
士取出し。大床に掛奉れば。即座の才覚是ぞ日本
一の御機嫌ぞかし。一条院雪の朝に香炉峯の詠めはと
のたまはせければ。清少納言きたの軒端の御簾をまき
ける。違愛寺の鐘は枕をそばたてゝ聞。かうろほうの雪
は簾をかゝげて見ると。白楽天が詩の心をを感ぜさせ給
ふとや。今又雪の夢に。不二の絵をあはせ侍る事たぐひ
なし。それよりちかふめしつかはれける。いまだ江戸詰は御ゆる

 

されて御参勤の跡は。心まかせに暮しぶ。ある日追鳥狩に前
髪中間四人。岡野辺に出て目しるしの松も埋づみ。枯草
の道も定まりなく。岩根切蕪鳥に見懸て。かけりまはりて
興をさましぬ。小宮の森の雀さへなく。おの/\立帰るとき。
玉笹の陰深く里人の穂屋つくりて。瓜の番せし跡より。
雉子の飛出れば。撞木(しもく)割竹におどろかさせ。いつれも嬉し
けにとらへ侍るに。続きて又雄(をんどり)の何羽も見えて。佳興此時
黠(こざかし)き小者。枝草葺に便りて見るに。籠に雉子を入て。
えしれぬ男二人身を隠してありしが。御領内は鳥とる
事かがき掟をしらずやと。吟味にかゝる時壱人は笠に面てを
背けてにげ行。今独りを手籠に命もあやうきに。笹之助懸
付身に替て世をわたる種なれば。ゆるし給へと詫びて。くれ


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ちかくなりて只とる鳥の仕合と。春待つ梅を折て雉子を
付て恋も哀れもしらぬわたり侍供して帰る。笹之助は
足いたむのよしして跡にさかり。枝鳥取に尋ねけるは
いかにしてもけふの忍へる有様。おのれ誠を語らずは。宿に
帰さじとの眼ざしに機をうしなひ。私は伴葉(ばんのは)右衛門下人
なるが。旦那先に逃げ侍ると申葉右衛門は我も人も存ぢたる
かたなり。何とて人には隠れ給ふぞ。是ふしぎあれば。山
脇笹之助とやらんが殺生に出けるが。毎日家中のさはぎに
けふは鳥のなき事をしらで。若衆の足もともいたまい。
心よく慰みのためとて。庭籠鳥を目通りへはなちけると。
ありのまゝに申せば。扨々其若衆の身にしては。悦び限り
有まじ。我も其かたにあやかる祝儀ぞと。脇あけの羽織

をぬぎて給はりけれは。是よりは弐升樽もがなと思ふおかし。其
後は此中間文の便りとなつて。美道のかたらひ浅からぬ中
人も見ゆるし侍る。時長田山の西念寺の庭に。復(かえり)花咲きて
家中春の心になりて見にまかりぬ。美景栩々維胡蝶(びけいくゝたるこてうをつなぐ)見る
人詩魔に便りを付られ。腐復化するを忘れ。樽の出し口を仕掛
少人まじりに呑かはし。半ばなる折ふし葉右衛門花に来たりしに。
幸いに留めて。五十嵐市三郎と申人杯にあましてさせば。世間
ことばにてかたじけないと。酒(こが)るゝばかりかけて酔のうち
にも君が事のみ。刀脇指は忘れず。立帰るにはや笹之介
に誰かは告し。胸に火燵を仕出し。はげしき風をいとは
ず。門外に立て葉右衛門待兼。手を取て屋敷に入。露
路の猿戸を錠おろして。雨戸も内よりかため。掃き庭に


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葉右衛門独り立わづらはせ置く。さては首尾心もとなくて
しばしは声をも立ず。様子見合すうちに。振出しより
積り気色の雪。はじめの程は袖を払ひしに。梢老(あれ)たる桐(とう)
梧(ご)の陰も。舎(やど)りのたよりならねば。次第に絶がたく。肺
の臓より常の声も出ず。やれ今死ぬるはと慟(どよ)めば。内
には小坊主あひ手にして笑ひ声して。いまだ御付け指し
の温もりも醒めさらましと。二階座敷より申。去迚は何の心
もなき事なり。是に懲りぬといふ事なし。此後は若衆の跡(あしあと)
をも通るまじきと詫びても。なを詞を嫌(もど)き。然らば其二腰
をこなたへわたし給へと請取。又指さして嘲哢(あざけ)り。着る物袴
ぬぎ給へと丸裸になして。迚もの事に解(さばき)髪にと申。是もい
やかならねば。頓て形を替ゆれば。梵字書きし紙を擲(ほゝり)て。額に

(挿絵)


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当て給へと申。今は息絶々に。悲しさ身にふるひ出て。まこと
の幽霊声になりて。其後は手をあげて和南(をかむ)より外は
なし。笹之助小鼓をうつて。あゝら有かたの御弔ひやなど
諷出して。下を覗けば。葉右衛門瞬(めまぜ)せはしく躑躅(たちずくみ)。うき世の
かぎりを轟き。印籠あくる間も。脈にたのみもなければ。
同し枕に腹かきさきて。只今の夢とはなりぬ。是非もな
き歎きの中に。不断の寝間を見れば。床とらせて枕ふ
たつ。炊しめたる白小袖。あたりに酒事の器も見えわたり。
此心根の程おもはれて。諸人横手うたさるはなし


  中脇指は思ひの焼残り
骨桶ふたつ風呂敷包に取添へ。今やなど無常は弁がた
き男の泪ぐみて。高野道を尋ねける。爰に摂泉河(せつせんか)
州の境に。三国の茶屋と云所に休みしに。幸の同
行二人語り合て行に。時しも里は夏至に入て。田植
歌のおかしげなる。女の菅笠きたる様もこのもしくな
がめやるに。一人の男脇見して通り。何事にもあり。女の
業を見る事なし。世に若道より外はなきにと云。我も
それよと男泣にして。骨の曲げ物を手に据。さりとてはうき
世ながらへてかひなき身と。哀にかなしく見えける。いかなる
事ぞとあらましを聞に。此人駿河なる府中の町に。京物
棚を出せし人の一子。萬屋の久四郎とて。またならべて形

 


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の似たる者もなき若衆なりしに。情といふ事十三より深
く。我に身をまかし。明暮水魚のかたらひなすに。定なや
泡と消て。百ヶ日も過れば。此骨を奥の院に埋づみ。御山の
土になしてと語る。今ひとつの骨桶はと尋ねけるに。
是も思ひは同じ。友とせし人内義向へしに。其夜盃事
はじめて松竹の嶋臺出し時。彼娘うつむきて眠れ
るごとく息切れて空しく成ぬ。其人の骨をも此度こと
つかり行といふ。男笑ふて愚かなる人や。女の焼灰なれば
とて。衆道と好ける人の手に持つ事はと申せば。誤りて
彼女の骨は。濁江になげ捨しに。沢潟(おもだか)水蕗の葉がくれ
に沈みぬ。かゝる女色嫌ひも有ものかと。なを語り三日市
といふ所につきぬ。折から彼山の隠元らしき御法師の。

知行里の牛飼童子を。無理に拵へ。いまだ咡(みゝせゝ)には昔の
垢の名残も見え。殿髪(をくれがみ)の赤き巻立に結はせ。無紋の浅黄
帷子の丸袖を脇あけて着すると見えて。振みぢかく
あがり物の大小。鍔はおほきに柄細く。腰付おかしげなる
を愛し給ふは。殊勝に見おくる。先に健やかなる男門に臼
を立て。米も大かたに白む時。春杵(からぎね)をなげ捨。せはしく身
を隠す。其尻付の黒きこそ見ぐるしけれ。御坊はるかに行
過て。立とゞまり。つれの男に。何か細語(さゝやき)給へば。鋏箱に付
し石花(かんてん)干瓢もおろして。立戻り。二百つなぎの銭を。米
突に渡して。あなたには過にし事共忘れ給はぬに。其
後は何とて御寺に見えぬぞ。ちかきうちにと申残
して別れぬ。跡にて様子きけば。あの御法師さまに


14
年月情の身なりしが。かくもなる物かと。小糠を払ふ
て袖をしたすすけるやとて是をも笑はずゆくに。
禿といふ宿の名もいやに。女人堂迄は折々目をふさぎ
こして。花摘みよりおのづから有難く。千本(ちもと)の槙の奥暮
て仏法僧の声幽かに白衣のすがたあらはれ心を留どむ
れば。別れたる少人。愁への片手に。中脇指を持ちて。声
の届く程へだゝり。我名をよぶにあきれて。夢共現
共しばしは詠めけるに。二たびまみへむかしをなげくにつき
ず。我最後の時。早桶の内へ。此一腰を何かおしからじ
と入られしが。是は重代を取違へ去侍方より。内証にて
預り置いなり。我むなしくなりて後。彼方よりかへせ
とのさいぞく。世の難儀にあひ給へば。古里へ是をと云声

(挿絵)


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の跡なくて。恋しさむあkし拵への中脇指残りて。是ぞ現
に誠あり。唐土の湘妃。玉琴弾くかと。見し面影の嫌疑(うたがは)
れ。夢心になつて国本にて心ざしたる。熊野にも参らず
古里に帰れば。百ヶ日も過行けど。二親のなげきはやまざる
中へ。人橋を掛て質に預けたる脇指もどせとさいそく
金銀つみて詫言を聞入ず。ありしまゝにかへせとはかなし
さのあまりに。無常野に行て埋みし炭(はい)迄さがして
も。其跡からもなく。せんかたなくて夫婦住なれし家をす
て立のく折ふし。念友の半助高野より下向して。かの
一腰を渡し。久四郎がありさまを語れば。おの/\奢りき。
定めなき世に。是ぞためしなき人のかたみを二たび
見る事ぞとかたりぬ


  薬はきかぬ房枕
万花色あるを持て自らえだをうしなふ。爰に何がしの
侍従の御もとに仕へて。伊丹右京といへるあり。よろづ
花車(きやしや)の道にかしこく。形は見るにまばゆき程の美童也。
同じ流れに住ける。母川(もかは)釆女といひて。是も十八になり。
人がらもすくよかに当流の若き者也。ある時右京風情
世にあやしく心地まどひて。吾魂もいたづらに。踏足もた
ど/\敷迄面影見とれて。例ならぬ床に。昼夜のわかち
もなく。戸をさしおめて其事となく歎きぬ。よはり行
をかなしみ。親しき人々薬の事など沙汰し侍るに。折ふし
若ひ輩いざなひまかりて。病家をあはれみし人の中に。恋(こが)
るゝ御かたも見えければ。いとゞ乱れて此奸(ねぢけ)人。色のあらはれ


16
言葉のす衛(え?)も人皆それとは聞きぬ。其中に是も釆女
と彼道を浅からず申かはせし。志賀左馬助めとがめて。人
は帰りし跡に留まり。なやめる枕にちかく小語(さゝやき)しは。御身
のさまいかに共分けがたく。心に懸る事もあらば。我には隔て
給ふまじ。今見えわたり給ふ人の御中に。思し召入られ
し御方有べし。さのみしうねき罪ふかしなど尋ね
けるに。それには非ずと云まぎらして過ぬ。時に暦の博士
をまねき問せ侍りしに。此悩みにて玉のをの絶なん事は
努々(ゆめ/\)有まじ。是は物のけ窮鬼のたぐひ成べし。尊き
聖に迎て祈り加持し給へと申せは。上野の天海大
僧正浅草中尊権僧正を頼み。二夜三日の護摩を修

し。母はまた其国の。大社/\へ願を懸しに。此しるしにや
少し枕もかるう見えし時。左馬助しのび来て。我との
事を恥させ給ふにや。是非それがし便りして。思ひ人の御
かへしを取。首尾は心やすかれなど申せば。今迄のよしみ
とて。うれ敷人の諌と。筆につくして包込み。左馬助に渡し
ぬ。重ねし袖の間に入て。何となく時計の間に出しに。
右京なる人。花に嘯(うそむ)きおはせしが。左馬助に近より。過しひ
とへは。御前に貞観政要の興行にいとまなく。けふも只今
迄は新古今を読めと仰せられて相詰しが。少しの気晴らし
に。物をもいはぬ桜を。友とせしと仰せけるを。幸いに爰にも物い
はぬ哀なる事の御入候と。袂に深く包し物を参らせければ。
我方へでは有まじきがと笑はせ給ひ。庭木陰のこくらき


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中へ給ひしは。文みんための心当なるべし。しばし有て。我故
に悩みましますは。身捨がたしと其日かへしを給りて。釆女
に渡せばうれしさ寝間をはなれ。夜にましむかしの気力に
なりぬ。世にはまたうたてき事こそあれ。近きころほひに
召出されし。細野主膳とて。勇みを先として。朝夕太刀の柄
をならせば。人皆うとみ果ける。是も右京を恋て。えびす心
のやるかたなきに。人して云べきにもあらず。花なる木のもとに
立寄り。蝉の耳かしましき迄。なき見笑ひ見。さま/\歎きし
に。せめては言葉も懸給はねば。なをやるせなく思ひ込しに。去
は似るを友とする世の習ひ。節木松斎とて。茶流の調度を預け
おかせ給ふ坊主。此恋を請取。命を懸て情の御返事と申せ
ば。右京うち笑ひて。法師の役は羽箒にて塵埃の心懸ある

べし。無用の媒(なかたち)なり。此文の壷のつめにもなりぬべきと。な
けやり給へは。松斎是非なく主膳にすゝめて。右京を討ちて
他(ひと)の国へ。今宵中に立のくに極めければ。けづの夕部を持ちて
身拵へするを聞て。はやのがれぬ所と思ひ定め。此荒まし
釆女にもしらせずしては。後の恨みも深かるべし。いはんも流
石武勇の甲斐はなし。我としづまる心の海。人を抱きて
渕に沈む事あらじと思ひ定め。寛永十七年卯月十七
日の夜なりけり。折ふし其夜は雨もしきりに物淋しく。直(との)
宿(い)も眠りにおかされ。袖を敷寝して前後を弁へず。此時と
うちむかふ。其さまえもいはれず。雪ねたましき薄衣を引
違へいよげに着なし。錦の袴すそ高に。常より薫(たき)物を
かほらせ。太刀引そばめ。しのびやかに立むかふにも。是は隠れなき


18
匂ひにね覚め驚く人も有けれ共。とがめずして通し侍る。
主膳は広間をつとめて。鷹づくし屏風に寄懸り持てる。
扇の要はしるを。うつふひて見る所を。はしり懸つて
声を掛て打つ程に。右の肩先より乳の下迄切付ぬ。主膳
も日来の勇みにたがはず。右の手にして腰の刀ぬき打に。
しばし切結びけれ共。深手に痛み。口惜やといふ声共にたふ
れらせ。押しふせ二刀さし通し。彼の法師めも一太刀と。燈をし
めしすゞろに時をうつしけるに。此太刀風に目を覚まして。
宿りの番組奥へ乱れ。御次よりは口にかけ出。是ぞ建久
のむかし。富士の狩場の周章(さはぎ)も。かくこそ敷臺に織田の
何がし。建部(たけべ)四郎いそぎ燈あらはし。右京を取かこめ。御前
に出ける、大殿あうらかなる御声にて。いかなる宿意にて

もあれかし。上をなkがしろにしたる事いはれなし。子細は徳松
主殿(とのも)にあらためさせ給ふに。段々至極の始終を申あぐる
に。御預りとの御意うだし給へば。右京を屋形の一間なる所をし
つらひ。其夜はさま/\いたはりける。討れし人の親は小笠原
の家久敷。細野民部なりしが。我子の討れし所へかけ込み。腹
切んにはしかじといかれる。母の親は去御方の不便がらせ
給ひ。常々歌の御会にも召くはへられしに。夜すがらはだ
しにて懸廻り。此事をふかく歎き。人を殺したる者。故なく
たすけ世に時めかせんの事はと。泪袖にあまれば。みし人
哀をもよほし侍るに。御局宮内卿の子に。はじめは東福寺
の首座たりしが。いつの頃還俗して。後藤の何がし馬に鞭
をすゝめ。しか/\の事申されけるに。道理に極り。右京に


19(挿絵)


20
切腹仰せ付られければ。中立せし松斎も。吾と最後に及び
かる。釆女は事のあらん前日より。御暇申請て。神奈(かみな)川の
母の許に帰りけるに。左馬助方より。文いそぎて始終
を書付。此曙に浅草の慶養寺にて切腹と申遣しける。
返事にいちはやく御しらせうれしさのよし申て。其身は
母に暇もこはず。早舟をかりて。御寺に着きしかば。夜も白々と
明む。山門廊下の陰にたゝずみ。事の様子を聞に。児法師
の集りて。とり/\に沙汰しけるは。今こゝへ容顔なまめか
しき若衆の腹をこそ切れ。げに斜めにかたほなるだに人の
親の習ひいかゞ思ふめるに。増て理(り)に過ていみじければ。さ
こそ二人の歎き給ふらん。哀さなど云を聞にぞいとゞ涙
ふかきに。見物聞つたへて集りければ。身をひそめて待け

るに。新しき乗物大勢つき/\ありて。外門にかきすへて。ゆ
たかに出しけはひまたなくはなやかなり。白うきよらかなる唐綾
の織物に。あだなる露草の縫づくし浅黄上下。織目たゞ敷う
らゝかにそこらを見渡し給ふに。卒塔婆の数の立けるは
家々の涙ぞかし。寺(じ)中の左の方に。咲おくれたるにや有ら
ん山桜の残りすくなきを詠めて。例ひ旧年の花残梢待後(こずへにのこるをまつともこう)
春是人心(しゆんこれじんしん)と吟じたるは。釆女なる人をかこちていふなる
べし。錦の縁(へり)取し畳に座して。介錯の吉川勘解由を
招き。鬢の美しげなる押切。畳紙に包みて。是なん都堀
川の。母の許へ。今はの顔見と便りに云送り給はれと。さし置く
所へ。和尚紫衣をまくり手して。生者必滅の理をしめし
給へば。此世に長生をたもつ美人。鬢糸をまぬかれず。容


21
色新たなる本意達して。自ら釼(やいば)の上にふす事。是成仏と
袂より青地の短尺取出し。心静かに巻かへし。硯を乞ひて。春
は花秋は月にとたじゃふれて。詠めし事も夢のまたゆめと
書置て。いなや腹かき切れば。介錯して立のけに。釆女
走りかゝり頼むと斗声して。腹掻破れば。是も首かけて打ぬ。
今年十六十八を一期として。寛永の春の末に闇とはなりぬ。
年頃召つかはれし家の子供。此哀れに思ひあひて。指違へる
もあり。またもとゞり切て世を捨てて。主人の菩提を弔ひ
けるとや。今に至る迄浅草の慶養寺に。二人の墓を築籠め
志賀左馬助も世にありてせんなしと。思ふ程を書残し
て。七日に当り空敷(むなしく)成ぶ。色々哀此時見る事ぞかし

  色に見籠(こむ)は山吹の盛
長屋住いの気晴しに。虎の御門を出て行に。果しもな
き野すえに渋谷といふ里に金王桜も。今血気盛りなる
若侍田川義左衛門とて。少年のむかしは四国にならび
もなき美形なり。名は松山に高し。子細有て浪人の
首尾よく。間もなく先知六百石にて済みぬ。思ひのまゝ成
春をうれしく。目黒の不動に心ざしけるに。身を清むる
滝のもとにして風流なる美少。玉縁笠に浅黄紐の仕
出し裏(つと)髪の色ふかく。蕣染の大振袖。ぬき鮫の大小。
此取まはしの小細(さゝやかなる)支(こしばせ)。ひだり手に山吹の婀娜(やさしく)花をかざして
静かに豊なるを。人間とは思はれず。姑射(こや)の神人牡丹に化(けす)かと
うたがはれ。うか/\と御跡をしたひ行に。いづれか大名の


22
御慈悲と見えて。横目らしき坊主二人めしつれられし
若等あまた。馬も跡に引つれば。大かたならぬ御身ぞと。
萬の事を忘れて行に。両人の法師も酒機嫌の次第
に覚えずに歌出でて。程なく小六の宮の邉にて桐紋
ある御門に入給ふ。辻番の者に尋ねければ。奥川主馬(しめ)
殿と申て御小姓の由語りける。帰りて其夜も夢に
両分けの前髪見通し。明けの日も御門先に立暮し。御奉公
も外になれば。俄に悩みつくりて。御暇申請。麹町弐丁めの。
南横町に棚をかりて。身を隙になし。三月廿四日より。同じ
年の十月初めつかた迄。毎日通へど。二たび御面影を見る事
もなく。文して歎く便りもなく。明暮恋に責らるゝ中に。此
国の守御暇を下され。神無月廿五日に。江戸御發駕に

極りぬ。何国迄もと思ひ立。俄にかり宿仕舞。見えわたり
たる諸道具を売払ひ。酒屋肴屋に済まし。小者にも暇を
とらせ。独り身となつて。彼御大名の跡しのび行に。其日は
金川泊り。あけの日大磯に暮て。鴫立沢の邉に恋(こが)
るゝ美少の駕篭を立たせ。浜のかたの戸を半ば明けて。
心なき身にも哀れはの古歌を吟じておはしけるに。眼
を据て見込めば見合せ給ひ。爰を別れて又見る事もな
く。ねぬに夢路をたどり宇津の山の切通し。袖擦岩の
陰に隠れ乗物窓を覗きて。思はずも潜然(なみだぐみ)しに。恋君も
心にかゝり初しや。千嬌(ちのこび)ある御顔ばせにて。婀娜(やさしく)も見かへ
し給へり。なを弥増しに憧れ。日を重ね行に。それより拝
顔もせずして。やう/\作州の津山にて見おさめ出雲


23
の国に入て世を渡る業とて。㭷に肩をいたませ。其年も
暮過ぎ。あくる卯の月の初めに御参勤。また武州迄の道中
に御顔見合す事。桑名の渡し場汐見坂。鈴の森にて
三たび見送り。又江戸詰壱年。毎日屋形の外より
歎き。姿もおかしくなりていかに恋なれは迚。武士たる
者の身の程をしらず。次第に憔悴とおとろへるは。
又もなき因果なり。あけの年又国本にしたひ行に。
見初めて三年其身を捨ければ。袖口も裂(ふくろび)。襟から綿
をあらはし。脇指がかりになつて。金谷の宿はづれ
にて。乗懸はるかに見入ける。主馬も此男を見定め。扨
は我に執心を懸つる事もと、気に移りて自然と哀に
思はれ。横目の透もがな。尋ねてせてめは言葉をかはし

て思ひ晴らしにと。中山の松陰に待たせ給ふに。男は追付き
がたく。其後は行き方しれず。何心もなき折ふしに。此者
の事思し出さるゝこそ情ふかし。御入国の十日も過
て。義左衛門出雲に着きしに。足をいたませ。むかしの形は
なくて。浮世もかきりに近し。露の命。恋の種かくなり
ても此身を惜しみ。おのづからら袖乞となつて。朝(あした)の霜を
簑笠によげ。夕の嵐に足をちゞめ。昼の日は野すえに
忍び。御夜詰すぎて。御帰り姿見る迄。是を楽しみに。毎夜
御門前に通ひぬ。有時主馬若等の九左衛門を潜かに時雨
ふる夜の淋しさを語り。侍の家に生れ。我いまだ人を
手に懸て切たる事なし。其時に指し当りては心元な
し。是非今宵の中に。心ためしさせよと仰せける。御器量


24
の程常々見立申に。おくれさせ給ふ事には非ず。無道
に人を切。天のとがめも有べし。時節を御待と申せば。
筋なき人を切には非ず。最前おむかひ屋敷の大溝を
見るに。世にありて甲斐なき非人めに、何にても願ひ
を叶へ。其跡に命をくるゝか問へと仰せける、あの身に
も惜しむは命と申。それより乞食は枕ちかく立寄り。卒爾
ながら無心あり。世間の墓なき事を思ふに。人間の一生
は今降る雨の晴間も定めがたし。殊に其方醜ひ身と
なり。ながらへて益の有まじ。我らが頼みし若旦那の望。何
にても三十日願ひのまゝに暮させ。其以後刀ためしになり
なば。跡弔ひての御事と。有増語り聞せば。此男少しも
歎かず。迚も春をまたぬ身の。寒夜の難儀しのくに

(挿絵)


25
息も絶々なり。奴かれは親類の末もなければ。かさねてと
がむる人もなし此方願ひの最後と起あがるを。屋敷に
つれてはじめを申あぐれば。先ず行水をさせ。借し着る物に替
させ中間部屋に入て。望み十日が間献立をとり。数々
のもてなし。約束の日切なれば。広庭に夜更て引出し。
己命をくれるに偽りはなきか。非人首さしのべ御手打と
申。袴かいとり白洲に飛下り切付けられて。胴骨も動かず。此
脇指刃引き也いつれも是をふしぎの時下々残らず中間の
外に追出し。書院に座して。彼男に顔をあげさせ。其方
は見覚えたり。以前は侍そと尋ね給へば。町人の筋目を申。
いや/\隠し給ふな。我に執心浅からぬ思し召入見請たり。
今となつて包給ひ。いつの世に誰にか語り給ふぞ。扨は我見

違へかと仰せける時。肌より竹の皮に包込し物を取出しあぐ
れば。柿地の錦の守袋をさゝげて恐れながら。心底是にと
申も果ず。涙は玉をならべける。紫の緒を解きて見給ふに。薄紙
七十枚継ぎて。目黒の原にて初恋より。けふ迄の思ひを筆に
つくしける。四五枚読兼巻かへし。彼男は九左衛門に預置き其身は
曙早く登城して。御前に出。それがし或人に思ひ込られ。念者
にもたずしては。若道の一分立たず。自由仕れば。御掟を背き
年来(としごろ)の御厚顔を忘れ侍る。兎角は御手打にと申上る。子細申
せとの御意の時。右の一巻を大殿半時あまり。奥迄人しれず
御読みあそばし先ず罷帰れ。是より詮議の後申渡すべしと仰られ
けるに。私宅に御帰しあそばしては。其まゝ不義仕るなれば。是
にて切腹とかさねて御訴訟。しばらく御思案あつて。大横目に


26
仰付られ閉門と申渡され。主馬宿に帰りて。其日より浪人を衣
類を改め大小を渡し。命切の戯れ。前代になき郎道ぞかし。
身の取置きもして。死をまつ事何か思ひ出なるべし。それより
廿日目に閉門御ゆるされ。其上丸袖の時服(じふく)五重ね。金子三十両
頂戴して。思ひの外なる首尾なり。浪人の義。明日見立て
江戸へ送り申せとの御事。有難き。いつの世にかは此御恩はを
くるべすぃと。朝をまたず旅の名残十二月廿七日に馬をむけて
見送る者共兵庫より国にかへし。東武には下らず。和州
葛城の山近く。枝のは井の水有里に隠れ住居して髪
散切に。夢元坊と名を替へ物いはず外に出ず。笹垣の奥深く
岩間づたひの筧の流れ。少時(しばし)も住(とゞ)まらぬを慰みて。聖言の跡を
楽しみ。此心の清く涼敷。世に美を尽す時花(はやり)扇さへ持す 終