仮想空間

趣味の変体仮名

男色大鑑 第六巻


読んだ本 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/index.html
      ヘ13 04190    

                  (7)

 
2
男色大鑑 本朝若風俗 第六巻

 目録
「一」情の大盃潰胆(ひつくり)丸  二丁目
伊藤小太夫さながらの女
衆道中立売の内義
きのふの小袖けふは形見

[二」姿は連理の小桜  七丁目
願状にしるゝ千之助が心ざし
文章はいもせの階(はし)かゝり
人のしらぬ情一夜の笹箟屋(さゝのや)


3
「三」言葉とがめは耳にかゝる人様  十三丁目
胸を烟らず仕出したばこ入
口ゆへにきられ損切りたり牢人
山三郎思ひみだるゝ瀧の糸

「四」忍び男女床違え  十五丁目
人の顔見せおもしろの出見世
近代の風俗お山吉弥が真似
おもひもよらぬ兄様の仕合

「五」京へ見せいで残り多いもの  十八丁目
古今出来まじき物平八が若衆方
酒ゆへ夢太郎と我名を呼ぶ事
女の執心三十日めに惜しや命  目録終


  情の大盃潰肝丸(びっくりまる)
榾柮(きのはし)といへど法師程世に気さんじなる物なし。
したい事してあそび寺それ/\の宗旨に学びおき
たる経を読みて。諸旦那に衣を着て逢より外勤める
事もなく。包み銀(かね)のたまるを仇につかふもよしなし
とて。恋のはじまり芝居子狂ひ是ぞ出家に備
はりし遊興。色座敷にも身の一大事を忘れず
精進をかたく焼麩柳茸のにしめ物。是にて夜もすがら
の長酒(ちやうしゆ)。よくも呑まるゝ事ぞと。此真実(まこと)ある心ざし殊
勝千万にぞ見えける。いかに仏の覿面にしるしみせ給
はぬとて。長老様の椙(すぎ)焼も出来はせぬ事ぞかし。肴を


4
心まかせに女濡(ちよぬれ)世間はゞからずは出家にならぬが損な
るべし。さる上人の物すきにて伊藤小太夫に舞台衣
装を着せて。かづらも其まゝ女にかはらず風流なる
面影。一座の興ともなし給ふは誠に女めづらしき心に
偽りなくて。諸人是をよきと沙汰し侍る。折ふしこの
乱れ座敷まじはりし猩々の源兵衛といへる男のかた
りぬ。伊藤は古今の色酒振同じ手組の客にして所
もかはらざるに。此太夫ひとりの仕掛にて萬格別世
界の詠め。東山の月の顔も紫の帽子かけたるやうに
思はれ。祇園林の烏の羽色も。宗伝唐茶に見なし。
時めく美君にうかされ我にかぎらずいづれも明からを
おしみ。秋のよの夢ばかりなる手枕になど。古歌を取違へ

て前後を覚ますになりにき。されば一人の心は千万人の心
なりと杜牧之(とぼくし)が阿房宮(あぼうきう)の賦(ふ)にも書残せしが。伊藤
か心の渕に沈められずと云事もなし。歴々の帥中間
もおよがされて恋に無遣瀬(やるせなく)て悩み果てける。いづれはあれど
此前人気分は寛濶(くわんくわつ)にぞ生れ付きて。物静に自づからの若
女がた宋体(とりなり)今風の仕出し。爪端(つまはづれ)ゆたかに物ごししとや
かに。舞事すぐれてよろづの拍子きゝて。染川林之助が
乗初めし二つ縄を一筋にしてわたり。都人の目をも覚まし
ける。是人間業とは思はれず。殊更吉野身請の狂言に此太夫
道中移せしに。誠の吉野は藤に色を奪はれ。あだなる桜と見
くらべていへり。今また評判するもくどし。よきに極りたる証
拠をしらずや。若道(じやくだう)狂ひの焼けとましぬ者の申出して。此若


5
衆を墓原(はかわら)rといへるは。一夜の情代銀三枚あげし替へ言葉なり。
秤目こまか成京の人が枕の夢に。百弐拾九両かけしや。情なれ
ばとて。思ひ切ては出せし事ぞ。惣じて高い物の悪しき事
なし此太夫は洛中の女貴賤にかぎりもなく思ひをふくみて
いひもやらず命をそられける人数をしらず分けの文共便りを求め
て通はせしを。かりにも取あげざるは難面(つれなき)心にはあらず。其身
美道の意気をおろそかに思はぬ故ぞかし。今時の野郎勤め
の内は是非もなく脇明けの大袖を着て。隙の夜は丸袖になり
祇園町石垣上発見穴奥(こつほり)八坂清水の茶屋をさがし行(あり)
き。土手町の素人女にしのび通ひ。宿にては物縫ひ女を昼居
舐らせ。それのみ悪所のさかりは面皰(にきび)にあらはれ。衆道の形は
外になりて心から花のさかりを見かぎるゝこそ浅まし

(挿絵)


6
けれ。惣しての勤め子つゝしむべきは此ひとつ。五三年其程
過れば昼夜をかぎらず。釣ものしても人はとがめず。およそ
唐人の若衆にしてから鍔のしれた事。是は笑へどいづ
れも浮気の大座敷やう/\足掻きをやめて。汗は又元の水
になして手前風呂立さはぎて入ける。春の日も暮になり
て板屋もしらぬばかりの雨ふり。明日見る梢のためにはよ
しや岸根蛙の声せはしきもゆたかに聞なして。笹垣の
外を覗けは女はさかり三十一二の美形。額際より自然とうる
はしき黒髪なるを。いつすき櫛のわかちもなく。油のかほり
絶へて。はしたなく折曲げて。古暦の引裂紙にてつい結び
捨て。薄椛染の小袖小山尽しの書き紋。其けしきも幽かに成
迄着ふるし。肩先の吉野山をむかしになして浅黄

の木綿ぎれを当て。裾に末の松山の所には横嶋の継ぎをし
て小倉の男帯に細目布のはしつぎ左の脇腹にむ
すびとめ。ひちりめんの下紐色かはれど流石残りて。
いかなる人の果ぞと心をうつさせける。髪置き頃の子らに
紙子の広袖を着せて川原におのれ咲の菜種の
花を三もと三もと手折てむす子が泣くをすかして
我が阿爺(とゝ)様の悩(なづ)み給ひて。迚も及ばざる若衆様
に命をとられ給ふ。それはの藤の丸の内に伊の字の
紋所を花紫の大振袖に付けておはしける。朝むらさき
といへど夕べになをうつくしさ見よとて。肩車に乗せて
青葉の立木隠れよりさしあぐれば。彼の倅子いたいけ
したる手をあはして。あれはのゝ様かと目もふらず拝


7
みける社(こそ)おかしけれ。各々垣ごしに聞に堪かね杉の組
戸をあけ過ぐれば。此女胸轟かし漂(たどり)行くを引とゞめて子
細を尋ねけるに。おそろしやとはかり云消してさしうつ
むきし風情気を付けてみるに。眩き程の仇人なり。いか
にして恥かはし是まて忍びよられしぞと。いやといは
せず問つめられ玉つなぎたる涙を諸袖に伝はせ。恋の
始めを語り出るより随分大胆なる者共惣泣き是ぞ至
極なりける。今は恥ぬべき事にも非す問はせ給ふこそ嬉
しけれ。我つれあひは都にしれての衆の道に溺れ。世に
有時は難波津や梅に松本才三郎に相馴れ。むさしのゝ
月をもそねむ花井才三郎に戯れ。此河原にて村山
久米之助に気を失ひ。牛房庄左衛門方に夢に暮て現

に明かし。過にし紙漉町の躍りの場の喧嘩にても。此君に
あやうき命を惜まず男を建てられしに。さりとは世程さだめ
がたきはなし。今は室町の本宅に住み兼なるに甲斐なき
北野の末。廿五日ならでは人の面影を見ざりし片影に
引込みうき事ばかり聞明かす卯木(うつぎ)の耳掻を細工して。一日
を暮す片手にも若恋(じやくれん)を忘れもやらず。いつの頃よりうか
/\と其事をいはずして打悩み。けふを限りと枕の哀
なる夢にて。見ずに果ぬべし。伊藤小太夫をと男泣き。
女の身にしてかなしく世もまdすいければ一人いたましく。せ
めては太夫殿に通じて。書き捨の物なり共申請て。最後
を心よくいたさせ参らせたしと。あらましに語り絶て涙
より外はなし。情をしる人々しばらく女の心ざしを感じて


8
太夫にはしらせずして肌になれたる定紋の緋無垢を遣はし
是を見せ給ひて後其人勘気を得し時思ひを晴させ申へ
しといへば。此女猶涙に沈み。扨も有難しはやく此事を聞せ
と立帰りし跡にて。伊藤に語りければ。それは何方へか其女はと取
あへず道の程二三町もしたひしが。行方の知れざる事を歎き。我故
命のせまるとや。其人に逢まして其思ひをと狂乱の如く成ぬ
漸々其日も明けの日に人顔の薄くこく見へし時。きのふの小袖
を帰して墓なやみ人は曙に煙となしける。此きる物を見つる
嬉しや相見る心ち是迄と。身をふるはし詞も終り我斗悲しきと
泣に其座に心玉の有る人はなかりき。細かに尋ねて跡をも弔いてなど
と思ふ所へ男女餘多(あまた)懸け付けとての事をもいはず。彼の女房を乗物に取
のせ。是は由なし親御様の御外聞月夜に灯燈昼共弁ずとつさくさして帰りける

 姿は連理の小桜
天竺の荷葉(かえう)大唐の牡丹和朝の小桜是を花の随一と
定め詩歌遊興の基なり。されば諸木物いはずして然も手
なく歩まず。吉野の嵐初瀬の雨。春の名残人を驚かし。
かへつて無常のはじめとなるのみ。あかず詠めは姿の花若道
のさかり千本(ちもと)の中にあらはれ。千之助が芸振さながら女に
女のまばゆくしら/\と顔見とむる人もあらぬ程にして。近
代の稀者も動かさずして言葉のあやきれて聞に情含み
いやとはいはれぬ笑ひ諸見物たばこの吸がらに袖の煙をしら
ざるは放火の笑ひ后をなぞらへて直思はれける。不断の
身持殊更にかためて。勤めの外。夜の道筋を踏まず朝に
寝顔を同じ内なる末々にかりにも見せる事なく逢は


9
ねば忘れぬやさしき事おほかりき。いづれの人にも愛嬌
そなはりて有ける。是そよしや難波の大寺にたゝせ給ふ
愛染明王役者おろかならず祈りて。紋提灯に和光の
陰間子はしらず。桐の頭(とう)松本小太夫二つ木瓜袖岡今政
之助重ね柏に巴鈴木平七是に心を掛奉る御宝前
はらひ清める法師の内陣をあらためけるに一つの願
状籠め置きぬ。しかじ世に鼠程うるさき物はなし。封じこめし
をおのが心まゝ喰裂きしに。其筆跡をみれば。願主小桜千
之助として。自ら存ずる子細有るによつて。五年我ながら
ならぬ事のみ大願成就の内かたく此身を清め畢(をはん)ぬ。
所々きれ/\よみて各々かいやり捨ける折ふし参詣し
て是を聞しに。まことある心からにやと。いと殊勝に

思はれける。然も其日は二月朔日夫より此若衆にうつり
気になりて。すぐに荒木与次兵衛が芝居見物せしに。
けふより初狂言のかはり三番つゞきの口上に松本文左衛門
罷出て書付をもつて外題を読んで後。役人付ためらはす。
扨も申たりと誉めける詞の下より色香のふかき桜は顔
にあらはるゝ若女方幕って見えそむるより。いよふ/\
千さま千之助様。万人の中にもまたと御ざるまい。今の
世の人殺しめ生きながら墓へやらるゝいはと舞台うらまで
ひゞきわたり。諸人の夢漸々囃方片扇をあげて静め
ければ仕出し舞台なかはちかく鳥足の高木履(ぼくり)其身は
紙子にさま/\の切接ぎにくからぬ模様此子なればこそ着
もすれ末々の女方の着て似合まじきとはや西二軒


10
(挿絵)


11
目の桟敷より物馴共沙汰し侍り。首に懸けたる叩き鐘の音
迄もしほらしく正面に少し笑て一しづめ色ふくませ
てうるはしき口もとよりして?(誘・誇?)諷(せりふ)爰が聞所じやだまれ
○只今爰元をすゝめて通る自らは。好色中興の世捨者
夫婦妹背の修行者也。されば足柄箱根玉津嶋貴布祢や
三輪の明神は夫婦男女のかたらひを守らせ給ふ御神
なるゆへ我心中に大願あつて。隔夜に通夜をいたす。其心
ざしは我身にふかいおもはくが御ざりましたれ共。月には雲
のさはりとかや。かなはねばこそうき世の中。あきもあかれぬ
中なれ共。引かわれせし悲しさは命も絶ゆるばかりで
御ざりました。しかじ我身こそ前世の宿業によつて
かやうのうき目にあひまする共。せめては世に恋ある

人のまもり共ならなんと。身命(しんみやう)をなげうつて世々の
恋ある人の為に。此五社大明神を祈りしに。神も納受
まし/\てあらたなる告げを蒙りて。此連理の枝を授
かり餘多の恋をすゝめ。千人に及ばゝ供養をとげよ
其縁をむすびとめたる者は男おな子によらず。見
めよく品(しな)よく形よくしかも心中は猶よく。一生口舌
事なく此世も後の世も又其後の後の世も御まもりなさ
れうとの御託宣で御ざる。皆様心中によいおかさまや
殿子をもちたいと思はしやれまするならば。此連理の
枝にむすび付さしやりませい。いかやうな恋でもかな
はぬといふ事は御ざりませぬ。
扨も/\長言をさはりなく申しまへは浮気男とも


12
思ひ/\にむすび付し中に年の頃廿四五と打見へ
たる人富士おろしと云大あみ笠をぬげば紫の手細に
て頬かふりして顔は見せざりき。何とはしらず思ひ此内
にありと書きたる立て文一通しとやかにむすび付け姿を見
こみし有様つねの人とは思ひ入もふかかり。千之助がく
屋に入ばおの/\立かゝりむすびし文を見るに大方
ほれました命/\などゝ書きて別の事なし。件(くだん)の
文をあけそむるより。さりとはわらはれず行成(かうぜい)流に
筆をうごかせ先ずはその文(ぶん)がら
色(しき)は則是空(くう)空は即是色いざなぎいさなみの御事
なん猶いふにたらず都(すべ)て和国の姿心なき草木も色
なる顔ばせ時しもあれ今の月今の日めぐみ又しかり

此心をふくむ人わくらばなり。心にあらねばもろわざう
つる事かたし。諸人の目をよろこばしめんたはれのこと
見ん人もあらんなれど賤はさとみず。おのづから色を心
に染て連理の小桜外にさかりを顕はし給ふぞやされ
は高きいやしきに隔てなき其修行の道なればなど願
ひて叶はぬ事のあらん。只一筋にねがひけるをいき如
来の捨おかんせぬめりと人の山崩れて笑ふべしな
ればと君ゆへの恥はなんのいの。つたなき口していふが
くだ。実(まこと)の色を顕はしては年なきを連理にやどらせ
比翼の思ひをなさせて下され候はゞ七世迄の厚情
さなくは七生の恨みつき申まじて候。此月の十日にこの
所に此すがたして此御返事をうけとり申べく候儘


13
かならず/\/\や
人々よりて読けるをあはれに心ふかく思はれしおり
けし北方角の九郎助といふ人我もまたありて此
文袂に入しに千之助立かゝり我を恋てのふみ仇に
はと真顔になりて取かへしけるはほいなくせめては
と硯はやめてかきうつし帰りぬ。其後千之助は此男の
有りかを尋ねければ上町の笹箆(の)屋を宿として備
前より分けありて身を隠せし人むかしはいやしから
ず子細聞までもなくひそかに我方に乞請て春の
夜の闇はうれしからじ昼見る桜よりは寝道具の
散りさくら数々わけのよき事させて明がたの烏め
憎しと云時千之助おくり出て是にかぎらず

又もと心をのこしける物を手にわたしぬ。彼男うれ
しさのまゝに此道にふかけれ共。せめてはと脇指ぬき
もあへず腕二つ三つ引捨て時ならぬもみぢを見せて
立帰りける。夫より尋ねしにさだめがたくなりぬ。此
事人にかたらずけかき情しりなり。ある時田中屋冶(ぢ)
右(え)方にて九郎助まじりに宵より酒事つのりし
に小桜が金剛駕籠の作といへる男くるを幸いに
酔はせての上にていつぞやの冬の終りはとたづねしに
はじめを残さずかたりぬ。聞く人是はとおどろき扨も若
衆の根ざしぐかく是ぞ恋の山桜今はさかりちるを
おしまぬ人は


14
 言葉とがめ耳にかゝる人様
紫野の法師は扇に絵かけるを妄語の誡めひとつといへと
紙をはなれてからす飛び。足を十(とを)付くれば水邊に躙(にじ)る蟹
あり。宅磨が牛東波が竹。雪中の芭蕉は嘘をまこと
にす。いつはりのなき野郎のかなの姿を桜木に彫りて
一冊とせしを居ながら美形を翫ぶ事重宝にながめ
くらす。牡丹芙蓉の色を諍ふいづれ愚かならず是程
うつくしう筆を尽せし中に悩(なづみ)たゞならぬと。はや恋
風は筑波根の峯より落つる滝井山三郎 吾斗の色
を誂へはせまじ。照君も黄金不買漢宮?(わうこんはかんきうのかたちをかはず)とこそ。嗚(あゝ)
不言不笑(いはずわらはず)。それよ扇をかざせし女を見て恋しづみ。
糺のもとりに撥音をあやしみ誰(たが)すむやどはしらざりし

築地(ついぢ)の内をみれば。よ所(そ)にはふらぬ時雨とながめし主の
風骸(ふうがら)。柳の朶(えだ)の夕べの気色。ねんもない絵などは見おと
りてむかしにあらぬ思ひとなれり。色こそかはれなを
なりやすさうに恋に思はれぬれど。牢人の身の悲
しさは朝の風夕の雨さへしのぎがたく僅かの借り棚窓
より覗けばけふも思ひの山。胸は富士の煙をこがし涙は
深川の浪に滴る。干がたき袖をしぼりのたばこ入仕出
し。是(こん)を渡世としてい命をつなぐ舟つきを売めぐり
て毎日木戸銭出だし。此狂言に瀧井山三郎が出ます
ると云時に入て。正面のシテ柱の方に身をよせ。これ一
番と詠めし時。童戯(とうけ)坂東又次郎が軽口万能丸五郎兵
衛が答話(たうは)其日は思ひの外仕組違ひて。せりふ入見たれ


15
ければ。山三郎僅かの所に言葉のあやきれざりき。南の
方の桟敷の下より置きをれと云ふ。彼牢人聞もあへず
だまれと云。いやだまるまい山三郎引込せと云。大事
の時邪魔なして座中是を悪(にく)みける。其男は色黒く
鬚自慢目を世間にひけらかし。仁王団助とや関東にか
くれなきもてあまし者なり。人おそるゝにかつに乗て
猶いふ事をやまず。芸の中(うち)山三郎もすこし赤面し
て其男をまなざしにかけぬ。此子一代におけといはれ
し是がはじめなり。程なく果てて見物出だしに。浪人
彼男を跡より忍びて濱町のすこし透きを見合せ
むかふに廻り。山三郎におけといふたる頬桁は爰かと
壱尺九寸ぬき打に。柄に手もかけさせず。はやわざ。

(挿絵)


16
刃物おそるゝ町人百姓も荷付け馬を引のけ。さても
/\と力をそへ。退き道をあけける。是ぞ縁なるべし
おもはずも山三郎が金剛の住けるうら棚にかけ込み
し。爰はとかくして命にかけて置きしも至極也。
夜に入て山三郎忍びて来り心ざしの程うれし
さ尽されずとあらためもやらず衆道の念頃して。
其後は末々の頼みに色紙ふくみ。人しれず申かはせ
しに。さりとは其人はいとほしく後には勝手勤めも
おもしろからず。是に外を忘れける。人の身程さだめ
がたきはなし。此牢人生国石見の濱田の人なりしが。独
りの母親こがれて世のかぎりとしらせて代筆のふみ
見しより此事山三郎に語れば。断りに責められ外の事

にあらねば涙に別れて後。又も音信(おとづれ)の絶にし事
を歎き。いつとなく思ひ沈みて朝にこがれ夕べにたへ
面痩せ形ちかはりて程なふ床につきけるが。うらめ
しの浮世のならひさかれる花の村雨桂光の雲(うん)
牟(む)十九(つゞ)の名残平生の顔色は病中に衰へ芳躰
眠るがごとし。新死の姿美麗暗に変ず落花の風。見
るもの袖をしぼり聞もの袂をうるほさすと云事な
し。木挽草滋らん鶴林(くわくりん)の患(うれへ)禰宜町臥猪(ふすい)の床となら
んと歎くのみなりしが


17
 忍びは男女の床違ひ
上上吉弥白粉かけねなし。四条通高瀬川の橋
詰に新見世出しに。京女一子細あるは爰に立かさなり
もとめて帰りし。いかなる事や声なふして美女を呼び
けると尋ねしに是はおやまの元祖大吉弥が下宿(したやど)成
が相応なる商売せしといへり。一切の女紅粉の翠黛(しぃたい)は
只白皮(はくひを)?(いろどり)てこそ見よげになりぬ。女がたもむかし右近
左近が時は。面影は。まぎらはしくかしらは置手拭にして
大かたに色作りしに諸見物もそのなりけりに請取、仕組
も今に見くらべて過にし事おかしかりき。当代諸国
の風俗都の女をまねくやさしくゆたかに?体(とりなり)に。う
まれ付の恥をかくすを。明暮遣ひなれたる鏡より外に

しつた人なし。吉弥はすぐれて美形を芸子にして
金玉を金子にして琢(みがき)ける程に。おのづから太夫にそな
はり肌より。銀壱枚の光りさして四条河原の猟
もきかず。磯なる色遊びは目緩(めまたるく)て。皆此美少にあひ
ぬ。猶姿に気をつくし。桜咲く十八日に祇園町さる方に簾
を掛させ。まことの都女の風俗をみて。よき事もあらばそ
れをと思ひしに。心にくきは女駕籠の窓より鹿子下げ
髪のちらりとすきうつりて魂飛び入ばかりぞかし。皆々
よきにはかぎるまじけれど。悪女とは思はれず。貴賤の
損徳爰にあり。銘々の楊貴妃おしろい有がたし。遠
目に色をかづかせ。気を留めて見るに世間の疱顔(いもがほ)を独り
してあづかり。いやといふてからすこしもとりへのなき


18
顔なりしに。其後ろつき帯結びたる品物。又あるまじ
き風義いかなる女と尋ねしに。洛外まで足をのべ
小家をさがす塩売の男。是を見おぼして。あれは東の
洞院の浮世紺屋の娘。姿のお春(しゆん)といへる名とりとか
たりぬ。吉弥是をうつして壱丈弐尺の大幅帯。くけ
めの角(すみ)に鉛のしづをかけ。世に吉弥むすびとはじめ
て今にはやらしぬ。有る時喜貴なる御かたより舞台姿其
まゝにまれのよし。夜に入ての忍び乗物勤めの身とて
行くに。御門ちあくなりて定紋の提燈闇になして。厳
しき番所見へしに。恋はむかしになりし女。むかひにいで
吉弥手をとりて案内して行。心もとなき事ながら
此道は首尾さま/\なりと。其御かたに身をまかせ入

(挿絵)


19
に番の者寝声にて。女壱人とこたへて帳に付けおくよし。
そこ過て並木の真砂地百閒はかり行て。又中間(ちうけん)左
の方の蒔石いろ/\。木の間/\の釣灯籠に影移り
て玉なす濱かとやり水のながれに添ふ。庭籠の諸鳥夜
鳴くもありて気をつけしに。白?(はくうん)枯木(こぼく)の陰に宿し梟
梢に身を動かし鸚鵡口まねもせず。静に階をあがれば
宮城野を爰に真木の二枚戸をあけて長廊下さし
足して行くに。女の笑ひ双六音。琴はしめやかに横笛は
るかに。うき/\と心をさだめがたく。灯火もなき大書いん
歩みて又板敷の縁に出。たれむしの数くゞりて絹ばりの障子
引あけて。紅いの房つきし綱うごかせば。玉の鈴音なし
て大勢の足おとしどけなく屏風をこかし伽羅箱蹴

立て。とれお山は吉弥はと男めづらしく詠め。俄に乱人
のごとし。上気は青さめて扨も/\見ぐるし。つぼねら
しき人せいして奥に其御ひとり宮女の御有様。位と
られて皆まで言葉につくしがたし。金銀のかはらけ出
御うれしげに酒事はじめ給ふに。女のかけ出それ御か
へりと蠟燭吹消てくろめける。吉弥かくせる方もなく
女あまたにおくり出しを見付給ひて。それはと仰ける
に歌舞の女と申。地下(ぢげ)には稀成物とおぬしのものに
あそばしける。遠慮なく御たはふれいやはならず。此時の
迷惑さぜひに叶はず。女かづらをとりて御目に掛ぬれば。
是なをよしとかはゆがらせ給ひける。おもはぬ方の床の
あけぼの最前の妹君のさぞほしなかるべし


20
 京へ見せいで残りおほいもの
花の咲く山はあらふが恋の海見せばや衆道の芸振生きて
はたらく鈴木平八。本朝は見めぐりしに又つゞきていふべか
らず。此風俗唐にも有べきか。されば蘇子瞻(そしせん)赤壁(せきへき)の下(ふもと)に
遊んで薄暮に置き網をあげて魚をとりての楽しみ松江(ずんがう)の
鱸を思ひ合せてうまふもない酒に明なんとするは扨
おいて。昼を月夜と歌はせたしと思へば。唐にも見せいで
残り多ひもの。この人品(しな)形の諸色に勝れ。賢愚貴賤共に
一度眸(まなじ)れば手の舞足の踏む事を忘れなやませ。猶枕
かはせしは馴し子持つが中をもたがはす程のしれものなり。
くどふは人の見聞きてしる通りのごとし。惣じて芸は

万(よろづ)にうつる事奇妙なり。武道は名におふ藤代(ふぢわら)の庄司が
ゆかりなればしかなり。さる程にことし貞享の春。他力
本願記の仕組ことに面しろく。人の山崩れて恋の渕
を埋づみ責めては御手(みて)の糸にすがりて来迎の姿を拝
み奉り。?諷(せりふ)を梵音金口(ぼんをんきんく)に聞なしける。此頃日本
橋の駕籠かき共八つさがりよりは一人もなかりし。いか
にと問ば大和河内和泉の片里よりの見物帰りにぞ
有ける。あるは麦藁筋の少(ちい)さき袖をつらね。箔の帯の
ひかるを自慢にむすびさげし山賤女も堀通ひに身
をやつし。手業を忘れ少し品やるとて尻ふりうはさ
して往き還る。ちかき里はいふにをよばず群をなす事
何年己来(このかた)なしと沙汰しけるは鈴木独りのいろに


20
まどへるなり。都(すべ)て恋侘び悩みて夕べの露をあやま
る者。男女の数指を折るに暇あらず。殊に三月三日
は鉱(あらかね)の槌打つ二蔵までも天王寺清水汐干などいひ
て遊ぶ日なり。まして其上つかた一てうらを取出し
て思ひ/\に立出。住よしかこつけて皆此芝いに
入涎は堀の水かさをまし。鼻毛はいかのぼりをあげ
狂言の継?(つぎきせる)を湯になして。首の骨の折るゝもしら
ず。いよふ平八様など口々やかましく褒め立てぬる。男は男
共思ふに所せく中に女も女。きのふ髪切りよい年頃なる
一年(とせ)たらぬつくもがみさへ。根から剃りおこしたる墨染
まで心の中外にあらはしけるも興さめておかし。ある
が中にひがし三軒めの桟敷いみじく囲ませ身持たる者の

娘と思しきあげ巻程過ぎ己美目(みめ)すがたうるわしき。我と心
にしり初めて恋をば人にならひたき最中。たゞし下地
あるもしらぬが続き狂言のはじめより目がれもせず平
八を詠めうれしさうにかた頬にえみをふくみたるあり様。
思ひ入のふかさうな事。人めなくははしり出てといはぬ
ばかりに見えける。おかしくも哀に思ひ居るに。時うつりそ
ろ/\果て口になれば。此女うれたきおもざしになるは平八が
楽屋入を名残おしくあらん気色。芸もおはり平八入
んとするに階(はし)がゝり迄ねん頃に見送りけるが。あまりて
思ひしづみ其まゝ絶入ける。芝居は退出(おひだ)しの太鼓を敲き立て
どや/\とするに。つき/\゛のぬ僕は水に薬よと噪ぐ。此
道すきものゝ我なれば。最前よりとくと目きゝはして置く


22
心根ふびんさに其まゝ医者分になつて。巾着さぐりな
から桟敷に飛あがり。年玉にもらひし延齢丹(えんれいたん)をのませ
ければ。漸々として息出乗物に入て帰りける。所きゝたれど
爰に遠慮す。扨も其女はひとり娘にて日頃月花と寵
愛せしに。え忘れぬ病に起き臥しくるしく。医術尽せ共
芝居のあたりあるに療治なく。次第によはり形も思ひ
崩れ目もあてられずなまなかかう/\といひたらば。
世間にはかへぬ命なるべき事になま心にて独りぐち/\
と胸にかためてとかず。ついに三月八日に開かぬ花散り
て二親の歎きかなしむ事かぎりなし。平八其日は坂
田銀右衛門方に遊びて竹本義太夫伊織などに一二段
かたらせて聞く所とて静に暮がたより我宿に帰りぬ

(挿絵)


23
春ながら秋ふかく風かと身にこたへてうちなやみける。明く
ればよはり。暮に身をもだへ次第に世のかぎりとおもひ
さだめし枕にちかく問よる人の中にも。すぐれて年
月の念頃忘れず諸共に命ちらばと桜山林之助が心
ざし深かりき。上村吉弥も京より折けし下りて浮
世の暇乞浄衰へたる身。通ひ兼たる息づかひ。それも正敷
言葉をかさね。盃をかはして別れの涙の外なし人社(こそ)
しらね執心かけし方には身をまかせし事其数を
しらず。腕突き股切るかぎりなし。いつの頃か里人指切て
舞台に抛(なげ)しも。色の首尾残る所なく不断の心持天晴
役者には惜き者ぞかし。其身一代に情の咄多かりき。
若年の時五人の名書きして此中の御方には。いつによ

らず一度づゝは御心に随ひ申べきとの誓紙ありける。
悪口中間に何事をか見付られける是おかし。万気に
障りなき若衆又の世にも有まじ。古今武道己美道の詰
開き日本若道の鑑移して其身作りて違ひなし。惜し
や日かずふりて自ら便りなく。身冷魂去荒原棄(みひやゝかにたましいさつてくはうげんにすたり)との古
詩今此身に思ひ合せ哀さも一しほに増れり。生薬(いくくすり)
も叶はずして。今はと見えし時。現世後生とて百万遍
の数ある玉を繰り千巻陀羅尼をよませても定業亦(でうごうやく)
能伝(のうでん)の経力も此恋力には叶はず。たゞ幻しに究(いと)艶なる
女の見え侍るとかたりて。閏三月八日に息絶ぬ。一念五
百生と聞し思ひ入の魂の取付きたること忘れられぬ。
廿三才いまだ東の山の端(は)の月西へ入事惜まれける