仮想空間

趣味の変体仮名

忠臣金短冊 第二

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     浄瑠璃本データベース ニ10-00166

 

24(左頁)
   第二
尊(たっと)きは門より見へてにぎはしく 貧しき門(かど)は表からすむかひもなき
志賀の里 松本村におpはからしすむ浪人は去年(こぞ)の春 切腹有し小栗の
御内七右衛門といふ足軽の 寺沢名字打けしてたなこ切して小あきなひ
立る煙の便にと 身を粉にきざむ斗なり まづしき中に七右衛門
食事も通らずやみくるしみ けふを限りと見へければ 命ごひとて女
房がお多賀参りのるすの内 娘のおやつ十八の盛の花もしほ/\と


25
一間の口に立よりて 申とゝ様 五七日はお食もあがらず お口に合物拵ん
お好みあれと枕もと 押明れば七右衛門おもきからだをやう/\おき 娘かヲゝ
ようとふてたもる 食事もなんにも望はない 今一度ほんぶくと願へ共
もづ叶はぬ とゝがしんだら母に随分孝行つくし 大切にしてたもや ひよん
なやまひにやみ付たと いるもよはりしいき遣ひ 娘はかなしく其様に
あぢきなう思はず共 薬をのんで本復をして下さんせと 涙ぐめば
イヤ/\/\ 薬をあびてももふならぬ其訳は 朝鮮の大人参 五両か

七両用ひでは 本復はないとおいしや殿の仰 やすう取て二十両の人参
代 家財着類を売しろなしても わづか二匁か三匁たらず とても
及ぬ命乞 かゝがお多賀参りの下向はまだか ゆでもわかして待て
いや 早うお迎ひござれかしなむあみだ仏と障子をば さす手もね
ぶつの声斗 又も枕によりそひぬ あるじの妻は未明よりお多賀参り
と偽りて 人参代の拵へに鏡の宿(しゆく)迄ゆきけるが 首尾調ふてかへる足
いさみもやらず打しほれ 門の戸明て戻るとはや 娘は待かねノウかゝ様


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お帰りか 今も今とゝ様の気よはい仰 心ぶそくいかふあんじておりました
マアといませふ私が事 相談成てお帰りが 打しほれたるお姿は心元ない
聞たいと気をせく娘の顔を見て 母は猶しも声ふるひ そなたの其
志 わしが身にとり嬉いやらかなしいやら 改いふには及ばね共 先(せん)夫太田
太夫殿に見捨られ ろとうにたゝんとせし折から 殿様の仰を以て今の
七右衛門と女夫になり 二人を是迄養育有し親なれば 此度の病
気人参代に身を売て 本復がさせたいとそなたがいやるを幸に 此里の

鏡の宿井づゝやへ相談したれば 廿両といふ大がねは出しにくいといふ ソレ
おとゝいつれ立て来た若人は 京の嶋原の傾城屋 様子を聞ていとしい
事じや 廿両で抱へふといふ 所はなれた事ながらなさけらしい親方 談
合しめて金受取 親仁殿の本復の妙薬は調ふたが そなたの病のたね
拵へ おりや嬉うて悲うて 胸がさけるとなでおろし 語れば娘もか
なしさを 押かくしてハテ申何おなげき かう申せばいな物ながら 小栗様の
御門でも足軽づれの娘 勤に出たとて先祖をけがす程にもなし


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とゝ様の本復有り 御出世の有付も有たらば つい受出して下さんせ 貧しい
くらしをせふよりもわしや奉公が嬉いと かた目てわらひ片目には 涙
をつゝむ孝行は こがねのかまやほり出さん 娘の詞に母親も引立られて
ヲゝさふ思ふてたもれば千倍 さりながらやみほうけても七右衛門殿は武士
かた気 それと聞てもさとつても我子の肉はくらはずと 古文真
宝聞もじやま さとられぬやうまあ奥で いやる事もいふ事も
拵へ事もしませふと 身のしろ金を娘に見せ 大事の物と半櫃の

内に納めて入にけり 暫く有て一間の内やまひにふしたる七右衛門 頭を
上てあたりを見 そつとおき立出る姿 ねやの内にて拵しかもゝひき
きやはん旅出立 半死半生引かへて 強気(がうき)楽調(がんでう)がんしよくもつねより
急度半櫃を 目角(めかど)に立て差足し そろり/\とあゆみより くだんの
かねを盗出し真懐にしつかと納 わらぢのひもを結ぶ間も 心せき立
後ろから妻と娘が差のぞき うかゞひいるとは夢にもしらず 門の戸引
あけ出る所を 是待たと女房娘とび出て両手に取付ば ハツト気上り


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七右衛門弓手馬手へ払のけ かけ出るを母はすそ 娘は袖に取すがり
はなせ共藤かづらつながれまとひしがみ付き 夫をなんなく下に引すへ
せきにせいたる妻の泣声 ヘエゝ爰な大がたり きのふ迄もけふ迄も ゆ水
も通らぬやまひどと 思ひの外成此姿 外のかねでも有事か 娘を売
た身の代を 盗取てかけおちとは あいた口もふさがれぬ 其工とはしらい
でも 人参もつて本復あればよいが もしや又ない命なら りんじうのくつうにも
ならふかと 鬼の様なこなたをばかいこの虫をかふ様に 大事がつたがむやくしい

サアぬすみやつた金戻しや 娘が身売返がへする 戻しやらぬかと胸づくし
取て引よせ引たをし 男ぢくしやういぬねこめと つかみ付きかみ付て恨み悔めど
返答を 何といふべき様もなく さしうつふいていたりける 娘のやつは母おや
の恨にまさる腹立も 口へ出されず涙ぐみ ひんは諸道の妨げと世のことわざに
聞けるが 殿の紋付長羽織刀も腰に指た身が いかなる天魔がいれ
かはりさもしい心が出けるぞ 自真実血をわけし娘とおぼし給ふなら たとへ其
金ゆに成共 命のかはりになる外は 遣ひ様も有まじきに 何国(いづく)へ行て誰をまあ


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はごくむあたへにし給ふぞ此身のすへはつらからず 御身のはてがお笑止と ほね身
に通る恨泣ことはりとこそ見へにけれ 七右衛門ははをかみしめ子細をいはず
いたりしが こたへかねしか顔持上 涙に千丈の堤も 蟻の一穴よりくづるゝたとへ
いふまじとは思へ共 賢女貞女の女房娘 殊に真実の子でなき故 むごい
しわざと思ふいひわけ 一通り語て聞せん いふに及ばぬ事ながら 某は小
栗殿の足軽 もと草履つかみより引上られ 重恩受し此身 主人小栗判官
切腹有しは 皆横山がなす所 城を枕に討死と 十人の殿原三十人余の御

譜代家 何れも城へこもりし時 某も籠城と願ひし所 御家老大岸由良
之助殿 三十石以上の知行とりは各別 ふちかた切米のめん/\はうすき御恩 討死に
及ばずと 武士のかずに入られず 無念と思ひし其内に城をむざ/\明
わたし 皆ちり/\濁点に国遠(こくえん)す 浅ましやかひなや我下賎の者成共 一合でも
御ふち人 主のあだをほうぜんずんば生きながらへてかひなき此身 とやせんかくやと
丸一年しあんの胸をくだけ共 元来かるき奉公人 たくはへなければ工面もならず
何とぞあづまへくだる路金 手覚への刃物一腰 拵へたやとつつおいつ 家尻(やじり)切り


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強盗もし付ねば思ひ立れず 次第にせまる身のびんぼう 渇してしなんと
取かぶり 病気といひしをおことらが 医者を頼んで薬の配剤 うでをくり詞を
しめ 脉を見すればてんどうし 人参もらねば叶はぬといふ 是幸我なさぬ子
をうれとはいはれず 病苦おもく見せなば貞女成女房娘 如何様にもして
人参代調へくれるは必定 それこそ天のあたふる所 うばひ取てあづまにくだり
主君のあたをほうぜんものと じひも情も義理合も 忠義に思ひかへし
ぞや しやむの玉子をあてかへば ちやぼは我子と心へてあたゝめかへすと聞く

ものを まして人間恩愛の 思ひを忘れ娘をば うらして心よからふか だますも忠
義 だまさるゝ 其身も共に忠の道 あきらめてくれ女房 娘よ 了簡して
くれと 手をすり膝すりひれふしてわびこがるゝこそ哀れなる 女房娘は
様子をば聞て胸はれ共涙 さふ共しらではしたなく恨つらみのにが口は 勿体なや
はつかしや おまへのお主は先夫も御恩の主筋 娘一人が役立てお為に
成は果報者 きげんなをしてサア旅立 わらはも娘が奉公の同じくるはへと
もなひゆき 親子一所のうきしのぎ 又の便りをし給へと心すゞしく引立れば


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夫もふかくの涙を押へ かく万事をあかせしうへ 思ひとまらば願ふ忠 娘よそん
ならいてくれるか 仰に及ばず此身はとくよりがてんのうへ 只お身のうへ
安穏に目出たき吉左右し給へと かなしさ見せずすゞしげにいふも二おや
涙のたね かう成事もやくそくと思ひ明らめくれよとて 夫婦が帯しめ
すそ合せ つぼみの花を嶋原の すもりにするか浅ましと 思へどかひも
泣かくす かさ買てきせるあたひさへ 涙のたねの近江路と泣く/\別れ
「立出る 横山郡司信久は 小栗判官兼氏に腹切らせ 思ふに心よからねば

わづかの疵を養生とて 桐が谷(やつ)の別所にこもり よるひるわかず酒宴
の遊(ゆう) 老を養ふ身の用心 出入る人にも気を付て 光をかざす日かげもの
門戸を とぢぬ斗也 そばをはなれぬ嬪共 ちと気のばしtごつれたち出 中にも
歌木(うたぎ)が声をひそめ なんと皆の衆とふ事有 此屋敷の殿様は どこをどふして
かうしてと 御普請の評定斗 かくさまでもお迎ひなされ おへ屋の
たつ拵か エ歌木殿とした事が あの年寄におくさまが どこからお出なさ
るゝ物ぞ じたいこなたはお屋敷へ 有つかしやつて間がない故 何も様子はしらしやる


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まい こはだかにはいはれぬ事 あのいつやらこちの殿様と 小栗様とやら
いふお方と 御殿中てけんくはをなされ 其相手の小栗様は 切腹なされて
お家もつぶれた 御家来の浪人衆 主の敵と殿様を ねらふといふ噂か
聞へ 小多文平といふ人を 都へ犬にのぼす程の臆病 まさかの時の逃
道を 拵ておくのじやはいの 奥様よんでの鑓ざんまい 突く事よりはおぬしの身
を つかれぬやうの用害と 語れば歌木が打笑ひ 切られるのもつかれるのも
おきらひならば殿様は 鯨の生れがはりじやと ざはめきはなす其中へ さかり

すぎたる男ぶりやつこと見ゆるかんばんは こんのだいなし案内なし小腰
かゞめて広庭を あゆむもえしやくほや/\笑ひ 縁先にかつつくばひ
拙者めは楽内(らくない)と申やつ お屋敷には草履取が入用にねまり申と 肝煎
方よりしらせて参り 御奉公すべいなら ゆくべいとごはりまらして参りまして
ごはりまらすと なまりちらせば嬪共 くつ/\/\とふき出し テモ沢山なごはり
まらす 女子(おなご)のまへでぶえんりよな 御家老中迄いふてやろ 供部屋へいて
やすんでいや お目見へは後程こつちからしらさふと いはれてもぢ/\ない /\と


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内外を 用有へにそこ爰と 見廻し/\供べやへ しばらくやすみに入にけり
うはき者の藤浪が あの人はもふよい年 さぞ若盛はよい男 奴にするは
おしい事 おしいついでに歌木殿 つね/\゛こなたと中のよい 肴売の善助は
魚(うを)売しそふな男じやない 色白でしやんとして 気に入たは断(ことはり) けふはなぜに
おそいぞや 又なんぞぐせでもござつたか ヲゝたしなましやれ藤浪殿 さり
とはけうといかけ徳利 わる口をいはず共今の奴が 取次をしてやらしやれと
顔ふれば 其さつはりとした口上賢人顔が猶にくい あやかり者と口々に

せなをたゝいてはしり入る 跡に歌木がつゝくりと 物あんじなる折からに 早野
勘平家次とて もとは小栗の家来筋 勘当うけても主君のあたねらひ
近寄魚売と しづが手業に身をやつし誰をか思ひまいらせかご 壱荷(いつか)
になふていそ/\と内へ通れば歌木は見付 待かねたコレ肴屋殿 夕御膳の御
用も有べし 外にまだ用もあり いふこと有と立上り庭へおるれば そら
さぬ顔 肴はだん/\お望次第 随分まけて上ましよが 外の用とは何の
事 エゝ内証の買物 桐の箱に入れて有 水牛細工の御用なら 今でも買て


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参らんと よそ聞よくもいひちらし あたり見廻し奥を見やり 人おと
せねば善助が 荷かごをそつとそばへより 小声に成て何と女房 首尾は
どふじやと尋ればさればいの 色々と気をくばれ共 今も今傍輩衆の咄を
聞に 小多文平といふ侍を 都へ犬に入れたと有 夫殿の用心なれば 寝(ね)所さへ
毎晩かはり 傍には大勢ねずの番 やしきの内はぬけ穴だらけ あそこにある
あの井戸も 裏道へのほりぬきしおふせそふな折もなく おまへの顔を見る
たびに 一ばい心がせかるゝと 打しほるれば道理/\ 幼少より親諸共 浪人の身

と成て あげくに主人にはなるゝやうな びうん至極の我なれば 今更運のいた
らむとて 驚くべきにはあらね共 かくあんかんといつ迄も あだに月日をくらす事
草葉のかげの我君も 先立父もふがいなく いひがひなく おぼされん けふは
ぜひに切入て 横山が首とるか 夫婦がかばねを爰にさらすか 二つに一つとさだめしが
おことが心はどふじや/\ げにおつしやれば其通一時おそいも不忠不孝 めいどへの
おみやげには 横山があの志は首 幸おくには酒宴の最中 いつとてもあの跡は 前後
をしらぬ高いびき しそんじたらば腕かぎり 討死するとかくごして 夫婦一所に


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切込ましよ 私も胴をすへました ヲゝいさぎよし重畳/\と しこみの朸(おふこ)腰に
ぼつこみ 女もかいどり引しめ/\ かくし持たる一腰を 追取て3わきはざみ互にうなづき
いひ合せ 奥を目がけて切こむふぜい やれまてしばしと件(くだん)の奴 小声をかけて
走りくる あはやと夫婦がふり返り とゞむるからは子細を聞らん いけて置てはさ
またげと こい口くつろげつめよすれば コリヤ手むかひせぬ麁相すな いふこと有と
押しづめ 夫婦共に気色をかへ 奥へ切込きつさうは 慥に横山信久を討とると
覚たり いか成者ぞわけを語らば とも/\゛に力共成べしといふに勘平気遣ひながら

ヲゝ名が聞たくばいふて聞せん 小栗判官が家臣 早野七郎太夫が一子 同苗勘平
家次(いへつぐ) 是成は女房 主君のあだを報ぜん為也 とめだてしてけがすなと 女も共
に勢ひかゝればまつた せくなと押とゞめ シヤ扨は 先年御勘気受 お国をたち
のき切腹有し 七郎太夫の一子勘平殿とは貴殿の事か 左様ならば見しらぬ筈
某も小栗の家来 寺沢七右衛門といふ足軽成しが 何とぞ主君の敵 横山が首
引さげんと 今日始て下司奉公に入こめ共 大岸由良之助親子 原郷右衛門と
三人に 横山油断せざる由 今では本意とげられまじ つく/\とあんずるに うつ


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べきじせつを求るてだて 御身は是より都に登り 大岸親子郷右衛門見しら
ぬを幸に近寄 敵を討べき所存有か とつくと様子ためし見て 若し腰ぬけ
の輩(ともがら)ならば きやつらを討てしまはれよ さすれば横山心もゆるみ 身の
用心もおろそかならん 其時我と心を合せ 横山が首討て 小栗どののしゆら
のいかり おやすめ申奉らん それ迄は無念を押へとにもかくにも本望を 首尾
よくたつすが忠義ぞと 詞をつくしなだむれは 勘平も寺沢が諌めの詞尤と
思ひなからも是迄に 心をくだきし忠節の 無に成事の口おしく返答もなく

泣いたり 歌木も共に涙声 男も女も是程に 小栗様の家の子は かた
のわるい筈成かと 主を思ふも夫故 心ぞ思ひやられたる 夫婦がなげく心を察し
寺沢も目をしばたゝき にしへ曽我の兄弟が 廿年の其間ひんくにくるしみ
祐経を 討たるためしも候へは 心ながくおぼしめせしかしかやうに申せばとて 討べき敵を
おめ/\と 助けおくには候はず 今にてもあれ 折よくば共に恨をはらさんと 詞を
残し気をいさめ心をkづあく折からに 奥より人音聞ゆるにぞ 此有様をや見とがめ
んと夫婦を かたへにしのばせて 寺沢はな歌口拍子うてぬ 顔してたち


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いたり ぬつと出たる山形兵衛 寺沢もとび石に手をついて畏る 山形一しを
声をしやくまし ムウ草履取の楽内とは汝よな ヤイ有がたく思へ 殿の直(じき)に
是へお出 玄関さくを御覧 用意せよといひければ 是は/\有がたし
奴めうりに叶ひし事 末代迄も此事を拙者めがけいづにいたさん めうがに
あまるとうやまづ所へ 酒のきげんに目もちら/\ たそ成物も横山信久 近習
小姓に手を引れ 一間の内へゆう/\と押なをり けうそくにからだをどつかとよこ
おれて あたりを見廻しねめ込し くはん/\たる胴声 今参りの草履つかみ

楽内とは己よな どりや身がまへで一ふりふれ 目の役に見てくれんと 我
なぐさみさへ恩にかけ にが口いふてきめ付る ハ はつと答て楽内は 遠さかつて
懐中より 用意の草履取出し ふり出す手さき目八ぶん 宿入下馬さき
げんくはん前 出陣かいちん祝儀の草履 真の草履 行(ぎやく)の草履 扨又高位の
お供には 旦那の草履を此やうに なげてなをすが口伝の草履でごはり
ますると出ほうだい 初々敷いひならべ 二足三足跡じさり しい/\/\とつくばへ
ば 酔のまはつた横山 きやつめはういやつかゝへてやれと いふ内もはやとろ/\目


38
いねふりたをれ正体なし 山形始近習小姓 四方の障子さし廻し 御意に入たる
楽内 勝手へ立て休息せい はやゆけ/\と追のくれば ない/\/\と楽内が
づり返りねぢ返り 横山をながめやり残多げに入ければ しばらく御前を
ひらかんと皆々 次へ立にけり すきをいかゞひ勘平夫婦 そつと立出身がまへし
寺沢はとゞむれ共 本望は此時ぞ 女房ぬかるなまつかせと 互にいさみ差
足し 天へも上る心地してそろり/\とあゆみより 一間に近付大おんあげ
大敵を持ながら 太山におく枕はふかく 小栗判官兼氏が旧臣早野勘平

女房歌木 主君の敵横山郡司かくごせよと名乗かけ 障子をさつと
引はなし 入らんとすればこはいかに 四方をかこむ鉄の網 内には横山むつくと
おき あたりをにらんで立たる有様 コハはやまりしか残念やと こぶを握り
石をかみわる思ひにもせんかた なくぞ見へにける 横山から/\と高わらひ
かねてよりかくあらんと 拵置たる鉄の網 一人前のくろがねの城郭 己抔ご
とき匹夫の手に 討るゝ様な横山ならず 身の程しらぬ愚人原 どだんにな
をしてよき肴 あれ引とらへ料理せよ者共やつとよばゝる声 畏ちゃと侍共


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前後をばらりとおつ取まき 我討取らんとひしめけば 勘平夫婦は是
迄と 太刀まつかうに死物狂 あたるものを幸になき立/\なぎ廻りおくを
さしてぞ切入たり 爰ぞ大事を楽内は息を切ておどり出 一間にこもりし
横山へ御願とひざまづき 何とぞ奉公始に 狼藉者を拙者めに仰付られなば
しめ上て御意に入れん 御ゆるし下さるべしとねがふに横山いしくもいづたり 己が
望にまかせてくれん いさぎよくとつて見せよ 畏たとつゝ立上り 尻ひつ
からげはや縄たぐり 身がまへて待所へ 勘平は大わらは夜刃(やしや)のあれたるごとく

にて 大だら引さげかけ出るを 楽内すかさず声をかけ ヤアふかく也早野勘平
とても叶はぬ此場のしぎ うでをまはして尋常に縄かゝれ コリヤ/\こりや 切
ぬけてにぐる共にがしはせぬと 詞のはし/\゛心を付て居合腰 とつた/\と
つめよれば せきにせいたる勘平が耳にも入れず己共 まつ二つにしてくれん とつて
見よとふり上る 太刀の下へ入る身は八ぶん サアとれ とるぞよ サア/\と両方
ひたいにあせたら/\ 脇目もふらず横山が守りつめたるつら魂 楽内あき
身を見すまして とつたと小腕に取付ば 引はつして切付るを 鼻ねぢふり


40
あげさそくにうけ 一はねはねて 霞のあて 小枝おろし膝車半月 三ヶ月
自己の誤り とりじめけさなげかんたんの 枕をわりしてきゝのはたらきはなやか
成ける「次第也 あらそふ所へ 山形兵衛大勢引ぐしむら/\ばつと立かゝるを
楽内せいしてよるまい/\ 申受たる此科人 奴めが命にかけ是迄はしおふせ
たり しあげをけんぶつなされよと いふやいなや身をかはし 引まはして小膝を
折 えいとしづみし四寸の身 とたんの拍子絹かづき そばなる井戸へ勘平を
取てなげこみ立上り さあしてやつたといふ声に 横山驚きヤア楽内

それこそは堀ぬきにて 裏道へのぬけ穴有 ヤレ追かけて討とめよと あ
せりにあせれば山形兵衛 家来の手くばり東西より ことぢさすまた
引さげ/\裏道 さしてぞ「追風に そやをいかけし ごとくにて女房歌
木は寺沢が 情に一方追ちらし 切ぬけ/\裏道迄 左右にひらめく刀の稲妻
板額巴(はんがくともへ)があれたる勢ひ おちくる跡より敵の家来 のがさぬやらぬと追
くるにぞ シヤ物々し手なみは御ぞんじ いづれも是迄お出は御苦労 何なく共
此二腰 私が志しんじつの御馳走と 詞はうまく手しぶい相手 へた侍に


41
わたり合 命かぎりこんかぎり 一心念力いかりの太刀さき 弓手馬手にて
切結び火花をちらして「戦ひけり たよはき女の多勢に出合 敵は
荒手を入かえ/\ すき間もあらせず戦ふにぞ すか所のきずに目もくらみかつ
はとまろべは大勢が 首討おとせと立寄て 既にあやうく見へし所へ 堀ぬき
井戸のぬけ口より ずつと出たる早野勘平 そりや出おつたはそいつをしまへ
と 追取まくをすきまもなく はらり/\となぎ廻れば こりや又手ひとい逃
るがほんと 四方へばつと逃行を 何国迄もと追てゆく 夫の声を聞tがめ女

房はむつくと立 刀を杖にたぢ/\/\ 風にもまるゝ柳のごとく よろ/\するをふみ
しめ/\ あたりをながめ声を上 なふ我夫勘平殿 ながおひばしし給ふな これ
のふ/\とよびかへせば 勘平も立帰り 見れば深手にくるしむ体 気もきへ/\゛と
手を取て 心はいかゞといたはれば 夫をつく/\゛打守り 屋敷の中はやう/\と寺沢の
情にて 爰迄は落のびしがもふ付そふて行く事ならぬ 又敵が追くれば此うへの
御なんぎ おまへが討れ死し給へば お主へ不忠親御へ不孝 わたしを此まゝ爰にすて
おき はや落給へと押やりて 草にどうど身をなげふし 夫をかばふ心の内せつ


42
なく も又わりなけれ 勘平も涙ながらいさみを付んと声高々 是程の浅手にて
命にさら/\気遣ひなし かたせにかけて此ひまに落行べし いざ来れと引立れば いやなふ
それはふかく也夫(つま)前に大事の忠義をかゝへ 後に手負の女をおひ 若しもの事が有ならば
天下の人の笑ひ草 寺沢殿の仰のごとく 由良之助や郷右衛門に心をおき 用心きびしき敵な
れば かる/\゛敷は討れまい 都へ登りて其両人と 心を合せ本望をとふるか さもなくば敵に
油断をさする方便(てだて) 是こそは一大事足手まとひの自 是迄もお見捨なう 召つれられし
厚恩を報しはせいで此上の おせわに成は罰当り 未来も地獄のたね成ぞや 此場を見捨

給ふのが 私が為の罪ほろぼし さあ/\はやうといふ内も 次第にくらむ目の
ひかり コリヤ気をはつたりとふがひない 情ないとあをつ内我つまくるしい/\と
いふが此世のはなれぎは 終にあへなく成にけり 勘平ハツト泣たふれ 我に手柄
がさせたさに 心にそまぬ敵へ奉公 何のせんなきむだぼね かわいのものやふ
びんやと 死骸にひつしといだきつき声を おしまずなきさけぶ なげきの中へ
又むら/\ さきにすゝみし家来が高声 くたばつたる女房にそれほど
名残がおしいなら たゝき殺して丸はだか ひとつにかさねててんこぼし


43
犬のえじきにしてやらんと おめいてかゝれば立上り ヤアよい所へようきた
なァ おのれらをかたづくるが女房への追善 サアこいやつとなぎ立/\ 切て
廻ればにげちつて あたりに近付者もなし 相手なければ勘平も 歌木が
おしへ寺沢が いさめに心を取なをしよし/\此身は宙宇(ちうう)のかり物 本心ふる
すへ帰りたる 女房がなきからだきかゝへ涙 ながらに立帰る 夫が心の無念さの胸を
さするは忠孝自愛 五常はそれとおのづからそなはる印残るは五輪 無常の
浮世とさとれどもにらみ やつたる横山がやかたに 恨を残しつゝ都の 方へといそぎける