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趣味の変体仮名

いろは歌義臣鍪 四冊目

いろは歌義臣鍪

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     浄瑠璃本データベース ニ10-01547

 

 

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   四冊目

横山郡司信久は桐が谷(やつ)の下屋敷に 老を養ふ身の用心 其身は僅の疵保養(やうやう)詰り

/\は寝ずの番 奥女中に酌をとらせ昼夜を分かぬ酒宴の興 出入人にも気を付て門戸を閉ぢぬ

斗也 お傍お離ぬ嬪共ちと気晴しと立出る中にも歌木が皆の衆 朝から晩迄御酒の相手 間(あい)の

おさへの手元のと無理の有る条おつしやつて 命すや/\と御寝成隙 尋たい事外でもない 奥家老

角谷(すみたに)角兵衛殿を傍へ呼 あすは塀をどふさせい けふはお居間をかふせいと お酔(えい)が醒ると普請

の云付 どふでも奥様を迎なさる拵へかと いへば二人が顔見合 ホゝゝ歌木殿とした事が アノお年で奥様

 

所か こなたは有付しやつて間がない故 何も様子はしらしやるまい こちの旦那様は小栗判官兼氏様と

殿中で喧嘩をなされ 其相手の小栗様は切腹なされ 跡のお家も絶たげな 其家来の浪人

衆 澳(おき)の長監(げん)といふ人も此館へ入込 常陸にござる家老大岸由良之助殿が 預かつていさちしや

る小栗殿の弟御 一学殿とやら 其首を討てこいの何のと 又其方々へ人を遣はし 犬とやら猫と

やら まさかのときの逃道 其為の普請さた 奥様呼での鑓ざんまい 突く事よりはお主の身を すか

れぬ為の用心じやと 跡は笑ひの其中へ今を盛の男ぶり奴と見へる看板は 紺のだいなし案内なし

小腰かゞめて切戸の内 縁先にかつ蹲ひ 拙者めは楽内と申やつてごはりまらす 此お家体(やたい)にはお草(さう)

 

 

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履取が用にねまり申と 肝煎からしらせて参りまらしてごはりまらす 御奉公すべいなら行べいとごはり

まらする故 参りまらしてこはりまらすと訛りちらせば嬪共 沢山なごはりまらす 女の前では不遠

慮ながら 其通申上ふ お目見へは後程こつちからしらす迄 供部屋へいて休で居た ナイ /\/\然らば

左様と内相口勝手の方へ入にける 跡にお絹がノウお里 あの男も能格好 奴にするは惜しいじや

ないか ヤ憎い次手に歌木殿の気に入香具やの勘七は 何としたか此四五日は顔も見ぬ 口舌でも

有たかや ヲゝ名立かましい悪口をと 中能中の切戸口 入来る香具や勘七と 身をやつしたる油

売 葉山茂山花の露 浅香 五十嵐 蘭奢香 吟出し艶出し召ませい 油めせとぞ

 

云入る イヤこそ人言目代(めしろ)置け舌も引ぬに香具や殿 皆より待て居るはいのと呼れてハイ/\はいる庭

おろす重荷も恋盛浮気盛の嬪共 此間から見へぬ故 引こき髩(つと)やら櫛巻やらさんばら髪

に成ている いつもの様なお下されと 口々にいへばハイ/\/\ したがお前方は聞へませぬ 世間には風かはやる 我

抔にも一番大肝癪 湯水も通らぬ大熱病 夫にマアお心強いお前方の内たつたお一人 見舞に来て

下さりましてもまんざら罰の当る事も有まいに 根が堅い鬢付売 足がつようて踏当り 漸

本復煉(ねり)返し 今日お目にかけ商ひずつかりと買て貰はねば 我抔が身代白絞(しほり)扨々気強いお方

じやと歌木を尻目に当言(あてごと)交りかきが中成恋路也 お里を始気も付ず是は扨そんな事とは知なん

 

 

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だ 如在のない印には何にもかも買ませふ 機嫌直して色品をサア/\見よふじや有まいか いつもの通り前口

上所望/\と立かゝる 何を申も商口お聞なされと扇をかざし 先は油の故事来歴 申も愚かちはや

ふる 髪の油は神代の昔 女神男神の二柱 浮橋に立ならび陰陽和合の煉(ねり)かげん 其逆鉾一雫

煉堅まつて油と成 夫故恋の種油叶はぬ恋もずる/\/\ すべらかし上撫下撫笄髷(わげ) 嶋田に取ては大吉

後家風兵庫髷 元結なしにもゆふしでの髪の色艶すき通る 美男鬘の筋立入ず牛蝋つかはず

和蝋の吉粋 唐蝋がおのづから龍脳麝香に向ふがごとく白檀沈香甘松(かんせう)匂ひは様々候へ

共 我抔が家の秘伝香跡からはける事いはず 当世油の根源根本 舞台油ぶたいべに 歯黒筆

 

色揚枝桐の箱の御用物お望次第と云立る 気転の歌木が此場の首尾奥へやりたさ何をが

な ヲゝそれ/\ さつきの奴が目見への取次を忘ていた ほんにのふ 口上に気を取れ其取次を忘たと二人は奥へ走行 跡は遠慮も指向ひ傍見廻し小声に成 此程はお顔も見ず 尋にいかふも任せぬ身 案じ

て斗居た物を 当云(あてごと)交りの口上は 聞へませぬと手を取て忍び涙に恨ける ヲゝ道理じや去ながら 思ふ中

の小いさかひ 可愛余りしや堪忍仕や 此間こなんだは古郷から便宜も有 何やかやと隙入斗大望有此

體 嚔(くつさめ)一つするにこそ其大望の願に付そなたを頼にやらぬ筋 弥心はかはらぬと 誓言て聞たい/\ ヲゝ改つた

お尋 私が心は此通と懐より取出す一通 是を見て下さんせ こりや起請じやないか サア何で有ふと披(ひらい)て

 

 

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見て ムウこりやそなたの年季証文 是を見いとは ハテ わしや此屋しきを隙貰ふて出る心 隙さへ取ば主

ても家来でもない 其為の其証文 ムウ尤 シテ其心は ハテ爰に居ては女夫になれぬ 隙取て出る程

に胸をすへている私 何と 其手形が堅い誓紙で有ふがな ヲゝ遖々 此上は何をか隠そふ 此館の横山

郡司 おれが為にはお主の敵 シイ コレ静に/\ そっしてお前の本名は ヲゝ我こそ小栗判官兼氏公の御内 早

野勘平家次此ごとく姿をかへ入込事は入込でも用心厳しき折といひ 敵の面を見しらねば仕損じも

あらんかと様々と心を砕き そなたに便つてけふの今 我本心を明す上 弥手引を画展か サア夫も合点な

れど若も手引が顕はれて私が先へ討れまい物でもない 譬お前に先立共未来迄もかはらぬ女夫 必違

 

て下さんすな ヲゝいふにや及ぶ 二世も三世も夫婦の契りはかはらぬ/\ 夫聞て落付たアゝ嬉しやと抱付き 妹

背わりなく見へにける 勘平はふりはなし 斯いつ迄もあんかんと怨に月日を送る事 草ばのかげの亡君もふ

がいなく思されん かほどの首尾も又有まし用意は爰へに荷箱の朸(おうこ)仕込だ刀を小脇に挟み 早がけ

入ん屹相なり 歌木は驚きコレ/\/\ 一間/\に番衆の中大勢に一人過ちは知れた事 お前に馴染た抑から かうで

有ふと思ふた故 万事に心を付けて居た 詰り/\にいくら共抜道を拵てアレ あの井戸も其用意 せいて

は事の仕損じ有 昼の間は身を忍び暮るを待てとも角も イヤ/\/\時を延す其中にもしも余人に討

せては存念も水の泡 留立してけがすなと かけ入を引とゞめやらじ 行んと争ふ所へ 若者待てと声をかけ 以前

 

 

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の奴走寄 子細は有増立聞した ヤア夫聞た赦さぬと するりと抜て切かくる ひらりとかはし待た/\ 待てとは卑

怯と又ふり上 付入向ふへ投出す一腰 聊爾するな手向ひせぬぞ 勘平待て早まつて後悔するか イヤ早ま

るとは何が何と ヲゝせかず共とつくと聞け 主人の仇を報はん術 まんまと斯迄仕果ながら 九つ梯子の七

つ八つ 今一段の所に成仕損じて跡でも悔み 見抜て留たは御辺が為 何が何と イヤサ留たは身が忠義 ムゝ

さいふ和主は名は何と ヲゝ寺沢平右衛門 小栗家に仕へし足軽 同家中で有ながら互に逢はけふ初め

ムウすりや御辺も同腹中 忠義の者がなぜ留た ヲゝ尤 留た子細よつく聞 古傍輩の面々方々に引

別れ一味徒党は僅なれ共 家老大岸由良之助 御舎弟を守り立て未だ籠城と聞及ぶ さすれば敵

 

横山郡司 油断せぬ其中へ 切込む不覚の基(もとい) 彼相馬の将門が七つのかけを拵へて用心したる例(ためし)も有 既に

朝日が三つ迄ならんで出たといふ噂尤手引が有にもせよ 贋首討て手柄に成か勘平 とつくりと実否(じつぷ)を

正し 面体も見知た上二人が心一致して本意を達する計略は 横山に油断さす術(てだて)といつぱ 御辺も我も

今日迄顔を見知らぬ傍輩中 我は此家にとゞまつて御辺を国へ入込せ郷右衛門大岸親子が所存を

摸り弥空氣(うつけ)腰抜に極らば 欺(だま)し寄て切捨なば スハ由良之助原郷右衛門は討れしと 犬に入たる忍びより

此館へ注進せば 敵郡司も心を赦し身の用心も怠る時 安々と本望遂げ 信久が白髪首亡君に手

向んは 何と手柄で有まいかと 勧むる詞も理の当然 勘平は只一途心を砕く忠節の 手述にせんも残念と

 

 

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差俯いて詞なし 寺沢重てノウ勘平 斯迄に身を略(やつ)し忍び入たる計略一朝一夕の工夫でない 夫を留るも

思案の一つ 其迚も憂艱難 一人の老母を残し盃 妹が身を売た値の金を身に付けて 伝(つて)に伝を

頼にも金銀を賄賂(まいない)して心を砕くもお主の為 未だ此外に一味の武士 中にも八藤長七は隣づからにくらす

中 貧苦の上に病死して嘸や無念に有べしと 人を思ふも身を思ふ悔み涙は目に余る 余所の袂もぬらし

ける 傍には歌木勘平も身につまさるゝ思ひにて 我迚も此年月父七郎太夫も無念の病死 父に

かはつて本懐をと思ふ一途に斯迄も 忍び入しと勘平が心とくれば平右衛門 ヲゝサ/\無念も恨も重る敵

今にもせよ折よくば供に恨を晴さんと 歌木諸共いそ/\と諾き囁く人音物音 怪しめられじと平右衛門

 

切戸の方へ勘平は 荷を片寄て身を忍ぶ のか/\出来る角谷角兵衛 御前の酒のちろ/\目 歌木そこ

に何している よふおれを待したなァ いつもの通お傍の相手われが来たら助(すけ)さして 酔(えい)た所で日頃の本望

はづみ切て居た物を追付爰へ酔醒しに郡司様もござる筈 此歌木めはどこにおると尋てじや 鬼

のこぬ間に日頃の思ひ ハテ扨何をうち/\ 斟酌も人に寄る 望の通り年季手形は盗でやる 此内を出した

らば当分囲ふて置約束 マア夫迄手形の礼 トレ口々成共致さふと 刀をつつぱり立上る 歌木がうる

さゝ見るつらさ縁側伝ひ逃て行 後をほうど抱付 コリヤどこへ アレ角兵衛様が悪い事 どこに是が悪

い事 よいめに合してやるはいと しがみ付たる花の虻 庭には始終を勘平が扨は欺してさつきの手形 そ

 

 

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こをふり切逃かしと あせちにあせりふり放し逃入襖へ出くる横山 コリヤしてやつたと顔と顔 ヤアと恟り酔

も醒 頭角兵衛か ハア/\/\畳に喰付蹲る 郡司もめれんの高調子大口明いてハゝゝゝ 家老殿味やら

るゝよ 身か召使ふ秘蔵の嬪以来を急度といふ所をいはぬはやつぱり酒の徳 下戸ならぬこそ男なれ 顔

に似合ぬ女(おなご)好 能濡た 歌木やい 脇息持てと蒲団にとつかと横山郡司 足をもめ/\ はつと角兵衛

が立かゝる アゝいや/\ 家老殿の追従おかれい 女かはれの不機嫌に 何がな御意にとヲゝ夫々 先程参つたお

草履取 参れ/\と呼声に はつと答もナイ/\/\目通近く畏る 横山横目にじろりと見 でつくりとよい

肉(しゝ)合 生国は何国の者だ ナイ 九州博多でごはります 今迄は何れにおつた ナイ 九州松浦党に仕へ

 

おりましてごはります 角兵衛声かけコリヤ/\楽内とやら 子細有て国所の吟味は後程 先お目見への一

通御覧に入よ ナイ/\/\といひ草履 腰に用意と取出し 振出す手先目八分宿入下馬先玄関前

出陣凱陣祝儀の草履 真の草履行の草履 扨又高位のお供先草の(さう)の草履は常に有まつ

かう直すが口伝の草履でごはりますると二足三足跡すさり作法正しく控へいる ういやつでかした抱へて

くれふ 吟味は後刻合点かと いふも半分夢現 歌木が膝を肘枕 角兵衛下知してコリヤ楽内 勝

手へ参つて休息せい 早立ませい ナイ/\内証口と奥の方入相告ぐる燭台の数もまばゆき庭の

面(おも)時分はよしと勘平が歌木にしらす其風情 こなたも油断やるせなく點きながら気も弱く討たすは

 

 

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夫討は主 義理と恩とを二筋に涙はら/\落滝津 顔にかゝれば目をはつちり 歌木わりや何で泣

エゝイいやさ何が悲しうて是見よ 涙で目が覚た サア申何でござります先程御家老角兵衛様

御無体をなされた時 秘蔵の者じやと御意なされた其お詞か身にしみ/\゛ 有難し共嬉し共心で思ふ

ておりましたが 思はずも勿体ない お赦しなされて下さりませ ヲゝおはもじやと紛らかす ハゝゝ何の赦す

の赦さぬのと したがおれもとろ/\寝入たが醜(おそろし)い夢を見た 蛇(くちなは)が首筋へ這と思ふと身がひいやり

われが涙で目が明た 今一寝入してくれふ 伽してくれと立上り一間の内へ横山が 裾に小よる風

ふせぐ 障子ひつしと指込めて 歌木は庭へ折もよく身拵へして勘平が 刀の目釘吹しめし コリヤ/\

 

歌木斯迄近寄る首尾もなし 生きる共死る共二人一所ぞうろたへな 此一腰と指添を渡せば受取身

がまへし 始終はさつきに見やんす通 寝首をかくも合点なれどお前に手柄がさせたさと 一旦仕へた其

恩と義理は是迄此上は 私が万事手引して ヲゝ尤々 熟酔(じゆくすい)の横山が寝首を取は安けれ共 死人

を切も同し事 目を覚させて一討と いさみに勇(いさむ)大音上 小栗判官が旧臣早野勘平家次

主君の敵横山郡司 出合やつと呼なつて障子をさつと引放せば 四方に囲む鉄の網 二人は恟り

コハいかにと 思はずしらず跡ずさり軻れて暫し詞なし 内に嘲る高笑ひハゝゝゝ 斯あらんと期したる故 拵へ

置たる我城郭 儕ごときの匹夫匹婦 小栗が敵何どゝは身の程しらぬうづ虫めら 土壇に直して

 

 

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寝酒の肴一々に料理せよ 者共やつと呼はる声 畏つたと直宿(とのい)の武士ばら/\と走出 遁さぬやらぬ

と取巻たり 勘平歌木は是迄と思ひ儲けし死物狂ひ 左右に別れ切立る 此勢ひに恐をなし奥庭さし

て逃入を何国迄もと「おふて行 斯と心得平右衛門折を見済し飛で出 狼藉働く曲者めら 我

抔に仰付られなば搦捕て奉らん 奉公初めのお顔と 云も切りせず出かいた/\ くゝし上て引立来れ 畏つた

と尻引からげ 早縄しごいて待所へ 勘平が大わらは阿修羅の荒たる其勢ひ蜘の巣網を引ちぎり横

山が首取らんと太刀打ふつてかけ寄るを 楽内是にと声をかけ及ばぬ腕立てちよこ才やる 腕を廻して尋常

に縄をかゝれ コリヤ/\/\ 切抜ても逃しはせぬと詞の縄に心を付けて居合腰 せきにせいたる勘平が邪魔

 

をひろがば真二つと 打ふる段平任(まっか)せと 丁ど受たる十手のさそく イヤ狼狽(うろたへ)者ふかく者 何と心得此狼藉

此奴が御意を受 搦て憂目を コリヤさせぬは捕たとかゝれば身を開き 互に手練の体術柔(やはら)瞬(またゝき)もせ

ず横山が守り詰たる公(はれ)勝負 庭に二人は根限り小枝おろし膝車 半月三ヶ月霞の当て無双返しやかん

たんの枕をわりし働は花やか成ける次第也 後馳(おくればせ)成角兵衛が歌木が行衛を見失ひ館を捜す高提

燈 楽内制して寄まい/\ 御願申て奴めが斯迄に働たる 仕上を夫から見られよと 夕闇照す灯の光り

捻あふはづみに膝がつくり 折よと見へしを衣かづき井戸へどつさり真倒(まっさかさま)サアしてやつたと楽内が声に恟り横

山主従 なむ三宝其井戸こそは裏への抜道追かけて討留よと あせる角兵衛楽内は 仕済したり

 

 

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          と夕間暮手分けをなしてぞ「追て行