読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2567609
1
東屋
2
つくば山をわけみまほしき御心はありながら。
は山のしげりまでながちに思ひいらんといと
人ぎゝかろ/\゛しうかたはらいたかるべきほどな
れば。おぼしはゞかりて。御せうそこをだにえつた
へさせ給はず。かの尼君のもとよりぞ。はゝ北方
にの給ひしさまなどたび/\ほのめかしをこ
せけれど。まめやかに御心とまるべきことゝもおも
はねば。たゞさまでもたづねしり給ふらん事
とばかりおかしうおもひて。人の御ほどのたゞ
いまヨに有がたげなるをも。かずならましかば
などぞよろづに思いける。かみの子どもははゝな
3
くなりにけるなどあまたこのはらにもひめ
ぎみとつれてかしづくあり。まだおさなきなど
すぎ/\に五六人ありければ。さま/\゛にこのあつ
かひをしつゝ。こと人と思ひへだてたる心のあり
ければ。常にいとつらき物にかみ(守)をもうらみつゝ。いかで
ひきすぐれておもたゝしき程にしなしてもみえ
にしかなと。明暮このはゝ君は思ひあつかひける。
さまかたちなのめにとりまぜても有ぬべくは。い
とかうしもなにかはくるしきまでももてなや
まじ。おなしこと思はせても有ぬべきを物にも
まじらずあはれにかたじけなくおひいで給へば。
あたらしく心ぐるしき物に思へり。むすめおほかり
ときゝて。なまきんだちめく人々も。をとなひ
いふいとあまたあり。はじめのはらの二三人はみな
さま/\゛にくばりておとなびさせ給へり。今は
わが姫君を思ふやうにてみたてまつらばやとあ
けくれまもりてなでかしづくことかぎりなし。かみ
もいやしき人にはあらざりけり。上達部のすぢに
て。なからひものきたなき人ならず。とくいかめし
うなどあればほど/\につけては思ひあがりて。我
のうちもきら/\しく物きよげにすみなし。事
このみしたるほどよりはあやしうあらゝかに。い中
4
びたる心ぞつきたりける。わかうよりさるあづまの
かたのはるかなる世界にうづもれてとしへければ
にや。こえなどほど/\うちゆがみぬべく物うちいふ。
すこしだみたるやうにて。かうけ(豪家)のあたりおそ
ろしくわづらはしき物にはゞかりおぢ。すべていと
またく(何かに付けて)すきまなき志もあり。おかしきさまにこ
と(琴)笛のみちはとをう(遠う)。ゆみをんいとよくひき
ける。なを/\しきあたりともいはず。いきほひに
ひかされてよきわか人どもつどひ。さうぞくありさ
まはえならずとゝのへつゝ。こしおれたる歌あはせ
物がたり。かうしん(庚申)をし。まばゆく見ぐるしうあそ
びがちにこのめるを。このけさうの君たちらう/\
しくこそあるべけれ。かたちなんいみじかなるな
どおかしきかたにいひなして志をつくしあへる
なかに。左近の少将とてとし廿二三ばかりのほど
にて。志ばせしめやかにさえありといふかたは人
にゆるされたれど。きら/\しういまめいてなど
は。えあらぬにや。かよひし所などもたえて。いと
ねん頃にいひわたりけり。此はゝ君あまたかゝる
事いふ人々の中に。この君は人がらもめやすか
なり。志さだまりて物思ひしりぬべかなるを人も
あてなり。是よりにさりてこと/\しききは(際)の
5
人はた。かゝるあたりを。さいへどたづ(尋)ねよらじ。と思ひ
て。この御かたにとりつきてさるべきおり/\はおか
しきさまにかへり事などせさせたてまつる。志
ひとつに思ひまうけて。かみこそをえおかにおもひな
すとも。我は命をゆづりてかしづき。さまかた
ちのめでたきをみ(見)つきなば。さりともをろかに
などはよも思ふ人あらじ。と思ひたちて八月(はづき)ばか
りとちぎりて。てうど(調度)をまうけ。はかなきあそび
ものをせさせても。さまことにやうおかしう。まき
え(蒔絵)らてん(螺鈿)のこまやかなる志ばへまさりて見ゆるもの
をば。この御かたにととりかくして。をと(劣)りのを。
これなんよき。とて見すれば。かみ(守)はよくしも見し
らずそこはかとないものどもの人のでうどゝいふ
かぎりは。たゞとりあつめてならべすへつゝ。めをはつ
か(わずか)にさしいづばかりにて。こと(琴)びわ(琵琶)の師とてないけう
ばう(内教坊)のわたりよりむかへとりつゝならはす。手ひ
とつひきとれば師をたちいおがみてよろこび
ろく(禄)をとらする琴うづむばかりにもてさはぐ。はや
りかなるごく(曲物)などをしへてし(師)とおかしき夕ぐれ
などにひきあはせてあそぶ時は涙もつゝまず
おこがましきまでさすがに物めでしたり。かゝる
ことゞもをはゝきみはすこし物のゆへしりて。いと
6
見ぐるし。と思へばことにあへしらはぬを。あこ(吾子)を
ば思ひおとし給へり。とつねにうらみけり。かくて
かの少将ちぎりしほどをまちつけて。おなじくは
とくとせめければ。わが志ひとつにかう思ひいそぐも
いとつゝましう人の志のしりがたきをおもひて。
はじめよりつたへそめける人のきたるに。ちかう
よびよせてかたらふ。よろづおほく思ひはゞかる
事のあるを地月ごろのかうの給て。ほどへぬるを。なみ/\
の人にもものしt魔はねば。かたじけなく志ぐるし
うてかう思ひたちにたるを。おやなど物したmはぬ
人なれば志ひとつなるやうにてかたはらいたく。
打あはぬさまにみえたてまつることもやと。かね
てなん思ふ。わかき人々あまた侍れど思ふ人
ぐしたるは。をのづからと思ひゆづられて。この黄身
の御ことをのみなんはかなき世の中をみるにもう
しろめたくいみじきを。物を思ひしりぬべき御心
ざまときゝてかうよろづのつゝましさをわすれ
ぬべかめる。もしおもはずなる御心ばへもみえば。人わ
らへにかなしうなんあるべき。といひけるを。少将の君
にまうでゝ。しか/\なん。と申けるに。けしきあ(気色悪)
しうなりぬ。はじめよりさらにかみ(守)のみむす
め(御娘)にあらずといふ事をなんき(聞)かざりつる。おなじ
7
なれど人ぎゝもけをとりたる心ちして。いで
いりせんにもよからずなんあるべき。ようもあな
いせでうかひたることをつたへける。との給ふに。いと
おしくなりてくはしくもしり給はず。女どもの
しるたよりにておほせごとつたへはじめ侍しに
なか(中)にかしづくむすめ(浮舟)とのみきゝ侍れば。かみのに
こそはとこそおもひ給へつれ。こと人(異人)の子も(持)たまへ
らんとも。と(問)ひきゝ侍らざりつるなり。かたち志も
すぐれて物し給ふ事。はゝうへのかなしうし
給ておもたゝしうけたかきことをせんと。あがめ
かしづかるときゝ侍しかば。いかでかのへんのこと
つたへつべからん人もがなとのたまはせしかば。さる
たよりしり給へりととり申しゝなり。さらに
うかひたるつみ侍まじき事なりと。はらあしう
ことばおほかるものにて申すに。君いとあてやか
ならぬさまにて。さやうのあたりにいきかよはん
人のおさ/\ゆるさぬことなれと。いまやうのこt
にてはとがあるまじうもてあがめてうしろみた
つに。つみかくしてなんあるを。おなじ事うち/\
には思ふとも。よそのおぼえなんへつらひて人
いひなすべき。源少納言さぬきのかみなどのうけば
りたるけしきにていでいらんに。かみもおさ/\
8
うけられぬさまにてまじらはんなどいと人け
なかるべきとの給ふ。この人ついそうあり。うたて
ある人の志にてこれをいとくちおしうこなたか
なたに思ひければ。まことにかみのむすめとおぼ
さば。まだわかうなどおはすとも。しかつたへ侍らん
かし。なかにあたるをなん姫君とてかみはいとか
なしうし給ふなると聞ゆ。いさやはじめより
いかいひよれる事ををきて。又いはんこそうたて
あれ。されどわが(少将)ほいはかのかみのぬしの人がらも
もの/\しくおとなしき人なればうしsろみに
もせまほしうみる所ありて思ひはじめし事
なり。もはらかほ(顔)かたちのみすぐれたらん女のねがひ
もなし。しなあてにえんならん女をなげはゞ
やすくえつべし。されどさびしうことうちあは
ぬみやび。このめる人のはて/\は物きよくも
なく。人にも人ともおぼえたらぬをみれば。すこし
人にそしらるともなだらかにて世の中をすぐ
さんことをねがふなり。かみにかくなんとかたらひ
てさもとゆるすけしきあらば。何かはさも。との
給。此人はいもうとのこのにし(西)の御かたにある。た
よりにかゝる御ふみなどもとりつたへはじめけれ
と。かみにはくはしくもみえしられぬ物なりけり。
9
たゞいきにかみのいたりけるまへにいきて。とり
申すべきことありてなんといはす。かみこのわた
りに時々いでいりはすときけど。まへにはよ
びいでぬ人の。なに事いひにかはあらんとなま
あら/\しきけしきなれど。左近の少将殿の
御せうそこにてなんさぶらふといはせたれば。あ
ひたり。かたらひかたけなるかほしてちかういよ
りていふやう此月頃うちの御方にせうそこ
聞えさせ給ふを御ゆるしありて。この月の程
にと契り聞えさせ給ふこと侍るを。日をはか
らひていつしかとおぼす程に。ある人の申ける
やう。まことに北方の御はらに物し給へど。かんの
殿の御むすめにはおはせず。君だちのおはし
かよはんに。世の聞えなんへつらひたらんやう
ならん。ずらうの御むこになり給ふ。かやうの
君達はたゞわたくしの君のごとく思ひかしづき
たてまつりて(手)にさゝげたる事思ひあつかひうし
ろみ奉るに。かゝりてなんさるふるまひし給人々
ものし給ふめるを。さすがにその御ねがひはあな
がちなるやうにておさ/\うけられ給はで。け
をとりておはしかよはんことびんなかるべきよし
をなんせちにそしり申す人々あまた侍る
10
なれば。たゝ今おぼしわづらひてなん。はじめ
よりたゞきら/\しう人のうしろみとたのみ
聞えんに。たへ給ふべき御おぼえをえらひ申てき
こえはじめ申しなり。さらにこと人物し給
はんといふ事しらざりければ。もとの志ざしの
まゝにまだおさなきもあまたおはすなるを
ゆるび給はゞいとうれしくなん御けしきみて
まうでこと給られつればといふに。かみさらにかゞる
御せうそこ侍るよしくはしくうけ給はらず。
まことにおなじ事に思ふべき人なれど。よ
からぬわらはべあまた侍て。はか/\゛しからぬみに
さま/\゛思ふ給へあつかふほどに。はゝなるものも
これをこと人とおもひわけたることゝ。くねり
いふことガベルて。ともかくもくちいれさせぬひとの
ことに侍れば。ほのかにしるなん給らるゝ事侍
とは聞侍りしかど。なにかしをとり所におぼし
ける御心はしり侍らざりけり。さるはいとうれし
う思ひ給へらる御ことにこそ侍るなれ。いとらう
たしと思ふめのわらはあまたの中にこれをなん
命にもかへんと思ひ侍りの給ふ人々あれど。
いまの世の人のみ志さだめなく聞え侍るに中々
むねいたきめをや見むのはゞかりに。おおもひさだ
11
むる事もなくてなん。いかでうしろやすくも見
給へをかんと明暮かなしく思ふ給へるを。少将殿
にをき奉ては故大将殿にもわかくよりま
いりつかうまつりき。家のこにてみたてまつり
しに。いときやうさく(警策)につかうまつらまほしと
心づきて思ひきこえしかど。はるかなるところに
打つゞきてすぐし侍とし頃の程に。うい/\しく
おぼえ侍りてなん参りもつかうまつらぬを。かゝる
御心さしの侍りけるを。返/\かしこまりながら
奉らんはやすきことなれど。月頃の御心たがへた
るやうに。この人の思ひ給へらんことをなんお
もひ給へはゞかり侍るといとこまやかにいふ。よろ
しげなめりとうれしく思ふ。なにかとおぼし
はゞかるべきことにも侍らず。かの御心ざしはたゞ
ひと所の御ゆるし侍らんをねがひおぼして。い
はけなくとしたらぬほどにおはすとも。しんじ
ち(真実)のおやのやんごとなくをきて給へらん
をこそ。ほい(本意)かなふにはせめ。もはら(専ら)さやうのほとりば
みたらん(浅はかな)ふるまひすべきにもあらず。となんのた
まふつる。人から(人柄)はいとやんごとなく。おぼえ心に
くゝおはする君なりけり。わかき君たちとて
すき/\しくあてび(遊び)てもおはしまさず。世の
12
有さまもいとよくしり給へり。両(領)じ給ふ所々も
いとおほく侍り。又ころの御とくなきやうなれ
ど。をのづからやむごとなき人の御けはひのあ
りけるやう。なを(直)人のかぎりなきとみ(富)といふめ
るいきほひにはまさり侍り。らい年四位になり
給ひなん。こたび(こたみ)のとう(頭)はうたがひなくみかどの
御くち(口)づからごて給へるなり。よろづの事たら
ひたる朝臣の。めをなんさだめさなる。はうあさる
べき人えりてうしろみをまうけよ。上達部には
われしあれば。けふあすといふばかりになし
あげてんとこそ給らるなれ。なにごともたゞ此
君ぞみかどにもしたしくつかうまつり給ふ
なる。御心はた。いみじうかうさく(警策)におも/\しく
なんおはしますめる。あたら人の御むこ(婿)をかう
きゝ給ふ程に。おもほしたちなんこそよからめ。
かのとの(殿)にはわれも/\むことり奉らんと所々
侍なれば。こゝにしぶ/\なる御けはひあらば
ほかざまにもおぼしなりなん。これたゞうしろ
やすきことをとり申すなりといとおほく。よ
げいいひつゞくるに。いとあさましくひなびた
るかみ(守)にてうちえみつゝいたり。この頃の御とく
などの心もとなからん事は。な。の給ひそ。なにがし
13
命侍らんほどはいたゞきにもさゝげたてまつり
てん。心もとなくなにをあ(飽)かぬとかおぼすべき。た
とひあへずしてつかうまつりさしつとも。のこ
りのたから物。両(領)じ侍るところ/\゛ひとつにても
またとりあらそふべき人なし。こどもおほく侍
れど。これはさまことに思ひそめたる物に侍り
たゞま心におぼしかへりみさせ給はゞ。大臣の
くらいをもとめんとおぼしねがひて世になき
たから物をもつくさんとし給はんに。なきもの
侍るまじ。たうじのみかどしかめぐみ申し給ふなれ
ば。御うしろみは心もとなかるまじ。これかの御
ためもなにがしがめのわらは(女の童)のためにも。さいは
ひとあるべき事にやともしらずと。よろしげに
いふ時にいとうれしくなりて。いもうとにもかゝる
事ありともかたらず。あなたにもよりつかで
かみのいひつることをいとも/\よげにめでた
しと思ひて聞ゆれば。君(少将)すこしひなびてぞ
ああるとはきゝ給へど。にくからずうちえみてきゝい
給へり。大臣にならんそくらう(贖労)をとらむなどぞ
あまりおどろ/\しきことゝみとゞまりける。
さてかの北方にはかくと物しつや。かの心ざしは
ことに思ひはじめ給へらんに。ひきたがへたらん
14
ひが/\しくねぢれたるやうにとりなす人も
あらん。いざやとおぼしたゆたひたるを。なにか。き
たのかたもかの姫君をばいとやむごとなき物に
思ひかしづき奉り給なり。たゞなかのこのかみ(姉妹の中で年長の)
にて。としもおとなび給ふを心ぐるしき事に
思ひて。そなたにと思ひまふけて申されける
なりけりと聞ゆ。月頃は又なくよのつねならず
かしづくといひつる物の。うちつけにかくいふもいか
ならんと思へども。猶ひとわたりはつらしとおもは
れ。人にはすこしそしらるともながらへてたのも
しき事をこそと。いとまたくかしこき君にて
思ひとりてければ。日をだにとりかへでちぎりし
くれにぞおはしはじめける。きたのかたは人しれ
ずいそぎたちて人々のさうぞくせさせ。しつら
ひなどよし/\しうし給ふ。御かたをもかしら
あらはせとりつくろひてみるに。(浮舟を)少将などいふ
ほどの人にみせんもおしくあたらしきさま
を。あはれや。おやにしられたてまつりておひ立
給はましかばおはせずなりにたれども。大将殿(薫)
のの給らんさまにもおほけなくともなどかは
思ひたゝざらまし。されどうち/\にこそかく
おもへ。ほかのをときゝはかみの子とも思ひわかず
15
又じち(実)をたづねしらん人も中々おとしめお
もひぬべきこそかなしけれ。などおもひつゞく。
いかゞはせんさかりすぎ給はんもあいなし。い
やしからずめやすきほどの人のかくねんごろに
の給ふめるをなど。心ひとつに思ひさだむるも。
なかだち(媒)のかくことよくいみじきに女はまして
すかされたるにやあらん。あすあさて(明日明後日)と思へば
心あはたゞしくいそがしきに。こなたにも心
のどかにいられたらず。そゞめきありくだに。かみ(守)と
よりいりきてなか/\ととゞこほる所もなくい
ひつゞけて。われをおもひへだてゝあこ(吾子)の御けさう(懸想)
人をうばゝむとし給ひけるか。おほけなく心を
さなきこと。めでたからん御子の御むすめをば
よう(要)ぜさせ給君だちあらじ。いやしくこと(異)
やうならんなにかしらが女ごをこそ。いやしうも
たづねの給ふめれ。かしこくおもひくはたてられ
たれど。もはらほい(本意)なしとてほかざまへ思ひなり
給ぬべかなれば。おなじくはとおもひてなんさ
らば御心とゆるし申つるなどあやしうあぶな
く。人の思はん所もしらぬ人にていひちらしい
たり。北方(浮舟母)あきれて物もいはれでとばかり思ふ
に世の中の心うさをかきつらね。涙もおちぬばかり
16
思ひつゞけられてやをら立ぬ。こなたにわたり
てみるにいとらうたげにてい給へるに。さりと
も人にはをとり給はじとは思ひなぐさむ。めのとゝ
ふたり心うき物は人の心なりけり。をのれはお
なじ子と思ひあつかふともこの君(浮舟)のゆかりと
思はん人のためには命をもゆづりつべくこそ
思へ。おや(親)なしと聞あなづりて。まだおさなくな
りあはぬ人をさしこえてかくはいひなるべし
や。かく心う(憂)くちかきあたりに見じき(聞)かじとお
もひぬれど。かみ(守)のかくおもたゞしきことに思ひ
て。うけとりさはぐめればあさましく。あひ/\
にたる世の人のありさまをすべてかゝることにく
ち(口)いれじと思ふ。いかでこゝならぬ所にしばしあり
にしがな。と打なげきつゝいふ。めのと(乳母)もいとはら
だゝしうわが君をかくおとしむる事なにかこ
れも尾さいはひにてたがふことゝもしらず。かく心
口おしくいましける君なれば。あたら尾さま
をもみしらざらまし。わが君をば心ばせあり
物思ひしりたらん人にこそみせ奉らまほし
けれ。大将どのゝ尾さまかたちのほのかにみたて
まつりしに。さもいのちのぶる心ちのし侍しかな。
あはれにはた聞え給ふなり。尾すくせにまか
17
せておぼしよりねかしといへば。あなおそろし
や人のふをきけば。とし頃おぼろけならん人
をはみじとのたまひて。左のおほとのあぜち
の大納言式部卿宮などのいとねん頃にほのめ
かし給けれどきゝ過してみかどの人かまめやか
におぼさん。かの女宮(女三)などの尾かたにあらせてとき/\゛
もみんとはおぼしもしなん。それはた。げにめで
たき御あたりなれどもいとむねいたかるべき事
なり。宮のうへのかくさいはひ人と申なれど。
ものおもはしげにおぼしたるをみれば。いかにも/\
ふた心なからんひtのみこそめやすくたのもし
きことにはあらめ。わが身にてもしりにき古宮(八宮)の
御ありさまはいとなさけ/\しくめでたくおか
しうおはせしかど。人かずにもおぼさゞりしかば。
こゝろうくつらかりし。このいといふかひなく(話にならない)なさけ
なくさまあしきひと(常陸介)なれど。ひたおもむきに二
心なき(浮気をしない)を見れば心やすくてとしごろをもす
ごしつるなり。おりふしの心ばへかやうにあい
ぎやうなく。ようい(用意)なきことこそにくけれ。なげ
かしくうらめしきこともなく。かたみにうちい
さかひても(互いに言い争いをしても)心にあはぬ事をばあきらめつ。上
18
達部みこ(親王)たちにて。みやづかへ(みやびか)にこゝろはづかしき
人の御あたり(仕える)といふとも。わがかず(我身分)ならではかひあ
らじ。よろづのことわが身からなりけりと思へば。
よろづにかなしくこそみたてまつれ。こといかにして
人わらへならずしたて奉らん。とかたらふ。 かみはいそ
ぎたちて女房などこなたにめやすきあまたあ
るを。此程はあらせ給へ。やがてちやう(帳)などもあた
らしうしたてられためるかた(方)を。ことにはか(俄)にな
りにためれば。とりわたし。とかくおあらたむまじ。と
て。西のかたにきてたちいとかくしつらひさはぐ。
めやすきさまにさはらかに。あたり/\あるべき
かぎりしたる所を。さかしらに屏風どももてき
ていぶせきまでたてあつめて。づし。にかいなど。
あやしきまでしくはへて心をやりていそげ
ば。北方も見ぐるしく見れどくちいれじといひて
しかばたゞ見聞く。御かたは北おもてにいたり。人の
御心は見しりはてぬ。たゞおなじ子なればさり
ともいとかくは思いはなちたまはじとこそ思ひ
つれ。されば世に母なき子はなくやはあるとて。むす
めをひる(昼)よりめのとゝふたりなでつくろひた
てたれば。にくげにもあらず。十五六のほどにてい
とちいさやかにふくらかなる人の。かみうつくしげ
19
にてこうちきのほどなり。すそいとふさやかなり。
これをいとめでたしと思ひてなでつくろふ。な
にか人のことざまに思ひかまへられける人をしも
と思へど。ひとがらのあたらしくかうさくにものし
給ふ君なれば。われも/\とむこにとらまほしく
する人のおほかなるに。とられなんもくちおしく
てなんと。かのなる人にはかられいふもいとおこな
り。おとこ君(少将)もこのほどのいかめしく思ふやうな
る事と。よろづのつみあるまじうおもひてそ
の夜もかへずきそめぬ。はゝぎみかの御かたのめ
のと。いとあさましく思ひひが/\しきやうなれ
ば。とかく見あつかふも心づきなければ。宮のきたの
かたの御もとに御文奉る。そのことゝ侍らではなれ/\
しくやとかしこまりて思ひ給ふる。まことにもき
こえさっせぬをつゝしむべき事侍りて。しばし所
かへさせんと思ひ給ふるに。いと忍びてさふらひ給
ぬべきかくれのかたさふらはゞ。いとも/\うれしく
なん数ならぬ身ひとつのかげにかくれもあへず。あ
はれなる事のみおほく侍る世なれば。たのもしき
かたにはまづなんとうちなきつゝかきたる文をあ
はれと見給ひけれど。故宮のさばかりゆるし給
はでやみにし人を。我ひとりのこりて。しりかたら
20
はんもいとつゝましく。又見ぐるしきさまにて
世にあふれんも。しらずがほにてきかんこそ心ぐる
しかるべけれ。ことなる事なくてかたみにちりぼ
はむも。なき人の御ためにみぐるしかるべきわざ
をおぼしわづらふ。たいふがもとにもいと心ぐるし
げにいひやりたれば。さるやうこそは侍らめ。人にくゝ
はしたなくも。なの給はせそ。かゝるをと(劣)りのものゝ
人の御なかにまじり給ふもよ(世)のつねの事な
り。あまりいとなさけなくの給はせじ事なり
などきこえて。さらばかの西のかたにかくろへ
たる所しいでゝ。むつかしげなめれど。さてもす(過)ぐ
ひ給ふべくはしばしのほどゝいひつかはしつ。いとう
れしとおもほして人しれずいでたつ。御かたも
かの御あたりをばむつびきこえまほしと思ふ
心なれば。中々かゝる事どものいできたるをう
れしと思ふ。かみ少将のあつかひをいかばかりめ
でたきことをせんと思ふに。そのきら/\しかるべ
きこともしらぬ心には。たゞあらゝかなるあづまぎぬ
共ををしまろかしてなげいでつ。くひ物も所
せきまでなんはこびいでゝのゝしりける。げす(下衆)
などはそれをいとかしこきなさけに思ひければ。
君(少将)もいとあらまほしく心かしこくとりよりに
21
けりと思ひけり。北方はこのほどをみすてゝ。しら
ざらんもひがみたらんと思ひねんじて。たゞする
まゝにまかせていたり。まらうど(客人)の御でい(出居)さふ
らひとしつらひさはげば。家はひろけれど源少納
言東のたいにはすむ。おもこゞ(男子)などのおほかる所
もなし。この御方にまらうどすみつきぬれば。らう(廊)
などほとりばみたらんに。すませ奉らんもあかず
いとおしくおぼえて。とかく思ひめぐらすほど宮(中の君)
にとは思ふなりけり。この御かたざまにかずまへ
給ふひとのなきをあなづるめりとおもへば。ことに
ゆるひ給はざりしあたりをあながちに参らす。
めのと(乳母)わかき人々二三人ばかりして。にし(西)のひさ
し(廂)のきた(北)によりて人げとを(遠)きかたにつぼねし
たり。としごろかくはるかなり(はかなかり)つれど。うとくおぼ
すまじき人なれば。まいる時ははぢ給はずいと
あらまほしくけはひことにて。わか君の御あつ
かひをしておはする御ありさま。うらやましく
おぼゆるもあはれなり。我もこ北方にははなれた
てまつるべきき人かは。つかうまつるといひしばかり
にかずまへられ奉らず。口おしくてかく人にはあ
なづらるゝと思ふには。かくしいでむつびきこゆ
るもあぢきなし。こゝには御物いみといひてければ
22
人もかよはず二三日ばかりはゝ君もいたり。こたみ
は心のどこあにこの御有さまをみる。 宮わたりた
まふ。おかしくて物のはざまより見れば。とき
よらにさくらをおりたるさまし給ひて。わがた
のもし人に思ひてうらめしけれど心にはたがはじ
と思ふ。ひたちのかみよりさまかたちも人のほど
もこよなくみゆる。四位五位どもあひひざまづき
さふらひて。この事かの事とあたり/\の事
どもなどけいじ(家司)どもなど申。まだわかやかな
る五位どもかほもしらぬどもゝおほかり。我まゝ(継)
こ(子)の式部のぞう(丞)にて蔵人なる。内の御つかひ
にてまいれり。御あたりにもえちかくまいらず。
こよなき人の御けはひをあはれこはなに人ぞ。
かゝる御あたりにおはするめでたさよ。よそに思ふ
ときはめでたき人々と聞ゆとも。つらきめ見せ
給はゞと物うくをしはかり聴こえさせつらんあ
さましさ。この御ありさまかたちを見れば七夕
ばかりにても。かやうにみたてまつりかよはんは
いといみじかるべきわざかなと思ふに。わか君いだ
きてうつくしみおはす。女君みじかき貴重をへだ
てゝおはするを。をしやりて物など聞え給ふ。
御かたりなどもいちきよらににあひたり。こみやの
さびしくおはせし御ありさまを思ひくらぶる
に。宮たちと聞ゆれどいとこよなきわざにこそあ
りけれとおぼゆ。几丁のうちに入り給ひ(匂が)ぬれば。わか
君はめのとなどもてあそび聞ゆ。人々参りあつ
まれどなやましとておほとのごもりくらしつ。
御だいこなたにまいる。よろづの事けたかく心こと
にみゆれば。わがいみじき事をつくすとみ(見)おもへど。
なを/\しき人のあたりは口おしかりけりとお
もひなりぬればわかむすめ(浮舟)もかやうにてさし
ならべたらんにかたはならじかし(おかしくない)。いきほひをたの
みて。ちゝぬしのきさきにもなしてんとおもひ
たる人々。おなじ我子ながらけはひこよなきを
思ふも。なを今より後も心はたかくつかふべかり
けりと夜ひとよ。あらもしかたり思ひつゞけらる。
宮(匂)日たけておき給て。きさいの宮(明石の中宮)れいのなやまし
くし給へば。まいるべしとて御さうぞくなどし給
ひておはす。ゆかしう覚えてのぞけばうるはしう
ひきつくろひ給へる。はたに(似)る物なく。けだかくあ
ひ行づききよらにて。わかきみをえみす(見捨)て給
はであそびおはす。御かゆ(粥)こはいひ(強飯)などまいりて
ぞこなたより出給ふ。けさよりまいりてさふ
らひのかたにやすらひける人々今ぞまいり
24
て物など聞ゆなかに。きよげだちてなでうこと
なき人のすさましきかほしたる。なをし(直衣)きて
たち(太刀)はきたるあり。おまへにてなにともみえぬ
を。かれぞこのひたちのかみのむこの少将な。はじめ
は御方にとさだめけるをかみのむすめをえてこ
そいたはられめ。などいひてかしげたるめのわら
はをえたるなゝり。いざこの御あたりの人はかけ
てもいはず。かみの君のかたよりよくきくたよ
りのあるぞなどをのがどちいふ。聞くらんともし
らで人のかくいふにつけても。むねつぶれて少将を
めやすきほどゝ思ひける心も口おしく。げにこと
なることなるべかりけりと思ひて。いとゞしくあな
づらはしく思ひなりぬ。わか君のはひいでゝみす
のつまよりのぞき給へるを。うち見給て立かへ
りよりおはしたり。御心ちよろしくみえ給
はゞやがてまかでなん。なをくるしうし給はゞ
こよひはとのいにぞ。いまはひと夜をへだつるも
おぼつかなきこそくるしけれとてしばしなぐさめ
あそばしていで給ぬるさまの返す/\゛みるとも/\
あくまじくにほびやかにおかしければ。いで給
ひぬるなおごりさう/\゛しくぞながめらるゝ。女き
みの御まへに出きていみじうめで奉れば。い中
25
びたるとおぼしてわらひ給ふ。こうへ(故北の方)のうせ給し
程は。いふかひなくおさなき御ほどにて。いかにな
らせ給はんとみたてまつる人も。こみやもおぼし
なげきしを。こよなき御すくせのほどなりけ
れば。さる山ぶところのなかにもおひ出させ給し
にこそありけれ。くちおしくこひめ君のおはし
まさずなりにたるこそ。あかぬ事なれなどう
ちなきつゝ聞ゆ。君(中の君)もうちなきて世の中の
こゝろぼそきおり/\も。またかくながらふれば
すこしもおもひなぐさめつべきおりもある
を。いにしへたのみ聞えけるかげどもにをくれ
たてまつりけるは中々よの常に思ひなされ
てみたてまつりしらずなりにければあるを。な
を此事はつきせずいみじくこそ大将(薫)のよろづ
のことに心のうつらぬよしをうれへつゝ。あさからぬ
御心のさまをみるにつけてもいとこそ口おしけ
れとの給へば。大将どのはさばかり世にためしな
きまでみかどのかしづきおぼしたなるに心
をごりし給らんかし。おはしまさましかば。な
をこのことせかれしもし給はざらましや。など
聞ゆ。いさや。やうの物と人わらはれなる心ち
せましもなか/\にやあらまし。みはてぬに
26
つけて心にくゝも有世にこそはと思へど。彼君は
いかなるにかあらんあやしきまでものわすれ
せず。こ宮の御後の世をさへおもひやりふかくう
しろみありき給ふめるなど心うつくしうかた
り給ふ。かのすぎにし御かはりにたづねてみん
と。この数ならぬ人をさへなん。かの弁の君には
の給ひける。さもやと思ふ給へよるべき事には
侍らねど。ひともとゆへにこそはいとかたじけなけ
れどあはれになん思ふ給へらるゝ御心ふかきな
るなどいふついでに。此きみをもてわづらふこと
なく/\かたる。こまかにはあらねど人も聞けり
と思ふに。少々の思ひあなづりけるさまなど
ほのめかして。命侍らんかぎりはなにかあさ夕
のなぐさめぐさにて見すぐしつべし。うち
すて侍りなんのちは思はずなるさまにちり
ほひ侍らんがかなしさに。尼になしてふかき山
にやしす(据)へ(住まう)て。さるかたに世の中をおもひたえて
侍らましなどなんおもひ給へ。わびては思ひより
こそはあなれど。なにか人にあなづらるゝ御有さまは
かやうになりぬる人のさがにこそ。さりとても
えたへぬわざなりければ。むげにそのかたに思ひ
27
をきて給へりし身だに。心よりほかにながらづ
れば。まいていとあるまじき御さまにこそなどいと
おとなびての給へば。母ぎみいとうれしと思ひ
たり。ねびにたるさまなれどよしなからぬさま
してきよげなり。いたく(肥)こえすぎにたるなん
ひたち殿とはみえけり。こ宮のつらうなさけなく
おぼしはなちたりしに。いとゞ人へなく人にも
あなづられ給と見給ふれど。かう聞えさせ御覧
ぜらるゝにつけてもなん。いにしへのうさもなぐ
さみ侍など。とし頃の物がたり。うきしまのあはれ
なりし事も聞えいづ。我身ひとつとのみいひ
あはする人もなき。つくば山の有さまもかく
あきらめ聞えさせて。いつも/\いとかくてさ
ふらはまほしく思ふ給へなり侍ぬれど。かしこ
にはよからぬあやしの物どもいかにたちさはぎ侍
らん。さすがに心あはたゝしく思ひ給へらるゝ。かゝ
るほどのありさまに身をやつすはくちおし
きものになん侍りけると身にも思ひしらるゝ
を。此君(浮舟)はたゞまかせ聞えさせてしり侍らじな
ど。かこち聞えかくれば。げにみぐるしからでも
あらなんと見給。 かたちも心ざまもえにくむ
28
まじうらうたげなり。物はぢもおどろ/\し
からずさまようこめいたる物から。かどならず。ち
かくさふらふ人々にもいとよくかくれてい給
へり。物などいひたるもむかしの人の御さまに
あやしきまでおぼえたてまつりてぞあるや。
かの人がたもとめ給ふ人に見せ奉らばやとうち
おもひいで給ふおりしも大将参り給ふと人
聞ゆれば。れいの御几帳ひきつくろひえ心づかひ
す。このまらうどのはゝ君いでみたてまつらん。ほ
のかにみたてまつりける人のいみじき物にき
じといへば。御まへにさふらふ人々いさやえこそ
聞えさだめねときこえあへり。いかばかりならん
人か。宮をばけちたてまつらんなどいふほどに。
いまぞ(薫が)車よりおり給なるときくほど。かしか
ましきまでを(追)ひのゝしりて。とみにもみえ給
はず。またれたる程にあゆみいり給ふさまをみれ
ば。げにあなめでたおかしげにともみえずながら
ぞ。なまめかしうあてにきよげなるや。すゞろに
みえぐるしうはづかしうて。ひたいがみなどもひ
きつくろはれて心はづかしげによういおほくき
はもなきさまぞし給ふる。うちよりまいり
29
給へるなるべし。御せんどものけはひあまたし
て。よへ后宮のなやみ給よしうけ給はりたりし
を。宮たちのさふらひ給はざりしかは。いとおしく
みたてまつりて宮の御かはりに今までさふら
ひ侍つる。けさもいとけだいしてまいらせ給へる
を。あいなう御あやまちに。をしはかり聞えさ
せてなんと聞え給へば。げにをろかならず思ひ
やりふかき御よういになんとばかりいらへきこえ
給ふ。宮は内にとまり給ひぬるを見をきて。たゞ
ならずおはしたるなめり。れいの物語いとなつ
かしげにきこえ給。ことにふれてたゞいにしへの
忘れがたく世の中のものうくなりまさるよしを。
あらはにはいひなさでかすめうれへ給ふ。さしも
いかでか世をへて心にはなれずのみはあらん。なを
あさからずいひそめてしことのすぢなれば。名残
なからじとにやなど見なし給へど人の御けし
きはしるき物なれば。(薫の躰を)み(見)もてゆくまゝに(見ているうちに)あはれな
る(薫の)御心ざまを岩木ならねばおもほししる。うらみ
聞え給ふこともおほかれば。いとわりなくうち
なげきて。かゝる御心をやむる(断つ)御祓(穢?禊?)をせさせたて
まつらまほしくおもほすにやあらん。かの人がた
の給出ていとしのびてこのわたりになんと。ほの
30
めかし聞え給ふを。かれもなべての心ちはせず。
ゆかしくなりにたれど。うちつけにふとうつ
らん心ちはたせず。いでや其本尊ねがひみて
給ふべくはこそたうとからめ。とき/\゛心やまし
くはなか/\山水もにごりぬべくとの給へば。
わらひ給ふもおかしう聞ゆ。いでさらばつたへ
はてさせ給へかし。この御のがれことばこそ思ひい
づれば。ゆゝしくとの給ても又なみだぐみぬ
(薫)見し人(大君)のかたしろ(形代)ならば身にそへて恋し
きせゞ(瀬々)のな(撫)で物にせん とれいのたはふれにいひ
なしてまぎらはし給
(中の君)みそぎ川せゞにいださんなで物を身にそふ
かげとたれかたのまん ひくてあまたにとかや
いとおしくぞ侍や(薫に女が大勢いては浮舟が可哀想)との給へば。ついによるせ(瀬)はさ
らなりや。いとうれたきやうなるみづのあは
にもあらそひ侍かな。かきながさるゝなでもの
いでまことぞかし。いかでなぐさむべきことぞな
どいひつゝくら(暗)うなるもうるさければ。かりそめ
に物したる人もあやしくと思ふらんとつゝま
しきをこよひはなをとくかへり給(給ひ)ね。とこし
らへやり給ふ。さらばそのまらうどにかゝる心
31
のねがひとしへぬるも打つけになどあさうお
もひなすまじうの給はせしらせ給ひて。はし
たなげになるまじうはこそ。いとうい/\しく
ならひにて侍身は。何事もおこかましきまで
なんとかたらひ聞えをきていで給ぬるに。この母
きみいとめでたく思ふやうなる御さまかなとめでゝ。
めのとゆくりかに思ひよりて。たび/\いひし
事をあるまじき事にいひしかど。此御ありさ
まをみるには。あまの川をわたりてもかゝるひこ
星のひかりをこそはまちつけさせめ。わがむすめ
は。なのめならん人にみせんはおしげなるさまを
えびす(夷)めきたる人をのみいならひて。少々をかし
こき物に思ひけるを。くやしきまでおもひなり
にけり。よりい給へつるまきばしら(真木柱)もしとね(茵)
も。なごりにほ(匂)へるうつり香。い(言)へばいとことさらめ
きたるまでありがたし。とき/\゛みたてまつる人
だにたびごとにめで聞ゆ。経などをよみてくどく
のすぐれたることあめるにも。かのかうばしきを
やんごとなきことに。ほとけのの給をきけるも
ことはりなりや。薬王品などにとりわきてのた
まへる。五づせんだん(牛頭栴檀)とかやおどろ/\しき物の名
なれど。まづかの殿(薫)のちかくふるまひ給へば。仏は
32
まことし給けりとこそおぼゆれ。おさなくおは
しけるよりおこなひもみじくし給ければよ
などいふもあり。又さきの世こそゆかしき御あ
りさまなれなど。くち/\めづることゞもをすゞ
ろにえみてきゝいたり。きみは忍びての給ひ
つることをほのめかしの給。おもひそめつる事
しうね(執念)きまでかろ/\゛しからずものし給ふ、える
を思へば。わづらはしきこゝちすべけれど。かの世を
そむきてもなど思ひより給ふ覧(らむ)もおなじ
ことに思なして心み給へかしとの給へば。つらき
め見せず人にあなづられじの心にてこそ。とり
の音聞えざらんすまいまで思ひ給へをきつ
れ。げに人の御ありさまけはひをみたてまつり
思ひ給ふなば。しもづかへのほどなどにてもかゝる
人の御あたりになれ聞えんはかひありぬべし。ま
いてわかき人はこゝろづけたてまつりぬべく侍め
れど。かずならぬ身に物思ひのたねをやいとゞま
かせてみ侍らん。たかきもみじかきも女といふ物かゝ
るすりにてこそこの世のちの世までくるしき
身になり侍るなれと思ふ給へ侍ればなんいとおし
く思ひ侍り。それもたゝ御心にあんともかくもお
ぼしすてず物せさせ給へと聞ゆれば。いとわづら
33
はしくなりて。いさやきしかたの心ふるさにう
ちとけてゆくさきの有さまはしりがたきをと
うちなげきて。ことに物もの給はずなりぬ。あ
けぬれば車などい(率)てきて。かみ(守)のせうそこ(消息)な
どいとはらたゝしげにをびやかしたれば。かた
じけなくよろづにたのみ聞えさせてなん。なを
しばしかくさせ給て。岩ほ(巌)のなかにともいかにと
も思ふ給へめぐらし侍ほど数には侍らずとも。お
もほしはなたずなに事をもをしへさせ給へ
など聞えをきて。この御かたもいとこゝろぼそく
ならはぬ心ちに。たちはなれんをおもへど。いまめ
かしくおかしくみゆるあたりに。しばしも見な
れ奉らんと思へばさすがにうれしくもぼえ
けり。 車ひきいづる程のすこしあかうなりぬる
に。宮(匂)うちよりまかで給ふ。わか君おぼつかなく
おぼえ給ふければ忍びたるさまにて久津間なども
れいならでおはしますに。さしあひてをしとゞ
めたてたれば。らう(廊)に御車よせており給ふ。
なぞのくるまぞくらき程にいそぎいづるは。とめ(目)
とゞめさせ給ふ。かやうにてぞしのびたる所には
いづるかしと御心ならひにおぼしよるもむくつ
けし。ひたち殿のまかでさせ給ふと申る。わか
34
やかなる御ぜん(前)ども。とのこそあざやかなれとわら
ひ給へるを。きくもげにこよなの身のほどやとか
なしく思ふ。たゞこの御かたの事を思ふゆへにそ
をのれも人々しくならまほしくおぼえける。
ましてさうじみをなを/\しくやつしてみん
事はいみじくあたらしく思ひなりぬ。宮入給ひ
て。ひたちどのといふ人やこゝにかよはし給ふ。心
あるあさぼらけにいそぎ出つる車ぞひ(車副)などこそ
ことさらめきてみえつれ。など猶おぼしうたが
ひての給ふ。きゝにくゝかたはらいたしとおぼして。
たいふ(大輔)などかわかくてのころ。ともだちにてあり
ける人は。ことにいまめかしうもみえざめるを。ゆへ/\
しげにもの給ひなすかな。人のきゝとがめつべき
ことをのみ常にとりない給こそ。なき名はたてゝ
とうちそむき給ふもらうたげにおかし。あくる
もしらずおほとのごもりたるに。人々あまたま
いり給へば。しん殿(寝殿)にわたり給ぬ。きさいの宮はこと/\
しき御なやみにもあらで。おこたり給にければ。
心ちよげにて左の大殿の君だちなど。五(碁)うち
いんふたぎ(韻塞)などしつゝあそび給ふ。ゆふつかた宮(匂)
こなたにわたらせ給へれば。女君(中君)御ゆする(洗髪)のほどな
りけり。人々もをの/\うちやすみなどして。
35
御まへには人もなし。ちいさきわらは(童)のあるし
て(使いにやって)。おりあしき御ゆするのほどこそ見ぐるしか
めれ。さう/\゛しくてやながめんと聞え給へば。げ
におはしまさぬひま/\゛にこそ。れいはすませあ
やしう日ごろも物うがらせ給ひて。けふ過ばこ
の月は日もなし。九。十月はいかでかはとてうtかう
まつらせつるをとたいふいとおかしがる。わか君
もね給へりければ。そなたにこれかれある程に
宮(匂)はたゝずみありき給て。にしのかたにれい
ならぬわらはの見えけるを。いままいりたる
か。などおぼしてさしのぞき給ふ。なかのほど
なるさうじのほそめいあきたるよりみた
まへば。さうじのあなたに一尺ばかりひきさけ
て屏風たてたり。そのつまに几帳す(簾)にそへ
てたてたり。かたひらひとへをうちかけて。し
をん(紫苑)色のはなやかなるに。をみなへしのをり物
とみゆるかさなりて袖ぐちさし出たり。屏風
のひとひら(一枚)たゝまれたるより。心にもあらで
みゆるなめり。今参りの口おしからぬなめり。
とおぼして。このひさし(廂)にかよふさうじ(障子)をい
とみそかに(音の出ぬように)をしあけ給ひて。やをらあゆみ
より給ふも人しらず。こなたのらうのなかの
36
つぼせんざい(壺前栽)のいとおかしう色々にさきみ
だれたる。やり水のわたりのいしたかきほど
いとおかしければ。(浮舟が)はしちかくそひふしてなが
むるなりけり。あきたるさうじを今すこし
をしあけて。いやうぶのつまよりのぞき給に。
宮とは思ひもかけず。れいこなたにきなれたる
人にやあらんと思ひて。おきあがりたるやう
だいいとおかしう見ゆるに。れいの御こゝろはす
ぐし給はで。きぬのすそをとらへ給ひて。こ
なたのさうじはひきたて給て。屏風のはざ
まにい給ひぬ。あやしと思ひて扇をさし
かくしてみかへりたるさまいとおかし。あふぎを
もたせながらとらへ給て。たれぞなのりこそゆ
かしけれとの給に。むくつけくなりぬ。さる物
のつらにかほをほかざまにもてかくして。いと
いたうしのび給へれば。このたゞならずほのめ
かし給ふらん大将にや。かうばしきけはひなど
も思ひわたさるゝに。いとはづかしくせんかた
ない。めのと人げのれいならぬをあやしと思ひ
て、あたななる屏風おをしあけてきたり。
これはいかなることにか侍らん。あやしきわざ
にも侍かなと聞ゆれど。はゞかり給べきこと
37
よもあらず。かくうちつけなる御しわざなれ
と。ことのはおほかる御本上なれば。なにやかや
との給ふ。くれはてぬれどたれときかざらんほ
どはゆるさじと(匂が)なれ/\しくふし給ふに。宮(匂)な
りけりと思ひはつるに。おほとなぶら(大殿油)はとうろ(灯籠)にて今
わたらせたまひなんと人々いふなり。おまへな
らぬかたのみかうし(御格子)どもぞおろすなる。こなた
ははなれたるかたにしなして。たかきたなづし(棚厨子)
ひとよろひ(一具)ばかりたて。びやうぶのふくろに入
こめたる所々によせかけ。何かあららかなる
さまにしはなりたり。かく人の物し給へばと
て。かよふみちのさうじひとまばかりあけた
るを。右近とてたいふがむすめのさふらふき
て。かうしおろしてこゝによりくなり。あなく
らやまだおほとなあぶらまいらざりけり。見
かうしをくるしきにいそぎ参りてやみに
まどふよとてひきあくるに。宮もなまぐるし
ときゝ給ふ。めのとはたいとくるしとおもひて。
ものつゝみせず。はやりかにおそき人にて。物
聞え侍らん。こゝにいとあやしきことの侍るに。
み給へこう(極)じてなん。えうごき侍らでなん。なに
38
ごとぞとてさぐりよるに。うちきすがたなる
男の。いとかうばしくてそひふし給へるを。れい
のけしからぬ御さまと思ひよりにけり。女の
心あはせ給ふまじきことゝをしはからるれ
ば。げにいと見ぐるしきことゝをしはからるれ
ば。げにいと見ぐるしきことにも侍かな。右近はい
かにか聞えん。今まいりて御前にこそは忍びて
きこえさせめとてたつを。あさましくかた
わに誰も/\思へど。宮(匂)はおぢ給はず。あさまし
きまであてにおかしき人かな。猶なに人ならん。
右近がい(言)ひつるけしきもいとおしなべての今
参りにはあらざめり。と心得がたくおぼされて。
といひかくいひうらみ給。心つきなげにけしき
ばみてももてなさねど。たゞいみじうし(死)ぬばか
り思へるがいとおしければなさけありてこし
らへ給。右近うへにしか/\こそおはしませいとお
しくいかにおもほすらんと聞ゆれば。れいの心う
き御さまかな。かのはゝもいかにあは/\しくけ
しからぬさまに思ひ給はんとすらん。うしろや
すくと返す/\いひ置つるものをといとおしく
おぼせど。いかゞ聞えんさふらふ人々もすこし
わかやかによろしきはみすて給ふなく。あや
しき人の御くせなれば。いかでかは思ひよりた
39
まひけんとあさましきに物もいはれ給は
ず。上達部あまた参り給ふ日にてあそびたは
ふれては。れいもかゝる時はをそくもわたり給へば。
みなうちとけやすみ給ふぞかし。さてもいかに
すべき事ぞ。かのめのとこそおぞましかりけれ。
(浮舟に)つとそ(添)ひいてまもりたてまつり。ひきもかな
ぐり奉つべくこそ思ひたりつれど。少将と
ふたりしていとおしがるほどに。内より人参り
て。大宮この夕くれより御むねなやませ給ふを。
たゞいまいみじくおもくなやませおはします
よし申さず。うこん心なきおりの御なやみかな。
きこえさせんとてたつ。少将いでや今はかひなく
もあべいことをおこがましくあまりなおびや
かし聞え給そといへど。いなまださりげもな
かりつとてさゝめきかはすを。人いときゝにく
き人の御本上にこそあめれ。すこしこゝろあ
らん人は我あたりをさへうとみぬべかめりとお
ぼす。参りて御つかひの申すよりも今すこし
あはたゝしげに申なせば。うごき給ふべきに
もあらぬ御けしきに。たれかまいりたる。例の
おどろ/\しくをびやかすとの給はせうれば。
宮のさふらひにたいらのしげつね(平重経)となんな(名)
40
のり侍りつると聞ゆ。いで給はむことのいとわ
りなくくちおしきに。人めもおぼされうに右
近たち出てこの御つかひを。にしおもてにてと
へば申つれつる人もよりきて。中務の宮まいら
せ給ぬ。大夫(だいぶ)はたゞ今なん参りつるみちに御
車ひき出づる見侍りつ。と申せば。げににはかにとき/\
なやみ給ふおり/\も有をとおぼすに。人のお
ぼすらんこともはしたあんくなりて。いみじうう
らみ契りをきて出給ぬ。 おそろしきゆめの
さめたる心ちしてあせ(汗)にをしひた(浸)してふし
給へり。めのとうちあふぎなどして。かゝる御す
まいはよろづにつけてつゝましうびんなか
りけり。かくおはしましそめてさらいよき事
侍らじ。あなおそろしやかぎりなき人の聞ゆ
とも。やすからぬ御ありさまはいとあぢきなか
るべし。よそのさしはなれたらん人にこそ
よしともあしとも覚えさせ給へて。がまのさう(降魔の相)
をいだしてつとみたてまつりつれば。いとむく
つけく。げす/\しきをんな(女)とおぼして。手を
いたくつませ(抓り)給つるこそ。なを人のけさうだ
ちていとおかしくもおぼえ侍りつれ。かの殿に
41
けふもいみじくいさかひ給ひけり。たゞひと所
の御うへを見あつかひ給ふとて。わが子どもを
ばおぼしすてたり。まらうとのおはするほ
どの御たびい(旅居)みぐるしとあら/\しきまで
聞え給けるしも人さへきゝ。いとおしかりけり。
すべてこの少将の君ぞいとあい行なくおぼえ
給。この御こと侍らざらましかばうち/\やす
からずむつかしき事はおり/\侍とも。なだらか
にとし頃のまゝにておはしますべきものを
など。うちなげきつゝいふ。君はたゞいまはともかく
も思ひめぐらされず。たゞいみじくはしたなく
みしらぬめをみつるにそへても。いかにおぼす
らんと思ふにわびしければ。うつぶしふしてなき給。
いとくるしと見あつかひてなにゝかくおぼす。
はゝおはせぬ人こそたつぎなうかなしかるべ
けれ。よそのおぼえはちゝなき人はいとくちお
しけれど。さがなきまゝはゝににくまれんよ
りはこれはいとやすし。ともかくもしたてまつり
給ひてん。なおぼ(思)しくつ(屈)しそ。 さりともはつせ(初瀬)
の観音おはしませば。あはれと思ひ聞え給
はん。ならはぬ御身にたび/\しきりてま(詣)で
給ふ事は人のかくあなづりざまにのみおもひ
42
きこえたるを。かくもありけりと思ふばかりの
御さいはひおはしませとこそねんじ侍れ。あが
君は人わらはれにえちゃみ給なんやと。世をやす
げにいひいたり。宮はいそぎていで給なり。う
ち(内裏)ちかきかたにやあらん。こなたのみかど(御門)より
いで給へば物の給御こえも聞ゆ。いとあてにか
ぎりもなくきこえて心ばへあるふる(古)事など
ず(誦)じ給てすぎ給ふ程。すゞろにわづらはしく
おぼゆ。うつし馬どもひきいだして。とのいに
さふらふ人十よ人ばかりしてまいり給。うへいと
おしくうたて思ふらんとて。しらずがほにて。大
宮なやみ給ふとてまいり給ひぬれば。こよ
ひはで給はじ。ゆする(泔)の名残にや心ちもなや
ましくておきい侍るを。わたり給へつれ/\
にもおぼさるらん。と聞え給へり。みだり心ちの
いとくるしう侍をためらひて。とめのと(乳母)してき
こえ給へば。なに心ちともおぼえ侍らず。いとく
るしく侍ると聞え給へば少将右近め(目)まじろ
きをしてかたはらいたくぞおぼすらんといふ
も。たゞなかよりはいとをし口おしく心ぐるしき
わざかな。大将の心とゞめたるさまにの給ふめり
43
しをいかにあは/\しく思ひおとさん。かくのみ
みだりがじゃしくおはする人は。きゝにくゝじつ(実)
ならぬ事をもくねりい(言)ひ。又まことにすこしおも
はずならんことをも。さすがに見ゆるしつべう
こそおはすめれ。この君はい(言)はで。う(憂)しとおもはん
ことぞいとはづかしげに心ふかきをあいなくお
もふことそひぬる人のうへなめり。とし頃みずし
らざりつる人のうへなれど。心ばへかたちを見
れば。え思いはなつまじうらうたく心ぐるし
きに。世の中はありかたくむつかしげなる物
かな。わが身のありさまはあかぬ事おほかるこゝ
ちすれど。かく物はかなきもみつべかりける
身の。さは。はふれず(そう落ちぶれず)なりにけるにこそ。げにめ
やすきなりけれ。いまはたゞこのにく(憎)き心そひ
給へる人(困った恋心を持った薫様)のなだらかにて思ひはなれなば。さら
になにごとも思ひいれずなりなんとおもほ
す。いとおほかる御ぐしなれば。とみにもえほし
やらず。おきい給へるもくるし。しろき御ぞひ
とかさねばかりにておはする。ほそやかにおかし
げなり。この君はまことに心ちもあしくなり
にたれど。めのといとかたはらいたし。ことしも
ありかほにおぼすらんをたゞおほとかにてみえ
44
奉り給へ。右近のきみなどにはことのありさま
はじめよりかたり侍らんとせめてそゝのかし
たてゝ。こなたのさうじのもとにて右近の君
に物聞えさせんといへば。たちていでたれば。いと
あやしく侍つることのなごりに。身もあつう成
給ひて。まめやかにくるしげに見えさせ給ふ
を。御をん(まへ:御前)にてなぐさめ聞えさせ給へとてなん
あやまちもおはせぬ身をいとつゝましげに
おもほしわびためるも。いさゝかにても世をしり
給へる人にこそあれ。いかでかはとことはりにい
とおしく見奉るとて。ひきおこして参らせ
奉る。我にもあらず人の思ふらんこともはづかし
けれど。いとやはらかにおほときすぎ給へる君
にて。をしいれられてい給へり。ひたいがみなどのい
たうぬれたるをもてかくして。ひ(灯火)のかたにそむき
給へるさま。うへをたぐひなく見奉るにけをと(劣)ると
もみえず。あてにおかし(上品に美しい)。これにおぼしつきなば。め
ざましげなる事はありなんかし。いとかゝらぬを
だに。めづらしき人おかしうし給ふ御心をと。ふた
りばかしぞおまへにてえはぢあへたまはねば見
いたりける。物語いとなつかしくし給て。れいな
らずつゝましき所などな思ひなし給そ。こ(故)姫
45
君のおはせずなりにしのちわするゝよなく
いみじく身もうらめしくたぐひなき心ちし
てすぐすに。いとよく思ひよそへられたまふ御さ
まをみれば。なぐさむ心ちしてあはれになんお
もふ人もなき身に。むかしの御心ざしのやうにお
もほさばいとうれしくなんなどかたらひ給へど。い
と物つゝましくてまだひなびたるこゝろに
いらへ聞えんこともなくて。としごろいとはるかに
のみ思ひ聞えさせしに。かう見たてまつり侍る
は。なに事もなぐさむ心ちし侍てなんとばか
り。いとわるびたるこえにていふ。絵などとり出
させて。右近にとこと葉(詞)よませて見給ふに。むかひ
て物は(恥)ぢもえしあへ給はず心にいれて見給
へるほかげ(灯火影)。さらにこゝと見ゆるところなくこまか
におかしげなり。ひたひつき。まみ(目見)のかほりたる心
ちして。いとおほどかなるあてさは。たゞそれとの
み思ひいでらるれば。えはことにめもとゞめ給はて。
いと哀なる人のかたちかな。いかでかうしも有ける
にかあらん。故宮にいとよくに奉たるなめりかし。
古姫(大君)は宮の御かたざまに。われは母上に似奉り
たるとこそ。ふる人ともいふなりしが。げににたる人
はいみじき物なりけりとおぼしくらふるに
46
涙ぐみて見給ふ。かれはかぎりなくあてにけだ
かきものから。なつかしうなよゝかに。かたわなる
まてなよ/\とたはみたるさまのし給へりしに
こそ。これはまだもてなしのうい/\しげによ
ろづのことをつゝましうのみ思ひたるけにや。
見所おほかるなまめかしさそおとりたる。ゆへ/\
しきけはひだにもてつけたらば大将の見
給はんにもさらにかたわなるまじ。など。このか
み心に思ひあつかはれ給ふ。物がたりなどし給
て。暁がたになりてそ寝給ふ。かたはらにふせ
給て故宮の御事ともとし頃おはせし御有
さまなど。まほならねどかたり給。いとゆかし
う見奉らずなりにけるを。いとくちおしくか
なしと思ひたり。よべの心しりの人々はいか
なりつらんないとらうたげなる御さまをいみ
じくおぼすとも。かひあるべきことかはいとおし
といへば。右近ぞ。さもあらじ。かの御めのとのひきそ(据)
へてすゞろにかたりうれ(愁)へしけしき。もては
なれてぞい(言)ひし。宮(匂)もあ(逢)ひてもあ(逢)はぬやうなる
こころばへにこそ。うちうそふきくちずさみ給し
か。いざやことさらにもやあらん。そはしらずかし。
よべのほかげのいとおほとかなりしも。ことあ
47
りがほにはみえ給はざりしを。などうちさゞめ
きて。いとおしがる。めのと車こ(請)ひてひたちど
の(常陸殿)へい(往)ぬ。北のかたにかう/\といへば。むねつぶれさ
はぎて。人もけしからぬさまにいひ思ふらん。さう
じみ(正身)もいかゞおぼすべき。かゝるすぢの物にく(憎)み
は。あて人もなきものなりと。をのが心ならひに
あはたゝしく思ひなりてゆふつかた参りぬ。
宮(匂)おはしまさねば心やすくて。あやしく心お
さなげなる人をまいらせをきて。うしろやうsく
はたのみきこえさせながら。いたち(鼬鼠)の侍らんやう
なる心ちのし侍れば。よからぬ物どもににくみう
らみられ侍と聞ゆ。いとさいふばかりのおさなげ
さにはあらざめるを。うしろめたげにけしき
ばみたる御まうけこそわづらはしけれどて。わ
らひ給へる心。はつかしげなる御まみをみるも。心
のおにゝはづかしくぞおぼゆる。いかにおぼすらん
と思へど。えもうちいで聞えず。かくてさふらひ
給ふは。としごろのねがひのみつ心ちして人の
もりきゝ侍らんもめやすくおもだゝしきこと
になん思ひ給ふるを。さすがにつゝましきことに
なん侍ける。ふか(深)き山のほい(本意)はみさほになん侍
べきをとてうちなくも。いと/\おしくて。こゝ
48
は何ごt櫓かうしろめたくおぼえ給ねき。とても
かくてもうと/\しく思ひはばちきこえば
こそあらめ。けしからずたちてよからぬ人のとき/\゛
物し給めれど。その心をみな人みしりためれば。心
づかひしてびんなうもてなし聞えじと思ふ
を。いかにをしはかり給ふうにかとの給ふ。さらに御
心をばへだてありても思聞えさせ侍らず。かた
はらいたうゆるしなかりしすぢは。なにゝかか
けても聞えさせ侍らん。其かたならでおもほし
はな(放)つまじきつな(綱)もはべるをなん。とらへど
ころにたのみ聞えさする。などをろかならずき
こえて。あすあさて(明日明後日)かたきものいみに侍を。お
ほぞうならぬ(きちんと籠れる)所にてすぐして。又もまいらせ
はべらん。ときこえていざなふ。いとおしくほい
なきわざかなとおぼせど。えとゞめ給はずあさ
ましうかたわばる事におどろきさはぎた
れば。おさ/\物も聞えていでぬ。かやうのかた
たがへどころと思ひて。ちいさきいへまうけたり
けり。三条わたりにざればみたるがまだつくり
さしたる所あんれば。はか/\しきしつらひもせで
なん有ける。あはれこの御身ひとつをよろづに
もてなやみ聞ゆるかな。心にかなはぬよにはあり
49
ふまじき物にこそありけれ。みづからばかりはたゞ
ひたふるに品々しからず人げなうさる方に。は
ひこもりすぐしつべし。此御ゆかりには心うしと思
聞えしあたりをむつび聞ゆるに。びんなき事
もおきなば。いと人なるべし。あぢきなし
や。ことやうなり共こゝを人にもしらせず忍てお
はせよ。をのづからともかくもつかうまつりてん
といひをきてみづからはかへりなんとす(母君が)。君は打
なきて世にあらん事所せきなる身と思く(思ひ屈)
し給へるさまいとあはれなり。おや(母)はたまし
てあたらしくおしければ。つゝがなくて思ふこと
みなさんとおもひ。さるかたはらいたきことにつけ
て。人にもあは/\しくおもはれいはれんがや
すからぬなりけり。心ちなくなどはあらぬ人の
なまはらだちやすく。思ひのまゝにぞすごしあ
りける。かのいえにもかくろへてはすへたりぬべけ
れど。しかかくろへたらんをいとおしと思ひて。かく
あつかふに。年頃かたはらさらず明暮見たら
ひてかたみに心ぼそくわりなしと思へり。こゝ
は又かくあはれてあやうげなる所なめり。さ
る心し給へ。さうじ(曹司)/\にあるもの共めしい
でゝつかひ給へ。とのいの人の事などいひをきて
50
侍もいとうしろめたけれど。かしこにはらだち
恨らるゝがいとくるしけれと打なきてかへる。少
将のあつかひを。かみはまたなき物に思ひいそ
ぎて。もろ心にさまあ(悪)しくいとな(営)まずとえん(怨)
ずるなりけり。いと心うくこの人によりかゝる
まぎれどもゝあるぞかし。と又なく思ふかた(方)のこ
とのかゝれば。つらくこゝろうくておさ/\見いれ(大事な娘が惨めなことになって、嫌な人だ、と婿の世話もしない)
ず。かの宮の御前にていと人げなくみえしにお
ほく思ひおとしてければ。わたくしものに思ひ
かしづかましをなど思ひし事はやみにたり。
こゝにてはいかゞみゆると。まだうちとけたるさま
見ぬにと思ひてのどかにい給へる。ひるつかた。こ
なたにわたりて(母が)物よりのぞ(覗)く。しろきあやのな
つかしげなるに。いまやう色のうちめなどもき
よらなるをきて。はしのかたにせんざいみるとて
いたるを。いづくかはをとるといときよげなめる
はとみゆ。むすめいとまだかたなりになに心も
なきさまにてそひふしたり。みやのうへのならび
ておはせし御さまどもの思ひいづれは口おし
のさまどもやと見ゆ。まへなるごだち(御達)に物など
いひたはふれてうちとけたるは。いとみ(見)しやう
に匂ひなく人わろげにもみえぬを。かの宮(匂)な
51
りしは。こと少将なりけりと思ふおりしも。いふ
ことよ。兵部卿の宮のはぎ(萩)のなをことにおもし
ろくもあるかな。いかでさるたね(種)有けん。おなじえ
だざしなどの。いとえん(艶)なるこそ。一日まいりて
いで給ほどなりしかば。えお(折)らずなりにき。こと
だにおしきと宮のうちずし給へりしを。わか
き人たちにみせたらましかばとて。われもう
たよみいたり。いでや心ばせの程を思へば人とも
おぼえず。いできえはいできえ(出で消え)はいとこよなかりけるに。なに
事いひいたるぞとつぶやかるれど。いと心ちな
げなるさまはさすがにしたらねば。いかゞいふと
心みに
(母君)しめゆひしこはぎかうへもまよはぬにいか
なる露にうつるした葉ぞ とあるに。いとおしく
おぼえて
(少将)宮木のゝこはきがもとゝし(知)らませば露も
心をわかずもあらまし いかでみづから聞えさせ
あさらめんといひたり。こ宮の御こときゝたる
なめりと思ふに。いとゞいかで人とひとし(等し)くとのみ
思ひあつかはる。あひなう大将殿(薫)の御さまかた
ちぞこひしうおもかげにみゆる。おなじうめで
たしとみたてまつりしかど。宮(匂)は思ひはなれ給
52
ひて心もとまらず。あなづりてをしいり給へり
けるを思ふもねたし。この君(薫)はさすがにたづね(浮舟を)
おぼす心ばへのありながら。うちつけにもいひ
かけ給はず。つれなしがほなるしもこそいたけ
れ。よろづにつけて思ひいでらるれば。わかき人は
ましてかくや思ひいで聞え給はん。わが物に
せん。とかくにくき人を思ひけんこそ見ぐるし
き事なるべけれなど。たゞ心にかゝりてながめの
みせられて。とやかくやとよろづによからんあら
まし事を思ひつゞくるにいとかたし。やんごと
なき御身のほど御もてなしみたてまつり
給へらん人は。いますこしなのめならず。いかばかり
にてかは心をとゞめ給はん。よの人のありさま
を見聞に。をとりまさりいやしうあてなる
しなにしたがひて。かたちも心もあるべき物な
りけり。わが子どもをみるに。この君ににるべき
やはある。少将をこの家のうちに又まき物に
思へども。宮にみくらべたてまつりしかば。いとも
くちおしかりしにをしはからる。たうだい(当代)の
御かしづきむすめをえたてまつり給へらん人
の御め(目)うつしには。いとも/\はづかしくつゝまし
かるべき物かなと思ふに。すゞろに心ちもあくがれ
53
にけり。たびのやどりはつれ/\゛にて庭のくさ
もいぶせきこゝちするに。いやしきあづまごえ
したる物どもばかりのみいでいり。なぐさめに
みるべき前栽の花もなし。うちあばれてはれ/\゛
しからであかしくらすに。宮のうへの御ありさま
思ひ出るに。わか(若)い心ちにこひしかりけり。あや
にくたち給へりし人の御けはひもさすがに
思ひいでられて。なにごとにかありけん。いとお
ほくあはれげにの給ひしかな。名残おかしか
りし御うつりがもまだのこりたる心ちして。
おそろしかりしも思ひいでらる。はゝ君たつ
やといと哀なるふみをかきてをこせ給ふ。をろ
かならず心ぐるしく思ひあつかひ給めるに。かひ
なうもてあつかはれたてまつることゝうちな
かれて。いかにつれ/\゛に見ならはぬ心ちした
まふらん。しばしのびすぐし給へとある。かへり
こと(返事)に。つれ/\゛はなにか心やすくてなん
(浮舟)ひたふるにうれしからまし世中にあらぬ所
と思はましかば とおさなげにいひたるをみる
まゝに。ほろ/\とうちなきて。かうまどはし
はふるゝやうにもてなす事といみじければ
(母君)うき世にはあらぬところをもとめてもきみが
54
さかりを見るよしもがなと。なを/\しき事
どもをいひかはしてなん心をのべける。かの大将
殿はれいの秋ふかくなりゆくころ。ならひにし
ことなれば。ねざめ/\に物忘れせずあはれに
のみおぼえ給ければ。うぢの御たうつくりはて
つときゝ給ふに。みづからおはしましたり。ひ
さしうみ給はざりつるに。山のもみぢもめづら
しうおぼゆ。こぼちし(解体した)しん殿。こたみ(此度)はいとはれ/\
しうつくりなしたり。むかしいとことそぎ(簡素)て。ひ
じり(聖)たち給へりしすまいを思ひいづるに。故
宮も恋しうおぼえ給て。さまか(変)へてけるも口
おしきまでつねよりもながめ給ふ。もとありし
御しつらひは。いとたうとげにて。いまかたつかた(今片つ方・もう一方)を
女しくこまやかになどひとかたならざりしを。
あじろ屏風なにかのあら/\しきなどはかの
御堂の僧坊のぐ(具)にことさらになさせ給へり。山
里めきたるぐどもをことさらにせさせ給ひて。
いたうもことそがずいときよげにゆへ/\しく
しつはれたり。やり水のほとりなる岩にい
給ひてとみにもたゝれず(薫が)
(薫)たえはてぬ清水になどかなき人のおもか
げをだにとゞめざりけん なみだをのごひつ
55
弁のあま君のかたにたちより給へれば。いと
かなしとみたてまつるにたゝひそみにひそむ。
なげし(長押)にかりそめにい(居)給て。すだれのつま
ひきあげて物語し給ふ。几帳にかくろへてい
たり。ことのついでに。かの人はさいつごろみやにと
きゝしを。さすがにうい/\しくおぼえてこそ
をとづれよらね。なを是よりつたへはて給へ。
との給へ場。ひとひ(一日)かのはゝぎみのふみ侍りき。
いみたがふとてこゝかしこになんあくがれ給め
る。この頃もあやしきこ(小)家にかく(隠)ろへ物し給ふ
めるもいと心ぐるしく。すこしちかき程なら
ましかば。そこにもわたして心やすかるべき
を。あら(荒)ましき山みちにたはやすく(容易く)も。えお
もひたゝでなんと侍し。と聞ゆ。人々のかくお
そろしくすめるみちに。まろこそふ(古)りがたく
わけく(来)れ。なにばかりのちぎりにかとおもふは
あはれになんとて。れいの涙ぐみ給へり。さらば
その心やすからん所にせうそこ(消息)し給へ。みづから
やはかしこにいて給はぬとの給へば。おほせ事を
つたへ侍らん事はやすし。今さらに京を見侍らん
事はものうくて。みやにだにえまいらぬを。とき(聞)
こゆ。 などてかともかくも人のきゝつたへばこそ
56
あらめ。あたごのひじりだに時にしたがひては
出ずやは有ける。ふかきちかひをやぶりて人のね
がひをみて給はんこそたうとからめ。との給へば。
人わたす事も侍らぬに。聞にくきこともこそい
て(出で)まうでく(来)れ。とくるしげに思ひたれど。なお
よきおりなゝるを。とれいならずしのびて(しひて)。あ
さて(明後日)ばかり車たてまつらん。其たびの所たづね
をき給へ。ゆめおこがましうひがわざすまじく
を。とほゝえみての給へば。わづらはしくいかに
おぼすことならんと思へど。あふ(奥)なくあは/\し
からぬ御心ざまなれば。をのづから我御ためにも
人ぎゝなどはつゝみ給ふらん。と思ひて。さらばう
け給はりぬ。ちかきほどにこそ御文などを見せ
させ給へかし。ふりはへさかしらめきて(わざわざ差し出がましく)こゝろし
らひ(心しらひ・配慮)のやうにおもはれ侍らんも。いまさらにいが(伊賀)
たうめ(専女・いがとうめ)にやつゝましくなん。と聞ゆ。ふみ(文)はやすか
るべきを。人の物いひうたてある物なれば。右大将
はひたちのかみのむすめをなんよばづなるな
ども取なしてんをや。其かむのぬしいとあら/\
しげなめりとの給へば。うちわらひていとおしと
思ふ。くらうなればいで給。したくさのおかしき
花ども紅葉などおらせ給ひて。宮に御らんぜ
57
させ給ふかひなからずおはすぬべけれど。かしこ
まりをきたるさまにえ。いたうもなれ聞え給
はずぞあめる。うちよりたゞのおやめきて入道(女三)の
宮にも聞え給へば。いとやんごとなきかたはかぎり
なく思ひ聞え給へり。こなたかなたとかしづき
聞え給ふ。宮づかへにそへてむつかしきわたくし
の心のそひたるもくるしかりけり。 の給ひしま
だつとめてむつましくおぼす下らう(下臈)のさふら
ひ(侍)ひとり。かほ(顔)しらぬうしかひ(牛飼)つくり出てつか
はす。御さうの物共のい中びたるめし出つゝ
つけよ。との給ふ。かならずいづべくの給へりけれ
ば。いとつゝましくくるしけれど。うちけさうし
つくろひてのりぬ。野やまのけしきをみるに
つけてもいにしへよりのふる事どもおもひいで
られてながめくらしてなんきつきける。いとつれ/\゛
に人めもみえぬところなれば。ひきいれてかく
なん参りきつるとしるべのおとこしていはせ
たれば。はつせのともにありしわか人いできて
おろす。あやしき所をながめくらしあかすに。
むかし語もしつべき人のきたれば。うれしくて
よびいれ給ひて。親と聞えける人の御あたり
の人とおもふにむつましきなるべし。尼君あ
58
はれに人しれず見奉しのちよりは思ひ
いで聞えさせぬおりなけれど世の中かばかり
思ひ給へすてたる身にて。かのみやだに参り侍
らぬをこの大将どのゝあやしきまでの給はせ
しかば。思ひ給へおこしてなんと聞ゆ。君もめ
のともめでたしと見をき聞えてし人の御
さまなれば。忘ぬさまに給ふらんも哀なれ
ど。にはかにかくおぼしたばかるらんとは思ひ
もよらず。よひうちすぐる程に宇治より人まい
れりとて。かど忍びやかに打たゝく。さにやあらん
と思へど。弁あけさせたれば車をぞひきいる
なる。あやしと思ふに。あま君にたいめん給はらん。
とて此近きみさうのあづかりのなのりをせさ
せ給ひければ。とくちにいざり出たり。雨すこし
打そゝくに風はいとひやゝかにふきいりて。いひし
らずかほりくれば。かうなりけり。と誰も/\心とき
めきしぬべき御けはひおかしければ。ようい
もなくあやしきに。まだ思ひあへぬほどなれば
心さはぎていかなることにあからんといひあへり。
心やすき所に月ごろえひあまることもきこえ
させんとてなんといはせ給へり。いかい聞ゆべき
ことにかと君はくるしげに思ひてい給へれば。
59
めのと見くるしがりて。しかおはしましたらん
を。たちながらやはかへし奉り給はん。かのとのに
こそかくなんとしのびて聞えめ。ちかき程なれ
ばといふ。かい/\しくなどてかさはあらん。わか
き御どち物聞え給はんは。ふとしも(すぐには)しみつく
べくもあらぬを。あやしきまで(薫が)心のどかに物ふ
かうおはする君なれば。よも人のゆるしなくて
空はいとくらし。殿い人のあやしきこえしたる。
夜行うちして。やか(家宅)のたつみ(辰巳)のすみのくづれいと
あや(危)うし。この人の御車いるべくはひきいれて。
みかどさしてよ。かゝる人のとも人こそは心はうた
てあれなどいひあへるも。むぐ/\しくき(聞)ゝな
らはぬ心ちし給ふ。さのゝわたりに家もあら
なくに。などくちずさひて。さとひたるすのこの
はしつかたにい給へり
(薫)さしとむるむぐらやしげきあづまやのあま
りほどふるあまそゝぎかな と打わらひ給へる。
をひ風いとかたわなるまであづまのさと人
もおどろきぬべし。とさまかうさまに聞こえのが
れんかたなければ。みなみのひさしにおましひ
きつくろひていれたてまつる。こゝろやすくしも
60
たいめし給はぬを。これかれをしいでたりやり
どゝいふ物っしていさゝかあれたれば。ひだのた
くみもうらめしきへだてかな。かゝる物のとには
まだいならはずとうれへ給ひて。いかゞし給ひ
けんいり給ひぬ。かの人がたのねがひも。の給はで
たゞおぼえなき物のはざまよりみしより。すゞ
ろにこひしきこと。さるべきにてあらん。あやしき
までそおもひ聞ゆるとそかたひ給ふべき
人のさま。いとらうたへにおほときたれば。みを
とりもせず。いとあはれとおぼしけれ。ほども
なうあけぬる心ちするに。鳥(鶏)などはなかでおほ
ち(大路)ちかきところに。おぼれたる(おぼとほどれたる・間延びした)こえいて。いかにとか聞
もしらぬなのりをしてうちむれてゆくな
どぞ聞ゆる。かやうのあさぼらけに見れば。物い
たゞきたるものゝおにのやうなるぞかちと聞
給ふも。かゝるよもぎ(蓬の宿)のまろね(仮寝)にならひ給はぬ
心ちもおかしくもありけり。とのいの人も門あ
けていづるをと(音)す。をの/\いりてふしなdする
をきゝ給ひて。人めしてくるまつま戸によせ
させ給ふ。かきいだきてのせ給ひつ。誰も/\あ
やしうあえなきことをおもひさはぎて。九月(ながつき)
にもありけるを。心うのわざや。いかにしつる事
61
ぞとなげゝば。尼君もいと/\をしく思ひのほ
かなる事どもなれど。をのづからおぼすやうあ
らん。うしろめたうな思ひそ。なが月はあすこそ
せちぶ(節分)と聞しかといひなぐさむ。けふは十三日
なりけり。あまきみこたみはまいらじ。宮の
うへきこしめさんこともあるに。しのびてゆきかへ
り侍らんもいとうたてなんと聞ゆれど。まだ
きにこのことをきかせ奉らんも心はづかしく
おぼえ給ひて。それはのちにもつみ(罪)さり申給
ひてん。かしこにもしるべなくては。たづきなき(頼りない)と
ころを。とせめての給ふ。人ひとりや侍るべきと
の給へば。この君にそひたる侍従とのりぬ。めのと
尼君のよもなりしわらはなども。をくれてい
とあやしき心ちsていいたり。ちかきほどにや
と思へば。宇治へおはするなりけり。うしなどひ
きかふべき心まうけし給へりけり。かはら(河原)す
ぎ。ほうさう(法性)寺のわたりおはしますに。夜はあ
けはてぬ。わかき人はいとほのかにみ奉て。め
で聞こえてすゞろにこひたてまつるに。世間のつゝ
ましさもおぼえず君ぞいとあさましきに
ものおぼえてうつぶし/\たるを。石たかきわ
たりはくるしき物をとて。いだき給へり。うす
62
物(うすもの=羅)のほそながを車にひきへだてたれ
ば。はなやかにさしいでたるあさ日かげに。あま
君はいとはしたなくおぼゆるにつけて。こ(故)ひめ
君の御ともにこそかやうにてもみたてまつりつ
べかりしが。有ふればおもひかけぬ事をもみるかな
とかなしうおほえて。つゝむとすれどうちひそ
みつゝなくを。侍従はいとにくゝ物はじめに。かたちこ
とにてのりそひたるをだに思に。なぞやかくいやめ
なると。にくゝおこに思ふ。おひたるものはすゞろに
なみだもろにあるものぞとをろそかにうちお
もふなりけり。君も見る人はにくからねど。そらの
けしきにつけても。きしかたのこひしさまさ
りて。山ふかくいるまゝにもきり立わたるこゝち
し給ふ。うちながめてゆおりい給へる袖の(←薫の)かさな
りながら。ながやかに出たりけるが川瀬にぬれ
て御ぞのくれないなるに。御なをしの花の
おどろ/\しくうつりたつを。おとしかけのた
かき所にみつけてひきいれ給ふ
(薫)かたみぞとみるにつけてはあさ露のところせき
までぬるゝ袖かなとこゝろにもあらずひとりこ
ち給ふをきゝて(←兄が)。いとゞしほるばかり尼君のそで
もなきぬらすを。わかき人あやしう見ぐるし
63
きよかな。心ゆくみちにいとむつかしき事そひた
る心ちす。しのびがたげなるはなすゝりをきゝ
給ひて。われもしのびやかにうちかみていかゞ思ふ
らんといとをしければ。あまたのとし頃このみち
をゆきかふたびかさなるを。思ふに。そこはかとな
く物哀なるかな。すこしおきあがりて。この山の
いろもみ給へいとむもれたりやとしいてかきお
こし給へば。おかしきほどにさしかくして。つゝまし
げに見いだしたるまみなどはいとよくおもひいで
らるれど。おいらかにあまりおほときすぎたるぞ
心もとなかめる。いといたうこめいたる物からよう
いのあさからずものし給ひしはやとなをゆく
かたなきかなしさは。むなしき空にもみち
ぬべかめり。おはしつきて。あはれなきたま(亡き魂)やや
どりて見給ふらん。たれによりてかくすゞろに
まどひありく物にもあらなくにと思ひつゞけ
給ひて。おりてすこし心しらひてたちさり
給へり。女ははゝ君のおもひ給はん事などいと
なげかしけれど。えんなるさまに心ふかくあは
れにかたらひ給ふに思ひ慰めておりぬ。尼君は
ことさらにおりてらうにぞよするを。わざとお
もふべきまいにもあらぬよういこそあまり
64
なれと見給ふ。御さうより例の人々さはが
しきまで参りあつまる。女の御だいはあま
君のかたよりまいる。みちはしげかりつれどこの
有さまはいとはれ/\゛し。川のけしきも山の
色ももてはやしたるつくりざまを見いだし
て。日頃のいぶせさなぐさみぬる心ちすれど。い
かにもてなひ給はんとするにかとうきてあ
やしうおぼゆ。とのは京に御文かき給ふ。まだな
りあはぬほとけの御かざりなど見給へをき
て。けふよろしき日なりければいそぎ物し侍
て。みだり心ちのなやましきに。物いみなりける
を思ひ給へ出てなん。けふあすこゝにてつゝしみ
侍るべきなど。はゝ宮にも姫宮にも聞え給ふ
うちとけたる御ありさま今すこしおかしくて
いりおはしたるもむづかしけれど。もてかくすべ
くもあらでい給へり。女のさいぞくなど色々
によくと思ひてしかうさねたれど。すこしい
なかびたることもうちまじりてぞ。むかしの
いとなへばみたりし御すがたのあてになまめかし
かりしのみ思ひいでられて。かみのすそのおかし
げさなどはこま/\゛とあてなり。宮の御ぐしの
いみじくめでたきにもをとるまじかりけりと
65
見給ふ。かつは此人をいかにもてなしてあらせん
とすらん。たゞいま物/\しげにて。かの宮にむ
かへす(据)へんもをとぎゝ(音聞き)びん(便)なるべし。さりとて
これかれあるつら(列・同列)にておほぞう(大勢)にまじらはせん
はほい(本意)なからん。しばしこゝにかくしてらんとお
もふも。をろかならずかたらひくらし給ふ。古宮
の御事もの給ひ出て。むかし物語おかしうこ
まやかにいひたはふれ給へど。たゞいとつゝまし
げにて。ひた道にはぢたるをさう/\゛しうおぼ
す。あやまりてかうも心もとなきはいとよし。を
しへつゝもみてん。い中びたるざれ心(風流気取り)もてつ
けて。しな/\゛しからず(品がない)。はやりかならまし(軽はずみ)かば
しも。かたしろ(形代)ふよう(不要)ならまし(身代わりにはならない)。と思ひなをし
給ふ。こゝに有けるきん(琴)。さうのこと(箏の琴)めしいでゝ
かゝる事はたましてえせじかしとくちおし
ければ。ひとりしらべて。宮うせ給てのち。こゝにて
かゝるものにいとひさしう手ふれざりつかし。
とめづらしく。われながらおぼえていとなつかし
くまさぐりつゝながめ給ふに。月さしいでぬ。宮
の御きんの手おどろ/\しくはあらで。いと
おかしく哀にひき給ひしはやとおぼし出て。
66
昔誰も/\おはせじよにこゝにおひいでた
まへらましかば。いますこし哀はまさりな
まし。みこの御ありさまはよその人だにあは
れにこひしくこそ思ひいでられ給へ。などて
さる所にはとし頃へ給ひしぞと(薫が)の給へば。いとは
づかしくて。白きあふぎをまさぐりつゝそひ
ふしたるかたはらめ。いとくまなうしろうてな
まめいたるひたいがみのひまなどいとよく思ひ
出られてあはれなり。まいて。かやうの事もつ
きなからずをしへなさばや。とおぼして。これ
はすこしほのめかい給たりや。哀あづま(吾が妻)といふ
琴はさりともて(手)ならし給ひけん。などと(問)ひた
まふ。其やまとことばだに。つきなくならひに
ければ。ましてこれは。といふ。いとかたわに心をく
れたりとはみえず。こゝにをkちえも思ふまゝに
もこざらんことをおぼする。いまよりくるしきは
なのめにおぼさぬなるべし。こと(琴)はをしやりて。
楚王(そわう)のたい(台)のうへのよるのきん(琴)のこえ。とずん(誦)
じ給へるも。彼弓をのみひくあたりにならひて。
いとめでたく思ふやうなりと侍従も聞いたり
けり。さるはあふぎの色も心をきつべきねやの
いにしへをばしらねば。ひとへにめで聞ゆるぞをく
67
れたるなめるかし。事こそあれあやしくも
いひつるかなとおほす尼君のかたよりくだ物ま
いれり。はこのふたに紅葉つたなどおりしき
て。ゆへなからずとりまぜてしきたるかみに。ふつゝ
かにかきたるものくまなき月にふとみゆれば。
めとゞめ給ふ程にくだ物いそぎにぞみえける
(弁の尼)やどりぎはいろかはりぬる秋なれどむかし
おぼえてすめる月かなとふるめかしくかき
たるをはづかしくもあはれにもおぼされて
(薫)さとの名もむかしながらに見し人のおもが
はりせるねやの月かげわざとかへりことゝはな
くての給ふ。侍従なんつたへけるとぞ