仮想空間

趣味の変体仮名

奥州安達原 第三 (朱雀堤の段~袖萩祭文)

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html
      ニ10-00558 


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    第三
さればにや少将は 百夜(もゝよ)通へと夕闇の 笠にふる雪つもる雪恋の重荷の朱雀道 七条
堤の仮橋に 盲目(めくら)女の引語り 綴(つゞれ)の中の秘蔵娘 十斗なが手を出して 右や左の道通り 西は九
州さつまがた鬼界ヶ島の果迄も わしや行く気じやに去とては 花の都に袖乞と成りて 程こそ
是非なけれ 王城の地は物貰ひもつゞれさつぱり月代天窓(あたま) どふじやめくのお袖 よい?(もらい)が有り
そふなの ヲゝかさの次郎殿(どん)か 今夜は闇で人通りは少なし北風は吹付ける手がはちかんで 三味線も引
れるこつちやない 何をせいらしい寒の中に涼むのがわがみの渡世じやないかいの がりまはいねむりや

せんかよ 商売におよそな奴では有 ヲイどいつじや ムゝとんとこの九助今仕廻ふか 儲けるな/\ イヤ/\ とん
とこも初手は取た物じやが せんぐりに新物が出てとんと衰微 もふ今は町中がお長めに喰付き切た
まだどふいふても角を絶やさぬ奴は佐野源左衛門 あいつは株じや したがわりや よい役が有ばして 見
りや立派な御座をかぶつて はてな形するなア ヘゝいやもふこいつもつめたふて悪い物やい ほんの見てくれ
ばつかりじやい 色取な/\ ホゝゝ ほんに夫レも一盛 こちらは此子一人が楽しみ 去年迄は相応に一重の物
でも縫ふて着せたが 此春から内障(そこひ)に成り俄盲で 娘に介抱受る身の上 跡先を思ひ廻せば
夜の目も合ず けふはお君が誕生日 こんな中でも大事の身祝ひ こな様方にも祝ふて貰をと酒


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も小屋に貰ふて置た したがあの六殿にはさたなしじやぞや ヲゝあいつに呑したら一升や二升はつい
ころりと 人事いはゞ筵迄 呑上る非人の六 諸方のしたみに目はすはりふくれ返つた 腹立上戸けた
いじやぞ げんさいの傍にべら/\とかけよ 又六めかえらふ引てうせたな あいつはえい得意を持おつて濱
脇の料理茶やで 酒肴の喰飽きしおる サゝ夫レがけたいじや おりや業がわいてならんはい けふも川作
の屋敷振廻い喰て来たが 惣体近年茶屋方の料理が粋(すい)過ておれが口に合ぬ 夫レで腹
か立が無理か そいて大道掃(はけ)の犬追のと 下男か何ぞの様につかひくさる 是てはもづ乞食もやめ
にやならぬ コリヤお君よ かぢが風車買てやろがえらいか おりやもふわれがかはいひて/\腹が立はい ヲゝもふ

こちの娘がかはいゝのが何の腹の立つ事で 腹が立いしや コレおめく 一体おりやわがみの器量の
えいのか腹が立 乞食だてらそんな美しい顔が どこに有る物じや 無理か むりならといつでも相手じや 
と くだまく声も酒草原 踏分け来る瓜割四郎 ソレ今のお侍様ハアと二人が 犬蹲い 非人共か最
前云た生駒之助 傾城恋絹取逃がしたか 何と/\ サア申 昼ちよつと眼(がん)ばりましたれど 先もざ
ぶなりやめつそうにはかゝられず ヤ幸い爰におる六といふやつは 酒くらふとあほう力 こいつに仕事さし
ませう コリヤ六よ 爰へこい 又存在な脚(すね)投出して辞儀しおれやい いやじや おりや茶やの料
理人より外に腰かゞめた事かない イヤサよふ聞け 其二人のやつおいらがいてぐずりかけて爰へおこすは


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われが爰に待伏して居て 男めをぶちのめす そこでげんさいをあなたへ渡すと 御褒美に
きすは存分 あなたの振廻ひ呑込だか ムゝ酒呑すか 嘘じやないかよ コレ殿様 そんならマア酒の
方を先へせうかい イヤ/\/\ あの上呑すと本たはいに成ます ヲゝサ コリヤ六とやら しおふせた跡ては呑み
喰はわが望次第 酒は伊丹の薦(こも)かぶりヲツト差し合云はるな ムゝこりや麁相 肴は鰒汁
夫レも差し合 鰒はおれが同行中じやと 横にふくれた腹鼓咽をならして 別れ行 もふ大通りも
なさそふな 仕廻ふて休もサアお君と 親子からへの小屋の中 鳥のふしどゝ隣同士 露を荷ひし
乗物釣らせ 源家の妹八重幡姫 こなたの土手を真直ぐに 平傔丈直方互に行き合提

燈の 紋に見しりの一家中 是は/\八重幡殿夜中に何国(いづく)へ ちと心願の事有て ムゝ神詣でか
歩(かち)づから殊勝/\と挨拶半ば生駒之助は恋絹が手を引漸火かげを目当宛 狼藉者に出合い難
義致す 憚りながら此女を 暫しが間お預りと 差出す提燈ハツト恟り逃行くを 傔丈目早くコリヤ/\
若者 わりや道に迷ふたな 爰は京京中が闇(くら)いから 人の誠の本海道は行かずして 色々の道にま
よふて居るな ソレ火を借(かつ)てとつくりと 心の闇を見たり見せたり 身共は老人猶以て何にも見へぬ
よし見へても 八重幡殿とは一つ家の中 急ぎ用事早参ると はづす老切粋親父 嬪下部さし 
心得 一人も残らずばら/\と 気を通されても済まぬ中 わざと慇懃三つ指に 先取て姫君様


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安体の尊顔を拝し恐縮至極と相述ぶる ヲゝそふいやるは無理ならず したかもふ其様に気を置
て下さんな わしやふつつりと思ひ諦め心の髪は切て居る ハテ 思ひ合た中を引分け添ふて何の本望
殊に兄上のお媒遊ばした恋絹殿 中よふ添て其代り未来の縁を コレどふそ頼みまする夫婦
の衆と 思ひ切ては中々に見向きもやらぬ心根に 恋絹も恥入て 勿体ない/\ 夫レを聞てはわたし
が方から思ひ切ろ共申されぬは ひよんな物を見にやどし 退くにも退かれぬ悪縁 そんならお詞に
あまへて お大事の物なれと此世はわたしが借り分 来世ではきつとお返し申しまする其証拠 ちよつ
と爰で御祝言のお盃がさせましたいが アゝどふがなと案ずれば 其お盃私が差上げましよと

小屋の簾を押上て さぐる目病みのすり足に縁(ふち)も欠けたる三方土器(かはらけ) つゞれの上の裲はやれ
ても昔床しけに となたかは存じませぬが 最前から御尤なせつない恋のお咄私も子細有て夫に
飽かぬ別れをせし者 身に引当てておいとしぼくつゞれの袖をしぼりしぞや ヶ様に申さは賤しいき
たない非人めが 穢はしい共思さふか 私とてもまんざら 前からこふした身でもござりませぬ 今日は
此ちいさいやつが誕生日 昔を思ひ出して調へし九献のしこんぶ 心斗の身祝ひ 幸いの折からと慮外
を忘れたお妹 サアお君 教へて置た祝言の長柄お酌申しやと挨拶に 姫君嬉しく盃の
底意晴たる取結び さいつさゝれつ酌かはす 待ぶせしたる非人の六 酒の匂ひをかぐよりも 以前


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の仕込は忘れて仕廻ほや/\笑顔もみ手して ヘゝゝホゝゝ おめてたい御祝言 私もお取持にちつとお間
お酌是へとかげ茶碗 息なしに咽ごく/\ ホウ 結構な御酒でござりまする ハゝゝ 旦那慮
外申しまする 肴は爰に有山の面桶(つう)の 底から蛸の足 イヤ過分なか身は精進 そんなら
私祝ふて最一つ下さりましよ お家(え)様 上げましよか おいやか そんならも一つ下さりましよ 御寮人
様もおいやか そんなら我等も一つとほつとする程続け呑 恋絹か替つてお酌イヤ/\申し 見苦しく
共やつばりあれに 娘が生長(おひさき)あなた方にあやかり よい殿御持て祝言ホゝゝゝ わたしとしたこと
が 非人乞食の身の上で 何の祝言所と嘸お笑ひなされふ 思へば/\浅間志位身の上 ハ是は

したり 大事のめでた御祝言につい涙か 私も祝ふて 君は千代ませ/\と くり言を祝ひ歌の
面白の時代や おめでたや/\ 祝ふに付けて我娘も 昔の身ならお乳(ち)めのと 対待つ十種香
藝づくし教へも覚へもせう物を ろくな事でも教るか 橋の上の乞食の娘 誰が嫁にも
取てくれふ 侍の種を受けながら 町人百姓にも縁付きの ならぬは何の報ひぞと昔を 忍ぶ
悔み泣き 身につまされて三人もいとしや道理と猶涙 六も数献の持こしに 貰ひ涙のかい作り とふ
やら酒が裏(り)に入て おれも悲しい/\としやくり 上たる折からに かけ来る次郎七九助 コリヤ/\六何して
居る きり/\しかけて畳んでしまへ 後詰めにはおいらがいる早ふ/\とせり立れば ないしやくり次郎


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七か九助か エゝわいらはえい機嫌しやな おりやさつきにから哀れな咄しを聞て 泣てばつかり居るは
いやい わいらもアレ あなた方の形を見い 雛様のやうなお姫様が酒買ふ銭がないやら 乞食に
酒を振舞はれ せめて天目でも有る事か 噛みわる様な盃に 酒ならたつた一升で誤つてご
ざる心根が 思ひやられておいとしいと涙と 供に又どぶ/\ エゝいま/\しい又喰らふたな 其酒こちへと
たくりにかゝればイヤ/\ 夫から御らうじませう となたでもどいつでも 旦那衆に手向ふやつらおれ
か相手と尻引からげかこふたり どつこいやらぬは乞食に差合 貰ふてこませと両方から 取
付くつゞれの破れかぶれ うぬらは世界の余り物 命の高はけんこ取り ころ/\転び逃げ行を酒に

任せて追行 向ふに数多の人音は申/\ 今の侍がくるので有ふ ちつとの間わたしが小屋へと
二人を 伴ひ入る間もなく 血眼に成て瓜割四郎 どつちへうせたと家来もしどろ しばし/\と
傔丈直方 コレサ四郎あはたゞしい面色 先ず何を詮議めさるゝと 尋られて イヤ何其義は貴
公も此程御吟味なさるゝ 宮を奪ひし曲者 草をわかつて詮議せよと主人が云付 姫君
も是にお渡り 此小屋が物くさいソレ家来共ナイ/\/\ 非人め出ませい出おらふと呼れておづ
/\ 這出る つつと出おらふ ハイ また出おらふ ハイ 顔(つら)上いと突付くる 箱提燈の火明りは老眼
にも見違へぬ 絶へて久しき我娘 ハツ/\と斗仰天ながら声をくろめ ムゝ此小屋の非人はわれか


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ハア非人じやよな 儕もよもや腹からの乞食共見へぬ 町人か但は武士の娘か ハイ 御推量の通り
成下げつたは若気の誤り 清水詣での折から 東国方の浪人とふと馴初め種を娠(やど)して是非
なき家出 其夫にもあふぎの別れ ホイ はてな ヤアくど/\いふ手間で うぬが親夫の名をぬ
かせ ハイ 夫ばつかりはどふもなぜ/\ 名を申す程不孝の上ぬり 此身こそかう成たれ 親の名
は出すまいと 昼は袖乞も得致さぬは せめてもの申訳 ヲゝ尤そふ有ふ 今の其心底を 誠の
親が聞ならばと我名は忘れぬけんじやう向き 千々に心ぞこもりける ヤア弥以て胡乱者 まだ隠し
て有やつが有ふ 直に詮議と立寄り鐺しつかと取てお待ちやれ四郎 宮を奪ひしやつの

詮議お身は頼まぬ身共がする 横合からいつかい世話 但老人でかやうの吟味も得
せまいと思ふてか推参至極ときめ付けられ アゝこれ/\/\まつびら御赦免 いやもふ
拙者も御一門の家来なれば 只今のはお心安立て イヤ姫君にももふお立お供廻りはどつ
ちへうせた参れ/\と脇道へ ホンニそれ/\自らも 夜の更けぬ内帰るがよかろ 此間にちやつと
折がよかろとしらせの謎 お袖が小屋の後ろから 押やる主従妹背の別れ 親子のわ
かれは子はしらで親の思ひの闇深き 傔丈が郎等あはたゝしく 只今大江惟時公
より 宮の御詮議何故に遅なはる 日述べの時刻も一日にせまる尋出すか切腹有るか


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二つ一つの御返事有べしとの御事也 ナニ惟時か使とな 直に逢て返答せん 供せよ弥
惣太 提燈もてと名風鐘もときつく八重幡姫 傔丈様の一大事 アゝ気遣はし
や 家来共乗物参れと 呼はる声 お袖が聞付け申/\ 傔丈様とは平傔丈 直方
様でござりませぬか イヤ夫レ聞て何にする ヤアそんなら今のが コレ申 一大事とは何の訳
ちよつと聞かしてヤ面倒なと突飛し 乗物いそげと四郎が逸参 慈悲も 白砂ころ
/\/\ ころぶ蘆辺の濱千鳥嵐に髪もばら/\/\ 親子手を取雪の足跡を し
やふて 「たどり行 心の内こそ哀れなれ 平傔丈直方 環の宮の御行方知ら  ←

ぬ筑紫のほとゝぎす 夏去り冬のいつしかに すでに今年の日の数も 春待つ
斗枯れ残り 枯れ果る野の桧皮(ひわだ)ぶき落葉の軒とふきかへて 殿守(もり)の女中仕丁(じてう)もな
く 老の忠義の一筋に 竹の園生の傅きも つもる白髪に雪折れて妻の 濱
ゆふ只二人夫婦の人なん いまそかりける 縁先に立出 なふ殿 お年寄の雪ふりに
庭へ出て何なさるゝ 寒気が入ふにもふおはいり ちと火にお寄ときり炭のぜうに
成る迄 女夫合 サレバ/\ 宮様行方なく成給へば 此御所は明き屋敷 我々夫婦がか様に御
番は致せ共 肝心の主なければ 玉の御殿も鳥の塒と成果て 今日なども宮おはし


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ますならば 仕丁共に木の葉の雪を払はせて 御遊びなされう物をと ふと思ひ
出して子供の真似する雪なぶり 天地の中にさへ満しまさば 奪ひ返して此恥辱
すゝがん物と 心は雲にも入たけれど 都の中を身動きならねば 空しく胸をいる斗
不便(びん)なは娘敷妙 日本の智者を呼るゝ 八幡殿に連れ添ひながら 不覚を取た此
親故 夫の手前も恥しく 嘸肩身がすぼらふとそも此春より一夜さも 実にね
た夜はおじやらぬと奥歯 もれくるまばら声 アゝよござりますはいの 弓取の不
覚といふは軍の中の臆病 こりやほんの災難 敷妙が事おつしやるに付けて 思ひ

出すは姉娘の袖萩 親にもしれず忍び男を拵へての家出 憎いやつと思ふた
も早一昔 其時はまた十六の跡先なし 年も行たれば嘸今頃は 悔しう思ふているで
あろ とこにうつたへ居る事そエゝ又姉が事ぐど/\と 思ひ出すも穢はしい 不孝者
といふか 武士の池の不義放埓 再び頬(つら)も見まじと思ひしに まだ業か見て
ぬやら 朱雀(しゆしやか)堤の橋の上で エゝ橋の上で何としたへ サアいや何共せぬ たとへ橋
の上で のたれ死しからふが 不便な共思はぬ お身は又何とぞ思ふ気か イゝエ 何とも
存じませぬ エオゝ身共は結句 心地よく思ふはいと 口は憎てい 身を背け物事つゝ


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まぬ夫婦中涙 一つは隠しあふ 嬪共が取次の間 敷妙様御出と 娘ながらも案
内は 武家の行儀の表門 遉親子の中座敷 ヲゝ此頃は便りもなし 心地でも悪しいか
と傔丈殿も案じてじやに よふおじやつたサア/\爰へ テモ美しう髪結(ゆ)やつたと
子供の様に 思ふは母 イヤ申けふ参つたはお見舞ではない 傔丈様へ夫八幡太郎
義家が使者でござります ムゝ ハテかはつた表向きの用事ならば家来は越さで
そなたを使者とはコレ/\奥だまりやれ 何にもせよ使者と有れば娘は内証 いざお
使者様 口上の趣き承らんと有ければ 義家申し越す子細 環の宮お行方なき事 御

傅きの傔丈殿誤り?(據・より(ん)どころ?)なし 日延べの日数も今日限り 若しも言訳なきにおいては 罪を
正す義家が役 聟舅の容赦は致さず 勅諚を以て取囲み 敵味方と成
申さん 其時必ず 遺恨にばし思されな 其為申し遣はす 使者の口上あら/\斯くの通り
でござんすと語る中より傔丈直方 いそ/\立て一間の内 柳(やない)箱に錺つたる籏と
思しく携へ出 扨々八幡殿は 天晴仁有る大将かな 元来某は平家 八幡殿は源氏
聟舅と成は稀なる事と そちを嫁らした其時より 聟引出に赤籏一流れ遣はし 八
幡殿より此白旗一流れ 取かへて所持せしは 両家合体の其印 此度の我誤りに付い


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ては云かいなき舅 よしなき縁を組しよと思はれんは必定 大方娘と縁切て此籏を
取戻しに来るで有ふ 若し去られたら其思ひは いか斗 どふぞ此白旗のやはり此家に
止(とゞ)まる様にと 此頃神前に錺置き毎日祈るかい有て 今日娘を表向きの使者とし
て 差越されし八幡殿の心底 たとへ聟舅 敵味方に成る迚も 敷妙は去らぬと
有る情の謎 老人が心を察し心づかひの御深切 逢ては礼も云れぬ義理 お使者帰
つて申されふは 仰越さるゝ趣き一々承知仕る 委細の心底は対面の上申し聞ん お出を
待つと伝へられよ お使者大義と式礼も 弓矢の面て裏門口 八幡太郎参上と

白衣(え)ながらに入給へば コハいつの間にと敷妙も不審立てそに立つ母親 此頃絶へし一家の
参会 お茶よお菓子と賑々し直方邊りに目をくばり 懐中より一通取出し 親しい中
にも胸中を計り兼 今日迄は聟殿にも包みしが 宮の御行方尋ぬべき 手かゝりといふ
は此状 契約のごとく環の宮を密かに盗み出しくれよと 匣の内侍へ頼の文体 名は誰
共なけれ共 必定安倍の頼時が余類 貞任宗任兄弟の族(やから) 奪ひ取て儕等が
味方を集むる柱にせん為さあれば御命に別条なしと 心の安堵はしながらも言訳
立ぬ身の越度 我心を推量有 ホゝウさこそ/\ 我推察も其ことく此程奥


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州より捕へ来る靍殺しの科人 つら魂尋常(よのつね)ならず 肩口に二つの痣 是ぞ兼て聞
及ぶ目印疑ひもなく安倍宗任一人は手に入しが 今一人の兄貞任 此両人さへ捕へなば
宮の行方明白たらんと 則彼の宗任を此館へ引かせ来る 禁庭の御沙汰なき中に
詮議肝要たるべしと力を付くる時しも有れ 桂中納言様御出也としらすれば ソレ気遣
私の内意か勅諚か 女義は次へと改むる 座席に心残れ共母と娘は立て行 中
納言教氏卿 衣冠の袂に香りくる 雪より出て 雪より白き白梅一枝に 四方に
取乗せ持参有 献上にっは此間 公けの御不審蒙り嘸心を痛められん 欝気を

はらす此梅 まだ冬籠りの枝ながら進上申す 此花と諸共嘉悅の眉を開かれよと
直方が前に差出し 義家朝臣のおはするも彼の詮議の一条ならん 殊更親しき
一家の中御心底察し入 コハ卿の御御詞共覚ず 一家は一家 政道に依怙なき義家
詮議の手がゝりに成べき科人 先達て捕へ置 ヤア/\義家が家来共 靍殺し
を是へ引けと 呼はり給ふ一声に靍の科人出おらふと 権威の下部は蠅(はい)虫と見下し 
破れ布子の縄付きながら 眼中威勢備はつて 実に大将と大将の 見参とこそ見
へにけれ 靍を討たる科人 外が濱の南兵衛とは仮の名 奥州の住人 安倍の


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頼時が次男宗任共いはるゝ勇士 夫レ程のへろ/\縄引切るは安かるべきに わざ
と下部に引出さるゝは義家に欝憤を云はんず為な 聞て得させん サア何と語らん
いかにとの給へば 是は又思ひがけもない そんなむつかしい名は生れてから 聞た事もござり
ませぶ ばくち打の南兵衛に違ひなければ 元よりお前様に勿体ない欝憤と
やら一分とやら きなかもかけ値は申しませぬ 兎角命が惜しいばつかり どふぞお慈悲
に縄といて お助けなされて下さりませと泣ぬ斗のしら/\゛しさ ムゝ然らば儕産(うぶ)の匹
夫下郎に違ないな 此籏を見知ておるか 是こそ我父伊予守 奥州追

罰の折から 押立て給ひし白籏 其時宗任か親安倍頼時 大将めがけ放ちし矢先
ねらひはづれて此籏に受けとめ 即時に踏折り捨られし 其矢の根はコレ爰に
ハゝゝ 頼時つれが拙き運にて 源氏に敵対叶はぬ事 今にも其余類あらば却
て敵の此矢を以て 斯くの通りとてうど打 鏃は庭の手水鉢じろりと見やつて
是は扨 あぶない事をと そらさぬ顔 教氏卿進み出 よし手練はとも有れ たとへ誠の
宗任也共 匹夫下郎に等しき男 大望の企てと思ひもよらず 奥州の果に生
れ 草木の名も知らぬ鹿猿同然の族(やから) かくいふが無念ならばコレ 此花の名を知つ


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つるかと 白梅取て指し出し 東戎の目にはよも知るまじ 知たらばいふて見よやと嘲
弄有る 宗任ぐつとせき上南兵衛といふ下郎でごされば 花の名はいかにも存
ぜぬ 儕そふおつしやる教氏卿も 以前は流し者に合ふて配所の嶋守 漸此頃
召返され 冠装束かけたれば迚 正真の山猿の冠 相手に成口は持たぬ 身
が返答はコレかうと 傍に立たる件の矢の根口にくはへて我と我 肩口つんざく
血汐の紅 何かはあやも白籏に鏃の筆のさら/\と 文字あざやかに染めなすは
東戎の名にも似ぬ三十一文字の言の葉に 座も白梅の枝折て 冠傾き 見へ

けるか ムゝ詞争ひむやくしと 和歌を以ての返答 我国の梅の花とは見たれ共 大宮
人はいかゞいふらん 面白し/\ 我に歌を詠みかけしは 返歌せよとの事ならん去ながら 最前
汝がいふことく 此教氏は父の卿諸共 幼少より嶋へ赴き 鄙に育ちし恥しさ 雲の
上に座を列ねながら 我さへも得詠まぬ歌を かく即席に詠み叶へし器量骨柄
問ふに及ばず安倍宗任に違ひなし いはれぬ歌て蛙(かはづ)は口から我と我手に白状せし
浅はかさよと一言に勝色見する梅花の頓智 術(てだて)に乗りし無念の宗任にくは
へし鏃の手裏剣 大将めかけ打返すをてうと留たる源氏の白梅 ホゝウ尤


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こづこそ有へけれ 生捕るも捕らるゝも時の運命恥とな思ひそ 猶此上に義家
か 尋問ふべき子細有 こなたへ引けと引立させ奥の間 さして入給ふ 教氏傍(あたり)を打
ながめ 傔丈か傍近く扨々心つかひ察し申す 未だ言訳の筋もあらざるや ハツア夫レ故
にこそ 心を痛め罷り有る さこそあらん夫レに付き今日貴殿に こころざしたる此梅は まだ寒
中に 室(むろ)にて温め咲かせし花 天の自然にあらね共 春を待ち得て咲く花より 早き
ながめを人の賞翫 又ちる時も其通り しぼみかちけて見苦しうならぬ先に 此枝の
ごとくさつはりと 切れば却て香も深し 花に限らず身にも又切り時が大事 左様には

思はれずや ムゝ御心深き此一品 ちりかゝつたる老の枝 切れと給はる天の賜 花物いは
ねど御謎に白梅の腹切り 慥に落手仕る ヲゝ天晴明察 大江惟時なん
といふ 讒者の嵐に吹ちらされぬ其先に 花は三吉野人は武士 名を後の世
にちらさぬ様の思案ぞあらまほしけれと 梅に詞を匂はせてしづ/\立て入にける
只さへ曇る 雪空に心の闇の暮近く 一間に直す白梅も無常を急ぐ冬  ←
の風 身にこたゆるは血筋の縁 不便やお袖はとぼ/\と親の大事と聞つらさ
娘お君に手を引れ親は子を杖には親を 走らんとすれど 雪道に力なく/\


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たとり来て 垣の外面にアゝ嬉しや 誰も見咎めはせなんたの イゝエ門口に侍衆が
いねふつて居やしやつた間に ヲゝ賢い子じや 傔丈様は此春から主(ぬし)のお屋敷
にはこさらず 此宮様の御所にと聞て どふやらかうやら爰迄来る事は来たけれど 御
勘当の父上母様 殊に浅ましい此形で 誰か取次でくれる者も有み お目に
かゝつて御難儀の様子がどふそ聞たやと さぐればさはる小柴垣 ムゝ爰はお庭
先のしおり門 戸をたゝくにもたゝかれぬ不孝の報ひ 此垣一重が鉄(くろがね)の 門より高ふ
心から 泣声さへも憚りて簀戸にくひ付き泣居たり 傔丈は斯く共しらず 垣の外

に誰やら大声 アレ女共はおらぬかと 云つゝ自身庭の面 外には夫レとなつかしさ 恥し
さも又先立て おほふ袖萩しらぬ父 明けて恟り戸をぴつしやり 何の御用と嬪共
濱ゆふも庭に立出て 傔丈殿何ぞいの イヤ何でもない 見苦しいやつがうせおつて
嬪共追出せ ばゝ あんな物見る物でない こつちへお来やれ/\と夫の詞は気も
付かず 何をきよと/\いはつしやる 犬でもはいりましたかと 何心なく戸を明けてよく/\
すかせば娘の袖萩 はつと呆れて又ばつたり 娘は声を声知れど母様か共得も
いはず 母はかはりし形を見て胸一ぱいにふさがる思ひ 押さげ/\ 定めない世といひ


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ながら テモ扨も扨も/\思ひがけもない コレ/\ばゝ何いやる イヤさあやつばり犬でござんし
た ほんに憎い犬め 親に背た天罰で目も潰れたな 神仏(ほとけ)にも見離され
定めて世に落果てておらふと思ふたれど 是は又あんまりきつい落果やう 今
思ひしりおつたかと 余所にしらすも涙声 様子しらねば嬪共 さつても慮外
な 物貰ひなら中間衆には貰はいでお庭先へむさくろしい とつとゝ出やとせり
立られ ハイ/\ どふぞ御了簡なされてまちつとの間 ハテしつこいと女中の口々 ヤレ待て
くれ女共 ヤイ物貰ひ お足がほしくばなぜ歌を諷はぬぞ 願ひの筋も何なりと

諷ふて聞せと夫の手前 ちつとの間なと隙入れたさ あいとはいへど袖萩が 久し
ふりの母の前 琴の組とは引かへて 露命を繋ぐ古糸に 皮も破れし三味
線の 罰(ばち)も慮外も顧ずお願ひ申奉る 今の うき身の恥しさ 父上や
母様の お気に背きし報ひにて 二世の夫(つま)にも 引わかれ 泣つぶしたる めなし
鳥 二人が中のコレ此 お君とて明けて漸十一の 子を持てしる親の恩 しらなう
祖父(ぢい)様祖母様を したふ此子がいちらしさ 不便とおほし給はれと跡諷ひさし
せき入娘 孫と聞より濱ゆふが飛立斗戸の隙間 い抱き入れたさすがり


62
たさ 祖父もかはらぬ逢たさを 隠してわざと尖り声 ヤアかしましい小歌聞きたふ
ない 女ゴ共も奥へいて お客人に付て居よ皆いけ/\ コレばゞ 何うぢ/\ 早く
畜生めを擲き出して仕廻やれさ アゝコレ 腹立つは尤なれと夫レはあんまり ハテ扨おばゞ
隙入る程為にならぬ 武士の家で不義しためらう 擲き出すとはまた親の
慈悲 長居せばふち放そふか 親の恥を思ふて 名を包むはまだしもと思ひの
外 今と成て身の置き所がなさの詫言 恥つらもかまはずよくうせた 但は親
へ頬当(つらあて)に わざと其形を見せにうせたか につくいやつと 怒りの声 袖萩悲しさ

やる方なく なん/\のせいもん 勿体ない去ながら そふ思そべすも御尤 大恩を忘れ
た徒(いたづら) 我身ながらあいその尽きた此體 お侘申たとてお聞入れが何のあろ そりや
思ひ切ておりまする お屋敷の軒迄も来られる身ではなけれ共お命にかゝる
一大事と聞て心も心ならず 顔押ぬぐふて参りました 不孝の罰で目はつ
ぶれる 此子を連て爰の軒では追立られ かしこの橋ではぶち擲るゝうき
めにあふても 此身の罪にくらぶれば まだ業の果し様が足らぬと 未来が猶し
も恐ろしい 此上のお願ひには 娘のお君お目見へと申すは慮外 只の非人子と


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思召したつた一言お詞を おかけなされて下されと 嘆けばお君も手を合せ 申旦那様
奥様 外に願ひはござりませぬ お慈悲に一言物おつしやつて 下さりませと云馴れし
袖乞詞に濱ゆふがかはいやな 子心にさへ身を恥て祖父様共はゝ様共 得云ぬ
様にしおつたは皆儕が徒故 畜生の様な腹から見事犬猫も産みおらず 生
れ落ると乞食さす子を あの様におとなしう 産み付けざまは何事ぞ あんまり
憎ふておりや物がいはれぬと むこういふのはかはいさの 裏の濱ゆふ 幾重に
もお慈悲/\と泣く斗 傔丈猶も声あらゝか 親が難義にあはふがあふまいが

女めがいらざる世話 同じ兄弟でも妹の敷妙は 八幡殿の北の方と呼るゝ
手柄 姉めは下郎を夫に持てば 根性迄が下主女めと 恥しめられてわつ
と泣 下主下郎とはお情ない 夫も本は筋目有る侍 黒沢左中とは浪人
の仮の名 別れた時の夫の文に 筋目も本名も書いてござんす 是見て
たべと差出すを 取次ぐ紙のはしくれも詫びの種にもんれかしと 思ふは母より
直方が 読む文体の奥の名に 奥州安倍貞任とはなむ三宝 扨は貞任
と縁組しかと 心もそゞろに懐中の一通取出し引合せば扨こそ同筆 ハアはつ


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と斗当惑の 色目を見せじとずんど立 穢はしい此状 弥以てあふ事ならぬ
サア奥こちらへ ハテぐずつかずと早おじやれと 尖(するど)い詞にせがまれて母も是非
なく立て行 なふコレしばし もふ逢ふとは申ませぬ お身の難義の其訳をどふ
ぞ聞して下さりませ 申 /\と 延びあがり 見れど盲の垣覗き早暮過ぐる風に
つれ 折から頻りに ふる雪に身は濡れ鷺の芦垣や 中を隔つる白妙も天道
様のお憎しみ受し此身はいとはねど 様子聞ねばなんぼでも おなぬ/\と泣声
も嵐と 雪に埋もれて 聞へぬ父と 娘泣 次第 /\にふりつもる 寒気に肌(はだえ)も

冷え切れば 持病の癪の差込で かつぱと転べばお君はうろ/\ さする背中も釘
氷 涙かた手に我着物 一重をぬいで母親に 着せてしよんぼり白雪を す
くふて口に含ますれば 漸に顔を上 ヲゝお君もふよござる 此又冷へる事はいの
そなたは寒ふはないかや イエ/\わたしは 温かふござります よふ着て居アやるか ドレ/\ ヤア
そなたはこりや裸身 着物はどふしやつた あんまりお前が寒からふと思ふて
ヘツエ親なればこそ子なればこそ わしが様な不孝な者が何として そなたの様な
孝行な子を持た 是も因果の中かとて抱しめ/\ 泣涙 絶へ兼て垣越し


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裲ひらりと濱ゆふが さつきにから皆聞て居る アツア儘ならぬ世じやな 町人の
身の上ならば 若い者じや物徒もせいじや そんなよい孫産だ娘 ヤレでかした
と呼入れて 聟よ舅といふべきに 抱たふてならぬ初(うい)孫の顔もろくに得見ぬ
は 武士に連れ添ふ浅ましさと諦めていんでくれ ヨヨ と いふ中に 奥濱ゆふと呼
声に アゝアイ/\そこへ参ります 娘よ 孫よもふさらば かはいの者やと 老の足見返
り /\奥へ行 折しも庭の飛石伝ひ 雪明かりに窺ひ寄る 安倍宗任
を引明ければアゝこはと 立のくお君をじつと捕へ コリヤこはい事はない伯父じや エゝイ 伯

父様とは ヲゝそちが伯父の宗任じや サア宗任様とは夫貞任の弟様 ヲゝつい
に逢ねど嫂の袖萩殿 アゝそんならお前に問たら知れるであろ 夫婦別れる
時夫に預けてやつた 此子が弟の清童は息災で居るかいな ヲゝ其清童は
の 傷寒で死だはいの エゝイ ハア ヲゝ嘆きは理り 何かに付けて一つ家の敵は八幡太郎
こなたも兄貞任殿の妻ならは 今宵何とぞ近寄て 直方が首討たれよ エイ
あのとゝ様を ヲゝ生け置いては我々が大望の妨げ 此懐剣でと手に渡す 難題
何と障子の内 曲者待てと大将の 声に恟り折悪し そちへ/\と忍ばせて 胸


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をすへてどつかと座し 縄引切て逃出さんと存ぜしに 見付けられたは運の極め
サアいか様共行はれよと 腕押廻せば義家公 縄にはあらで真紅の糸 結びし
金札宗任が 首にさつくと打かけ給ひ 網に洩れたる鱗(うろくず)を助るは天の道 鳥類
の命さへ重んずる我心 況やあつたらしき勇士 命を助けソレ其札 康平五年
源義家是を放つと書き記せば 此上もなき関所の切手 肩口の痣は切た
いても 武将の息のかゝつた汝 繋ぎし犬も同前日本国中を放し飼ひ 何国へ
成り共勝手に行けと 仁者の詞にハアあつと 雪に頭は下げながら 底の善悪閉ぢ

隠す氷を踏で別れ行 夫の最期を濱ゆふが白梅の腹切刀 三方に乗る
露涙 外にも同じ袖萩が 思ひがけなき難題に 死ぬより外は なく/\も 帰る戸口に
父傔丈 ?に錠しつかとおろし座に直り 三方取て頂戴し 押肌ぬいで覚
悟の矢の根 取とはしらぬ袖萩が娘に見せじと突込む懐剣 はつと驚き取付く
お君 声立させじと抱しむれば 母は夫が片手に押さへ まだ女めはいにおらぬか 気
づよくはいふ物の年寄た體 いつ何時の病死もしれぬ 声也共よく聞て
おけと それとはいはぬ 暇乞とは露程も袖萩が 扨はお心知(やは)らぎしか かう成


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果た身の上 どふで追付のたれ死 是がお声の聞納めで ござりませうと
親と子が 一所に死ぬとは神ならぬ庄司押明け立寄る教氏 母はかけおり ヤアそ
なたは自害したか 傔丈殿も御切腹 エイとゝ様も 娘もと一度に驚き転びおり
垣押し破り張りさく胸 呆れ涙にわかちなし 手負を見届け中納言様子具さ
に承はる 貞任に縁を組れし御邊 聟の詮議も成るまじ 所詮死な
で叶はぬ命 袖萩とやらんも死ずば成まい 跡の詮議は某がよき様に
計らはん 健気なる最期の様子天聴に達し申すべしと 冠け高くしづ/\と

心 残して立出る 衣紋に薫る 風ならで 奇(あやし)や聞ゆる鐘の声 コハいぶかしと立
戻り 邊りに心目を配る 三の対の屋隅々に 太鼓の音の喧し ハテふしぎや 此
明き御殿に陣鐘を打立つるは 何者成ぞとふり返る 一間の内より高らかに 八幡太
郎是に有 奥州の夷安倍貞任に見参せんと 立出給ふ御大将 続いて
かけ寄る二人の組子 さしつたりと身をかはし 弓手妻手(めて)へはつたと蹴飛し ヤアラ
心得す 桂中納言教氏を 貞任とは何を以て ホゝウ此義家 天眼通は得
ざれ共弓矢の道には賢き某 過ぎつる大赦の砌 桂中納言也と名乗り来る


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其時より 嶋育ちを云立てに歌詠めず筆取らず 何条しれ者ござんなれと つく/\
面体を窺ふに 我稚き時見覚し安倍頼時にさも似たり 扨こそ宮の御
行方 十握の宝剣をも取隠せしに極つたり 姿をかへて禁庭へ入込しは 猶
二(ふた)色の御宝を奪ひ 親が根ざしの大望を達せんとの工よな あらがはれぬ
証拠は是と 白籏を取出し給ひ 最前汝が弟宗任と 別れて程へし兄弟
の対面 梅の花によそへて我顔を 見覚たるかとかけたる謎 早くも悟つてコレ此
哥 我国の 梅の花とは見たれ共とつらねし上の句 梅の花は花の兄 我国とは我

本国 奥州の兄ならんとの詞の割符 兄弟一度の此血判に白籏をけ
がせしは 源氏の調伏の下心 此上にも返答有るや 何と/\と差付けられ 貞任無
念の牙を噛み 逆立つ髪は冠を貫き 怒りの大息ほつとつぎ エゝ口惜やなあ
我一旦浪人と成て 都の様子を窺ひしが 官位なくては大内へ入込れすと 流
人赦免の折を幸い 誠の教氏は先達て病死せしを 我也と偽つてついに逢
ぬ舅傔丈 けふ始めての対面に情らしく見せかけて 腹切らしたは詮議の種 の
一通をとらん為 所詮謀(はかりごと)空しく成れば 親の敵は八幡太郎相手向ひの勝負


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して 運を一時に決せんと 太刀に手をかけ詰寄れば ハゝアせいたりな貞任 汝獅
子王の勢ひ有り共 八方に敵を受け一人の力に及んや 又其方が一命は環の
宮と宝剣の有り家 責むる共よも白状せじ 術(てだて)を以て捜し出す夫レ迄は いつ迄
も助け置く 命ながらへ時節を待て 戦場の勝負はなせせぬぞ 今犬死し
て親頼時が 大望は無にするか 弓矢の情は相互い 夫婦の操も節義は
一つ 貞心厚き袖萩が 最期の際に一言は 妻子に詞もかけよかし 暇乞を
と仁愛になふなつかしの貞任様 最前からよふ似た声とは聞ながら あんまり

思ひがけもない 六年ぶりで廻り合 顔見る事も叶はぬか 死ぬる今はにちよつとな
と 此目か明きたいコレお君 とゝ様のふと稚子を 見るに遉の貞任も 恩愛の
涙はら/\/\ 大将憐み思し召 てゝ親の縁切たるお君 義家が子に養はんと
仰に傔丈有難涙 いかなれば某は敵と味方を聟に持つ 因果も思ひ
廻らせば代々不和なる源平を 先祖に背いて縁組た 我誤りを白籏の此
白梅を血に染めて 元の平家の寒紅梅 娘 父上いざ一所に聟殿さらば 我
夫(つま)さらば 傔丈殿 姉様のふと別れの涙 母の袂も敷妙も 一度にわつと


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ぬるゝ袖 御大将も直垂の 袖射削つて余りの矢先 竹に忽ちすつくと宗
任 最前見遁し帰りしは 兄弟本意を遂げん為 優曇華まさりの親の
敵 サゝゝゝ 勝負/\と 詰かくるを 貞任しばしと押とゞめ 晋の豫掾は衣を
さく 八幡とは八つの幡(はた)此 白籏をまつ此ごとく手に取れば 八幡が首ひつ提げんは
案の内 敷妙の身には大切な 夫婦の縁を継ぎ目の籏 ソレ大事に召され 濱
ゆふと渡すは舅のはた天蓋 舅が最期に魂をひるがへしたる梅花の
赤籏 我家の籏諸共に奥州に押立/\ 父頼時が弔ひ軍 一先ず此場は

宗任来れ ハツア実に尤兄者人 雪待つ笹は源氏の籏竿 矢射たるは当座
の腹いせ 首を洗ふて義家お待ちやれ ヲゝ/\互に戦場/\ 夫レは重ねて先ず眼前
に朝敵の安倍貞任 生捕て面縛(めんぱく)させんと いふは表 其装束を其儘に 桂の
中納言教氏卿御苦労ぞふと式礼に おさらば さらばと敵味方 着する冠装束も
古郷へ帰る 袖袂かりの 翅(つばさ)の雲の上 母に別れて稚子が父よと呼ばふり返り 見やる目元に一時雨
ぱつと枯葉のちり/\嵐心よはれど兄弟が又 取直す勇み声 よるべ涙に立兼て 幾重の思ひ
濱ゆふが身にふる雪の白妙になびく 源氏の御大将 安倍の貞任宗任が武勇は 今に隠れなし