仮想空間

趣味の変体仮名

伊賀越道中双六 第六 沼津の段

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html 

       浄瑠璃本データベース  ニ10-01451

 

 

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 第六 沼津の段

東路に 爰も名高き沼津の里 ふじみ白酒名物を 一つ召せ/\駕籠にめせ おかごやろかい参らふか

おかご/\と稲村の 影に巣を張り待かける 蜘蛛の習ひと知られたり 浮世渡りは様々に草の種かや

人目には荷物もしやんと供廻り泊りを 急ぐ二人連れ 立て場と見かけ立どまり コレしたり大事の用を

とんと忘れた 大義ながらわしが寄た所ヘン一走り往て来てたもと 急ぎの用事走り書 さら/\/\

と書認め 早ふ/\と手に渡せば 主に劣らぬ達者もの心安兵衛逸散に元来し道へ引かへす 稲

村影より 旦那申 お泊り迄参りませうかい 申旦那様どうぞ持して下さりませ けさから壱文も銭

 

の顔を見ませぬ どうぞお慈悲と云かけられ イヤ/\わしは今夜は夜越に行 サそこがお慈悲で

ござりますと 頼かけられ是非なくも サそんなら吉原迄何ぼじや エゝお前様もわたしが頼んで持の

じや物 えい程に下さりませ サそんならやらしやれ 年寄のよしにせいての そんなら持して下さりますか

エゝ忝いサアお出なされませ ヤツト任せは声斗 一肩待ては立留り 今日は結構な天気しやなァ ヤツトまかせ

二肩往ては息を継ぎ 旦那申 向ふの立て場に泥鯲(どせう)の名物がござります ヤツトまかせと杖づる度に追従口

ふけ田におりし白鷺の餌(え)ばみをするにことならず 見るに気の毒 コレ親仁殿 ちつと持てやりませうか

アゝそれ/\/\あぶない/\ イエ/\勿体ない/\ アゝ気の毒な足元 最前から見て居るに 気しんどで

 

 

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ならぬ 是はわたしが足の癖でござります 旦那のかげで けふも内入がよござります モウこなたも

いくつしや 七十に手がとゞいてござります アゝソレ/\/\合点の行ぬ足取 お気遣ひなされますな

若い時は小相撲の一番も取ました ヤツトまさせとな といふ下道の爪先上り 木の根につまづき

ひよろ/\/\ ソレ見やしやれ エゝきつい事をしたの 親指を蹴かいた ヨシ/\早速に直してやろと用

意の薬取出し 付ると其儘 何とどふじや痛みは止ろが コレハ結構なお薬でござります 痛はとんと

直りました サア/\お出んされませ イヤコレ/\荷はおれが持てやる アゝ旦那様めつそふな イヤサ駄賃

はやる 気遣ひさしやんな こなたの足元最前からあぶなふて/\ 荷を持つ方がやつと気楽ら 咄し

 

もつて行ませう サア/\ござれと先に立 平作は千鳥足 しんどが利に成る蒟蒻の 砂に成かと悲し

さに 小腰かゝめて 申旦那 肩やりませうかい イヤ/\是で大分歩行(あるき)よい アこなたの足元茶めいた物

しやの 其足取を狂言師に見せたいわいの 乱れ抔と云て 伝授事に成そふな事 イヤ旦那のおつしやる

通り大概に乱れかゝつておりますはい ハゝゝゝハゝゝゝと 道の伽する笑ひ草 踏み分けてくる道草に菊の折枝

持そへて 見合す顔はとゝ様かおよねじやないか けふは結構な旦那の供したのでの 荷は持ずに

お世話に成た お礼申てたも コレハ/\有がたいもふ爰がわたしが内暫くお休み遊ばしませと 昔

の残る風俗も お葉打枯し 松影に伴ひ入や西日影 詫たる中の二人住 門の柱に印の

 

 

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笠 おかけなさるりや庭一ばい いつそ座敷へマアお上りと 親仁が馳走娘の愛 前垂の藍

薄く共 マアお茶一つと差出す こほれかゝりし藁屋葺 折悪ふ湯もわかず 水て成とおみあを

アゝイヤ/\もふ行まする 扨娘御はよい器量 不躾ながら此内には せくなけに咲た杜若 よい床へ

生たいのふ ハイとなたも左様におつしゃります 自慢て作つて置ましたれと 近頃は手入か悪

さに いかふ田地が荒ました 何が身に構はず賃仕業 貧乏は苦にもせず それは/\孝行にして

kるえます それで私が年寄ての蜘蛛助も せめて三文なと肩休めと 余りあれがいぢらしさで

ござります コレとゝ様 始めてのお方に其様なさもしい咄しを ホンニそふじやハゝゝゝ イヤおよね けふは

 

大きな怪家を仕てな コレ/\/\是見よ 爪が起て有る ア薬もあれば有ものじや あなた様の薬きつい

妙薬 ありや何と申薬でござりますへ 此薬は大切ない物 第一金瘡には 其場で治る妙

薬 武家方には尋れ共 金銀づくでは手に入ぬ妙薬と 語れば娘は猶ほた/\ とゝ様の命の親

一日や二日でお礼は云も尽くされず ならふ事なら今宵は爰に御逗留遊ばして アゝ娘何

いふぞいこんな内に泊めまして 肴は干鰯が一疋なし 虱ゟ外あなたの身に付く物はなし イヤ/\不

自由は仕付て居ます 娘御があの様に しやつこらしういはしやるので どふやら爰に根が

生えた 大事なくばいつそ泊て貰ふかいと 目の鞘抜し商人(あきんど)も 上手な娘の饗応(もてなし)にころりと

 

 

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成ればお枕と 油気(け)はない真身の馳走 是も一樹の笠舎(やど)り 尋る軒の目印当に内に入 旦那

是にござりますか サお立なされませんか ホ安兵衛か 早かつた/\ そなたは其荷物を持て 吉原の鍵

屋で宿を取りや 日和が知れぬ早ふ行や 雨具の用意は吉原の 鍵屋をさして急ぎ行 およ

ねは立て門の戸を 引立んとする所へ 平作殿内にかと ぬつと這入るは原の町の古道具屋 エイ市兵衛様

御苦労によふお出 イヤこちも商売づく 昨日こなたの云しやるは 急な入用銭三貫 道具諸

式を値にして 取てくれといふ事なれど 代物見てからの事と 手附に三百進ぜて 残りの銭

持て来た 駄賃出しては合ぬ仕事 値が出来たら こな様が荷なふて来て下さるか 時にと 道

 

具といふは 見へ渡つた此通りか こりや聞たとはきつい相違 マア第一放しにくいと云しやつた故

見込に思ふた仏壇が こりや百が物はかない デモマアちよつと置て見よ 二つべつい鍋釜かけて

百廿と入れい 古畳で三百よ 鼠入の膳棚百五十文 はしりは役に立ぬ 是十六文 破れ

障子一枚十二文 縁の取れた角行燈八文 有増こんな物 家くちこぼつても壱貫か物はない

といふて手附の三百は 飛で仕廻てもふ有まい 御推量の通りでござります せふ事がない

此畳まくつていのふ コレ若いの そこ退て貰ひましよと 畳ばた/\上かける 申ゝ御尤なれど

今夜の所を御了簡と 親子が詫る気の毒より ひよんな所へかゝり合 コレ道具屋殿 わしは

 

 

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今夜泊つた客 是は難儀な所に泊り合した とんと煤掃きに茶屋へ往た様な とうで埃は

かづかにやならぬ 手附はわしが返しましよ 畳は此儘置て貰をと 奇麗に捌く弐朱一つ

是は結構な旦那殿 ちと多かれど爰迄来た賃 次手に畳も引直し 満直しに平作殿 貧

乏神のいぬ様に 箒でお上槌で庭 藁の出ぬ前お暇と つまつき廻つて立帰る 親子一度に

手を合せ 忝い共面目ない共 嬉しいと術ない涙がこつちやに成て お礼の詞も出ませぬと

破れ畳に食付ば ハテ今のは今夜の宿銭 高で知た親子の世帯 家代を売り代なさふと

は よく/\差詰つた疑義な事が有のでごんせう いとしや苦労さつしやるの親仁殿此娘御より

 

外に もふ子供衆はないかいの ハイ此およねが上に男の子が一人有たれど 二つの年養子に遣い

ましたが 又其親の手を離れ 今は鎌倉の屋敷方へお出入 よい商人に成て居るとの噂 それ聞て

とんと思ひ切ました ソリヤ又なぜに ハテ一旦人に遣たれば捨たも同前 我子ながらも義理有物

今其躮が身上がよいとて 尋にいて箸かたし貰ふては 人間の道が済ませぬ 今出合てもあかの他

人 子といふは此娘一人 ムゝそれも尤其兄貴は今いくつくらいじやの ハイかうつ てうど今年廿八 鎌倉

八幡宮の氏地の生れ 母の名はとよと書付守り袋に入て遣りました 其後此およねを産

でかゝも相果則けふが命日で 孝行な娘が水手向鼻の立て方ごろじやつて下さりませと

 

 

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何爰となき咄しの合紋 一々胸にこたゆる十兵衛思ひ合せば覚有る扨は産みの親父様血を分た我妹が

貧苦の有様 有合せた路用の金 なま中親子と名乗ては受ぬ気質を何とがな 金の遣りたい屈

託に胸を痛めて コレ親仁殿 何と物は相談じやが 此お娘をわしに下されぬか エゝ奉公に上ますのか

イヤテヤまだ女房のない男 利発な娘御商人の嬶には極上々の羽二重地 得心して下さるなら 仕

拵へはこつちから 旅商人の事なれば 呼迎へる日限はまだいつ共定められぬ 嫁入の拵へ料 爰に少々

持合す 是おいて逝にまする 得心かいの どふでごんす コレよい女房 面目ないが最前からわしやこな様に

惚たわいのとしなつきかければついと退き とゝ様 あのお方もふ逝して下さんせ いかに貧しう暮らして

 

居る迚あたなめ過た あほうらしいと打てかはりし腹立顔 エゝ窘めよい女房と云れるが 何の夫程

腹の立つ事 我か器量がよい故じやと おりや嬉しい イヤ申あなた様 よふ御深切に惚さしやつて

下さりました ジヤガ此およねは女房といふてはやられぬ訳がござります ムゝそんなら御亭主が有

のか 是は/\ イヤ実は只今のはほんの座興 主の有人共存せず麁相申た 真平御免に預りませう

コレ娘御 機嫌直して貰ひましよ アノ痛み入たお詞 ほんに思へは在所者を おなふいなさるを真受にして

お恥かしやとにつこりと笑ひに心打解て咄しに紛れてずつぷりと 日の暮て有に気が付かなんだ 三日月

様が上つてござる 宵月夜で行燈は入らぬ 御明しを伽にして辻堂の雨舎り お客様ももふお休 足延すと

 

 

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と壁につかへる奥座敷 緩りとちゞかまつて御寝なりませ 私は此台所コリヤ娘はそちらに寝い旦那

様はお堅いけれど 時のはづみては主の有る池へ踏込なさりよもしれぬ 用心には網を張じや 今夜はおれ

が股引をはいて寝や むさけれどあなたにはわしがどんざを裾になと 追風もてくる鐘のこへいとしん/\と

聞へける およねは一人物思ひ心にかゝる夫の病気 我手で介抱する事も浮

世の義理に隔てられ 秋の蛍の消残る 仏壇の灯もほそ/\゛と嵐にふつと気の

付く娘 奇妙に治つたとゝ様のあの疵 今でも敵の手かゝりが知れてから おの病気

では思ひも寄ず ムゝと心で點頭胸をすへ 灯の消たるは天のあたへ 夫の為と抜足さし

 

足探り寄 印籠取上立退足 つまつく音に目を覚す十兵衛思はず高声何

者と 裾をとらへて引とむれば わつと泣入娘の声 平作も恟りし 起上てもまつくらがり およ

ね/\と云つゝさがす 竈の埋(うづみ)火付木にうつし顔見合せ 娘じやないか 旦那様か 何故に

此有様 エゝ何の因果で此様な 情ない気に成たぞいやい コリヤ此親は其日くらしの物

じやけれどな 人様の物もじきなか 盗もと思ふ気は出さぬはいやい エゝ親の顔

迄穢(よご)しおつたとわつと斗に泣居たる 十兵衛は気の毒顔 金銀を取たといふでは

なし 是には訳の有そふな事と 問れておよねは顔を上 恥かしなから聞て下

 

 

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さりませ 様子有て云かはせし 夫の名は申されぬが わたし故に騒動起り

其場へ立合手疵を負ひ 一旦本復有たれと此頃はしさりに痛 いろ/\介病尽せ共印

なく 立寄る方も旅の空 此近所で御養生長しへ間に路銀も尽き 其貢に身の

廻り櫛笄迄売払ひ 最前もお聞の通り悲しい銀の才覚も 男の病が

治したさ 先程のお咄しに金銀づくではないとの噂 燈火の消しより アノ妙薬

をとうかなと思ひ付しが身の因果 どうぞお慈悲に是申 今宵の事は

此場切 お年寄れしお前に迄苦労をかけし不孝の罪 けふや死ふが 翌の便は

 

我身の瀬川に身を投てと 思ひし事は幾度か 死だ跡でもお前の歎きと

一日ぐらしに日を送る どふぞお慈悲に御了簡と 東育ちの張もぬけ 恋の意

気地に身を砕く 心ぞ思ひやられたり 歎きの端/\つく/\゛と聞取十兵衛

コレ姉御 そんならこなさんは江戸の吉原で全盛の 松葉屋の瀬川殿じやの

テモよう御存じ すりや瀬川殿の夫の為に ムウ/\と心の目算 思案を極め

イヤ太夫殿 夫の手疵を治す薬 ほしいは尤 それ聞ては進ぜたい物なれど

是は人の預り物 此事は思ひ切らつしやれ 今こなた衆の咄しの通り わしも

 

 

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又恩を受た サ其恩を受た人の為にいづれの寺ても苦しうないが石塔一つ寄進

が仕たいが 何と世話して下さるまいか それは御奇特結構な寄進でご

さります 何時成共お世話致しませふ 私も来年はかゝが年忌勧むる功

徳供に成仏とやら 是非お世話致しまするでござります どうぞ今

度の下り迄 違はぬ様に頼みます 兼ての願ひに書付も此内に委しふ

ござると 金一包取出し コレ必頼んだぞや親子の衆 最早夜明に間もなし

随分無事に親仁殿と立出れば平作も 必お下り待まする 姉様さらば

 

とばかりにて 心に一物荷物は先へ道を早めて急ぎ行 跡に親子は顔

見合せ 金取上てコレおよね 随分大事にかけておきや 夜明迄は間も有 そな

たも休みやと水いらず 見廻す傍に落たる印籠 アゝ是は今の旦那の

じや 定めて尋てござるで有ろと いふにおよねが手に取て 此印籠はどうやら

覚への有模様 ハテ合点の行ぬ それか是かとよく/\詠め ホンニそれよ

こりや沢井股五郎が常々持し覚への印籠 ハテ不思議と平作も 金

取出しよく見れば 金子三拾両此手付は 鎌倉八幡宮の氏地の生れ

 

 

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稚な名は平三郎 母の名はおとよ コリヤコレ我子に付けて置た書付 そんなら今

のお方は私が為には兄様 ヲゝ我子で有たかい そんなら最前からの

深切はそれとはいはず此金を 貢でくれた石塔代 不思議の縁と親と

子は暫し あきれて居たりしが およねは印籠手に取て 裾ばせ折てかけ出す

コリヤ待て娘コリヤどこへ 何所へとはとゝ様 此印籠を持て居る 其兄様は

敵の手がゝり 追かけて股五郎が有家を尋ね志津馬様へ 尤じや/\

が我ではいかぬ 年寄たれ共此平作 理を非に曲ていはして見せう 我

 

も続いて跡から来い との様な事が有てもな 必出なよ敵の有家聞迄は

大事の場所 木影に忍んで立聞せい 必とも麁忽すな 合点か本海道は廻り道 三

枚橋の濱つたひ 勝手覚へし抜け道をと 子故に迷ふ悪道 転けつまろびつ走り行

跡におよねは身拵へ 続いて出んとする所へ 折柄来かゝる池添孫八 瀬川様か孫八殿 よい

所へござんした 今夜爰に泊つた客で 敵の手筋が知れそふな 詮議の為に吉原迄 とゝ様か行

しやんした イヤ忝い シテ其行先迄はよも行まい 何角の様子は道にて聞んと 瀬

川に続く池添も足に任せて「したひ行 実人心さま/\゛に町人なれ共十兵衛は 

 

 

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武士も及ばぬ丈夫の魂 夜深に立し独り旅 千本松にさしかゝる ヲゝイ/\と

を力に息すた/\ 申/\旦那様 ヤレ/\お早い足元 フウ今呼だはこなたか あはたゞしう

何の用 イヤ只今のお金を戻しに参じました 石塔料と名を付けて 大まいの金子

十両 其日暮しの蜘蛛助に 下さるにも訳が有ろ 又請まするにも訳が有 けれども

此金を請ましては 去人が立たぬ義理がござります 是をお返し申ます代りに

あなたにお願がござります お聞なされて下さりますか ハテ一夜さ泊るも何

ぞの約束 様子によつて頼れまい物でもないと 夕闇の夜の声しるべ 跡ゟ窺ふ

 

池添瀬川 かたつを呑で聞居たる シテ其頼みの様子は ハイおつしやつて下さりませ

此印籠の主の有家を承りたふござります 是を尋て知たい斗に さま/\゛

の流労致す人 それ故娘も廓を出て憂艱難 是が知れると本望成就 娘に

つれて私迄 ?(サ)ゝゝゝ此上の悦びはこさりませぬ 二十や三十のはした銭で 露命を

つなぐ私が 死ぬる迄安楽に暮される程の三拾両 其金銀にかへてのお願ひ

七十に成て蜘蛛助が こふ叶はぬ重荷を持つ それはまだ休みもする 子のかわ

いひといふ重荷は 寝だ間も休まぬ一生の苦痛を助る薬の名 お前様も

 

 

59

親御が有らば子故には愚痴に成物じやと 思し召やられて願ひを叶へて下さりませ

コレ申旦那様と 血筋と義理と道分石 わけて血のをの三界に 踏み迷ふこそ

道理なれ 親の心を察しやり ムゝそふ有ふ 心底至極尤じやが 是斗はどう

も云れぬ おれも頼れた男づく 其方のかへが大切なら こつちも又大切

譬又有家を聞ても命がなふては本望は遂られまい そつちの内に落して

置た 主のない印籠の其妙薬で疵養生 達者に成た其上では 望の

叶ふ時節も有ふ 親仁殿 サそふじやないかと心のかけご一(いち)重明けぬ十兵衛が 情

 

の詞 サゝそれ程お慈悲の有お方 迚もの事なら其薬の持主 イヤサコレ悪い

合点 此薬の持主は 其病人とは大敵薬 三十両の其金 敵の恩を受まい為

戻したではないかいの 此持主の名をいへば 敵の薬で疵本復 恩を請てはまさか

の時 切先がなまらふぞや やつぱり拾(ひら)ふた薬にして 心置なふ養生さしたが

よさそうに思はるゝと 聞て平作感じ入 アゝそふじやあつた エゝお前様は恐ろ

しい発明なお人じやの そふ聞ましては申様もござりませぬ 左様ならもふ帰り

ましよ 旦那様 おさらばと 云つゝ探つて十兵衛が 脇差抜取腹へぐつと突立る

 

 

60

ヤア/\/\何とした/\ コリヤ自害か 何故に 誰を恨で勿体なやと うろ/\涙

驚く娘 声に手当る池添が 泣音とゝむる轡虫草に喰付泣斗 平作

苦しき目を開き おりやこなたの手にかゝつて 死るのじやはいの/\ ハテこなた

とおれとは敵同士 志津馬殿に縁の有此親仁を殺したれば 頼れたこな

たの男は立 コレ/\此上の情には 平作が未来の土産に 敵の有所を聞して下されい

の 外に聞く者は誰もない 今死る者に遠慮は有まい 不思議に始めて逢ふた

人 どふした縁やら我子の様に思ふ物 何のこなたに引け気取らす様な事此親か サア

 

此親仁が致しませうぞ 是が一生の別れ 一生の頼み 聞ずに死では

迷ひますはいの/\ コレ拝ます/\旦那殿と子故の闇も二道に

わけて命を塵芥 須弥大海にもまさつたる 誠の親に始て逢い 名乗る

もならぬ浮世の義理 孝行の仕納め とこに誰が聞て居まい物でも

なけれど 十兵衛が口からいふは 死で行くこな様へ餞別 今際の耳によふ

聞かつしやれ 股五郎が落付く先は九州相良 道中筋は参州の 吉田で逢た

と 人の噂 エゝ忝い/\/\アレ聞たか イヤ誰もない/\ 聞たは此親仁

 

 

61

一人 それで成仏仕ますはいの/\ 名僧知識の引導ゟ 前生の

我子が介抱受 思ひ残す事はない 早ふ苦痛を留て下され

親子一世の逢初め 親仁様 兄 エゝ顔が見たい/\/\顔が見たいわいやい

南無あみだ仏 なむあみだ/\/\と 唱ふる十念十兵衛が こたへ兼たる悲嘆の涙

始終窺ふ池添が 小石拾ふて白刃の金合す火影は親子の名残跡に 見捨てて「別れ行

 

 

 

 

初めて読んだ床本が「沼津の里の段」でした。

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2013年9月「伊賀越道中双六」通し狂言観劇記念に国立劇場から配られたポケット床本です。

 

詞章は、本文で言いますと、57ページ最終行からになります。

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〽したひ行 実人心様々

 に町人なれ共十兵衛は

 武士も及ばぬ丈夫の魂

 夜深に立し独旅千本

 松にさしかゝるヲゝイ/\と

 

今はスラスラと読めますが、初めての時は読破に何日かかったことやら。漢字なんかは一文字読むのに数日かかったりした事も懐かしい思い出です。何日掛けても読めない字は未だに多々ありますが。記録を見ると、床本を読み始めたのは2015年7月だったらしい。6年も経つ割に上達には程遠い気がします。