仮想空間

趣味の変体仮名

当世芝居気質 巻之一

 

読んだ本 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he13/he13_00654/index.html

 

2
  序
雪月花に情をうごかしほとゝぎすに
枕を欹(そばたつ)るは詩歌に心ある人の癖なめり
顔見世の櫓太鼓には錦繍に身を粧ふ
御家様よりねぶりがちなる這出の小女郎まで
心ときめく三都の壮観四時(しゞ)の華とも云つべし
こゝに浪速なる半井何某(なからいのなにがし)其戯場(しばい)に


3
身をつくしたる人のよしあしごとを四(よつ)の巻(まき)に
つゞりて当世芝居気質(かたぎ)と題し先哲の
洩らしおきしかた気の穴をつくなに是に
叙せよと書林のもとめによつてみじ
かき筆を加ふるものは花洛麗白軒(くわらくりはくけん)
 やすらかに永き六のとしはつ春

当世芝居気質(とうせいしばいかたぎ) 目録

第一 三絃(さみせん)たゝき立つる野等息子の調子
   声なしの浄るりは当世の物真似

第二 操方(あやつりがた)の黒巾(くろご)より赤子の遣ひ様
   近松の再来天からふつた趣向


4
第三 敵役の性根を顕はす掛取の毒薬
   立役の慢心発起した悋気の捌き方

第四 作者の一巻授りしヒウドロ/\の仕組
   囃子方の工夫を付し行列の鳴物

当世芝居気質
 ①三絃たゝき立つる野等息子の調子
龍泉啄木の妙音は其人にありて其曲にあらず
されば宮園節の三絃は丁稚小女童(こめろ)のぞけ出す調子
義太夫節の三絃は神祇釈教恋無常 わずか三
筋は血筋にかゝる涙をこぼさせ のり地に血気の若
年をいさまし さはりの音じめに女子(おなご)の鼻あぶらをのせ
其妙手妙音においては琵琶も琴も音楽も此上も
なき奇々妙々の音色(いとね)に天人の影向はいざしらず 男
へちとはおもはぬ小野小町も はてやさしいおもしろい
糸色(いとね) どんな男がひくことぞと顔見たがるも此道の


5
一徳 其穴ばつかりさぐり稽古するもの世間一めんある
中(うち) 京二条堀川邊織屋の二男文五郎 寺子やを上つて
間もなく七夕(しつせき)には師匠から怖(じやう)付られ 一封もたせ冷
素?喰ひ仕廻ふた跡は女子の子の踊りになり トテチン/\
と調子もあはぬ三絃 おれも弾て見たいが上手に
なる芽出し もどるとすぐに隣町の稽古や義太夫座の
立三絃(たてさみせん)靍沢三四郎が方へ入込み まどろしいよしの山は
一とびにやつこの道行と出かけ さすが小息子と見て
早うくひつかすおしへかた 外の弟子より身を入て早う
むかふへしやん/\と愛護の若もはがゆきにおし上ぐるやう
すぐに山の段うまみをしらせおぼへさせ 器用すじと

ほめそやし ならふは下手はないしやうの無心も二三度 毎月(げつ)
の寄合御簾も牀(ゆか)も掛板までさらりと仕かへけつかう
ずくめ 三四郎が内はくはつけいくはんらく取立られ かへられ
た芝居より旦那様よりくるものが文五郎様/\ 端(は)の
きくのより三絃の上つたのが嬉しうて/\夜もろく/\
にけたには一はなだち 弾きあるいた功には弟子の中での
立三絃 成おゝせたが野楽(のら)の仕込所 近所の後家の所へ
毎晩立より あづけ置たる紫檀棹に花梨胴弾立る
音色よく後家の耳へは妻乞笛 毎ばん酒よ蕎麦
よともてなされ 親御はかたくろしひ三絃などはおきらひ
がわたしが仕合せ 今夜はとまつてお染久松の此太夫


 
6
弾語りに聞かしなされが堕落の発端 小息子ではあり
男はよし 三筋の糸からづる/\と今業平ともて
はやされ 祇園町へ舘(たて)にゆけば芸子が付廻して三絃
を拵へさせ 嶋原の太夫は琴とつれ弾きに調子づかせ
器用なお方じやと瞽女の所では娘がちよろまかされ
糸の音色で色はきく 司馬相如が卓文君をかた
げてのいたも此身の上 面白いと味(うま)いとでしこり
かゝつて夜泊り日泊り 異見聞き/\てんつてん/\
手わすれの相三絃が俄に病気おれがいかふとざし
きあるき 男じまん弾きじまん 太夫は又祝儀を二人
まへ取込がよさにおまへが来てくれるとわしも安心

するとのせられるもがつてんで弾あるくうれしさ たま/\
知つたものが指ざしして あれは二条堀川の織屋の息子
殿器用な人といふ下から笑はるゝ事は耳へもはいらず
親の外聞も其身の果も忘れはてたるおもしろみ
どふぞ異見はするに及ばぬ勝手に仕おろと木を切
てほうり出したる親父の一言 おつとがつてんそれも
かねてかくごのまへ道行と ぬからぬ顔で後家の内へ
にじりこめば 追出されたお方引込置くも異なものと
始の情今のむどくしん いるにいられず先斗町の貸
座補(ざしき)三月(みつき)四月は懐の有合ひ 馴染の芸子に無心状
おいておくれと返事もせず 一家の所へ詫言頼み一往や


7
二往で得心はせぬ親父これもいま/\しく 今まで世話
した者も立よらねば 我と我身はうとまいで人の落めを
世話やかず見ぬ顔するは土地の風義 エゝみづくさい所じや
と生れた所にあいそづかしのすて詞 取り付く嶋は三四郎
かた おきのどくなと我内にかくまひおくも芸者のつね
きのふは旦那様けふはかゝり人(うど)そふしていても退屈に
有ふ楽屋へおいでと伴はれ あそんでもいられず六大将(てんしよ)
にかゝつてのこりずくなひ小づかひ銭ちやんぷらり 服(むき)を
殺せ(しちにおく)/\と質置く事も何ともおもはぬ芝居がゝり 春先
の旅芝居諸方から座組の相談頼みに来る 是幸い
におれもやつてくれぬかと掛人(かゝりうど)の身のじゆつなさお前

がゆけば立三味線しかし素人の事給銀多(さわ)にくりや
せぬぞへ イヤモ口の上でも大事ない往てみたい そんなら
だんかうそこ/\に太夫操り三絃も打洩らされのたび
ざる共 中にきよろりと文五郎 素人の事なら頼み
ますと三四郎が頭取へあら面の引合せ すぐに旅だち
夜船で大坂へ下り兵庫舩に打のり播州三木で
たゝきはじめ わづか三十日の芝居振つゞきたま/\晴天
にも入はなし芝居仕も出づらはられてぐんにやり 楽屋は
又あら面の文五郎を太夫共が小づかひにして 是太郎四郎(しろと)
日りんがいるじや入て来て下あれと いわれても芝居の
隠語(せんぼ:かくしことば)はしらぬ小息子 エはい/\なんでござりますと


8

f:id:tiiibikuro:20191215130125j:plain

又 のら ねこめが
出てうせた そうな
にくいこと じや

是はきつい
らんさはぎじや
みなであへ/\


9
うろ/\するに きつい金十郎(きんじうろ:あほう)じや 火がない入れてくだ
あれといふ事じや はい/\かしこまりましたと心よふ
一度や二度はつかはれうち 素人と見てはるき廻し夫(それ)を
たのむ楽屋の悪(あだ)ずれ いかふ退屈したが虎遣ふかい
なんぞ肴(たつほ:さかな)はないか ヲゝ雑用場(ざうようば)で久七あげておいた それは
能は我(ぜめ:われ)も飲る(いれる:のむ)か イヤ/\おいらは六服(さば:はら)が空(そり:ひだるい)ひい飯(さいこ:めし)喰ふ(もぢらふ:くわふ)と
おもふてじや大(やつかい:おほきい)な菜(あて:さい)じやな テモえらいとちりものじや鼻(はな)
杖(づえ:はし=鼻杖)がない イヤ是助右(すけえ:よい)新田(しんでん:おとこ)大義ながら鼻杖とつて来て
くだあれ其次手に香物(ごろた:かうのもの)と塩(ちうぜう:しほ)も磁器(としき:ちやわん)になりと入れて
来てくれいと いふほどの事がてんゆかず長崎の十禅寺へ

往たやうで訳のしれぬを雑用場で聞合せ持はこぶ
丁稚役 にくいやつらも此身のさびどふぞせんぼを覚へたい
ものと心を付て推量してみるに りんだもぢらんかと
いふを何じやと見れば 蕎麦くふこと 朝のとろけは止めて
ほしいといふは 粥はいやじやといふ事 せぶらんかくと云つゝ
枕するからは寝る事とさとり せとかまつていたといひ/\
手をあらふをみては便事(ようじ)にいたなとおぼへ 女子の
器量のよいを見てはおかのしろが助右門といゝ わるいは
助四郎といゝ 子供を えご 婆や年よりの見物をみては
けふのたまりには とちへもんと よりとばつかりと云い 客を
さしてきんちやく 女房を見てはやんま 皆それ/\に


10
わらい事はおぼへよく りしませんこともついがてんがゆき 播州
から備中の宮内へたゝきまはるじぶんにはもう悪(あば)ずれに
なり 宮内から宮嶋の市をあてにおひだきの太夫
かゝへ是までの損入合す 芝居仕のまんが直ると楽屋が
いきり出し 昼夜たゝき詰に座中大につかれ なあんなり
と不時(ふじ)が入てやすみがれかしと芝居仕の損はかまは
ぬいけ/\三八場朽(ばくち)と宮事が音売七分にかゝり今は
四も五もくはぬ文五郎 とふ/\゛打こけて浴衣一枚丸裸
ねるもねられずいつものこと酒になりと酔てたやせ
と一滴ならぬにむちや酒があたつたやら大腹痛 こたへ
られねば便事場(ようじば)へはしらんと雑用部屋の勝手は

まつくろ とまり妻の嬶が枕元腰ののされぬ痛みをこたへ
そろり/\と四つばひのごそつく音に嬶が声 誰じや/\
とけたゝましく夜這とまちがひしとがめやう おれじやと
いふもいはれぬはらのいたさそつと立ふと背を伸した
所が 棚の端天窓(あたま)でぐつと突上る拍子 釣木のかはり
縄がらみの棚 縄が切れたかはづれたか皿鉢膳椀
ぐはら/\/\ 南無三宝とびつくりしながら棚のはし
両手でしつかとさし上胸だく/\ 嬶は寝ながらむくりを
にやし盗人猫めが又うせて何もかも打めぎおるか エゝ
あほうらしい宵には楽屋の衆が悪じやれでねられず
そとへとろ/\ねてるとどう猫めに又おこされ 今夜は


11
なんたる晩じやほんに芝居の衆ほどあつかましいものは
ないと ぼい/\いゝ/\さぐりあたつた箒にて棚のあ
たりをばつた/\ たゝき立られにやんともいわれず 體に
くしや/\箒のさき 顔をしかめ身をちゞめ腰をよぢらせ
よけんとして棚のはしかゝへた両手がゆるめば皿鉢
ぐはら/\ まだおるか/\とたゝき廻され両方がくら
がり あちらへ身をよけこちらへすかしわる身のあん
ばい我ながら初手のびつくり今のおかしさ笑はれはせず
今更に おれじやともいはれぬは宵に夜這に来た者
かと思われまいが気のまわり 腹いたはどこへやら褌一つで
中腰になり 天窓(あたま)と両手で棚をつつぱり気を大にと

息をつめあまの邪鬼の作り物夜のしらむのを待かねし
も ふまんな時はすることなすことあほうらしいとおかしいで
うさをわするゝ旅芝居長ふはもたぬ手がしびれ取おとす
棚はめり/\ぐはた/\/\ いつそのやけでしびれた足
ちんがちが ソリヤこそ夜這じや盗人じやと嬶がうろ
たへ浴衣(ゆもじ)よ帯よと乱さわぎ 思はず吹出す大笑ひ
楽屋も起きてこけ笑ひ噺の種に成下る 是ては
つまらぬ宮嶋からすぐに下の関ににじり込新物の
節(ふし)を太夫におしへ座敷/\とかけまはり 銀子はたまら
ねど夏冬の衣裳(ぎら)自由になり場朽止めりや宮事の
鑰(かぎ)にかゝる下の関 せん方つきた思案は女郎つれて


12
欠落便船の追風(おいて)に命から/\゛古郷へ帰り 親の内へわび
ことも女房つれてはいかれもせず 根が器用からの野等マア
けいこやと出かける 連中達者に弾くと評判まはり四条の
義太夫座から相談にかゝる なんなと取付折幸い師匠の苗字
もゆづりうけ弦沢運蔵(つるさわうんぞう)と表(ひやう)づけも初手から黒人(くろと)脇三絃
音(ね)じめも馬の屁かぎ顔 せんぼつかつて地の太夫をちよぼ
くり段切の節付はこつちまかせ太夫の咽に合やうにえこぜ
ぬ新節鰹節の太夫ども運蔵ならでともてはやす 藝は
身を助るほどの零落も俄にぐつともち上る髪のわげ
やゝ共すると撥で三絃の皮ばた/\/\弾くのではない
たゝき立るに太夫もひい/\追立られ咽のえぐなる

ほどわめきからし息もぜり/\コレ運蔵や 浄るりと煤掃きと
取ちがへているか 其やうに畳たゝくやうに三絃に煤はないわいの
と 声がないからしんどいあまりいらひかけても ヘン何を声
なし共がのり地やらこわりやら訳がしれぬゆへこふいふ
節をかたりやりますと見物へ聞かすため弾てやるのじや
それ程おれが弾のがいやなら三絃弾に丸でふし付て
もらはぬがよいと一口にやりこめられ 是にはちつと太夫
も閉口それでも三絃は太夫の下につかねばならぬ夫は
昔の太夫じや今では三絃が上に直らねばならぬ そんなら
太夫よりさきへ三絃かゝへる法があるか 又三絃に節
つけさしてかたる太夫の法があるかと互に力み声


13
山上るあらそひ今に止(やま)ざりしとの取沙汰/\  

 ②声なしの浄瑠璃は当世物真似の段
浄るり繁昌すれど太夫なり 太夫あれ共声なし 昔
太夫はのり地語れば道頓堀の川向ひへ聞え 往来の
人立留り其妙音を感ず 今はせめて芝居の表
までも聞へはまだしも東の三間めのさじきへ
聞えかね 何を語るやらきばるのやら三味線がぼん
/\聞へるばかり 其くせ御簾ごしに牀(ゆか)の内を
見るに大肌ぬぎに三つ組の腹帯二重廻し 両肘
はつて頬からおとがいへし付け力みかへつて顔まつかい
にしやぎつている体 見てくればかりけたゝましく

声は家鴨しめ殺すやうでどふしても出ぬ声は出ぬ
とあきらめて太夫を止(やめ)たいものなれど因果のつく
ばひにてなりたはるもことはり 声がなふても給
金はあつはれ名太夫ほどゝ取もする又芝居仕もやる
事じやとおもふてかゝへるも今ではなれことなり
太夫もそろ/\見物の声がかゝる段には我場を
つき作者をこまらせ そればかりかどふいふ意味で書
こんだやら訳も差別(しやべつ)としらず文句を書直し 斯(かふ)
いふ文句で語らるものか節が付らるゝ物かときはまつ
てある節付るやうに作者をへぼくたにして悪語(あくたい)
きり 其くせふしは三味線弾に付けてもらふて


14
我が付た顔で語るもおかしいと作者仲間でわらひ
たがひに喰合(くひあひ)そしりあふが此谷のならはせなり 爰に
大坂北浜に江戸積(つみ)の酒屋藤(とう)右衛門とてこくめい
仁(じん)親のゆづりの跡式商売に脇目もふらず 精
出したる功には親の代に入置し家質(かしち)もぬき 其
うへ抱(かけ)屋敷二ヶ所買もとめ何くらからぬ中に
一つの苦は倅藤次郎 浄瑠璃にこりかたまり
昼夜脇ひら見ずに稽古屋ばいり それも親の
心では銭遣ひおろふよりましじやと当座は見ぬ
顔 しやうがせまいが一心不乱 後には留(とめ)太夫の弟子
となり太夫名(な)が付きたさ楽屋ばいりも師匠

見舞は付けたり牀へ上つてかたつて見たいが鼻あぶら
にぬらつき そゝりあげるが楽やのならひ 元より素人の
判官也よつてたかつてすりおろさんとついしやう半分
の内証はなし 今の太夫はみな三味線弾が節つけ
ねば節といふものは一口も得かたりません おまへの
声で牀へ出ぬはおしいものじや おちよないではない黒(くろ)
人(と)にもおまへほど巧者なものはござりませんと 惣々
よつて魔界へ引込む根組 下地は好きなり調子に
のり わしも芝居へ出てみたいけれど此声で
はどふも太夫とは ハテやくたいもない今の太夫
声のあるは二人か三人 其替り声のある太夫


15

ふしを得語らぬゆへ聞てはおもしろいやうなれど
素人がたが稽古してはねからおもしろない それで
町の稽古やでも又往来の人も一口も語りません
又声のない太夫はむつかしいふしを私共がつけて
さみせんの間で声をたすけるこんたんして遣(やり)ます
それを口まねしてかたるやうなもの おまへの器用
では天晴大将に成事は安けれど縁なき衆生
は度しがたしとこそぐるやうにそやされて サア
わしも太夫に成ては見る気いづれもの引廻し
で此跡の替りから芝居へいれてもらはれまい
か それはいと安しおまへ様がおるといふたら

マアかはり浄るりの花になるといふもの そんなら本
間に出るお気か ハテ一かうおれは浄るり語りになる
気じやて それ聞たら相談いたそと早速一座
芝居仕へかくとはなせば 幸の事そこへ取付て
銀子四五貫目ふづくり出されまいか それは大かた
出しさふなもの此答へはいりたがる性根では五十両
十両は出しさふなものと なんなりと付こむ商売
さま/\゛模様をつけて芝居へすむ約束に極まれば
銀子(かね)出ささふと芝居仕がはひつくばふておまへ様
地仏堂であしらはれ わるいこと聞やうにもなし
いつでもこんなものと嬉しいが七分見てくれが


16
三分友達中へもふれあるけば だまつてもいられず
と進上物のこしらへ北浜の事其はなあかさくつ
すり儲けた景気の幟 酒屋から出たといふえんにて
酒本砂太夫と白上りの染込のほり 大幕から
水引幕芝居の表は五十俵百俵積み物山の
ごとく皆砂太夫様贔屓よりのさし札にぎはしく
見るたび聞たびあんまりのうれしさ動気のうつ
はかり 初日三日まへに銀子三貫目入用なと付込
での無心 彼三味線が相槌手代が折入て頼にくる
いやとはいはれぬ義理詰 勿論はじめて出る芝居が
もめては外聞がわるいと心得しが向ふの付け目

まだに息子の事内の銀子より人のかね どふやら
こふやら才覚して証文とつてかり引もとふ/\゛初日
も出て我場に成つて胸だく/\ そふぞはたかね
ばよいがとおもふ心を三味線弾がのみこんで 気遣ひ
なことはござりませんきつと落(おち)はとらしますと
引立るもかねまいた徳 夫を力にかたり出すと
けふ一日ばかりほめに来る朋達(ともだち)連中 砂太夫様/\
にない声もみあげ 火をすつてしたぎりなん
にも聞えぬながら命から/\゛役場を仕廻ひ 牀
より下りると楽屋へ連中が来てめでたいと云て
くれる 芝居仕はかねかつたついしゃうに見廻に


17
来て御苦労様と汗を入さすあいさつ 三味線
がたはとりまいてすりおろそふとおだて上られ
有頂天に成り こふいふおもしろい商売が外に有
かとよい子にしらるゝ事もしらず黒羽二重に黒
ちりまんの羽織着て楽屋入給金といや鼻
紙代(しろ)と名付一年に金五両 百目小判にしても
高のしれた給金 渡世にしては水ものまれぞ
しかし妻子養ふことに気の付ぬ間が芸者の花
と知られし 扨藤次郎が芝居へはいり砂太夫
いふこと世間ひろく そこの手忘れ爰の節ふる
まひにどふぞ来てくれと頼みに来る もとより

望んでも行たい見てくれ 浄るりから取入後家を
くひつかせ嬪娘のつまみぐひたゞは通さぬ貰ひ物の
山 嬉しうて/\夜もねられぬばかり 此事一家
に誰しらぬものなけれど親藤右衛門仏性(ほとけしやう)にて
打すぎけるゆへ一家立より 北浜で知られた江戸
積屋の息子が浄るり語りに成といふも外
聞がわるひ一異見せんとて 親藤右衛門にかくと
しらせければ大に驚き藤次郎を引付お定まりの
異見聞うちもはや節付して 無理とはさら/\
思はねども是ほどにまでおおふているわたし
が胸を推量してどふぞ堪忍してやつぱり


18

f:id:tiiibikuro:20191215130158j:plain

九郎ほうぐはん よしつねどのは アゝ

よふおやぢさま 
 でき まする ぞ 
おやだま/\

につた けいづ 
すみ よし 
まつり の段


19
浄るりかたりにして下さりませもすぐに文句 染
太夫ぶしにて詫言すれば一家も興さめ親は気
のどく聞ぬ顔にて念仏で紛らかす 藤次郎
は調子にのり 其念仏がむつかしい親父様は水
調子なれど浄るり音(おん)がない それでは菅原の
三詰の念仏はゆきますまい ちよつと此やうな
ものと頬に肘はつて なもあゝいだあゝ/\と
おねくり廻れば 結構親父もむくりをにやし たわけ
ものめがいづれものてまへも面目ない おのれは一向
気ちがひのさた異見して直る性根とは見えぬ
異見せぬ替り勘当じや出てうせうと にがり

切て立んとする袖をひかへてまつた親父様 親が子に
勘当するは身代滅却せうかとちいさいしわい心
から尤とも思はれふが 此藤次郎は先祖の家名(かめう)を引
おこしおまへの名まで上んとおもふ心よりおもひつい
たる浄るり語り 虎は死して皮をとゞめ 人は
死して名をのこすと小栗判官がいゝしごとく
人は一代名は末代芸者と成て名を上るば此
身の幸親への孝行 それを御存じない親父
様でも有まいといふを云さず まだ/\たわ
けを尽しおるか名を取ふより徳をとるが当
世じや 其上浄るり語りはろくなものゝする


20
商売ではない身代がならひでしよう事なさに太夫
で候と祝儀取て座敷へはいつくばい 其証拠はおのれ
/\が芸をじまんし 人が誉ればよい事のやうに
天王寺の百姓が太夫になつて受領するをおこの
山におもひ それを羨しがり日雇(ひよう)が俄に太夫
号つくか夜番(やばん)じやの綿打じやの魚屋芋売
までが太夫に成り 息筋はつてしやぎるまね
せいでも仕馴た酒商売精さへ出せば楽々に
渡世すると 半分聞ず膝立直し すべて芸
者又は名を上る者は氏素性によるべからず
唐土(もろこし)の韓信は推下(すいか)に釣せし卑賤(ひせん)の壮子(おのこ)

漢家(かんか)を補佐して四百年の基(もとい)をひらき其身も
ついに大元帥と成りし例(ためし) 近くは此下東吉
さうりをつかみし人なれ共終(つい)には古今無双(ぶさう)の
出世人は其身の藝をもつて名をいやしむべからず
といふ事を知り給はずやと 浄るりの引語(ひきこと)を直ぐ
に物がたりのふし付居だけ高に詰かへる 親父
莞尓(につこ)と打わらひ 夫ほとおのれがきばり出す
太夫ぶしで家内大勢くらされるか施(せ)一切
女夫に下女一人 給金といやこちの杜氏ほどは
得とるまい 牛の寝たほど取るといふのが一年
に五貫目か六貫目 夫(それ)が何に成ものでと 歯


21
ぐきかみしめ切羽せかれ サア/\それもおまへが不算用
ハテなぜとおつしやれ百貫目弐百貫目元入(もといれ)てする此酒
商売なんぼうたをされたやらしれぬ利の薄い商売
に望性(もとで?)切込ふより躰一つでたゞとり山 ちいと評判が
まはると立身は仕次第 そこへお心の付ぬはまだ算盤
にうとい/\ いふな/\おのれがなんぼう口利(くちり)口中
いゝまけても浄るり語りが声がなくて立身
はなるまい/\ そこが素人じや手をよふ書きや
寺子や仕やせぬと
いふと同じ事で 声がなふても
太夫になられる ふしの巧者と声のつかひやう昔
は声に節あり 今は節で声をつかう そこらは

なんとして/\こふ並んだお衆に訳しつた方は一人
もないと其道にこりかたまり中々聞入れる所
存なければ 惣々あぐみはて 此上はしよ事がない
望の通り浄留理かたりになつたがよい 此後わが
うちへ足ぶみ叶はず立てうせうと其座から
直ぐにぼいおされ 立(たち)はにまよふぬれ鷺のとやつ
ぱり浄るりかたり/\いづくをさしてゆくぞ共
問れぬ義理もへちまも其身其まゝとふ/\゛
芝居の谷へ落入り 給銀取らねば喰へぬやうに
なるが相図もうなすびじやとみて座中がよつて
かゝつてつき廻し そふかたつては人形がつかはれ


22
ぬ きつい下手じやと手摺からくい立る其音(おん)で
は三味線の坪に合ぬさすが素人じやと直下に
見られ おのれやれ天晴の太夫に成て見せう
と胴より肝は不敵者 二三年旅で修行と
おもへ共今の旅は修行にはならひで突廻され
にゆくやうなもの とかく声がなふても見物の
うけをとつてよいよ/\の声さへかゝれば
立身はひとり出来ると工夫をつけ 毎日
楽屋入を早ふして手摺の間(あひ)から桟敷を
見廻し 近付と見てはやにわにさじきばいり
して太夫/\と贔屓をうける上手者 初日は

もちろん腰かゞめて場中(ばぢう)をあるき砂太夫でご
ざるといはんばかりのおちよばい へんねし仲間が
口々に そりやこそ桟敷まはりのなり上り殿
あれを見い/\と指ざしして笑(わらう)人ども ちつ
ともおくせず何をぬかすやら大根売や日
雇(やう)の小せがれからなり上つたといふはおのらが
こといふてもおれは造り酒屋の息子浄るり
かたりにはなり下ッたのじやと口がしこひあく
たいに 楽屋の者共物まね浄るりが何に成ふ
ぞ たいこをもつがしやうばいでそこで初まね
かたるかい ハテそれでも見物が砂太夫様と云て


23
くれるが給銀じやと元気ばるも当世 太夫
声にはよらぬ見物のうけばつかりをあぢいな
穴をさぐり浄るりの本意をうしなひしは
残念/\

当世芝居気質巻の一終

 立身銀の蔓(りんしんかねのつる) 

 ひらかな絵入 全五冊
 作者 永井堂亀友

 一心にて銀(かね)の蔓に取(とり)へき出世したる人々の
 てだてをつゞり当春新板出し候御覧可奉下候