仮想空間

趣味の変体仮名

生玉心中 下之巻 嘉平次おさが道行  

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     ニ10-00182


47(左頁)
  嘉平次おさが道行  下之巻
なむあみた/\ なむあみだ仏なむあみた/\ なむ
あみだ/\ なむあみだぶつなむだみだ/\ 南無阿弥
陀仏を頼ても 西をうしろにあゆみ行極楽浄土に
そむく共 りけんそくぜと聞時はしする刃(やいば)もみだの
えん なむあみた仏の声ほそく 心ほそさや 来世迄
かう手を引て行く事か もしやはなれはせまいかと引


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あひし手を引よせて なをだきしめて泣つくす けふ
の祝ひのあやめの露も われが袖にはうれはしやつら
端午の紙のぼり 神にも世にも捨られてしやう
ぶ刀のきつさきに かゝるちぎりの悪縁と 返らぬ道を
たどり行 涙の雨に星きへてかはいひそなたいとしい
殿御 顔も見せぬか五月闇命も世をも我身をも
今ひと時にほりづめの あれ井戸にもめうと有はいの

そちもいもせはかはらねどこちは釣瓶のなはきれて よこに
きれゆく道筋の是六道の新道と花屋が辻にしよんぼ
りと うき数々を今宵しも かぞへつくして 下寺町の 後(ご)
夜のひゞきも身にしみ/\と 今ぞふたりが一生の夢の
ねざめを松屋町 是がてゝごの通りかや我が生れも此筋の
親兄弟も此身とはしらで夢をやむすふらん むしびとめ
てもとまらぬは わしが人玉生玉坂の 草にやつるゝ白露


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をあこがれ出る玉かとて ひろへばきゆるはつほたる夜は
思ひにもゆれ共 ひるは名にをふ遊山所の きせんくんじゆの
だてくくし人をいさめのげいづくし 茶屋が藁屋の軒つゞき
竹の柱にふしこめし けいこ浄るり太平記 琴のつれ歌引
かへて松にはげしき 雨風や我は初音か時鳥 めいどの友と鳴き
つれて いとゞしほるゝたもとかな それ覚えてか此春の 花の
紋日を此床で二人ねざめの小盃そなたま一つおれ一つさはる

手もとに万歳が あいもきやう有相の山花は ちりても 根に
返る人は かへらぬ死出の山 しゝてかへらぬ 道ぞとは今のうき身を
うたひしか 三途の瀬戸のやき物づくし 親は堅手の茶碗と茶
わん 我疵付て我と我名をやながさん恥しの 我が噂も明日
よりは 歌さいもんを身の上に (サイモン)坂町辺のな通り筋 柏屋内におさが
とて 年は廿の ヨイ花ざかり 客衆/\のあげづめを かすの貰ふの
いとまなきつらいつとめの中に迚 ふかい願ひは一つ屋の 嘉平次ゆへに


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身をはめて かはるまいとの七枚ぎしゃうかいて 二人がとりかはす
小ゆびのちしほ 杉原におして心をみかきもり 衛士(えじ)のたく火と
品かはるかの小林がまひ扇 是も浮世の形見こそ今はあだなれ
松かぜや 無常の風も立さはぐべんざい天の鰐口の 鰐の口よりお
そろしき 追手の声のあれ/\/\ おはへて爰に北向きの 八幡宮
燈明もをのれとしめり行先は ざいごうの程思はれてかしやくおそろし
鬼おどりの 寺の藪垣物すごく 身をふる はしてぞ立にけり

さがは涙にゆきやらずのふ夜明に間も有まいが どこで
死なふと思ふてぞ ヲゝ馬場さきの松原をさいご場と心ざし
来事は来たがあれ見や 星さへ一つない雨空 たとひきれ
いにしんだり共血しほのからだを雨にうられ むさいきたないしに
顔と笑はるゝも口おしい 此茶見世をさいごばに極めんと
羽織打しき座を組めばともによりそふ座のうへ サアゝ今がさいご
ぞや りんじうの一念はむりやうこうを引といふ なんにも心に


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かゝらぬの アゝくどい事 思ひよふたこなさんと一所に死ぬるわし
じやもの うき世の本望とげたれば 思ふ事もくやむ事も
露程もないわいのと いへはひらは猶泣出し そこをいはふといふこと
今しぬる今迄も我は親の顔を見る 親兄弟の事斗いひ
つゞけて我はしぬるぞや そなたも父母持た身けふか日のさいご
迄 父共母共いひ出さぬは我にみれんを見世まいため たしなみ
ふかいそなたじやと思ふて涙がこぼるゝと かたれはさがはわつとなき

忘れていた物ひよんなことかゝ様ゆかしうござんすと 男にひた
と取付て声の下行涙のながれ袂に たまる哀さよ ヲゝでかしや
つたいふてしまふはさんげの一つ つみをたすかる種共成 サア夫婦が
親の事いふ其詞をめいどのいんだう 一時もいそがんとこおhりの刃
するりとぬき すでに血しほと塩町のはたけづたひにあれ誰
やら なむ三宝見しりの有柏屋の灯燈 サアすんぜんしやくま
いかゞせんとうろたゆる さがはかしこく茶見世のかこひ よしずひ


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ろげてぐる/\ぐる 平もぐる/\ぐる/\まきに ふたりすま
きのいもせ川 ながれのちえもさいかくも今宵かぎりのうき身
かな 親方柏屋半兵衛小弁諸共方々と尋かね エゝ下主(げす)の
智恵は跡から 紋付の灯燈で尋ぬるあ無分別 さぞ小弁も
しんろかろをれも鍬をぬかした 爰でしばらく休まふと らう
そく消て立よるも をなじ茶見世の床(とこ)の上それとしらぬ
ぞぜひもなき 小弁しく/\泣出し いとしやさがさんどふしてぞ

はうばいといひ姉女郎ほんの姉さん妹と 兄弟のけいやくし
てあのさん便りにつとめたに もし心中などしてしなんしたら
わしや木から落た猿おや方さん頼みます はよふ尋て
下さんせとすがり付て泣ければ ヲゝやさしい事よふいふた 親方
の身になつて見い かはいひ斗かさがゞ死ぬると大きなたをれ
としのまはり合せで損するも有事 それはへちま共思はぬ
が 聞ぬは嘉平次 此半兵衛を男でないと思ふたか さがをつれ


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てのく手間でおれが内へかけ込 まつこう/\したしゆびで
しなねばならぬなんぎ おとこと見かけてたのむとたつた一言
いふて見い 人にもしられた柏屋の半兵衛 いやしらぬといはふか
ほんにやれ/\かざい売てもすくふ心てい 胸のとびらに鑰がなふて
無念なはい アゝ是も跡へん今いふて返らぬ事 さあ小弁 中
寺町から藤の棚 ま一へんたづねふといふ所へ 西東より大ぜい
つれ あの茶見世に泣声はさがと嘉平次 サアゝしてやつたぬかる

なとばら/\と立かゝり 半兵衛小弁にむさぼり付 死なば
嘉平次ひとりしね 大事の奉公人よふ殺さうとしたなあと たぶ
さ取やらひつはるやら灯燈あげてかほと顔 ヤア半兵衛でないか
町の衆か エゝゆふちやうな人にせわをやかす事じやないわい さがゞこと
を仕出せば損といひ大きな町のさはぎじや サアたて/\ いかい皆
のくらうじや 草臥た上に小弁がめろ/\なくので共に気が
落て来て 少爰でやすんあだ どうでこいつら死のふはい つんと


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足がすゝまぬとかへるかしはやとゞまるかしは 命枯葉の夜嵐に
又東西へぞ別れける 人影なけれは嘉平次も さがもよしづほどい
てためいきつき 今のを聞てかきゝやつたか 半兵衛が情の詞
エゝ男じや過分な 小弁がやさしい心ざし 忝いと嬉しいと むねに
あまれば声にもるふたりが歎きぞ至極成 アゝ何のかのと隙(ひま)どる
程涙の種 サア今じや念仏申しやと引よすれば さがはわつとなき
出しまちつと/\まあ待て下されとぜんご ふかくに取みだす 待て

くれとはいのちがおしうなつて来たか アゝ今になつてあ
いそづかしいふてくだんす いのちおしいほどなら高で身を
うつこともない あひはじめてけふが日迄からすのなかぬ日は
あれど かほ見ぬ日もなかるたにしぬるこん夜にかぎつ
てかほさへ見えぬ雨そら みらいのくらさが思はれてそれがか
なしうござんすと なげゝば男もなみだぐみ ヲゝだうり我とて
も こんじやのうのなごりま一度かほも見たけれど ともしび


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とてはなつくさにせめてほたるのかげてもほしい ヲゝおもひ
あたりしと小石ひろふて脇指の 鍔を火打の石の火のひかりまつ
まのいのちのたのし さげをのふさのしげ糸を ほくちと
なしてかち/\/\ かつしと打てふき付る 火かげもいきもか
すかにてたがひに見かはすかほとかほ ながいわかれになつたかと
わつとばかりにすがり付大こえあげてなげきしはことはり せ
めてあはれなり すでにあけゆくからすの声なく/\胸

をおしひろげ サアなんにもおもふ事はない ヲゝでかした/\と
ぬいたるわきざしとりなをし なむあみだぶつとさし通せ
ば うんとばあkりのりかへる ぐつとえぐれば手あしをもがき
又さし通せば身をもだへえぐり くり/\めもくるめき しや
ばに出るいきたへはてゝ ついにめいどに引入たるあへなきさい
ごぞ「あはれ成 死がいをつくろひ血がたなよつくをしぬぐひ
おなじ刃と思へ共まもりにせよとのおやのゆづり 此刃(は)に


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死するはさいごのすかう 二世迄ふうふかゝへおび ちぎりは
先の世々迄もkさぬる床(とこ)の竹すがき 死に顔見せじと
おしつゝむはをりもそらも黒は蓋へしやうぎをがはとふみ
はづせば いろもへんじてめくるめきたちまちいきはたへ
てげり をしや五日のはなしやうぶはなのからだを血
にそめて こひのやいばにふしみざかの世かたり とこそ
なりにけり

   (おしまい)

七行大字直(じき)の正本とあざむく類板世に
有といへ共 又うつしなる故 節章(ふししやう)の長短 墨譜(はかせ)
の甲乙(かんおつ) 上下あやまり甚だすくなからず 三写烏焉(うえん)
馬(ば)なれば文字にも又遺失多かるべし 全く予が
直の正本にあらず 故(かるがゆえ)に今此本は山本九右衛門跡重
新たに七行大字の板を彫りて直(ぢき)の正本のしるし
を糺せよとの求めにしたがひ 予が印判を加ふる所左の ごとし

      竹本筑後掾卅三
     正本屋 山本九伊兵衛版
大坂高麗橋壱丁目 山本九右衛門版