仮想空間

趣味の変体仮名

伊賀越道中双六 第三 円覚寺の段

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       浄瑠璃本データベース  ニ10-01451

 

 

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  第三 円覚寺の段

されば沢井股五郎行家を討て立退くより 直ぐにかけ込円覚寺 門戸を閉して関近藤海田荒川

沢井を始 皆昵近の若殿原 若し上杉ゟ寄せ来る共引きはかへさし弓鉄砲 仏の説し法の庭平等大會(え)に引かへ

て 修羅の衢の大評定方丈せましと詰かけたり 股五郎一礼し 物数ならぬ陪臣の拙者 城五郎殿は一家

の好(よしみ) 其縁に連れ御歴々の昵近衆 御かくまい下さる段 身に取ての面目此上なし 憚ながら主人上杉憤り

深く 拙者が母を人質に取へ置き 股五郎を渡さすば 母を成敗するとの難儀 我故に一人の母を殺すも

 

 

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不孝且は好もなき昵近方 斯騒動に及ぶも気の毒 やはり拙者を上杉へ御渡しなされ下さるべしと

邪智を隠せし賢人顔 野守之助進み出 何さ/\其遠慮には及ばぬ事 此度我々か加担するは

お手前の為斗でない 上杉には此方共年来の意根有 武将の御先祖尊氏公より譜代相伝の昵近

武士 元弘建武の古へ 尊氏公に粉骨を尽し 忠義を励みし我々か家筋 上杉を始其外の諸大名は

籏色のよきに従ぐて 降参した腰抜の家筋 我は顔に高禄を取り 昵近衆を蔑ろに軽(かろ)しむる日頃の存

外 ことがな有と思ふ折節 お手前をかくまふたは 上杉に恥を与へる為さ 案のことく上杉此事を憤り 追

付是へ押寄んと 軍評定最中の由 今太平に治つて茶の湯遊興に日を送り 鎧兜の着様

 

も知らぬ国大名 何程の事有ん ヲゝ野守殿の仰のごとく 日頃ヶ様を事を待受 武芸鍛錬の我々一ま

くりに蹴ちらして昵近武士の意根をはらすは今此時 敵方ゟ寄せぬ先 此方から逆寄せにして上杉に泡吹

せん ヲゝ尤と立騒ぐ 城五郎押止めアゝ暫らく/\ 某が所縁有股五郎をおかはい有何れもの御深切忝し

去ながら 行家を討たる事の起りは 此城五郎か頼みし事 其子細は此度武将の公達 御任官の御祝儀

に付き 諸大名ゟ名剣を献せらる 然るに行家が家に 持伝へし政宗の名作有 主従の事なれば上杉

是を取て献上すべし 左有ば弥上杉が鼻高く 威をふるはん事心外至極 何とそ此刀を奪取て某が手

より献上すれば 我は勿論昵近衆の手柄にも成れと存じ 股五郎に云ふくめ 行家めをぶち

 

 

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殺したは 政宗の刀を取ふ為斗思ひの外此刀行家めが手にはなく 佐々木丹右衛門が預りおる由 股五郎を請

取たく 老母鳴身が命を助け 并びに政宗の刀を此方へ渡せよと 難題の使者を立たれば此返事の

有迄は暫くお控へ有れよと 云間程なく馳来る門番の歩(かち)の者 佐々木丹左衛門ゟ今朝の御返翰(かん)と 指出す文

箱を城五郎 封押切て一通を さら/\と読み終へり ホゝウ城五郎が思ふつぼ 股五郎をお渡し有ば 母鳴見が擒(とりこ)を

赦し 政宗の刀を遣はすべし 追付二品共丹右衛門持参致さんとの文言 後刻御出を相待居ると 口上を以て返

答せよと 蓋引しむる明文箱 取ゟ早く走り行 イヤサコレ城五郎殿 一旦かくまふた股五郎今更のめ/\と

上杉へ渡し 夫で武士が立ますか 我々も其意得ぬ貴殿は上杉が恐ろしいか 臆病神か取付いた

 

か 卑怯至極と詰かくれば 股五郎押しづめ アゝどなたにもおしづまり下されい イヤ城五郎殿 拙者が命はおし

みはせねと 武士の意地を立てぬく貴殿が 今に成てふがいなく 上杉へ渡さふとは エゝ聞へた 行家をぶち放した

斗て お頼みの政宗手に入ぬ御立腹 夫故でござるな イヤサ左様の事でない 今合戦に取結ぶとも 只世上を

騒がす斗 望の刀が手に入ねば 無益の沙汰 一旦和睦に事を納め 母の鳴見と政宗を請取た上

お身に縄打て心よく相渡し 使者の帰りを思ひがけなく 多勢をもつて引包み奪返す我工夫 いつれも

必隠密/\と 聞て皆々勇立ち 誠に智謀勝れし貴殿 左様ならでは叶わぬ所 然らば各々其用意と騒

ぐを抑へて アゝ先待れよ 謀は密なるを以てよしとすれば 某が詞を出す迄 いづれもお扣へ下さるべし

 

 

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股五郎が後の災い免れさする究竟の 忍び所は九州相良 密かに落す用意万端ナニ呉服屋十兵衛

是へ参れ ハツと答へて次の間ゟ 小腰かゞめて並居る中 おめず臆せず畏り 股五郎様のお身の上

委細とつくと承はりました 城五郎様へは 数年来お出入の渡し 相良へは商ひに毎年下る道案内 見

込で頼むと大切のお供 畏つたは商人冥加 多年の御恩報じなれば ちつともお心置れますな 町人でこそ

有心は金鉄 二人や三人は苦には致さぬ 腕に請合けちりんも 掛値は申さぬ呉服屋が めつたに引け

ぬ太り地の男一疋頼もしし 股五郎片頬に笑 扨々気味のよい男 敵持ちの供すれば肌刀は放され

ず 行家めを仕留た時コレ見よ 弓手に二ヶ所の疵忽治したる此薬は 城五郎殿の家に伝はる 南

 

蛮国伝来の妙薬 身共を道々の人々へ いづれも是を懐中さする お手前もまさかの用意 此印籠を預ける

が股五郎が一命を頼む印と手に渡せば 是は/\結構なお薬でござります 怪家と病気は何時知ず 道中の肝心と

取納めたる折こそ有 又もかけ来る遠見の者 上杉の使者佐々木丹右衛門 網乗物一挺供はわつか三人只今門前迄 ヲゝ

よし/\ 云付しことく門を開き 随分神妙に取はからひ此所へ使者を通せ ソレいつれもは裏門より先へ廻つて待伏の

用意/\にはやりを武士 我へ急ぐ裏門口 股五郎は十兵衛を引連れ奥へ入にける 琴を弾じて敵を避け 窈窕(えんてう)とし

て檻穽(かんせい)の謀もや有らんと心赦さぬ丹右衛門 使者の礼儀の上下も四角四面の方丈へ網乗物を舁入れさせ しつ/\

と打通れば 城五郎威儀繕ひ ホヲ聞及ぶ御辺へ佐々木丹右衛門とな 今日の使者大義/\今朝も送りし

 

 

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通り 武士の意地によつて争論に及ぶといへ共 かく静謐に納りし代(よ)に私の遺恨にて合戦を

取結ぶは武将への恐れ有 罪は罪成股五郎 望に任せ渡さんなれは此方ゟも望しごとく政宗

刀 并びに老母鳴見が事上杉殿ゟ 定て送られつらかんずな ハア成程/\主人上杉顕定怒りの元は股五郎

一人逆磔の刑に行ひ国の政道を正すべき存念 股五郎だにはお渡し有は外に嘗て子細なし 則是こ

そお望の政宗并びに老母を誘引せり イサお改め下さるべしと 箱に納し持参の刀取出せば手に

取上 切先物打鎺元(はゞきもと)とつくと改め鞘に納め ヲゝ聞しに違はず天晴名作 慥に落手と引さげて

立上る丹右衛門引とゝめ アゝ麁忽也城五郎殿 股五郎を是へ出し 老母と互に取替ざる中 むさと刀は

 

お渡し申さん サア解死人股五郎に縄打てお出しなされ アゝ近頃我儘千万と眼を配る勇気の

面色 ヲゝ実尤是は身共が麁相 然らば刀は暫くそれに追付解死人へ渡し申さふが 先其方の囚人

老母鳴見が替らぬ体 ヲゝ母に科なれば最早縄目にも及ばずと 乗物の網取払ひ引出す

姿縛り縄 子故に科を身に老の恥と 鳴見が憂思ひ是非も縄目をほどき捨 丹右衛門母に

向ひ 子息股五郎を此所にて請取上は 其元が命を助け城五郎殿へ渡すべき旨 今朝殿ゟ仰の

通り弥承知成へしと 聞て鳴見は顔を上 誠に伜が不所存故あなたこなたへ御苦労かけ 憎いやつとは

思へ共 天地の間に親一人子一人の股五郎 未練共卑怯共笑ふ人は笑ひもせよ どふぞ助けてやりたいと 思ふが

 

 

21

親の身の因果 御主人へ対ては不忠者の躮なれ共 母が命を助ふ為 縄かゝつて出よふといふは 此親

には孝行者 老年寄や此母が詮ない命生延て我子が刑罰に行はれるを 詠めて何の嬉し

かろ お情返つて恨めしい アイ股五郎此母との様な憂目に逢ふが殺されふがちつ共構はぬいと

いはせぬ 必定出てくれなよならふ事なら此ばゝを 替りに殺して股五郎が命お助け下さりませ

悪人でも産た子に違ひがなければいぢらしい お慈悲/\と恩愛の子故に迷ふ憂涙 とゝめ兼

て見へけるが アゝ思へは誰にも恨なし 此科の起りといふはよしない刀に念をかけ成敗に逢も名作の

劔は我子の敵そと云つゝ這い寄棒鞘を ずはと抜手も見せばこそふえのくさりをかき切たり

 

是はとかけ寄城五郎 佐々木も仰天乗物へ 手負を打込しつかと押へ 城五郎に目を放さず底

意えおさぐる碇(いかり)縄 又も大事と見へにけり 沢井わざと空とぼけ コレサ丹右衛門 契約の通り鳴見

を受取申さふかいいかにも科人股五郎を受取かはり 母が命は助くべしと契約は申されど 御覧の通り只今老母は自害致た

併此方の手で殺しはせず我と我(わが)てに相果たは某が存ぜぬ所 だまれ丹右衛門 かくまふた股五郎を了簡して

渡すは何故老母を受取ふ為斗 親の命を子にかゆる大切の鳴見なぜ殺した 元のことく生て渡せ

左なくは沢井股五郎もいつかな/\渡しはせぬ サア老母を早く請取ふサア何と/\と詰かくる 丹右衛門ちつ共

騒かず 鳴見が自害はいふて返らず 弟子として師匠を殺す極悪人の股五郎 目の前で親が

 

 

22

死だればとて 悲しむ様なやつてなし まして縁者の城五郎殿 鳴身が最期を夫程に惜まつしやる様が

ない誠は老母が事は付たり 政宗の刀がお望でござらふがの 夫共刀は入ぬ 老母を生て返せとあらば 拙者

とても詮方なし約束変替元の白地罷帰つて此趣主人上杉に言上し一家中是へ押寄鑓先

を以て股五郎を生捕にする分の事 人非人の沢井が母 死神の付たは是天罰 軍の血祭に早くたばれと 手負いの

刀ぐつと引抜 政宗の刀の切味お望ならば御相伴なされよと寄ば切んず屹相に 肝先ひしかれ城五

郎 アゝ是さ/\丹右衛門此方ゟ事は好ぬ ムゝいか様よく思へは自身覚悟の鳴見が最期全くお身が案

ではない 刀さへ渡し召るれば云出した武士の意地さつはりと立といふ物 ムゝスリヤ股五郎をお渡し有か 渡

 

さいで何とせう元より彼も覚悟の上 ヤア/\股五郎最期の時刻近付たり 尋常に是へ出やれ

ハアとくゟ支度仕ると 返答立派騒がぬ沢井 海田荒川前後を囲ひ 其身は丸腰悪びれず

優々を座に直り 何お使者御大義 傍輩を討た意趣の元は外でない 老ぼれの和田行家 年に

めんじて立ててやれば付き上り 此股五郎を剣術の弟子などゝ師匠顔か旨悪さ 何の答もなく討放した

お身達に安々と搦捕るゝ股五郎ではなけれ共 身共故に一国の騒ぎと成が気の毒さに

命惜まぬ武士の覚悟 城五郎殿イザ御政法に行はれよとむずと座すを組手を廻す ヲゝ遖

/\其方が命一つで騒動納まる国家の為 恨と思ふな股五郎と 捕縄たぐつていま

 

 

23

しめは縁につながる城五郎 身共が潔白見届けたか丹右衛門 ハア是で主人が心も満足 扨此老

母死骸を進上申さふか イヤサ死人は入らぬ持ていにやれ 然らば科人 其刀只今取かへ請取ませう いざと縄付き

棒鞘を渡す目配り請取気配り互にきつと立別れ 是で双方意根もさつぱり 老母が死

骸は乗物に此儘屋敷へ早急げ おさらば さらばと目礼も龍の腮(あぎと)を出て行く危ふかりける次第

なり 影ほのぐらき黄昏時縄付引立丹右衛門 前後を固て行過る 思ひがけなき山門より はつしと

射かゝる白羽の矢 膝にかつきとコハいかにと 引抜く間も又一筋弓手の腕(かいな)に立騒ぎ 周章て驚く同勢

が中へむら/\物影ゟ顕はれ出たる数多の武士 物をもいはず抜連れて 家来を胴切車切切ふせ

 

/\一文字に 切てかゝるを丹右衛門前後左右に渡り合 其間に沢井を引包み何(いづく)に共なく奪ひ

行く 南無三宝とかけ行を荒手を入替たゝみかけ 既に危ふき其所へ 心ならずもかけくる志津馬

スハ一大事と抜き刀 命限り根限り火花を発す「強勢勇気 相人は大勢身は二人(にん)金鉄ならねば

丹右衛門 数ヶ所の手疵刀を杖 志津馬殿か エゝ口惜や股五郎を奪取れた 無念/\と斗かつ

ぱと伏 ハアツはつと志津馬もどうと座し よはるを付入る家来共 おくれはせに池添孫八 片

端撫切ほつちらし 志津馬かこふ忠義の働き お谷も斯と気もそゝろ 足もしどろに走り

付 ヤア志津馬は手を負つたか 若旦那手は浅いぞ コレ気を慥に/\と抱起せば イヤ手疵

 

 

24

には痛まねど 是が正気を失なはずに居られふか 股五郎は手に入ず 政宗の刀は敵へ

渡す 頼みに思ふ佐々木殿は此深手 いよ/\殿への言訳なし 運命も是限りと 刀逆手に取

直す アゝコレ待た そなたが今死で爺様の敵は誰が討 サア其敵が討たれぬ故此切腹 イヤ/\/\

何ぼうでも放しはせじと 争ふ二人 倒れ伏たる丹右衛門 むつくと起て ヤレ志津馬早まるな 股五郎

を奪取られた最初ゟ覚悟の前 政宗の刀は我手に有 すりや最前城五郎に渡されしは

ヲゝサアレハ贋物 行家殿ゟ預りし正真の刀はいつかな渡さぬ 誠の政宗 志津馬が手ゟ主人上杉に

差上 上杉ゟ武将へ献上有時はお家の誉れ 是を功に敵討ちの 願ひを立さす我工 夫とは思へ共城

 

五郎は 音に聞へし刀の目利き 贋物を突付ては受取ぬ邪智佞人 先正真を改めさせ 直様取て

鳴見か自害 乗物の中の疵口で摺替た贋政宗 誠は是にと乗物ゟ取出す切柄正銘の

極めは爰に今際の鳴身 早たへ/\の息の下 股五郎が親の身で丹右衛門様と合せ 城五郎を

謀りしは どうで非道な躮めが命は所詮叶はね共 殿様のお手に渡れば 竹鋸か磔の御成敗は

知れた事 せめて武士らしう志津馬殿と 敵討の勝負で死れは何ぼう嬉しい親心 此場を見

遁し下されとお頼申てけふの時宜 ヲゝサ老母の頼みはなく共 志津馬に討さにやならぬ敵

わざと敵へ奪取せ 丹右衛門一人か誤りに成て相果れば 月日を待て本望遂げ 敵の首を先

 

 

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生の 位牌の前と身が墓へも手向てくりやれ頼ぞと 最期の際迄師弟の義理 我故命を

捨らるゝ此大恩はいつの世に かへす/\も残念は 大敵の股五郎 志津馬が助太刀後ろ立と 頼むこな

たに今別るゝ 心の悲しさ推量有 ヤア不甲斐ない志津馬殿 丹右衛門は死する共無念の魂此世を

去らず 郡山の政右衛門こそ我に十倍勝りし達人 早々帰つてお谷殿 助太刀頼むといはず共 彼が

為にも舅の敵 違背はあらじ早さらば 此世のさらば未来の門出 丹右衛門様 鳴見殿 思へはけふの云

合せ 敵と敵が修羅の道連れ とゞめは互に一刀と 落たる刀指添を よろめきながら取上て 眼はくらめど胸と胸 差貫いたる 義

士息女敵き志津馬も深手のよはり 家来が肩に敵の囲み歯をくいしばつて立帰る心の内こそ「せつなけれ