仮想空間

趣味の変体仮名

狐忠信の段(義経千本桜 川連法眼館の段の部分)

 

5月文楽を見たら読みたくなりました。

 

 

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856281

 

 

1

大坂五行

大極

上紙 清版  版元 東京日本橋区上槇町八番地  定価十銭 

             高橋書店

 

義経千本櫻(よしつねせんぼんさくら)

 四段目中  忠信狐(たゞのぶきつね)の段

 

 

2(左頁)

  義経千本櫻  狐忠信

園原や はゝきゞならで有と

見し 人の身の上いぶかしく 窺ひ

出る足音も 静(しづか)は君の跡を

受 手に取上て引結ぶ しんき

 

 

3

深紅をなひ交(ませ)の 調べ結んで

胴かけて手の中しめて肩に上げ

手品もゆかに打ならす 声清(せい)々

と澄渡り 心耳(しんに)を澄(すま)す妙音は 世に

類ひなき初音(はつね)の皷 彼(かの)洛陽に

 

聞へたる 会稽(かいげい)城門の越(えつ)の

皷 斯(かく)やと思ふ春風に誘はれ

来たる佐藤忠信 静が前に両

手をつき 音(ね)に聞取れし其風情

すはやと見れど打止ず 猶も様子を

 

 

4(重複)

 

 

5

調の音色 聞入聞いる余年の

体 奇(あやし)き者とは見て取る静 折よし

と皷を止 遅かつた忠信殿 我君様

のお待兼 サア/\奥へと何気なき

詞にはつとは云ながら 座を立おくれ

 

て差うつむく 油断を見すまし切

付くるを ひらりと飛退き飛しさり

コハ何となさるゝぞと 咎められて気転

の笑ひ ホゝゝゝゝヲゝあの人の気疎(けうと)い顔

久しぶりの静が舞 見よふと御意

 

 

6

遊ばす故 八嶋の軍(いくさ)物語を 舞

の稽古と皷を早め かくて源平

入乱れ 船は陸路(くがぢ)へ陸は磯へ 漕

寄せ打出打ならす 皷に又も聞入

て余念たはひもなき所を 忠信

 

やらぬと又切かくる 太刀筋かはし

てかいくゞるを付け入柄元しつかと

取り 何の科有てだまし打に 切らるゝ

覚かつつてなしと 刀たぐつて

投捨れば 贋忠信のサア白状

 

 

7

仰を請た静が詮議 いはずば

かふして云すると皷追取ばた

/\/\ 女のかよはき腕先に打

立られてハアはつと 誤り入たる

忠信に皷打付けサア白状 サア/\/\

 

さあと詰寄せられ 一句一答詞

なく只ひれふして居たりしが 漸(やう/\)に

頭(かしら)をもたげ 初音の皷手に取上

さもうや/\敷(しく)押戴/\ 静の前

に直して置 しづ/\立て横庭へおりる

 

 

8

姿もしほ/\と みすぼらしげに

手をつかへ けふが日迄隠しおゝせ

人に知せぬ身の上なれ共 今日

国より帰つたる誠の忠信に御不

審かゝり 難義と成る故拠(よんどころ)なく

 

身の上を申上る始(はじまり)は それなる

初音の皷 桓武天皇の御宇(ぎよう)

内裏に雨乞有し時 此大和の

国に千年功経(劫経る:こうふる)牝(め)狐牡(お)狐 二疋

の狐を狩出し 其狐の生皮を以て拵へ

 

 

9

たる其皷 雨の神をいさめの神

楽 日に向ふて是を打ば 皷はもと

より波の音 狐は陰の獣(けだもの)故 水

を發(おこ)して降(ふる)雨に 民百姓は悦び

の声を初めて上げしより 初音の皷と

 

号(なづけ)給ふ 其皷は私(わたくし)が親 私めは其

皷の子でござりますと 語るに

ぞつとこはげ立 騒ぐ心を押しづめ

ムゝそなたの親は此皷 皷の子

じやといやるからは 扨はそのたは狐

 

 

10

じやの ハツア成程 雨の祈りに二(ふた)親

の狐を取られ 殺された其時は 親

子の差別(しやべつ)も悲しい事も 弁へ

なきまだ子狐 藻を被(かづく)程年も

たけ 鳥井の数もかさなれど 一日

 

オッヤをも養はず 産みの恩を送ら

ねば 豕(ぶた)狼にも劣りし故 六万四千

の狐の下座に着(つき/\゛)只の野狐のさげし

まれ 官(くはん)上りの願(ぐはん)も叶はず親に

不孝な子が有れば 畜生よ野等(のら)

 

 

11

狐と 人間ではおつしやれ共 鳩の

子は親鳥より枝を下つて礼儀を

述(のぶ) 烏(からす)は親の養(やしなひ)を 育(はごくみ)かへすも

皆孝行 烏(う)でさへ其通 まして

人の詞に通じ 人の情けもしる狐

 

何ぼ愚痴無知の畜生でも

孝行といふ事を いらいで何といたし

ませうとはいふ物の親はなし まだ

も頼みは其皷 千年功ふる威

徳には 皮に魂留(とどま)つて 性根入れたは

 

 

12

則親 付添て守護するは まだ

此上の孝行と 思へ共浅間しや

禁中に留め置き給へば 八百万(まん)神(しん)

宿直(とのい)の御番 恐れ有ば寄付かれず

頼みも綱も切果てしは 前世に誰を

 

罪(つみ)せしぞ 人の為に怨(あた)する者

狐と生れ来るといふ 因果の経

文うらめしく 日に三度夜に三度

五臓を絞る血の涙 火焔と見

ゆる狐火は胸を 焦(こが)する炎ぞや

 

 

13

かほど業因(がういん)ふかき身も 天道様

の御恵みで ふしぎにも初音の皷

義経公の御手に入 内裏を出

れば恐れもなし ハツア嬉しや悦ばしやと

其日より付添は義経公のおかげ

 

稲荷の森にて忠信が 有合

さばとの御悔み せめて御恩をおく

らんと 其忠信に成かはり 静様の

御難儀を 救ひました御褒美

と有て 勿体なや畜生に 清和

 

 

14

天皇の後胤(こういん) 源九郎義経と云ふ

御姓名を給りしは 空恐ろしき身の

冥加 是というふも我親に孝行が

尽したい 親大事/\と思い込だ心

が届き 大将の御名を下されしは

 

人間の果(くは)を請たる同前 弥(いよ/\)親が

程大切 片時も離れず付添ふ皷

静様は又我君を 恋慕ふ調べの

音 かはらぬ音色と聞こゆれ共 此

耳へは二親が 物いふ声と聞ゆる

 

 

15

故呼かへされて幾度か 戻つた

事もござりました 只今の皷の

音は 私故に忠信殿 君の御不審

蒙つて 暫くも忠臣を 苦しますは

汝が科 早々帰れと父母が 教への

 

詞に力なく 元の古巣へ帰りま

する 今迄は大将の御目を掠めし

段 お情けには静様 お詫なされて

下さりませと 縁の下ゟ延び上り

我親皷に打向ひ かはす詞の

 

 

16

しり声も涙ながらの暇乞 人間

よりは 睦(むつま)じく 親父様 母様 お詞を

背(そむき)ませず 私はもふお暇申まする

とは云ながら 御名残惜(をし)かるまいか

二親に別れた折は何にも知らず

 

一日/\立つに付け 暫くもお傍に居

たい 産みの恩が送りたいと 思ひ

くらし 泣明かしこがれた月日は四百

年 雨乞故に殺されしと 思へば

照る日がうらめしく 曇らぬ雨は

 

 

17(重複)

 

 

18

我涙 願ひ叶ふが嬉しさに 年(とし)月

馴(なれ)し妻狐 中にもうけし我子狐

不便(ふびん)さ余つて幾度か 引るゝ心

をどうよくに 荒野(あらの)に捨てて出

ながら 飢(うへ)はせぬか 凍(こゞへ)はせぬか 若し

 

猟人(かりうど)に取られはせぬか 我親を慕ふ

程 我子もてうど此やうに 我を

慕はふがと案じ過ごしがせら

るゝは 切ても切れぬ輪廻(りんえ)のきづな

愛着の鎖につなぎ留られて

 

 

19

肉も骨身も砕くる程 悲しい

妻子をふり捨てて去年の春から

付添て丸一年立つや立たず いねと

有迚何とマア あつと申ていなれ

ましよかいの/\ お詞背かば不孝

 

と成り 尽した心も水の泡 せつ

なさが余つて帰る 此身は何たる

業(ごう) まだせめてもの思ひ出に

大将の給はつたる 源九郎を我名

にして 末世末代呼ばるゝ共 此

 

 

20

悲しさは何とせん 心を推量し

給へと泣つくどいつ身もだへし とう

どふして泣叫ぶは 大和の国の

源九郎狐といひ伝へしも哀れ也

静は遉(さすが) 女(おんな)気の 彼が誠に目も

 

うるみ一間の方に打向ひ 我君

それにましますかと 申内より

障子を開き ヲゝ委しく聞届けし

扨は人になかりしな 今までは

義経も 狐とはしらざりし 不便の

 

 

21

心と有ければ 頭(かうべ)をうなだれ礼

をなし 御大将を 伏拝み/\ 座を立ちは

立ながら 皷の方をなつかしげに

見返り/\行となく 消ゆる共なき

春霞人目朧に見へざれば 大将

 

哀れと思し召 アレ呼かへせ皷打て

音に連れ又も帰りこん 皷々

と有けるにぞ 静は又も取上

て打てば ふしぎや音(ね)は出ず 是は/\と

取直し 打て共/\こはいかに 上(ちつ)共平(ぷう)共

 

 

22

音せぬは ハア扨は魂残す此皷

親子のわかれを悲しんで音を留(とめ)

たよな 人ならぬ身も夫(それ)程に

子故に物を思ふかと 打しほる

れば義経公 ヲゝ我迚も生類(しやうるい)

 

の 恩愛の節義身にせまる 一日

の孝もなき 父義朝を長田(おさだ)に

討たれ 日陰くらまに成長(ひとゝなり)せめては

兄の頼朝にと 身を西海のうき

沈み忠勤仇成る御憎しみ 親共思ふ

 

 

23

兄親に見捨られし義経が 名を

譲つたる源九郎は 前世の業我

も業 そもいつの世の宿酬(しゆくしう)にて

かゝる業因也けるぞと身につまさ

るゝ御涙に 静はわつと泣出せば 目

 

にこそ見へね庭の面(おも)我身の上と

大将の 御身の上を一口には勿体涙

に源九郎 たもちかねたる大声に

わつと叫べば我と我 姿を包む春

霞はれて 形を顕せり 義経御座を

 

 

24

立給ひ 手づから皷取上てヤイ源九郎

静を預り長々の介抱詞にはのべ

がたし 禁裏ゟ給はる大切の物なれ

共 是を汝に得さすると差出し給へば

何其皷を下されんとや ハア/\/\有がたや

 

忝や こがれしたふた親皷 御辞退

申さず頂戴せん 重々深き御恩の

お礼今ゟ君のかげ身に添ひ 御身の

危(あやうき)其時は一方を防ぎ奉らん 返す/\

も嬉しやな ヲゝ夫よそれ 身の上に

 

 

25

取紛れ 申す事怠つたり 一山(いっさん)の悪

僧ばら 今夜此館を夜討にせん

と企(くはだて)たり 押寄せさする迄もなし 我

転変(てんべん)の通力(つうりき)にて 衆徒(しゆと)を残らず

たばかつて 此館へ引入/\ 真向(まつかう)立割り

 

車切又一時にかゝりし時 蜘(くも)手かくなは

十文字 或は右げさ左げさ 上を払へば

沈で受け 裾を払はゞひらりと飛び けい

しやう飛術(ひじゆつ)は得たるや得たり 御手

に入て亡すべし 必ずぬからせ給ふなと

 

 

26

皷を取て礼をなし 飛が如くに行く

末の跡をくらまし失せにける 始終の

様子詳らかに 聞て驚く四郎兵衛亀井

駿河諸共に御膳に進み出 生類の

誠有弁舌にて 大将の御疑も其が心

 

も晴て此世の大慶上なしと 申詞も

終わらぬ所へ 川連法眼(かはつらほうがん)罷出 怪力(くはいりよく)

乱神を語らずといへ共 彼源九郎が

申せしは一山の衆徒 今宵夜討に

来たる条 先達て忍びを入れ候所 恰(あたか)も

 

 

27

府節(ふせつ)を合するごとし 敵を引受け戦

はんが討て出申べきや 賢慮いかゞと

伺へば 四郎兵衛忠信よき計略ござんなれ

狐に譲り給ひしも 元は拙者に給

はる姓名 君にかはつて討死せば 一旦

 

事はしづまらん ひらさら御免を

蒙り度(たく)存じ奉り候と 余儀なき

願いに御大将 我思ふ子細有れば

しばらく此場は立退かれず 我名

を名乗り衆徒等(ら)を謀(はか)れ 汝

 

 

28

死すれば我も死ぬ かならず討

死すべからずと 御帯刀(おんはかせ)をたびて

げる 仁徳厚き御詞に出ゆく

跡を見送つて静きたれと

打つれ奥にぞ 〽入たまふ