読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2567598
1
御法
2
むらさきのうへ。いたうわづらひ給ひし御心ち
ののち。いとあるしくなり給て。そこはかと
なくなやみわたり給ふこと。ひさしくなり
ぬ。いとおどろ/\しうはあらねど。とし月かさ
なればたのもしげなくいとゞあえかになりま
さり給へるを。院のおもほしなげくことかぎり
ない。しばしにてもをくれきこえ給はんことを
ば。いみじかるべくおぼし。みづからの御こゝちには。
この世にあかぬ事なく。うしろめたきほだし
だにまじらぬ御身なれば。あながちにかけ
とゞめまほしき御いのちともおぼされぬを。
3
としごろの御ちぎりかけはなれ思はねかせ
奉らんことのみそ人しれぬ御心のうちに。もの
あはれにおぼされける。のちのよのためにと
たうときことゞもをおほくせさせ給ひつゝ。い
かでなをほいあるさまになりて。しばしもかゝ
づらはん命のほどは。おこなひをまぎれなく
とたゆみなくおぼしの給へば。さらにゆるし
聞え給はず。さるはわが御こゝろにもしかお
ぼしそめたるすづなれば。かくねんごろに思
給へるついでにもともよほされて。おなじ
みちみもいりなんとおぼせど。ひとたび家を
いで給ひなば。かりにもこの世をかへりみんと
はおぼしをきてす。のちの世にはおなじはち
すのざをもわけんとちぎりがはしきこえ給
ひて。たのみをかけ給ふ御中なれど。こゝなが
らつとめ給はんほどは。おなじ山なりとも峯
をへだてゝあひみたてまつらぬすみかにかけ
はなれんことをのみおぼしまうけたるに。かく
いとたのもしげなきさまになやみあつ(篤)い
給へば。いと心ぐるしき御ありさまを。今は
とゆきはなれんきざみには捨がたく中々山
水のすみか。にごりぬべくおぼしとゞこほるほ
4
どに。たゞうちあさへたる思ひのまゝの道心
おこす人々にはこよなうをくれ給ひぬべか
めり。御ゆるしなくは心ひとつにおぼしたらん
も。さまあしくほいなきやうなれば。このこと
によりてぞ女君はうらめしく思ひ聞え給け
る。わが身をもつみかろかるまじきにや
とうしろめたくおぼされけり。年頃わたくしの
御ぐはんにてかゝせたてまつり給ける。法華
経千部いそぎてくやうし給。わが御殿とお
ぼす二条院にてぞ。し給ひける。七僧のほうぶ
くなどしな/\゛給はす。ものゝ色ぬいめより
はじめてきよらなることかぎりなし。大かた
なにこともいといかめしきわざどもをせられ
たり。こと/\しきさまにも聞え給はざり
ければ。くはしきことゞもしらせ給はざりけるに。
女の御をきてにてはいたりふかく。ほとけの
みちにさへかよひ給ける御心のほどなどを。院
はいとかぎりなしとみたてまつり給て。たゞ
おほかたの御しつらひなにかのことばかりをなん
いとなませな給ける。楽人まひ人などのことは。大
将の君取分てつかうまつり給。うち(内裏)。東宮(春宮)。きさ
い(后)の宮たちをはじめ奉て。御かた/\こゝ
5
かしこにみず行(御誦経)ほうもち(棒持)などばかりの事を
うちし給ふだに所せきに。まして其頃此御いそ
ぎをつかうまつらぬ所なければ。いとこちた
き事どもあり。いつの程にいとかく色々おぼし
まうけん。げにいその神の世々へたる御願にや
もぞみえたる。花ちるさとゝ聞えし御かた。
あかしなどもわたり給へり。南ひんがしのとを
あけておはします。しん殿の西のぬりごめなり
けり。北のひさしにかた/\の御つぼねどもは。
さうし(障子)ばかりをへだてつゝしたり。やよひの
十日なれば。花ざかりにて空のけしきなども
うらゝかに物おもしろく。仏のおはする所の
ありさまとをからず思ひやられて。ことなるふか
き心もなき人さへつみをうしなひつべし。た
きゞ(薪)こる程のさむだん(讃嘆)の聲も。そこらつどひたる
ひゞき。おどろ/\しきをうちやすみて。しづ
まりたる程だにあはれにおぼさるゝを。まして
此ごろとなりて。なにごとにつけてもこゝろぼそ
くのみおぼししる。あかしの御かたに三のみやし
てきこえ給へる
(紫の上)おかしからぬこの身ながらもかぎりとてたきゞ
つきなんことのかなしさ御かへり心ぼそきすぢ
6
は。のちの聞えも心をくれたるわざにや。そこ
はかとなくぞあめる
(明石の上)たきゞこる思ひはけふをはじめにてこのよ
にねがふのりぞはるけき よもすがらたうとき
ことにやちあはせたるつゞみのこえたえずお
もしろし。ほの/\゛とあけゆく朝ぼらけ。霞の
まよりみえたる花の色/\。なを春に心とま
りぬべく。にほひわたり。もゝちどりのさへづる
も。ふえのねにをとらぬ心ちして。物のあはれ
もおもしろさものこらぬほどに。れうわう(陵王)の
まひで(舞手)きう(急)になるほどのすえつかたのがく(楽)。
はなやかに。にぎはゝしく聞ゆるに。みな人の
ぬぎかけたる物の色々など物のりからに
おかしうのみ見ゆ。みこたち上達部の中にも
ものゝ上ずども。手のこさずあそび給。かみしも
心ちよげにけう(興)あるけしきどもなるを見た
まふにも。のこりすくなしと。みをおばしたる
御心のうちには。よろづのことあはれにおぼえ給。
(昨日)れいならずおきい給へりしなごりにや。いと
くるしうてふし給へり。とし頃かゝる物のおり
ごとに参りつどひあそび給。人々の御かた
ちありさまのをのがじゝのきは(才)ども。ふえの
7
ねをもけふや聞給ふべきとぢめならんとのみ
おぼさるれば。さしもめどまるまじき人のかほ
どもゝ。あはれにみわたされ給ふ。まして夏冬
のときにつけたるあそびたはふれにも。なま
いど(挑)ましき(なんとなく張り合う)したの心は。をのづからたちまじり
もすらめど。さすがになさけをかはし給かた/\゛
は。たれもひさしくとまるべきよにはあらざな
れど。まづ我ひとりゆくえしらずなりなんを
おぼしつゞくるいみじうあはれなり。ことはてゝ
をのがじゝかへりなんとするも。とをき別めきて
おしまる。はな散里の御かたに
(紫の上)たえぬばきみのりながらぞたのまるゝ世々に
とむすずなかの契りを 御かへり
(花散里)むすびをくちぎりはたえじ大かたののこり
すくなきみのりなりとも やがて此ついでに
ふだんのどきやう。せんぼう(懴法)などたゆみなくたう
とき事どもをせさせ給。みず法はことなるし
るしもみえで。ほどへぬれば。れいのことになり
てうちはへさるべきところ/\゛寺々にてぞ。せ
させ給ける。夏になりてはれいのあつさにさへ
いとゞきえいり給ひぬべきおり/\おほかり。
そのことゝおどろ/\しからぬ御心ちなれど。たゞ
8
いとよはきさまになり給へば。むつかしげに所
せくなやみ給ふ事もなし。さふらふ人々も
いかにおはしまさんとするにかと思ひよるにも。
まづかきくらしあたらしうかなしき御あり
さまとみたてまつる。かくのみおはすれば。中宮
この院にまかでさせ給ふ。ひんがしにたいにお
はしますべければ。こなたにはたまち聞え給ふ。
ぎしきなどれいにかはらねど。このよのありさ
まをみはてずなりぬるなどのみおぼせば。よ
ろづにつけてものあはれなり。なだいめん(名対面)を聞
給にも。その人かの人など。みゝとゞめてきかれ
給ふ。上達部などいとおほくふかうまつり給へり。
ひさしき御たいめんのと絶(途絶え)をめづらしくお
ぼして御物語こまやかに聞え給ふ。院入給て。
こよひはす(巣)はなれたる心ちして。むとく(無徳)なりや。
まかりてやすみ侍らん。とてわたり給ひぬ。おき
い給へるをうれしとおぼしたるも。いとはかなき
程の御なぐさめなり。かた/\゛におはしましては。
あなたにわたらせ給はんもかたじけなし。まい
らん事はたばかりなくなりにて侍ればとて。し
ばしはこなたにおはすれば。あかしの御方もわ
たり給て。心ふかげにしづまりたる御物がたり
9
ども聞えかはし給ふ。うへは御心のうちにおぼ
しめぐらす事おほかれど。さかしげにな(亡)か
らん後など。の給ひいづることもなし。たゞなべて
のよのつねなきありさまを。おほとかにこと
ずくなゝる物から。あざはかにはあらずのたまひ
なしたるけはひなどぞ。ことにいでたらんより
もあはれにもの心ぼそき御けしきは。しるう(はっきり)
みえける。みやたちをみ奉り給ふても。をの/\
のおほん(御)ゆくすえをゆかしく思聞えけるこそ。
かくはかなかりける身をおしむ心のまじりけ
るにやとて。涙ぐみ給へる御おかほのにほひいみ
じうおかしげなり。などかうのみおぼしたらんと
おぼすに。中宮うちなき給ぬ。ゆくしげに
などは聞えなし給はず。ものゝついでなどに
ぞ。とし頃つかうまつりなれたる人々の。ことなる
よるべなう。いとおしげなる。この人かのひと。侍らず
なりなむ後に御心とゞめてたづねおもほせなど
ばかり聞え給ける。みど経(御読経)などによりてぞ。れ
いのわが御かたにわたり給ふ。三の宮はあまたの
御中にいとおかしげにてありき給を。御心ちの
ひまにはまへにすへ奉り給て。人のきかぬまに。
まろが侍らざらんにおぼしいでなんや。と
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聞え給へば。いとこひしかりなん。まろはうち(内裏)の
うへよりも宮よりも。ばゝ(婆)をこそまさりて思ひ
聞ゆれば。おはせずは心ちむつかしかりなんとて
めをすりてまぎらはし給へるさまおかしけれ
ば。ほゝえみながらなみだはおちぬ。おとなになり
給なば。こゝにすみ給て。このたいのまへなるこう
ばい(紅梅)とさくら(桜)とは。花のおり/\に心とゞめてもて
あそび給へ。さるべからんおりは仏にもたてまつり
給へときこえ給へば。うちうなづきて御かほをま
もりて。なみだおつべかめれば。たちておはしぬ。と
りわきておふしたて奉り給へれば。このみやと
姫宮とをぞ見さし聞え給はんことくちおし
くあはれにおぼされける。 秋まちつけて世中す
こし涼しくなりては。御心ちもいさゝかさはやぐ
やうなれど。猶ともすれば。かごとがましき。さるは
身にしむばかりおぼさるべき秋風ならねど。露
けきおりがちにてすぐし給。中宮は参り給
なんとするを。いましばしは御らんぜよ。とも。き
こえまほしうおぼせども。さかしきやうにも
あり。内(内裏)の御使のひまなきもわづらはしけれ
ば。さも聞え給はぬにあなたにもえわたり
給はねば。みやぞわたり給ける。かたはらいた
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けれど。げにみたてまつらぬもかひなしとて。
こなたに御しつらひをことにせさせ給。こよ
なうやせほそり給へれど。かくてこそあてに
なまめかしきことのかぎりなさもまさり
てめてたかりけれど。きしかたあまり匂ひ
おほく。あざ/\とおはせしさかりは。中/\此
よ(世)の花のかほりにもよそへられ給ひしを。かぎ
りもなくらうたげにおかしげなる御さまにて
いとかりそめに世を思ひ給へるけしきにか物
なく。心ぐるしくすゞろにものがなし。風すご
く吹いでたるゆふ暮に。せんざい見給とてけう
そくによりい給へるを。いんわたり給てみたて
まつり給て。けふはいとよくおきい給めるは。
このおまへにては。こよなく御心もはれ/\゛しげ
なめりかしと聞え給。かばかりのひまあるをも
いとうれしと思聞え給へる御けしきを。見給
も心ぐるしく。ついにいかにおぼしさはがんと
思ふに。哀なれば
(紫の上)をくとみるほどぞはかなきともすれば風に
みだるゝはきのうは露 げにぞ。おれかへりとまる
べうもあらぬ。よそへられたるさへしのびがた
きを
12
(源氏)やくもせばきえをあらそふ露の世にを
くれさきだつほどへずもがなとて御なみだ
はらひあへ給はず。みや
(中宮)秋風にしばしとまらぬ露の世をたれかくさば
のうへとのみみんと聞えかはし給御かたちども
あらまほしくみるかひあるにつけても。かくて
ちとせをすぐすわざもはなとおぼさるれど。
心にかなはぬことなれば。かけとゞめんかたな
きぞかなしかりける。今はわたらせ給ひね。みだ
り心ちいとくるしくなり侍りぬ。いふかひな
くなりにけるほどゝいひながら。いとなめげに
侍りやとて。御几丁引よせてふし給へるさま
の。つねよりもいとたのもしげなくみえ給へば。
いかにおぼさるゝにかとて。みやは御手をとらへ
たてまつりて。なく/\見たてまつり給ふに。
まことにきえ行露の心ちしてかぎり見
え給へば。みずきやう(御誦経)の使ども数もしらずたち
さはぎたり。さき/\゛もかくていきいで給おり
にならひ給て。御ものゝけとうたがひ給て。夜
ひとよさま/\゛のことを。しつくさせ給へどかひ(甲斐)
もなく。あけはつるほどにきえはて給ひぬ。宮
もかへり給はで。かくて見奉り給へるをかぎり
13
なくおぼす。たれも/\ことはりのわかれにて
たぐひあることゝもおぼされず。めづらかにいみじ
く明暮の夢にまどひ給程さらなりや。さか
しき人おはせざりけり。さふらふ女房なども
あるかぎりさらに物おぼえたるなし。院はまし
ておぼししづめんかたなければ。大将のきみちかく
参り給へるを。御几帳のもとによびよせたて
まつり給ひて。かくいまはかぎりのさまなめるを。
とし事のほいありて思つる事。かゝるきざみに
その思ひたがへてやみ(止み)なんがいと/\おしきを。
御かち(加持)にさふらふ大どこ(大徳)たち。ど経のそうなど
もみな声やめて出ぬなめるを。さりともたちと
まり。物すべきもあらん。この世にはむなしき心
ちするを。ほとけの御しるし今はかのくらきみ(冥き途)ちの
とふらひにだにたのみ申べきを。かしら(頭)おろすべき
よしものし給へ。さるべき僧たれか。とまりたる
などの給御けしき。心づよくおぼしなすべかめれど。
御かほのいろもあらぬさまにいみじくたへかね。御
涙のとまらぬをことはりにかなしくみたてまつり
給。御物のけなどの是も人の御心みだらんとて。
かくのみものは侍めるを。さもやおはしますらん。さ
らば。とてもかくても御ほいのことはよろしき
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ことに侍なり。一日一夜いむことのしるしこそは
むなしからず侍なれ。まことにいふかひなくなり
はてさせ給て後の御ぐしばかりをやつさせ給
ても。ことなるかのよの御ひかりともならせ給はざ
らん物から。めのまへのかなしみのみまさるやうにて
いかゞ侍るべからんと申給て。御いみにこもいりさふ
らふべき心ざしありて。まかでぬ僧その人かの
人などめして。さるべき事どもこの君ぞおこな
ひ給ふ。 年ごろなにやかやとおほけなき心はな
かりしかど。いかならんよにありしばかりも見奉
らん。ほのかにも御声をだにきかぬことなど心
にもはなれず思わたりつる物を。こえはついぞき
かせ給はずなりぬるにこそはあめれ。むなしき御
から(骸)にても。いま一たび見奉らんの心ざしかなふ
べきおりは。たゞ今よりほかにいかでかあらんと
思ふに。つゝみもあへずなかれて女房のあるかぎ
り。さはぎまどふを。あなかま(静かに)しばし。としづめが
ほにて。御几帳のかたびらをものゝ給ふまぎれ
にひきあげてみ給へば。ほの/\゛と明行ひかり
もおぼつかなければ。御とのなぶら(大殿油)をちかくかゝ
げてみたてまつり給ふに。あかずうつくしげに
めでたうきよらに見ゆる御かほのあたらしさに。
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この黄身のかくのぞき給を。みる/\もあながちに
かくさんの御心もおぼされぬなめり。かくなにごと
もまだかはらぬけしきながら。かぎりのさまはしる
かりけるこそとて。御袖をかほにをしあて給
へるほど。大将の君も涙にくれてめもみえたま
はぬを。しいてしぼりあげてみ奉るに。なか/\
あかずかなしき事たぐひなきに。まことに心
まどひもしぬべし。御くしのたゞ打やられ給へ
る程。こちたくけうら(ふさふさと清ら)にて露ばかりみだれたる
けしきもなう。つや/\とうつくしげなるさ
まぞかぎりなき。火のいとあかきに御いろは
いとしろくひかるやうにて。とかくうちまぎらは
す事。ありしうつゝの御もてなしよりも。いふ
かひなきさまにて。なに心なくてふし給へる御
ありさまのあ(飽)かぬところなしといはんもさら
なりや。なのめにだにあかずたぐひなきを見
奉らんとおもほゆるもわりなきことなりや。つ
かうまつりなれたる女房などの物おぼゆるも
なければ。院ぞなに事もおぼしわかれずおぼ
さるゝ御こゝちを。あながちにしづめ給てかぎ
りの御ことゞもし給。いにしぇもかなしとおぼす
16
事どもあまたみ給ひし御身なれど。いとかう
おりたちてはまだしり給はざりけることを。
すべてきしかたゆくさきたぐひなき心ちし給。
やがてその火とかくおさめたてまつる。かぎりあ
りけることなれば。からを見つゝもえすぐし給
まじかりけるぞ。心うき世中なりける。はか/\
とひろき野の所もなくたちこみて。かぎりな
くいかめしきさほうなれど。いとはかなきけふ
りにて。のぼり給ひぬるもれいのことなれど。
あへなくいみじ。そらをあゆむ心ちして人にかゝ
りてぞおはしましけるを。見奉る人もさば
かりいつかしき御身をと。物の心しらぬ下すさへ
なかむはなかりけり。御をくりの女房はまして
夢ぢにまどふ心ちして。車よりもまろび
おちぬべきをぞもてあつかひける。むかし大将の
君の御はゝ君。うせ給へりしときのあかつきを
思ひいづるにも。かれはなをものゝおぼえかるにや。
月のかほのあきらかにおぼえしを。今夜はたゞ
くれまどひ給へり。十四日にうせ給て。これは十五
日のあかつきなりけり。日はいとはなやかにさし
あがりて。のべの露もかくれたるくま(隈)なくて。世の中
おぼしつゞくるに。いとゞいと(厭)はしくいみじければ。
17
をく(後)るとてもいく世かはふ(経)べき。かゝるかなしさの
まぎれにむかしよりの御ほいもとげまほしく
おぼせど。心よはき後のそしりをおぼせば。こ
のほとをすぐさんとし給ふに。むねのせきあ
ぐるぞたへがたかりける。 大将君も御いみにこもり
給て。あからさまにもまかで給はず。あけくれち
かくさふらひて。心ぐるしくいみじき御けしき
をことはりにかなしくみたてまつり給て。よろ
づになぐさめ聞え給ふ。風野分だちてふく夕
暮に。むかしの事おぼし出て。ほのかに見たて
まつりし物をとこひしくおぼえ給ふに。又
かぎりの程の夢の心ちせしなど人しれずお
もひつゞけ給ふに。たへがたくかなしければ。人
めには。さしも見えじとつゝみて。あみ陀仏/\
と。ひき給ふずゞ(数珠)のかずにまぎらはしてぞ。なみ
だの玉をばもてけ(消)ち給ける
(夕霧)いにしへの秋の夕の恋しきにいまはとみえし
あけぐれのゆめぞ名残さへうかりける。やん事
なきそうどもさふらはせ給て。さだまりたる
念仏をばさる物にて。ほけきやうなどずせさ
せ給。かた/\゛いとあはれなり。ふしてもおきて
もなみだのひるよなく。きりふたがありてあかし
18
くらし給ふ。いにしへより御身のありさまお
ぼしつゞくるに。かゞみに見ゆるかげをはじめて。
人にはことなりける身ながら。いはけなきほど
よりかなしく。つねなき世を思ひしるべく。仏な
どのすゝめ給ひける身を。心づよくすぐして。
ついにきしかたゆくさきもためしあらじとお
ぼゆるかなしさをみつるかな。今はこのよにうしろ
めたきことのこらずなりぬ。ひたみちにおこな
ひにおもむきなんに。さばかり所あるまじきを。
いとかくおさめんかたなき心まどひにては。ねが
はむ道にも入がたくやと。やゝましきを。このお
もひすこしなのめに忘れさせ給へと。あみだ仏
をねんじたてまつり給ふ。 所々の御とふらひ
うち(内裏)をはじめたてまつりて。れいのさほうばかり
にてあらずいとしげく聞え給ふ。おぼしめし
たる心のほどにはさらになに事も。めにもみゝ
にもとゞまらず。心にかゝり給ふことあるまじ
けれど。人にほけ(呆け)/\゛しきさまに見えじ。今さ
らに我よのすえにかたくなしく心よはきま
どひにて。世名kをなんそむきにけるとなかれと
とまらん名をおほしつゝむになむ。身を心に
まかせぬなけきをさへうちそへ給ひける。ちし(致仕)
19
のおとゞあはれをもおりすぐし給はぬ御心
にて。かくよにたぐひなくものし給人の。はか
なくうせ給ぬることを口おしくあはれにお
ぼして。いとしば/\とひ聞え給ふ。むかし大将
の御はゝうへうせ給へりしも。このころの事ぞかし
とおぼしいづるに。いとものがなしく。そのおりかの
御身をおしみ聞え給ひし人の。おほくもうせ
給にえkるかな。をくれさきだつほとなき世なり
けりやなど。しめやかなる夕暮にながめ給ふ。空
のけしきもたゞならねば。御子の蔵人の少将
してたてまつり給ふ。あはれなることなどこ
まやかにきこえ給て。はし(端)に
(致仕の大臣)いにしへのあきさへ今の心ちしてぬれにし
袖に露ぞをきそふ。御かへし
(源氏)露けさはむかし今ともおもほえずおほかた
秋の世こそつらけれものゝみかなしき御心のまゝ
ならば。まちとり給ては。心よは(弱)くもと。め(目)とゞめ
給ひつべきおとゞの御心ざまなれば。めやすき
ほどにと。たび/\なをざりならぬ御とふらひ
のかさなりぬることゝ。よろこび聞え給。うすゞ
みとの給ひしよりは。いますこしこまやかにて
たてまつれり。世中にさいはひあり。めでたき
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人もあいなうおほかたのよにそねまれ。よきに
つけても心のかぎりおごりて人のためくるしき
人もあるを。あやしきまで。すゞろなる人にも
うけられ。はかなくしいて給ふことも。なにごとに
つけてもよにほめられ。心にくゝおりふしにつけ
つゝらう/\しくありがたかりし人の御心ばへ
さへ。そのころは風のをと虫の声につけつゝ涙お
とさぬはなし。ましてほのかにも見奉りし
人の思ひなぐさむべきよ(世)なし。年ごろむつ
まじくつかうまつりなれつる人々。しばし
ものこれるいのちうらめしきことをなげき
つゝ。あまになり。このよのほかの山ずみなどに
おもひたつもありけり。冷泉院のきさいの宮
よりも。あはれなる御せうそこたえずつき
せぬことゞも聞え給ひて
(秋好中宮)かれはつる野べをうしとやなき人の秋に
心をとゞめざりけんいまなんことはりし(知)られ
侍りぬるとありけるを。物おぼえぬ御心にも
うちかへしをきがたく見給ふ。いふかひありお
かしからんかたのなぐさめには。此みや(宮)ばかりこ
そおはしけれと。いさゝかの物まぎるゝやうに
21
おぼしつゞくるにも。なみだのこぼるゝを。そで
のいとまなく。えかきやり給はず
(源)のぼりにし雲井ながらもかへりみよわれ
秋はてぬつねならぬよに をしつゝみ給ひて
も。とばかりうちながめておはす。すくよかにも
おぼされず。我ながらことのほかにほれ/\しく
おぼししらるゝことおほかるまぎらはしに。女
がたにぞおはします。ほとけの御まへに人し
げからずもてなして。のどやかにをこなひ給ふ。
ちとせをももろともにとおぼしゝかど。かぎり
あるわかれぞ。いと口おしきわざなりける。今は
はちすの露もこと/\にまぎるまじく。後
の世をとひたみちにおぼしたつことたゆみ
なし。されど人ぎゝをはゞかり給ふなんあ
ぢきなかりける。御わざのことどもはか/\゛しく
の給ひをきつることなかりけれど。大将の君(夕霧)
なんとりもちてつかうまつろ給ける。けふやと
のみ我身も心づかひせられ給ふ。おりおほかる
を。はかなくてつもりにけるも。ゆめのこゝちのみ
す。中宮などもおぼしわするゝときのま(時の間)なく
こひ(恋)聞え給ふ