仮想空間

趣味の変体仮名

菅原伝授手習鑑 三段目 桜丸切腹の段

 

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856508

 

 

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344 右頁5行目下~

呑込で奥へ行     

兄弟夫婦に引わかれ取残されし八重が
身の 仕廻もいかぬ 物思ひ門へ立そに待つ夫
思ひがけなき納戸口刀片手ににつこと笑ひ
女房共待ちつらんと 声にびっくり走り寄り いつ
の間にやら来た共いはず 案じる女房を

 

 

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345
思はぬ仕方 兄弟衆の事に付て親父様
のお腹立 其場へは出もせいで マア何でこな
様は納戸の内に エゝこれナア 訳を聞して/\
と 聞きたがるこそ道理なれ 暫く有て
白太夫 挟み出し鍔の小脇差 三方に乗せ

しほ/\と 出るも老いの足弱(よわ)車 舎人桜が
前に置 用意能ばとく/\といふに女房が又
びっくり コリヤ何じや親父様 桜丸どふぞいなァ
何で死のじや腹切のじや切ねばならぬ
訳ならば 未練な根性さぎやしませぬ

 

 

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346
こなさんがいはれずば親父様の只一言
案じる胸を休めてたべお慈悲/\と手を
合せ泣より 外の事ぞなき ヤア親人に
何御苦労 是迄馴染む夫婦の中所存
残さず云聞さん 某が主人と申すもお恐れ

多き斎世(ときよ)の君様 百姓のせ倅なれ共
管丞相の御不便を加えられ 親人へは御扶持
方御愛樹の松梅桜兄弟が名に承り
松王梅王桜丸 憚り有や 冥加なや
ゑぼしになし下され御恩は上なき


347
築地の勤 三人の中に桜丸が身の幸い
人間の種ならぬ竹の園の御所奉公 下々
の下々たる丑飼舎人 勿体なくも身近く召され
管丞相の姫君とわかなき中の御文使
仕負せたが仇となつて讒者の舌に御身

の浮名 終(つい)には謀反と云立られ 菅原
の御家没落 是非もなき次第なれば 宮
姫君の御安堵を見届け 義心を顕す我が
生害 けさ早々爰迄来て右の段 生き
て居られぬ最後の願ひ 声届けて切腹


348
親の手づから下されたはい 女房共 我にかはつて
お礼も申し死後の孝行頼ぞと義を立ち
守る夫の詞 女房わつと声を上げ 仇なる
恋路のお媒介(とりもち) 親王様の御悪名 管丞
相の流され給ふ其云訳に切腹なら 此八重

も生ては居られぬ 私は残つて孝行
せいとどうよくにもよういはれた 夫レよりは
まだむごい腹切り礼を申せとは それが何
の礼所無理な事いふ手間で 一所に死ね
とコレ申し女房の願ひ立ててたべ 親父様の


349
思案はないかうつむいて斗りござらず共 よい智
恵出して下さりませ 夫の命生き死は親父様
のお詞次第 お前は悲しうござりませぬか
親の手づから此三方 腹切刀は何事ぞと
恨つ頼つ身を投伏しもだへ こがるゝ有さまは

物ぐるはしき風情なり 白太夫顔ふり上
子に死ねといふ腹切刀 むごい親と思ふ云い訳
ではなけれとな 此暁は我身のひいつも
より早く起き門の戸明れば桜丸 イ早ふ来
てくれた 陸(くが)ならば夜通し 但しは舩か ヲゝこちへと


350
呼入て様子を聞けば右の次第白太夫
づれが伜には驚き入た健気者 とゞめて
も聞入れず けふの祝儀仕舞ふ迄 女房が
来ても逢はしはせぬ おれか出いといふ迄は納
戸の内に隠れて居いと 一寸延しに命をかばひ

助てよいか悪いかはおらが了簡に及ばず神
明の加護に任さんと 祝儀にくれた扇三本
幸い絵には梅松桜 子供の行く末祈る顔で
氏神の祠へ直し置き信を取つて御鬮(みくじ)の立願
桜丸が命乞 中の絵は上から見へぬ三本の此


351
扇 初手に桜をとらしてたべ上らせ給へと
再拝祈念 取り上げた扇ひらけば桜の花 南無
三是は叶はぬ告か神の心を疑ふ御鬮の取り
直しせぬ物なれ共 其助けたいが一ぱいでとり
なをす訳の扇 今度も違ふて又松の

絵 頼みも力も落果てて下向すりや折た
桜 定業と明らめて腹切刀渡す親
思ひ切ておりや泣ぬ そなたもなきやんな
ヤヤゝゝアレ聞いたか女房共桜丸が命惜しまれて
老人の心づかひ 御恩も送らず先逹(さきだつ)


352
不孝 御赦されて 下されい 下郎ながら恥を
しり義の為に相果てると 三方取て戴く
にぞ もふコレ命が別れと泣くも泣かれぬ夫
の覚悟 白太夫目をしばたゝき 潔い倅が
切腹 介錯は親がする 其刀コレ見やれと

懐から取出すは 願ひ込だ鉦撞木 此
刀で介錯すれば 未来永劫迷はぬ功力
利剱即是弥陀号と撞木を取て打ち
鳴らす 鉦もしどろに 南無あみだ/\南無
あみだ/\/\ 南無あみだ/\/\ 念仏の声と

 

 

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353
諸共に襟押しくつろげ九寸五分 弓手
の脇へ突き立つれば 八重が泣き声打つ鉦も
拍子乱れて 南無あみだ/\/\/\/\
右のあばらへ引廻し 憚りながら御介錯
ヲゝ介錯と後ろへ廻り撞木ふり上南無

阿弥陀と 打つや此世の別れの念仏
九寸五分取直し喉(ふゑ)のくさりをはね切て
かつぱちふして息絶たり 八重が覚悟も
此場をさらず夫の血刀取上る 枳穀(きこく)の
かげより梅王夫婦走り寄て こりや何事と

 

 

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354
九寸五分もぎ取り捨て親の前に畏まる 先程
帰れと有りし時表へは出たけれど 桜丸が来ぬ
不思議と 丞相様の御秘蔵有し 桜の折れ
たを詮議もなされぬ 彼是不審に
存るから裏より忍び立戻り 始終の

様子は承はつた 是非に及ばぬあの樹
と供に枯し命の桜丸 兄弟の最後
余所に見て 親人の鉦鼓にあわせ
女夫の者が忍びの念仏 あつたら若者
殺せしと 悔む夫婦も聞く親も 八重も

 

 

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355
死なれぬ身の繰言是非も涙に
南無阿弥陀仏と 鉦打ち納め 撞木
と替る杖と笠 白太夫は片時も早く
管丞相の御後したひ嶋へ赴く現世
の旅立 桜丸が魂魄は未来へ旅立

此亡骸梅王夫婦を頼むぞと 八重が
事迄つど/\に頼む詞の置土産
冥途の見やげは念仏 南無阿
弥陀仏/\/\ 南無阿弥陀仏/\/\
なむあみだ笠打ちかぶり西へ行足十万

 

 

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356
億土 亡骸送る親送る 生きての
忠義死したる義心 一樹は枯し無常
の桜 残る二た樹は松王梅王 三つ子の
親が住み所 末世にそれと白太夫 佐太
の社の旧跡も神の 恵としられける   

 

 

 

佐太天神・白太夫社 (大阪府守口市

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