仮想空間

趣味の変体仮名

日高川入相花王 第一

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html
     イ14-00002-680

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    日高川入相花王 (第一
此花は是人間の種にあらず 瓊樹(けいじゆ)枝頭(しとう)第二
の花と 親王に題すからうたの言の葉草はかはらね
ど 唐土人(もろこしびと)の目にふれぬ 我朝(てう)の花こそめでたけれ
花に富文(ふうぶん)に富み 四海をたもつ四(よつ)の籏 朱雀(ぢゆしやく)天皇
御いさをし 有難かりし例しなり 五風十雨其時を違(たがへ)
ずといへ共 終身の憂ひ満しますやらん御心地例ならず


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御慰めの桜狩 御弟宮桜木親王 左大臣藤原の忠文(たゞぶん)警 
衛の武士は陸奥守源の経基 其外供奉(ぐぶ)の殿上人弥市
が車の音迄も しづかに吹や 嵐山衣紋にちればおのづから 位わか
たぬ花の紋春の 中なる春なれや 天機殊にうるはしく 詔(みことのり)あり
けるは 朕多病にして政に怠り 煩ひ少からず けふ遊宴
の時を得し 桜木親王こそ帝王の機備はりて 盛を見せし春の
宮 東宮に立べしと 宣旨をかへす藤原忠文 コハ恐有勅諚

親王東宮に立んより 君いまだ立后の御沙汰なし 然るべき家がら
の娘をえらみ御后に立参らせ 皇子誕生ましまさば 其御子を東宮
備へられんこそ 御代長久の基(もとい)なれと おのが工の底深き 詞をそれとかしこくも
叡慮をいため給ふ折から 親王の御随身秦次郎時綱が案内にて 紀州
道成寺の住僧瑞光和尚を誘引し 同国熊野の住人真那古の庄
司清次 召によつて上洛せりと御車 遥かに畏まる 親王勅を承り 和尚を
呼つる其子細 紀州道成寺文武天皇の勅願にて 七堂伽藍


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建立 殊に彼の寺の 鐘(つきがね)は欧州より献ぜし黄金にて鋳立てたる 三国稀代の
鐘なれ共 是迄供養延引せり 此度帝の悩(のう)の祈り 伽藍修復鐘の供
養を取行ひ 丹誠を抽(ぬきん)づべし 同国なれば真那古の庄司 万事汝が計らひ
たるべし 猶申付くる子細有 禁中へ参り木工寮(もくりやう)にて相待べしと有ければ はつと
領掌(れうしやう)瑞光和尚 寺中の面目此上なしと悦び御前を 退散有る 忠文跡を
見送つて やせがれたあの坊主御悩平癒覚束ない 比叡山の剛寂僧
都は 弘法大師に勝りし行者 先達て使を立てあれ御らんぜ 盛砂持せ警

固の役人 僧を帰依する清浄地 追付是へといふ間もなく 家臣蘭(あらゝぎ)監物氏
国が申し次 よごれ朽ちたる太布(ふとぬの)衣数珠より外にわき目もふらず 警衛の武士踏みち
らしずつと通れば 忠文見るより 是は/\剛寂僧都 名僧に似合ぬいやしき姿 ソレ/\
?(そうけ?笊・ざる?)物 承れば家来に持たせし紫衣法服(しえほうぶく) 手に取ての事ならずや 但は衣服の請待(しやうたい)か
と 理に当つたる詞のはし 聞し召されて御車の内より勅諚有けるは 誠に僧都が申ごとく
心を以て仏とし心を以て四海とす 朕が心に叶ふたり是へと賞し入給ふ 剛寂しすまし


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顔 忠文主従顔見合せ 出来た/\と心の悦び 仁義の経基いかゞあらんと息をつめ
心をくだく其顔色 僧都重ねて 今天顔を拝し奉るに 尾悩平癒覚束なし 是を
祈り奉るには 三井寺の釣鐘の前にて 般若経を転読(てんどく)し せめかけ/\祈るながら立所に
平癒あらんと 忠文に心を合せ 朱雀天皇調伏なさんの程ぞ 怖ろし 秦次郎
すゝみ出 先達て道成寺へ勅諚有し御悩の祈り 名も聞及ばぬ売主(まいす)坊主取立る忠
文公 胸中いぶかし/\と いはせも立ず藁笊(?)物 ヤア推参者 帝祈祷の妨げなす儕
か心底 親王の御胸中いぶかしい ヤア慮外也と争ふ二人 剛寂とゞめて 正法に奇特

なしとは申せ共すぐなる時則直し いがめる時は邪(よこしま)なり 我行法の験にて 此座に列する人々の
善悪をはかるべしと 摩利支天の秘言をとなへ 数珠さら/\と押もめば 風も吹ぬに桜の
一枝落花みぢんに飛ちつて都の方へ散乱たり 君を始め奉り各々奇異の思ひをなす 忠
文ほく/\打頷き 桜の散るとはこりや尤 唐土にて花王といへば牡丹にかぎる 又我朝にて
花王といふは桜にかぎる 去によつて 花と斗いふ時は桜の事 天に二つの日なく 地に二人の
王なし 花の王たる此桜 王位を望む桜の花がそれそこにと 桜によそへて親王を 罪に
落す佞姦邪智 さとき経基眉をしかめ 剛寂の行力驚入 嵐は花の仇と


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いふ 風も吹ぬに散りたるは 桜に仇する佞人有とのしらせ ハア恐ろしし /\と 忠文を尻目
にかけ 君の方に打向ひ 過たるは猶及ばさるがごとしといへり 満つれば闕(かく)る月と花 盛
を少し散せしは 玉体安全の其験 御災いもちればこそ めでたき桜の例しなれと 祝し申
せし言葉の花 はなはだ叡感浅からず 経基か父桃園の親王は 清和天皇第六
の皇子 王位を出て遠からず 東国の逆心相馬の次郎将門を 亡ぼせしも汝が軍功
今より六孫王と名乗て天下を守護し 猶も賊徒をいましめよ 剛寂は三井寺
て 四海安穏を祈るべしと かしこまりなる詔 早御車も 還幸の御前(さき)を払ふ入相桜

されば子孫の末葉には 六十余州を握つたる 其源の経基の智勇の花ぞ
「いちじるし 加茂川の流も清き神垣や 糺(たゞすの)河原の松かげに男松をからむ殿ならで紫
の幕打はへし 茶屋が床几の葭簀には 事かはつてぞ見へにける 遥か社の方よりも 小野の
大臣実頼の忘れがたみ 名はおだ巻と夕かげにかちゞひらふて川原道 恋しさ余る神詣で
賽(かへりもうし:お礼参り)の向ふの方西日にかざす扇より 爰であふぎの嬉しやと 夕霧傍に立寄て 是は
/\姫君様 此加茂の社へ御参詣とは露しらず 五条あたりのお館へ参つたれば 軒に妻
する夕顔の花の主もなき風情 どれへお出と糺の涼み 跡から参じた其訳は桜木様の


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急御用 委細は是にと文箱取出し 渡せば姫は手に取て ヲゝいつもながら夕霧の いかい苦
労と文くりかへし水茶屋の 床几を暫し仮初も 君がうつつと空蝉の 声かしましき風
情なり 姫の雑掌宇治の介おくれて急ぐ気も夕陽(せきやう) 是は/\女中方 神主方に御祈
祷の札 請ている其間 出しぬいて早い足嗜ましやれといふ内に 見合す夕霧むつと顔
イヤ申宇治の介様 大事の姫君お供しながら跡へさがつて何の用 大方どこぞの小娘にじや
らくらの隙入かと 立寄て太股ふぃつそりアイタ/\ サア其あいたいは誰に逢たい イヤそふ夕
霧に逢たいと 抱付ば附々が よふ/\見付た/\と いはれてはつと宇治の介 我を忘れてこ

りや麁相とまじめに成て 居たりけり おだ巻姫はしとやかに 文巻納めノウ夕霧 月の
半ばの其夜には必ず忍ぶと有文体 いよ/\違ひのない様に そもじの計らひ頼み入ると いふ詞さへ
おもはゆ顔 ヲゝお気づかひ遊ばすな はづんでござる親王様 こちにはかはらぬ其夜の首尾 ゆら
の戸様に悟られぬ様に宇治の介様合点か 成程/\お方の初恋路 忍びくる日は中の
五日 月夜に釜のぬからぬ/\ そつちの手筈兄秦次郎に見付られぬが大事ぞと 互に
しめしあふ夜の噂 幕の物見に顔指し出し始終を聞いる蘭(あらゝぎ)監物 ぐつと呑込む顔(つら) 
がまへ こなたは何の気も付かずそんなら申姫君様 此通りを親王様へ一時も早ふおしらせ申


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そふ したがお姫様にも下向遊ばす同じ道筋 一所にお供致しませうかと聞ておだ巻床
几をおり ヲゝまだ咄したい事も有幸の道ずがら 此邊りの名所(などころ)を教て貰ふが歌枕 いざ
先つさきへと有ければ 是は又御めいわく 私も兄秦次郎も 御存の通り奥州生れ 名所
共旧跡共まだも知たは都の巽 ヲゝ宇治の介といふ事か 鹿ぞ住むなるそもじの庵 草
ぼう/\たる陸奥(みちのく)育ち 我等が好物こふお出と 笑ひも時の道草や打つれ てこそ
立帰る 幕しぼらせて立出る左大臣藤原の忠文 心よからぬいかりの顔色 それと
さとつて蘭監物エゝにつくき桜木親王 忠文公のお心をかけられしおだ巻姫との

密通 忍び逢手筈立聞取たる我君 お腹の立は理りとお髭のちりを供の侍 両人
が前に手をつき 叡山の剛寂僧都 鋳物師の大作を伴ひ 只今是へといふ内より 早出
来る剛寂僧都 顔も姿もあかづく数珠跡につゞいて四(よつ)塚大作 大胆不敵の顔(つら)
魂 忠文見るより面をやはらげ ヲゝ僧都か待兼し 次なる大作よなちかふ/\と聞て四塚
傍に指し寄り 先達て仰付られました 三井寺の鐘に寸分ちがはぬ釣鐘を鋳立 人知
ず密かに摺かへ 其鐘は仰に任せ 是成僧都様の寺 比叡山迄遣はし置 それ故其訳
を申上んと僧都様と御同道 と半ばを聞て剛寂僧都 只今大作が申す通り 三井寺


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おいて天下長久の法を経(しゆ)せよと 帝よりの勅諚 折に幸ひ奪ひとらせし 日本
無双の彼釣鐘 朱雀帝を調伏する 一つの器材此上なしと いふに忠文大きに
悦び 貴僧の行法疑ふではなけれ共 釣鐘を以て調伏する 其謂れ有りやいかに ヲゝ すべて
釣鐘の銘に 消滅滅為寂滅いらくと 無常の音声こもれるなれば あれなる鋳
物師大作に すりかへさせ釣鐘の突座へ 当今の諱(いみな)を印し 朴木(ほうのき)の撞木を以て 二六
時中是をつかし 我行力の秘密を顕はし 調伏する物ならば立所に命を取るは愚僧が
数珠さき 心安かれ忠文公と数珠つまぐつて物がたれば 忠文ぞく/\小踊り

今に始めぬ僧都の詞天晴/\ 帝さへ片付てしまへば天下は我物 何と蘭めでたいか
アいや/\ 天皇は片付けても 弟の桜木親王 まだむつかしいは六孫王経基 彼等が仕廻ひ
は何となさるゝ ヲゝそれにこそ能き方便(だて) 幸かなおだ巻が館にて忍び逢桜木親王 其
夜を待て我家来を勅使として入込せ おだ巻を入内させよとのつ引きさせぬ勅諚
ごかし 受取て連帰らば 日頃恋しう思ふおだ巻我手に入る是一つ 二つには桜木親王 后に
定るおだ巻に不義働しを科に落し 其上先達て盗取 三種の神器 剛寂方
に預置き 此紛失も親王が所為(しはざ)なりと云廻し 討殺すに何の手間隙 其外経基月(げつ)


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卿(けい)雲閣 此忠文が心に背くやつばらは是見よとくより盗み置 諸国の軍勢催促の 此
綸旨にて味方を招き 一々に討取は忠文が方寸に有 ちつ共気遣ひ蘭と汗押拭ふ
て語るにぞ 剛寂僧都すゝみ寄 驚き入たる御計略 去ながら 其贋勅使はあぶな物 誰
をかさしてやり給ふと 詞の下より四塚大作 イヤ誰彼といはふより差詰我等勅使の役と
いふに忠文頭をふり イヤ/\/\ 其使に我家来に 顔(つら)見しられぬ者を選り出し 勅使として
遣はさん 僧都にも大作にもしめし合す事有ば 是より直に身が館へ ソレ監物供ぶれ
せよと 早立上る気早の忠文 付そふ監物けんぺい顔 僧都護摩にふすぼりし

姿は仏気は牛頭馬頭 鬼一口や加茂川原 堤づたひを鋳物師が打連 てこそ「立帰る
五条わたりの一構 主をとへば姫の殿 小野の大臣実頼公の忘筐 おだ巻姫の花館
男まれなる 姫ごぜ原庭の 憂草やせたがる苔は面白き嬪婢(はした) 御用の隙と夕
顔や 卯の花水鶏(くいな)郭公(ほとゝぎす)銘々題の沓冠 歌の稽古も習ふより馴しお末がせつかい
も 鶯程の口まねは 遉堂上成けらし サア詠草が仕廻いなら 清書願ひはいつもの
通り宇治の介様 コレ瀧波殿まんがちな 小柴が先へして貰ふ ヲゝいやらしいと争ひも 濡縁
前(さき)の中間共 コレ申女中方 女護嶋の様な屋敷に男といふては宇治様一人あふたり叶ふ


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たりと性の悪い御家老様 此箒と同じ事で 一遍づゝは撫廻し 跡は掃溜笑止な衆と
譏(そし)る悪口裏門口 御車悠(はるか?)に引捨てて竹の園生の御身にも 恋のお供は夕霧一人 警
蹕(ひつ)の声咳ばらひ 待まふけたる宇治之助 わざと落付家老顔 ヤアさはがしき嬪共 物
がたき当家の格式は兼て能しつつらん 男女の属もなく不行儀千万 以来をきつと嗜
め 汝等も重ねて 女原となれ/\敷 不届きあらば曲事たるべし 立ていかふと四角八面 きめ
付られて中間の ちう共いはずこそ/\/\ まいて仕廻ふてもふよい/\ 邪魔は払ふた嬪
衆 宇治様 もふしよげいでもだんないかへ 出来た/\親王様 いざ渡御ぞふと小声の言

上 勿体なくも大君のいかい世話じやと詔 夕霧御手を取参らせ誘ひ申せば瀧波小
柴 幕御簾さへも音すなと 半ば上れば振袖の 姫君様もお待兼と無理に 押
やり奉る 恋の馴たる物仕共 お仕合せなお姫様じやないかいの 何いやるやら恋に上下の隔て
はない 親(ぢん)さんしつほりお嬉しかろ アゝ勿体ない声高にいふまい ゆらの戸殿へ聞へると ヲゝそ
りや合点じや 是からお前と夕霧様の忍びの段 中間共をまかふとて宇治さんの
終に見ぬ こはいお顔も恋路故 誠に最前叱つたを 堪忍しやとしほの目もかは
いがられる生れ付き ホンニどなたもいかい御苦労 なんのいな是程は 時々宇治様に


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手を握られるお礼じやと 気をもたせてぞはつし行 又嘘をつきをる アゝどふやらこふやら
寝させまし 大方今頃は 君にも嘸叡感なるべし 我等もお上のお裾わけ賞翫せんと
抱付 一間の襖押明て 出る姿もゆらの戸とて お家のおもかぢ取なりも姫ごぜな
がら家老職 面目はいもう宇治之介是は/\悪い所へ ナニ此女中はずんど堅い我等朋
友 秦次郎時綱の妹 某に武芸を教くれと有故 只今組打の伝授真最中
ホゝ/\/\ 女中に似合ぬ武芸の稽古 宇治之介殿の伝授なら 組討よりも忍びの術
わらはに隠すが第一の 稽古の奥の ナ奥の事知るまいと思ふてか 姫君に迄武芸

を教へ 大切なお身に疵付る エゝ麁忽な御家老殿と叱る所なれど よふ取持しやんし
だ出来ました お身持を大事といふも 何とぞ天子のお妃に備へ 再び小野宮の家を
引興したさ 若し平人と猥らなる事も有るふかといくせの案じ 誰有ふ桜木親王様は 帝様と
一体分身 譬ば伊勢と三輪の神夜はくれ共昼見へぬおだ巻様のお仕合 ゆらの
戸が大願成就天晴智恵かな御家老様 夕霧御寮のお働きと両手をさげし主
思ひ 二人は案ぜしゆらの戸の鳴門こしたる心地せり 奏者の侍あはたゝ敷 左大臣忠文
公よりの御使急御用有る間 雑掌宇治之介殿 只今御越有べしとの御事也とのべ


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ければ ムゝ日頃当家と疎遠なる忠文より我を招く 子細はとも有れ行て参らふ 夕霧
奥へ気をつきやれと 詞残して出て行 程もあらせず表の方 勅使のお入とのゝめく
声 ハテいぶかしや 忠文公よりお召といひ 又もや夜中の勅使とは覚束なしと夕霧を 奥へ
/\とゆらの戸は衣紋改め出向ふ 勅使といへ名に似も付ぬ上下大小鎌髭武士 犬
上兵藤権柄に打通り 儲けの席にむづと座し 宣旨の趣外ならず 君いまだ御后の
御沙汰なきによつて 彼是詮議有し所 実頼が忘筐おだ巻姫 美人の聞へ有る間
御后に定められ 則今宵入内の車 御迎ひの勅使ぶ参つた 家の面目有難く思ひ

早々用意と聞て恟り めでたい事の重つて 又気の毒な此場の時宜 返答胸をいた
めしが 何事のお勅使と思ひがけない忝い 有がたい倫命ながら 姫事は父の大臣死去の
後は はしたなふ人となり 中々朝廷の宮仕へ思ひも寄ず ヤア宮仕へならぬとは違勅の科
イヤ/\それは御了簡違ひ 左様御意遊ばすなら打明て申上ふ 大臣の苗跡を継ねば
ならぬ一人娘 入内させては春日明神より伝りたる 関白の家断絶 ヤアこしやくな勅答 関
白は忠文公 たとへ先祖は何もせよ 役目なしの 浪人娘 イヤ浪人とはお詞が過まする ハゝゝゝ
親実頼が死したれば 無位無官のおだ巻 浪人といふたが誤りかと きめ付られて膝立


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なをし 此小野宮の家は 他の摂家と違ひ 大切有る家筋 先年平親王将門が謀叛
天下の大乱と成しを やす/\と切鎮めしも 武家の功とは云ながら 偏に摂政の謀深き
故 末の世迄の印にせよと 将門が繋馬の籏を此家へ下し給はり 今においてアレ あの
上段の間に錺置は 実頼此世にまします心 役なしの浪人とは ちとお勅使に似合ぬ
と理屈も此場を遁れたさ ぐつ共いはず立上り 御簾引ちぎれば親王姫君 逃の
き給ふを引戻し 驚くゆらの戸どこへ/\ こんな事が有故に脇へすべらす由緒呼はり
親王殿の上段の間 徒(いたつら)女郎両人共禁裏へ引て糾明すると 引立行んとする所に

勅使ぞふと呼はる声 ゆらの戸向ふに立ふさがり 合点行ぬ二人の勅使 直には得こそ帰
さじと いはれて俄にきよろ/\眼うぢつく間もなく 入来る 中納言光教卿いとも優
美の束帯姿 親王を見るよりも コハ存寄ぬ御入来と 御手を取て上座にすゝめ 次の席
に押直り 勅使の旨はおだ巻姫 謹んで拝廰あれ 左大臣忠文頻りに御后の事を
すゝむれ共 帝承引し給はず入内の御沙汰相止めらる おだ巻姫の御事は 御弟桜木の
親王の 御息所(みやすどころ)となし奉れよとの宣旨也と有ければゆらの戸嬉しさ限りなく ても扨も
御尤な御勅使の趣 かうなふては叶はぬ筈 姫君お受の勅答遊ばせ ハア御苦労や有


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難やと三拝九拝夕霧御寮 奥御殿で改めて御祝言 アイ/\/\と打連ていき/\いさ
み悦ぶ程 以前の勅使がむつと顔 こりや何の事 先(せん)の勅使はほつて置て 勝手のよい事
いふて来た 今の勅使を馳走答拝(たつぱい)無躾千万 それは格別不義者の姫親王詮議
する そこのいたと云せも立ずはつたとねめ付け 親王より儕か詮議 月代頭の匹夫
下郎 勅使とはまが/\しい 真直に白状致せ サア夫は サアなんと 問に及ばず 儕誠は
忠文が家来で有ふがな ムゝ成程そふじや ホゝ其筈/\ 親王今宵の御忍びを聞
勅使と偽り 科に取て落さんとの工よな ムゝ 成程そふじや ハテよく知て居めさる が親

王は不義の科遁れぬ/\ ヤア馬鹿者め 天子より御差図有て 御息所に備はる姫 夫レ
でも不義か ムウ成程そふじや 尤じや がさつても工合の違ふた事と うろ付背ぼ
ね笏ふり上 てう/\/\と打すへられ こりや何とする 何とゝは贋者め 検非違使
手に渡し 面縛せふかときめ付られ腰をかゝへて犬上兵藤 逃ぼへにして帰りける 跡は
とこ闇晴たる思ひ ヤレ/\弟珎らしや けふの訳をどふして知て 危い所へよふ来てたもつた
姉者人お久しやと装束ぬげば木綿嶋 職人あたまの四塚大作 忠文が仲間へは
いつて工の底を聞た故 裏をかく出来合の勅使 兵藤めは新参で公家の顔しら


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ぬを幸 けふの御難儀すくふたも 是を功に大切な願ひ有ての推参 お聞
届下されと畳に 喰付きしほれ顔 なふ大事ない爰へおじや 願ひの品は聞に及ぬ
勘当の訴訟じやの そつちから願はいでも 此間呼にやつたは こつちから赦したさ お果なさ
れた父上にも姉がかはつて勘当赦す 立派な元の侍に立帰り 力に成てたもい
のと真実 しんみの有様に イヤ申姉者人 願ひの品が違ひました 私が御訴訟は 此
後未来永々七生迄も やつぱり勘当して置て 下されといふお願ひと 聞より
ぎよつと弟が顔 寄り詰たるゆらの戸が 飛かゝつてたぶさ髪 取て引よせ擲きふせ エゝ

爰な人外 人でなし 其根性故浅ましい此姿 是が太宰の少貮良範の嫡男 伊
予の掾純友といはるゝ武士の形(なり)かいやい 打物取ては九州に肩をならぶる者なき身が 道ならぬ
将門に組し 広い世界を逃隠るゝ不便さ 心さへ改めなば勘当赦し 朝廷の御家人にしてや
らふと呼寄たかいもなふ やつぱり勘当してくれとは まだ朝敵に成る心じやな 天子に弓引く天
罰で 将門はやみ/\と 俵藤太に射殺されたに気が付ぬか 儕斗が先祖迄位牌を
削る不孝者 爰な天魔め 魔王めと打つ擲いつ引ずられ 引廻されても只ハツ/\ エゝ
しぶとい 返答せぬは心を改め随ふ気か コリヤ純友 姉が拝む どふぞ心を直してくれと恨


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も血筋血の涙 ハツア御推量の通り勘当赦され今更朝家の臣と成ては 比叡山
て将門に 誓し詞が反古に成 朝敵に成課(おほせ)るも 弓矢取る身の浅ましさ 御慈悲には
姉でない 弟でないとの御一言 願上たると座したる所動かぬ 武士の魂に 何と異見のせん方も
エゝ情ない 是程いふてもひるがへさぬ人畜生 どふなとしおれ 館の穢 立てうせふと突
放せば 弥勘当御赦されぬな エゝ忝し有かたしと ずんど立てのつさ/\ 上座に通り立
はたかり いかにゆらの戸 平親王崩御の後繋ぎ馬の御籏 関白実頼が預りしと伝へ聞く
純友先君の宿意を継ぎ 一天下に押立つる大事の宝 かゝる無位無官のやつ原が方に

置奉るは勿体至極 只今守護し立帰ると 上段に錺たる箱ひんだかへ行んとす ゆら
の戸すがつて待て/\/\ それを儕に盗れてはお家の恥辱 もふ赦さぬとおどしの懐剣身を
かへす はづみにばつたり箱の中引あふ籏も一筋に 思ひこんだる忠義と忠義 姉を急所の
一霞行方しらず成にけり なむ三宝盗賊め返せ/\とかけ出す 血眼血刀宇治之介
サア/\/\一大事 忠文我を呼寄せしは 親王姫君不義の詮議 神宝の紛失も御両所の所為
と帝へ讒奏 シヤア時も時今日に 家の断絶極つた 大事は御両所夕霧殿と裏より
落し奉らん そふじや/\ 早表へは敵の人数 いで一防ぎと宇治之介 又引かへしかけり行 程も蘭


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監物が親王姫君受取ん 渡せ/\と込入たり 向ふにゆらの戸長刀構へ龍波小柴も鉢
巻しめ まだ眉とらぬ白刃の切先 ヤア女ばら ちよこざいして引されなとおとなげなくも
渡りあふ 忠義はかはらぬ女武者 汗に白粉(おしろい)口紅粉(べに)の血汐を流して 「切結ぶ 庭の遣り
水鑓ぶすま忽修羅の衢の道 一足成共落さんと刃と命のつゞくたけ 多勢を相手に
手は負ほつ かしこにがはとくらむ気を 押しづめ/\ 此手ではよも生きまじ エゝ口惜しや お家を引興さふ
と思ひしも 皆あだ事と成たるか なまなか敵に生捕られ うき恥を見んよりも 片時も最
期を急かんと よろぼひ/\泉水は 則是ぞ広誓海八功徳地(ぐぜいかい八くとくち)と観念し どうど飛

込死したりしはかなかりける さいごなり 瀧波小柴 左右より尋さまよふゆらの戸様 行方はしらずか
こな様も ヤア此地にと気もそゞろ 草はら花分け漸と 引上見れど事切れてよべど 答も 草葉
のかげ 窺ひ見たる剛寂僧都 数珠つまぐつてしづ/\と立寄り 不便や女 忠義の最
期をとげしよな 去ながら 汝等必嘆く事なかれ 彼が寿命はいまだ成仏の時来らず 見
よ/\僧都が行力にて 只今蘇生さすべきぞと水に向つていら高数珠 女の魂魄呼ぶ
子鳥 泣をしるべに招魂の法 こしきげんらい経王経 帰り来れ/\と 金剛女立の秘
印を結び せめかけ/\祈る声 ふしぎや死骸にこたへしか一息ほつと 吹返せば ヤアお気が付たか


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ハア有がたや いかなる神か仏かと拝む片手の介抱に なふ情なや 迚も生きては居られぬわらは 御
慈悲には殺してたべ イヤ殺さぬ 生けて置て詮議が有 親王おだ巻どつちへ落した サア
いへといふた斗では白状せまい 是をいはすも又我行力 仕様はこふと遣り水に 突付け/\即座
の水責 是はとかけ寄る二人の女何かはしらず唱ふる秘文(もん) うんと一度に倒れふす 邪法と邪見
の拷問に 玉の緒切れて引取れば 又くりかへし唱ふる呪文 呼返されて目をぱつちり サア姫が
行方はなんと しらぬ/\ たとへ知るとて儕等に 云聞そふ女と見たか いはねばこふして又水責 よは
れは祈て蘇生(よみがへら)せ活けつ 殺しつ剛寂が 祈念の数珠は呵責のしもと此世 あの世の地獄

の追分 鬼に衣は是也けり 蘭監物姫君を宙に引立上人夫にか 親王は取逃したが 今一疋 
はつかまへたといふ声今はの耳にこたへヤア姫君 儕等に渡されふかと すつくと立を取てひつ敷 姫の
行方尋ふ斗 もふ用はないくたばれと ぐつと一しめ死骸は水葬 遖々其心底を見る上は 弥
神慮も其僧の方へ 是から姫を又責 親王が行方サアぬかせと 既に危く見へたる所に取て返す純友が
二人を 掴んでかつぱと投げ 早落られよと姫君の 跡見送つてつつ立たり 両人むづ/\
起上り イヤアわりや鋳物師の大作 忠文公に一味しながら姫を落すは二(ふた)心か ヤア大馬
鹿め 忠文一味と見せたるは きやつが大事にかけておる軍勢催促の 綸旨がほしさ


20
我靄(?しのび)の術を以て奪ひ取たれば 是からは伊予掾純友といふ大将軍 忠文ごとき
が幕下に付ふか おだ巻姫を助けたは我姉の主人故 剛寂坊主は眼前の姉の
敵 観念せよとねめ付くればもふ百年めと切かくる 切先ぐるめ打こむ池 僧都もこゝ
ぞ一世のせと 逃行跡をくらます邪法いづく迄もと追て行 宇治之介も大わらは主
人を尋るうろ/\眼 ヤア夕霧かお姫様は 悲しや敵を防ぐ中 どつちへやらお姿をと いふ
間も敵の人音刃音 まつ黒になつて秦次郎 コリヤ/\妹宇治之介 只今かけ付け
親王は御所へ供奉した気づかひない 姫の行方を早く/\ ヲゝ心得たといふ中も遁さぬ

やらぬ雑兵共 四方八方切ちらす 捕手の頭は犬上兵藤 池水くらふて這上る濡鼠の
蘭監物 ふるふ膝ぶし踏しめ/\ 秦次郎を遁すなと呼はる声々侍共 皆ばら/\と
追取巻 次郎から/\と打笑ひ 猪(しゝ)は射手に向ふといふ 相手がほしさに二度のかけ ひだ
るい時にのむない物 なしわり立わり八方無空刀を捨て人礫 追付け親王姫君の
祝言の水あぶせ 相伴さして遣り水へはらり/\と「投こんで まだ不足なら姫君の御
嫁入のお石打 それ受取れと盤石礫に兵藤が 首(かうべ)みぢんに打くだかれ わつとわなゝ
き蘭は あらぎも取られ逃て行最早相手は猿沢の池 逃ば其儘逃ていけ


21(裏)


22
生けて帰す気の長池 姫君尋ねみぞろが池 追付 世間広沢池 御中よしの女夫池
御産の紐の帯取池千代 万代が池迄も 朽ちせぬ武士の鏡池濁らぬ 家名を
                            顕はせり