仮想空間

趣味の変体仮名

祇園祭礼信仰記 (金閣寺~爪先鼠)

 

読んだ本  https://archive.waseda.jp/archive/index.html イ14-00002-225

参考にした本 同 イ14-00002-223

囲碁用語参考  https://www.ntkr.co.jp/igoyogo/yogo_589.html

 

 

90(4行目下) (第四 金閣寺の段
   「帰りけれ そも/\金閣寺と申
は 鹿苑院の相国義満公の山亭 三重の楼(たかどの)造り庭は八つの致景を移し夜泊の石岩下の
水 瀧の流れも春深く柳桜を植交ぜて今ぞ都の錦なる 松永大膳久秀旧恩の主君を亡ぼし
剰さへ慶寿院を虜にし此金閣に押籠置き遊興に月も日も 立や弥生の天罰にゆとり

有る間の栄華也 鬼当太相手に囲む碁の二番続けて勝ちのはま 鬼当太又負けたよな 城は源氏源
の義輝を四つ目殺しにした松永 中々我等は続くまいと 自慢黒白石片付け 閣へしらせの鳴子の綱 引
ばばら/\立出る石原新五乾丹蔵川島忠治 大膳が前に手を突けば ヲゝ呼出すは余の義でない 究
竟頂に押こめた慶寿院 此天井楠の一枚板 其裏に雲龍を画せよと望む故 其龍は誰にかゝ
せんととへば 狩野助直信か雪姫ならでないといふ 去によつてわれ達に云付両人を召捕 直信めに云
付れば四の五のぬかす 雪姫も同し様に名にとやら斟酌 とかく慶寿院が機嫌を取も心に一物有ッ
ての事 雪姫も手に入て抱て寝る我分別邪魔に成直信めは軍平に云付詰牢へぶち込だ


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三人の者共 慶寿院が警固随分と怠るなといへば鬼当太皆聞たか 雪姫を抱てねるは聞へ
たがあの義輝や慶覚を産だ慶寿院 どこに見込が有てあの様にして置かるゝぞ 此鬼当太が
兄貴なら引くゝつて存分にと いへば大膳ハゝゝゝ 何を若輩者のしる事でない 短ふいへば彼王陵が母を擒
同前 慶覚始め諸国の武士蜂のごとく發(おこつ)ても むさと我に敵対させぬ思案信長にもせよ此閣
に押寄せなば 一番に慶寿院を楯の板にくゝり上 此紐を喉に差付け一思ひ 去年五月宝町落
城の其後猫の子が一疋得手ざしせぬはきやつを人質に捕た故さ三人ながら弥油断仕るな 早く参
れ ハツト皆々詞を揃へ尤成御計略中々油断は仕らす 只今打たは時計の七つ 番代に参らんと打連れ

閣に走りける 大膳盤を押やつて ヤア鬼当太 残念なは浅倉義景 信長が計略に乗て亡さ
れた後直ぐ様ぼつかけ一合戦と思へ共 軍を預けん軍帥なし 無念なから此閣に引籠り遖能き士(さぶらひ)もかなと
望む折から 此下東吉といふ者 信長が手を離れ浪人し 我に奉公を望む由心得ずとは思へ共軍平がいふ
に任せ 信長謀を以て東吉を指し越さば こつちも謀に乗て召し抱へ候へと勧むる故 軍平を迎にやつたが未だ
帰らぬか成程/\ イヤモ万事ぬけめなき軍平隙の入ば彼東吉同道致すに極つたり 其間に一ぱい
給(たべ)ふ芸者共を相手にと 間(あい)の障子を押明くれば 芸子法師が取巻て いさめる中に雪姫が夫は牢
者の苦しみを引かへ妻は綾錦蒲団幾重か其上に泣しほれたる有様は 王昭君が胡地の花


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色香失ふ風情也 大膳近く立寄て 詰牢とは品をかへ舞諷はせて奔走するも 慶寿院が指図
した天井に墨絵の龍 直信にかはつて画くか 但抱れて寝る所存か どふじや/\と責られて 姫は漸
顔を上 思ひも寄ぬ御難題 絵の事は祖父(ぢい)様より 家に伝はる事なれば何しに辞退は申さね共水草
花鳥に事かはり墨絵の龍は家の秘密 雪舟様より父将監迄伝りしが何者の所為(しはざ)にや父を手に
かけ其上に家の秘書迄失へば 何を手本に画べき 其義は赦して下さりませ 同し事をいふ様なれど 直信
殿と我中は お前も知てござんす通りお主様のお情で夫婦と成た義理有ば譬此身を刻まれてもふ
義は女の嗜み事 私斗か夫迄牢舎とは情なやかゝる憂目を見せんより いつそ殺して下さんせとかつ

ぱと伏て 泣いたる 鬼当太アレ聞たか 慶寿院が望の通り云付れば家の秘書がないといふて そんなら枕
の伽さそふといや 直信めに義理せんさく胸が悪い 所詮邪魔に成る直信め軍平が戻り次第岩下
の井戸へ釣おろし 殺して仕廻へば跡がさつぱり 夫レ共に直信を殺しともなか おうといふて雲龍を書きなり
と 抱れて寝也と其方が得心次第 活かそふと殺さふととつくりと思案して よい返答聞迄は蒲団
の上の極楽責 芸者共張り上てうたへ/\といさめても 姫はとかくの諾(いらへ)さへ涙より外 なかりける かゝる所へ
十河(そがう)軍平 伴ふ此下東吉が 衿元に抜刀指し付け/\入来れば こなたも障子をさしもの大膳 ヤイ軍平
其手込は何事ぞ さん候是こそ此下東吉 御奉公を望推参致せ共 若し誤りもあらんかと油断


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致さぬ此仕合 ハゝゝゝ 家を望む東吉何の用心赦せ/\の詞に随ひ刀を鞘に納れば ムゝ聞及ぶ東
吉よな 苦しうないつつと参れ 身も信長には手を置きつるに 其信長を見限り大膳に仕へんとは
殊重/\ 腰があへて見苦しい 刀を赦して近ふ/\と詞の下 家来に持たせし指し添刀 渡せば取て遉
の東吉 両手をつかへ謹んで御覧のごとく四尺に足らぬ此下東吉 甲州山本勘助に較べては 抜群
劣りし小男 お馬の口か秣(まぐさ)の役か 恐れながら御譜代共 思召下されなば有がたく候と身を謙(へりくだ)り蹲る
ムゝ古へ斎の晏子(あんじ)といふ者 身の長けは三尺なれ共 候の上に立て国政と執り行ふ 武士の魂 人
相の差別善悪に寄べきか 左はいへ人には一つの疵の有る物とは慈鎮が哥 此松永も碁を好くが一つ

の癖 相手は是成鬼当太軍平ヤ幸い目見への東吉 試みに何と一番打たふかい 是へ/\と盤引寄せ招
く頤お髭の塵 取あへずお相手と盤に向ふも先手後手 軍平是で見物と腰打かけて指しう
かゞふ 隔ての障子 そろ/\と人間(ま)を忍ぶ雪姫が 心一つの物案じ 囚れたを幸いに 御恩を受た慶寿院
様 奪返そふか 夫の命も助けたし アゝどふがなと指うつむき ちゞに心を砕くは碁立大膳は先手の石
打や現のうつの山蔦の細道此下が 関(いつけんとび)に入込だも 松永を毅(うつてと)る 岡目八目軍平が 助言(ぢよごん)と
しらぬ大膳が 詞も有ると打點(うなづ)きいつそ此身を打任せ枕かはそとつい一言 いふたらいとしい直信様
牢舎を助てくれもせふとはいへ憎いあの大膳 何と枕がかはされふ いやといふたら夫の命 あぶない


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事の 大膳が石が既の事 アいや/\死る此白石 どふやら遁れ鰈(かれ)の魚(うお) 白き方には目がなふて 有る
かないかの辻占を聞もだく/\胸撫おろし ほんに昔の常盤の前 夫の敵清盛に 枕ならべし例(ためし)も
有 夫レは子故 わしに子迚はなけれ共 大切なお主の為 指し当るは夫の命そふじや/\と立上り 震ふ
膝ぶし松永が 後におづ/\立寄て 先程のお返事を申/\と手をつけど 碁に打傾く顔を
も上ず 覗くは誰じや アイ私でござります 先程のお返事を ムゝ雪姫が顔の白石 返事とは
マア嬉しい 抱れて宿石(ね?ま)の返事じやな アイあいとはうまい 昨今の東吉が見る前 恋は曲物赦せ
/\ ハア是は/\痛み入たる御挨拶 主と成家来となれど 碁の勝負には遠慮は致さぬ

軍平殿 いかにも左様 女房に征(してう)とはづんでござる大膳様 ヲゝサ/\ 晩には一(いち)目 劫(こう)おさへて 此東吉が点(なかて)を
入て 面白い 信長ても直信でも 切て仕廻へば徒目(だめ・あため)も残らぬかい いか様左様と当太が助言 軍平切/\
切てしまへと碁癖の詞はつとかけ出す十河軍平 姫は驚アゝコレ待た 切とは誰を ハテしれた事 狩
野直信 ノフ待て下さんせ 夫を殺すまい為に大膳様のお心に 随ふ心で爰へ来ても 碁に打入っ
てござる故指控へていたはいのふ マア/\待て下さんせ 何じや身が心に随はふ アイ/\そりや真実か 余(あんまり)
急で呑込まねど軍平待て 碁にかゝつては傍邊り姫が来たやら何いふやら あぶないは狩野の助
ハゝゝゝ なふ東吉 彼太平記にしるした 天竺波羅那国の大王 まつ此ごとく碁に打入 過つて沙門


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を殺した引事 夫レは因果 是は眼前 コリヤ雪姫 心にさへ随へば直信は助けんと 番ひし詞反古にも成
まい暮んを待て閨の盃 抱て寝た其上で直信赦してくれふと いふに少しは落付思ひ 大膳
盤を打ながめ 大方此碁もおれが勝ち 勝負を付けて見やうかい 然らばおれ様と東吉が 向ふ敵は小
田信長 此大膳が後陣の備へ つゞく碁勢は 有る共/\有馬山 いなの笹原足つくな突たら大事
か取てくりよ 取とは吉左右天下取 国をとろ/\とろゝ汁 山の藷(いも)から鰻とは 早い出世のやつこらさ三
五十八南無三宝大膳様が負けじやと はま拾ふ間も短気の松永 盤を掴んで打付くるを す
かさぬ東吉扇のあらひにつこと笑ひ 総て碁は勝んと打んより 負けまじと打つが碁経の掟 東

吉が癖として 囲碁に限らず口論 或いは戦場に向ふても 後を取る事大嫌ひ盤上は時の興
勝つべき碁を態負るは追従軽薄 負腹の投け打なら 今一勝負遊ばされんや 何番でもお相
手と 井目(せいもく)すへたる東吉か 手談も嘸としられたり 大膳も納得し面白い碁の譬 見かけに寄らぬ
丈夫(あやしみ)の魂頼もし/\ 誠武士の肝要は軍の駈引 其駈引には智謀が第一 汝が才智(?)を試みん
には 何をがなと思案の内 傍なる碁笥を追取て目宛は岩下の井戸の中 ざんぶと投込いかに
東吉 今打込だ碁笥の器 手をぬらさず取て得さす工夫や有か/\と猶予もなく庭におり
立金筒樋漲る瀧の流れを直に井の内へ暫時に汲取早業は 井桁をこして水の上浮めて


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取たる件(くだん)の碁笥 有合盤を打返し四つの足の真中に据へたる碁笥は信長が 首を提此
ほとく 首実検の其時に用意に用る碁盤の裏 四つの足を四星に象(かたと)り軍神の備へとし
小田を亡す血祭と盤を片手に指上げしは 下邳(かひ)の土橋に石黄が沓を提し張良も斯
やと斗いさましし したり/\と松永兄弟軍平も舌を巻 かほど才智を備へし東吉 御手
に入こそ吉左右めでたし 先/\一間に入有て御酒宴もやと勧むればいかにも/\遖頓智 弥
軍師に頼の盃 鬼当太軍平案内せよと 令する詞に両人か伴ひ「奥に入にけり(爪先鼠の段)
跡見送て大膳か サア是からは雪姫に目を見せふと手を取しが イヤ/\/\ 抱て寝ぬ先今一度 

ついくる/\と墨絵の龍 天井に出来れはよい コレサ望かゝつた大膳次手に望を叶へてたべとさ/\と
寄そへは サア申はお心に随ふ上知てさへいる事なら 何しに筆を惜みませう 先にも申た秘密の
書 終に見ぬ自ら手本なふてはいつ迄も ムゝ尤と點きしが さけたる一腰取直し 然らば手本が出た上では
いやとはいあはさぬ合点か アイ成程/\ 雪舟が残された 手本でさへ有ならは たつた今ても書きませう
お前に手本が 有共/\ いさ先ずこちへと松永は 姫を伴ひ庭におり 件の一腰抜放し 瀧にうつせば
あらふしきや 落くる水に龍の形あり/\怪しむ雪姫か 扨はと斗目を放さす 又も移せば生けるが
ごとき雨を起すやくりから龍 隠せば隠るゝ希代の釼手に持ながら松永も奇異の思ひ


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をなしにける 姫はすかさず身繕ひ 守り詰たる大膳が 刀奪取とつくと見 ホゝ扨こそ尋る
くりから丸 親の敵大膳やらぬと切かくる かへくゝつて遥に投退 テ心得ぬ 我を親の敵とは 何
を証拠と云せも立ずヲゝ其証拠とは此釼 祖父の雪舟唐土より持帰り 家に伝へしくりから
丸 朝日に移せば不動の尊体 夕日に向へば龍の形くりから不動の奇特を以て かくは名付けし
此名剣 父雪村迄伝はりしが 河内国慈眼寺 潅頂が瀧の本にて 父を討れ刀も紛失
され共くりから丸といふ名を包 家の秘書か 見へぬ/\と云ふらせしも 誠は釼を見出そふ斗 姉様
と諸共に 心を砕いた父の敵 今といふ今剣のふしぎを見る上は 敵もこなたに極つた サア尋常に勝

負仕やと 又切かくる釼をもぎ取 ハゝゝゝびくしやくとはね廻るな 年来天下を覆す望有て
三種の神宝を仮に拵へんと思ふ折節 いかにも 潅頂が瀧の辺(ほとり)において 此刀を水に移し龍の
形を顕はし見る老人一人我も其場に行かゝり遖能名作名剣 武士の守りに成べき物と 一向
に所望すれ共 承引せざる奇怪さ 人知ずぶち放した 釼は其時 討捨てた老人は雪姫 そちが親
将監雪村で有たよな 年月の無念も嘸也 此釼がほしいか 某が首もほしかろな 先立た姉
花橘が追善 雪姫が心ざしにめんじ 討れてやりたいが マアならぬ 義輝さへぶち殺し 天下はもと
より王位をも望む大膳 匹夫づれが敵などゝは 小ざかしい女めと 立蹴にはつたと踏飛し 足下


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にふまへる折こそあれ 鬼当太是にとつつと寄 姫を引立後手に縛りからむる後へずつく此下
東吉 ハツアかやうな事もあらんかと 見へ隠と窺ふ所 御主人をねらふ女 なぜ細首をぶちめさ
れぬ 東吉がお目見へに いですつぱりいはして御覧に入んと 刀ぬく手をとゞめる松永 待々東吉 我
思ふ子細有れば 無成敗はさせぬ/\ 軍平参れと呼出し コリヤ そちに預た直信め ソレ舟岡山へ引
出し 五つの鐘を合図 一分ためしにためして仕廻へ 然らばアノ雪姫も一所に引立申べきか アゝいや/\そふ
は成まい トハ又なぜでござります なぜとは無粋ホゝ鬼当太 アレあの縛られた姿を見よ 雨を
おびたる海棠桃李 桜が元にくゝり付 苦痛を見せた其上で 抱て寝るか 成敗するか 二つ

一つはマア後程 軍平は早く/\と追立やり 大膳は上見ぬ鷲 欣然と席を改め コリヤ/\鬼当
太 其方には此釼急度預ける 慶寿院が警固怠りなく云付よ ナニ東吉 わりやアノ女が首
討んとんな ホゝ 新参なから某をかばふ心底満足/\ 今より弥我軍師 小田が家にて千貫とらば二
千貫 一万石でも望次第 恋の媒鳥(おとり)の其女 ワレくゝし上てうきめを見せよ ハゝ畏つたと藤吉当
太 引立/\桜か枝 くゝるも主命 主従が打連れ奥に入相の鐘も霞に 埋(うづも)れて 心細くも只  ←
一人むざんなるかな雪姫は 何を科とてうらまれし 夫も最早最期かと 思へばそよと吹く風
もあはや夫ぞと見上れば花の散さへ恨なる今ぞ生死の奥座敷 諷ふ調子も身にぞ


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しむ 花を雪かと詠る空に 散ばぞ花を雪とよむ命も花とちりかゝる 狩野助直信が
最期も五つ限りぞと 軍平に追立られ 屠所の羊のあゆみ兼 佇む夫婦が顔と顔 ヤアこは
我夫か 雪姫かと 寄んとすれど縄取が 引ぱる縄の強ければ 見かはす斗涙声 かふならふとは思ひ
も寄ず お主様を奪返し 舅の敵も供々に 尋ん物と思ひしに むざ/\死る口惜さ 何とぞそ
なたは存命(ながらへ)て 慶寿院の御先途を 見届ける様に頼ぞや ナフ其お頼みは皆逆様 科もない身を刃
にかけ 跡に残る¥つて何とせん 一所に行たい死たいと叫ぶを軍平せゝら笑ひ アゝよしなき女の腕立てから 狩
野助を殺すといひ 其身も縄目の憂面恥 まだも頼みは大膳様 其器量にうつ惚て 御

不便がかゝつて有 どふぞ最一度詫言して 抱れて寝たがましであろ アゝ不便やと夕間ぐれ
追立/\引れ行 見送る身さへからまれて 行も行かれず伸上り見やればさそふ風につれ 野寺
の鐘のこう/\と 響きにちつや桜花 梢もしほれ見もしほれ しほれぬ物は涙なる やゝ
泣入し目をひらき ヤアの鐘は六つか初夜か 夫の命が有中に ホンニそれよ まだ云残した直信
様なふ 父の敵は大膳じやはいのふ エゝ此事がしらせたい 此縄といてほしいなァ エゝ切ぬか とけぬかと 身
をあせる程しめからむ 煩悩の犬我と我身を苦しむるうき思ひ ヘエあの大膳の鬼よ蛇よ
人に報ひが有る物かない物か 喰付ても此恨みはらさいで置ふかと 悔の涙はら/\玉ちる露


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のごとくなり ヲゝ夫よ/\ 三井寺の頼豪法師 一念の鼠と成 牙を以て経文を喰さき 恨みを
はらせし例しも有 此身 此儘鼠共 虎狼共なしてたべ 南無天道様仏様申/\ コレ拝たふても
手が叶はぬ エゝ無念口惜やと踊上り飛上り 天に呼はり地にふして正体 涙にくれけるが ハツア
誠に 思ひ出せし事こそ有 自が祖父(ぢい)の雪舟様 備中国 井の山の宝福寺にて僧となり
学問は志給はず とにかく絵を好み給ふ故 師の僧是を誡めんと 堂の柱に真此様に 縛り付て 
折檻せしが 終日苦しむ涙をてんじ 足を以て板縁に画く鼠 縄を喰切助しとや我も
血筋を受継て 筆は先祖に劣共 一念力は劣らじと足にて花を かき寄/\かきあつめ

筆はなく共 爪先を筆の代 墨は涙の濃き薄き桜足に任せてかくとだに 絵は一心に寄物す
ごく すは/\動くは風かあらぬか 花を毛色の白鼠 忽爰に顕れ出 縄目の蔓草の根
を 月日の鼠が喰切/\ 喰切はづみばつたりとけしがむつくと起き ヤア嬉しや 縄が切たかほどけたか
足で鼠を書たのが 喰切てくれたかと 見やれば傍(あたり)に散る花の鼠の行衛も嵐吹 木のは
と供に 散失せたり 姫は夢の心地もさめ 嬉しや/\本望やと 悦ぶ足も地に付ず 夫の命を助
けんと かけ行後へ弟鬼当太 どつこいさせぬと首筋掴んで引戻す 放せやらじとせり合中
はつしと打たる手裏剣に 当太が息は絶にけり 是はと驚見返る所へ ヤア/\雪姫しばしと


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とゞめ 腹巻に身をかため悠々と立出る筑前守久吉 何事も最前より 窺ひ知たる
始終の様子 先祖の雪舟渡唐の時 明帝に望まれて天満宮の渡唐の神像 画(えが)く称
美に取かはせし くりから丸は是爰にと 当太が死骸の一腰を 取て渡せばとつくと見 ヲゝ成程/\
家の秘蔵の此釼 祖父様が唐土(もろこし)で お書なされた渡唐の天神 今日本に弘まつたも 雪舟
様が始じやと 爺様の物語 此名剣が手に入からは いで踏ん込んで大膳をと かけ入を押とゞめ 一途
にはやるは尤ながら 申さば彼は天下の敵 親の敵は又重ねて 慶寿院の御身の上 此久吉が受
取た 軍平に申付 直信の命の上ちつ共気遣なけれ共 何かの様子をしらす為 一刻も早く舟

岡へと 聞に心も浮立斗 そんならお主を頼むぞへと 釼を腰に裾引上 小つまほら/\花の浪 舟岡
山へと 走り行 既に其夜の月代も傾く運命松永が 熟睡の折よしと指し足抜足 慶寿  ←
院の御座所 究竟頂の楼(たかどの)ぞと 見上る空に赫(かく)々たる 星の光はあらいぶかし 時は今
春の末 春は木也 青陽の東に当つて 木曜星寿命豕(い)に建(おざす)時は ムゝ ムゝ 忠臣君に
代りといふ 天の吉瑞めでたし/\ 二重の楼(らう)には梯子を引て 宿直(とのい)が物音しすましたりと
見廻す広庭桜が枝 是幸いの梯ぞと取付 登ば鼯(むさゝび)の 木伝ふましら苔むす枝 梢
の花か又ちら/\ 雪のふゞきと怪しむ斗 漸と勾欄に手をかけたる額は潮音洞の縁がはへ


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ひらりと飛込むはづみに連れ 雨戸障子はばた/\/\ スハ狼藉者忍びしと 切ッ刃廻せば
真柴久吉 ヤア狼藉とは寛怠也 慶寿院の迎ひの者 尋常に渡せばよし 異議に及
はゞかたつぱし 目に物見せんとつつ立たり ソレ物ないはせそ生け捕れと 捕たとかゝる丹蔵が 十手ふる
手を衣かづき 右へとつたり投こせば 弓手にかゝる新五がひはら 蹴上ぐるさそく川島忠治 コリヤ
させぬはと後ろ抱 後矢筈にしめかくるを沈んで前へコリヤ/\/\ 投る軆は真倒(まっさかさま)みぢんに成て死
てげり 一度にこりぬ石原新五 向ふ様を衿じめにしつかと取 こなたも押さへて揉みあふ中乾が
尾をふるだん平物 後より切付くる まつかせ合点と石原を 三つに梨割味方打ち 刀もぎ取

丹蔵が 首は遥かに飛ちつたり 扨々無益の隙入と 見やる三重段梯子 跨ぐる楠の一
枚板 登れば 登る楼閣は 究竟頂に儲けの構へ 今ぞ御身の上なりと 慶寿院は覚
悟の体 小袖の鎧を恭しく釈迦観勢の三尊仏 口に称名一心不乱脇目もふらずおはし
ます 御前に頭をさげ 小田信長が家臣真柴久吉 御迎ひに参上せり 静かに御用意
といふに念誦を止(とゞめ)給ひ ナニ信長の迎ひとは ホゝいしくも来りし嬉しさよ 去ながら かくも敵の
虜となり いつ迄命惜しむべき 未来仏果を得させよと 御目を閉ぢて合掌し再び 仰
はなかりける ヘエ云かいなき御所存かな 信長が諌めにより慶覚公にも還俗(げんぞく)有 義昭公


103
と諱(いみな)を改め 足利の家を起さんと 軍勢催促最中也 此閣外には某が一味の武士
御迎に満々たり いで御安否をしらせんと 腰に付けたる備用急 相図の狼煙取出し 立明かし
の灯を移せば 叔南塘(せきなんとう)が火龍炮(くはりやうほう) えん/\ともえ上り 雲間にたな引入ると等しく 相図の
太鼓合せの螺(ほら)吹立/\ 打ならし 数千の提燈えい/\声 天地に響き動揺せり
慶寿院も安堵の思ひ 久吉御手を取参らせ 鎧を小脇に 段々梯子 二重の楼に
おり立て 心に點く即座の気転 鎧を直ぐに御着背(きせなが) 御身を鎮に 忍ぶ竹 天より
橋を呉竹の 梢はしいわりふうは/\ 其身は元の桜木に 取付さがるさゝ蟹の

蜘のふるまひ いと危き 庭におりしも十河軍平 狩野の直信雪姫も立帰り
御母君の御安体悦び申せば御目に涙 雲龍を画せよと二人の者を呼寄しも 大膳
を欺いて奪ひ返せし家の籏 慶覚に伝へさせ 潔く死ん物と 語り給へば十河は手をつき 某
軍平とは仮の名 誠は久吉の郎等加藤正清 かほど大勢取囲むに折合ぬ大膳 めさまし
させんとかけ寄て 一間の障子蹴放せば 四方四つ手に鉄の網 力士のごとく真中に すつく
と立たる松永大膳 信長が計略斯くあらんと察せし故 兼ての要害油断はせじ 何
さ/\ 七重八重に網を張る共我見る目には童すかし 蛬(きりぎりす)籠におとつた工 踏潰し


104
首取るは安かりつれ共 信長が差図によつて 慶寿院を奪ん斗 義昭公に御馬を勧
め 汝が本城 志貴(しぎ)に向ッて攻め寄せん ヲゝサ/\面白し 我本城に攻来らば 叡山法師を
相かたらひ 花々敷軍せん ヲゝいふにや及ぶと睨みあひ互に肘を春の風 こち吹風に
翻す籏よ 鎧よ母君と 供にかゝやく袖袂 供奉(ぐぶ)する真柴は大鵬の 万里に
羽打朝嵐 正清直信雪姫が再び手に入くりから丸 かげをうつすや其奇特瀧は今
より龍門の 名を万天に鳴響く 爰は都の金閣寺 庭の桜の春かけて詠めを 
                              残し帰りける