仮想空間

趣味の変体仮名

ひらかな盛衰記 第四

 

 読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      イ14-00002-696


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   第四
山遠ふして雲旅人(りよじん)の跡を埋(うづむ) 爰も名にあふ香嶋の里西国の往還迚 賤が家
居も賑はへり 今日は天道大日如来 未申の年は御一代の守り本尊と 錫杖ふり立家々
に立辻法印 きんじやうさんぐさいはいさいへいと敬つて白(もふす)伊勢に神明天照宇太神宮と申
奉るは 御本地は大日如来真言にはおんあびりた ていぜいからかくのごとく唱へ奉れば ヲゝ手の隙
がないとをらしやれ 山伏の内へ斎料(ごきれう)乞ふは山伏の友喰と 云々女房表に出 コレ嗜しやれこ
ちの人 是は扨うか/\来たればつい内じや ぎえん直しに錫杖をふり立/\ 今日の天道大日様も聞

へませぬ あんまりけふは儲けがなさに頤は未申の年 一代守るは大きな嘘 分際(ぶんげん)菩(ぼさつ)とくたい
勢至の金持斗を守つて 我等が内には不動様の火焔の様な火がふり 福一まんとは名斗 下(げ)
用櫃にはこくざう菩 米がないとせがまれ 天窓の皿は八まんほうぞう われ鍋にとぢぶたの
女夫が口を過難(すぎかね) 何と千十観世音文殊菩のちえかつてちつと小銭を設けねば 中々身代
たゝりん/\ たゞいをなすなよこちのかゝ敬白(うやまつてもふす)としやべりける コレ法印殿 けふは儲が有たやら仇
口をきかしやるの 草臥休めに出端なこまそふと 茶釜の下へ指しくべる 其日の煙もかつ
/\の 暮しを祈る術もなし 世にうき事の 多き中 お筆は若君駒若殿を樋口次郎が手に渡し 妹


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千鳥に廻り逢親の敵をねらはんと 上福嶋よりあなたこなたと尋詫び 香嶋の里に着にける
妹が身の上聞く為には幸の山伏殿 ちと御免成ませと内に入 私は旅の者筮(うらない)がお願申たい
能こそと女房為業(しごと)押やり 薄くと一ぷくこしめせと 詞の塩に指出せば しかつべらしく法印 愚僧
が筮は秘伝の投げ算 或は失せ物走り人 夢合せ夢判じ相場の高下 相性墨色薪の
雑書は釜の鳴り 犬の長鳴き鶏の宵鳴き烏の行水 親父の夜あるき息子の看経(かんきん)する迄
も 奇妙な見通し 銭次第とぞすゝめける アイ私はたつた一人の兄弟を尋る者 つい廻り逢
手かゝりを筮て下さりませ フウ夫レはよつ程むつかしいが たんてきに筮ませうとふろ敷よりさん

木取出し コレ信を取りませうぞ ついべりかけする様に投た分ではいかぬぞや 成程/\おまへの様な見
通しに お目にかゝるは仕合と算木投ぐれば ヲゝよし/\ナニ年はいくつじや アイ十七八でもござり
ませうか 成程十七八と見へる こなたの弟御じやの いえ/\妹 ムゝ成程算木の面に女ゴと見
へる 何年程逢しやれぬ 五六年も逢ませぬ 成程五六年も逢ぬと見へる こなたの尋る
心充てはどこじや アイ人の噂には神崎に勤奉公 ヲゝ神崎に勤共/\コレ見やしやれ 占の面には籠
の中の鳥のごとしと有れば 廓の外へ一足にても踏もならはぬと 古い書物にしるした上は 勤の身
は籠の中の鳥 妹御は神崎に傾城奉公に疑ひない 何ときつい見通しか イエ/\そりや私が口


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うつしをおつしやる斗 廓の中でもごこらに居よふと 方角さして下さりませ ハテめつそうな
夫が見へる程ならば山伏はしませぬ 相場事にかゝるわいの ナア嬶そふじやないか 此在はづれを
まつ直に行ば神崎 逗留して尋さしやれ ハア夫なればぜひも内義に包紙 たとへの
ふしに陰陽師と 辻風ふせぐ笠かたふけ お筆はかしこへ急ぎ行 ヤ女房共此お客はどこへじや イヤ
どつちへとの先もいはずけさからおるす コリヤ悪い病が付たわい 銭なしの手転業じやの ハテそ
さういはしやんな 神崎のお傾城梅ヶ枝様は得意旦那 其佳みで誰有ふ梶原様の御惣
領源太様を頼り 米薪みそ塩迄梅ヶ枝様から仕送り お歴々のあなたがそんな事何のい

の イヤそふでない 贅はしたしちやんはなし 悪気の付まい物でもないと噂半ばへ 立帰る 梶原源太
景季勘当の身の寄せ所 辻法印にかくまはれ見るかげもなき素紙子一点 門口から笠
取てやれ/\方々かけあるき 存の外草臥た法印嘸待て有ふ 何の待ましよ 急な事で
金がいある才覚頼むと 人に斗世話やかせどこにはいつてござました されば/\其才覚に身もあ
るいた 急な用が出来てきて梅ヶ枝に逢ねばならぬ といふてから紙子の風体 此形でではどふ
も行れぬ アノ此頃迄召ましたお小袖や羽織はへ 女房いふな夫は此法印が頼れて 七難即滅
とまげて仕廻た おろせやりてに紙花の借銭なしなされたくぁい おまへもおはれぬ贅はらずと


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傾城には紙子が定跡 イヤそふでない今迄太夫が情にて 見苦しい尾も見せず此形
ではいかれぬ あすへ共延されぬ其訳を聞てたも 義経公は一の谷の平家を攻んと 明日未
明に御陣立源太も此度高名せでは 父に再び対面ならず発足と定めしが 彼の産(うぶ)
衣の鎧兜 梅ヶ枝に預置き夫レがほしさに右の訳 したが思案も有れば有る物 けさより尼が崎大(だい)
物(もつ)の浦をかけ廻り 大将義経公一の谷へ御出陣 京都よりくる兵糧米 馬の飼料遅なはれば
米麦大豆の差別なく今日中に香嶋の里 辻法印が方へ持参せよ 則武蔵坊弁
慶殿御判居りし証文と引かへ 軍終らば倍増しで御返済と 百姓共をさらせしが 弁慶様

のお目にかゝり其上で御用に立と 追付爰へ皆来おる 爰が気の毒 何とぞ急に弁慶
を拵へずば成まい 指詰頼むは頭役法印弁慶に成てたも ハレやくたいもない 弁慶は兵(つはもの)愚
僧はよは者 七尺ゆたかの大の法印と 五尺にたらぬちつくり法印 似ても似付かぬお赦しなされ
イヤこれ足を爪立つれば 四寸や五寸はくろめらるゝ 其上をまだ継足して高足駄で背はくろ
める 弁慶が身の所作は仁王の形でして居りやよい あれ/\向ふへ百姓共隙取てはきの
どくといやがる法印むりやりに連て一間へ入にける 百姓共はどや/\と蒲笥(かます)藁畚(ふご)引か
たげ何と太郎兵 彼お山ぶは是かいの ヲゝ聞及ぶ辻法印爰じや/\と内に入 おかた様是の内に


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弁慶さまがござるげな 大物の百姓共お馬の飼料持てきたと 御家来衆にいふて下され
成程/\弁慶様もお待兼 どりや其通り申上んと立て行 景季は法印を弁慶に拵
立 一間を立出ヤア百姓共 約束ちがへず大義/\ 先程も云聞す通り 源氏の大将判官殿
の 御用に立は汝等が身の大慶 軍終らば一倍増にて帰さるゝ 御判頂戴するは有がたい
か ハア有がたうはござれ共 只証文より手形より 弁慶様におめ見へ致し お直の詞下さるゝが
御判よりも慥な そりや百姓等が願ひに任せ 只今是へと反故張のあかり障子 さつと
ひらき立出る辻法印 壓状(おうじやう)ずくめの弁慶出立肩から裾迄たばねのしの一枚形 白

あげに紺染の大夜着 女房がいつちよら帯引しごいてとんぼう結び 痩せたる頬に鍋炭
塗り 所まだらの武蔵坊 長刀かはりの金剛杖竹すのこを踏轟かす木履(ぼくり)の継足清(すま)
競(じう)見られんとふんばたかつたる其有様 さらに強ふは見へざりける 源太は態と両手をつき
大物の百姓共おめ見へと披露して こりや/\汝等 只今下におすはりなさる そこらあたり
へ地響きせう心得て驚くな ハア/\はつと恐れ敬ひためつすがめつ見られて術なき辻法印 見
せ物に出た心地也 百姓共口々に 何と聞及ぶたより手先なども青しらけ ひがいすな生れ
付きお背はきよいと高けれど からだに似合ぬおつむがちいさい ふり売の飯蛸で天窓に


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身のない弁慶様 あれでも兵様かいのと 目引き袖引つぶやけば 扨は旦那のお顔のやつれ
で 誠の弁慶様でないと思ふか 都から段々打つゞく戦場のお労(つかれ)殊に此間はお風をめして
おしつらひ 気むつかしさに態と物もおつしやれぬ アゝ御病気でなくば旦那の力が見せたいな アレ
見よあの右の腕に百人力 夫程力持つ者が弁慶様で有まいか あはれ
やれ米一粒借まいといふて見よ お腹が立と惣身の力がぷつぷつと涌出 千人でも万
人でも風に木の葉鬼に煎餅めり/\ぴしやりこなみぢんと 強い揃へを云立れば山
伏も図に乗て 強ふ見せんと拳を握り臂を張り 力めば額に黒汗ながれ わんばく

な手習ひ子が昼上り見るごとく也 百姓共は頭をさげ 其様にお強い事を聞上はのふ皆の
衆 何と思はしやる ハテ弁慶様に極つた迚もの事の念晴らしに今のを問て見さつしやれ ヲゝ夫々 私
共が在所の物知の咄に 弁慶様は書写にござつて 御紋はりんぼうと聞ましたが 見れば御紋は束(たばね)
熨斗 どふした事と問かけれられ 源太もほうと行詰り イヤ何者じやわい 僅かな兵糧米を
そち達に無心おつしやる風体 世に連れてりんぼうの御紋も びんぼうにかはつたと真顔になつ
て取かくれば アゝ笑止や何ぼ力が強ふても 銭限りには楯づかれぬ 内証聞ておいとしいとわ
ら畚蒲笥米俵 めん/\に持て出おらは白米一斗五升 大豆八升麦稗小豆濡手


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で粟のつかみ取 源太は硯引寄せ手っ取早く証文認め 書き判しつかと末の世に至りても大
物の浦にとゞまりし武蔵坊弁慶が 借証文とは是とかや 源太は名充に引合せ
一札渡せば受取て 畢竟是には及ばね共面々の念の為 軍終らば一倍増をお忘れな
されて下さるな お暇申すと打連れ立 川中でもはがれた尼ヶ崎大物さして立帰る 女房は走り
出 扨もひあいな欺し様 中程からほぐれがきてわしやあぶ/\思ふて居た 一向に此法印は始
終夢中でやり付たと 夜着を脱捨汗押拭ひ アゝ仕果せたと思ふたればどつかりと気草臥
れ ヲゝ道理/\ 首尾能いたもそちが影 源太は此ざこく物金のかはりに向ふへ束(つかね)身の廻り

を受戻し片時もくるわへ急ぎたし げに御尤去ながら持もならぬ肩仕事 凡そ是でも一石
余りお一人ではいかぬ/\ 時の用には法印も片はなを仕らん 若も是にて不足ならば弁慶が抜
がらの 夜着も次手にまげませふと 藁畚蒲笥指荷ひ 一足いては肩をかへ二足い
ては息をつき 香嶋の里に馬は有れど 君を思へばかちはだし 人は恋共しらげのよねに浮身
を やつすぞ「世なりけり 爰も名高き 難波津に 恋の舟着き数々の多かる中に
取分けて酒汲かはす神崎の里の色宿千年やは 客にたへ間もなかりける 殊に今宵
は公(はれ)のお客と書院座敷のはき掃除 亭主が袴中居が揃への紅も 園(そのふ)に植て


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隠れなき大名客御入と 表の方賑しく人目を忍ぶ旅乗物 お供廻りもかる/\゛と
地に鼻付けて主が答拝(たうばい)お出を待やこがれしと追従軽薄切声の 切戸より直
に舁込む奥座敷 梅ヶ枝様へ人走らせ夫お菓子たばこ盆 釜を滾らす音羽
山馳走ぶりとぞ見へにける 雪や霙や 花ちる嵐 かはい男に偽りなくば 本の心で淡
路嶋千鳥も今は此里へ 身をば売れてたり梅の 名も梅ヶ枝の突出しには名
木ならぶ方もなく ちとせが本に入来り 亭主立出 エゝ遅い/\梅ヶ枝様 けふのお客は
本国の去お大名 初対面から見請の相談 箱入の駿河小判ずつしりとしたお捌き

サア/\奥へと云ければ 東国とおしやんす其客の年ばい 廿(はたち)斗ででつくりと 色の黒い鬚
男かへ けもない事/\ 夫レで心が落付た わたしも爰に待合せ逢ねばならぬ人が有 おつと合
点そこは我等が請込 禿衆で座敷をくろめん お前の御用は彼のふかまの源太様に間の
襖を引立てこそ入にける 此姉様はなぜ遅い 杉を迎にやつたるに早ふ来はなされいで 心せか
れやアゝしんきと待に程なく 姉お筆千鳥に逢が嬉しさに 足もいそ/\やりてが案内
梅ヶ枝見るよりのふ待兼た姉様 さつきに道で逢し時 云たい事の数々も人目を遠慮 ヲゝそ
りや姉も同じ事 何からかからいふやらよふまめで居てたもつた お前も御無事で嬉しい


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冬便りも聞ませぬが爺様もおまめにあろ やつぱり桂の里にお住なされてござるかへ
御持病はおこらぬかと 問かけられてお筆は涙 まだとゝ様の事しらずか しらぬかとは気づかひ
どうぞいな アノとゝ様はお果なされたわいのふ エゝはつと斗に梅ヶ枝はしばし涙にくれけるが アゝ
思へばわしは不孝者 とゝ様は息才なまめでござると思ふから 我身の恋に跡先忘れ末々
面倒見届けうと 約束せしお人が不慮に勘当受給ふ 男の為に此勤め 身の徒に親の
事思はなんだ罰が当つて 命日忌日がいつじややらしらずに暮した不孝の罪 姉様こ
らへて とゝ様のお位牌へ 詫言をして下さんせとわつとさけべば ヲゝ悔みは道理 其上にまだ悲し

きは 煩ひでも有る事か刃にかゝり果給ふ 其様子は自が木曽殿に宦(みやづかへ)仮初ならぬ御主
人のみだい若君諸共父の方にかくまひしが 桂の里にも居る事叶はず 都を出て大津の
泊(とまり)追手の者が寝込へ切込くらがり紛れ ういろたへて相宿の 順礼の子と若君を取
違た其麁相が御運の強さ 先の子は殺され若君は恙なく慥な人に渡せしが 悲しい
は母御様其場でお果 隼人様もあへなきさいご 親の敵が討たさにそなたの行衛 しるべの
人に聞て尋し此神崎 廻り逢うたは兄弟の縁のふかさ 女ゴでこそ有ふず共 兄弟が心を合せ
本望とげふ 姉が力に成てたも 頼むは妹斗ぞと語るも聞も涙なる のふ姉様 悲しい中にも


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敵を討が梅ヶ枝がとゝ様への言訳 其マア敵は誰でござんすへ アゝ声が高い壁に耳 諸万
人の入込む色里的に洩れては一大事と 咄しの半ばへ亭主かけ出 サア梅ヶ枝様早ふ/\ お前の
背丈金積で身請の相談 座敷は金でまはゆい そこを不勤めになさるゝはどふした
心底 ぜひにお供と手を取ば アゝもふそこへ行といふに聞分けない コレ姉様今は何も咄されぬ
後に必来て下さんせ 成程/\今咄した事是非に今宵は延されず 其用意して
待て居や 後に/\と約束かためお筆は旅宿へ立帰る サア太夫様のお出の様子 お座
敷へ注進ときおひかゝつて走り行 シヤほんに何じやの 此梅ヶ枝が心もしらず 身請/\と

鳥持顔 いやらしい 夫はそふと源太様暮方からお越なされと香嶋迄文やつたになぜ遅
い事じや迄 早ふ逢たや顔見たやあはゞどふしてかふしてとたばこ引寄せくゆらする胸の思ひは
日にちたび 夜ごと/\に通ひくる梶原源太景季 心を尽せし身の廻り大尽小袖長
羽織 ほうつく頭巾紫の色に 引るゝ揚や町 千年が奥を窺へばおれを待のか畳算
てうど能首尾幸いと ずつと通れば梅ヶ枝は 炬燵にとんと身をそむけ 煙くらべん あさ
ま山とそらさぬ顔でふくきせる コレ歌所じやない来たはいの 何が機嫌に入ぬやらめつ
きりと待せぶり 大名の襟に付御勿体でえすか 我等が様な浪人の?(かび)た衿には


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つかれまいと ずんど立を待しやんせ 座敷斗を勤る苦で けふ爰へ貰はれたは文でしら
せて合点じやないかへ 色も恋も打こして心底づくの二人が中 口舌所じやござんすまい お前
と一たいかふ成たは並大抵の事かいな わしもいふ事たんと有と 袖から袖へ手を入じつと引寄せ引
しめて 遅ふ来ながら其安悪(いぶり)憎い男と目にもろき 涙ぞ恋のならはしなり もふよいな
きやんな疑ひ晴た 扨そなたに云事有 今夜七つの出汐に父を初め 弟の平次景高
一の谷へ出陣 某も能時節 軍勢に紛れ下るに付け そなたに預けた産衣の鎧 請取り
に来たわいのと 聞にはつと当惑の 色目馬手取る景季 いや/\気づかひ仕やるな長ふ別れ

る事でもなし ぜひ今度は行ねばならず おことも兼てしる通り もと某は頼朝卿のえぼし子
夫をかうに勘当の詫せぬかと 父の思はく世の人口 此度平家と戦はゞ 分捕り高名誉
れを顕はし 今の難義を昔語り悦んでたも梅ヶ枝と 何心なく語るにぞ 思ひ儲けし事ながら
俄にはつと胸いたみ 其鎧の事聞と心の苦しみ シテ其鎧が何とした わたしが方には
とふからない ヤア/\と源太も聞より狂気のごとく身をもみあせり 様子が有ふ子細を語れと
気をいらてば ソレ其様に浮世の事に疎いのが大名の懐(ふところ)子 浪人の中苦労させまいと此
神崎へ身を売 突出しの其日よりお前を客の名充にして 皆わたしが身揚がり 譬世に


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有人でも里の金にはつまるもならひ まして勤の身なれば金のなる木は有まいし はへる土
は持まいし お主の勘当赦(ゆり)る迄といつもの揚屋に呑込せ 積り/\し揚代三百両の
金のかはりに 其鎧はやつたわいな 扨は其金がなければ 鎧は源太が手に入ぬか はつ
と斗に当惑し 暫詞もなかりしが 元此鎧は頼朝卿に拝領 家にも身にもかへざるをし
なしたり残念や 今は悔みて返らずと胸押寛げ刀を取あ 梅ヶ枝あはて押とゞめこりや
まあどふ狼狽てじや 死いでも大事ない イヤ/\今夜の出陣をはつれ 一生埋れ木と
成のたれ死せんより 只今切腹そこ放せ サア/\其鎧さへ手に入ば お前の望は叶で

ないか シテ其金は どふして調へると御不審も立たふ そこがお前と談合づく 奥の客に
身を任せたらしなば 二百両や三百両の金は自由 扨はおれ故身をけがすか 夫の難
義にやかえはらぬ ふびんの者の心やな 譬死でも忘れぬと涙ぐめば アゝ女房に何の礼
お前が爰にござつては客をさらすに心がおかれる ヲゝ尤々後にこふぞや首尾よふ仕や が気
をもんで持病の痞 借銭のかはりに癪おこらしてたもんあと別れてこそは帰りけれ
跡見送つて梅ヶ枝は暫し涙にくれけるが 必気遣なさるゝな エゝ わたしが心充の有と
いふたは皆うそ お前の命が助たいばつかりじやわいな 内の好みもない奥の客が 三百両の


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金くれふぞ 今宵中に調へねば鎧も戻らず 源太様の望も叶はず 金ならたつた三
百両で かはい男を殺すか アゝ金がほしいなァ 二八十六で 文付られて 二九の十八で つい其心
四五の廿なら 一期に一度 わしや帯とかぬ エゝなんじやの 人の心もしらず面白さふにうたひ
くつさる あの歌を聞に付けても 源太様に馴初館を立退き 君傾城に成さがつても
一度客に帯とかず 一日なりと夫婦にならふと 思ひ思はれた女房をふり捨 此度の軍
に誉を取 勘当が赦されたいと思召す男の心はふんな物じや 何かに付けて女程思ひ切
のない物はない 男故なら勤するも厭ねど まだとの様な悲しいめを見よふも知れぬ

夫レも金故 何をいふても三百両の金がほしい わしや帯解かぬ 廿なら四五の 四五の
廿なら 一期に一度わしや帯とかぬ かへらぬ昔 恋忍ぶ ほんに夫レよ あの客殺して
身請の金盗まふ イヤ/\/\若し仕損じ殺されてはとゝ様の敵も討れず アゝどふせふな
最早日本国に梅ヶ枝が祈る神も仏もないかハアゝ ヲゝ夫レよ 夫ト故には石と成たる女
も有 我は賤しき流れの身なれど一念は誰におとらん 巌となれる手水鉢 水結
び上げ口すゝぎ伏拝み/\人に しらせ聞せじとひしやく追取 伝へ聞く無間の鐘をつ
けば 有極自在心の儘 是よりさよの中山へ悠の道は隔れど 思ひ詰たる我念力


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此手水鉢を鐘となぞらへ 石にもせよ かねにもせよ心さす所は無間の鐘 此世はひ
るにせめられ未来永々無間堕獄の業をうく共 だんない/\大事ない 海
川に捨たれる金 一つ所へ寄せ給へ無間の鐘と観念す面色忽ち紅梅の 花はちり/\
心も髪も逆立上り ひしやく持つ手も身も震はれ既に打んとふり上る 二かい
の障子の内よりも 其金爰にと三百両 ばらり/\と投出す 深山おろしに山吹
の花吹ちらす「ごとくにて 爰に三両こしこに五両 是は夢か現かや どなたかし
らぬ此御恩死でも忘れぬ/\と 嬉しいやらこはいやら拾ひ集むる心もそゞろ そで

引ちぎり三百両 包に余る悦び涙 鎧かはりの此金と 押戴/\ いさみいさんで
「走り行 梶原源太景季首尾かふ首尾の二筋を 只一筋に揚屋町奥
はさはぎの最中 禿がな出よかしと奥の吉左右聞く迄は 暫し待つ間も千年屋の
首尾を窺ふ姉お筆 今宵の中兄弟一所に敵討んと思ひ込 小づまりゝしく
鉢巻しめ梅ヶ枝に逢迄と 飛石伝ひ細炉路の間(あい)の切戸に身をひそめ
今や出ると待居たる 走つまづき梅ヶ枝は産衣の鎧を持たせ 息を切てかけ戻りかし
こにどつかと鎧櫃 おろせばとつかは立帰る 景季見るより飛立斗 ヤレ出かしたいかい働き源


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太が武運に尽きざるも 弓矢神の御加護と押戴き 出陣の刻限七つには間も
有まじ 是より直ぐに出陣めでたふ帰り対面せふ 無事で勤めやさらばやと立つを
引とめ 奥の客の情にて金を調へ 鎧を取と暇乞もそこ/\ せめて暫しが中
なりとわしにたんのふさせたがよい 殊に又おまへの耳へ入ねばならぬ事が有 マア下に居
て聞て下さんせ けふ久しぶりで姉様にお目にかゝり 咄を聞ばとゝ様は大津にて 切られてお果
なされたといな 其敵討つ相談に姉様も見へる筈と 聞て源太もはつと驚き
シテ/\其敵の名は何と/\ ヲゝ其敵の仮名(けめう)実名 わらはがいふて聞さふと めつき

り切戸引ぱづしつつと入る姉お筆 のふよい所へ姉様幸いあなたとお近付 妹だま
りや 近付ならいでも名はよふ聞たそなたの夫 サア/\梅ヶ枝 源太殿に隙取た
エゝ えゝとはどふじや 親隼人殿を討たる敵の子にはそはれまい そんなりやとゝ様討た
のは ハテしれた事梶原平三 アノ景時様かへ ハアはつと斗に詞もなし 其又父景時
殿を親の敵といふ 慥な証跡いへ聞ふ ヲゝ有共/\ 木曽殿の御台若君御供申し
大津の宿にて梶原が討せしは 兄弟の者が父 鎌田隼人清次殿 イヤ驚くまい
源太殿 しらぬ顔はしら/\しい 後ろぐらいさもしい サア/\妹縁切たといへど答もないじやくり


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扨は互の恋にからまれ親を夫に見かへるのか イエさふではなけれ共因果な縁を
結び初め 今さら何と成る物とかつぱとふして泣いたる 景季もつつ立上り 父を敵
とねらふ汝等 其方から望まいでもこつちから隙くれた 出ッくはしたを幸い此場で
返り討にすべきを 見遁すは今迄の佳み 女の業には討たれぬ敵と観念し 尼法師
にもさまをかへ親隼人が跡弔と詞尖(するど)に云放せば お筆はくはつとせき上 身不肖
なれ共鎌田が娘腰抜と思ふてか 但女童の刀で景時は切れまいかの サア切ぬか切れ
るか塩梅見せふ源太殿 イヤ相手にならぬはおくれたかと 詰寄/\打ならす鍔音

七つの鐘の胸さきに響き渡れば 南無三宝早出陣の刻限と 鎧提立上るをど
こへ/\ 我々が付ねらふをこなたにしられた上からは 容易ふ討たれまじ 景時のかはりに不足
なれ共親子は一体 敵の片われ一寸も動かさぬと 詰寄ば梅ヶ枝も独りは姉一人は夫 あ
なたこなたを思ひやりうろ/\と立たる所に いづくより共白羽の矢 狙ひのつぼはお筆が胸
板 はつしと当ればかつぱと伏す のふ悲しやとあはて立寄る梅ヶ枝が腰の番を二の矢に
射られはつと斗驚きながら 兄弟互に顔見合せ 姉様に過ちないか そなたにけがはなか
つかか 是はと驚き取上見れば矢の根もなき二本の簳(やがら)何者の所為(しはざ)ぞと奥を見入て


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立たる所に 其射人(いて)爰にと一間の障子さつとひらき 滋藤(しげとう)の弓携へしつ/\と立出
るは 梶原平三景時が妻の延寿 源太見るよりヤア母人面目もなき御対面と
畳にひれ伏うつくまる 母は我子に目もかけず しとやかに座に付き 珎らしい千鳥 以
前は自が召使の嬪 今は名もかはつて梅ヶ枝といふ流れの身 そなたには此母が段々
礼をいはねばならず そも鎌倉を立退てより傾城に身を沈め 源太を育む
心ざしを聞より 嫁に勤めはさせられずはる/\゛と難波に上り そなたを見請せん
客此揚屋へ来て様子を聞ば 折しも源太は勘当の詫の綱にもと 一の谷へ出陣 思ひ

も寄ず産衣の鎧を揚銭のかはりに取れ 既に我子も腹を切べき 難義と成
を身に引受世の雑談に云ふらせし無間の鐘を撞て成り共 源太か望を叶たい
と我身を捨ていたはる心底 母は障子のあちらにて 残らず聞て居たはいの 我子に
心を尽す梅ヶ枝 何と無間に沈められうひるの地獄へ落されふ 最前金を
三百両やつたるも此延寿 勘当の子にみつぐ金 母が面は合されず顔も名も包み
しが 心はの残らず打明すと語りも あへず泣居たる 扨は奥のお客といふも奥様お前
で有たかと 驚く妹を突退けお筆は傍へつつと寄り 夫程恩有梅ヶ枝に 何て矢


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を射さしやつた 察する所こなた衆親子が云合せ 返り討にする所存で 射とめた
と思はしやろが 簳斗て射られしは兄弟が運の強さ コレ天道様が明らかなによつて 非道
の釼は身に立たぬ 何と非道で有まいか イヤ非道にもせよ道にもせよ 現在夫(つま)の景
時殿を付狙ふ二人をば 即座に射留しは自が手柄 夫への忠節武士の妻に成た役
鏃をぬいて簳斗射かけしは梅ヶ枝への恩がへし延寿が心底見られよと 胸押寛
げ二本の鏃突立てんとする所を 源太かけ寄り何故の御自害と御手に すがり押
とゞむ 何故とはそちが可愛さ景時殿が大切さ のふお筆兄弟の衆 わらはが夫(つま)子

を思ふに付け 親を討れ無念に有ふ口惜からふ 親のかはりに景季を討ふとは尤 去
ながら 鎌田殿を討たるは 意趣切闇討の業でもなく 木曽の落人山吹親子を連
て退いたは 鎌田にもせよ誰にもせよ 見付次第に討取たるは鎌倉殿への忠節 番
場の忠太が手んびかけしは 景時殿へ又忠節 草葉のかげの隼人殿よも恨共思す
まじ 爰をよう聞分け延寿が自害で敵討を済め 一刻も早ふ源太を出陣さし
て下され 今度の軍に手柄をして 宇治川の恥辱を雪がねば最早一生景季
は 勘当の身で朽ち果つる 夫レが可愛不便にござる 武士の夫に連添ば義によつて命


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を捨る 夫レはまだも惜からふ子故には此体 一分ためしにtめされても命はちつ共惜しふ
ない サアとめず共死してくれと 気をもみ身をもみ声を上 子はヶ程にも思ふまいと
かつぱとふして泣居たる 景季は一心不乱母の慈悲心肝にしみ 我故御心を苦し
むる 不孝の罪は子に報ひ此身は武運に尽果んと 悔みを聞て梅ヶ枝 わたしが
心も推量して下さりませ 敵を討たいでは不孝と成り討てば夫婦の縁切るる 所詮此身
を姉と夫へ引分け 死ふと思ひ定めしと歎けば お筆も涙ぐみ 今のお詞を聞につけ
父の古主は鎌倉殿 夫に背く木曽殿のみだい若君 わらはが縁にてかくまひ 夫レ

故に討たれ給ふは古主の罰 不忠させしも自故 殊に番場が所為と有ば 親子御共に
敵でない 道を立誠をつくす延寿様に過ちさせてよい物か 此上の願ひには今迄の通り
此妹 御不便頼む源太様 ヲゝ聞分けてさへ下さるれば 梅ヶ枝は嫁嬉しや/\ 是で夫も安
穏源太が望も叶ふといふは 一筋ならず二筋の此簳 夫を狙ふ兄弟を此矢で射とめ
命を助け 夫婦中よふ添遂て 梶原の家を再びおこす此矢なれば おろそかには成がたし
先祖鎌倉の権五郎景政より 家の紋は三つ大の字に定まれ共 今よりは二筋の此簳
梶原が家の定紋誉れを世上に顕はせと 義を立通す詞の張弓 梶原が矢筈


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の紋此時よりとしられけり 源太は悦び早お暇給はらんと つつ立上ればヲゝ夫々 片時も早ふ
出陣の用意/\と 皆立寄て鎧櫃武運も開くる産衣の 鎧直垂小手脛当
上帯引しえ梅ヶ枝が 結ぶいもせの忍びの緒 兜打物夫々に箙かき負出立たる こつがら
ゆゝ敷見へにける 名残惜げに梅ヶ枝も延寿様のお詞で 夫婦のかためはたつた今 例へ
此身は別るゝ共我名は夫のかげ身に添ひ 出陣の御供と筒に生けたる紅梅を 一枝手
折り箙にさせば 元来(もとより)若武者にあいあふ若木の梅ヶ枝が 互に無事でと目でしらせ
うなづく度にちる梅の 匂ひは袖に残りける 遖武者ぶり類なやと 母は悦び両手

を上げ今度の軍に花も源太も我先かけん/\と かつ色見せて父の勘気を赦されい
冥加尽きなば討死せよ 生きて帰るは不孝ぞと涙ながら教訓の 慈愛の詞忝く
我も平家と戦はんに 花箙こそ能き敵と多勢が中に取込めなば 太刀真向にかざし
の花の ちり/\ばつと追ちらし向ふ者を拝み討又廻りあはゞ車切 くもでかくなは十文字 靍(かく)
翼(よく)飛行(ひぎやう)の秘術とつくし誉を取 其時母のお笑ひ顔見せうぞいさふれ早
お暇と いさみいさんでたつか弓 矢筈の紋と景季が文武は古今にかんばしく 花
有実有武士と語伝へて其名をば箙の梅と末の代に誉をながくとゞめけり