仮想空間

趣味の変体仮名

尚古造紙挿(しょうこぞうしばさみ) 上

 

 これも声曲類纂に引用されていた本です。

 
読んだ本 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/index.html
      イ02 02533

2
尚古造紙挿  全部二巻

    鶏鳴舎蔵

3
尚古造紙挿(せうこさうしはさみ)目録
 
 宝永二年伊勢御影参の古図并御奇瑞記録
 (いせおかげまいりのこづならびにごきずいのきろく)
 同参宮人え施行の種類人数書の写
 (おなじくさんぐうにんえせげうのしな/\゛にんじゆがきのうつし)
 寛永九江戸絵図の内元吉原禰宜町等の図
 明暦三年正月改板江戸絵図の内元吉原(禰宜町 堺町)の図
 延宝九年堺町葺屋町(さる若 市むら)両座并に操座小芝居等の図
 延宝天和の頃操座小芝居名代看板の図
 同頃中村座市村座役者附(づけ)の図
 同頃播磨芝居にて宮古路豊後浄瑠璃薄物(うすもの)外題の写
 同頃大坂竹本筑後芝居(上るり)曽根崎心中松八郎兵衛口上の写


4
 七種曽我浄瑠璃(市村若太夫 ワキさつま庄内)稽古本の写
 延享細見今戸橋舟宿紋尽(もんづくし)の写
 近藤助五郎どうけ百人一首元本の図
 亨保十三年出板役者金之揮(さい)の写
 佐渡島長五郎うしろ面長歌
 市川團十郎子路負米(しろふべい)曽我五郎せりふ
 扇屋夕霧の艶翰(ふみ)并に襠(うちかけ)の模様寸法の写
 寛文二年京都大地震の図
 延宝三年出板年代記の写
 元禄五年出板年代記の図

宝永二乙酉年御影参流行御奇瑞記録并絵図
今文政十三庚寅年迄百廿八年に及ぶ

(ここから9コマ右頁まで上段を続けて読みます)
此中つく/\思慮めく
らしけるはどにもかくても
此おとこ有うちは我思ひ
かなふまじと。其後しゆび
を伺ひ。かの男を殺さんと
たくみき爰にやさし男
は。ぬけ参宮の心ざし有て
二月十六日に只一人。ざん詣
をなす其道をうかゞひ山


5
せのとうけにて。かれを闇
うちにぞなしぬ。一家一門
深くかんしみ猶も女の愁
たん同じ道にと身を悩(なやみ)
しを親族やう/\申なぐさめ
ぬ其後ころせし者さま/\゛
に御詮議あれども終に其
ぬししれがたし殺され損
にぞ成にき父母いとゞむ
ねんばがらなきからを頼
みし寺にほうむり七日/\
の忌日をとふらひすてに
命おわりてより廿七日め
に此おとこ下向す人々き

異のおもひをなし。彼(かの)つかを
ほり返し見る。是も御祓(はらい)
をうづめたり。所の人此奇
瑞をかんじ貴賤老にやく
のわかちなく。家内のるす
をもまもらせす。家ごとに皆
参宮をぞなしぬ。たとへば
有徳の人。戸ざししめずと
いへども器財少もふん失
せず盗賊もうぼふ事あ
たはず。其後よこしまを
たくみし男は。わか家より
出火して財宝やきすて。
身にも怪我をかうむり。終


6
なやみ死す。我に神明の御
かごたつとみよこしまを
つゝしむへき事にぞ
夫(それ)人たるもの形見にくしとて
かならすいやしむべからず。すがた
容(かたち)みにくうして。其徳ある
もの。世に多し。爰に長崎万
貫町に年久しき小林の下女
に。きわめてかたち見にくう
して。色くろくせい高く。い
ぎたなくふつゝかなれども
心はふしぎの者あり。たとへば
女のすなるげい能は。いふに
およばず手跡つたなからず

して。からうあまとのふみに
かしこく。和歌の道なをく
らからず。きく人これを感
しぬ。ある時此おんな。参くいう
をいたし。近江なるかゞみ山
の。ふもとを通るとて

 いかにけふ。くもりてもがな
  かゞ見山たびのつかれの
   かげをかくさん

かやうに詠じ。その夜は土
山といふ所に。一宿せし夜
つぎなる間に都の人とて。み
そじあまrちのおとこ。これ
もいせ参宮なりしが。一間を


7
へだて。かの女と。一つふたつ
物がたりせし時。女のいわく
御身此たびはじめての御
参ぐうなれば。是より。み
やこへの道清浄に目出度
下こう。したまへといふ。おと
こきゝ。いや我身さんぐう
せし事。一とせに二度三ど。此
三四年も。年をかさね。此
たびともに七度なり。など
はじめてとは。のたまふやと
いふにかの女さればとよ。おん
身此年ころ心さし参り
たまふたびごとに。道なる

やどに。知音(ちいん)して。女を犯(おかし)
けがれ給ふゆへに。いつとて
も。其心ざし請(うけ)たまはず。
路銀のついへばかりなり。此
たびは。其女をおかし給はず。
御ゆあびよく清浄なる
ゆへ。其心ざし受たまふべ
し。しかれば此たび。はじめ
ての御参ぐうなりと。かた
りぬ。おとこふしぎして。
仰のとをり。少もたがはず
此たびうは其女他所へゆき
しとておもてだに。合せず
此のちは。つゝしむべしと。かた


8
りぬ。まことにおそるへし。
日本よりあゆみをはこび。
まいにち。いく千万か限り
なき参詣。此みちをつゝし
めばこそ宮川のながれき
よく。御本社にむかうぞかし
もし同者どし。ふぎあれば。
戸板に。ふたりのせながら
其くに/\につれ廻り。一家(け)
一門よりあつまり。さま/\に
わらひのゝしりて後別座
する事。むかしは折ふし此
類もありしとなん。又無ち
の人下向には。やどなる女を

おかしてもくるしからずと
いふ人有くちずさみに
ももつたいなき事にぞ
右女のいへるごとく。路銀を
ついやすのみならず。却て
罰(ばち)をこうむらん。つゝしみ
おそるへき事にて
京西ぢん。すみや町


9
 ○是も同じ巻の 残欠なり

      宮(五)申。 たち
           き
       の。れい
 け人か  く人かげ侍(はべり)き
京六条うをのたなに。
戸羽(とば)屋喜右衛門と云うを
屋なりしかちかきより五
条さや町より妻(さい)をむかへ

(上)
「暇(いとま)状白紙と成」

 

(4コマ目に戻り下段を9右頁まで続けて読みます)

4
舎(いへ)人親王のたまひしは我朝(てう)の人とむま
天照太神をあがめ奉りてこそ王道
の政(まつりごと)もたち武運も長久に百姓冥
理も商(あきない)冥加もあるへきに神道をあざ
けりあなどりて外の教(をしへ)を専らにせば
我親をうとみて他人の親を愛する
がごとしとのたまふ誠に神明の御奇瑞
露卯の毛の先程も疑べき事なし爰


5
寛永二年卯月朔日のことなり。洛陽一
条通。万年町に。松屋文左衛門とて指物
屋あり。然るに一両年めしつかへる小者。
名を長八とよぶ生国(しやうこく)伏見の者にて当
年十二歳とかや。此家に過し夏生(うまれ)し
小児あり。此小者が役として不断外に
つれ出あそびぬ。内々此わらは参宮の
心ざし有。漸(ようやく)百文の銭をもち。彼小児
を負(おひ)そとに遊(あそひ)ながら。直に脱(ぬけ)参を
成ぬ。跡には且て此ことをしらず。朝飯(いひ)の
過しより。日昼(ちう)まで帰らさるゆへ。家(け)
内の人其辺を尋けれとも。さらに

(挿絵)
あいの山 おどり


6
かげなし。爰に隣町(りんちやう)の人云。其童(わらは)は小
児をば負ながら。三条通を東に行と
おぼへしが。いかゞ慥(たしか)に見知り侍らずな
と語りけるに。父母おどろき扨は抜(ぬけ)参を
致せしにや。いかに思慮なきとて幼きものを
負ながら。悪(にく)きわざなり。いざ
追かけ留(とめ)侍らんと。主人と手代いき
まきして。大津の方へ走(わしり)。道すがら。か
れが事尋るに。今朝其わらは通し
など噺ければ。疑べくもあらずと。既(すでに)
大津に出。船場にて是を聞に。船には乗
も得ず。直様行(ゆき)しといふ。猶是より一

あしして漸草津の。やくらといへる在所
にて。かけつけ先は小児を懐取(いだきとり)。さん/\゛に
童を罵り。いそぎ帰るべきよし。申ける
にぞ。小者涙をながし。我久敷もねかひ
達し。漸此所まで参りし事せめての
御情に。我ばかりは参らせ給はれとて
無をわかたず。小者は参宮をなしぬ。主人
もつての外いかり。我子をつれ京に帰りき
其時はや夜の五つに過ぬ小児今朝より
乳食せざるゆへにや。いたう泣しが。眠(ねむる)が
ごとく死す父母おどろき。医薬手をつ
くすに。甲斐なし。是皆長八めが」わさな


7
りと。深くうらみ。翌日わが頼(たのみ)し寺に
埋(うづみ)きかくて父母歎(なげく)事かぎりなし小
者帰りなば敵(かたき)を取べきなど。さま/\と
かこちぬ。去程に長八は。九日といへる日(にち)
昼(ちう)に。恙なく小児を負て下向し。彼町
内に入る。町の者さわき出。奇異の
おもひをなし。頓て父母につぐる。父母お
どろき駆出て。此子を懐に。はたして
我子なり人々余りに怪み彼寺に行。
うづめし塚を掘出しみるに御祓を埋
たり。前代よりためし奇なる。御奇瑞
なりと聞人感じ此家に市をなして

長八に子細を問(とふ)長八いわく。我一ずいに
参ん事を思ひしかば町同(ほ?)出し時は。小
児背(せな)に負るをわする。程なく心つくと
いへども。又帰らんもせんなしと。直(すぐ)さま
行しが。大津相(あふ)坂の辺までは。跡より
人の来ん事を畏れ。随分道をはやめ
漸関の明神に着。しばらく休息せしが。
猶遂(をつ)手をおそれしゆへ。明神の内に
入。拝殿に小児をおろし。爰にて身を
かい/\敷繕ふ。向に御祓(はらい)を籠(こめ)たる小
宮有これを拝するにいとゞ有難く
両人ともに道中息災延命を深く


8
祈(いのり)。此明神を出。二三町も過行しころ
跡より。六十ばかりの老人。われに詞
をかけ。何方へととふ。しか/\のよし答ふ。
老人曰。いざ暫しの程は道を同うせん
と。是よりつれたち折々老人。道ばたの
家に入。乳汁(にうじう)を乞て小児にあたふ故。
少もうゆる事なし。程なく草津の。
屋ぐらとかやにいたりし頃。彼人いわく。
汝はさきに行べし。我は此所に用事有
と跡に止(とゞま)る其後より。老人の致せし
ごとく。折々乳(ち)をこひ与ゆるに。何方に
ても心よく。小児をやしなふ泊り/\

も。自然としかなり。路銭も亦たへま
には。爰かしこにて得さする人有少も
道中くるしき事侍(はんべ)らずと語けるに
きくひと感侍りき
  洛陽

 せの

 ○此印本は宝永年間に板行(はんかう)せし冊子(とぢぶみ)にして
  則ち宝永千載(せんざい)記と題す其文の趣き今年
  御影参宮流行の形勢(ありさま)に異ならず坐(そゞろ)に昔を
     思ひ合され侍る


9
(挿絵)

宝永二乙酉年御影参宮施行人数(にんじゆ)書

宝永二年三月朔日より京大坂伊勢路に於て金銀米(べい)
銭(せん)衣服器財食物等に限らずぬけ参に志(こゝろざし)をなす人数帳
(上段を14コマまで続けて読みます)
   京都の部
▲京室町三井より。毎年両宮(ぐう)
 へ。百両づゝの大神楽を奉る。
 当年は此金子二百両を千貫
 の銭となし。ぬけ参に施す。
 但一人に百文づゝ也。又勢州松
 坂にて。米五百石を小豆の飯(いひ)
 となし。ほどこす
▲同室町富山より。右に同じき


10
 程ほどこす松坂にても此家
 には銭五百貫を五十文づゝ与(あたふ)
▲同いづ藏より。手拭に銭五十
 文づゝ添。毎日銭五十貫木綿百
 たんづゝ。ほどこす
▲三条室町の角より。布壱尺
 五寸を袋とし。内に銭廿五文を
 入。心ざす
室町通。加賀屋平三郎より。
 金百両を銭となし三十文づゝ心
 ざす。此かゞやは霊性俗たりし
 ときの主人なり

三条通蚊帳屋道祝(どうしう)より。金
 百両を銭となし。心ざす
▲同町松葉屋十右衛門より米
 百石を一件つゝ紙ぶくろに入。白
 河ばしに出ほどこす
▲三木権十郎より。大津にいで。
 毎日米十石づゝ飯(いひ)となし。四月
 朔日より。十三日まで施す
▲しなのや善五郎より。十二三
 より下の童(わらは)に。はだぢばん
 五千をこゝろざす右もめん代
 百十六両なり


11
▲たまや妙寿より。三条大橋
 つめに出。きやはん手ぬぐひ
 を心ざす。五貫六百目が木綿を買(かふ)
▲同所にて銭二百文づゝ。何れか
 屋敷がたより。ほどこす
 三条小橋の角。おびや太郎兵衛
 より。すげ笠をほどこす。卯
 月朔日より。同十六日まで。壱
 万八千がい。三貫八百九千目が。
 かさなり
▲五条の橋東へ二丁目角万(よろづ)屋
 喜兵衛かたにても。丸に五の字

 を書。すげ笠をほとこす是は
 閏四月九日より。廿三日まで。十
 二日の間に。八千七百五十かい。他
▲五条の橋東へ一丁目大和屋利
 兵衛より。わらんずかけを施す
 閏卯月六月より。廿二日まで千
 弐百そくなり
五条通八まんのまへの。町中
 として金百五十両を。銭となし
 ほどこす
▲四条松屋宗貞(てい)より。半紙五十
 丸を一帖づゝほどこす


12
三条通宝町東へ入町。ひしや
 権兵衛より。大津へ出むかい。夜
 に入京へ下こうの人に。ちやう燈
 に火をともし施す。卯月六日より
 晦日まで提ちんかず六千八百。
 らうそくともに。銀高四貫五
 百目なり
▲たこ薬師通。大宮東へ入ル丁。万
 人講より。右におなじき。ちやう
 ちん五千をほどこす
▲右其外洛中の町々ごとに。十
 貫弐十貫。銭をあつめ。三条に

 出ほどこす人その数をしらず
 あるひはたばこきせろさえ
 我いちと心ざしをなす又せつ
 たいの茶などは家ごとに是
 ほどこす大津川江町衆として
 銭五百貫を三千づゝ施し又札の
 辻に出五日が間酒をほどこす
 毎日十石づゝなり肴に塩鯛
 をいたす
▲八丁の宿屋ぬけ参りのぶん
 六日があいだ。いか程にても、こゝ
 ろざしにやどをかす


13
▲大津百艘中間より。船三そう
 をきしん船としてぬけ参を
 やばせにわたす
▲やばせ舟もち中より。寄進
 舟五そうを出し。参り下向
 をのせ渡す。あるひは大津の
 ふる場に。下向の船着ときは。
 参宮人勝手あしきゆへ。この
 たびは。膳所(ぜぜ)城下のほとりへ。
 舟を付さしめ給ふ。御城主より
 御奉公を出し。船場にてけが
 なきやうに仰付らる

▲勢田の橋づめ。酒や六左衛門より。
 銭二千つゝ。ほどこすあるひは酒
 を乞(こふ)ものには酒をあたふ
草津うばが餅屋にも。まづ
 しき。ぬけ参りには。もち十?
 つゝ。ほどこす此外すべて道
 中茶や。酒や抔(とう)つねにかわり。
 それ/\の心さしをなす或は
 宿々等も所の御司(つかさ)より奉
 行衆に仰付られ過分なる
 はたご木ちん取まじき
 よし。猶まづしきぬけ参は。


14
 大切に致(いたす)べきよし仰付らる。
 是によつて。泊り/\もまつし
 きものは。あたひをとらず食
 事のぼみに。ほどこす。買地
 藏まへにて所のはたごや
 中として。わらんず三ぞくに。
 ぜに五十文づゝ。人別(にんべつ)にほどこす。
 別(べつし)て津松坂に心ざしなす
 人多くあり。且又此度は宿や
 に。こと/\くとまることなりが
 たきゆへ。在々にわけ入。のふ
 家に宿をとらせ。あるひは農

 家へ道の程とをき所は。野原
 にかり家(や)を。たてさせ。宿をな
 さしめたまふ。又宮川の垢離(こうり)
 此度は御ゆるしとsじて。手水(てうず)
 にて身をきよむ。あるひはす
 へての御師かたに、酒食たく
 さんに。もてなしたもふ。其膳
 部家ごとに。いく千万の限り
 なく其高つもりかたし又
 御師がたより。宮川に出御祓(はらひ)
 に。つゝね飯(いひ)をそへてあたふ又
 路銭にも。不自由の志には与(あたへ)たまふ 

(9コマに戻り下の段を15コマまで続けて読みます。)

9
   大坂の部
 片町ならや勘右衛門より銭
 五十文づゝ閏卯月十六日より
 同廿一日まで毎日五十貫づゝ
 ほどこす。合て三百貫なり。是
 大坂にてぬけまいりに銭を
 ほとこす始なり
▲同町山城屋清右衛門より。わ
 らんず五万足を六日が間。施


10
▲同町かめや平九郎より。もめん
 の切。手ぬぐひ下帯ゆもじな
 ど。其人々望しだい施
▲閏卯月廿二日に。おびたゝしき
 雨ふりければ。天満池田や茂三
 郎より。手しまこざ千五百枚
 を。片町に出ほどこすおよそ閏
 卯月廿二三日ごろより。大坂中の
 人ぬけ参を。もつはらに心ざす。
 是よりして。町々家々より。
 我一とほどこしをなす。其体
 京都に増(まさ)りて猶おびたゝし。

▲北浜備前屋七左衛門より片町に
 出。紙ぶくろに米一升つゝ詰(つめ)五百
 石をほどこす
▲今橋両がいや中間より。道中
 へ出。人別に弐朱つゝ。ほどこす
▲中の嶋。なだや平右衛門方より
 も。京橋に出。米五合に銭三十を
 そへて。ほどこす
▲土佐堀。千種や善吉よりも。
 右におなし
▲鴻の池一統として。天神橋の
 はまに出。壱人に銭百文づゝ


11
 ほとこ。そのうへ大船(せん)六そうを
 毎日仕立ぬけ参りを伏見迄
 おくらしめ。下りにも又ふしみより
 のせ下る
▲北浜壱丁目二丁目より天神
 ばしの浜に出。銭五十文づゝ。あた
 へて後酒食のぞみ次第に施
▲今橋一町目より。銭五百貫を
 あつめ。三十文づゝほどこし。外に
 ちやうちん百をこしらへ。かち
 にて夜行(ゆく)。ぬけ参りを。佐太。
 平方までも。よのあらん限り。

 おくらしむ又二丁目尼が崎町
 も右におなし
▲今橋一丁目ひのや九兵衛より
 自分に心ざし壱人に銭二百
 文づゝ。ほどこす
▲同町さかいやより。半紙一帖
 つゝほどこす毎日十九づゝ也
高麗橋一丁目より。天神ばしの
 はまに出。毎日四五百貫づゝ。入次
 第にほとこす。同町もみ屋。
 日野やなどにも一分の心ざし
 をなし見せにてほとこす


12
▲同二丁目古手や町より道
 中水口(みなくち)に出毎日三百貫づゝ
 ほどこす是は道中にて若()もし
 路銭遣切たるものゝ為を思(おもひ)
 しかなり
▲同町西川屋治兵衛ほかに
 自分の心さし見せにて銭を
 ほとこす人別二十文づゝ
▲道修(どうしゆ)町一丁目より。銭千貫を
 あつめ堺すぢ角にてほどこ
 す。同町小西三四郎より。外に
 自分の心ざし。銭三百貫を施

▲同二丁目より大船五そう
 を仕たて。毎日ぬけ参りを
 ふしみまでおくらしむ。但船
 中へ赤飯を入あたふ
▲平野町一丁目。二丁目。同平
 野町など。すべて千貫づゝ
 ほどこす。此外すべての町内
 に。何れも銭をほどこし。或は
 本町壱丁目には。肌ぢばんを
 心さす人有。閏卯月廿三日より。
 同晦日まで。ぢばん千六百也
 日本橋にて。うちわをあた


13
 ゆる事まい日二万五六千。あ
 るひは三万本をほどこす
▲新うつぼ町中より。天神橋
 に出。かつをぶし一節づゝ。あたふ。
 是は道中にて。肴とぼしき
 こと。聞つたへてなり
▲しあん橋のつめ。はりまや
 忠次郎より。めしがうりを貫ざ
 しをいたす。毎日二万五千余也
▲北国やより。すぐに此かう
 りに食(めし)をつめ。ならづけ香の
 ものを入あたゆる

▲長堀ちくさや市郎左衛門より
 八間屋の浜に出もゝ引きや
 はんうりかけ。其人の望に
 まかせ毎日ほどこす
▲中の嶋ひごや藤蔵より。八
 間屋に出。すげ笠に。布つ
 きんをそへほことす
▲伏見ごふく町より八間や
 に出。毎日二万七八千人づゝ染ゆ
 たんをほとこす
▲堺すじ小間物や中より。八
 間やのはまに出。下向の人に


14
 何にても望にまかせ小間物
 をほどこす
 油町。鰯屋四郎兵衛より。銭三十
 文つゝほどこす
 右の外茶たばこ。くわし類
 にいたるまで。八間やの浜に出。
 あたゆる事言語におよばず

   堺の部
 海部屋より。人別銭百文づゝ
 三日が間ほとこす
▲具足屋より。食ごをりに。
 めし干肴かうの物を入て施

▲いびすいよりすげ笠に銭
 三十文づゝそへてほとこす
胡麻屋より。半紙一帖づゝ
 三日ほどこす
▲たかさふより米一升づゝ袋に
 入てほどこす
▲いわしやより。手ぬぐひに銭三
 十文づゝそへてほとこす
▲えびすの丁布(ぬの)や善兵衛より
 新ばしに出すけ笠に丸に堺
 と云文字を書ほとこす此外大(おほ)
 小路(しようじ)又南橋。北橋にて施人多し


15
右の外関東より。参宮人数万なるゆへ。江戸中の町人より
しな川表へ出。ほどこしをなす事あげてかぞへがたし。依て
是をりやくす。且又大坂において。閏卯月中旬より。爰かし
こに御はらひふらせ給ふはしめのほどは皆人いふかしく
おもひしかど。眼前に見およびしゆへ

 ○此(こゝ)に朱を施すと有は元禄の二朱判なるべし其形今の南鐐とは
  異にして小(ちいさ)く尤金なり□□粗此(ほゞかく)の如きものにして重さ六分有
  元禄十年新金にて鋳ところにして宝永七年四月より通用停
  止(じ)となりしよし尚古金の二朱と称するもの数品あれども茲(こゝ)に
  略す且当時の二朱といへるは天明八年四月より永代通用の令有し也

  寛永九年申十二月 重開板 江戸絵図跋云
一此絵図大かたしるすといえ共是はわづかの事なり右の外
 東西南北え諸侍の御屋舗(やしき)町小路尺寸(せきすん)をあらそひ
 むねかど立ならびし事中々難計(はかりがたし)
一東はせんじゆ口少うしとらえふりて浅草のそとまで
 日本橋より廿四五里立つゞく奥州海道是なり
一南は芝品川口これも二十里の外立続(つづく)東海道これ也
一西えの町つゞきは小路町口武蔵野の原五つ塚までは
 日本ばしより関東道(みち)三十七八里立続是は北国(ほつこく)道也
一北は神田板橋口王子まで三十四五里立つゞく也
 右の道筋方角相違数多可有御座候偏に後覧を
 はゝかる而巳


16(地図)
△印黄 川すじ
○印青 町すじ

さはくれ橋と
あるは
わざくれはし
にや
はんしやう丁は
いまの小あみ丁
なるべし

大はしは今の
ときはばし
御門なり
後藤ばしは
いまの
こふく橋御門
 (図中略)


17(地図)
明暦三
江戸
絵図の内
吉原の図
ねき町
堺町あり
爰にふきや
丁とあるは
今の金吹丁
なるべし
西本願寺
今の薬研堀
のへんなり

東本願寺
昌平ばしの
外なり
浅くさ
せい願寺は


小柳丁の
辺なるべし
深川雲光
院馬くろ
丁にあり
 (図中略)


18
明暦江戸絵図跋
(漢文)

寛永九年より明暦三年迄二十六年也
此年正月十八日十九日江戸大火にて吉原町類焼す
同四年四月十三日万治改元新吉原今の地に移る


延宝九辛酉年 堺町 葺屋町 の図

ひかしよこ町むかし 是より元よし原と申候
八百や 大屋 あぶみや 同 げたや 同同同 はな紙ふくろたな
おはりや久右衛門
小源太 松尾間三郎 権右衛門 明石太郎兵衛 中村勘三郎 中村与市
中むらかん三郎しばい
市川や三左 かし日や孫兵衛 高崎や猪兵衛
九郎左衛門 上村長太 同三之丞 同八弥

さかい町 東

両がへ次兵衛 青ものや 宗寿 右京 嶋吉 左源太
小まひ又三郎 家主七郎兵衛 さみせんや庄六 いせや清左衛門 きんちやくや平三郎
半七 野沢半四郎 同吉三郎 梅津権兵衛 同介門 すき伝十郎

するがや伊六 かぎや長五郎 見せもの いせや仁兵衛
源太郎 市左 万吉
彦吉 つるのぜう
山沢さく弥 作右衛門 金の助 高?つまのぜう

大屋六左衛門 たちはなや
太郎兵衛 市十郎 庄左衛門


19(略)


20
(右頁略)

延宝天和の頃操座小芝居名代看板

(上段)
上 
 ▲たんせん  十兵衛
 △新そう   二郎兵衛
 △よ太郎   新右衛門
 △ふく太郎  善右衛門
天下一土佐少掾橘正勝
 △若女    彦三郎
 △弥蔵    太郎右衛門
 △はうた   勘兵衛
 △さみせん  庄左衛門
るり

上 
 △おやま   庄左衛門
 △与九郎   勘兵衛
 △太郎ま   仁兵衛
 △助惣    喜兵衛
天下一薩摩外記藤原直勝
 △てつま方  三郎兵衛
 △けんさい  左兵衛
 △小歌    千之助
 △さみせん  三郎兵衛
るり

(下段)
上 
 △けんさい  左
 △とろ平   六左衛門
 △やつこ   村山金右衛門
 △弥蔵    伝左衛門
天下一丹波少掾平正信
 ▲おやま   三左衛門
 ▲小うた   六郎兵衛
 △さみせん  七郎右衛門
 △金平    八左衛門
るり

せつ 
 △能人形   庄太夫
 △とんいう  与三兵衛
 △とん七   七右衛門
 △ちや平   五郎兵衛
天下一石見守藤原重信
 △おやま   五郎左衛門
 △小うた   庄左衛門
 △はうた   半右衛門
 △さみせん  四郎三郎
きやう


21
(上段)

 万のふ丸   鶴右衛門
 同      五郎兵衛
 はつくま   三之丞
 ふじ井    丹三郎
 かるわさ   つね右衛門
 ひやうし舞  小源
 中むら    善五郎
 そめ川    勘四郎
 はしもと   市三郎
 花嶌     弁之助
 市川     さもん
    万能丸一円
天下一播磨守坐
    そうえん
 小たんせん  三之助
 ながうた   円之丞
 はうた    小伝次
 上かたふし  次左衛門
 永かんふし  小右衛門
 さみせん   勘右衛門
 はやしふえ  又次郎
 くわしやかた 吉兵衛
 はやし    八三郎

(下段)
 根本 年九つ 茶庵市之進 龍虎連之助
  籠ぬけ師しやう
日本開山王連之丞
 始より 鷲 琴之助
     鷲尾龍之助

 後   龍専妻之助
日本開山飛龍勝之丞
 下り  ちやるれんまん

同頃さかい町さるわか勘三郎座役者附
(一段目)
  新子供
女形  松本左源太
同   上村粂之丞
同   みなと左もん
同   富松浅之丞
同   浅田そめ之介
若衆方 出来嶋左京
京   たまもとかづま
同   前川ないき
中むらあかし
あるわかかん三郎
三條勘太郎
    きし田主水
    梅津左もん
    きく川おりべ
    ぬまづ今之介
    松尾百三郎
女形 三條勘太郎
 中  長崎三之丞
    山本二郎三郎

(二段目)
  新立役者
    大坂伝吉
    木村喜左衛門
    市川団十郎
    松村源五
    西むら弥平治
    あら井兵左衛門
    虎嶋浅右衛門
    きくもとかんじ
    前川佐平太
    正木弥三郎
    坊主吉六
    大坂弥八   
    せんだい宮次郎
    長山権左衛門
    たきい七郎右衛門
    きし本久右衛門
    あづま八郎左衛門

はやし   梅田七郎兵衛
さみせん  又三郎
くわしや方 沢井菊之丞
      同若松

(三段目)
    立役者
    からす長左衛門
    あまつ七郎左衛門
    長嶋礒右衛門
    花井丈三郎
    長嶋幸左衛門
    玉井権八
    松田六左衛門
    花井岡右衛門
    村上五左衛門
    岩松兵左衛門
    若松嘉兵衛
    梅沢藤十郎

どうけ  三国彦作
     せんだい又五郎
さみせん きねや かん五郎
         かん十郎
     ぬれぼり半左衛門

(四段目)
  若衆方 
    上村門之丞
    山本辰之介
    きく川右京
    山沢作平
    上村かんの助
    村上半之丞
    川嶋市十郎
    出来嶋小ざかし
    藤田皆之介
    中村七三郎
女形  杉伝十郎
    かめ平八
    瀧川政之丞
はやし いからし弥平太
        かぞう
    なかひら清左衛門
        権兵衛
小歌      七右衛門
   市右衛門 四郎兵衛
   三左衛門 茂兵衛
   九郎兵衛 五郎兵衛


22
  ふきや町市村竹之丞座役者附
(一段目)
 新子供
   上村長太郎
   まつ本かほる
   上むら三之丞
   あかし弁之助
   出来嶋たきや
   玉川金五郎
   まつ本主殿
   まつもともんと
 市むら若太夫
 上むらかもん
市むら竹之丞
 出来嶋吉十郎
 市むら宇左衛門
  立役者
   かまくら長太郎
   矢口十左衛門
   ふじ藤九郎
   そめ川清右衛門
   竹内五郎三郎
   まつ本常右衛門
とうけ 片山仁兵衛
小うた   作右衛門

(二段目)
  子供次第
    野田作之丞
    出来嶋吉十郎
    小ざゝあづま
    玉嶋幸之助
    杉山染之助
    嶋川幸之助
    藤岡染之助
    そめ川右衛門
    ふじい万太夫
    花森さくや
    小ぐら初之丞
    ふじいかつま
    たき川吉の丞
    小くら市十郎
    花笠梅之助
    今むらいま之助
    同 さんや
    山さき与吉
    片山勘太郎
 市むら若太夫

(三段目)
  役者の次第
    市村宇左衛門
    小舞庄左衛門
    つた八郎兵衛
    安田市郎左衛門
    村山四郎三郎
    中むら山三郎
    長崎五郎次
    吉田ごん八
    高崎九郎三郎
    つたげん八
    小嶋小左衛門
    松原伝十郎
    濱嶋新六
    とろ若七郎兵衛
    田川五郎兵衛
    だるま所三郎
    米沢勝三郎
どうけ せんだい文四郎
    同 文十郎
    なんぼく善四郎

(四段目)
 くわしやかた
    今村久左衛門
    まんさく又三郎
    おかだ三弥
小歌  
    若山五郎兵衛
    小川九郎兵衛
    てれん五郎兵衛
    たかて弥兵衛
さみせん
    勘四郎
    三郎兵衛
    権九郎
はやし
    一郎三郎
    伝次郎
    冨兵衛
    五兵衛
    喜三郎
つゞみ 庄左衛門
同   宇右衛門
ふえ  権左衛門
  市村
たいこ 茂兵衛
ふえ  八右衛門


一 寛永九年江戸絵図に見へたる吉原町江戸町は今の新和泉町
  京町は今の住吉町同二丁目をそのころも新町(しんてう)と記して今の難波(なには)町
  なるべし江戸町に並びてけん蔵主町(ぞうすまち)としるせし処今の高砂町にて
  其頃は四方に掘有(あり)大門通(おゝもんとほり)の口に橋を懸たり此掘り今は西北の方埋(うづみ)て
  東のみ船入の掘通塩町迄続けり南の方は竃(へつい)河岸と末広稲荷の間に
  すこし斗り残れり古老の里談(りだん)に此堀を禿が淵と云よしまた高砂町
  南新道(しんみち)を今も駕籠屋新道と云へるは吉原の駕籠や町なるべし


23
一 同(おなし)図に祢宜町(ねぎまち)としるせし処今の長谷川町に当れり中村勘三郎
  居中橋より祢宜町にうつるといふ此処なるべし
一 明暦板(はん)江戸絵図に堺町はありてふきや町は未(いまだ)見へず然共(しかれども)市村座
  寛永十一戌年 御免なれば明暦の頃は共に堺町の内なりしや且又
  両板共に葺屋(ふきや)町の号(ごう)両替町の近きにあるは今の金吹(かねふき)町歟(か)とおもはる
  二町(てう)まちの事は延宝四年の図にくわしく挙たり
一 宮古路豊後掾稽古本の外題名古屋心中ははりま芝居にてと
  あれば前に出(いだ)せし操座(あやつりざ)の内天下一播磨とある芝居なりしや
  豊後掾文字太夫共に元禄より寛保頃の者也此頃は歌舞妓
  役者も操座勤めしや村上常五郎と云者若(もし)人形遣ひにや不知(しらず)