仮想空間

趣味の変体仮名

新曲釣女(常磐津稽古本)

 

義太夫が見つからないので常磐津を読みました。

 

 

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856758


2(左頁)
能のはじまりし頃
狂言を可笑と
いひしよし    新曲 釣女  常磐津小文字太夫 直伝
                岸澤式佐 節付


抑(そも/\)是は猿楽の昔よりして其業(わざ)の
可笑(おかし)といひし狂言師名に大蔵や
鷺流の容(すがた)を写す釣女  大名「かやうに候
者は此所の大名でござる。ヤイ/\太郎
冠者あるか  太郎「ハア御まへに  大名「居たか


3
太郎「ハア  大名「汝も知る如く此年迄定まる妻
がない 承れば西の宮の恵比寿三郎
殿は福者と申事 是へ参り妻を申受
けうと存ずる 汝供をせい  太郎「誠に仰せ
の如くでござる 西の宮の木びす三郎
殿へ参るがよふござりませう 私(わたくし)も定

まる妻がござりませぬ 都手(ついで)なから
申受ませう  大名「扨々己(おのれ)はそつじな事
をいふものじや えびす三郎殿とこそ
いへ きびす三郎と申事があるもの
ではない  太郎「ハテ絵にかいた折はえびす
三郎と申す 木で造つた折は木びす


4
三郎と申まする  大名「なか/\汝は物知り
でおじやる 其は道不案内じや程に
名所旧跡を語り聞かせよ  太郎「畏つてご
ざる  大名「去(さ)らば急いで参らう サア/\来
い/\  太郎「参ります/\。イヤなう/\頼ふた
お方(かた)先(まづ)参る程に是がはや「小唄に

諷ふ奈良法師 行くも戻るも心のとまる
も山崎の/\女郎と涅槃の長枕 結ぶ
縁しの尼が崎  大名「面白い/\ シテ向ふ
に見ゆる山は何山じや  太郎「ハテあれは山
でござる  大名「爰なやつ 山は山じやが何
と申  太郎「ハゝア何山は山でござる ヲゝそれ/\


5
「あんの山からこんの山へ飛で出
たるは何者(なんしゃい)そ 頭(かしら)にふつふと二つ
細ふて長ふて りんとはねたを
ちやつとすいした  太郎「兎じや  大名「何を申
そ シテ西の宮はまだか 「太郎 最早此森の
内でござりまする  大名「去らば参詣を

致そう てうず/\  太郎「ハア  大名「先づ鰐口に
取つかふぢや ぐわん/\いかに申上候 
「我此年迄無妻なり  大名「三郎殿の利
益(やく)にて定まる妻をさづけたまへ
「授けたまへと一心こめて伏し拝む
大名「ヤイ太郎冠者 汝もおがめ  太郎「畏つて


6
ござるぢや ぐわん/\いかに木比寿(きびす)
三郎殿へ申候「我も定まる妻は
なし 似合相応美しき妻をお授
け/\と 参拝九拝したりける  大名「ヤイ
太郎冠者 今宵は通夜をせう 汝
もまどろめ  太郎「畏つてござる  大名「アラ

とうとや/\「内陣の内ぞゆかし
き我妻を千代と契らん手枕の
袖を覆ふてまどろみしが ほども
あらせず夢さめて  大名「ヤイ/\お告が
あつた/\ 汝が妻になる者は西の
門の一の階(きざはし)にあらう程に 連れて帰


7
れとお告が  太郎「是はいかな事 私がお告
も其通り  大名「いそひで参ろう/\「勇
み悦ぶ足元に落ちたる竿を取上て
大名「ヤ これはいかな事 妻ではなふて竹
の先に糸が附てある これはんで
あろうぞ  太郎「ふしぎなお告でござり

ますな  大名「イヤ是はさとつた 恵比寿
殿はふだん釣竿を放さず釣斗り
してござるによつて 此針で妻を
つれといふ事であらう 先づ急ひで
釣りませう エイ/\「釣ろよ/\神の教
への釣針をおろし みめよき妻を


8
つろうよ/\「針をおろせばふしぎや
な 気高き女を釣上げて  大名「アラ有難や
扨も能い妻がかゝつてござる うれしや
太郎「何が扨お悦びでござる  大名「これ/\そな
たは定まる妻じやによつて目を掛け
てやる程に 夫を大事にしませうぞ

ヤ 小野の小町か楊貴妃か アラ美しや/\
太郎「イヤ申し/\道々こつそり楽しまうと背
中へ入て来た此吸筒 お二人さまの三々
九度 是にて目出たふ御祝言  大名「ヤこれは
一段の事じや サア/\つげ/\  太郎「心得て
ござる  大名「先づ女子(おなご)の方よりさしませい


9
女「我夫(わがつま)必ず見すてゝ下さるな  大名「なんの
見すてゝよひものか  女「ヲゝ嬉し  大名「太郎冠者
祝して一つうたふてくれ  太郎「畏つて候「高砂
此盃が二世の縁 神の御前(みまへ)で祝言は三郎
さまがお媒人(なかうど)よしそれとても浮気心が
有なら ほんに罰(ばち)が当るであろぞいな 必ず

見捨てて下さるな やいの/\と寄添ば「傍に
聞居る太郎冠者 気をもみあせり
太郎「ヤ申し/\其釣竿を私にお貸下され 見事
釣て見せませう  大名「早ふつれ/\  太郎「イヤ釣る
段ではござらぬ エイ/\「釣ろよ/\釣る物は
何/\鯛に鰹に恵方棚に撞き鐘 信田(しのだ)の


10
森の狐にあらぬ 釣針をさげておろして
三十二相揃ふた十七八を釣ろうよ おかつ
さんをつろうよ「余念もながき鼻の下
ヲゝ当るぞ/\ どつこい〆(しめ)たと引上ぐれば 被衣(かつき)
目深(めふか)にかつぎし女 アラとうとや掛つ
たは/\ サア/\こちへござれ 嬉しや/\「サア/\

是からは三々九度の盃じや これへござれ
何も恥しい事はない そなたと夫婦に
なるならば 春は花見 夏は涼み 秋は
月見の酒盛に 冬は雪見のちん/\鴨
天にあらば 比翼の鳥 地に又あらば
連理の枝 かならずそもじはかはる


11
まいな  悪女「なんの変つてよいもの
かな  太郎「まづ何は兎もあれ御面
像を「被衣をとればこはいかに 鰒
に等しき醜女(しこめ)ゆえ  太郎「ヤア ワゴリヨは
鬼か化物か なり消えてなくなれ/\
悪女「なう/\我夫(つま)今おつしやつた楽しみは

嬉しふて/\わしや忘れはせぬわい
ナア  太郎「ヤレ情ない ゆるいてくれ/\  悪女「そりや
つれないひぞへ太郎冠者どの「コレこつ
ちから向かんせ エゝ何じやいなァ「思へば深い
恋の淵 しづむ我身を釣糸に結ん
だ縁の西の宮 蛭子(ひるこ)まうけて二世


12
三世かはらぬ色は棹竹の 末葉栄
ゆく女夫中 放れはせじと取すがる
太郎「なう恐ろしや/\  大名「ヤイ太郎冠者 三郎
殿の授けたまひし妻じやによつて 否応
はなるまいぞ  太郎「アゝそなた様は能い月日の下
でお産れ被成(なされ)た此太郎冠者は 月も

日もなく黒闇(くらやみ)でうまれたと見へます
大名「何は兎もあれ目出たふ舞ふてはないか
太郎「勝手にさつしやれ  大名「高砂や此浦船に帆
をあげて「月諸共に舞の袖「女蝶(めてふ)男蝶(をてふ)
の中もよく 遠く鳴尾(なるを)の沖の石 堅い
契りが住吉の千代に八千代をかけはしや


13
千秋万歳の千箱(ちはこ)の玉を奉る目出
たさよ  大名「目出たいな  太郎「ヘンお目出たふご
ざります 「笑ひ興ぜし能舞台 鏡
の松の常磐津に 昔へかへる岸沢の
波の皷の打よりて 睦じかりける
次第なり