仮想空間

趣味の変体仮名

難波丸金鶏 第三 

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     浄瑠璃データベース イ14-00002-604


55(左頁三行目)
  第三 木津川堤(きづがはつゝみ)の段    「急ぎ行
きり/\゛す鳴くや 霜夜と詠みたりし 歌にも似たる身の上や 嵐はげしき木津川の 堤にならぶ辻君が思ひ/\の
恋衣 往来(ゆきゝ)の袖を妻結び引ぞわづら風情なり イヤコレお十様(さん)そこにいやるおいもや私は毎晩つないた銭
見せぬと 親方がごろつくさかい 此寒いのに夜がな夜ひと こけたり起たり米俵(よねだはら)同前おまへは又親方殿の
娘御故 此帳場へ立んしても勤も心の儘に 安(やす)大尽様が舟に乗て牽頭衆連て毎晩お通ひ したがほん


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に此四五日は何としてやらお出んなァ サイナ 私も気が済ぬ故 待兼ているはいなァと 聞よりおいもが そんならこちらも捨
られぬ ソレはそふとこちの親方程 欲面は有まい お十様の傍でいふは悪いが 昼は一日山猫廻し 夜はわたしらが跡付け 何と
えらいじやないかいのと咄半へ山猫の貂(てん)八といふ爪長親仁 噛付様に目を光らせ コリヤそこな売女共 寄たかつて
おれをくふな そづ客留ずに貰ふては飯櫃が天上する アノ娘のお十じや 此中からよい客が付て毎晩揚詰に
するといへど 花代は目に見せぬ コリヤいつ渡るのどふするのじや サアどふ成りとするはいな サア其どふ成とが気にくはぬ どふ
でも間夫(まぶ)をひろぐそふな よい/\後によせおつたら直々に立引する イヤコリヤそこなおいもおたこ 己抔を一つ帳場に置と ぞは
/\しおつて銭にならぬ こつちへうせいと山猫は二人を引立たち帰る 恋風に吹送られし笹に舟 安立安次郎清

重はいつかお十に馴初て思ひも 深き木津川の岸を 目宛に漕寄せる 頃しも廿三夜の空 まだ宵闇や
胸の闇 お十は一人濱際に思ひ有身の独り言 我斗物思ふ人はあらじと思へば水の下にも有けりと 吟ずる声に舟より
も みな口に我や見ゆらん蛙(かはづ)っさへ 水の下にも諸声になく そふいはしやんすは安様かと 走り寄くる岸伝ひ たいこの
与八はそゝり立 ヤアお十様やつちや/\ 君を待つ夜の畳さんお前方のはざん 夫よりつらいは枕元へ犬のくるのがめい
わくじや とは不調法御免/\ サア/\お乗と舟漕寄すれば安治郎 あぶない/\と抱(いだき)抱(かゝへ)て舟へ乗せ 扨此間は御
げんならぬ ドレ久しぶり顔見よふか 是はくらふて恋の闇 与八縮緬早ふ/\ エオツト任せと弓張の尽ぬえにしと
火をうつし さらば是から御酒宴と取持声も高薪絵 友治(ゆうち)の盃旦那からいさお始めと夕露に 濡れ


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の開山浮舟の昔増りと騒立 ぬる井一人がむせう呑み 余念たはひもなき折から のさ/\来る親方の山猫
はいがみ声 コリヤヤイお十 そこに居るか 花代払はぬならず客 又喰逃にあふのかと いふにお十は気の毒がり コレマア
とゝ様揚代はわしが呑込でいるはいな イヤ呑込でも噛込でも こちのは現銀かけ値なし サア花代をおくれん
かと せがみ立れば安次郎 紙入とく/\金子取出し 此中よりの揚代三両 受取めされと指出せば貂八は恟りし エゝソリヤ
小判じや ヘゝゝゝ シヤほんに 人にけなりがらす様に 但はほんぼにおくれるか ムウ そちはアノお十が為 真実の親とな 幸ひ/\近
付に成申そふ 身は安立安次郎といふ浪人者 ふとした縁でお十に馴染 妻に致す了簡なれば身請を
致そふと 聞て貂八ぞく/\踊り 娘が悦ぶ仕合せより此親父が儲け事 身の代はたつた百両 お求めなされてお徳な

者 いかにも百両承知した 先明日迄我抔が揚詰 今宵は直ぐに身が内へ同道して帰りたい イヤモウ夫はお安い事
したがお前のお所はな 此川下の三軒家(や)曲(まがり)ともかけ造り松を印 尋て来やれ ヲツト合点呑込ました 明日迎に
参りませふ コレ姉 随分とお気に入て彼百両をはづさぬ様 孝行者では有はいの 娘さらば旦那お暇/\とほた/\いふ
て立帰る 跡に二人は指向ひ与八/\とおこせ共 傍にころりと白河夜舟前後もしらぬ高鼾 お十は何と云寄ん
便(よすが)も波のヲゝ寒と 風を便に寄そへば ナントお十今宵はつもる物語 是から内へ連帰り約束の通り女房に
する 恋は曲者ふしぎな縁に そなたを始て此堤で見初し夜半の其寒さ テモいとしやと思ふより ふと綴りたる其
時の発句を アイ 其時の御発句は 鉄(くろがね)にしても女ぞ橋の霜と 情のこもる御詞がよるべにて 草の筵の仮枕


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一夜が二夜と重なりて今は夜も日もうか/\と お前の事のみ忘られず 斯く迄思ひ沈め共 廓や南の全盛
な公界(くがい)勤る私なら 譬お前はつれなく共末はとふしてかふしてと云たい事さへ身に恥て いはぬ色なら山吹の露なら
いつそ今爰で わしや消たいと指しうつむき 身をしる雨はけんぼうの袖に涙やこもるらん アレヤレ夫はよしなき悔み
吉野の桜は有筈と思へばさして珎らしからず 藪のこかげに咲く花は奥床しきも人のならひ 殊にそなたの心
ばせよし有育ちと見し故に 姿はとも有れしほらしい そなたの其ソレ心をば 女房に持はいの偽りならぬ我証拠と
小柄抜持刀に押当ててう/\/\ 金打(てう)すればノウ申 そんならほんぼの夫婦かへ ハテ知れた事 ヲゝ嬉しと思へどどふやら
勿体ない そしてお前は内方に奥様はないかいな 有もしたれど離別した そんならしかるお方もなし エゝ忝いお志

ドレお足でもさすらふかと 縋り寄添ふ妹背は定家の歌に五文字付継合せたるごとく也 たいこの与八は声を上 アイタ/\/\
ヤア/\どふした何とした イヤモウお前方の濡事で伜めがきつい腹立 夫で頭をアイタ/\と 顔をしかめて起上れば 安次
郎は立上り 与八是からお十と連て身が座敷へ先へ帰り 釜でもかけて待て居い 身共は用事仕廻次第追付
帰らふコレお十 やがていなふと濱がはへひらりと飛ばコレ申 早ふお帰りなさりませ そんなら旦那追付と舟と 陸(くが)
との声々に川風 凌ぎ別れ行 跡見送りて安次郎 堤に立て両手を組 百両といふ金子をば 貂八に渡さね
ばあのお十は我手にいらず といふて急に才覚する術(てだて)もなく ハテどふがなと思案の内 向ふより来る小提燈六十(むそぢ)に
近き侍が立とゞまつて家来に向ひ 道々思案して見る程 娘が病気きづかひな そちは是から引返し難波


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村へ立帰り あすの朝迄介抱せいと いふに家来がイヤ申 夜道と申此暗いに殊に大まいの金子をば お肌に付て
ござりますれば やはりお供致しませふ 何さ/\年は寄てもいかな/\ めつたに不覚は取申さぬ 金迚僅か百両斗
案じる事は少しもない 夜が明られば娘をば三軒家へ連て参れ ナイ/\/\と家来は跡へ立帰る 旅人は火縄打
ふか/\歩む傍(かたへ)に安次郎抜身片手に両肌ぬぎ 申/\と声かくれば立戻りてふしぎそふに 何拙者めに御
用かな いかにも左様 御らんの通様子有て只今生害仕る 近頃そこつな事ながらお侍と見受ました 御苦労
ながら御介錯お頼申と云かくれば いか様見ますれば御生害の御様子 品に寄りたらば不調法ながら 御介錯も致そふ
が マア様子を仰聞られい コハ御懇意の御挨拶 千万祝着仕る 何をか包まん拙者が主人 傾城狂ひに金

銀を費やし其上右の傾城を見受致すに極られ 其金の才覚大方に調ひしが 引残つて百両斗調達に行
詰り 主人へ不忠の言訳に腹かつさばき相果る所存 何卒借(かし)て呉そふな人さへ有れば何の/\痛い腹は切ませぬ
世間の武士の切腹は 十文字がお定り 拙者は傾城故ならば 八文字に切まする 御苦労ながら御介錯 なむあ
みだ仏と抜身追取 既にかふよとしかけても 見向もやらずしろりくはん 又なむあみだ仏と二三度四五度ゆすり
かけてもいつかな/\ 工合の悪い出来合鑷(げぬき)くはぬ/\と見へにけり ハレ世の中には様々のたはけも有はある よしない事に騒
費へと云捨立て行んとする刀の鐺(こじり)しつかと取 コレサ侍 武士に大事を明かさして返答もせずどこへおいきやる イヤこな
大盗人めが ナント盗人とは サレバサ 命も捨る程の忠臣が 主人の放埒とはず語り 跡先詰らぬ詞のはし/\゛ ムウ


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こりや今はやる盗賊衒 そんな術に乗る様な親仁ではおりないと又行過るを立ふさがり ヤア盗賊の悪名を
付るからは毒喰は皿 懐中に有其百両 御無心が申たい ホウいかにも金子は此財布に嘸ほしからふ マアなら
ぬ 盗賊なんどがなまくら刀 侍の骨は切れにくい ヲゝ切れぬか切るか取て見せふと 闇はあやなしさぐり足ねらひ寄
て懐中の 財布に手をかけ引出せば さしつたりと刀の稲妻 上段下段に切結ぶは危くも又めさましき 空は
折しも雲晴て廿三夜の月代(しろ)に光り照り添ふ氷の刃 旅人は受太刀跡すさりたぢ/\/\と身を引はづみ 切先取
て我と我(わが)腹へぐつと突立る 驚きながら付入手先 しつかと捕へてヤレ安次郎 暫く待てといふに仰天 ヤア/\/\ 我
名をしりしは何者と 頭巾取捨すかし見て ヤア貴殿は舅三太夫殿 コハ/\いかに何故と驚き騒ば押しづめ 其

身もほつと一息つぎ 首にかけたる財布より金子百両取出し 何安次郎 噂を聞けは此辺りに蟄居と聞き 今宵
尋て参る所 不慮の対面嘸驚き 早速ながら申そふは貴殿の親父安隆殿と契約の通 始お駒を
其元へ遣はしたい 是が則嫁入の拵料 金子百両御受納有て給はれと 思ひも寄ぬ一言に イヤ申三太夫
殿 いかにも云号の御息女なれ共 御存の通敵討のお暇受け いづく定めぬ旅の舎(やどり)あすをもしらぬ我命
此縁組は御用捨に預りたい 殊更貴殿に手疵を負せし某 縁を組では舅殺し 思へば/\面目なや 人も
多きに貴殿に向ひ先刻からの始終のしだら 嘸貧苦故非道の金銀貪るかと おさげしみも有べきかと皆迄いは
せずイヤこれ/\ 其言訳には及び申さぬ 御親父の敵討さへ済だなら 娘お駒と夫婦に成て給はるか いかにも


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/\ 敵の首を提(ひつさげ)て親安隆が位牌の前でめでたふ祝言仕らふ ヲゝ忝しと腰下げの手拭取て腹引しめ
居直つて声はげまし 去年八月十五日 楠葉堤(くずはづゝみ)の川岸において汝が親安隆を討たるは 外でもない
此木津三太夫と 聞よりヤアと飛退しが ハゝゝゝ息女お駒殿と縁を結はん為紛らはしい敵呼はり 但は慥な証
拠ばし候か ヲゝ遺恨のあらまし一通り物語らん 元来貴殿の親安隆とは竹馬の朋友 故有て浪人と成此
地へ登り互に立つ身競べせんと契約して別れし後 そちか親安隆は程なく出世の籏を上 此大坂と堺の間に
て新田を開き十町四方の主と成其名を直に象て 安立町と号(なづけ)しは世の人のしる所 夫より段々威
勢の余り二条家に取入 終にははきゝの雑掌(ざつしやう)と成て何かな禁裡へ追従に 泉州堺の妙国寺

に隠れ名高き八ツ俣の蘇鉄を叡覧に備へんと 二条家迄取寄しがふしぎや夜毎に彼蘇鉄 妙国
寺へいのふ/\帰らふと 心なき草木の古郷をしたふは誮(やさ)しき迚 公(おゝやけ)の下知に寄て 始のごとく妙国寺へ送り
戻す其道中 時しも八月十四日 八幡宮放生会勅使儲けは我主人橘中将殿 我も其時陪従
せしが彼淀川に御(み)船を繋ぎ暫く月を御覧の折節 秋雨しきりに降かゝる 黒雲紛れの皮上より水主
楫取(かんどり)櫓櫂をならべ エイサ/\と押切るはづみ何とかしけん 繋置し勅使の御舟の綱の上 彼大船を乗上ぐ
れば 御馳走役人声々に勅使の御舟へ狼藉者 さがれ/\といふをも聞ず 是は安立安隆と申者 泉
州堺へ蘇鉄を送る下り舟 私用にあらずといひ様に 天上人への恐もなく御舟の綱を押切/\舟を早


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めて下りしは 又上もなき傍若無人 夫より漸舟を繋ぎ放生会は済たれ共 安隆が慮外の段々聞にせつな
き此三太夫 聟舅の中なれば中将殿へ願ひを上 穏便の御仕置を一向(ひたすら)に願ひ果せ 直様明けの十五日 密か
に安立を呼出し 其方一人切腹すれば子孫の為と様々にいさめても承引なし 是非なくも其座にて此三
太夫が手にかけしも因果と因果 皆是そなたが大切といふも娘につながる縁 敵と名乗て手にかゝり
そちが武士を立ふとすれば 現在娘が縁の切れ目とやせんかくやと此年月 心の内のせつなさつらさ包
忍んでけふの今宵 我本望達せしぞや ムゝスリヤ我父を討たるは貴殿で有たか ハゝゝ はつと斗にどうど座し
前後涙にくれけるか アゝ是非もなき此身の上 現在親の敵ながら討つに討たれぬ御恩のこなた 討ねば不孝

討てば不義 能も武運に尽果しと 悔歎けはヤアうろたへしか安次郎 そちが刀で此ことく我腹へ突込だれば 敵を
しとめし遖手柄 他人と他人は是迄 契約のごとく娘共夫婦に成て下され 此百両は其方が難儀をす
くふ祠堂金(しだうきん)又来年の弔ひは 孫の顔をば手向てたべ頼む/\の詞さへ 次第によはる枯芦の 末葉にとづる
薄(うす)氷消て跡なく成にけり ヤアこれ申と取すがれどかいも波路の捨小舟 御恩の数も百両の 金もさへ
行朝嵐明けては人目いぶせしと 舅の死骸を かき抱き流れも早き川岸に 沈むも涙声曇り出離生死(しゆつりしやうし)
                       頓生(とんしやう)ぼだいと回向を なして「立帰る
  三軒屋借座舗(さんげんやかしざしき)の段
いやな男をさすつていなし 好(すい)た男を擲て噛で とめて添寝が勤かへ ほんにそこらが勤かへ すき上さし


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た櫛巻髪も とけて身儘の述べ鏡 移れば水にかけ造り 三軒家の借座敷 爰に安立安次郎
辰五郎あづまをかくまふて 世間に心奥底も 夏より冬と暮しける 鈍井(ぬるい)与八が朝餉の棚元
膳を片手に 是は扨お十様モウお上りか 差くべにいかふと思う間に大方おれが苗字のよふな イエ/\ぬるい事
はござんせぬ ずんど与八様(さん)でござんした コリヤ口合できました アレ/\旦那のアノ高鼾 祝言の験が見へる
ぞへ/\ お前のおひへも巨燵(こたつ)にかけて置ました 着かへて早ふナ 夜食は昼でもよい物じやと笑へば
お十も ホゝゝゝ与八様とした事が余りちやつて下さんすなと 赤らむ顔は湯上りの浴衣ほら/\入にけり
仕切る座敷の障子さへ 人間(ま)を忍ぶ辰五郎あづま諸共立出れば 是は/\御用があらば手を叩きはなさ

れいでイヤ別に用もなけれど 夕部から安次郎殿に逢ぬ故 そふでござりませふ イヤもふ祝言やら打たり
舞たりもて返しておりますと いへばあづまが是はしたり アノ安次郎がお内儀様を呼しやんしたかへ サアお前
方が貴様に 明けても暮ても比翼連理が羨しく 堅くろしい安次郎のやつし事 きだんの名はお
十様お引合せ申ましよ ムン夫は重畳 あづま そなたも物いひ伽が出来て嬉しかろ アイ嬉しい
段か 与八様嘸閙(いそが)しかろ 其お十様とやらモウ来てかへ アイ夕部舟て迎にいて盃もざつとざゞんだの酒機
嫌 まだ枕が上りませぬ ヲゝそんなら道理後に緩りと悦びいはふ アノ安次郎殿は大分願の有身の上
其事は色にも出さず僅かの間(あいだ)もおれが内で世話に成た恩が有と 我々を此様にかくまふて下さる


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上 此あづまの身の難儀も番頭の宗兵衛めが工から 今では命の上にも及んで有故 一寸も外へ出す
なと 別座敷に隠し置き 真実の親にも勝る第おんいつの世に忘れふぞ おれはおれじやが たつた一人の母
上小庵様 永々戸しめ遠慮のお身 不自由な事は苦にもせず 不孝なおれが事斗煩ふてはいぬ
か難儀して居るで有ふと 泣て斗でござるであろ 勿体なやと伏沈めばあづまも供にないじやくり 其
お悔みを聞に付け不孝の元は私故 此夏お目にかゝりし時お情深いお詞が身にしみ/\゛と忘られず 思ひ
出さぬ日はなけれど云出したら其様に身のくづおれにならふかと 泣たい所を笑ふて居る 心を推量し
てたべと声も涙も忍び泣 是は扨私迄けむたい/\ お悔も御尤 大名暮しの淀屋のお家 其余

情(じやう)を蒙て安楽なたいこ持も旦那のおかげ 昔のくはうくはに引かへて御不自由なお住居 何事も時節
じやと諦めてござりませ 悪人方の宗兵衛殿も段々首尾が悪いげな 安次郎様が聞しやつても気の
毒 アレ足音が致します おふたりながらお炬燵へ炉に炭でもなされて 挽き茶も切れたらお慰みにナ 茶臼
もちつとよござりましよと 沈むを浮かす茶筅より鈍井(ぬるい)与八がちやは/\口 ちやつと/\とすゝめられ ふ
たりは座敷へ奥の間より お十はしんきな顔付して 与八様/\なんぼ起してもこそぐつてもお目が覚るこつ
ちやない ハテ夫を与八が知た事か お前の心に覚へがあろ エ又悪口をいはんすかいな イヤ申お前は爰でるす番
なされ わしは云付られた買物 船場から天満の辺(へん)かけ廻つて参らふと裙(まえだれ)はづし出かゝる所へ 山猫廻


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しの貂八が首にかけたる箱の内 両手に遣ふ指人形 ちやん/\/\/\声はり上 おしやれ連だと足代の山へ かゝへ
先へねんねこせい 昼寝の寝言いふたおかしさは 通らしやれ ならの都を立出て 返り三笠の山をこへ コレ/\
手の隙がない通つた/\ ヲゝ通れとは忝いと ずつとはいれば アゝこれ/\通れとは外(そと)の事 物囉(もらひ)が人の内へめつそふな
と いふにお十がヤアとゝ様ござんしたか ハア扨は夕部見たおぎう殿じやの 夜は濱に立てぎうの働 昼は門に立て
山猫廻し きつい精の出し様じやの ヲゝ扨爰の内には祝言が有た筈じやがナ 娘よ 入込したからわりや爰
のお内儀様 婚礼の有門へは座頭の坊に猿引山猫廻し 祝ひを取に来る作法 人に先(せん)越れぬ内祝
義をせしめ 酒も呑ふと思ふて来た といふに与八が忙(あきれ)顔 アノお十様の親御なら現在の舅殿が ヲゝてや 舅

入やら娘が見受の百両も受取ふし 分一の片口銭(かたがうせん) まだ有るてや 舅入の祝儀庭銭(せん)も有 七曲りの餅
代夫レも生樽(きだる)がこちの勝手じや ヤまだ朝飯も喰ずに来た 祝言の五ヶ日が鯛の焼物に鯛の汁
結構にして据い ハテ一人の娘に濱立ちさせ むさふ働て清ふ喰へといふじやないか ハテこな男は何をきよろ
/\ 爰の埒が済だら前垂嶋勘助嶋湊々の掛り舟廻らにやならぬ 娘よ早ふ据ぬかい サアわしじや
てゝまだ勝手もしらず 安次郎様の目の明く迄 ムゝ待てくれといふ事か 余所外でもない聟の内 もぎどう
にも成まい そんなら一息みしらそと 傍(かたへ)に直す箱よりも風呂敷包取出し さげて一間へ娘が案内舅
顔して入にける 跡をながめて テモ扨も娘に似合ぬ痩親父 鳶が産ました夜鷹じやと 一人つぶやく


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表の方 爰も難波の芦垣や短き 日脚(あし)急がれて お駒は一人とぼ/\と笠を片手に尋来て 物問ひ
ませんと音伝(おとづ)るゝ ホイ何でござるといひ/\ずつとテモ見事じや はいつて様子を イヤ申辺りに安立安次
郎様といふ御浪人のお座敷はと 半分聞て爰でごんす どれからお出でござります イヤまあ所が知れて嬉し
うござんす 若しけさから六十斗な旅の人が爰へ尋てハアゝ成程/\ 六十斗な親父なら たつた今見へて奥へ
いかれました 夫は嬉しや落付ました 其名は三太夫と申ませうがな サア名はしらぬが山猫廻しで夜はぎう
をしられます 娘を嫁におこした故 舅入じやといはれました ハテ心得ぬ山猫廻しの何のとは すつきり合
点のいかぬ事 其お人は侍でも けもない事/\ 物囉(もらひ)の親仁でごんす ハアそんならば人が違ふた 扨はまだ見へ

ぬよな 何はとも有れ嫁入の舅入のとは 実(じつ)正でござんすな 何の嘘を申ましよ しかも大まいの金出し
て受出した花嫁御 ムゝ受出したとは 扨は道の者でござんすか テモ根問する人じや 忝くも惣州でごん
す 惣州とはへ 夜ほつ 夜ほつとはへ ハテ夜鷹けころばし舟まんぢう 其舟まんぢうの蒸し立てを炬燵の
床入なされける 何と侘た祝言でごんしよがな 其舟まんぢうとはへ ハア扨はかへ名を御存ないか 素(しら)でいを
なら濱に立た辻君 夫で濱邊惣かん様と申ます エ何のかのと隙が入て買物を忘れて居た 一走り
いてかふと 跡聞さして出て行 これまだ尋たい事が有といへどいつかな跡かげも 見へぬは父の三太夫様 どふして
遅いと心の不審立門口のひとかげは どなたとお十が声かけて勝手へ出る詞の塩 イヤわたしは八幡から参り


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ました安次郎の女房でござんすと はいる姿の爪(つま)はづれ こなたもふしぎ立ながらよふお出共いひ兼
て 互に挨拶お駒は傍へ アノ申 安次郎様にお内儀様が入しやんしたと聞ましたが お前様でござんす
かへ アイいゝえ わたしはつい近所の者で雇れて参りましたが お内儀様は去れさんしたじやないかいな サア夫レ
でも云号の女房とは わしより外にない筈 マア今も聞ば夕部祝言の有たはさもしい勤した者とやら いか
に浪人なされた迚 濱に立た女ゴをあられもない お前も近所の懇ろな能様にいふて早ふさらして下
さんせ 頼ます/\と 夫レとはしらぬ挨拶を お十は気の毒何のいな さもしい勤すれば迚濱に立て能
物か そりや人の悪口といふ物でござんせうわつけもない イエ夫でも今爰に居たお若い人が イエ/\誰

いふても皆悪口でござんすと 術ながる身と遠慮せぬ互の詞も仕切の障子女房共お十 /\
はしたない何事じやと 立出る安次郎見るよりお駒が飛立思ひ お久しやなつかしやと立寄りすがるを
わりや誰じや エゝ ヲ女房といふは爰に居るお十が事 構はずと奥へ/\と目でしらせば イヤ待たしやん
せ コレ安次郎様 親と親とが云号て置た木津三太夫が娘の サア其お駒が何しにきた 此安次郎は親
の敵本望を達する迄契約を変改(へんがへ)申 ヲゝ尤と三太夫に詞をつがひ 暇をやつて今では他人 委細
は親父へ申置た帰れ/\と取あへねば はつと斗に当惑の今更何と涙にて とゝ様と諸共に八幡の人
目を忍び/\夕部も難波の辺りにて先へいて尋逢首尾した上で逢せんと一人の家来に言伝(ことづて)ゆへ


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待て共/\便もなし 但は道が違ふたかと家来を跡へ尋にやり 父を尋る堤伝ひ漸尋来た物を 此
とゝ様はなぜ遅いと門をながめつ立つ居つ 居るもいられぬ女気のお十も傍に気の毒さ 爺御(すご)様
も一所にとはどふで様子も有そな事 どふぞ夫迄あなたをば留まして置ましては イヤ/\/\そふはならぬ 由縁(ゆかり)
かゝりもない他人へ留置ては武士が立ぬ 夫共三太夫同道して子細を聞た其上では サア申 家来を
尋にやりました其便り聞迄は アイお出に間もござんすまい どふぞ夫迄お十が願ひ ムゝ女房共が挨
拶無にも成まい 暫しが間了簡して雇ひ嬶にして置ふ 幸爰に与八が裙(まへだれ)それを着て働けと いふ
も一物いつしかに 仕付けぬ木綿前垂の藍もあいそと嬉しくて 結ぶ紐さへしやらどけの 夫一人に二(ふた)

女房 お十が見兼しめてやる心遣ひぞ誠なる ソレ台所へいて茶でも焚き 女房共が機嫌をとれ サア
いけ/\まだ行ぬか 悋気かましい事が有と爰には置ぬぞ アイ/\/\暖簾のかげに身を忍ぶ ホゝヲこりや
何じや人形の箱 ムゝ舅太夫の貂八はモウわせたか アイお前はよふ寝入てなか 相判するとて障子
の内へ ムゝ起られたら対面せふと 箱引寄て取出す人形 扇持たおやまも有 えほしきたは大将義
経 静といふ女に迷ひ 大物の浦の難風も丁どお駒が身の上 そなたといふ女房が有共しらず イヤ
親々が約束じゃの女房じやのと やつつかへしついひ募るは 取も直さず大きな難風 そこへおれがぬつ
と出て波風をしづめたは 舟弁慶が数珠先より我抔が口先 大望かゝへた此安次郎 お駒を去


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たは芳野の山で静を見捨し義経同然 武勇烈しい大将でも 色故にこそ九郎判官 迷ふも
道理 可愛らしい此お十 此手のつめたい事じゃいとじつと引よせ懐へ お駒はしゆらくら滾る茶を茶
台に乗て指出す ヲゝ用はないあつちへ行け アイ夫レでもあんまり あんまりとは何が何と 今いづた静
が譬(ひきこと) 此内を追出そか めろ/\と述懐涙いま/\しい 立てうせいとつごとなる詞の角(かど)ひし立上り
涙を払ふ裙の 紐さへほそき胸の内 思ひを隠して入にける 見送るお十も女気の 其様に叱ず共
御合点の行様に いひ聞して下さんせ女ゴは相身互といふ お心根がいとしぼいと 涙ぐみたる其風情 ハテ
気の弱い是程むつまじう楽しんで居る中へ えしれぬ女がうれおつてそなた迄なかしおる 去りこくつた

お駒遠慮も何にも入る事か 安立安次郎が女房お十 コレ嬉しいか/\但はいやかと 寄添ば ナアニいやかおふ
かは枕して二人寝たのが二世の縁 ふと馴れなじんだ其時から身を任せたい添たいと 真実心から身
を打たはおまへの心に覚が有筈 夫レに今更いやとは まだ疑ふて下さんすか イヤ疑ふじやなけれ
共 目の前お駒と縁切て一生添ふと思ふ物 念を入ねば落付ぬ ハアテ君が一夜の恩の為には妾(せう)が百年(もゝとせ)
の命でも ヲゝ忝い落付た 其百年のそなたの命 安次郎が貰ひたい エゝ ムゝいや其恟りではまだ女
房とはいはれぬと 両手を組だる思案の体 お十は胸迄せき登す 涙押へてイヤ申 私風情のさもし
い身を大まいの金出して見受なさるゝ御心底深い様子が有ふとは弁へしらぬ女の浅はか 千年も


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添ふ様に思ふて来た事じや物 恟りしたは心の外 堪忍して下さんせ おまへに任した此體お心に入る
様に安次郎様 迚の事に入訳を咄して聞せて下さりませ ヲゝいかにもさつぱりの返事過分/\ 問迄も
なし語つて聞んと座を改め 何をか包まん身も一とせ軍術に鍛錬し 其軍学の師範と頼みし
御方 故有て此世を空しくせられしかど 忘れ筐の女子一人 今漂泊の身と成て剰へ命にかゝりし
大事に及ぶ 其師匠の娘の命 助けずんば師弟の恩義立がたし 去によつてそなたの命トいふも中々
安次郎が 武士を師匠と頼んだる義理といひ世の人口 其師恩を報ぜんには恩愛の女房お十
仮初ながらふとした縁 そこを頼むはよく/\に 遁ぬ事と諦めて 夫が為に死でたも 頼む/\も涙なる

ヲゝ御尤のお咄 其又お師匠とおつしやるはどなたの事でござんすへ 小栗判官兼氏の忠臣 大星由
良之助良男殿 エゝ アノ由良之助様の ヲゝ其娘のお大殿 小栗公落城の後 人商人(あきびと)に匂引(かどは)かされ
今茨木屋のあづまといふ傾城方向に身を沈め 縁てこそあれ今大坂に隠れなき淀屋の世取
辰五郎 是も小栗家には出入の町人 突出しの其日より互に語る由縁(ゆかり)と由縁 外の客には汚さじ
と揚詰の大尽 災難といふは爰の事 八幡の領主橘の中将殿 一人の息女を淀屋の嫁に送
らんとの取結び 縁辺極る印には 金の鶏雌(めどり)雄(おどり)を取かはし 婚礼の規式早調はんとせし折節
淀屋の重宝金の雄俄に紛失 其本(もと)はといへはあづま殿 祝言の妨げし鶏を盗出し 失は


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せしと証拠の一札 指当るあづま殿直筆なれば是非もなく 夫より淀屋の騒動と成る 此安
次郎も淀屋の家に恩を受け かふり振れぬ辰五郎の難儀 其あづまといふも師匠由良之助殿の
娘 二人共に此座敷に忍ばせ置 伝(つて)を求め中将殿の内意を聞は鶏の失せしもあづま故 盗賊
の法に任せ早く首討て遅れとサアのつ引ならず 詮ずる所はあづま殿 何と命が取れふぞ とやせん
かくや当惑に 笹原あるく足の裏 木津川堤でそなたを見て 年格好も幸となじみかけしは
そなたの不運 世の中の無心といふ此上の無心は有まい 様子は斯の通ぞと いへばお十もあい/\の始終
お駒は暖簾のかげ 涙に袖もしほれ出 何事も聞ました そふとはしらいで暫くも悋気したのが

恥しいお十様 得心なされたお身がはり横合から異な事を 支へるではなけれ共 由縁の薄いお十様
を切らず共 私を殺してかはりに立 気に入ず共其功には 未来は夫婦といふてたべ 折角の親の約
束お前の便りを聞迄と 袖は詰ても歯は染ず 一生殿御の肌しらず され共御恩のお師匠の
お為に成て死るのが せめて夫婦のかたらひと 聞よりお十がそりや何おつしやるお駒様 お前は御
縁が切れたれば由縁かゝりはござんせぬ サア安次郎様わたしを殺して イエ/\/\此世の女夫はお十様 わしは
来世で女夫に成 イヤ御未練なお駒様 やつぱりわたしをイエ/\わたしを /\と道を立てぬく娘同士 奥
床しくも哀也 夫も漸顔を上 尤の願ひなれ共お駒はどふも殺されぬ ソリヤ又なぜにへ ハテ


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縁を切たりや他人と他人 三太夫へ義が立ぬ 迚も此世て逢れぬ舅 言訳の仕様がない ムゝ何
此世で逢れぬ舅とは ヲゝサ其義は追っての事 先ず指し当るはお駒が年ばいといひ 中将家に仕へし
娘なれば 顔見しられた其方 犬死させて益がない サアお十覚悟がよくば物見せんと 懐中より
百両包証文を指出し 其包は貂八へ娘を貰ふ命代 受取の証文爪形の判を仕や早ふ/\
安次郎様曲がない わたしや金で命は売ぬぞへ ムウ何かなんと 今に成て命が惜いか卑怯者 遉
は賤しい夜発(やほつ)の女 命入ぬと立上るコレ待て 尤親の為とはいへど 腹の内から勤の身てもござん
せぬ 夫に何ぞや卑怯げに 金に命を売たとうたはせ 死だ跡迄恥さらせか お駒様の手前さへ

微塵も思はぬ心底づく 惚た斗で死る身に疵付けて下さんすか 判とては仕やせぬ/\ 此儘殺して
イヤサ心底満足ながら親貂八の手前といひ 判かなければいつ迄も イエ/\夫レでも何ぼでも いやじや
/\と詞の爪判 りうとひゞくは染羽の矢先 お十が胸元は瀧津瀬 是はとお駒が介抱に 驚きな
がら安次郎 くゝり添たる矢文はいかにと押ひらき/\ 娘お十が命 金子百両に売り申所実正也 安
立安次郎殿へと読終れば ヲゝ其得心の印形 夫へ参つて仕らんと障子蹴放し立出る其形相 猩
々緋のぶつさき羽織忠の一字の胸当に甲頭巾立附け立 只者ならぬ頬がまへ大小遉半弓
を 弓手に挟み立たるは興さめてこそ見へにける ム イヤ面(おもて)はかはらぬ山猫貂八 姿は武士にも恥ぬ出立


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得心の印形せんとは心得がたしといはせぬ立ず ヲゝふしん尤也 渡世の為にあらあぬ假名(けめう)は付いたんなれ共 今こそ
実名を顕はさん其為に 斯のごとく出立たり 唐土天竺いさしらず今日本において英名雷神
のごとく響渡つて 忠臣の第一と呼れたる大星由良之助が心にさからひ 不忠不覚の名を取し 斧
太夫がなれる果でござるはいのふ ッヲゝ驚き尤 其由良之助良男を以て師範と頼し安立安
次郎 師恩を忘れぬ義心の程 誰も斯こそ有べけれ 我は夫には引かへて一人の娘さへ金に代なす
大欲心 おこがましくも此姿ふしんの条々いひ開かんとどつかと座し 主君と仰し小栗殿 不時の
横死に果給ひ落城の砌も過ぎ 大星我を近く招き 亡君の鬱憤修羅の朦霧をさん

ぜんには 敵横山討にはしかじと密談せしかば 我もさこそと思へ共中々たやすき敵にあらず 討損じ
ては恥辱の上ぬり 汝は汝が思慮に任せよ 我は我が愚案も有と夫より良男に引別れ
我一人が手柄にして大星に鼻明かせんと 夫より貪る金銀利欲 城下の在々町人迄ぶち打擲に
あふたれ共 恥共杭共頬に面をかぶらぬ斗にて 国を遁れ吟(さまよ)ふ中 横山が舘へ入込阿(おもねり)諂ふ
犬侍 倥気(うつけ)と呼れし大星は四十余人の徒党をあつめ 念なふ本望遂たりと聞たる時の惜
さ 忠義の先(せん)を越されしも我偏屈のなす業と悔むにかいも ながき月日の今日迄今安次郎
の志残らず聞て此九太夫 六十念は夢の夢覚めてのけふは手にかけて 娘を殺す無得心 命の


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値を貪るも心に一物有ての事 像(かたち)は侍心は鬼 山猫廻しの貂八と世に落ふれしも主君の罰(ばち)
恥しの身のさんげやど始て明す物語 お駒も供に安次郎扨はと斗聞居たる 隔つ障子にこま
/\゛を聞て驚く辰五郎あづまを連て走り出 コレハ/\聞及んだ九太夫様 稚い時の事なれば御顔
は見しらねど 母の小庵が噂に聞く 先ず御堅固でめでたやと手をつかゆればあづまとお駒 此夏
逢て夫からはお前も私もけふの今 悲しい事が出来ましたと あづまは手負の傍に走り 申九太夫
様 大事の/\お十様 わたし故にお命をエゝ忝ふござります コレ申お十様 始終の様子あれにて聞き 死ふと
せしを指し留られた其中に ひよんな矢疵も此身故 いとしやのふと取すがりいたはる其手を取

かはし 扨はおまへが由良之助様のお娘様お大様 安次郎様の節なるお頼 お前にかはつて死れは嬉しい 必歎
いて給はるなへ 大星様は忠義の名を上げ 私が父は引かへて 臆病者卑怯者と 人の謗りを受給ふも 不
忠なされた其報ひ 此身を捨てさもしい勤して居たも お主様へかげながらの申訳 是に付てもとゝ様は
生れ付の我慢心 どうよくなお心と死る今はの際迄も 是斗が苦に成て恨み歎て居まし
たが アノ本心を聞上は 潔ふ死まする ノウ申安次郎様 未来で待まする お駒様は詫言して此世
で添て下さんせえ 云置く事は是斗といふも苦しき息つかひ コレのふ今が臨終かと あつまもお
駒も身を添て介抱等閑(なをざり)なかりしがいつく共なく鶏の鳴く音に安次郎耳欹(そばだて) ヤア扨こそ 像は


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立派な武士呼はり 底意のしれぬ斧九太夫 人面獣心の侍畜生盗賊の証拠は爰
にと 懐より合羽の雲付き取出し 住吉松原の土中に有し此手形 金の鶏暫く借用致し候以上 コレ矢
文に付たる此一札 二通共に同筆同書 今又時ならぬ鶏(とり)の音もお十が誠のなす所 サアさつぱりと白
状/\ ヲゝ盗賊と疑ふは此事かと 懐中より出す巾紗物 包開けば金の鶏辰五郎興さめ顔 是
こそ尋る家の重宝とふして貴辺の手に有しぞ 子細いかにとあづまも供に膝摺寄すれば 少しも
騒ず ヲゝせかず共様子を聞れよ 我手跡を見るからに思ひ出せば夏の頃 月は五月日は廿八日 住吉 ←
御田の暁方 朝風涼しき松原に 間眠(まどろむ)共なく寝入し夢 所は鎌倉泉岳寺の境内 四十

六人の殿原 敵横山が首を提(ひっさげ)亡君の御塚に手向ると見し夢心 此九太夫は横山が家臣と成 首
受取て行んとすヤ二(ふた)心の斧九太夫アレ討留よと罵る人々 中にも大星由良之助 殿原を制しとゞめ
我を助けし正夢の 覚めたる所は元の住吉 傍に臥たる者有て彼も夢を見し折から 胸より出たる人魂を 取
留てとらせんと玉結びの歌をよみ 起こせば是も夢咄し 辺りに立たる石燈籠 其根にて金(こがね)を拾
ひしとの物語 欲に眼(まなこ)の光る九太夫 堀出し見れば正夢の 印は金の印子(いんす)づくりコレ此鶏こそ有ッたん
なれ 身の幸と嬉しくて 預りの一紙を残し其場を立退き 迚も不忠と呼れし九太夫 金銀をわ
き溜し因縁謂れを見せんとすと 肌にかけたる守りより紐をとく/\取出すは 尺余の紙に石碑の差


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図 割笄を抜き持て手早く傍へに押ひろげアレ/\見られよ旁 左の上座の卵塔こそ 大星良
男が営みし亡君 小栗公の石碑也 法諱は則礼光院朝散太夫吹毛玄理(れいくはういんてうさんたいふすいもうげんり)大居士の 御墓を
始めとし 其外四十六人の数の石碑を九太夫が 営み建ん心ざし 次の最初は大星良男 富堀迄に
十一基続いて子息力弥を始 大鷹源五で是七人 次の九人は神咲矢間迄 右六人は赤垣塩田
清左衛門 中の十基は大野寺(おのでら)群松(むらまつ) 合て四十六人に主従都合四十七基 劔と刃の諡号(おくりごう)揃ひ
も揃ふ和国の勇士 猶此後も良男を始 四十余人が誉を伝へ 忠臣義士を顕はす為 義臣
伝を書き綴る共 此九太夫が身の上は大欲無道の人非人と書残し 人に指さし笑はるゝが却て此身の

罪亡し 徒党の勇者はいつ迄も 武士の鏡と伝へなば 草葉のかげ成人々も嘸満足に思はれん 是に
付いても九太夫は いつく武運に尽たよな 小栗殿の昵近には大星か此斧かと 一二の席を争ひしに 中
間(げん)小者商人(ばいにん)にも劣たる世渡り 蜘駕蜘助と迄成下り 娘には濱立させ 雪霜露に顔さらす や
ほつ惣嫁(そうか)の木綿物 君傾城のお大には衣服に綺羅を着錺て 辰五郎の寵愛も由良之助の
忠義心 天に叶ひし因縁づくコリヤ/\お十 こらへてくれと抱き抱へ眠る花の死骸を見上 見おろし髪かき上
器量も人に負ぬ身を 寒いめ憂いめが見せたらいで 親か手づから矢先にかけ 此死ざまのかはいやなァ 兄郡
兵衛もむざんおさいご コリヤ娘どちを殺したも此親が心の取置き 欲心に凝塊る九太夫が子孫 迚はナ


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いつかな一人も残さぬ存念 身の代の百両も石碑の料に入ん為じやはやい 又此鶏も何者か盗出し
土中には隠せしぞ 幸い我手に入ばこそ 今又無難に返す嬉しさ 身の欲と見せたるも助力他力を受
まい為 コリヤ娘 まだ魂が有ならば 此理りを聞分けて 必恨でくれるなえ 石塔残らず建て終らば其
真中で腹かつさばき 主君を始め四十余人の旁へ申訳は未来でせんと盟(ちかいひ)たる 詞をたがへず年を経
て 追腹切たる侍は此九太夫が事也ける 皆々はつと感涙に安次郎も安堵の思ひ 其本心を聞く上はお
十が首を申受け あづま殿の首にして鶏諸共送りなば 辰五郎殿の言訳も淀屋の門も明らかに 奇
特を見する鶏と 巾紗に包ば又一声 鳴くに恟りコハいかに ふしぎ/\と見廻す内親子の縁を引汐の水

に ゆられて流れ寄る お駒が見付てヤアとゝ様三太夫様の死骸じや 悲しやなふと立ち騒げば人々是はと
驚くを 安次郎押とゞめ お十が身の代才覚せんと木津川の堤において 往来(ゆきゝ)の旅人を待つ折から 舅
としらぬ暗紛れ エゝ扨はお前が手にかけて ヲゝサ子細は追てといひしは爰 あしらふ刃も其身の覚悟
是非なく立寄る其時しも 廿三夜の真夜半(まよなか)の月に見合す舅の顔 なむ三宝と介抱なから子
細を聞けば そちが親安立安隆を手にかけしは三太夫 今宵汝に討るれば 敵討は是で済む 我も討
ねば父の不孝 討つは現在我舅 とつ置いつも健気の老人 一旦他人と成なれば用捨は入ぬ敵
討 跡で頼むはお駒が身の上 此百両を持参と思ひ コレそなたが事迄云死(いゝじに)にと 聞にお駒が猶涙


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夕部にもけさからも どふして見へぬと思ふたに 扨は覚悟の御さいごかや わたしを連てお前に逢夫婦
にせんと宣ひし 其嬉しさに跡先も死目にさへ得逢ず 討れ給ふも金故かと 包を取て投付ける
拍子に破れてばら/\/\ 飛ちる中より出る一通九太夫が取上て 何々安立安隆を討たる某 一子安
次郎に討れ相果る者也 此後本領安堵有るにおいては 娘お駒を婦妻(ふさい)に連られ 木津の家
相続頼入奉り候 しかも熨斗迄添られしと巻納むれば安次郎 何から何迄舅の裁配
父安隆を討たれしも安立の家を思ひの余り 夫故に又身を捨し舅殿の志 無下にさせては
義も立ず 今より木津の苗字を継ぎ 三太夫の三の字をと お十が十を一つに寄せ 木津三十老安隆(やすたか)

も 父安隆が訓(よみ)と音(こえ) お十が妄執舅が修羅の魂魄を 吊(とふ)も黄金(こがね)の百両包 石碑の料
に入られよ 実(げに)尤と九太夫は娘が髷(たぶさ)かい掴み 首に刀を指付けしが 遉の親子の別れ際 まぶた漏れ
くる血の涙よはる心を取直し コリヤそちが値のアノ金で 石塔供養の功力を受 仏に成て なむ
あみだ ふつつと首をかき切て 渡せば受取目も涙 此鶏と諸共に我は是よりお駒を連 八幡へ
急ぎ中将殿の安否をしらす夫迄は 新七が兄の長次郎 伏見の里砂川に住居と聞 両人共暫く
はかしこに越る道すがら 大目包むは幸の九太夫殿の置土産 山猫廻しの此箱をと いふにあづまが心得
て 夫が肩にかけさsてすぐに此家をでこの坊 九太夫は小判の数拾ひ集めて取入れる 我子


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が身の代黄金の嶋の財布を肌に付 我は是より鎌倉へと 娘が躯(むくろ)かき抱川辺に折しも
柵(しがらみ)に三太夫の亡骸も 一つに乗せる通ひ舟もやいをといて押出す さをなぐるなや是や此 此東
の千日寺淀夜の借屋と世の人も 夕部の烟(けふり)けさの露無常をしめす経文の如渡得船(によどとくせん)も
目下(まのあたり)三十郎が渉(わたし)とて今に其名を舟よばひなき魂(たま)よばひしたふ身は お駒が父に泣別れかは
い/\と鳥が鳴く あづまを先に辰五郎 名残涙に水増して 爰も弘誓の渡し舟 死出の山猫うた
かたの 声もあはれも櫓拍子に 三津の難波を漕ぎ連れて帰りみかさの出小舟 さほの
雫に かきにごず エイ/\ヨホンホホンホ仏の 誓ひなむあみだ供に 涙に 暮六つの鐘を 聞捨出て行