仮想空間

趣味の変体仮名

おさな源氏 巻七~八

 

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2567276?tocOpened=1

 

 

1

おさな源氏物語 四之 上  わかなより

 

 

2

  源氏物語 巻之七八

わかな上

 同  下

かしは木

よこふえ

すゝむし

夕きり

みのり

まほろ

にほうみや

こうはい

たけ川

 

若菜 上

 同 下

柏木

横笛

鈴虫

夕霧

御法

匂宮

紅梅

竹川

 

 

3

系図略)

 

   わかな上  源 卅九才より四十一まて

院のみかとは御母きさきかくれさせ給ひて後なやみわたらせ

給ひおこなひの道にとおほしめす宮たちは春宮女宮

たち四ところの中に女三の宮をたれにかあつけ給はんと

あんしおほしめし御たから物てうとともをも皆此みや

に参らせ給ふにし山に御堂つくらせ給はんの御いそき也

 (院は朱雀院の御事也  御母はこうきてんの大后也)

御なやみをもく成まさらせ給ひ中納言(夕霧)の君参り給へはよろこび

おほし召此もてわつらひ給ふ姫宮を此人にあはせ給はんかと

さま/\おほしめさるゝに蛍兵部卿はをきかたをくれたり衛門(かしはき)

のかみはまた年わかくてかろ/\しけれはとおほすたゝ六条院に

おやざまにゆつりをき給はんと御けしきあれは源は院の御

おこなひの後は我も年の程をくれ奉らぬにその御うしろ

みをは何とてうけ取侍らん中/\世をさらん時心くるしく

 

   若菜  源 三十九才より四十一まで

院の帝は、御母后隠れさせ給いて後、悩み渡らせ給い、行いの道にと思し召す。宮達は春宮(東宮)、女宮達四所(四どころ:4人)の中に、女三の宮を誰にか預け給わんと案じ思し召し、御宝物、調度共をも皆、この宮に参らせ給う。西山に御堂造らせ給わんの御急ぎ也。

 (院は朱雀院の御子也。御母は弘徽殿の大后也。)

御悩み重く成りまさらせ給い、中納言(夕霧)の君参り給えば喜び思し召し、この持て患い給う姫宮を、この人に逢わせ給わんかと、様々思し召さるるに、蛍兵部卿は招(を)き方後れたり。衛門督(えもんのかみ:柏木)は未だ年若くて軽々しければ、と思す。ただ六条院に親様(おやざま)に譲り置き給わんと御気色あれば、源はインの御行いの後は、我も年の程後れ奉らぬに、その御後ろ見をば何とて受け取り侍らん。中々世を去らん時、心苦しく

 

 

4

ほたしにならせ給ふへきとの給へは院もさすかにことはりと

思召うちえみ給ひさらば内(冷泉)に奉らんとおほす年も暮にけり

此宮の御もきのこしゆひにはおほきおとゝ(源)大臣たちかんたち

めみこたち内東宮いかめしきひゝき也秋このむ中宮より

御さうぞく御くしあけのくたてまつらせ給ふ

 さしなから昔を今につたふれは玉のをくしそかみさひにける

 (院)さしつぎに見る物にもか万代をつけのをくしもかみさふるまて

三日過して御くしおろし給ふ

おほろのかんの君思ひしみ給へるわかれのたへかたくも有かな

とて御心みたれ給へり山の座主あざり三人ほうぶくなと

奉る女宮たち女御かういおとこ女なきかなしむ六条院(源)も参

給ふに此内親王の御子をあつけ奉らはやと宣へは我も行

さきみじかくていかならんとはおほしなからあつかり給ふへき由

の給ふ源四十に成給へは御賀の事正月三日ねのひなる

 

絆(ほだ)しに為らせ給うべき、と宣えば、院も流石に理と思し召し打ち笑み給い、さらば内(冷泉)に奉らんと思す。年も暮れにけり。この宮の御裳着の腰結には、大き大臣(源)、大臣達、上達部、御子達、内春宮、厳しき響き也。秋好中宮より御装束、御髪上げ(くしあげ)の具、奉らせ給う。

 挿しながら昔を今に伝うれば玉の小櫛ぞ神さび(古く)にける

 (院)差し次ぎに(すぐに)見る物にもか万代を黄楊の御櫛も神さぶるまで

三日過ごして御髪(おぐし)下ろし給う。

朧の尚侍君(おぼろのかんのきみ)思い染み給える別れの耐え難くも有るかな、とて、御心乱れ給えり。山の座主、阿闍梨三人、法服(ほうぶく)など奉る。女宮達、女御、更衣、男女(おとこ、おんな)泣き悲しむ。六条院(源)も参り給うに、この内親王女三宮)の御事を預け奉らばや、と宣えば、我も行き先短くて、如何ならんと思しながら、預かり給うべき由宣う。源四十に成り給えば、御賀の事、正月二十三日、子の日なる

 

 

5

に大将の北の方(玉かつら)よりわかな参らせ給ふおさなき君たち二人

つれて参らせ給へり屏風かへしろ御ちしき(四十まい)しとねけう

そくみづし二よろひ御ころも箱四つ夏冬のさうそくかうご

薬のはこ御すゝりゆつるつきかゝけのはこきよらをつくし給へり

 (玉かつら)わかばさすのへの小松を引つれてもとのいはねをいのるけふかな

 (源)小松原すえのよはひにひかれてや野への若菜も年をつむへき

かんたちめあまた紫の上の父式部卿宮ひけくろの大将わか

なのあつ物まいるこものよそえたおりひつ物よそち

おもへにはぢんのかけばん四御づき院の御なやみにより

かく人はめさす笛はおほきおとゝわごんしもんのかみきんは兵部卿

おまへひかせ給ふ御をくり物有二月十日女三宮六条院へ渡り給ふ

 (紫の上)めにちかくうつれはかはる世中を行末とをくたのみけるかな

 (源)命こそたゆ共たえめさためなきよのつねならぬ中のちきりを

源は夜ことに女三へおはします中務中将なといふ女はうたち

 

に、大将の北の方(玉鬘)より若菜参らせ給う。幼き君達二人連れて参らせ給えり。屏風が後ろ、御地敷(四十枚)、褥、脇息、御厨子(みずし)二、鎧、御衣箱四つ、夏冬の装束、香壺(こうご)、薬の箱、御硯、泔坏(ゆするつき:鬢盥)、掻上(かかげ)の箱、清ら(きよら:美)を尽くし給えり。

 (玉鬘)若葉さす野辺の小松を引き連れて元の巌根を祈る今日かな

 (源)小松原末の齢に引かれてや野辺の若菜も年を積む(摘む)べき

上達部数多、紫の上の父式部卿宮、鬚黒の大将、若菜の羹(あつもの)参る。籠物四十枝(こもの、よそえだ)、折櫃物四十(おりひつもの、よそぢ)。御前には沈(じん)の懸盤(かけばん)四、御杯(みつき)。院の御悩みに依り楽人は召さず、笛は大き大臣、和琴・衛門督、琴(きん)は兵部卿、御前弾かせ給う御贈り物有り。三月十日、女三宮、六条院へ渡り給う。

 (紫の上)目に近く映れば変わる世の中を行末遠く頼みけるかな

 (源)命こそ絶ゆとも絶えめ定め無き世の常ならぬ中の契りを

源は夜毎に女三へおわします。中務、中将など言う女房達

 

 

6

あまりなる御思ひやりかなとて源のあかつきかへらたまひ

かうしたゝき給へとそらねしてあけやらすやゝまたせ奉りてあけたり

 (女三へ 源)中道をへたつる程はなけれ共心みたるゝけさのあは雪

 (女三のめのと)はかなくてうはの空にそきえぬへき風にたゝよふ春のあは雪

二月に院のみかとさかの御寺にうつろひ給ふ院より紫の上へ

 そむきにし此世にのこる心こそ入山みちのほたしなりけれ

 (紫の上)そむく世のうしろめたくはさりかたきほたしをしいてかけなはなれそ

おほろのかんの君は二条の宮にすみ給ふおとゝひそかにおおはして

 年月を中にへたてゝあふ坂のさもせきかたくおつる涙か

 涙のみせきとめかたき清水にて行あふ道ははやくたえにき

日さしいつるほとに出給ふとて(源)

 しつみしもわすれぬ物をこりすまに身をなけつへき宿の藤なみ

 身をなけんふちもまことの淵ならてかけしやさらにこりすまのなみ

夏の頃よりあかしの姫君たゝならすなやみ給ふ明石の上今は

 

御身にそひて出入給ふ紫の上もひめ君へわたり給ふつ

いてに女三の宮にはたいめんし給ふたいの上手(むらさき)ならひに

 身にちかく秋やきぬらんみるまゝに青はの山もうつろひにけり

 (源)水鳥の青はは色もかはらぬを萩のしたこそけしきことなれ

姫君は中の戸あけて女三にもたいめんし給ふ女三の御母と紫

上の父式部卿は御兄弟なり

 (あかしの あま君)おひの波かひある浦に立出てしほたるゝあまを誰かとかめん

 (姫君)しほな(た)るゝあまを波路のしるへにて尋も見はやうらのとまやを

 (あかしの上)世をすてゝあかしの浦にすむ人も心のやみははるけしもせし

三月十日の程おとこ君生れ給ふ紫の上わか君をいたき給ひて

(あ)かしの上は御ゆとのゝあつかひなとをつかうまつり給ふ七日には

内より御うふやしなひみこたち大臣われも/\ときよらを

つくし給へり紫の上手つからあまかつをつくり給ふ

あかしの入道つたへきゝて今は此世のさかひをゆきはなれんと

家をは寺になし此国のおくに人のかよはぬ山あるをとく

 

余りなる御思いやりかな、とて、源の暁帰らせ給い格子叩き給えど、空寝して開けやらず。やや待たせ奉りて開けたり。

 (女三の宮へ、源)中道を隔つる程は無けれ共心乱るる今朝の淡雪

 (女三の乳母)儚くて上の空にぞ消えぬべき風に漂う春の淡雪

二月に院の帝、嵯峨の御寺に移ろい給う。

(院より紫の上へ)背きにしこの世に残る心こそ入る山道の絆(ほだし)なりけれ

 (紫の上)背く世の後ろめたさは去り難き絆を強いて掛けな離れそ

朧の尚侍君は二条の宮に住み給う。大臣密かにおわして、

 年月を中に隔てて逢坂のさも堰き(関)難く落つる涙か

 涙のみ堰き止め難き清水にて行き逢う道は早く絶えにき

日、差し出(いず)る程に出給うとて、

 (源)沈みしも忘れぬ物を懲りず間に身を投げつべき宿の藤波

  身を投げん淵も真(まこと)の淵ならで掛けしや更に懲りず間(須磨)の波

夏の頃より明石の姫君ただならず悩み給う。明石の上、今は御身に添いて出入り給う。紫の上も姫君へ渡り給う。ついでに女三宮には対面し給う。対の上(紫の上)手習いに、

 身に近く秋や来ぬらん見る儘に青葉の山も移ろいにけり

 (源)水鳥の青羽は色も変わらぬを萩の下こそ気色異なれ

姫君は中の戸開けて、女三にも対面し給う。女三の御母と、紫の上父、式部卿は御兄弟なり。

 (明石の尼君)老の波甲斐有る浦に立ち出て潮垂るる(泣く)海女(尼)を誰が咎め

 (姫君)潮垂るる海女を波路の標にて尋ねも見ばや浦の苫屋を

 (明石の上)世を棄てて明石浦に住む人も心の闇は晴るけしもせじ

三月十日の程、男君生れ給う。紫の上、若君を抱き給いて、明石の上は御湯殿の扱い等を仕(つか)う奉(まつ)り給う。七日には内より御産養(うぶやしない)。御子達、大臣、我も我もと清らを尽くし給えり。紫の上、手づから天児(あまがつ)を作り給う。

明石の入道伝え聞きて、今はこの世の境を行き離れんと、家をば寺に為し、この国の奥に人の通わぬ山有るを、疾く

 

 

7

こしらへをき此月の十四日に入給ふ也あかしの上へは文を参ら

せ給へり其文にはわか宮のよろこひと昔姫のうまれたま

はんとしの二月の夢のさま也われは此思ひかなひぬれは

九ほんのうへののそみもうたかひなし

 ひかり出る暁ちかく成にけり今そ見しよの夢かたりする

我をはへんげのものとおほしすてゝくとくの事をなし給へ

とてくはん文ともはちんのはこにふうしこめて奉れり三月の

空うらゝなる日六条院に兵部卿の文えもんのかみ参り御

物かたりし給ふ大将(夕)はうしとらの町に人々あまたまりもて

あそひてもきこしめしこなたにとあれはきんたちおみな

来れりしんでんの東おもてにて頭の弁兵衛のすけ太夫

の君大将かしは木のえもんおり給ひて花のかけにさまよ

ひ給ふにえもんのかみのあしもとにあならふ人なかりけり大将

は花の雪のやうにふりけれは見あけてえたをすこし折て

みはしの中のしなにい給ふ女三のおまへのみすのつま/\

 

拵え置き、この月の十四日に入り給う。明石の上は文を参らせ給えり。その文には若宮の喜びと、昔、姫の生れ給わん年の二月の夢の様(さま)也。我はこの思い叶いぬれば、九煩悩への望みも疑い無し。

 光出る暁近く成りにけり今ぞ見し世の夢語りする

我をば变化の物と思し棄てて、功徳の事を為し給えとて、願文共は沈(じん)の箱に封じ込めて奉れり。三月の

空麗らなる日、六条院に兵部卿の宮、衛門督参り、御物語りし給う。大将(夕霧)は艮(うしとら)の町に人々数多、鞠弄びてと聞こし召し、此方にとあれば、公達皆来たれり。神殿の東面(おもて)にて頭の弁(とうのべん)、兵衛佐(ひょうえのすけ)、太夫の君、大将、柏木の衛門、下(お)り給いて、花の影に彷徨い給うに、衛門督の足元に並ぶ人なかりけり。大将は、花の雪の様に降りければ、見上げて枝を少し折りて、御階(みはし)の中のしな(中段辺り)に居給う。女三の御前の御簾の褄々(端々)

 

 

8

すきかけみゆるにからねこのちいさきを大きなるねこの

をひつゞきてはしりいづつななかくてみすのそはあらは

に引あけられたるにうちきすかたにて立給へる人(女三也)こうはい

にやこきうすきあまたかさなり御くしのすそふさやかに

七八寸はかりそあまり給へるねこのいたくなけは見けはりた

まへるかほわかくうつくしの人やと見えたりかんの君ねこを

まねきよせてかきいたきたれはかうはしくてらう

たけになくもなつかし

大将(夕霧)とかんの君(かしは木)ひとつ車にて物かたり給ふ

 (かしは木)いかなれは花にこつたふ鶯お桜をわきてねくらとはせぬ

 (夕霧)み山木にねくらさたむるはこ鳥もいかてか花の色にあくへき

かんの君むねいたけれは小侍従へ文やり給ふ

 よそにみておらぬ歎きはしけゝれとなこり恋しき花の夕かけ

これを女三に見せけれはみすのつまおほしあはせ

らる御返事は (小侍従)

 

 今さらに色にないてそ山桜をよはぬえたに心かけきと

 

透き影見ゆるに、唐猫の小さきを大きなる猫の追い続きて走り出(い)ず。綱長くて御簾の傍(そば)露わに引き開けられに、袿(うちぎ)姿にて立ち給える人(女三の宮也)、紅梅にや、濃き薄き数多重なり、御髪(おぐし)の裾ふさやかに七、八寸ばかりぞ余り給える。猫の甚(いた)く鳴けば、見返りたる顔、若く美しの人やと見えたり。尚侍君、猫を招き寄せて掻き抱きたれば、芳ばしくて、朧長(ろうた)けに鳴くも懐かし。

大将(夕霧)と尚侍君(柏木)、一つ車にて物語し給う。

 (柏木)如何なれば花に木(こ)伝う鶯の桜を分きて塒(ねぐら)とはせぬ

 (夕霧)深山木に塒定むる呼子鳥(はこどり)もいかでか花の色に飽くべき

尚侍君、胸痛ければ、小侍従へ文遣り給う。

 よそに見て折らぬ歎きは繁けれど名残恋しき花の夕影

これを女三に見せければ、御簾の褄思し召せらるる。御返事は(小侍従)、

 今更に色に鳴いてぞ山桜及ばぬ枝に心掛けきと

 

 

   わかな下  源 四十一才より四十七まて

てん上ののりゆみ六条院に有へしとて左右の大将すけ

たち殿上人参り給ふえもんのかみはおとゝを見奉るに

おそろしく成て彼ねこをたにえてしかな心のなくさめ

にもなつけんと思ふに物くるおしえもんのかみとうくうに

参りことををしへ奉るとて六条院のねここそおかし

けれと申さるゝ春宮はねこをらうやくし給へは女三よ

り参らせらるえもんのかみ此ねこを見つけ是はしはし

あつかり申さんとて取てかへりよるひるかきなてゝ

 恋わふる人のかたみとたならせはなれよ何とて鳴ね成らん

冷泉院御くらいにつかせ給ひて十八年にならせ給ふ日ころ

をくなやませ給ふ事ありて俄におりいさせ給へりひけ

くろの左大将右大臣に成給ふあかしの御はらの一のみや

 

   若菜下  源 四十一才より四十七まで

天上の賭弓(のりゆみ)六条院に有るべしとて、左右の大将すけたち(助太刀?典侍達?)殿上人参り給う。衛門督は大臣を見奉るに恐ろしく成りて、彼猫をだに得てしかな、心の慰めにも懐けんと思うに物狂おし。衛門督、春宮に参り、琴を教え奉るとて、六条院の猫こそ可笑し(かわいい)けれ、と申さるる。春宮は猫をろうたく(かわいがる)し給えば、女三より参らせる。衛門督、この猫を見付け、これは暫し預かり申さん、とて取りて帰り、夜昼かき撫でて、

 恋侘ぶる人の形見と手(た)慣らせば汝(なれ)よ何とて鳴く音なるらん

冷泉院、御位に即(つ)かせ給いて、十八年に成らせ給う。日頃おく(重く?)悩ませ給う事有りて、俄に(位を)下り居させ給えり。鬚黒の左大将、右大臣に成り給う。明石の御腹の一の宮

 

 

9

とうくうに立給ふ(源 四十六才)春宮の女御の御いのりのため住吉へ

まうで給ふ女御殿たいの上ひとつ車也次のにはあかしのうへ

尼君かんたちめまひ人御馬ずい人ことねり又なき見もの也 (源)

 たれか又心をしりて住吉の神よをへたるまつにことゝふ

 (あま君)すみのえをいけるかひある渚とは年ふるあまもけふやしるらん

 (あかしの上)昔こそまつわすられぬ住吉の神のしるしを見るにつけても

 (紫の上)すみのえの松に夜ふかくをく霜は神のかけたるゆふかつらかも

 (女御殿)神人のてに取もたるさか木はにゆふかけそふるふかき夜の霜

 (たいの上の 中つかさ)はふりこかゆふうちまかひ置霜はけにいちしるき神のしるしか

春宮の御さしつきの女一の宮をたいの上とりわきてかしつ

き給ふ夏の御かた(花ちる)は御まこあつかひをうらやみて大将のないし

はゝの君をむかへてかしつき給ふ「入道のみかと五十にたり給ふ

年二月十日あまり源よりわかな奉り給ふまつ御こゝろに女

三の宮のしんてんにみなわたし給へりたいの上女御殿あかしの上

女三の御かたにもわらはへつくろはせ給ふあかしの上びは紫の上

 

春宮に立給う(源、四十六才)。春宮の女御の御祈りの為、住吉へ詣で給う。女御殿、対の上、一つ車也。次のには明石の上、尼君、上達部、舞人、御馬、随身、小舎人童(ことねり)、又無き見もの也。

 (源)誰か又心を知りて住吉の神代を経たる松に言問う。

 (尼君)住之江を行ける甲斐有る渚とは年旧る尼も今日や知るらん

 (明石の上)昔こそ松和すられぬ住吉の神の験(しるし)を見るにつけても

 (紫の上)住之江の松小夜深く置く霜は神の掛けたる木綿鬘(ゆうかずら)かも

 (女御殿)神人の手に取り持たる賢木葉に夕影添うる深き夜の霜

 (対の上の中務)祝子(はふりこ)が木綿(ゆう)打ち紛い置く霜は実(げに)著し神の験か

春宮の御差し付きの女一の宮を、対の上、取り分きて傅き給う。夏の御方(花散里)は御孫扱いを羨みて、大将の内侍腹の君を迎えて傅き給う。

「入道の帝、五十に足り給う年、二月十日余り、源より若菜奉り給う。先ず御試みに女三の宮の神殿に渡し給えり。対の上、女御殿、明石の上、女三の御方にも童繕わせ給う。明石の上・琵琶、紫の上

 

 

10

わこん女御殿さうのこと女三はきん大将ひやうし取てしやう

がし給へは源も時々扇うちならし給ふ女三のかたを大将の

そき給へはちいさくうつくしけにてきさらき中の十日はかりの

春柳のしたりはしめたるらん心ちして鶯の羽風にもみたるへ

き御かたち也(廿四才)女御の君は藤の花の夏にかゝりてならふ

花なき朝ほらけの心ちすなやましくて御琴をはをしやり

てけうそくにかゝり給へりむらさきの上は桜にたとへてもなを

すくれたるけはひ也(卅七才)あかしの上は五月まつ花たちはなの

花もみもぐしてをしおれるかほりおほゆ源は其夜は女三へ

わたらせ給へりあかつきかたより紫の上をなやみ給ひくる

しけにてはかなきくた物をたに参らすおきあかり給ふ事

なくて日ころへぬこゝみに所をかへ給はんとて二条院にわた

し給ひ御ずほうなとさま/\也たのみすくなくよはり給へ

はいかさまにせんとまとひて源は女三の御かたへもわたり給

はす人々はみな二条院につとひ参りて六条院は火をけち

 

たるやう也其頃かしは木のえもんのかみは中納言になり女三の

宮のあねの二の宮をえやれと心にもつかす小侍従といふ

かたらひ人は女三のめのとむすめ也其うへめのとのあねは

かしは木のめのとなれは小侍従をよひてかたり給へり日々に

せめてられてさるへきおりをうかゝひあはせてかしは木のしのひて

おはしたり卯月十日あまりにて人々はあすのみそき見んと

て物ぬひけさうじおまへのかたはしめやか也女三は何心なくおほ

とのこもり給へるにかしは木をいれたれは女三は源のおはしたる

とおほすにあらぬ人也あさましくあせもなかれといたきお

ろしよろつかたらふに思ひしつむる心もうせはてゝいつくへも

つれ行かくしてわか身世になきものになし給へとまて思し

みたれ給へり夜もあけゆけはよべ入し戸口はあきなから有物

をいはんとし給へとわなゝかれてわか/\し (かしは木)

 おきて行空もしられぬ明くれにいつくの露のかゝる袖なり

 (女三)明くれの空にうき身はきえならん夢なりけりと見てもやむへく

 

和琴、女御殿・箏の琴、女三は琴(きん)、大将拍子取りて、唱歌し給えば、源も時々扇打ち鳴らし給う。女三の方を大将覗き給えば、小さく美しげにて、如月中の十日ばかりの青柳の枝垂り初めたるらん心地して、鶯の羽風にも乱るべき御容(かたち)也(二十四才)。女御の君は藤の花の夏に掛かりて、並ぶ花無き朝ぼらけの心地す。悩ましくて御琴をば押し遣りて、脇息に掛かり給えり。紫の上は桜に例えても猶勝れたる気配也(三十七才)。明石の上は五月待つ花橘の花も実も具して押し折れる薫り思ゆ。源は、その夜は女三へ渡らせ給えり。暁方より紫の上、胸を悩み給い、苦しげにて儚き果物をだに参らず、起き上がり給う事無くて日頃経ぬ。試みに所を変え給わんとて二条院に渡し給い、御素襖など様々也。頼み少なく弱り給えば、如何様にせんと惑いて、源は女三の御方へも渡り給わず、人々は皆二条院に集い参りて、六条院は火を消ちたる様也。その頃柏木の衛門督は中納言に成り、女三宮の姉の二の宮を得たれど心にも付かず、小侍従という語らい人は女三の乳母の娘也。その上、乳母の姉は柏木の乳母なれば、小侍従を呼びて語り給えり。日々に責められて去るべき折を伺い合わせて、柏木忍びておわしたり。卯月十日余りにて、人々は明日の禊見んとて物縫い、化粧し、御前の方はしめやか也。女三は何心無く大殿籠り給えるに、柏木を入れたれば、女三は源のおわしたると思すにあらぬ人也。浅ましくも汗も流れて抱き下ろし、よろず語らうに、思い沈むる心も失せ果てて、何処へも連れ行き隠して我身世に亡きものに為し給えと迄、思し乱れ給えり。夜も明けゆけば、呼べ入りし戸口は開きながら、(心に)有る物を言わんとし給えど、戦慄(わなな)かれて若々し(子供らしい)。

 (柏木)起きて行く空も知られぬ明け暮れに何処の露の掛かる袖なり

 (女三)明け暮れの空に憂き身は消えならん夢なりけりと見ても止むべく

 

 

11

玉しいは身をはなれてとまりいる心ちす祭の日は物みんとて

君たちそゝのかし給へとなやましとて出給はす (かしは木)

 くやしくもつみをかしけるあふひ草神のゆるせるかさしならぬに

女二のみやもなまめかしけれと女三にはをよはさり

けるよとおほえて

 もろかつらおちはを何にひろひけん名はむつましきかさしなれとも

おとゝ女三のなやましけなるときゝておはしたるに紫の上たえ

入給ふとて人参りたれはかへり給ひいみしきくはんとも立てけん

じやの僧をめしていのりかぢし給へり月ころあらはれさる物

のけちいさきわらはにうつりてのゝしる六条のみやす所の

をんりやう也源はあさましくおほして此わらはの手をとらへひ

きすへてまことにその人か狐などのたはふれたるかとあれはわらは

 我身こそあらぬさまなれそれなからそらおぼれする君は君也

此ひまにミラ先の上はことかたにわたし給ふ紫の上御ぐしおろし給

はんとていたゝきわかりはさみて五かいをうけさせ給ひ日ことにほ

 

魂は身を離れて止まり居る心地す。祭の日は物見んとて公達唆し給えど、悩ましとて出給わず。

 (柏木)悔しくも罪犯しける葵草神の許せる挿頭ならぬに

女二の宮も艶めかしけれど、女三には及ばざりけるよと思して、

 諸葛落ち葉を何に拾いけん名は睦まじき挿頭なれども

大臣、女三の悩ましげなると聞きておわしたるに、紫の上絶え入り給うとて、人参りたれば、帰り給い、いみじき願共立て、賢者の僧を召して祈り、加持し給えり。月頃現れざる物の怪、小さき童に移りて罵る。六条御息所の怨霊なり。源は浅ましく思して、この童の手を捕えて引き据えて、誠に人か狐等の戯れるかと有れば、

 (童)我身こそ非ぬ様なれそれながら空思(おぼ)れ(知らないふり)する君は君なり

この隙に紫の上は異方(ことかた)に渡し給う。紫の上、御髪下ろし給わんとて、(形式的に)頂きばかり鋏みて、五戒を受けさせ給い、日毎に法

 

 

12

けきやう一ふつゝくやうし給ふ五月ははれ/\しからぬそらの

けしきにさはやき給はて土九月に時々御くしもたけ給ふ女

三はやかてれいのさまにもおはせすなやましくあをみ

そこなはれ給ふ(くわいにん也)

 きえとまる程やはふへきたまさかに蓮の露のかゝるはかりを

 (源)ちきりをかん此世ならても蓮はに玉ち(「ゐ」の間違い)る露の心へたつな

おとゝ女三へわたり給へり女三は見え給へるもはつかしくて御いら

へも聞え給はすおとゝあやしく見給ひおとなひたる人めして御

なやみのさまとひ給ふれいならぬさまにわつらひ給ふよし申

せは年ことへぬる人々にたにさる事のなきにふしきの事と

おほす二日3日おはしますえもんのかみきゝておほつかなさに

文おこせたりしのひて女三にみせ奉りおとゝ入給へはよくもかく

し給はてしとねのしたにはさみをき給へりひるのおまし

にうちふして夕さり二条院へかへり給はんときこえ給ふに

ひぐらしのなきけれは (女三)

 

 夕露に袖ぬらせとや日くらしの鳴をきく/\おきてゆくらん

 (源)まつ里もいかゝ聞らんかた/\に心さはかす日くらしのこえ

おほしやすらひとまり給ひて朝すゝみの程にわたり給はん

とてよへの扇をおとしておましのあたりたつね給ふにしと

ねのすこしまよひたるよりあさみとりのうすやうの文見ゆ

るをとりて御らんするにおとこの手也二かさねにこま/\とかき

たるはまきるゝ事なくえもんのかみの手なりと見給ふ日を

へたてゝ女三の宮のくはいにんを思いはなれ給はておとゝわた

り給ひても彼文見給ひたり共の給はす「その頃おぼろの

かんの君あまにならせ給ふときゝて (おとゝより)

 あまのよをよそにきかめやすまの浦にもしほたれしも誰ならなくに

 あま舟にいかゝは思いをくれけんあかしの浦にあさりせし君

山のみかとの御賀十一月には女三の宮なやみ給へは女二のみや

参り給ふ十二月十日あまり女三よりあるへしとて舞のうち

ならしに紫の上も六条院かへらせ給ふ女御は里におはします

 

(法)華経一部ずつ供養し給う。五月は晴々しからぬ空の気色に爽やぎ給わで、六月に時々御髪(頭)もたげ給う。女三は頓て例の様にもおわせず、悩ましく青み損なわれ給う(懐妊なり)

 消え止まる程やは経べきたまさかに蓮の露の掛かるばかりを

 契り置かんこの世ならでも蓮の葉に玉居る露の心隔つな

大臣、女三へ渡り給えり。女三は見え給えるも恥ずかしくて、御応えも聞こえ給わず。大臣、怪しく見給い、大人びたる人召して、御悩みの様問い給う。例ならぬ様に患い給う由申せば、年頃経ぬる人々にだに然(さ)る事の無きに、不思議の事と思す。二日、三日おわします衛門督聞きて、覚束なさに文遣(おこ)せたり。忍びて女三に見せ奉る。大臣入り給えば、よくも(上手く)隠し給わで褥の下に挟み置き給えり。昼の御座(おま)しに打ち伏して、夕さり(夕方)二条院へ帰り給わんと聞こえ給うに、蜩(ひぐらし)の鳴きければ、

 (女三)夕露に袖濡らせとや蜩の鳴くを聞く聞く起きて行くらん

 (源)待つ里も如何聞くらん旁に心騒がす蜩の声

思し安らい泊まり給いて、朝涼みの程に渡り給わんとて、昨夜(よべ)の扇を落として、御ましの辺り尋ね給うに、褥の少し迷いたるより、浅緑の薄様の文、見ゆるを取りて御覧ずるに、男の手也。二重ねに細々と書きたるは、紛るる事無く衛門督の手なりと見給う。日を隔てて女三宮の懐妊を思い、離れ給わで大臣渡り給いても、彼文見給いたりとも宣わず。

「その頃、朧の尚侍君、尼に成らせ給うと聞きて、(大臣より)

 海士の世を余所に聞かめや須磨の浦に藻塩垂れしも誰ならなくに

海士舟に如何は思い遅れけん明石浦に漁りせし君

山の帝の御賀、十一月には女三の宮悩み給えば、女二の宮参り給う。十二月十日余り、女三より有るべしとて、舞の打ち鳴らしに紫の上も六条院帰らせ給う。女御は里におわします。

 

 

13

おとこみこうみ給ふ(匂宮也)右大臣殿の北のかた(玉かつら也)わたり給ふえもん

のかみはわつらふよし申されけれは父おとゝなとか参り給はぬ

そといさめ給ふにくるしと思ふ/\参れりれいのことくみすの

内にいれ給ひ大将ともろ共にわらはべの舞のよういくはへ給へと

なつかしけに源の給へはうれしとは思ひなからことずくな

にて立給へりひげくろの四郎君夕霧の三郎君兵部卿の宮

の君たち二人はまんさいらく夕霧のないしのすけはらの二郎

君式部卿の宮の兵衛のかみの御子わうしやう右のおほひ殿の

三郎君れうわう大将殿の太郎君らくそんたいへいらくき

しゆんらくまひ給ふえもんのかみはさかつきのめくりくるもかし

らいたく覚ゆれはけしきはかりにまきらはすを源見とかめ

給ひてたひ/\しい給へは心ちかきみたれてかへり給ふ気のほ

りぬるにやいたくわつらひ給ふおとゝ母北のかたさはぎて

こなたにわたし給へり

 

男御子産み給う(匂宮:におうのみや)。右大臣殿の北の方(玉鬘)渡り給う。衛門督は患う由申されければ、父大臣などか参り給わぬぞと諌め給うに、苦しと思う思う参れり。例の如く御簾の内に引き入れ給い、大将と諸共に童の舞の用意加え給えと懐かしげに源宣えば、嬉しとは思いながら、言(こと)少なにて立ち給えり。鬚黒の四郎君、夕霧の三郎君、兵部卿の宮の公達二人は萬歳楽、夕霧の典侍腹の二郎君、式部卿宮の兵衛督(ひょうえのかみ)の御子・皇麞(おうしょう)、右の大殿(おおいどの)の三郎君・陵王(りょうおう)、大将殿の太郎君・落蹲(らくそん)、太平楽(たいへいらく)、喜春楽(きしゅんらく)舞い給う。衛門督は杯の巡り来るも頭(かしら)痛く覚ゆれば、気色ばかりに紛らわすを源見咎め給いて、度々強い給えば、心近き乱れて帰り給う。気上(けのぼ)りぬるにや甚(いた)く患い給う。大臣(の)母北の方騒ぎて此方に渡し給えり。

 

 

14

   かしは木  源 四十八才 春より秋まて

えもんのかみのなやみおこたらて年もかへりぬ父とゝ北

のかたおほしなけくすこしやまひのひまありとて人々

立のき給へるに女三へ文参らせらる

 今はとてもへん煙もむすほゝれたえぬ思ひの名をやのこらん

かづらき山よりおこなひ人めしてあらゝかにたらによむをきゝ

てつみふかき身にやだらにのこえのたかきはおそろしうていよ

/\しぬへく覚ゆるとて立のきて侍従とかたらひい給ふ

此琴をおとゝにしらせ奉りて世になからへん琴もなばゆく

玉しいは身にもかへらすとないつわらひつかたり給ふ女三

もけふかあすかの心ちして返事をもし給はぬを侍従御す

りなととりまかなひせめけれはしふ/\にかき給ふ

 立そひてきらやしなましうきことを思ひみたるゝけふりくらへに

 行衛なき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ははなれし

女三はその夜はなやみて日さしあかる程におとこ君生れ給ふ

 

(薫也)ならはぬ琴のおそろしうおほされ御ゆなとも参らす

えいきとまるましき心ちし侍るをあまになりてもしいき

とまる共又なくなるともつみをうしなふ事にもやとつねの

御けしきよりおとなひての給ふいのりにさふらふ中にたう

とき僧をめしいれて御ぐしおろさせ給ふ後夜のかぢに

ものゝけ出ていふやうひとり(紫の事)をはとりあへしつるとおぼされしか

ねたくてこゝにさふらひつる今はかへらんとて打わらふえもんの

かみはあまに成給ふと聞ていとゝきえいるやうにたのむかたなく

なれは内にもきこし召にはかに権大納言になさせ給ふ大将

心のへたてなけれはかゝる今はのきさみ何をかはあっくしはてん六

条院にいさゝかのあやまりありておそろしく心ほそく成て

やまひつきたり我なからんあとに一条の宮には事にふれて立

より給へいはまほしき事はおほかるへけれと心地せんかたなく

見えてあはのきゆるやうにてうせ給ふやよひの程女三の宮に

おとゝわたり給ひてわか君をいだきて

 

  柏木  源 四十八才春より秋まで

衛門督の悩み怠らで年も返りぬ。父大臣、北の方思し気無く、少し病の隙有りとて、人々立ち退き給えるに、女三へ文参らせらる。

 今はとて燃えん煙も結ぼおれ絶えぬ思いの猶や残らん

葛城山より行い人(行者)召して、荒らかに陀羅尼読むを聞きて、罪深き身にや、陀羅尼の声の高きは恐ろしうて、弥よ死ぬべく覚ゆるとて立ち退きて、侍従と語らい給う。この事を大臣に知らせ奉りて、世に永らえん事も眩く、魂は身にも帰らずと、泣いつ笑いつ語り給う。女三も今日か明日かの心地して、返事をも給わぬを、侍従、御硯など取り賄い責めければ、渋々に書き給う。

 立ち添いて消えやしなまじ憂き事を思い乱るる煙比べに

 行方無き空の煙と成りぬとも思う辺りを立ちは離れじ

女三はその夜は悩みて、日、差し上がる程に、男君生れ給う(薫:かおる也)。

習わぬ事(初めて)の恐ろしゅう思され、御湯(薬湯)なども参らず、得生き止まるまじき心地し侍るを、尼に成りて若し生き止まるとも、又、亡くなるとも、罪を失う事にもやと、常の御気色より大人びて宣う。祈りに侍う中に尊き僧を召し入れて、御髪下ろさせ給う後、夜の加持に物の怪出(い)でて言う様(よう)、一人(紫の事)をば取り返しつると思されしが、寝たくてここに侍いつる、今は帰らんとて打ち笑う。衛門督は尼に成り給うと聞いて、いとど消え入る様に頼む方無くなれば、内にも聞こし召し、俄に権大納言に成させ給う。大将は心の隔て無ければ、かかる今際の刻み(今際の際)、何をか隠し果てん。六条院に聊かの誤り有りて、恐ろしく心細く成りて病付きたり。我亡からん後に、一条の宮には事に触れて立ち寄り給えば、言わまほしき(言いたい)事は多かるべけれど、心地詮方無く見えて、泡の消ゆる様にて失せ給う。弥生の程、女三の宮に大臣渡り給いて、若君を抱きて、

 

 

15

 たか世にか種はまきしと人とはゝいかゝいはねの松はこたへん

一条の宮は人けすくなくつれ/\なるに夕霧おはしてみやす所た

いめんし給ふ(女二の宮御母也 女二はかしは木の後家也)

 (大将)時しあれはかはらぬ色に匂ひけりかたえに(かれ)しやとのさくらも

 (みやす所)此春は柳のめにそ玉はぬくさきちる花の行衛しらねは

それよりちじの大とのに参り給へは(かしは木の父おとゝ)

 木の下のしつくにぬれてさかさまにかすみの衣きたる春かな

 (夕大将)なき人も思はさりけん打すてゝ夕へのかすみ君きたれとは

 (弁)(かしは木弟)うらめしや霞の衣たれきよと春よりさきに花のちりけん

卯月はかりに大将一条の宮へわたり給ひて

 ことならはならしの枝にならさらんはもりの神のゆかし有きと

みすのへたてあるこそうらめしけれとてなげしにい給へり

 (女二の宮)かしは木にはもりの神はまさす共人ならすへき宿のこすえか

 

 誰(た)が世にか種は蒔きしと人問わば如何巌根(言わね)の松(待つ)は答えん

一条の宮は人気少なく、徒然なるに夕霧おわして、御息所対面し給う(女二の宮御母也。女には柏木の後家也)

 (大将)時し有れば変わらぬ色に匂いけり片枝(かたえ)枯れにし宿の桜も

 (御息所)この春は柳の芽にぞ玉は貫く咲き散る花の行方知らねば

それより到仕(ちじ)の大殿に参り給えば(柏木の父大臣)

 木の下の雫に濡れて逆様に霞の衣着たる春かな

 (夕大将)亡き人も思わざりけん打ち捨てて夕べの霞君着たれとは

 (弁:柏木弟)恨めしや霞の衣誰着よと春より先に花の散りけん

卯月ばかりに大将、一条の宮へ渡り給いて、

 ことならば(同じ事なら)馴らしの枝に成らさらん葉守りの神の許し有りきと

御簾の隔て有るこそ恨めしけれとて、長押(なげし)に居給えり。

 (女二の宮)柏木に葉守りの神は坐(ま)さずとも人馴らすべき宿の(みだりに人を近付けて良い)梢か

 

 

   よこふえ  源 四十九才 かほる 二才

 

山のみかと(朱)より女三へたかうなところなと参る

 (朱)世をわかれ入なん道はをくるともおなし所を君もたつねよ

 (女三)うき世にはあらぬところの床しくてそむく山路に思ひこそいれ

若君はうつくしくしろくそひやかに柳をけつりたらんやう也

かみは露草にて色とりたるやうにて口つきまみのひらかに

彼人のかたちよく思ひ出こかはのおひ出たるにくひあてん

とてたかうなをにきりてくひかなくり給ふ

 うきふしも忘れすなからくれ竹の子はすてかたき物にそありける

秋のゆふへの物あはれなるに大将一条の宮(女二)へおはしたりかし

は木のつねに引給ひし琴をすこしひき給ひてみす

のもとにをしよせ給へと女二は引給はす (大将)

 ことに出ていはぬを云にまさるとは人にはぢたるけしきをそみる

 (女二)ふかき夜のあはれ斗はきゝわけとことより外はえやはいひける

御をくり物に笛をそへて奉るとの給へはあはれおほく

てふきさして出給ふ (御息所)

 

   横笛  源 四十九才  薫 二才

山の帝(朱)より女三へ、筍(たかうな:たけのこ)所など参る。

 (朱)世を別れ入りなん道は遅るとも同じ所を君も尋ねよ

 (女三)憂き世には非ぬ所の床しくて背く山路に思いこそ入れ

若君は美しく白く、聳(そび)やかに柳を削りたらん様也。髪は露草にて色取りたる様にて、口付き、まみ(目付き)伸びらかに、彼(かの)人の容(かたち)良く思い起こる。歯の生(おい)出るに、食い当てんとて、筍(たかうな)を握りて食いかなぐり給う。

 憂き節も忘れずながら呉竹の子は捨て難き物にぞ有りける

秋の夕べの物哀れなるに、大将、一条の宮(女二)へおわしたり。柏木の常に弾き給いし琴を少し弾き給いて、御簾の元に押し寄せ給へど、女二は弾き給わずに、

 (大将)こと(言葉:琴)に出でて言わぬも言うに勝るとは人に恥たる気色とぞ見る

 (女二)深き夜の哀ればかりは聞き分けど琴より他にえやは(疑問・反語)言いける

御贈り物に笛を添えて奉ると宣えば、哀れ多くて吹きさして出給う。 (御息所)

 

 

16

 露しけきむくらの雪に古への秋にかはらぬ虫のこえかな

 よこ笛のしらへはことにかはらぬそむなしく成しねこそつきせね

女二の宮に大将心かけ給ふを雲井の雁きゝて夜ふかし給ふ

もにくゝてかへり入給ふも聞なからねたるやうにて物し給ふ大将

少ねいり給へる夢にえもんのかみ彼笛をとりて

 笛竹に吹よる風のことならはすえの代なかきねにつたへなん

此ことはりとはんと思ふに若君ねをひれてなき給ふめのと

おきさはきちをあまし給へるに母上あふら火よせて打まき

ちらしなとし給ふか大将殿のいまめかしき月めてに夜をふかし

かうしをもあけ置給へは物のけ入参りとかこち給へは大将うち

わらひて我かうしをあけすは道なくて物のけは入こざらましとの

給ふ大将殿六条院へ参り給へはにほふ宮(三の宮)大将にいたかれ女御へ

おはします二の宮あそひ給ひてまろも大将にいたかれんと

の給ふにほふ宮あが大将なりとてひかへ給へり

 

 (御息所)露繁き葎(むぐら)の宿に古(いにしえ)の秋に変わらぬ虫の声かな

  横笛の調べは殊に変わらぬを空しくなりし音(ね)こそ尽きせぬ

女二の宮に大将心掛け給うを雲居の雁聞きて、夜更かし給うも憎くて、帰り給うも聞きながら寝たる様(寝たふり)にて物し(気に食わない)給う。大将が寝入り給える夢に、衛門督、彼笛を取りて、

 笛竹に吹き寄る風の如(ごと)ならば末の世長き音に伝えなん

この理問わんと思うに、若君寝おびれて(寝怯えて)泣き給う。乳母起き騒ぎ、乳(ち)を余し給えるに、母上油火寄せて、打ち撒き散らし(魔除けの撒米を散らす)などし給うが、大将殿の今めかしき(若い人の様)月愛でて、夜を更かし格子をも開け置き給えば、物の怪入り来たりと託ち給えば、大将打ち笑いて、我格子を開けずば道無くて、物の怪は入り御座らまじと宣う。大将殿、六条院へ参り給えば、匂宮(三の宮)大将に抱かれ女御へおわします。二の宮遊び給いて、麿(まろ:私)も大将に抱かれんと宣う。匂宮、吾(あ:私)が大将なりとて、控え給えり。

 

 

  すゝむし  源 五十才  夕霧 卅才

夏頃はちすの花さかりに入道の姫宮(女三)御しぶつく

やうし給ふおとゝの御こゝろさしにてにしきのはたほつ

けのまんたらかけてしろかねの花かめあみた仏ほさつをの

/\ひゃくたんして作り給へりあみた経はおとゝかゝせ給ふ

 (源)はちす葉を同しうてなと契り置て露の別るゝけふそかなしき

 (女三)へたてなくはちすの宿を契りても君か心やすましとすらん

八月十五夜の月おかしき夕暮れにおとゝわたり給ひむしの

ねを聞給ふやうにて猶思ひはなれぬさまに宣へは入道の宮

は仏の前にねんずし給ふかすゝ虫のなきけれは (女三)

 大かやの秋をはうしとしりにしをふりすてかたきすゝ虫のこえ

 (源)心もて草のゆとりをいとへ共猶すゝむしのこえそふりせぬ

きんの御ことひき給ふ宮(女三)は御すゞひきおこたりて御

琴に心いあれてかきならし給へり 蛍兵部卿大将 殿

 

  鈴虫   源 五十才  夕霧 三十才

夏頃、蓮(はちす)の花盛りに入道の姫宮(女三)、御持仏、供養し給う。大臣の御志にて、錦の旗、法華の曼陀羅掛けて、白銀(しろがね)の花瓶、阿彌陀佛、菩薩、各々白檀(びゃくだん)して作り給えり。阿弥陀経は大臣書かせ給う。

 (源)蓮葉を同じ臺(うてな)と契り置いて露の別(分か)るる今日ぞ悲しき

 (女三)隔て無く蓮の宿を契りても君が心や住まじとすらん

八月十五夜の月おかしき(美しき)夕暮に大臣渡り給い、虫の音を聞き給う様にて、猶思い離れぬ様に宣えば、入道の宮は仏の前に念誦(ねんず)し給うが、鈴虫の鳴きければ、

 (女三)大方の秋をば憂しと知りにしを振り捨て難き鈴虫の声

 (源)心もて(自分から)草の宿りを厭えども猶鈴虫の声ぞ旧りせぬ(変わらぬ)

琴の御琴弾き給う。宮(女三)は御数珠(ずず)引き怠りて、御琴に心入れて掻き鳴らし給えり。蛍兵部卿、大将、殿

 

 

16

上人も参給て御かはらけ参る程に冷泉院より御使あり

 (御)空の上をかけはなれたるすみかにも物わすれせぬ秋のよの月

 (源)月影はおなし雲いに見えなから我やどからの秋そかはれる

 

(殿)上人も参り給いて、御土器(かわらけ:盃)参る程に、冷泉院より御使い有り。

 (御)雲の上を掛け離れたる住家にも物忘れせぬ秋の夜の月

 (源)月影は同じ雲井に見えながら我宿からの秋ぞ変われる

 

 

   夕霧  源 五十才

夕霧の大将は一条の宮(女二)を人めには昔をわすれぬけしき

にみせてねんころにとふらひ給ふみやす所小野にやま

里もち給えるにわたり給へは大将殿より御車御おtもの人糸

なと参らせ給へり八月十日斗の程律師にかたるへき事有

其ついてに小野の御休所わつらひ給ふをもとひ給はんとて出給ふ

 (夕霧)山里のあはれをそふる夕霧に立いてん空もなき心ちして

 (女二)山かつのまかきをこめてたつ霧も心そらなる人はとゝめす

又かゝる事は有かたからんとおほしてこよひはとまり給へり

つねにはあためきたるけしきも見え給はぬにうたてもある

かなと女二はおほせとも大将殿人のかげにつきてまぎれ

 

  夕霧   源 五十才

夕霧の大将は一条の宮(女二)を、人目には昔を忘れぬ気色に見せて、懇ろに訪(とぶら)い給う。みうあすどころ、小野に山里持ち給えるに渡り給えば、大将殿より御車、御伴の人々など参らせ給えり。八月十日ばかりの程、律師に語るべき事有り。その序でに小野の御息所患い給うをも問い給わんとて出給う。

 (夕霧)山里の哀れを添うる夕霧に立ち出でん空も無き心地して

 (女二)山賤の籬を籠めて立つ霧も心空なる人は留めず

又かかる事は有り難からんと思して、今宵は泊まり給えり。常には婀娜めきたる気色も見え給わぬに、転(うたて:一層酷く)もあるかなと、女二は思せども、大将殿、人の影に付きて紛れ

 

 

18

入給へりいとむくつけくていさり出給ふを引とゝめ思ふ事

をきこえ給ふ宮あはれけになき給ひて

 我のみやうき世をしれるためしにてぬれそふ袖の名をくたすへき

 (夕霧)大かたは我ぬれ衣をきせす共くちにし袖の名やはかくるゝ

大との(かしは木の事也)ゝきゝいはん事よ院(朱)のいかに聞召おほされんみやす所のし

り給はぬもわひしけれはあかさて出給へとやらひ給ふ

 (夕霧)おきはらや軒はの露にそほちつゝ八重たつ霧をわけそ行へき

 (女二)わけゆかん草はの露をかことにて猶ぬれきぬをかけんとや思ふ

六条院東のおとゝ(花ちる里)にかへり給ふ夏冬ときよらにしをかせ給へる

にぬきかへ給ふ小野へ御ふみ奉れ給へと女二はみやす所の事もあ

りかほにおほしめされんとて御らんしもいれねは人/\

ひろけて見せたてまつる (夕霧)

 玉しいをつれなき袖にとゝめ置てわか心からまどはるゝかな

みやす所の御ものゝめのかぢし給ふりつし参て此大将殿

 

はいつよりかよひ給ふそほんさいつよくものし給へは女二のえ

をし給はしとかしらをふりていへりみやす所少将の君(女はうたち)をよ

ひてとひ給へは有のまゝにかたるみやす所女二をよひて其文の

返事し給へいかに心きよくおぼす共人はさは思ふまし心うつ

くしくいひかはし給へといひ給ふに又大将殿より御文参る

 せくからにあさくそ見えん玉川のなかれての名をつみはてすは

みやす所より大将殿への御返事に女二はなやまし

けれはとかき給ひて

 をみなへししほるゝ野へをいづくとて一夜はかりの宿をかりけん

大将デオのは三条殿におはしますよひ過る程に小野より御

返事参る雲井の雁見つけ給ひてうしろよりとり給ふこ

はいかにし給ふど六条の東の院(花ちる)の御文也けさ風おこりてなやみ

給ふをとひ参らせたる返事也といつはり給へどかへし給はす

大将殿は此文のうちたしかに見給はねはかへし給へけふは

 

入り給えり。いとむくつけく(気味悪く)て躄(いざ)り出給うを引き留め、思う事を聞こえ給う。宮、哀れ気に泣き給いて、

 (宮)我のみや浮世を知れる例(ためし)にて濡れ添う袖の名を朽たすべき

 (夕霧)大方は我濡衣を着せず共朽ちにし袖の名やは隠るる

大殿(柏木の事也)の聞き給わん事よ、院(朱)の如何に聞こし召し思されん。御息所の知り給わぬも侘しければ、明かさで出給えと遣らい(追い払い)給う。

 (夕霧)荻原や軒端の露に濡(そぼ)ちつつ八重立つ霧を分けぞ行くべき

 (女二)分け行かん草葉の露を託言にて猶濡衣を掛けんとや思う

六条院、東の大殿(花散里)に帰り給う。夏冬と清らに仕置かせ(用意し)給えるに、脱ぎ替え給う。小野へ御文奉れ給えと、女二は御息所の事も有り顔に思し召されんとて、御覧じも入れねば、人々広げて見せ奉る。

 (夕霧)魂をつれなき袖に留め置いて我が心から惑わるるかな

御息所の御物の怪の加持し給う。律師参りて、この大将殿はいつより通い給うぞ、本妻強くものし(勢い強くし)給えば、女二の得圧(お)し給わじ、と、頭(かしら)を振りて言えり。御息所、少将の君(女房達)を呼びて問い給えば、有りの儘に語る。御息所、女二を呼びて、その文の返事し給え、如何に心清く思すとも人は然(さ)は思うまじ。心美しく言い交わし給え、と言い給うに、又大将殿より御文参る。

 (大将殿)塞(せ)く(拒む)からに浅くぞ見えん山川の流れての名を包み果てずば

御息所より大将殿への御返事に、女二、悩ましければと書き給いて、

 (御息所)女郎花(女二の事)萎るる野辺を何処とて一夜ばかりの宿を借りけん

大将殿は三条殿におわします。宵過ぎる程に小野より御返事参る。雲居の雁見付け給いて後ろより取り給う。こは如何にし給うぞ、六曜の東の院(花散里)の御文也。今朝、風邪起こりて悩み給うを問い参らせたる返事也、と偽り給えど返し給わず。大将殿はこの文の打ち確かに見給わねば、返し給え、今日は

 

 

19

我もなやましけれは又文を参らせんにとこひ給へととかく

まきらはし給ふに日も暮にけりおましのおくにさしは

さみ給へるを見つけ給ひて御返事に (夕霧)

 秋の野の草のしけみを分しかとかりねの枕むすひやはせし

小野には此返事のをそきにいか成御心そとあさましう

心もくたけて又いたくなやみ給ふ女二はおほえぬ人にうちとけ

たりし有さまを見えし事口おしうおほすかくさま/\な

きまとひ給ふに大将殿より又御文参りけるを御休所きゝ

給ひて扨はこよひもおはすましきゆへなりと心うくなにゝ

ことはをつくしけんとおほしなけく程にやかてたえ入給ふ宮

はをくれしとなけきふし給へり六条院ちじの大との山のみ

かとより御文あり大将殿わたり給ひておいのやまとのかみ

のこりの事共したゝめつかうまつる女二はたいめんし給はて大将殿

かへらせ給ふ日々にかきつくし給へと女二はとりても御らんせす大将

殿の北の方は女二の宮との御中をおほしわけかたくて

 

我も悩ましければ、又文を参らせんにと乞い給えど、兎角紛らわし給うに日も暮れにけり。御座(おまし)の奥に差し挟み給えるを見付け給いて、御返事に、

 (夕霧)秋の野の草の茂みを分けしかど仮寝の枕結びやはせじ

小野にはこの返事の遅きに、如何なる御心ぞと、浅ましう心も砕けて、又甚(いた)く悩み給う。女二は思えぬ人に打ち解けたりし有様を見えし事、口惜しう思す。斯く様々泣き惑い給うに、大将殿より又御文参りけるを、御息所聞き給いて、扨は今宵もおわすまじき故なり、と心憂く、何に言葉尽くしけんと思し嘆く程に、軈て絶え入り給う。宮は遅れじと歎き伏し給えり。六条院、致仕(ちじ)の大臣、山の帝より御文有り。大将殿渡り給いて甥の大和守、残りの事共認め仕る。女二は対面し給いて、大将殿、帰らせ給う。日々に書き尽くし給えと女二は取りても御覧せず、大将殿の北の方は、女二の宮との御中を思し分け難くて、

 

 

20

 哀をもいかにとひてかなくさめんあるや恋しきなきやかなしき

九月十日あまりに小野へわたり給て少将を召て物語し給ふ

 里とをみ小野ゝしの原分きても我も鹿こそ声もおしまね

 (少将)冨士衣露しけき秋の山人は鹿の鳴ねにねをそそへつる

けふもたいめんし給はてかへり給ふみちすから一条の宮

を見給へは人げなく月のすみたり

 見し人のかけすみはてぬ池水にひとりやともす秋の夜の月

三条殿へかへり給ひて小野へふみやり給ふ

 いつとかはおとろかすへき明ぬよの夢さめてとかいひし一こと

 朝夕になくねをたつるをの山はたえぬ涙やをとなしの瀧

女二の手ならひにかき給ふを少将か文にまきこめてかへし

奉る女二は世をのかれ小野にすみはてんとおほす一条の

草しげうあれたるをやあmとのかみめしてみかきたるやうにしつ

らひなし給ふかへしろ屏風きちやうまて大将殿より奉

らせ給へりわたり給ふ日は大将殿おはしまして小野へ御車

 

 哀れをも如何に問いてか慰めん有るや恋しき無き(泣き)や悲しき

九月十日余りに小野へ渡り給いて、少将を召して物語りし給う。

 (大将)里遠み小野の篠原分けて来て我も鹿こそ声も惜しまね

 (少将)藤衣露繁き秋の山人は鹿の鳴く音に音をぞ添えつる

今日も対面し給わで帰り給う。道すがら一条の宮を見給えば、人気無く、月のみ澄みたり。

 (夕霧大将)見し人の影澄み(住み)果てぬ池水に独り宿守る秋の夜の月

三条殿へ帰り給いて、小野へ文遣り給う。

 いつとかは驚かすべき明けぬ夜の夢覚めてとか言いし一言

 朝夕に鳴く音を立つる小野山は絶えぬ涙や音無の瀧

女二の手習いに書き給うを、少将が文に巻き籠めて返し奉る。女二は夜を逃れ小野に住み果てんと思す。一条の草繁う荒れたるを、大和守召して、磨きたる様に設い為し給う。壁代(かべしろ)、屏風、几帳まで、大将殿より奉らせ給えり。渡り給う日は大将殿おわしまして、小野へ御車

 

 

21

奉れ給ふ女二はのり給はしとあれとさ五少将御ぞ共奉りかへたり

 (女二)のほりにしみねの煙に立ましり思はぬかたいなひかすもかな

人々いそき立てくしのはこ手箱からひつふくろやうのもの

まてさきに立てはこひけれはひとりとまり給はんやうもなく

てなく/\のり給ふ御はかしに経はこそへたるに (女二)

 恋しさのなくさめかたきかたみにて涙にくもる玉のはこかな

一条の宮の東のたいの南おもてを夕霧の御かたにしつらひて

すみつきかほにおはす宮はぬりこめにおまししかせ内より

さしておほとのこもるつらしと思ひあかして (夕霧)

 うらみわひむねあきかたき冬のよに又さしまさるせきの岩かど

なく/\出て六条院におはしたり女君めも見あはせ給はす

御そ引やり給へは(女君)つねに我を鬼と宣へはなりはてんとの

給ふ(夕)此鬼こそおそろしくもあらねとたはふれ給へは

(女君詞)何事そしに給へ我もしなん見れはにくしきけはあひ

さうなし見すてゝしなんはうしろめたしといひ給ふ

 

おかしきさまもまさりてかくなくさめ給ふ

 (雲井雁)なるゝ身をうらむるよりは松嶋のあまの衣にたちやかへまし

 (夕霧)松嶋のあまのぬれ衣なれぬとてぬきかへつてふ名をたゝめうあは

女二へわたり給へと又其夜もたいめし給はすたはかりてぬり

こめの北の口よりいれ奉る女はあさましう心つきなしとお

ほしたり三条の君は大とのへわたり給ひれいのやうにも

かへり給はす大将ドオンおとろきたひ/\せうそこあれと御

返もなし父おとゝきゝ給ひて女二へ御使たて給ふ

 契りあれや君を心にとゝめ置て哀と思ひうらめしときく

 (女二宮)何ゆへか世に数ならぬ身一つをうしとも思ひつらしともきく

藤ないしのすけこれをきゝて我を雲井の雁のゆるさぬ

ものに思へるにかくあなつりにくき事出きけるとうれし

くて雲井の雁へ文をたてまつる

 数ならは身にしられまし世のうさを人のためにもぬらす袖かな

 (雲井)人の世のうきを哀と見しか共身にかへんとはおもはさりしを

 

奉れ給う。女二は乗り給わじと有れど、さ五(左近?)、少将、御衣(みぞ)共奉り替えたり。

 (女二)上りにし峰の煙に立ち混じり思わぬ方に靡かずもがな

人々急ぎ立ちて、櫛の箱、手箱、唐櫃、袋様の物まで先に立ちて運びければ、一人止まり給わん様も無くて、泣く泣く乗り給う。御佩刀(みはかし)に経箱添えたるに、

 (女二)恋しさの慰め難き形見にて涙に曇る玉の箱かな

一条の宮の東の対の南面(おもて)を夕霧の御方に設(しつら)いて、住み着き顔におわす。宮は塗籠(ぬりこめ)に御座(おまし)敷かせ、内より鎖(さ:鍵)して大殿籠る。辛しと思ひ明かして、

 (夕霧)恨み侘び胸飽き難き冬の夜に又鎖し勝る関の岩門

泣く泣く出て六条院におわしたり。女君、目も見合わせ給わず、御衣(みぞ)引きやり給えば、(女君)常に我を鬼と宣えば成り果てん、と宣う。(夕霧)この鬼こそ恐ろしくも有らね、と戯れ給えば、(女君詞)何事ぞ死に給え、我も死なん。見れば憎し、聞けば愛想無し、見捨てて死なんは後ろめたし、と言い給う。おかしき様も勝りて、斯く慰め給う。

 (雲居の雁)馴るる身を恨むるよりは松嶋の海士の衣に裁ちや替えまじ

 (夕霧)松嶋の海士の濡れ衣馴れぬとて脱ぎ替えつてふ(という)名を立ため(噂が立つ)やば

女二へ渡り給えど、又その夜も対面し給わず、謀りて塗籠の北の口より入れ奉る。女は浅ましう心付き無しと思したり。三条の君は大殿へ渡り給い、例の様にも帰り給わず。大将殿驚き、度々消息有れと御返しも無し。父大臣聞き給いて、女二へ御使い立て給う。

 契り有れや君を心に留め置きて哀れと思う恨めしと聞く

 (女二の宮)何故(なにゆえ)か世に数ならぬ身一つを憂しとも思い悲しとも聞く

典侍(とうないしのすけ)これを聞きて、我を雲居の雁の許さぬものに思えるに、斯く侮(あなづ)り難(にく)き事出で来けると嬉しくて、雲居の雁へ文を奉る。

 数ならば身に知られまじ世の憂さを人の為にも濡らす袖かな

 (雲居の雁)人の世の憂きを哀れと見しか共身に替えんとは思わざりしを

 

 

22

   みのり  源 五十一才

むらさきの上わつらひ給ひし後ほいあるさまになりて

おこなひをまきれたくとの給へとおとゝ(源)ゆるし給はす

年ころの御願にてかゝせ給ふ法華経千部二条院にて供養

し給ふ花ちる里あかしの上なともわたり給へりやよひ十日也

 (紫の上)惜からぬ此身なからもかきりにてたきゝつきなんことのかなしき

 たきゝこる思ひはけふを始にて此世にねかふ法そはるけき

むらさきのうへより花ちる里へ

 たえぬへきみのりなからそ頼まるゝ世々にとむすふ中の契りを

 (花ちる)むすひをく契りたえし大かたの残りすくなきみのりなりとも

夏になりてはあつさにきえ入給ふへきおりもおほかりにほふ

宮をすへ奉りて人のきかぬまに我(紫)なく成たらは思ひ出給はん

やとの給へは(匂の詞)うへよりも宮(御母)よりも母こそいとおしく覚ゆれ

とて目をすりてまきらはし給ふ(母とは紫の上 の事といへる也)おとなになり

給ひてはこゝにすませ給ひてこうはいと桜とは花の

 

   御法  源 五十一才

紫の上患い給いし後、本意(ほい)有る(満足)様に成りて、行いを紛れ無くと宣えど、大臣(源)許し給わず、年頃の御願にて書かせ給う法華経千部、二条院にて供養し給う。花散里、明石の上なども渡り給えり。弥生十日也。

 (紫の上)惜しからぬこの身ながらも限りにて薪尽きなん事の悲しき

 薪樵(こ)る思いは今日を初めにてこの世に願う法ぞ遥けき

紫の上より花散里へ

 絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを

 (花散)結び置く契り(は)絶えじ大方の残り少き御法なりとも

夏に成りては暑さに消え入り給うべき折も多かり。匂宮を据え奉りて人の聞かぬ間に、我亡く成ったらば思い出給わんや、と宣えば、(匂の詞)上よりも宮(御母)よりも母こそ愛おしく覚ゆれ、とて目を擦りて紛らわし給う(母とは紫の上の事と言える也)。大人に成り給いてはここに住ませ給いて、紅梅と桜とは花の

 

 

23

おり/\は仏にも奉給へと仰(紫の上)けれは打うなつきて御かほを

まほりい給ふ秋になりてむらさきの上

 置とみる程そはかなきともすれは風にみたるゝ萩のうは露

 (源)やゝもせはきえをあらそふ露の世にをくれさきたつ程へすもかな

 (中宮)秋風にしはしとまらぬ露の世を誰か草はのうへとのみ見ん

宮(中宮)は御手をとらへてなく/\見奉り給ふにきえ行心ちなれ

は物のけとうたかひ夜ひとよさま/\の事をつくし給へとかひ

もなくあけはつる程にきえはて給ふとのゝ内さらに物おほえ

たるはなし院(源)はましておほししつめんかたもなし大将も涙に

くれて目も見え給はすかきりある事なれはけふりにのほり給

へるもあへなくそらをあゆむ心ちして (大将)

 いにしへの秋の夕への恋しきに今はと見えしあけくれの夢

 (ちしの おとゝ)いにしへの秋さへ今の心ちしてぬれにし袖に露そあおきそふ

 (源)露けさは昔今ともおもほえす大かたあきの世こそつらけれ

 (秋このむ)かれはつる野へをうしとやなき人の秋に心をとゝめさりけん

 

 (源返し)のほりにし雲いなからもかへりみよわか秋はてぬつねならぬ世に

 

折々は仏にも奉り給えと(紫の上)仰せければ、打ちうなずきて御顔を守り居給う。秋に成りて、

 (紫の上)起くと見る程ぞ儚きともすれば風に乱るる萩の上露

 (中宮)秋風に暫し止まらぬ露の世を誰が草葉の上とのみ見ん

宮(中宮)は御手を捕えて泣く泣く見奉り給うに、消え行く心地なれば物の怪と疑い、夜一夜(ひとよ)様々の事を尽くし給えど、甲斐も無く明け果つる程に、消え果て給う。殿(との)の内、更に物覚えたるは無し。院(源)はまして思し鎮めん方も無し。大将も涙にくれて目も見え給わず。限り有る事なれば煙に上り給えるも、敢え無く空を歩む心地して、

 (大将)古の秋の夕べの恋しきに今際と見えし明け暮れの夢

 (致仕の大臣)古の秋さえ今の心地して濡れにし袖に露ぞ置き添う

 (源)露けさは昔今とも思おえず大方秋の世こそ辛けれ

 (秋好中宮)枯れ果つる野辺を憂しとや亡き人の秋に心を留めざりけん

 (源返し)上りにし雲居ながらも顧みよ我が秋果てぬ常ならぬ世に

 

 

   まほろし  源 五十二才

春のひかりを見給うにつけてもくれまとひたるやうにて

人々参り給へと心ちなやましとてみすの内にのく(み)

おはします兵部卿わたり給へし

 (源)我やとは花もてはやす人もなしなにゝか春のたつねきぬらん

 (宮)香をとめてきつるかひなく大かたの花のたよりといひやなすへき

おもひ人たちのかたへもわたり給はす

 (源)うき世にはゆききえなんと思ひつゝ思ひの外になをそほとふる

三の宮ははゝの給ひしとてこうばいをとりわき

うしろみ給ふ (源)

 うへて見し花のあるしもなき宿にしらずかほにてきぬるうくひす

わか宮まろか桜はさきたり木のめくりに帳をたてたらは

風吹よらしとかしこうの給ふかほいとうつくし (源)

 

   幻  源 五十二才

春の光を見給うにつけても、暮れ惑いたる様にて、人々参り給えど心地悩ましとて、御簾の内にのみ、おわします。兵部卿渡り給えし。

 (源)我宿は花持て囃す人も無し何にか春の尋ね来ぬらん

 (宮)香を留めて来つる甲斐無く大方の花の便りと言いや為すべき

想い人達の方さえも渡り給わず

 (源)憂き世には雪消えなんと思いつつ思いの他に猶ぞ程経(ふ)る

三の宮は母の宣いしとて、紅梅を取り分き、後ろ見給う。

 植えて見し花の主も亡き宿に知らず顔にて来ぬる鶯

若宮、麿が桜は咲きたり、木の巡りに帳を立てたらば風吹き寄らじ、と、賢う宣う。いと美し。 (源)

 

 

24

 今はとてあらしやはてんなき人の心とゝめしはるのかきねを

あかしの御かたにわたり給ひむかし物かたりし給ひてよ

ふけてかへり給ふ 御文に

 なく/\もかへりにしかなかりの世はいつくもついのとこよならぬに

 (あかしの上)雁かいしなはしろ水のたえしよりうつりし花のかけをたに見す

 (花ちる)夏衣たちかへてけるけふ斗ふるき思ひもすゝみやはせぬ

 (源)羽衣のうすきにかはるけふよりはうつせみの世といとゝかなしき

まつりの日 (中将の君)

 さもこそはよるへの水にみくさいめけふのかさしよ名さへにするゝ

 (源)大かたは思ひすてゝし世なれともあふひはなをやつみをかすへき

  なき人をしのふるよひの村雨にぬれてやきつる山ほとゝきす

 (大将)時鳥君につてなんふる里の花たちはなは今そさかりと

日ぐらしのなきけれは (源)

 つれ/\と我なきくらす夏の日をかことかましきむしのこえかな

 よるをしる蛍を見ても恋しきに時そともなき思ひ成けり

 

 今はとて嵐や果てん亡き人の心留めし春の垣根を

明石の御方に渡り給い、昔物語りし給いて、夜更けて帰り給う。御文に、

 泣く泣くも帰りにしかな仮の世は何処も終の常世ならぬに

 (明石の上)雁が居し苗代水の絶えしより映りし花の影をだに見ず

 (花散里)夏衣裁ち替えてける今日ばかり古き思いも進みやはせぬ

 (源)羽衣の薄きに替わる今日よりは空蝉の世といとど悲しき

祭の日、

 (中将の君)さもことは寄る辺の水に水草(みくさ)居め(?生えている)今日の挿頭よ名さえ忘るる

 (源)大方は思い捨ててし世なれども葵は猶や摘み犯すべき

  亡き人を忍ぶる宵の村雨に濡れてや来つる山時鳥

(大将)時鳥君に伝てなん故郷(ふるさと)の花橘は今ぞ盛りと

蜩の鳴きければ、

 (源)徒然と我泣き暮らす夏の日を託言がましき虫の声かな

  夜を知る蛍を見ても恋しきに時ぞとも無き思い成りけり

 

 

25

 七夕のあふせは雲のよそにみてわかれの庭に露そをきそふ

はての法事八月ついたち頃 (中将の君)

 君こふる涙はきはもなき物をけふをは何のはてといふらん

 (源)人こふる我身もすえに成ゆけはのこりおほかる涙なりけり

(九月九日)もろ共におきいし菊の朝露もひとり袂にかゝる秋かな

雁のなきわたりけれは

 大空にかよふまほろし夢にたに見えこぬ玉の行衛たつねよ

五せちなといひていまめかしきに

 宮人はとよのあかりにいそくけふ日かけもしらてくらしつるかな

むらさきの上の御手なる文共を見給ひて

 しての山こえにし人をしたふとてあとを見つゝも猶まどふかな

 かきつめてみるもかひなしもしほ草おなし雲いの煙とをなれ

 春まての命もしらす雪のうちに色つく梅をけふかさしてん

御仏名の導師

 ちよの春みるへき花といのりをきて我身そ雪と共にふりぬる

 

 (源)物思ふと過る月日もしらぬ間に年も我世もけふやつきぬる

 

 七夕の逢瀬は雲の余所に見て別れの庭に露ぞ置き添う

果ての法事、八月朔日頃。

 (中将の君)君恋うる涙は際も無き物を今日をば何の果てと言うらん

 (源)人恋うる我身も末に成り行けば残り多かる涙なりけり

 (九月九日)諸共に起き居し菊の朝露も独り袂に掛かる秋かな

雁の鳴き渡りければ、

 大空に通う幻夢にだに見え来ぬ玉(魂)の行方尋ねよ

五節(ごせち)など言いて今めかしきに、

 宮人は豊の明かりに急ぐ今日日影も知らで暮らしつるかな

紫の上の御手なる文共見給いて、

 死出の山越えにし人を慕うとて跡を見つつも猶惑うかな

 かきつめ(掻き集め)て見るも甲斐無し藻塩草同じ雲居の煙とを成れ

 春までの命も知らず雪の内に色付く梅を今日挿頭てん

(御仏名の導師)

 千代の春見るべき花と祈り置きて我身ぞ雪と共に降りぬる

 (源)物思うと過ぐる月日も知らぬ間に年も我が世も今日や尽きぬる

 

 

   にほふ宮  かほる十四才より十九才まて まほろしと此巻の間九年

源かくれ給ひて後にほふ宮かほる二ところなんきよらなる

名をとり給へり花ちる里は二条院にすみ給ふ女三の宮は

三条の宮におはします六条院うしとら町に一条の女二

の宮をわたし夕霧は三条殿と十五日つゝかよひすみ給ふ

かほる十四才にて侍従になり其秋中将にならせ給ふのち

かしは木の事ほの聞給ひておほつかなくおほして

 おほつかな誰にとはましいかにしてはしめも果もしらぬ我身は

此かほる中将は御身のかうはしさをひ風は百ぶの外も

かほるへきこゝちしける兵部卿の宮うらやみ給ひて春は

梅秋はをみなへし萩菊ふちはかまわれもかうなと

わさとめきてこのましうかし給ふ

 

  匂宮  薫十四才より十九才まで (幻と、この巻の間、九年)

源隠れ給いて後、匂宮、薫、二所なん、清らなる名を取り給えり。花散里は二条院に住み給う。女三宮は三条の宮におわします。六条院、丑寅町に一条の女二の宮を渡し、夕霧は三条殿と十五日ずつ通い住み給う。薫、十四才にて侍従に成り、その秋、中将に成らせ給う。後、柏木の事仄聞き給いて覚束なく思して、

 覚束な誰に問わまじ如何にして初めも果ても知らぬ我身は

この薫中将は御身の香ばしさ、追い風は百歩の他も薫るべき心地しける。兵部卿宮、羨み給いて春は梅、秋は女郎花、萩、菊、藤袴、吾木香など、わざとめきて(殊更に)好ましうし給う。

 

 

26

   こうばい  かほる 廿才

紅梅の大納言には姫君二人あり北のかたうせ給ひてあ

ね君は春宮に参給ふ蛍兵部卿に姫君一人有兵部卿

うせ給ひて後此北のかたへ大納言かよひ給てわか君出き

給へり此子三人を一所にそたてをき給へるかある時に大納

言こうばいのえたをわか君にもたせてにほふ宮へ奉り

給ふは中君を参らせんのこゝろ

 心ありて風のにほはすそのゝ梅にまつ蛍のとはすや有へき

中君よりも宮の君のかたちよき聞えあれはしのひやか

に宮の君に奉れとの給ふ

 (大納言)もとつかのにほへる君か袖ふれは花もえならぬ名をやちらさん

 (匂宮 返し)花のかをにほかす宿にとめゆかは色にめづとや人のとがめん

大納言はいもうとの君を参らせはやのこゝろなり

 

  紅梅  薫 廿才

紅梅の大納言には姫君二人あり。北の方、失せ給いて、姉君は春宮に参り給う。蛍兵部卿に姫君一人あり。兵部卿、失せ給いて後、この北の方へ大納言通い給いて、若君出で来給えり。この子三人を一所に育て置き給えるが、或る時に大納言、紅梅の枝を若君に持たさて、匂宮へ奉り給うは、中君を参らせんの心也。

 心有りて風の匂わす園の梅に先ず鶯の訪(と)わずや有るべき

 (匂宮返し)花の香に誘われぬべき身なりせば風の便りを過ぐさまし(そのまま黙って)やば

中君よりも宮の君の容(かたち)良き聞え有れば、忍びやかに宮の君に奉れと宣う。

 (大納言)本つ香(もともとの香)の匂える君が袖なれば花も得成らぬ名をや散らさん

 (匂宮)花の香を匂かす宿に尋(と)め行かば色に愛(め)づとや人の咎め

大納言は妹の君を参らせばやの心也。

 

 

27

   たけ川

玉かつらのないしのかみの御はらにおとこ三人女二人おはしける

ひげくろうせ給ひて後心かけ給ふ人おほかりける夕霧の

子蔵人の少将ねんころに聞えて御母雲井の雁より文を

参らせらる園頃かほるは十四五はかりなるをむこにと玉かつらは

おほしたり此姫君を冷泉院よりのたまはすかほるの御

かたちににる人もなくおはしけれは御母玉かつらも女はう

たちも姫君にあはせ奉らはやと思ふにかほる参り給

てみすのまへにい給へはさいしやうの君

 折て見はいとゝ匂ひもまさるやとすこし色めけ梅のはつ花

 よそにてはもぎ木なりとや定むらん下に匂へる梅のはつ花

廿日あまりの頃梅の花さかりなるにかほるおはしたりないし

すかたなる人中門にたてりいたり蔵人の少将也引つれ入給ひ

てかほるわこんかきならし給へり少将さきくさうたひあるし(玉かつらの事也)の侍従

竹川うたふ少将はみな人かほるに心よせけると思ひて

 

 人はみな花に心をうつすらんひとりそまとふ春の夜のやみ

 (女はう衆)折からや哀もしらん梅のはなたゝ香はかりにうつりしもせし

あしたにかほる侍従より籐侍従のもとへ

 竹川のはしうち出し一ふしにふかき心のそこはしりきや

 たけ川に夜をふかさしといそきしもいか成ふしを思ひをかまし

姫君たち桜をかけ物にて碁をうち給へり蔵人の少将侍従

の御ぞうしにきてらうの戸よりのそく (姫君)

 桜ゆへ風に心のさはぐかなおもひくまなき花とみる/\

御かたのさいしやうの君

 咲とみてかつはちりぬる花なれはまくるをふかきうらみともせす

 (中の君)風にちる事はよのつね枝なからうつろふ花をたゝにしもみし

 (太夫の君)心ありて池のみきはにおつる花あはと成ても我かたによれ

  大そらの風にちれ共桜花をのか物とそかきつめて見る

  桜花にほひあまたにちらさしとおほふはかりの袖は有きや

少将はあね君をと思へと院に参り給へは御母玉かつら

 

  竹川

玉鬘の尚侍(ないしのかみ)の御腹に、男三人、女二人おわしける。髭黒失せ給いて後、心掛け給う人多かりける。夕霧の子、蔵人の少将、懇ろに聞えて、御母雲居の雁より文を参らせらる。その頃、薫は十四、五ばかりなるを、聟にと玉鬘は思したり。この姫君を冷泉院より宣わする、薫の御容に似る人も無くおわしければ、御母玉鬘も女房達も、姫君に逢わせ奉らばやと思うに、薫参り給いて御簾の前に居給えば、

 (宰相の君)折りて見ばいとど匂いも勝るやと少し色めけ梅の初花

  よそにては捥ぎ木(もぎ木:もいだ木:枯れ木)なりとや定むらん下に匂える梅の初花

二十日余りの頃、梅の花盛りなるに薫おわしたり。直衣(なおし)姿なる人、中門に立てり居たり。蔵人の少将也。引き連れ入り給いて、薫、和琴掻き鳴らし給えり。少将「さき草(三枝)」歌い、主(あるじ:玉鬘の事也)の侍従「竹川」歌う。少将は、皆人薫に心寄せけると思いて、

 人は皆花に心を移すらん一人ぞ惑う春の夜の闇

 (女房衆)折からや哀れも知らん梅の花ただ香ばかりに移りしもせじ

朝(あした)に、薫侍従より籐侍従の元へ、

 竹川の橋打ち出でし一節に深き心の底は知りきや

 竹川に夜を更かさじと急ぎしも如何なる節を思い置かまじ

姫君達、桜を賭け物にて碁を打ち給えり。蔵人の少将、侍従の御曹司(部屋)に来て廊の戸より覗く。

 (姫君)桜ゆえ風に心の騒ぐかな思い隈無き花と見る見る

(御方の宰相の君)咲くと見て且つは散りぬる花なれば負くるを深き恨みともせず

 (中の君)風に散る事は世の常枝ながら移ろう花をただにしも(平気では)見し

 (太夫の君)心有りて池の汀に落つる花泡と成りても我方に寄れ

  大空の風にお散れ共桜花己(おの)が物とぞ掻き集(つ)めて見る

  桜花匂い数多に散らさじと覆うばかりの袖は有りきや(ありやは)

少将は姉君をと思えど、院に参り給えば、御母玉鬘

 

 

28

は中君ならはとおほす

 つれなくて過る月日をかそへつゝ物うらめしきくれの春かな

少将はらたちて中将のおもとにあひて

 いでやなそ数ならぬ身にかなはぬは人にまけしの心なりけり

 わりなしやつよきによらんかちまけは心ひとつにいかゝまかする

 哀とて手をゆるせかしいき死を君にまかする我身とならは

 (少将)花をみて春はくらしつけふよりやしげきなけきの下にまどはん

 (玉かつら)けふそしる空をなかむるけしきにて花に心をうつしけりとも

九日に院に参り給ふ少将の文を姫君に見せけれは (姫君)

 哀てふつねんらぬ夜の一こともいか成人にかくるものそは

 (少将)生ける世のしには心にまかせねはきかてややまん君か一こと

かほる侍従籐侍従とつれて彼おまへの五えうに

ふぢのさきかゝりたるを見て

 手にかくる物にしあらは藤の花松よりまさる色を見ましや

 紫の色はかよへとふぢの花心にえこそまかせさりけれ

 

は中君ならばと思す。

 つれなくて過ぎる月日を数えつつ物恨めしき暮れの春かな

少将腹立ちて、中将の御許に逢いて(向かって)

 いでやなぞ(一体何とした)数ならぬ身に叶わぬは人に負けじの心なりけり

わりなしや(無理もない)強きに依らん勝ち負けを心一つに如何任する

 哀れとて手を許せかし生き死にを君に任する我身とならば

 (少将)花を見て春は暮らしつ今日よりや繁き歎きの下に惑わん

 (玉鬘)今日ぞ知る空を眺むる気色にて花に心を移しけりとも

九日に院へ参り給う。少将の文を姫君に見せければ、

 (姫君)哀れてふ常ならぬ世の一言も如何なる人に掛くる物ぞは

 (少将)生ける世の死には心に任せねば聞かでや止(や)まん君が一言

薫侍従、籐侍従と連れて、彼御前の五葉(五葉の松)に藤の咲き掛かりたるを見て、

 手に掛くる物にしあらば藤の花松より勝る色を見ましや

 紫の色は通えど藤の花心に得こそ任せざりけれ