読んだ本https://dl.ndl.go.jp/pid/2567611
1
かけろふ
2
かしこには人々おはせぬをもとめさはげどか
ひなし。物語の姫君の人にぬすまれたらん。あし
たのやうなればくはしくもいひつゞけず。京(浮舟の母)よりあ
りしつかひのかへらずなりにしかば。おぼつかなし
とて又人をこせたり。まだとりのなくになんいだ
したてさせ給ひつるとつかひのいふに。いかに聞
えんとめのとよりはじめてあはてまどふ事か
ぎりなし。さらに思ひうるかたなくてたゞさは
ぎあへるを。かの心しれるどちなんいみじくもの
を思ひ給へりしさまを思ひいづるに。身をなげ ←
給へるか。とは思ひよりける。なく/\このふみをあ
3
けたれば。いとおぼつかなさにまどろまれ侍らぬ。
げにやこよひは夢にだにうちとけてもみえず。物
におそはれつゝ心ちもれいならずうたて侍るを。
猶いとおそろしく物へわたらせ給はん事はちかくな
れど。そのほどこゝにむかへたてまつりてん。けふは
雨ふり侍りぬべければなどあり。よべの御かへり(浮舟の返事)を
もあけてみて右近いみじうなく。さればよ心ぼそ
き事はきこえ給ひけり。われになどかいさゝかのた
まふことをなかりけん。おさなかりし程より露心
をかれ奉る事なく。ちりばかりへだてなくてなら
ひたるに。今はかぎりの道(今生の別れ)にしも我ををく(後)ら
かし。けしきをだにみせ給ざりけるがつらき事と
思ふに。あしずりといふ事をしてなくさまわか
き子どものやうなり。いみじくおぼしたる御
けしき(浮舟がひどく悩む様子)はみたてまつりわたれど。かけてもかくな
べてならずおどろ/\しき事おぼしよらん物
とはみえざりつる人の御心ざまを。なをいかにし
つることにかとおぼつかなくいみじ。めのとはなか/\
物もおぼえでたゞいかさまにせん/\とぞいはれけ
る。みやにもいとれいならぬけしきありし御かへ
りいかに思ふならん。我(匂)をさすがに思ひたるさま
ながら。あだなる心とのみふかくうたがひたればほ
4
かへいきかくれなんとにやあらんとおぼしさは
ぎて御つかひあり。あるかぎりなきまどふ程に。
(匂の使いが)きて御ふみもえ奉らず。いかなるぞと下す女に
とへば。うへのこよひにはかにうせ給ひにければ物
もおぼえ給はず。たのもしき人もおはしまさぬ
おりなればさふらひ給ふ人々はたゞ物にあた
りてまどひ給ふといふ。心もふかくしらぬをの
こにて。くはしくもとはで参りぬ。かくなんと(匂が)申
させたるに。ゆめとおぼえていとあやしければ。い
たくわづらぐともきかず。日ごろなやましとの
み有しかど。きのふの返事はさりげもなくて。
常よりもおかしげなりしものをとおぼしやる
かたなければ。ときかたいきてけしき見。たしかな
る事とひきけとの給へば。(時方が)かの大将(薫)どのいかなるこ
とかきゝ給こと侍りけん。とのいするものを
ろかなりなどいましめ仰らるとて。下人のまか
り出るをも見とがめとひ侍なれば。ことつくるこ
となくて時方まかりたらんを(薫が)物の聞え侍らば。
おぼしあはする事などや侍らん。さて俄に人の
うせ(亡くなり)給へらん所は。ろ(論)なうさはがしく人しげく侍らん
を。ときこゆ。さりとていとおぼつかなくてやはあ
らん。なをとかくさるべきさまにかまへて。れいの心
5
しれる侍従などにあひて。いかなる事をかくいふ
ぞとあないせよ。げすはひが事もいふなりとの
給へば。いとおしき御けしきもかたじけなくて。
ゆふつかたゆく。かやすき(身軽な身分)人は。とく(疾)いきつきぬ。雨す
こしふりやみたれど。わりなきみちにやつれて
げすのさまにてきたれば。人おほく立さはぎて。こ
よひやがておさめ(葬式を出す)奉る。などいふをきく。心にもあさ
ましくおぼゆ。右近にせうそくしたれど。えあ
はずたゝ今物おぼえすおきあからん心ちもせで
なん。さるはこよひばかりこそはかくもたちより
給はめ。え聞えぬ事といはせたり。さりとてかく
おぼつかなくていはいかゞかへり参り侍らん。今ひと
所だに。とせち(切)にいひたれば。侍従ぞあひたりける。
いとあさましくおぼしもあへぬさまにてうせ
給にたれば。いみじといふにもあかず夢のやうに
て誰も/\まどひ侍るよし申させ給へ。すこしも
心ちのどめ侍りてなん。日ごろも物おぼしたりつ
るさまひと夜いと心くるし(匂が)思ひきこえさせ
給へりしありさまなどもきこえさせ侍るべ
き。此けがらひ(穢れ)など人のいみ(忌)侍るほどすごして。
いま一たびたちより給へ。といひてなく事いと
いみじ。うちにもなくこえ/\゛して。めのとなるべし。
6
あがきみやいづかたにかおはしましぬる。かへり給
へ。むなしきからをだに見奉らぬがかひなくか
しくもあるかな。明暮見奉りてもあかずおぼえ給
ひし。いつしかかひある(薫の方へよばれても)御さまを見奉らんと。あ
したゆふべにたのみ聞えつるにこそ。いのちも
のび侍つれ。うちすて給てかくゆくえもしらせ給
はぬ事。おにかみもわが君をばえりやうじ奉ら
し。人のいみじくおしむ人をばたいしゃうくもか
へし給ふなり。あがきみをとり奉りたらん。
人にまれ。おににもまれ。かへし奉れ。なき御からを
もみたてまつらんといひつゞくるが。心えぬ事
どもまじるを。あやしと思ひて猶の給へ。もし
人のかくし聞え給へるか。たしかにきこしめ
さんと御身のかはりにいだしたてさせ給へる御
つかひなり。今はとてもかくてもかひなきことなれ
ど。のちにも(匂が)きこしめしあはすることの侍らんに。
たがふことまじらば参りたらん御つかひのつみ
なるべし。又さりともとたのませ給ひて。きみ
だちにたいめんせよと仰られつる御心ざしも
かたじけなしとはおぼされずや。えおんなの道に
まどひ給ふ事はひとのみかど(人の朝廷・唐の朝廷)にもふるきためし
ども有けれど。またかゝる事はこの世にあらじと
7
なん見奉るといふに。げにいとあはれなる御つか
ひにこそあれ。かくすともかくて例ならぬことの
さまをのづから聞えなんと思ひて。などかいさゝ
かにても人やかくい奉り給らんと思ひよるべき
ことあらんには。かくしもあるかぎりまどひ侍
らん。ひごろいといみじく物をおぼしいるめりし
かば。かのとのゝわづらはしげにほのめかし聞えた
まふ事もありき。御はゝにものし給ふ人も。かく
のゝしるめのとなども。はじめよりしりそめた
りしかた(薫)にやわたり給はんとなんいそぎたち
て。この御事をばひとしれぬさまにのみかたじ
けなくあはれと思ひ聞えさせ給へりしに。(浮舟は)御
心みだれけるなるべし。浅ましくて心と身
をなくなし給へるやうなれば。かく心のまどひに
ひが/\しくいひつゞけらるゝなめりと。さすがに
まほならずほのめかす。心得がたく思ひて。さらば
のどかに参らん。たちながら侍るもいとことそぎ
たるやうなり。いま御みづからもおはしましな
むといへば。あなかたじけな。今さらに人のしり
きこえさせんも(浮舟の)なき御ためはなか/\めでたき
御すくせみゆべきことなれど。忍び給ひし事な
れば。またもらさせ給はでやませ給はむなん。
8
おほん心ざしに侍るべき。こゝにはかくよつかずう
せ給へるよしを。人にきかせじとよろづにま
ぎらはすを。じねん(自然)にことどものけしきもこ
そ見ゆれと思へば。(時方を)そゝのかしやりつ。雨のい
みじうふりつるまぎれに母君もわたり給へ
り。さらにいはん方もなく。めの前になくなし
たらんかなしさは。いみじくともよのつねにて
たぐひ有事なり。これはいきにしつる事ぞとま
どふ。かゝる事どものまぎれ有ていみじくもの
思ひ給つらんとも(母は)しらねば。みをなげ給へらん
ともおもひもよらず。おにやくひつらん。きつねめ
く物やとりもていぬらん。いと昔物がたちのあや
しき物のことのたとひにかさやうなることも
いふなりしとおもひいづ。さてはかのおそろしとお
もひ聞ゆるあたちに。心などあしき御めのとや
うの物や。かうむかへ給しと聞て。めさましがり
てたはがりたる人もやあらんと。げすなどをうた
がひ。今参りの心しらぬやあるととへど。(宇治が)いとよは
なれたりとて。ありならはぬ人はこゝにてはか
なき事もえせず。今とく参らんといひつゝなん。
みなしのいそぐべき物どもなどとりぐしつゝ
かへりいで侍りにしとて。もとよりある人だに
9
かたへはなくて。いと人ずくなゝるおりになん
ありける。侍従などこそ日ごろの御けしきお
もひいで。身をうしなひてはやなどなきい
り給ひしおり/\の有さま。かのをき給へる
文をもみるに。なきかげにとかきすさひ給へるも
のゝ。すゞりのしたに有けるを見つけて。かはのか
たをみやりつゝひゞきのゝしる水の音を聞に
もうとましくかなしと思ひつゝ。さてうせ給
けん人をとかくいひさはぎていづくにも/\いか
なるかたになり給にけんと。おぼしうたがはん
もいとおしきことゝいひあはせて。忍びたる事
とてもおほん心よりおこりて有しことならず。お
やにてなきのちにきゝ給へりともいとやさし
きほどならぬを。ありのまゝに聞えてかくいみ
じくおぼつかなき事どもをさへ方々思ひま
どひ給ふさまはすこしあきらめさせ奉らん。
なくなり給へる人とてもからををきてもてあ
つかふこそよのつねなれ。よつがぬけしきにて日
頃もへば。さらにかくれあら。猶聞えて今はよの
聞えをだにつくろはんとかたらひて忍びて有
しさまを聞ゆるに。いふ人もきえ入。えいひやら
ず。きく心ちもまどひつゝ。さはこのいとあら
10
ましと(母の心)思ふ川にてながれうせ給けると思ふに。
いとゞわれもおちいりぬべき心ちして。おはしま
しにけんかたをたづねてからをだにはか/\゛しく
おさめんとの給へど。さらになにのかひ侍らじ。行
えもしらぬおほうみのはらにこそおはしまし
にけめ。さる物から人のいひつたへんことはいと聞
にくしと聞ゆれば。とさまかうさまに思ふに。(母の)むね
のをきのぼる心ちして。いかにも/\すべきかたも
おぼえ給はぬを。この人々ふたりして車よせ
ておましども。けぢかくつかひ給ひし御でう
どゝも見なながら。ぬきをき給へる御ふすまなど
やうの物をとりいれて。めのとこのおおどこ。それがお
ぢのあざり。その弟子のむつましきなど。もと
よりしりたえうおひ法師など御いみにこもるべき
かぎりして。人のなくなりたるけはひにまねび
ていたしたるを。めのとはゝ君はいといみじくゆゝ
しとふしまえおぶ。大夫ううどねり(内舎人)など(薫の使者)をどし聞え(浮舟を怖がらせた)
し物ども参りて。御さうそうの事は。との(薫)に事の
よしを申させ給ひて日さだめられ。いかめしくこ
そつかうまつらめなどいひけれど。ことさらにこよ
ひすぐすまじ。いと忍びてと思ふやうあればなん
とて。此車をむかひの山のまへなるはらにやり
11
て。人もちかくもよせずこのあないしりたる法師
のかぎりしてやかす。いとはかなくてけふりはは
てぬ。い中人どもは中々かゝる事をこと/\しくしなし。
事いみなどふかくする者なりければ。いと
あやしく例のさほうなどある事ともゝし給
はず。げす/\しくあえなくてせられぬる事か
な。とそしりければ。かたへおはする人は。ことさらにかく
なん京の人はし給ふなるなどさま/\゛になん
やすからずいひける。かゝる人とものいひ思ふ事ど
もだにつゝましきを。まして物の聞えはかくれ
なき世中に。大将(薫)殿わたりにから(浮舟の遺骸)もなくうせ給
へりときこしめさば。かならずおもほしうたがふ事
もあらんを。宮(匂)はたおなじ御なからひにて。さる
人のおはしおはせずしばしこそ忍ともおぼさ
め。ついにはかくれあらじ。まやさだめて宮をし
もうたがひきこえ給はじ。いかなる人かいてか
くしけんなどぞおぼしよせんかし。いき給ひて
の御すくせはいとけたかくおはせし人の。げにな
きかげにいみじき事をやうたがはれ給はんと
思へば。こゝのうちあんるしも人どもに。けさのあは
たゞしかりつるまどひにけしきもきゝるるには。
くちかため。あないしらぬにはきかせしなどぞ
12
たばかりける。ながらへてはたれにもしづやかにあ
りしさまをもきこえ(薫に)てん。たゞいまはかなしさ
さめぬべき事ふとひとづてにきこしめさんは
なをいと/\おしきことなるべしと。此人ふたり
ぞふかく心のおに(鬼)そひたれば(良心も咎めるので)もてかくしける。大
将は入道の宮(女三)のなやみ給ひければ。石山にこもり
給ひてさはぎ給ふころなりけり。さていとゞか
しこは(浮舟を)おぼつかなくおぼしけれど。はか/\゛しく。
さなん。といふ人はなかりければ。かゝるいみじきこと
にもまづ御つかひのなきを人めも心うしとお
もふに。みさう(御荘)の人なん参りてしか/\と申さ
せければ。あさましき心ちし給ひテオつかひそ
の又の日まだつとめて参りたり。いみじきことは
きくまゝに。みづからものすべきに。かくなやみた
まふ御ことにより。つゝしみてかゝる所(石山)に日をかぎ
りてこもりたればなん。よべの事はなどかこゝに
せうそこして。日をのべてもさる事はする物を。い
とかろらかなるさまにていそぎせられにける。とても
かくてもおなじいふかひさなれど。とぢめの事
をしも。やまがつのそしりをさへおふなん。こゝのた
めもからき(自分も辛い)など。かのむつましきおほくらのたいふ
しての給へり。御つかひのきたるいつけても。いとゞ
13
いみじきに聞えんかたなきことゞもなれば。たゞな
みだにおぼゝれたるをかごとにて。はか/\゛しくもい
らへやらずなりぬ。殿は猶いとあえなくいみじと
きゝ給ふにも。心うかりける所(宇治のこと)かな、おになどやす
むらん。などて今まてさる所にすへたりつらん。
はずなるすぢのまぎれ有やうなりしも。かく
はなちをきたるに。心やすくて人もいひをかし
給ふなりけんかしと思ふに。わがたゆく(油断)よつ(人に似ぬ)
がらぬ心のみくやしく。おほんむねいたくおぼえた
まふ。なやませ給ふあたりにかゝる事おぼし
みだるゝもうたてあれば。京におはしぬ。宮の御かた
にもわたり給はず。こと/\しき程にも侍らねど。
ゆゝしきことをちかくきゝ侍れば。心のみだれ侍
るほどをいま/\しくてなんと聞え(女二へ)給ひて。つ
きせずはかなくいみじき世をなげき給ふ。有し
さまかたちいとあひぎやうつき。をかしかりしけ
はひなどのいみじく恋しくかなしければ。うつゝ
のよんはなどかくしもおもひいれず。のどかにてす
ごしけんとたゞいまはさらに思ひしづめんかた
なきまゝに。くやしきことのかずしらず。かゝるこ
とのすぢにつけて。いみじく物思べきすくせな
りけり。さまことな心ざしたりしみの。おもひの
14
ほかにかく。れいの人にてながらふるを。仏もにくし
とみ給ふはうべんは。慈悲をもかくしてかやうにこそ
はあなれと思ひつゞけ給ひつゝ。おこなひをのみし
給。かのみや(匂)はたまして二三日は物もおぼえ給
はず。うつし心もなきさまにて。いかなる御物の
けならんなどさはぐに。やう/\涙つくし給ひてお
ぼししづまるにしもぞ。有しさまはこひしくい
みじく思ひいでられける。人にはたゞ御病のおも
きさまにのみみせて。かくすゞをなるいやめのけし
きしらせじとかしこくもてかくすとおぼしけれ
ど。をのづからいとしかかりければ。いかなることにかく
おぼしまどひ御命もあやうきまでしづみた
まふらんといふ人もありければ。かのとの(薫)にもいと
よくこの(匂の)御けしきを聞給ふに。さればよ。なを
よその文かよはしのみにはあらぬなりけり。見給
ひてはかならずさおぼしぬべかりし人ぞかし。なが
らへましかばたゞなるよりは。わが(薫)ためにおこな
ることもいできなしとおぼすになん。こがるゞ
むねのすこしさむる心ちし給ひける。宮の御
とふらひに日々に参り給はぬ人なく。よのさは
ぎとなれるころ。こと/\しききはならぬ思ひ
15
にこもりいて。まいらざらんもひがみたるべしと
おぼしえ参り給。式部卿宮と聞ゆるもうせ給に
ければ。御をぢのぶくにてうすにびなるも心のう
ちのあはれに(浮舟を)思ひよそへられて。つき/\゛しくみゆ。
(薫は)すこしおもやせていとゞなまめかしきことまさ
りて。人々まかでゞしめやかなるゆふぐれなり。宮
ふししづみてのみあらぬ心ちなれば。うとき人に
こそあひ給はね。みすのうちにもれい入給ふひとには
たいめし給はずもあらず。見え給はんもあいなく
つゝましく。み給ふにも。いとゞなみだのまづせき
かたさをおぼせど。いひしづめておどろ/\しき
心ちにも侍らぬを。みな人はつゝしむべきやまひ
のさまなりとのみものすれば。うちにもみやにも
おぼしさはぐはいとくるしく。げに世のなかの
つねなきをもこゝろぼそく思ひ給ふるとて。を
しのごひまざらはし給ふとおぼす。涙のやがて
とゞこほらずふりおつれば。いとはしたなけれど
かならずしもいかでか心えん。たゞめゝしく心よ
はきとやみゆらんとおぼすも。いとはづかし。さり
やたゞ此事をもにおぼすなりけり。いつよりな
りけん。われをいかにおかしと物わらひし給心ち
に。月頃おぼしわたりつらんと思ふに。此君はかな
16
しさは忘れ給へるを。こよなくもをろかなるかな。
物のせちにおぼゆる時はいとかゝらぬことにつけて
だに空とぶ鳥のなきわたるにつけてだに。もよ
ほされてこそかなしけれ。わがかうすゞろに心よ
はきにつけても。もし心をえたらんにさいふばかり
ものゝ哀をしらぬ人にもあらず。よのつねなき事
をしみて思へる人しもつれなきとうらやまし
くも心にくゝもおぼさるゝ物から。まきばしらはあ
はれなり。これにむかひたらんさまもおぼしやる
にかたみぞかしとうちまもり給ふ。やう/\よの
物語聞え給ふに。いとこめてしもはあらじとお
ぼして。むかしより心にしばしもこめてきこえさ
せぬこと。のこし侍るかぎりはいといぶせくのみ思ひ
給へられしを。今はなか/\家らうになりにて侍
まして御いとまなき御ありさまにて。心のどか
におはしますおりも侍らねば。ともいなどにその
事となくてはえさふらはず。そこはかとなくて
すぐし侍るをなん。むかし御らんぜし山ざとに。は
かなくてうせ侍りにし人のおなじゆかりなる人
おぼえぬところに侍りときゝて。とき/\゛さてみ(見)
つべくやと思ひ給へしに。あいなく人のそし
りも侍りぬべかりしおりなりしかば。このあや
17
しき所にをきて侍しを。おさ/\まかりて
見る事もなく。又かれもなにがしひとりをあひ
たのむ事も。ことになくてやありけんとは見給
つれど。やんごとなく物々しきすぢにおもひ
給へばこそはあらめ。みるにはた。(浮舟が)ことなるとがも侍らず。
などして。心やすくらうたしとおもひ給へつる
人の。いとはかなくてなくなり侍にける。なべて
よのありさまを思ふ給へつゞけ侍にもかなしく
なん。きこしめすやうも侍らんかしとて。いまぞ(薫は)な
き給ふ。これもいとかうはみえ奉らじ。おこなりと
思ひつれど。こぼれそめてはいととめがたし。(薫の)けし
きのいさゝかみだりがほなるを。あやしくいとお
しと(匂が)おぼせど。つれなくていとあはれなること
にこそ。きのふほのかにきゝ侍りき。いかにともき
こゆべく思ふ給へながら。わざと人にきかせ給はぬ
ことゝきゝ侍りしかばなんとつれなくの給へど。(匂が)いと
たへがたければ。こと(言)ずくなにておはしまs.さるか
たにても御覧ぜさせばやと思ひ給へし人に
なん。をのづからさもや侍りけん。宮にも参りかよ
ふべきゆへ侍りしかばなど。すこしづゝけしきば
みて。御心ちれいならぬほどは。すゞろなる世の
こときこしめしいれ。御みゝおどろくもあいなき
18
わざになん。よくつゝしませ給べくなど聞えを
きて出給ぬ。いみじくもおぼしたりつるかな。いと
はかなかりけれど。さすがにたかき人のすくせな
りけり。さうじのみかど后のさばかりかしづきた
てまつり給ふみこ。かほかたちよりはじめてたゞ
いまの世には。たぐひおはせざめりと見給ふ。人とても
なのめならずさま/\につけて。恨なき人をゝき
て。これに御心をつくし。よの人たちさはぎて。ず
法ど経。まつり。はらへとみち/\にさはぐは。此人を
おぼすゆかりの御心ちのあやまりにこそはあり
けれ。われもかばかりの身にて。時のみかどの御むすめ
をもち奉りながら。このひとのらうたくおぼゆるか
た(方)はおと(劣)りやはしつる。まして今いとおぼゆるには
心をのどめん方なくも有かな。さるはおこなりかゝ
らじと思ひ忍ぶれど。さま/\゛に思ひみだれて。人
木石ににあらざればみな情有とうちずん(誦)じて
ふし給へり。後のしたゝめなどもいとはかなくして
けるを。みやにもいかゞ聞給はんといとおしく。あえ
なく。はゝのなを/\しくてはらから有はなど
さやうの人はいふ事あるなるを思ひて。ことそぐ
なりけんかしなど爰るづきなくおぼす。おぼさる
なさもかぎりなきを。ありけんさまもみづから
19
きかまほしとおぼせど。なかこもりし給はんも
びんなし。いきといきて立かへらんも心ぐるし
などおぼしわづらふ。月たちてけふぞわたらま
しと思ひいで給日のゆふぐれ。いと物あはれ
なり。おまへちかきたちばなのかのなつかしきに。
郭公(ほととぎす)のふたこえばかりなきてわたる。やどに
かよはゞとひとりごち給もあかねば。きたの宮
にこゝにわたり給ふ日なりければ。たちばなを
おらせて聞え給ふ
(薫)忍びねや君もなくらんかひもなきしでのた
おさ(死出の田長=時鳥の異名)に心かよはゞ 宮は女ぎみ(中の君)の御さまのいとよ
くにたるを哀におぼして。ふた所ながめ給ふ
おりなりけり。けしきあるふみかなとみ給て
(匂宮)たちばなのかほるあたりはほとゝぎす心して
こそなくべかりけれ わづらはしくとかき給。女君
このことのけしきはみなみしり給てげり。あは
れに浅ましきはかなさのさま/\゛につけて。
心ふかき中にわれひとり物思ひしらねば。いまゝI
でながらふるや。それもいつまでと心ぼそくお
ぼす。宮もかくれなき物からへだて給へるもいと
心ぐるしければ。ありしさまなどすこしは
とりなをしつゝかたり聞え給ふ。かくし給
20
ひしがつらかりしなどなきみわらひ見聞え
給ふにも。こと人よりはむつましくあはれなり。
こと/\しくうるはしくて。れいならぬ御ことのさ
まもおどろきまどひ給所にては御とふらひの
人しげく。ちゝおとゞ(夕霧)せうと(兄)の君だち(公達)ひまな
きもいとうるさきに。こゝはいと心やすくてなつ
かしくぞおぼされける。いと夢のやうにのみ
なをいかでいとにはかなりけることにかはと
のみいぶせければ。れいの人々めして右近を
むかへにつかはす。はゝぎみもさらにこの水の音
けはひをきくに。われもまろびいりぬべくかな
しく心うきことのとまるべくもあらねば。いとわ
びしうて(京へ)かへり給ひにけり。念仏の僧どもを
たのもしきものにて。いとかすかなるにいりきた
ればこと/\しく俄にたちめぐりし。とのい
人どもゝみとがめず。あやにくにかぎりのたびしも
いれ奉らずなりにしよと思ひいづるもいとおし。
(匂が)さるまじきことをおぼしこがるゝことゝ。見ぐる
しくみたてまつれど。こゝにきては。おはしなしく
夜な/\のありさま。いだかれたてまつり給ひて。
舟にのり給ひしけはひのあてにうつくしかり
し事などをおもひいづるに。心づよき人なくあは
21
れなり。右近あひていみじくなくことはり
なり。かくのたまはせて御つかひになん参ると
いへば。いまさらに人もあやしといひおもはんもつゝ
ましく。参りてもはか/\゛しくきこしめしあ
きらむばかりものきこえさすべきこゝりもし侍
らず。この御いみはてゝあからさまに物になど
人にいひなさんもすこしにつかはしかりぬべき
ほどになしてこそ。心よりほのかの命侍らばい
さゝか思ひしづまらんおりになんおぼせ事な
くともまいりて。げにいとゆめのやうなりしこ
とゞもゝかたり聞えさせ侍らまほしきといひ
て。けふはうごくべくもあらず。大夫もなきてさらに
この御なかの事こまかにしり聞えさせ侍ら
ず。物の心もしり侍らずながら。たぐひなき御
心ざしをみたてまつり侍りしかば。君だちをも
なにかはいそぎてしも聞えうけ給はらん。ついに
はつかふまつるべきあたりにこそと思ひ給へ
しを。いふかひなうかなしき御事のゝちは。わた
くしの御心ざしも中々ふかさまさりてなん
とかたらひ。わざと御車などおぼしめぐらして
奉れ給へるを。むなしくてはいと/\おしくなん。
いま一所にても参り給へといへば。侍従の君よび
22
出てさは参り給へといへば。ましてなに事を
か聞えさせん。さてもなをこの御いみのほどには
いかでかい(忌)ませたまはぬかといへば。なあやませ給ふ
御ひゞきに。さま/\の御つゝしみどもは侍めれ
ど。いみあへさせ給ふまじき御けしきになん。又
かくふかき御契りにてはこもらせ給てもこそは
おはしまさめ。残りの日いくばくならず猶ひと所
参り給へとせむれば。侍従ぞ有し御さまもい
と恋しく思ひ聞ゆるに。いかならん世にかはみた
てまつらん。かゝるおりにと思ひなして参りけ
る。くろきゝぬどもきてひきつくろひたるかた
ちもいときよげなり。も(裳)はたゞいまわれより
かみなる人(主人)もなかりければ。うちたゆみて色も
かへざりければ。うすいろなるをもたせまいる。お
はせましかば。このみちにぞ忍びていで給はま
し。人しれず心よせ聞みしものをなど思ふに
もあはれなり。道すがらなく/\なんき(来)ける。宮
は此人(侍従)まいれりときこしめすもあはれなり。女君
にはあまりうたてああれば聞え給はず。しん殿に
おはしましてわたどのに(車を)おろさせ給へり。(浮舟の)あり
けんさまなどくはしくとはせ給ふに。日頃おぼ
しなげきしさま。その夜なき給しさま。あや
23
しきまでことずくなにおほ/\と(ぼんやり)のみ物し
給ひて。いみじとおぼす事をも。人にうちいでた
まふ事はかたく。物つゝみをのみし(自分の胸ひとつに納め)給ひしけにや。
の給をくことも侍らず。夢にもかく心づよきさ
まにおぼしかくらんとは思ひ給へずなん侍りし
などくはしく聞ゆれば。ましていといみじくさ
るべきにて。ともかくもあらましよりもいかば
かり物を思ひたちてさる水におぼれけんと
おぼしやるに。これをみつけてをきとめたらま
しかばと。わきかへる心ちし給へどかひなし。御
ふみをやきうしなひ給ひしなどに。などてめ
をたて侍らさりけんなど。よ一夜かたらひ給ふ
に聞えあかず。かの巻数にかきつけ給へりし
はゝ君のかへりことなどを聞ゆ。 なにばかりの物
とも御覧せざりし人もむつましく哀におぼさ
るれば。わがもとにあれかし。あなたももては
なるべくやはとの給へば。さて候(さぶら)はんにつけても物
のみかなしからんを思ひ給ふれば。今この御はてな
どすぐしてと聞ゆ。又もまいれなどこの人をさへ
あかずおぼす。あかつきかへるに。かの御れう(料)にとて。
まうけさせ給ける。くし(櫛)のはこ(筥)ひとよろひ(一具)。衣
ばこひとよろひをくり(贈)物にせさせ給ふ。さま/\゛
24
にせさせ給へりける事はおほかりけれど。おどろ/\
しかりぬべければ。たゞこの人におほせたるほどな
りけり。なに心もなく参りてかゝる事どもの
あるを。人々はいかゞみん。すゞろにむつかしきわざ
かなと思ひわぶれど。いかゞは聞えかへさん。右近と
ふたり忍びてみつゝ。つれ/\゛なるまゝにこまか
にいまめかしくしあつめたることゞもをみても
いみじくなく。さうぞくもいとうるはしくしあ
つめたる物どもなれば。かゝる御ぶくにこれをいかで
かくさんなどもてわづらひける。大将殿もなをい
とおぼつかなきにおぼしあまりておはしたり。
みちのほとりよりむかしの事どもかきあつめつゝ。
いかなる契にかこの父みこ(親王=八の宮)の御もとにきそめけん。
かく思ひかけぬはてまて思ひあつかひ。このゆか
りにつけては物をのみ思ふに。いとたうとくおは
せじあたりに仏をしるべにて。のちの世をの
み。ちぎりしに。心きたなきすえのたがひめに
思ひしらするなめりとぞおぼゆる。右近をめし
出て。有けんさまもはか/\しくきかず。猶つき
せずあさましくはかなければ。いみ(忌)のゝこりも
すくなく成ぬ。すぐしてと思つれど。しづめあ
へず物しつるなり。いかなる心ちにてかは。には
25
かにはかなくなり給にしととひたまふに。尼
君などもけしきばみてければ。ついにきゝあ
はせ給はんを中々かくしても事たがひて(食い違って)
聞えんにそこはなれぬべし(具合が悪いだろう)。あやしきことの
すぢにこそ空事も思ひめぐらしつゝならひし
が。かく(薫が)まめやかなる御けしきにさしむかひき
こえては。かねてといはんかくいはんとまうけし
ことばもわすれ。わづらはしく覚ければ。有し
様の事どもを聞えつ。 浅ましくおぼしかけ
ぬすぢなるに。物もとばかり(薫が)の給はずさらにあ
らじとおぼゆるかな。なべての人の思ひいふ事
をもこよなくことずくなにおほとかなりし人は。
いかでさるおどろ/\しき事は思ひたつべきぞ。
いかなるさまに此人々もてなしていふにかあ
らんと御心もみだれまさり給へど。宮もおもほし
なげきたるけしきいとしるし。こゝの有さま
もしかつれなし。つくりたらんけはひはをのづ
からみえぬべきを。かくおはしましたるにつけて
もかなしくいみじき事を。かみしもの人つど
ひてなきさはぐをきゝ給へば。御ともにぐし
てうせたる人やある。なをありけんことをた
しかにいへ。われををろかなるなりと思ひてそむ
26
き給ふ事はよもあらじとなん思ふ。いかやうな
るたちまちにいひしらう事有てかさるわざは
し給はん。われなんえしんずまじきとの給へば。
いと/\おしくさればよとわづらはしくて。を
のづからきこしめしけん。もとよちおぼすさま
ならで。おひで給へりし人のよはなれたる御
すまひの後は。いつとなくものをのみおぼすめ
りしかど。玉さかにも(薫の)かくわたりおはしますを
まち聞えさせ給ふに。もとよりの御身のな
げきをさへなぐさめ給ひつゝ。心のどかなるさま
にて。時々もみ奉らせ給ふべきやうにいつし
かとのみことに出てはの給はねどおぼしわたる
めりしを。そのほいかなふべきさまにうけ給はる
事どもゝ侍りしに。かくてさふらふ人どもゝう
れしきことに思ひ給へいそぎ。かのつくは(筑波)山(母上)もから
うして心ゆきたるけしきにて(京に)わたらせ給はん
事をいとなみ思ひ給へしに。心得ぬさまの御せう
そこ(消息=文)侍りけるに。このとのいなどつかうまつる物
どもも。女房らうがはしかなりなどいましめ
おほせらるゝIことなど申て。物の心みずあら/\
しきい中人どものあやしきさまに(薫へ)とりな
し聞ゆることゞも侍りしを。そのゝちひさし
27
く御せうそこなども侍らざりしに。心うき身
なりとのみいはけなかりしほどより思ひし
るを。ひとかずにいかでみなさんとのみよろづに
あつかひ給ふ。はゝ君のなか/\なることの人わ
らはれになりはてば。いかに思ひばへかんなど
おもむけてなんつねになげき給し。そのすぢ
よりほかに何事をかはと思ひ給へよるにた
え侍らずなん。おになどのかくし聞こゆともいさゝ
かのこる所も侍るなる物をとてなくさまもいみ
じければ。(薫は)いかなる事にかとまぎれつる御心
もうせてせきあへ給はず。われは心に身をも
わ(ま)かせず。けせう(顕証)なるさまにもてなされたる
さまなれば。おぼつかなしと思ふおりも。今ち
かくて人の心をくまじくめやすきさまにも
てなして。行すえながくをと思ひのとめつゝ。す
ぐしつるを。をろかに見なし給ひけんこそ中々
わ(分)くる方もありけれとおぼゆれ。今はかくだにいは
じと思へど。又人のきかばこそあらめ。宮の御事
よいつよりありそめけん。さやうなるにつけてや。
いとかたはに人の心をまどはし給宮なれば。
つねにあひ見奉らぬなげきに身をもうしな
ひ給へるとなん思ふ。なをい(言)へ。われにはさらにな
28
かくしそとの給へば。たしかにこそは聞給てけ
れといと/\おしくて。いと心うき事をきにし
めしけるにこそは侍るなれ。右近もさぶらはぬ
おりは侍らぬ物をとながめやすらひて。をのづか
らきこしめしけん。この宮のうへの御かたにし
のびてわたらせ給ふへりしを。あさましく思ひか
けぬほどに(匂が)いりおはしたりしかど。いみじき事
をきこえさせ給て出させ給にき。それにおち
給ひてかのあやしく侍し所へはわたらせ給へり
しなり。そののちをとにも聞えしとおぼして
やみにしを。いかでかきかせ給ひけん。たゞこの二
月ばかりより音づれ聞えさせ給し。(匂よりの)御文はいと
たび/\侍めりしかど。御覧じいるゝ事も侍
らざりき。いとかたじけなくなか/\うたてある
やうになんなどぞ右近などきこえさせし
かば。一たびふたゝびや聞えさす。かうぞいはん
かし。しいてとはんもいとおしくて。つく/\とう
ちながめつゝ。宮をめづらしく哀と(浮舟の母が)思ひ聞えて
も。わがかたをさすがにをろかには思はざりける程
に。いとあきらむるところなく。はかなげなり
しこゝろにて。この水のちかきをたよりにて
29
かくおもひよるなりけんかし。わがこゝにさし
はなちすへざらましかば。いみじくうき世に
ふるも。いかでかかんらずふかき谷をももとめいで
ましと。いみじくうき木のちぎりかなと。この
かはのうとましくおぼさるゝこといとふかし。
年ごろあはれと思ひそめてしかたにて。(薫は)あら(荒)
きやまぢをゆきかへりしも。今は又心うくてこ
のさとの名をだにえきくまじき心ちした
まふ。 みやのうへのの給ひはじめし人かた(人形)とつけ
そめたりしさへゆゝしくて。たゞわがやまち
にうしなひつる人なりと思ひもてゆくには。
はゝのなをかろびたるほどにて。のちのうし
ろみもいとあやしくことぞぎてしなしけるな
めりと心ゆかず思ひつるをくはしくきゝ給
になん。いかに思ふらん。さばかりの人のこにては
めでたかりし人を。しのびたることはかならずしも
(母は)えしらで。わがゆかりにいかなることのありける
ならんかしなどぞ思ふらんなど。よろづにいと
おしくおぼす。けが(穢)らひろいふ事はあるまじ
けれど。御ともの人めあれば。のほりたまはで。
御車のしぢ(榻)をめしてつまどのまへにぞい
給へりけるも見ぐるしければ。いとしげきこ(木)のし
30
たに苔をおましにて。(薫は)とばりい給へり。今は
こゝをきてみん事も心うかるべしとのみ見めぐ
らし給ひて
(薫)われも又うきふるさとをかれはてばたれやど
りきのかげを忍ばんあざりいまは律師なり
けり。めしてこの法事のこと。をきてさせ給ふ。念
仏の僧のかずそへなどをさせ給ふ。つみいとふか(深)ゝむ
なるわざとおぼせば。かろむべきことをぞすべき
と。七日/\に経仏くやうすべきよしなどこま
かにの給ひて。いとくらうなりぬるにかへりた
まふも。(浮舟母が)あらましかばこよひかへらましやはと
のみなん尼君にせうそこをさせ給へれば。いとも/\
ゆゝしき身をのみ思ふ給へしづみて。いとゞ物も
覚給へられずほれはべりてなん。うつぶして/\て
侍ると聞えていでこねば。しいてもたちより給は
ず道すがらとくむかへとり給はずなりにける事。
くやしく水のをとの聞ゆるかぎりは。心のみさ
はぎ給ひて。から(骸)をだにたづね給はずなりにけ
る事。あさましくもやみぬるかな。いかなるさ
まにていづれのそこの。うつせにまじりけん
などやるかたなくおぼす。 かのはゝ君は京に子う
むべきむすめのことによりつゝしみさはげば(忌中なので)。れい
31
の家にもえいかず。すゞろなるたびい(旅居)のみして
思ひなぐさむおりもなきに。またこれもいかな
らんとおもへど。たいらかにうみてげり。ゆゝしけ
ればえよらず。のこりの人々のうへもおほえず
ほれまどひてすぐすに。大将殿より御つかひし
のびてあり。(母の)ものおぼえぬこゝちにもいとうれし
くあはれなり。あさましきことはまづ聞えん
と思給へしを。心もとどまらず。めもくらき心ちし
て。まいていかなるやみにかまどはれ給らんと。
そのほどをすぐしつるに。はかなくて日頃もへに
ける事をなん。世のつね(常)なさもいとゞ思ひのど
めん方なくのみ侍るを。思ひのほかにおmなが
らへば。すぎにし名残とはかならずさるべきことに
もたづね給へなどこまかにかき給て。御つかひに
は。かの大くらの大輔をぞ給へりかる。心のどかに
よろづを思ひつゝ年ごろにさへなりにける程。
かならずしも心ざしあるやうには見給はざりけん。
されど今より後なに事につけてもかならず
(母を)忘聞えじ。又さやうにを人しれず思をき給へ。お
さなき人どもゝあなるを。おほやけにつかうまつ
らんにも。かならずうしろみ思ふべくなんなど言
葉にもの給へり。いたくしもいむまじきけが
32
らひなれば。ふかうもふれ侍らずなどいひなしsて。
せめてよびすへたり。御かへりなく/\かくいみじ
きことにしなれはべらぬ命を。心うく思給へなげき
侍るに。かゝるおほせごと見給べかりけるにやとなん。
としごろは心ぼそきありさまを見給へながら。
それはかずならぬ身のをこたりに思給へなしつゝ。
かたじけなき御一ことを。ゆくすえながくたのみ
きこえさせ侍しに。かひなく見給へはてゝは。
さとのちぎりもいとこゝろうくかなしくなん。様々
にうれしき(薫の)おほせごとにいのちのび侍て。今
しばしながらへ侍らば。なをたのみ聞えさせ侍べ
きにこそと思給ふるにつけても。めのまへのな
みだにくれ侍て。え聞えさせやらずなんなどか
きたり。御つかひになべてのろくなどは見ぐるし
きほどなり。あかぬ心ちもすべければ。かの君に
奉らんと心ざしてもたりける。よきはむさい(班犀:はんさい)の
おび。たち(太刀)のおかしきなどふくろにいれて。くる
まにのるほど。これはむかしの人(浮舟)の御心ざしなり
とてをくらせてげり。殿(薫)に御覧ぜさせれば。い
とすゞろ(すぞろ)なるわざかなとの給。ことばにはみづか
らあひ侍りたうびて。いみじくなく/\よろづ
の事のたうびて。おさなき物どものことまで
33
仰られたるがいともかしこきに。まだ数ならぬ程
はなか/\いとはづかしうなん。人に何ゆへなど
はしらせ侍らで。あやしきさまどもをみなまい
らせ侍りてさふらはせんとなんものし侍りつる
を聞ゆ。げにことなる事なきゆかりむつびにぞ
あるべけれど。みかどにもさばかりの人のむすめ
たてまつらずやはある。それにさるべきにてとき
めかしおぼさんをば。人のそしるべきことかは
たゞ人はたあやしきをんな世にふりにたるな
どをもちいるたぐひおほかり。かのかみ(常陸守)のむす
めなりけりと人のいひなさんにも。わがもてなし
の。それにけがるべく有そめたらばこそはあらめ。
ひとりのこをいたづらになして思ふらんおやの
心になを。このゆかりこそおもたゞしかりけれ
とおもひしるばかり。よういはかならずみすべき
事とおぼす。かしこにはひたちのかみた(立)ちながら
きて。おりしもかくてい給へる事なおはら
たつ。年ごろいづくになんおはするなどありの
まゝにもしらぜざりければ。はかなきさま(浮舟が)にてお
はしますらんと思ひいひけるを。京になどむかへ
給ひてんのち。めいぼくありてなどしらせんと
思ひけるほどに。かゝればいまはかく(隠)さむもあいな
34
くてありしさまなく/\かたる。大将殿の御文
もとり出て見すれば。よき人かしこくしてひ
なび。物めでするひとにておどろき。おくして
うちかへし打返しいとめでたき大さいはひをす
てゝうせ給にける人かな。をのれも殿人(とのいびと)にて(薫に)ま
いりつかうまつれども。ちかくめしつかひ給ふ
こともなく。いとけたかくおはするとのなり。わか
さ物どものことおほせられたるは。たのもしき
ことになんなどよろこぶをみるにも。ましてお
はせましかばと思ふにふしまろびてなかる。か
みも今なん打なきける。さるはおはせし世に中々
かゝるたぐひの人しもたづね給ふべきにしも
あらずかし。わがあやまちにてうしまひつる
もいとおし。なぐさめんとおぼすよりなん。人の
そしりねんごろにたづねじとおぼしける。 四
十九日のわざなどをさせ給ふにも。いかなりけん
ことにかとおぼせば。とてもかくてもつみう(罪得)まじ
きことなれば。いと忍びてかの律師の寺にて
なんせさせ給ひける。六十僧のづせなどおほき
にをきてられたり。はゝ君もき(来)いて事ども(供養の品々)そ
へたり。宮よりは右近がもとにしろかねのつぼに
こがね(黄金)いれて給へり。(匂は)人見とがむばかりおほきなる
35
わざはえし給はず。右近が心ざしにてしたりけ
れば。心しらぬ人はいかでかくなどいひける。殿の人ど
もむつましきかぎりあまた給へり。あやしく
をともせざりつるひとのはてをかくあつかはせ
給。たれならんといまおどろく人の見おほかるに
常陸のかみきて。心もなくあるじ(主人)がりを(居)るなん
あやしと人々見ける。少将のこ(子)うませていか
めしきことをさせんとまどひ。いへのうちにな
もしつべきに。かぎりあればいとあやしかりけり
この御ほうじの(薫が)しのびたるやうにおぼしたれど
けわひこよなきをみるに。いきたらましかば我
身にならぶべくもあらぬ人の御すくせなりけり
と思ふ。宮のうへも誦経し給ひ。七僧のまへの事
もせさせ給ひけり。今なんかゝる人(薫)も(持)たまひけりと
みかどまできこしめして。をろかにもあらざりけ
る人を。宮にかしこまり聞えて。かくしをき給へり
けるをいとおしとおぼしける。ふたりの人の御心
のうち。ふり(古)ずかなし。宮はあやにくなりし御お
もひのさかりにかき絶てはいといみじけれど。あ
だなる御心はなぐさむやなど心見たまふ事も
やう/\sりけり。かのとの(薫)はかくとりもちてな
36
にやかやとおぼしてのこりの人をはぐゝませ給
ても。なをいふかひなきことを忘れがたくおぼす。
后のみや(明石中宮)の御きやう(軽)服のほどは。なをかくてお
はしますに。二の宮なん式部卿になり給にける。
おも/\しくてつねにしも参りたまはず。この
宮はさう/\゛しく物あはれなるまゝに。一品の宮
の御かたをなぐさめどころにし給ふ。よき人の
かたちをも。えまほに見給はぬおほかり。大将殿の
からうしていとしのびてかたらひ給ふ。こ宰相の
きみといふ人のかたちなどもきよげなり。心ば
せあるかたの人とおぼされたり。おなじことを
かきならすつまをと。ばちのをとも人にはまさ
り。ふみをかきものうちいひたるもよしある
ふしをなんそへたりける。このみやもとしころいと
いたき物にし給て。れいのいひやぶり給へど。な
どかさしもめづらしげなくはあらんと爰るつよく
ねたきさまなるを。まめ人はすこしひとよりは
ことなりとおぼすになんありける。かく物おぼし
たるさまもみしりければ。しのびあまりて聞え
たり
(小宰相)あはれしる心は人にをくれねどかずならぬ身
にきえつゝぞふ(経)る かへたらはとゆへあるかみにかき
37
たり。物あはれなるゆふぐれしめやかなる程を。い
とよくをしはかりていひたるもにくからず
(薫)つねなしとこゝら世をふるうきみ(憂き身)だにひとの
しるまでなげきやはする このよろこび哀なり
しおりからも。いとゞなんなどいひにたちより
給へり。いとはづかしげに物/\しげにて。なべて
かやうになどもならし給はぬ。人からもやんごと
なきに。いとものはかなきすまいなりかし。
つぼねなどいひてせば(狭)くほどなきやり(遣)戸ぐち
によりい給へる。かたはらいたくおぼゆれど。さ
すがにあまりひげ(卑下)してもあらで。いとよき程
に物などもきこゆ。みし人よりもこれは心にくき
けそ(添)ひても有かななどてかくいでたちけん。
さる物にてわれもをいたらまし物をとおぼす。人
しれぬすぢはかけても見せ給はず。はちす(蓮)の花。
のさかりに。御八かう(講)せらる。六条院の御ため。むら
さきのうへなどみなおぼしわけつゝ。御経ほとけな
どくやうせさせ給て。いかめしくたうとくなん有
ける。五巻の火などはいみじき見物なりければ。こ
なたかなた女房につきつゝ参りて物みる人お
ほかりけり。五日といふあさゞ(朝座)にはてゝ。みだうの
かざりとりさげ。御しつらひあらたむるに。北のひ
38
さしもさうじともはなちたりしかば。みない
りたちてつくろふほど。にしのわた殿に姫宮お
はしましけり。物きゝこうじて女房もをの/\
つぼねに有つゝ。おまへはいと人ずくなゝるゆふ暮
に。大将殿なをしきかへて。けふまかづる僧のなか
にかならずの給ふべきことあるにより。つりどのゝ
かたにおはしたるに。皆まかでぬれば池のかたに
(一品の宮が)すゞみ給て。人ずくなゝるに。かくいふ宰相の君な
どかりそめに几帳などばかりたてゝ打やすむ
うへつぼねにしたり。こゝにやあらん人のきぬ
のをと(音)す。とおぼして。めたう(馬道)のかたのさうじ(障子)のほそ
くあきたるよりやをら見給へば。れいさやの人
のいたるけはひには似ずはれ/\しくしつら
ひたれば。なか/\几帳どもの。たてちがへたるあ
はひよりみとをされてあらはなり。ひ(氷)をものゝ
ふたにをきてわるとて。さはぐ人々おと
な三人ばかりわらはといたり。からきぬ(唐衣)ども。かざ
み(汗袗)もき(着)ず。みなうちとけたれば。おまへとは見給
はぬに。しろきうす物の御そできたまへる人のて
に。ひをもちながらかくあらそふを。すこしえみ
給へる御かほいはんかたなくうつくしげなり。いと
あつさのたへがたき日なれば。こちたき(たっぷりとした)御ぐしのく
39
るしくおほさるゝにやあらん。すこしこなたに
なびかしてひかれたるほどたとへん物なし。こゝ
らよき人をみあつむれどにるべくもあらざりけ
りとおぼゆ。おまへなる人はまことにつらなどの
心ちぞするを。思ひしづめて見れば。き(黄)なるすゝ
し(生絹)のひとへ。うす色なる裳きたるひとの。あふぎ
うちつかひたるなど。よういあらんやとふとみえて。
なか/\物あつかひにいとくるしげなり。たゞさな
がら見給へかしとてわらひたるまみ。あいぎやう
づきたり。こえきくにぞこの心ざしの人とはしり
ぬる。心づよくわ(割)りて手ごとにも(持)たり。かしらに
うちをき。むねにさしあてなどさまあしくす
る人もあるべし。こと人はかみにつゝみて。おまへ(宮)にも
かくてまいらせたれど。いとうつくしき御手をさし
やり給ひて。(雫を)のごはせ給。いなもたらじ(否持たない)しづくむちか
し。との給ふ御こえいとほのあにきくも。かぎり
なくうれし。まだいとちいさくおはしましゝ程に。
我(薫)も物の志もしらで見奉りし時。めでたのち
ごの御さまやと見奉りし。其のち経てこの御け
はひをだにきかざりつる物を。いかなる神仏の
かゝるおりみせ給へるならん。れいのやすからず物
おもはせんとするにやあらんと。かつはしづ志なく
40
てまもり立たる程に。こなたのたいの北おもてに
すみける下らう女房の。このさうじ(障子)は。とみ(急ぎ)の
事にてあけながらおりにけるを思ひいでゝ。人
もこそ見つけてさはがるれと思ひければ。まどひい
る。この(薫の)なをしすがたをみつくるにたれならんと
志さはぎて。をのがさま見えんこともしらず。す
のこよりたゞきにくれば。ふと(薫が)たちさりてたれ
ともみえじ。すき/\゛しきやうなりとおもひて
かくれ給ひぬ。このをもとはいみじきわざかな御
几帳をさへあらはにひきなしてけるよ。右の大殿(夕霧)
の君だちならん。うとき人。はた。こゝまでく(来)べきに
もあらず。物の聞えあらば。たれがさうじあけたり
しとかならず出きなん。ひとへ(単衣)もはかまもすゞし(生絹)
なめりと。みえつる人の御すがたなれば。人もえ聞
つけ給はぬならんかしと思ひこう(極)じており。かの
人はやう/\ひじりになりし心を。ひとふしたかげ
そめて。さま/\゛なる物思ふ人ともなるかな。そのかみ
世をそむきなましかば。今はふかき山にすみはてゝ。
かく心みだらましやはとおぼしつゞくるも。やす
からず。などてとしごおろ見奉らばやと思ひつらん。
なか/\くるしくかひなかるべきわざにこそとお
もひ。つとめて出き給へる。女宮の御かたちいとおかし
41
げなめるは。これよりかならずまさるべき事かは
とみえながら。さらに似給はずこそりけれ。あさ
ましきまでかほり。えもいはざりし御さまか
な。かたへは思ひなしか。おり(折)からか。とおぼして。いと
あつしや是よりうすき御ぞ奉れ。女はれいなら
ぬ物きたるこそとき/\゛につけておかしけれと
て。あなたに参りて大貳にうすものゝひとへの
御ぞぬひてまいれといへとの給ふ。おまへなる人は
この御かたちのいいじきさかりにおはします
をもてはやし聞え給ふとおかしく思へり。
れいの念誦し給わが御方におはしましなど
して。ひるつかたわたり給へれば。の給へる御ぞ
み几帳にうちかけたり。なぞこはたてまつらぬ
人おほくみるおりなんすきたる物きたるはう
ぞくにおぼゆる。たゝ今はあえなんとて(薫が)手づから
きせ奉り給ふ。御はかまもきのふのおなじ。く
れなひ也。居ふしのおほさ。すぞなどはをとり
給はねど。なをさま/\なるにや。んるべくもあらず。
ひめして人々にわたらせ給ふ。とりてひとつたて
まつりなどし給ふ。心のうちもおかし。絵にかき
てこひしき人。みる人なくやは有ける。ましてこ
れはなぐさめんににくからぬ御程ぞかしと思へ
42
ど。きのふかうやうにてわれまじりい。心にま
かせて見奉らましかばとおぼゆるに。心にも
あらずうちなげかれぬ。一品の宮に御ふみは奉り
給ふやと聞え給へば。うちにありし時。うへの
さの給ひしかば聞えしかどひさしくさもあ
らずとの給ふ。たゞ人にならせ給にたりとて。かれ
よりも聞えさせ給はぬにこそは心うかなれ。と大
宮の御まへにてうらみ聞えさせ給ふと。けい(啓)せん
との給ふ。いかゞうらみ聞えんうたてとの給へば。げ
すになりにたりとておぼしをとすなめりと
みれば。おどろかし聞えぬところは聞えめとのた
まふ。その日はくらして又んぼあしたにおほ宮に
参り給。れいの(匂)宮もおはしけり。丁子につかく
そめたるうすものゝひとへを。こまやかなるなをし
にき給へる。いとこのましげなり。女の御身なりの
めでたかりしにもおとらず。しろくきよらに
て。なをありしよりはおもやせ給へるいとみるかひ
あり。おぼえ給へりとみるにもまづ悲しきを。
いとあるまじき事としづむるぞ。たゞなりしよ
りはくるしき。絵をいとおほくもたせて参り給
へりける。女房してあなたにまいらせ給て。わ
れもわたらせ給ぬ。大将もちかくまいりより給て。
43
御八講のたうとく侍し事。いにしへの御ことうs
こし聞えつゝ。のこりたるえ見給ふついでに。
このさとに物し給ふみこ(皇女)の。雲の上はなれてお
もひくし給へるこそいとおしくみ給ふれ。姫宮
の御かたより御せうそこも侍らぬを。かく。しな(品)さ
だまり給へるにおぼしおすてさせ給へるやうにお
もひて。心ゆかぬけしきのみ侍るを。かうやうの物
とき/\゛物せさせ給はなん。なにがしかおろして
もてまからんはた。みるかひも侍らじかしとき
こえ給へば。あやしくなどてか捨て聞え給はん。内
にてはちかゝりしにつけて。時々聞えかよひ
給ふめしりを。所々になり給ひしおりに。とだ
えそめ給へるにこそあらめ。今そゝのかしきこえん。
それよりもなどかはと聞え給ふ。かれよりはい
かでかは。もとよりかずまへさせ給はざらんをも。かく
したしくてさふらふべきゆかりによせておぼし
かずまへさせたまはんこそうれしくは侍べけれ。
ましてさも聞えなれたまひにけんを。いますて
させ給はんはからきことに侍るときし給ふを。
すきばみたるけしきあるかとはおぼしかけざ
りけり。立出て一夜の心ざしの人にあはん。あり
しわたどのもなぐさめにみんかしとおぼして。
44
おまへをあゆみわたりて。にしざまにおはする
を。みすのうちの人々心ことによういすげに
いとさまよくかぎりなきもてなしにて。わたど
のゝかたはたのおほい殿のきみだちなどいて物いふ
けはひすれば。つま戸のまへに(薫が)い給ておほかたに
は参りながら。この御方のげざんにいることのか
たく侍れば。いとおぼえなくおきなびはてた
る心ちし侍るを。今よりはと思ひおこし侍り
てなん。ありつかずと。わかき人どもぞ思ふらんか
しとをひ(甥:夕霧の子)の君だちのかたを見たり給ふ。いま
よりならはせ給こそ。げにわかくならせ給ふな
らめなどはかなき事をいふ人々のけはひ
もあやしくみやびかにおかしき御かたのあり
さまにぞある。そのことゝなけれど世中の物がたり
などしつゝ。しめやかにれいよりはい給へり。姫
宮はあなたにわたらせ給ひにけり。大宮(中宮)大将(薫)のそ
なたにまいりつるかととひ給ふ。御ともに参り
たる大納言(女宮)の君。こ宰相の君に。物の給はんとに
こそジャベルめりつれと聞ゆれば。まめ人のさすがに人
に心とゞめて物語するこそ心ちをくれたらん人
はくるしけれ。心のほども見ゆらんかし。こ宰相な
どはいとうしろやすしとの給ふて。御はらから(中宮)
45
なれど此君(薫)をば猶はづかしく人もよういなくて
みえざらなんとおぼいたり。人よりは心よせた
まふて。つぼねなどにたちより給へし。物語こま
やかにし給ひて。夜ふけて(薫が)出などし給ふおり/\
も侍れど。例のめなれたるすぢには侍らぬにや。宮
をこそいとなさけなくおはしますと思ひて。御
いらへをだに聞えず侍めれ。かたじけなき事
といひてわらへば。宮(中宮)もわらはせ給ていと(匂が)見ぐるし
き御さまを思ひしるこそはおかしけれ。いかでかゝ
る御くせやめ奉らん。はづかしやこの人々もと
の給ふ。いとあやしき事をこそきゝ侍りしが。
この大将なくなし給てし人は。宮(匂)の御二條の北
方の御をとうとなりけり。ことはらなるべし。ひ
たちのさきのかみなにがしがめ(妻)は。をばともはゝ
ともいひ侍なるはいかなるにか。その女君(浮舟)に宮こそ
いと忍びておはしましけれ。大将殿やきゝうけ
給へりけん。俄に(京へ)むかへ給はんとてまもりめそへ
などこと/\しくし給ける程に。宮もいと忍びて
おはしましながらえいらせ給はず。あやしき
さまに御むまながらたらせ給ひつゝぞかへらせ給
ひける。女も宮を思ひきこえさせけるにや。には
かにきえうせにけるを。身なげたるなめりとて
46
こそめのとなどやうの人どもはなきまどひ侍り
けれと聞ゆ。宮もいとあさましとおぼして。た
れかさる事はいふとよ。いと/\おしく心うき事
かな。さばかりめづらかならん事はをのづから(世に)聞え
有ぬべきを。大将もさやうにはいはで。よのなかの
はかなくいみじき事。かくうぢ(宇治)の宮のぞう(族)の命
みじかゝりける事をこそいみじくかなしと思ひ
ての給ひしがとの給ふ。いざやげすはたしかなら
ぬことをもいひ侍る物をと思ひはべれど。かい
こに侍けるしもわらはの。たゞ此ごろ宰相がさと
にいでまうてきて。たしかなるやうにこそいひ
侍りけれ。かくあやしくて(浮舟が)うせ給へること。人にき
かせじ。おどろ/\しくおぞきやう(恐ろしく)なりとて。
いみじく(薫が)かくしける事どもとや。さてくはし
くはきかせ奉らぬにやありけんと聞ゆれば。
さらにかゝること又まねぶなといはせよ。かゝるす
ぢに御身をももてそこなひ人にもかろく心づ
きなきものにおもはれ給ふべきなめり。といみじ
くおぼいたり。其のち姫宮の御かたより二の宮
におほんせうそこ(御消息:手紙)ありけり。御手などのいみじ
くうつくしげなるをみるにもいとうれしく。かく
てこそとくみるべかりけれとおぼす。あまたおかし
47
き絵どもおほく大宮も奉らせ給へり。大将殿
うちまさりて。おかしきどもあつめて。まいらせ
給。せりかは(芹川)の大将のとをぎみ(遠君)の女一の宮思ひか
けたる秋の夕暮れに。思ひわびて出ていきたるか
たをかしうかきたるを。いとよく(薫が)思ひよせらる。
しかばかりおぼしなびく人のあらましかばと
思ふ身ぞ口おしき
(薫)おぎの葉に露ふきむすぶ秋風もゆふべぞ
わきて身にはしみける とかきてもそへまほし
くおぼせど。さやうなる露ばかりのけしきに
てもも(漏)りたらば。いとわづらはしげなるよな
れば。はかなきことをもえほのめかしい(出)づまじ。
かくよろづになにやかやと物を思ひ/\のはて
は。むかしの人(大君)の物し給はましかば。いかにも/\
外ざまに心をわけまじや。ときのみかどの御
むすめを給ふともえ奉らざらまし。又さ思ふ人
ありときこしめしながらは。かゝる事もなからま
しを、なを心うくにわが心みだり給ひけるはし(橋)
姫かなと思ひあまりては。また宮(一品)のうへにとり
かゝりてこひしくもつらくも。わりなきことぞ
をこがましきまでくやしき。これに思ひわび
てのさしづきには。あさましくてうせ(浮舟)にし
48
人の。いと心おさなく。とゞこほる所なかりける。かろ/\゛
しさをば思ひながら。わすがにいみじとものを
思ひいりけんほど。わがけしきれいならずと心
のおにゝなげきしつみていたりけん。ありさま
をきゝ給ひしも思ひいでられつゝ。(浮舟が)おもりかな
るかたならで。たゞっころやすくらうたきかたらひ
人にてあらせんと思ひしには。いとらうたか
りし人を。思ひもていけば。宮(匂)をもおもおひ聞え
じ。女(浮舟)をもうしとおもはじ。たゞわが有さまのよ
つかぬ。をこたりぞなどながめいり給ふとき/\゛
おほかり。心のどかにさまよくおはする人だに。
かゝるすぢには身もくるしき事。をのづからまじ
るを。宮はましてなぐさめかね給つゝ。かのかた
みにあかぬかなしさをも。の給ひいづへき人さへなき
を。たいの御かた(中の君)ばかりこそは哀などの給へど。ふ
かくもみなれ給はざりけるうちつけのむつびな
れば。いとふかくしもいかでかあらん。又おぼすまゝ
に恋しやいみじやなどの給はんに。かたはらい
たければ。かしこに有し侍従をぞ。れいの(匂が)むかへ
させ給ひける。みな人どもはいきちりて。めのとゝ。
この人(侍従)ふたりなん。とりわきておぼしたりしも
忘れがたくて侍従はよそhとなれど。なをかたらひ
49
てありふるに。よつがぬ川(宇治川)のをと(音)も。うれしきせ(瀬)も
やある。とたのしみほどこそなぐさめけれ。心うく
いみじくものおそろしくのみおぼえて。京になん
あやすき所にこのほどきて(侍従が)いたりける。尋い
で給ひて。かくてさふらへと(匂に)の給へど。御心はさる物
にて。人々のいはんことも。さるすぢの事まじ
りぬるあたりはきゝにくき事もあらんと思へ
ば。うけひき聞えず。きさいの宮に参らんとお
もむけたれば。いとよかなり。さて。ひとしれず
おぼしつかはん。と(匂が)の給はせけり。心ぼそくよるべ
なきもなぐさむやとて。しるたより(中宮は)もとめて
参りぬ。きたなげなくてよろしき下らうな
りと(侍従を)ゆるして人もそしらず。大将殿も常に
まいり給ふを(侍従が)みるたびごとに物のみ哀なり。いと
やんごとなき物の。姫君のみおほく参りつどひ
たる宮。と人もいふを。やう/\めとゞめてみれど。な
を見奉りし人(浮舟)ににるはなかりけりと思ひあり
く。このはるうせ給ひぬる式部卿の宮の御むすめ
を。まゝ母の北方もことにあひおもはで。せうとの
むまのかみにて。人がらもことなることなき心がけ
たるを。いとおしうなども思ひたらで。さるべき
さまになんちぎるときこしめすたよりあり
50
ていとおしく。ちゝ宮(式部卿)のいみじくかしづき給ひけ
る。女君(娘)をいたづらなるやうにもてなさんことな
どの給はせければ。いと心ぼそくのみ思ひなげ
き給ふ有さまにて。なつかしくかくたづねの給
するを。など。御せうと(兄弟)の侍従もいひてこのごろむ
かへとらせ給てげり。姫宮の御ぐにて。いとこよな
からぬ御程の人なれば。やん事なく心ことにて候(さぶら)
ひ給ふ。かぎりあれば宮のきみなどうちいひ
て。も(裳)ばかりひきかけ給ふぞいとあはれなりける。
兵部卿(匂)のみや。このきみ(式部卿の娘)ばかりや。こひしき人におもひ
よそへつべきさましたらん。ちゝみこはらからぞ
かし。など。れいの御こゝろは人をこひ給ふにつけて
も。人ゆかしき御くせやまで。いつしかと御心か
け給ひてげり。大将もどかしきまでもあるわ
ざかな。きのふけふといふばかり。東宮(春宮)にやなどお
ぼあし。我(薫)にもけしきばませ給きかし。かくはかな
き世のおとろへをみるには。水のそこに身をしづ
めても。もどかしからぬわざにこそなど思ひつゝ。
人よりは心よせ聞え給へり。この院(六条院)におはしま
すをば。内よりもひろくおもしろくすみよk物
にして。つねにしも候はぬ人どもみなうち
とけすみつゝ。はる/\゛とおほかるたい(対)どもらう(廊)わた(渡)
51
どの(殿)にみちたり。左大臣殿(夕霧)むかしの御けはひにも
をとらず。すべてかぎりもなくいとなみつかうま
つり給ふ。いかめしくなりにたる御ぞうなれば。
中々いにしへよりも。今めかしき事はまさりて
さへなんありける。この宮(匂)のれいの御心ならば。月
頃のほどにいかなるすき事どもをし給はまし。
こよなくしづまり給て。ひとめにはすこしおい
なをりし給ふかなとみゆるを。このごろぞ又宮
の君に本上(好色な本性)あらはれて。かゝづらひありき給ひ
ける。すゞしく成ぬとて。宮うちにまいらせ給なん
とすれば。秋のさかり紅葉の頃などを見ざらんこ
そなど。わかき人々は口おしがりてみな参りつ
どひたる頃なり。水になれ月をめでゝ。見あそび
たらず。常よりもいまめかしければ。此宮ぞかゝる
すぢはいとこよなくもてはやし給。あさゆふに
めなれてなを。(匂宮言う)今みんはつ花のさまし給へるに。
大将の君はいとさしもいりたちなどし給はぬ
程にて。はづかしく心ゆるびなき物にみな思ひ
たり。例の二所(匂と薫揃って)参り給ておまへ(中宮)におはする程に
かの侍従は物よりのぞき奉るに。いづ方にも/\
よりてめでたき御すくせみえたるさまにて。世
にぞおはせましかし。あさましくはかなく
52
心うかりける御心かなと。人にはそのわたりのこと
かけてしりがほにもいはぬ事なれば。心ひとつ
にあかずむねいたく思ふ。宮はうちの御物語など
こまやかに聞えさせ給へば。いまひと所はたちい
で給ふ。(侍従が薫に)見つけられたてまつらじ。しばし御はて
をもすごさず。心ざしあさしとみえ奉らじと思へば
かくれぬ。ひんがしのわたどのにあきあひたる戸
ぐちに人々あまたいて物がたりなど忍びや
かにする所におはして。なにかしをぞ女房はむつ
ましくおぼすへきや。女だにかう心やすくはあら
じかし。さすがにさるべからん(好色は悪しきと也)ことをしへきこえぬ
べくもあり。やう/\みしり給ふべかめればいとなん
うれしきとの給へば。いといらへにくゝのみ思ふなる
に。弁のおもとゝてなれたるおとなぞもむつまし
く思ひ聞ゆべきゆへなき人のはぢ聞え侍らぬ
やは(にや)。ものはさこそはなか/\侍りけれ。かならずそのゆへ
たづねてうちとけ御覧ぜらるゝにしもはべら
ねど。かばかりおもなくつくりそめてける。身にお
はざらんもかたはらいたくてなんと聞ゆれば。
はづべきゆへあらじと思ひさだめ給てけるこそ
口おしけれなどの給ひつゝみれば。からきぬはぬぎ
すべしをしやり。うちとけて手ならひしける
53
なるべし。すゞりのふたにすべて心もとなき花の
すえ/\゛たをりて。もてあそびけりとみゆ。かたへ
は几帳のあるにすべりかくれ。あるは打そむきをし
あけたるとのかたに。まぎらはしつゝいたるかし
らつきどもゝおかしと見わたし給ひて。すゞりひ
きよせて
(薫)をみなへしみだるゝ野べにまじるとも露のあだ
名をわれにかけめや心やすくはおぼさえとたゞこ
のさうじにうしろしたる人に見せ給へば。打み
じろきなどもせずのどやかに(おだやかに)。いとゝく(いと疾く:すぐに)
(女房)花といへは名こそあだなれをみなへしなべての
露にみだれやはする とかきたたるて(手)。たゞかたそば(一首)
なれど。よしづきて(趣があって)おほかためやすければ。たれならん
と見給ふ。今まうのぼりける道に。ふたげられて
とゞこほりいたるなるべしと見ゆ。弁のおもとは
いとけざやかなるおきなごと(翁言)。にくゝ侍りとて
(弁)旅ねして猶心みよをみなへしさかりの色に
うつりうつらず さて後さだめ聞えさせんといへ
ば
(薫)やどかさば一夜はねなんおほかたのはなにう
つらぬ心なりともとあれば。なにかはづかしめさ
せ給ふ。おほかたの野べのさかしらをこそ聞え
54
さすれといふ。はかなき事をたゞすこしの給ふ
も人は残りきかもほしくのみ思ひ聞えたり。
心なし。みちあけはべなむよ。わきてもかの御物
はぢのゆへかならず有ぬべきおりにぞあるとて
(薫が)たちいで給へば。をしなげてかくのこりなからんと
思ひやり給ふこそ心うけれと思へる人も有。東
のかうらん(高欄)にをしかゝりて夕かげになるまゝに。
花のひもとく(中宮の)おまへの草むらを見わたし給ふ
も物のい哀なるに。なかについてはらわたたゆる
は秋の天(そら)といふ事をいとしのびやかにずしつゝ
い給へり。有つるきぬのをとなひしるきけは
ひして。もやのさうじよりとをりてあなたに
いるなり。宮のあゆみおはして。これよりあなた
に参りくるはたそ。ととひ給へば。かの御かた(一品の宮)の中
将の君と聞ゆなり。(薫の心)なをあやしのわざや。たれに
かとかりそめにもうち思ふ人(匂)に。やがてかくゆかし
げなく聞ゆる名ざしよと。いとおしく此宮には
皆めなれてのみおぼえ奉るべかめるも口おし。
おりたちてあながちなる御もてなしに女はさ
もこそまけ奉らめ。われさもくちおしうこの御
ゆかりにはねたく心うくのみあるかな。いかで此
わたりにもめづらしからん人の。(匂が)れいの心いれて
55
さはぎ給はんをかたらひとりて。我思ひしやう
に。やすからずとだにもおもはせ奉らん。まことに
心ばせあらん人はわが方にぞよるべきや。されど
かたい物かな。人の心はと思ふにつけて。たいの御
かたの。かの御有さまをばふさはしからぬものに
思ひ聞えて。いとびんなきむつびになり給。お
ほかたのおぼえをばくるしと思ひながら。なを
さしはなちがたき物におぼししりたるぞあ
りがたく哀なりける。さやうなる心ばせある人。
こゝのなかにあらんやいりたちてみねばしら
ぬぞかし。ねだめがちにつれ/\なるを。すこしは
すきもならはゞやなど思ふに。今はなをつきな
し。れいのにしのわたどのを。有しにならひて
わざとおはしたるもあやし。姫宮(一品宮)よるはあなた(中宮の処)
にわたらせ給ひければ。人々月みつとてこのわ
たどのにうちとけて物語する程なりけり。さう
のこといとなつかしうひきすさふ。つまをとおか
しく聞ゆ。思ひかけぬに(薫が)よりおはして。などかく
ねたましがほにかきならし給ふ(どうして人を焦らすように弾くのですか)との給ふに。皆
おどろかるべかめれと。すこしあげたるすだれう
ちおろしなどもせず。おきあがりて。にるべきこの
かみ(兄)や侍るべき(美男の兄もおりませんのに)。といらふるこえ。中将のおもと(御許)ゝか
56
いひつるなりけり。まろこそおほん母かたのおぢ
なれど。はかなき事をの給て。れいのあなたに
おはしますべかめる。なにわざをかこの御さとず
みの程にせさせ給ふなどあぢきなくとひ給ふ。
いづこにてもなに事をかは。たゞかやうにてこ
そはすぐさせ給ふべれといふに。おかしの御身
のほどやと(薫が)思ふに。すゞろなるなげきのうち忘れ
てしつるも。あやしとおもひよる人もこそとまぎ
らはしに。さしいでたる和琴をたゞ。さながらか
きならし給ふ。りち(律)のしらべはあやしくおり(折)に
あふと聞ゆる声なれば。きゝにくゝもあらねど。
ひきはて給はぬを。中々なりと心はれたる人
はき(消)えかへり思ふ。わが(薫)はゝ宮もおとり給べき人
かは。(一品の宮は)きさい腹と聞ゆばかりのへだてこそあれ。みか
どのおぼしかしづきたるさまことならざりける
を。猶此御あたりはいとことなりけるこそあやし
けれ。あかしの浦は心にくかりける処かななど思ひ
つゞくる事どもに。わがすくせはいとやんごとなし
かし。ましてならべてもえ奉らばと思ふぞいとか
たきや。宮の君はこのにしのたいにぞ御かたしたり
ける。わかき人々のけはひあまたして月め
であへり。いで哀是も又おなじ人ぞかしと思ひ
57
出聞えて。みこ(式部卿)のむかし心よせ給し物をといひ
なして。そなたへおはしぬ。わらは(童)のおかしき
殿いすがたにて。二三人は出てありきなどし
けり。みつけていかさまなどもかゝやかし(恥ずかしそう)。これぞよ
のつねに思ふ。南おもてのすみのまに(薫)がよりてう
ちこはづくり給へば。すこしをとなびたる人いで
きたり。人しれぬ心よせなど。聞え侍れば中々
みな人聞えさせふるしつらん事を。うい/\し
きさまにてまねぶやうになり侍り。まめやか
になんことよりほかをもとめられ侍るとの給へ
ば。きみにもいひつたへず。さかしらだちていとおも
の思ひ聞えさせ給へりしことなど思ひ給へ
出られてなん。かくのみおり/\聞えさせ給なる。
御しりうごと(後言)をも(娘姫宮は)よろこび聞え給ふめるとい
ふ。なみ/\の人めきて心ちなのさすやともの
うければ。もとよりおぼしすつまじきすぢよ
りも。今はましてさるべきことにつけてもおぼし
尋ねんなんうれしかるべき。うと/\しく人づて
などにてもてなさせ給はゞえこそとの給ふに。げ
にと思ひさはぎて。君をひきゆるかすべければ。松
も昔のとのみながめらるゝにも。もとよりなどの
58
給すぢは。まめやかにたのもしくこそは。と人づ
てともなくいひなし給へる声いとわかやかにあ
い行づきやさしき処そひたり。たゞなべてのかゝ
るすみかの人とおもはゞいとおかしかるべきを。たゞ
今はいかでかばかりも人にこえきかすべき物とな
らひ給ふけんとなまうしろめたし。かたちもい
と今めかしからんかしと見まほしきけはひのし
たるを。此人ぞまた例のかの(匂の)御心みだるべきつまな
めるとおかしくも有がたのよやと思ひい給へり。
是こどは限なき人(式部卿が)のかしづきおぼしたて給へ
る姫君。又かばかりぞおほくあるべき。あやしかり
ける事はさる聖(八の宮)の御あたりに。山のふところより
出たる人々の。かたほなるはなかりけるこそ。このは
かなしや。かる/\゛しや(浮舟)など思なす人も。かやうの打
みるけしきはいみじうこそおかしかりしかど。何
ごとにつけてもたゞ彼(かの)ひとつゆかりをぞ思出給
ける。あやしくつらかりける契りどもをつく/\゛
と思つゞけ。ながめ給夕暮。かげろふの物はかなげ
にとびちがふを
(薫)ありとみて手にはとられず見れば又行えもしら
ずきえしかげろふ あるかなきかと例のひとりご
ち給ふとかや