仮想空間

趣味の変体仮名

蔵意抄

 

これはなんでしょう。仮名手本忠臣蔵上演に際しての小道具帳みたいなものでしょうか。 
平右衛門の刀が実はナマクラだったとか、細部の設定が知れて中々におもぴろかったです。
書いたのは式亭三馬。巻末の、恐らくは虚構の新薬広告幷新刊案内もくすっと笑えました。
ほんとにもう冗談はよしこさん。じゃなくて三馬さん。

 

 

 読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8929485

 

3
蔵意抄序
嘉肴ありといへども。食すぎれば其味をしらず。
珍器ありといへども。愛せざれば其意を悟らず。
近来紛らしき好事家多く。ややもすれば骨董舗
めかして鑑定自慢の素人あり。欲は深淵へ
はめたがりて素人めかす骨董舗あり。堀出し
たがる素人はいはずとしれし阿呆的。堀出さ
する骨董舗は此奴如在のない奴なり。尚古の
極れ。好古の売癖。古物とさへいふ時は。値を高

(上)
忠臣蔵大序の発語に曰 嘉肴ありといへども云々
○模文字彙に曰「意?由良殿之合ひ印也
○不順か和名抄曰 和討安比(わけあひ)
○野訓類林曰く 和気也以(わけやい)

 

4
ばる世の習俗。昔の太夫の冬反古は孔子の遺書
よりも貴むを想へば。今。出来合の三文判。後には
五両?請人も出来ぬべし。どれが偽やら真やら
売人も購人も雲を掴む。天竺の能樓摩は
卵。和蘭の牛陰嚢。何でも角でも撰取て十九
文盲なる人をおどかし。蚯蚓ののたくり釘は折
をゝも。気性がよいと称賛て。奇絶/\とうれし
がらば。泥溝から蛇足の絵巻物をも堀出すべく。
煙器から龍宮の古図なりにても手にいるゝべし。

(上)
吉原細見五葉松に曰く
太夫九十日 孔子六十日
異本 孔当作 格
智恵涅槃(ちえがねえはん)
経に曰く
阿房羅切能婁摩乃多摩護(あはうらせつのろまのたまご)云々
紅毛本草(おらんだほんざう)に曰く「ウーシフーグリ」

されど地鉄で雅ならず。こゝに好事家の大
先生。頃日忠臣蔵の小道具部屋に入て。秘蔵
の古物をさくり出し。い?は付?長持より
??るふたつと書あつめて。蔵意抄とかう
ふらしめ。おのれに増補せよと乞ふ。校合するさへ
九太ながら。むかしおもへばしのだの何がし。化
あらはしてはたのまねども。一校加へた其上に
作者をやんやとほめて曰。嗚呼足下は佳肴
を食して味をしり。珍器を愛して其意を

(上)
和名ウシノキンタマ
地鉄(ヂガネ)
通子方言に曰く
真面目(シンメンモク)を云ふ
○小道具部屋 劇場訓蒙図集に委し
○蔵衣裳右に同じ
序文に標註はなんと新しからうがや


5
悟れる人なり。

文化八年辛未十月堺町の茶亭
越前屋長八が楼において例の酔中
筆を採る
      本町延寿丹のあるじ
       式亭三馬

(上)
門人 近亭三七 雪亭三冬 標註
とは云ふても云はいでもの「を
はれ訳体もない
右澤村訥子が家の口調

自序
予忠臣ぐらに入て掃除を
至(?)せは鼠の明し穴手ほん
爰の隅々かしこの隈尋探りて
折得しが獅子身中の虫ばみ
たる反古のはしを熨して
写して書とる文章字正に朧の


6
仮名書にこつては思案に
あたはずと遊所よりの帰り掛
思ひせいたる案じの草稿所次(しどろ)
以物(心初?もどろ)斗のふで拍子嘘かから出た
誠か実から出た虚言か不残
よんだ其うえで御しかり
ならば其時は三人の諸士もろ

ともに段々誤りいる事
しかり

文化十年 酉正月 ?寿亭 正二述


7
武田出雲
忠臣蔵
趣向を
つせし(?)
始て
大星
由良之介と
役割の
換名を
案じ出す

木偶つかい
吉田文三
由良の助の
紋所を
二つ巴とす
巴は
文三
定紋
なり


8
竹本
築後の掾
忠臣蔵
山科の
段を
役場にて
初て

三弦の
名誉
靍澤の
何某
築後
はりまの
明音に
かけて
今に至て
浄瑠璃
きこへあり

月波樓 国貞画


9左頁
高師直之艶書 ○所々蝕たり闕文追て考ふべし

??

返/\も此ほと吉田のつあはり
新し御寄にくき程感修致り(?)し
やしき?のすさみおも
はつかしく
よらひの程??くみも


10
の花の色(?)ふかき世
の外なる匂ひて主ある
垣共にいたし??忘
月若??

○此紙は源吾が大鷹檀紙と案の外。武蔵紙なり。
総て蝕へばりついてござるゆえ。塩冶等やつとで
こゝに縮寫す。紙末二三寸余かすり筆。しやつぷり
未見の珍書なるべし。
△按ずるに師直は吉田の兼好が門人にて歌道に心をよせしと

いへども文章雅ならず。且浪人して手跡指南も覚束なき
手蹟なり。只好色専らの人物ゆえに鎌倉勤番の徒然。
女文章とかいふ書を求めて。臨模したる口説かた。さて/\
古風の文体なり。彼三会目の報にとて。煙草の箱に添
たる定規の御文章?(ヨ・か・や)。あなかしこ/\

○一説に師直が艶簡は双が岡の隠居が代作といへり
されどつれ/\゛草のお手際ともおぼえず不審
○上方唄の文句をあつめたる「糸のしらべ」
△なのはの條下に
「うへ/\様のちいぶみもべちにかはらぬ
様まいる云々 是を以て征とすべし


11
「枕自鳴鐘 まくらとけい」
○惣黒ぬり 金まきえ

此回り油垢染付て
蒔絵を汚せり 
△按ずるに若狭之助寝像の
わるき人と見えたり

詞 お枕時計は此本蔵が
仕かけませう。 本文に斯見えたり

△裏の方は奥方と二つならべし比翼紋也
あまりにいやらしければこゝに写さず
明日師直を討んと紛ひし其夜奥
にも遭てよそながらいとまごひを
せられしは此枕なりとそ

(略)
○大名時計に遊ばず鶏を割くに何ぞ武士の刀を用ひん云々
「誰に云」真二つにするよりも金で面をはる方が当世/\

右は「助六所縁江戸桜」髭の意休青楼章第三に出たり
△因にいふ○抄書数部あり○秀鶴本○三朝本一名松緑本最善
△当時公来治本を善本とす

12
「足利館四足門之古瓦」
神霊矢口渡(福内鬼外作江戸浄瑠璃)に曰
瓦と為て全からんよりは
珠と為て砕けよと云々
南瀬六郎は義理を
硬く覚たれど夫は昔の
浪華曲瓦屋橋の下り瓦
江戸に今戸の地瓦をいへり
かゝる廃績の古瓦世に
玩弄こと尚今玉石の如し

呉雇和悟斎珍蔵
俗称内田某の庫蔵也
今伝来して家紋とす

△これは好事の客
紙に?(すう)たるを
得て
そのまゝに
模刻す
尚古の君子
信心あらば
瓦の
御反古に

おつれ
なされ
ませう

(左頁上)○四足門とは摂津国
天王寺の猫の門か
といふ門だ
これは幸篤寺の
門だといへりし流言(はやりことば)
の宿昔鎌倉足利
の館において勘平が
腕の細葱を伴内に
ふるまひしをりから
力足の響に応じて
落たる瓦なるべし

○或人の曰
其時節門前に居合なば天窓(あたま)があぶな勘平と云々


13
千崎所持弓張提燈」

(上の横文字)
○千崎てうちむ
「どちらか一つは地口なるべし
○ケンサキテウチン


△按に近世燭を点て四十八文と呼びて
浮浪提灯を鬻ぐ者あり
其昔義士各夜討と定めたる夜
燭を点て
四十七人
悉く這(この)
提灯を
持ちしと云々
余光
今尚夜に
耀くを想へ

○五段の本文に曰く
??
むかふよりくる小てうちんこれもむかしは弓はりのと云々

又「忠臣蔵文字理もじり」に曰
○向より来る小てうちん 「そば屋さん 最う何時だね云々
右天王様御祭之行燈に出づ

其形傘のごとく作り押ひろげて弓張提灯とも是則千崎
弥五郎が浪ゝの身の営生に製する所なり はなはだ不細工に
見ゆれどこれもむかしは弓張の用を便ずと云々○今案ずるに
花洛の人これを剣先提灯と呼り尤中古舊頃までは流
行したりしが絶て今はなくかゝれ(?)ば千崎てうちんといふべかりしを
剣先と誤り伝へしなるべし

「伯州藩士分限帳」 △按に 分限帳といへども本帳は別にあるべし
これは離散の節金子配分すべき
とて新帳にうつせしものと見えたり

(上)
○竪綴なるべきに横綴の帳也
紙ハセンカ西の内のたぐひにあらず喧嘩遺趣の内より?(おこ)りて
ちり/\ばら/\となりしを今一枚こゝに存す  鼠咬


14
表諸士改役

高三百石 拾人扶持  原郷右衛門 百石??
鎌之間支配
高弐百石 五人扶持  千崎弥五郎 百両ト三文メ
庭廻り役

高百十石 五人扶持  竹森喜多八
近習役
高百石 五人扶持   斧定(九郎?)五拾両

高百石 欠 早野勘平
?人扶持


15
○姓名の傍らに朱をもて金高を記したるは大星が筆跡なり
早野勘平は若気の誤りにて勘当受けし身なれば配分の金は余
人に割付しとなん○斧定九郎はいまだ部屋住なりければ
金高は五十両に足らざりしし かるを家老九太夫が私欲にて
五拾両割付たりと云々 後に定九郎が久しぶりでの五十両
いへりしも宜なり

「狩人言上書之縮写」

取急(?)言上奉候
一山崎村猪野右衛門支はい下狩人めつぽう
弥八狸野角兵衛種が嶋六兵衛申上奉候
昨廿九日夜私ども三人連に?宵より山峠に
罷出候所夕立はげしく鉄砲雨のしだら
でんにほくちをぬらし難義至極よを/\に
夜山しもをて戻りがけ山崎村青里
北沼坂をり口にて同村百姓与一兵衛し
がひ有し候間大に驚右与一兵衛しがひ
戸板にのせ則与一兵衛田九迄持込候


16
段お違無御座候只又私ども三人
宵五つ時過山崎村?渡場左りへ取
十六町程東大くはんたる小長ちんさ
げ候旅人にあい畠村かい屋?酒焼?
のび候さむらい体之人に行あい申候其
外は実夜にて?に候間一句存ふ申候
右之通手記お違無御座候何如体(?)
(略)

これは言上書の模なり三人の狩人庄屋の言をも待たで勘平
が家へ持行きしゆえ人殺しの疑ひありしが勘平が最期の一言且
定九郎が横死など符合しければ事ゆえなく済ぬ
時の目代は山名次郎左衛門とぞきこえし。此言上書は拙き
のみならず謬語ありて読み難し依て左に訳し且訂すを
見よ ○奉言上候と書くべきを言上奉と転倒二ヶ所あり
○猪野右衛門支配下○よを/\にこれは漸に也 ○しもをて仕舞てなり


17
○坂下口 ○しがひ死骸しがい也 ○有之候○無御座候など店頭なきはきつい物也
○大に驚 大きにおどろきなるへし驚誤 ○田九迄 宅迄也按に
(下)宅の字を
しらざるてゞは
あらじ是は
心せはしき折
なれは誤て田
の字を書ける
ゆえすぐに
九ともつゞけ
たるならんや(か?)
(上三行目)
○大くわんは往還なり○小長ちんは小提灯なり
酒焼は月代也○さむらいは侍さふらひ也
○行あいはゆきはひ也○実夜は闇夜なり

○按ずるにめつぽう弥八が印形は三文判○狸の角兵衛が印
章草書にて□と刻したるは出来合の下印判商家にて勘
定帳合の節用ゆる印なり○種が嶋の六兵衛が図章磨滅して
わかりがたし 或人云 これは煙管の雁首に煙草をしつかり詰

(左頁)
其上に墨をなすりて押たる物となん 辺鄙の人情ものごと
貪借せず且往古の風俗質素なることを想像べし

のび候さむらい体の人に
外は闇夜之義に候間
右之通手記お違無候?
山崎村狩
本書かくのごとし これはすき うつしにせり


18
「一力之夜合銭読」 ○此所蔵家はどいつさまぢやどなたさまぢや
下にはおかれぬ二枚極札
これは京都居 斧管某成(?)

(略)よめましぇんめんどくさい


19(略)

20
○一力とは祇園町の妓樓なり 今これを呼屋といふ彼一文字屋 
              がたぐひを置屋といふこれは江戸
にいはゆる子ども屋なり
一力がかけあんどうに「一力  」としるしたるは万の字なり 家名を万屋と云
江戸の假在行ならば万楼とか万亭とか何とか角とかそれ
いひ中す「さいな京阪の假在行ぢやさかひ万の字を割て一力
と云ふはいな ○十一六拾壱匁六?をいふ鱗などいふを極
品とす ?(すべ)て花あそびとて花壱本は線香一本をいへり
○彼書出しの中に二匁三?花四つとあるは十七八利八とて
幇間なり「按に伴様の宛名は鷺坂伴内也一力は九太夫
か案内にて伴公は一げんの客なりしかるに九太どのははからずも
加茂川へ入水せしゆえ手速く伴内へ書出しを遣りしは流石に
如在なき上がたの人情なり。正味お記したるは一割引に二割引也
(上)
○十一匁
六ト
これは
十いつ ちえん
ろつぷん
或は
十一え
六トと
よむべし
△一見とは
一度の
見参を
云 江戸
に所謂
初会の
ことなり

「寺岡平右衛門所佩刀剣」

(下)
○青江下阪ならば二つ胴に
しき腕なれどこれは夫には
ことかはり
ずんど能う錆ました
それから
御らうじろ

(上)
○忠臣庫第七回之標題大尽之錆刀
とあれどもこれは足がるのさびがたななり
(上)
○銘
赤井錆光とあり
「小身者の
かなしさは人にすぐれた一腰もさゝれぬと見えて
きのどくなほどさびたり

北国の飛脚よりすぐさま取て返し鎌倉にて三ヶ月があひだ
非人となりてつけねらひしかど中/\に用心きびしと云て
大身の師直を非人となりて討んとはとんだわるいあんじ也此論委
しくは忠臣蔵偏痴気論(三馬作 当年出版)を見給ふべし


21
高師直邸宅之絵図」

抑(そも/\)是に図したるは鎌倉光明寺本堂建立の絵図にあらず其昔
寺岡平右衛門といふ者忝くも五両に三人扶持を給はり御恩に高下
なきをいつへば忠心肝に銘じいかにもして主君の怨敵をたひらげ
修羅の妄執はらさせ奉らんと紀念し昼は終日焼芋八里芋を
売ひ夜は終夜大福餅あたゝかに着ず飽まで食はず非人乞食
或は巡礼古手買さま/\゛に身を粉して師直の館に入こみ家老
用人門番折介皆それ/\に口を合せて敵地の案内こと/\゛く
探り取り玄関長屋侍部屋水門物置柴部屋まで余さず漏らさず
書載たる絵図面でござるかやうに踈漏なる割方は再と吹聴は
敵ひませぬ趣向読んで笑ひあられませう
○或人曰加古川行国がお引の目録とて山科へ携へ来りしは至つて細密なる図といへり
かの図はむかしの相者芦屋道礼に伝はり今野杖太郎ぬし秘蔵と云也


22
「枕拍子之唄本」
(上)
「上下梅にて
とぢ本が
六門舎 家蔵

ぎをん
まちの
しら拍子
ほふし
かゞつ(?)子
又は

○きしの
何がしが
手を付たる
拍子也と云々

きしのぬしは
今五ころ
三昧をんの
拍子也

新板
まくら
びやうし
かはり文句
本てうし

四条おたび町
あふみや待右衛門正


まくらびやうし 本てうし
「松になりたや。ありまの松下。なり
たいなそりやなぜに。ふぢのかつらに
はひまつかれて。よれつゝもつれつ
一夜のなさけにこちや。あひたいはいな
「雪になりたや。はこねのゆきに。なり
たいなそりやなぜに。ふじでなかれて
三しまの女郎しゆの。三しまの女らしゆ
のはだふれたいはいな
「梅になりたや。きたのゝ梅に。なり
たいなそりやなせに。かぜがふく


23
「おかる技名標識」 ○杉魚(?)紙堅に四つ切の寸法
           のり入紙のことをいへり
(上)
○九條の廓
或は太平記
の時代に
東洞院
好色に行て
などあるを
おもへば
名指紙と
いふもの
昔より有
ことと見え
たり

(下)
○肩に
熨斗
の形
を板行
して
摺る也
書法
大きに
異同
あり

(上)
△曲中にて新に
粉頭を出すを
突出しといふ又
廓の外白人など
はじめて出る時は
呼屋の先ゞへ
名を書たる札を
配る是を揚屋指し
紙ともいふ 酔がりは
洒落て指し帋と
ばかりにて通用

(下)
○十六七の
ふりそで
しんざうを
差詰といふ

○廿より
二十五六
までを
中詰といふ

○眉毛を
おとして
出る
としまを
本詰
といふ

「こしもと?いつかりなし
 極上中詰 かる
 てもかじや?て(24に掛かる)


24
伝曰
おかる尼となりて
母とともに山崎の
ほとりに近き庵を
むすび人々の
ぼだいを弔ひ一心
に蓮の花にあそ
ばんことを念じければ
仏法西方弥陀の
浄土が塗にぬり
たてぴつかぴか/\
ひかりかゝやく光明
を放ち給ひ夢枕
に立て一首の歌を
さづけ給ふ其御詠
歌にいはく
父よ母よとなく声きけばつまにあふむのうつせしことのは
エゝなんぢやいなおかしやんせ。是すなはちうそから出たまことぢやない
まことから出た嘘誕物語にありと云々

(下)
○尼出
女房出
婢女出
在所出
御しよ出
本素人
いつはり
なしなど
書くことあり

一もんじやにて
ト左りの
かたはらへ
書くあり

一もんじや
かる
ト書つゞけ
たるも
あり

金閣拝見之信稗」 ○花洛の通言に曰
           「金閣寺にいけんあらば
            二百出さんせ
            よいつてがあるぞえ
(上)
由良之助が室お石
兼て覚期のよき婦
人ゆえ山科に関居の
いとま洛中洛外の
名所旧跡を見んとて
供ぐるみ小休みの茶代
青細四銭つゝ費して
見あるきしとなん 其
をりから或茶店に
これをもとめて貯へ置き
能い伝があるぞへなどゝ
深切らしく見せかけて
黄白のいらぬ御愛相をしたるなるべし


25
「泣弁慶之剪脱絵」
天川屋義平が一子
よし松が常に愛玩
せしきりぬき絵也
小二伊吾が
細工とおぼしく
飯粒の糊
かたまり
はなはだ
おてぎは也

(下)
これは附木なり
一名 硫黄木

(左)
きりぬきたる絵の裏を古帳の
表紙にて裏打したるなり
按ずるに大福帳の大の字かと見れは月の字の侍書あり
これは水揚帳の揚の字「てへん」の所ならんや

(上の横書き)
はんもと北ほり江市のがは金市

友もり
べんけい
しん板
切ぬき
(下横書き)しのだづま


26
「夜討蕎麦之報條」
○いにしへの筆耕つたなきのみならず彫刻
板木屋に小二が稽古刀に刻たるとおぼし

(上)
○下地の
悪筆を
小刀の先
にて
だいなしに
彫くづし
たるもの也
すきおとし

(左頁)
又は
しごきたる所
多く
文字
くぎの
すれ たるが
ごとし

▲按ずるに
むかしの
はんぎ 屋も
小細工は
弟子に
あてがひし
ものと
見えたり

(右頁)
口上(略)・・・以上

ゆめにも
一しら雪夜打そば 大ごみ 四十七詞

家中は
一らんきり 一しのゝめ手打
一本もううどん げの花 一引とりは あけぼのしつぽく
みな切おひ詰手にあたり次第
外へ出まへは一人もおたし不申候
未極月十四日より
鎌倉雪の下大横町 いろは庵

△のり入半切紙天地紅は近代の製作也
これは忠の声ある鼠半切を用ひたり


27
文化八年辛未初冬
補綴成
同十年癸酉初春
叢販

葛葉散人?稿

応需 式亭三馬補綴

式亭三馬銅駄先生編纂
門人 徳亭三孝 学亭三子 同校

好古愚痴録 初編全二冊

此草稿大半出来有也候然に葛葉散人
蔵意抄の著述出来いたし三馬先生と
同案に御望候間幸ひに先生の筆を乞ひ増補校閲を需め候て発覚仕候評判奉

(下)
此書は虚言八百万年来未見未聞の珍奇
好事家の手にいらぬものばかり拾ひ集めて
形を図にあらはしこじつけの古書を引き
出たらめの考をしるすすべて古書画古器の
しな/\゛を好古日録好古小録桂林慢録の
趣に擬し実に痴呆(たはけ)のかぎりをつくして
尚古の諸君子のお笑をとる 板元??刻堂


『式亭家製薬品目録』

おしろいのよくのる御かほのくすり
江戸の水 
にきびの大妙薬御かほのでき
もの一切ひゞしもやけによし
夏冬ともに白粉はげずきめ
こまやかにしてつやを出し白粉
のうつりあらき御かほによくのりて
はげざる事うけ合なり

金勢丸
酒の酔をさまし酒をよくのまらむもろ/\のどくを
げしきつけはら一やの妙薬且?事にきどくあり
諸病に?功あるゆえ懐中してはなはだ?法なり

御目あらひくすり
龍樹散 一包三十六文
龍樹菩薩秘方の良薬年来
ためし見たる御薬なりもろ/\
の目によくはやり目は一日
にてすみやかになほる

しやくの黒薬
いかほどつよきしやくなりとも
そくざにしるしあり朝夕
おこたらず用る時はつねに
おこらず一生ねを切る良薬也

御にほひふくろ
蘭奢待
青紫のたぐひかさばるものを用ず
ほかにるいなしのせいほうにて備方
御やしき様にて御用に相?り申候

正銘じやかう?のう丁子いり 

箱入御はみか式(?) 

(下へ戻る)
他家無類のせいほう
砂を用ず御はべすり一式にて
表(?)するゆえ口中に入てはなはだ
かるし且つけにほひにあらざる
ゆえ日かずふるともにほひの
うせる事なし

小児百日せきの奇薬 代百文

当年新製
御かほの薬
あらひこ白粉 薄化粧 一包百文 半包五十文
あつ化粧をきらひ給ふ御方うす化粧があだて??
くちべにばかりちよいとなさるが当世ふう或は四十??
の御女中様方けば/\しくけはひするも不さうおう
ぢやとおぼしめす上方などはかならず御もちい御たらし
よと遊候何となくつやを出しておくゆかしく御かほきれい
になり申候又うすけしやうにててら/\とつやを出す
?は水かけんと白粉のときやうによる委しくは能書に
しるす ▲わけて申上候

此あらひこ白粉は江戸の水とは薬もつかひみちも
ちがひ申候これはけはひをうすくきれいにする御くすり
おしろいなりつねのあらひこおしろいとはかくべつの上品
にて薬種もちがひ候事は見くらべてもわかり申候


28
仙方延寿丹 
ねりやく百文・・田中?悦??
備霊百?おぎなひくすりたんせきのぼせに?功あり
元禄年中より百二十余年相賈す
?大坂より下りねりやくの元祖なり
江戸本町二丁目 式亭三馬

右正月二日売初より吉例のをかし?一枚揚けいふつ奉?候

○新?の本目録

江戸名所 絵本墨水両岸行 全三冊
大川橋より隅田川霊岸しの
名所旧跡の来歴を委しく
しるし北尾歌川勝川の画図
を加へ流行のよみ本と?たる本也

江戸神仏 願掛重宝記 萬寿亭正二著 勝川春亭画
神仏立願して諸願成就ありし
霊仏或は奇瑞ありし守札の
出る所を委しくしるし人々
大に徳ある本なり

江戸名所 絵本物見岡 全三冊
正月より十二月
まての画つくし
関清長画
江戸年中行事
神社仏閣縁日
さい礼花鳥の名所
をあらはす

江戸の書林 文刻堂 西村源六 編?

(左頁上)文化十癸酉春新板目録右のこ・・

鵜飼石奇瑞 歌題目奇特
法花弐度咲俊寛 全四冊続 合巻一本 ・・・

江戸名所 吉原すご六 一枚ずり
むかしの姿に近来の
地名を増し初春の
御伽によろしき所也

蔵意抄 中本一冊
風雅でもなく洒落でなく手鑑
でなく画帖でなく尚古となしに
あつめ置て綴り合せし蔵い抄
忠臣庫が狂言の山科あたりの秘
筐より求め得たりし古物の漫録

滑稽奇言 田舎の正本 全一冊
田舎芝居のありさまを
有のまゝに狂言の正本
めかして面白おかしき
新手の本なり

(諸々略)

 

 

 オワリ。七段目といえば簑助さんのおかる、二代玉男さんの由良介、アンド
三代勘十郎さんの平右衛門、床に咲甫さんのヤツが超絶かっこよかった。
あれはあと何回でも毎日でも見たいし聴きたいと未だに思っている。
咲甫さんは今春織太夫になられました。イケメン!めでたい!