仮想空間

趣味の変体仮名

薩摩歌妓鑑 第七

 

 読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/

      ニ10-02059

 


38(右頁三行目)
  第七 早打の段                さして 急ぎ行
川立は川と譬し 言の葉や 流れの果を 粋(すい)と呼ぶ 人の口のは何の語様々に投やりて 浮世はてん
ほの川柳水にもまるゝ晒の里おまんさゝのが初世帯 けふ宿ばいりの内普請 左官は壁を
こつてこて雇はれ嬶が臺所 走り廻りの桶小桶水ももらさぬ若女夫離れぬ中の釘付けに

仕舞為業(しごと)ぞ閙(いそが)しき 左官の太郎兵衛永の日に短ききせる横ぐはへ 奥の一間に覗をくれ
長兵ちよつと来て見られい 美しいわろ達が髩(つと)の筋立合て居らるゝ 年なら風なら腰付なら
うまい物じやぞや 何を太郎がよい機嫌な 口へもはいらぬよその献立 かゝ様夕飯はどうぞいの ヲゝ
勝手にこしめせしたが爰は勝手が悪い 裏の床几がよい小座敷 夕飯仕廻ふて行水して 緩りと
休んで下さんせと かき立汁のちんからり 日光折敷が馳走ぶり 堤伝ひに五々作が世帯道具
の買物使い 片荷に擂小木擂鉢やら角行燈に古三味線 二上り調子の畑声 コリヤ/\源
太よ 嬶が待て居るがな エゝ又やんま釣るのか 無為(なし)といやい 早ふ/\に小編笠片肌ぬいだるちよつぽり


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髪 かゝ様戻つた/\と 簀戸の扉をぐはつたりと明けて六つの源太郎 ヲゝ待て居たよふ戻りやつたと
さゝの伴ひ走り出 とゝ様も暑いのに 買物はあすの事でも大事ない あたふた急いで けがばして
下さんすな ヲゝそれ/\ お前方は親子御の中 三五兵衛様や此笹野は あぢな縁でお世話になり
お年寄のお心遣ひが冥加ない 行水して汗でも流しちとお休 ぼんは伯母があびせてやろ サア
いと爰へおじや 此背中の汗わいの アゝ其わんばく者には構はしやりますな 此頃迄此祖父(ぢい)を廻し
おつたが とゝやかゝが出来てから おらがいふ事ひつとつも聞おりませぬ アリヤ又/\/\鍋のふた明る
か そこい芋はないが 悪いくせの付たやつ 今迄とは違ふぞ 侍の息子殿なれば一ぜんさゝねばならぬ

ぞ 其二ぜんかたしやめおれよ おまん聞きや けふの買物に此三絃(しやみせん)古道具や店に釣て有たを
ぴん/\買ておこせとはね廻つてのじやゝ馬 つい三日げぢきおつた 其上に是見や赤鬼の面
まだ有 兜着た毘沙門か イヤ渡辺の綱そふな 羅生門の手柄の所 とつ様の片腕になれ
よ いふ事きかぬと身程(ちりけ)へ赤の餅じやぞ イヤそりやそふと 二人の衆はどこへぞ サレバイナ けふは初めて
の宿ばいり 第一は国元の親御様方に 悪事災難できぬ様にと 佐田の天神様へ昼過からの
参詣 モウ追付でござんせう イヤ/\そりやもそつと隙がいろ 笹野女郎 国元の家来衆
へ 此晒に居る事知らせ状でも出したかや アイ一両日以前に大かた頃日あたりは国元へ届くでござん


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せう 此門の家印轡の紋迄書てやりました よし/\ おまんそなたもやつたか アイ嶋蔵や事
助方への届文 おふたりながら御勘当の身なれば 親御様へは御遠慮で 私等が名宛にして けらい
衆へしらせの文 ホゝ尤々 仮初ながら爰へ来てももふ三十日 四十里も隔つた親子の中 状やるこ
ちより便りせぬ 親御の心がおいとしい 何くらからす育た二人の衆 不自由なめを見せまいと 此五々作
が心一ばい イヤかゝ様大工衆 左官殿も頼ます 久三も小めろもでつちも入程に 急に聞て下されい
為業(しごと)もけふで仕廻そふな サアもふ一所にいにませうか かゝ様も今夜はいんで 翌(あした)とをから来て
下され おまんは前帯の祝ひ也 笹野女郎は袖詰なり 所かはれば味かはる 大工衆根太は丈

夫なかや 源太も夜しゝ仕に起なよ イヤまだ忘れた かゝ様 家渡(やわたり)粥はしかけて有か そこらはぬから
ぬ 豆も三粒入てちやんと焚て置ましたエゝ其三粒が過るはいの なぜ一粒で置かしやれぬ 一粒は
孫の源太 跡二粒はおまん笹野が手作の枝豆 いつくふて見てもえい/\/\ 枝豆しよ さつ/\
さ笹野殿さらば 早ねやしやれと ほた/\打連立帰る 跡は二人が掃さうぢ 早お帰りに間も
有まいと えさし箒のしやん/\と隅々照す角行燈 そこら片付け殿御待 心のたけの花
生けや 裏のむくげの白玉に八千代をこめし寿は 座敷馴たる徳ぞかし 源太は玩(もちやそ)び引広げ
サアかゝ様 ぴん/\引て下され芝居事して遊ばふと せがみ立ればヲゝ爰な子は何いづぞ かゝが三弦


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いつ聞て アレ伯母様がよふ引てじや 伯母様を頼みやいのふ そんなら伯母様引て下され あのおまん
様とした事が わたしやお前が 源五様や三五様に馴なじんだは 三絃胡弓が媒(なかだち) いとしらしい嫁の
もつれの仲人 宵寝まどひの若旦那 さつま源太郎様のお望 どれ/\わしは胡弓と部屋口の
箱より出す胡弓のしらべ おまんも誠にそふかいなと 三絃引寄せ 久しぶりにて相の山にせうかいな アゝ何成
とお前から引かけさんせ 嬶様もおば様も早ふ引んか 遅いと此鬼の面着てかみ付くぞ ヲゝこはやの/\
地獄の苦しみは 我等にいかでまさるべき 身より出せる科なれば 心の鬼の身を責て かやう
に苦をば受くるなり 月の夕部の浮雲は 後の世の 迷ひ成べし 源太は丸寝の聞寝入り 外面に誰

かしらね共身を忍ぶ身の忍び駒 人目を忍ぶ編笠の深い恋中馴初し 歌の唱歌も小紫 誰
波入江の身は捨小舟 沈む思ひは 我ひとり ソレワエけさの別れに袖引とめよ 姿をみれば清
原や 深やぶ成しお敵達 浮世を忍ぶめせき笠 雨はふらいで恋がふる おまんさゝのはうつかりと 見と
れ聞入我が身も 同気同性胴調子 思はずしらず内と外三絃胡弓の四人連とかく人
目のしげければ まがきながらの御げんといへど とがめられてはなりませぬ うい事/\そりやさふさ江
戸やつさういて来た 浮いた調子に晒のきぬた手を尽してぞ引ならず 折から佐田の下向足
何心なく二人連 笠取て入んとす 源五兵衛じやないか 三五兵衛と 呼かけられてふり返り 誰じや 何者


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じやイヤおれじやと 編笠取ば エゝ 若殿桂之助様 お連の女中は 小紫様太夫様か こりやどふじや 是は
思ひがけもないおまんさゝのと呼ぶ声に 二人も恟り飛で出是は/\ しらぬ事と手先程からのお慮外 御
ゆるされて下されませ マア/\是へと御手を取 座に直し奉れば 両人はふしん顔 江戸表御出達の若殿
なれば お先手の手ふりお供の同勢も有べきに 軽々敷きおふたり連れ 子細ぞあらんと指寄ば物をも
いはず抜打に二人が背骨 りう/\はつしと続け打 二人の女房もかけ隔て夫をかこふ気配りに 小紫
も押隔て殿様おせきなさるゝな 訳おつしやれず無体の折檻 マア/\お待ちと抱とゞめ ヲゝ皆驚か
しやんすは御尤 何をいふもかをいふも皆わたしからおこつた事 いつそや大坂へ殿様と一所に登つた時 お

前方と約束の 見請の金が間ちがふたか今にこず こちらは日限の手詰なり親方がせつくやら あ
なたのお耳へいらば又いら/\とお腹立 それも気の毒けふくるの あすくるのと延して見てもいかな事
そこでわたしもむつとして 影での事なりやお前方を謗り口 江戸のいきぢの肝積(かんしやく)詞 こりや上方
のはつ付け野郎約束か違た三弥いつてきろ 今でもうせたら永代橋からけこんでくれべいとホゝゝゝゝ
つがもない事 いふて見ても廻して見ても埒明ず とう/\殿様の耳へ入やいな 夫レなれば金のかはりに
兜を渡そふと 鍵はあなたの肌身を離さず 蓋押明くれば外龍とやら重宝とやら 何
者が盗だやら 箱の内には何にもなかつたと思はんせと 聞て二人は恟り仰天 ナゝ何とおつしやる


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天下の重宝外龍の甲紛失は 大殿の一大事只事ならず 三五兵衛 源五兵衛 とはいかに とはいかに
と 吐息とむに当惑顔諸手を組で詞なし おまんさゝのもうろ/\と コレ三五兵衛様 今お咄
の見請の金は 其日其儘お前方御両人から あなたへお飛脚がいたではないか ナおまん様 ほんに
それ/\ 夫こそはよい証拠 ハイ 申上まする 其身受のお金の事はヤア女房たまれ 何を女
の小指出た 金所でない見受所でもない 甲の紛失は天下の大事お家の不吉 大殿のお命のは
めつ 我々勘当受たり迚 聞捨ならぬ御大事 モウ三五兵衛 いふにや及ぶ 若殿是へ御出こそ幸い
暫く此家に隠し参らせ 御辺と我は一先ず国へ馳せ下り 親々に対面とげ其上にて一思案 甲

の詮議といはせも果ず桂之助 ヤア今更忠義立おいてくれ 見受の金はといへば 其日其儘 飛
脚を立しなんどゝ云紛らす偽り者 我推量に少しも違はず 此太夫に迷ひし我をおとりにかけ
そち達二人が此女房 只者ならぬ顔付 ぬつぺりとこんな所に楽しみ住居 あぢやるな 甲の事も仰
山そふに気遣すな 此頃大学が江戸へやり 甲の詮議はおれ次第 盗まれ人(て)の本人がこなたなれば 一
先づ爰を欠落と 夫は/\念頃にいふてくれる そこでおれも嬉しさに 欠落とはよい分別 どふぞ太夫
も一所に 連て退きたいと頼んだれば 大学めは伜じやはい 尽し序に連ていかつしやれ 見受の
事も甲の事も 皆おれ次第と 路銀迄才覚してくれた ナントそち達とは違ふて きつい忠


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心者かと 忠を不忠不忠を忠との間違ひに 家の騒動我身の難儀親の破滅に気も
付かず うつかり温和(おんくは)の大名風火にくばりしは是ならん 聞ば聞程両人は闇に鉄砲胸に釘 心も
心ならざる所へ 村の歩きがあはたゝ敷 さつま源五兵衛様 関口三五兵衛様のお宿は爰か お国元
よりの早使 早かごがもふ爰へ しらせまするといひちらしてぞ走り行 サア一大事 国元よりと有からは
若殿には逢されまい マア/\奥へと無理やりに一間の 内へぞすゝめやる 程もあらせず 宿次
/\の人歩の百姓 一時走りのえい/\/\ アリヤ/\/\さつさつさ さらし木綿の腹帯にぐる/\巻
の事助が かごにゆられて目もくら/\黒汗流して又早かご 一二を争ふえい/\声 源五がけ

らい嶋蔵がかごに鉢巻しつかりと 渡しましたと人歩共宿々へこそ帰りけれ 事に馴たる両
人がコリヤおまん笹野うろたへな それ水々とめい/\家来が口押わり 腰に用意のコリヤ気
を付けよ 時が切れたがうろたへ者めと ちんずる詞も物馴たる主人の声に目をひらき 物は得いはずこし
刀主人の前へ差出せば 柄に結びし鋏箱 ムゝ親人の御状ならめと心関口三五兵衛殿 母榊
より さつま源五兵衛殿 母しづまより ムゝ某も母人の御状日付は 六月九日 時は 明け七つ ムゝ初
夜にはまだ間もあらん 四十里斗を一日に成ならず 殊に極暑の早使い尤々と 互に書状
の封刎ね切 何々 事急なれば委細は筆に廻らず 家来嶋蔵に申遣はす条とくと聞分け


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一刻も早く国元へ下るべし 対面の上にて子細有 一刻も早く/\急ぎあら/\ 三五兵衛御辺が状は
微塵も違はぬ其通りと 心早鐘早使いめい/\かごより引出せど 正気付ねばムゝ急の
使なれば支度もそこ/\ 何ぞ喰せよ女房 アイ/\有あふ家渡り粥それ究竟 早ふ/\に
走りえ走り廻つて箸二ぜん マア是くふて急ぎの口上 持てござるとくゝめる椀を 押いたゞき 一口
二口呑込み呑込む二人の奴 椀の中より顔見合せて目をむき出し 嶋蔵けか エゝうぬが頬(つら)を
見るに付けてもうらめしい ヲゝ事助めか 儕三五兵衛様に国の様子をしらせ 主人源五兵衛様を討たん
とやうぬ待てよ うぬも待てよ マア喰てしまへ ヲゝくはいではとかき込/\早使 椀投捨て立上

れ共口は達者に脚ひよろ/\ 二人の女房も持あつかひ様子はしらねど命づく マア喰て仕廻ふた
がよいわいのと さゝゆる女房を夫々が突退け押退け 事助が小腕(かいな)取てどうど引すへ エゝ空気(うつけ)者 大事
の使の様子もぬかさず 私の遺恨血迷ふたか 母人の口上は何と 子細はいかにとせり立れば 胸迄
つつ込む涙をば呑込/\ エゝ申すも便(びん)なき事ながら いつぞやお国元にて 御勘当とお受なされし其砌
拙者めもお供と願ひし時に イヤ/\跡に残つて親人に心を付けよと 仰下されし程の此事助め 昼(ちう)
夜お傍を離れず付添ひしに 其夜お濱御殿の帰るさ 千本松原のお供前(さき)急御用有て立
帰つたる跡にて 何者共しれず 親旦那をだまし打と皆迄聞ず源五三五が中に取巻き シテ 其討


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たるやつは何者 ナ何やつと心散乱三五兵衛 源五兵衛も気をのみ上 コリヤ事助 源五兵衛が
為にも恩有義理有れ内記殿 雲の裏迄かけ廻り 敵を討たで有べきか 其夜其場に 手
がゝり証拠もなかりしかと 問れて事助うらめしげに 源五兵衛が顔打守り イヤ慥な証拠は其
夜の騒動聞くと等しく いだ天走りに立帰り死骸を見れば 急所につつ込む此刀 コレ御らんぜと
指出せば両人寄て 一目見るより驚く面色 胸に胴突き喉に盤石 何とお見しり有ふがな 相
手はさつま源二左衛門 則其場に有合せば 主人の敵真二つにと飛かゝりしを お袋様が押隔て
そちに打たせて 伜三五兵衛が武士はどこで立つ 敵を討たば自然と勘当も赦(ゆり)る道理 出過ぎ者

めと一句に詰られ討たれもせず 女義一人の主人を捨 腹かつさばくも本意ならずと のめ/\と今
日迄生きながらへての早使 しかも今日は内記様の初月忌 最前からお前方に 此面(おもて)を指向ける
面目なさ 思ひやつてと斗にて 持たる刀がはと投大声上てぞ泣居たる 源五三五は物をもいはず
女房/\も夫の顔 守り詰たる有様はにが/\しくぞ見へにける 嶋蔵は最前より指うつむい
て居たりしが 主人の前に手をつかへ 只今事助が申す通 ちつとも違はぬ国の騒動 其上に外
龍の甲 何者にか盗取られしと関東よりの御使 聞くと等しく大学殿捨て置かれぬ御大事と 先月
江戸表へ発足 直ぐ様申越されしは 若殿の放埓故 お国の大殿様は御閉門 切腹は追っての事


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との御使 又内記様 源二左衛門様は 右の騒動の上の御にくしみ 屋敷所領も没収せられ 家来と
いふては 此嶋蔵め只一人 お国の親御はあがり屋の侘住居 奥様方のお歎き アゝどふしたらお家
が立ふぞ 内記様源二左衛門様 日頃入魂(じゆつこん)の御中 意趣遺恨有べき筈はなけれ共 云訳立ぬ
其場の時宜 源二左衛門様のお悔みは エゝせめて倅一人あらば今此時の力にもなり お家の御用
にも立へきと世を恨みたるお詞を お二人のお袋様が 聞ては泣 思ふては泣 何とぞ源五兵衛三五
兵衛が 有家はしらぬかと御尋 則其日おまん様さゝの様よりの御状相届き 其儘にお目にかけしに
飛立ごとく 拙者めに仰付られての早使 何とぞ此場はナア 三五兵衛様 御了簡を遊ば

され 一先ず国元へお下り 母御様方へ御対面の後 其上にての御了簡 何を申すも主人を大切に存る
からと 胸にせきくる涙をばおさへ 兼てぞ見へにける 三五兵衛は事助が持参の刀 我差添に引
合せとつくと見 コリヤ源五兵衛 コレ此刀を内記殿の急所に 突込み捨て置しと有からは千も万も
ない 親の敵は源二左衛門 なれ共 三五兵衛が為には源二左衛門は後の親 実父の敵に後の親を討て
は 侍の道立ず わが親がくれたコレこの差添 そつちへ返せばあかの他人 親を討たる此一腰にて そちと
我とが一勝負サア 立上れと血気のはやりを 事助嶋蔵破(わつ)て入 御無念は御尤なれ共爰にて
勝負遊ばされては お袋様の御心に背く道理 ヤアだまれ 親の敵を持たる身は供に天を戴


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かず 夫レい何ぞや同道せよとは 女童の了簡 アゝけがらはしや/\ サア源五兵衛おくれたりと 裾はせ折
て鯉口くつろげ サゝゝ勝負と 詰寄たり さゝのも夫に連添ふ此身 コレおまん様 イヤ殿 念頃も
兄弟分もけふ限り わたしが為に舅の敵は源五兵衛殿 こなたも夫に連添其身 かばい立
しやると此笹野が赦さぬぞと 傍に有あふ胡弓の弓の張りつよく肘を張たる女の情 おまんも
おとらず詰寄て エゝ いしこらしうつべこべと そなたが夫が大事なりや わしが為にはコレ/\大事の/\
源五兵衛様 指もさゝす 事っちやないと 胴をすへたる三絃(しやみせん)の天住糸倉胸くら/\ 二人の家来も
目を放さず 主人に引添ふ主従三人 こなたも三人六人が六つの岐(ちまた)の修羅道に 三絃胡弓の敵

討花やかにも又めさましし 奥の一間の桂之助寝るにねられぬ寝とぼけ顔 小紫も気の毒さ
出てよからふやら悪かろやら イヤ/\出やんなこちとが出ては邪魔に成 出てしからりよより辛抱
と 出るにも出られずいぬにもいなれず 大峯入の山伏で入どめにあふ心地せり や有て源五兵衛 腰
の刀抜出せばすはこそ勝負と三五兵衛 親の敵の片われ さつま源五兵衛思ひしれとなうき
掛る腕首取てはね退くれば 心得ひらりと身をかはし鞘ぐちなぐる諸膝を さしつたり
と踊りこへ 打手薙(なぐ)手の身のひねり名にあふ手利の関口流 こなたもさつまの修錬
の手利 腹をぬかさぬ刀の鐺鞘ぐちむづと引掴み こりや待てせくな 三五兵衛いふ事有 イヤ


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いふ事も聞く事もない イヤサ今源五兵衛がいふ詞 臍(ほぞ)を堅めてとつくと聞け 親の敵を討つが重いか
天下の重宝外龍の甲を詮議仕出し お家を立るが重いか わが心てとくと掛分けて見よ
ヤア此期に及んで理屈ばるな イヤ理屈てない 此指添は内記殿の魂 某に下されし上は 我
為に内記殿は養父 養父の敵なればとて 誠の親を討たば 万人の物笑ひ 此指添を返す
からな縁は切れて他人同士 他人に成て敵の詮議仕出して見せふ こふ斗では合点行まい 内記殿
を討んと思ふ程の親源二左衛門 我刀を相手の急所に突込み 逃げ帰る程の武士てもなし 是ふしぎ
の第一 二つにはコレ此刀 源二左衛門の刀にて刀にあらず 其証拠是見よと鞘抜放せば直ぐに付け入る

源五が胸先 ホゝゝゝゝ 其刀引くな 見する事有 関口流はいざしらず 某は元さつまの出生 惣体さつ
まのならひにて 空鞘は武士の不吉と是を忌む コレ此刀は二尺五寸親が重代 此鞘は二尺八寸
源五兵衛が推量には 此刀を外へ譲られしを 譲り受たるやつか 又は外に敵の有は必定源五兵衛が器
量 違はぬ所と指添ぬいて 鞘の鯉口二つにさつと切われば 内にあり/\朱書きの銘 両人両手
に鞘の片われ 源五兵衛高らかに明暦元年 甲未二月廿五日 ムゝ此方には年号月日
其鞘には何と ヲゝ此鞘には 持ち主 結城伴之進 鞘師小川治郎兵衛是を作る 扨こそ/\
源五兵衛の推量にも違はず 此刀を奪取て 伴之進めが私のだまし討 うつたへ廻つて鞘取


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違へしに紛ひなし ムゝ/\ すりや 誠の敵は伴之進 夫共しらず気のせく儘 赦してくりやれ源五兵衛
是も偏に貴殿のかげ ハツアゝ忝やと主従が天を拝し地を礼し 踊り上つて悦べり 源五兵衛も
安堵せしが イヤ我働き故しれたにあらず すべて鞘師のならひにて 持主の姓名と 我名を印すが
鞘師の古実 コレ此鞘の日付二月廿五日と有るは 是則今日詣でし 佐田の天神の御加護疑ひなし
親の悪名我身の災難 時にしるゝ事も偏に神の御告 ハゝア有がたや 有がたしと肝にめいずる忝
涙 胸もひらくる智恵の鞘心の鞘をきつぱりと わつて見せたるさつまが鞘割誠に侍一疋也
二人の家来も心そく/\何嶋蔵 最前は心のせく儘過言の麁忽 何さお互/\ ほんにおまん

さん 私も出過ぎた女のさきぐり ホゝゝゝ何のいなァ 夫レもお互/\と 互の心ほどけ合 悦びあふぞ 理り也 三五兵衛
もいさみ立 敵の仮名(けめう)しれし上は 伴之進めが首はわが掌に握つたり 儕貴殿がいふごとく敵討
は内証 お家の大事は外龍の甲 一先ず国へ立帰り 源二左衛門殿を始め 母人にも対面とげん いかにも/\
対面とげし其上にて 子細有との母の書状は 父返事左衛門殿の一了簡 我々両人に甲の詮議を仕出
せよと 心を砕きし謎のお使 少しも猶予成がたし 事助嶋蔵供せよ サア三五兵衛と見拵へ
女房/\もお供せん 拘(かゝへ)よ笠よとひしめけば 三五兵衛声あらゝげ ヤイたわけ者 大事の詮議に女を
連れてよい物か 殊に若殿是に御入 御両所は誰か世話する イヤそふでない三五兵衛 伴之進がさゝのに


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心を懸るじゃ 究竟一の敵の手引 屋敷へ入込我々に案内せよ 又おまんは跡に残つて 五々作殿に右
のしだらを詳しく語り 若殿の御身の上を頼入る 大事の役目呑込だか イサ若殿に御暇乞と いふ
を出汐に桂之助 太夫諸共走り出 残らず聞た二人の衆 何もいはぬ 是じや/\と手を合せ テモ扨も
大学めは きつい毒をもりおつた いかにおれが大名の息子じやてゝ 生きながらの火葬療治 源五
三五は参附湯(ぢんぶたう) よい様に頼むぞや お気遣遊ばさるゝな 追付めで度き御吉左右 おまん 坊主めけが
さすな早おお暇と立上れば 納戸の内より源太郎が 小耳に聞たか走り出 おとゝ様おぢ様 おれも一所に
付ていて 敵討たふとしがみ付おまん引退け 是は坊ン寝とぼけたか アレ殿様も是にござる とゝ様

や伯父様は こはい所へ切合仕に そながたいきやると邪魔になる まめで追付お帰りとお辞儀申しや
といふをふり切 納戸に入て玩(もちやそ)ひの 二つの面を両手に持 とゝ様伯父様 切合さしやるなら 憎いやつ
を此様に 首切てござれやと 二つの面を手に渡せば人々 そつと舌震ひ 涙に子種は隠されぬ
嘸嬉しかろ源五兵衛 ハアおまん様と 笹野も供に誰々も感心 かんるい詞なし 源五兵衛も目を
すりこすり お家騒動の砌でなくば国へ連れ行 祖父(ぢい)様のお目にかけなば嘸お悦び 爺(とゝ)や伯父
が門出祝ふはナ 則 若殿様への大忠臣 ノウおまん でかしおつたと斗にて 悦び涙をちやくととゞめ ハアイヤ /\/\
大事の門出に涙は不吉 ハゝゝゝ いさ三五兵衛 伜が祝ふ此面は 面目すゝぐ鬼の角 角は則大学め


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御辺が面はいかに/\ ヲゝサこれ見よ源五 綱と見へしは羅生門 兜の鉢の手に入る瑞相 追付めで
たふ面々が 勝て兜のしめくゝり 結ぶ庵を手束弓引は返さじ正八幡 甲のてへん八幡座
女龍(めりやう)男龍は出世の首途(かどんで)つれ立つ夫婦別るゝ夫婦 残る御夫婦 おさらばと足を
  第八  男揃への段                         はやめて