仮想空間

趣味の変体仮名

嫗山姥 第二 廓咄の段

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
 ニ10-02179


20(左頁)
  第二
まつらがたひれふる山の石よりも つもる思ひは猶おもき いは
くらの大なごん兼冬(かねふゆ)公御娘 おもだか姫と申せしは源の頼(らい)
光(くはう)と 御えんへんのけい約も互に待てば久かたの 月日重り年
も立ち情ざかりもいたづらに 右大将高藤がざん言故 頼光は
行かたなく御文の音づれさへ かれのによはる秋の虫 世にたより
なきうきふしに もし御たん慮のこともやと 御ねまの奉行ねずの


21
ばん 女中の外は男まぜずの大役は 女護の嶋(しま)にことならず お
局の藤なみ御側に立より なふこゝなお子 なぜにうき/\なされま
せぬ 是程大ぜいあつまつてうき世咄しの高笑ひも 皆お前を
いさめの為お煩でも出た時は おやご様の御不孝日頃のおきには
似合ませぬと いさめられてもいさまぬかほ アゝ又局のきづまり
ないけん聞たふない 日本国の花もみぢを今此庭にうつしても
なんの心がいさまふぞ 吉日極り頼光様へよめ入して 今頃はおなか

におびをも結ぶはづを あの右大将づらめにさまたげられ あまつさへ
お行衛しれず どこをあてどに一筆の とはせの文さへ長枕 此長の夜
をたれとねよお里や泣くまいと思へ共 涙がどふもかんにんせぬこらへて
たもとはら/\と玉をつらぬく御めもと こし本茶の間中い迄お道理
様やと諸共にもらひ 涙にくれければ お局は気の毒がり アゝなんぞいの
お力は付けもせで そなた衆迄めろ/\といま/\しいをいてたも ヤア夫(それ)は
そふたばこうりの源七はまだ見へぬか きさく者の通り者今にも


22
きたら お姫様まじくらに向ひ鬼して遊ぶまいか こりやきのかはつた
思ひ付早ふたばこが来れかし たばこ/\と待よひの 松葉たばこのや
はらこき女中「なかまぞにぎはしきむかしは色に のぼりつめ 今はうき
世に下り坂田の時行(ときゆき)と うづもれし名も父のあたはらさんと思ふ心
ざしあかぬ夫婦の中をさへ三くだり半のいきわかれ 袖は涙のかはごり
を今は身過ぎとひつかたげ 刻みたばこ油引ずとうりありく そりやた
ばこがきたはとこし本中早ふ/\とよび入 是源七先此かはごは預かる

しりからげもおろしやいのお姫様より御意が有 そなたのいぜん
はれき/\で悪性故にしそこない 其なりになりやつたげな けい
せいとやらくるわとやら大内にはめづらしき 三味線の一曲を常々の
お望故 コレ三味線もとゝのへをくサア/\所望と有ければ アゝつ
がもない 尤いぜんは傾城の一つがひも仕り 三味線こきう浄るり
もんさくのら一まきの諸げいなら こつちへ任せておくざしきによくのゝ
山のつれ引も きのふのむかしけふは又よしのたばこの刻みうり もゝ引


23
かけで三味線とは 茶づけにひしこの御望ひらさら御めんと逃出る
を 女房達引とめて其いひ様がもふ面白い 何を云もお気慰さめ
ひらに頼むとしいられ 源七下地すきの道てんぽのかはやりませふ
と 箱より出す三味線のいとはむかしにかはらねど引其ぬしの
なれのはて 親のばちごま涙ごまのね色やさしく「引なせい
かみ子の袖に をく露と ともにはなれしいもせの中 あはれむかしは
ぜんせいの 松の位も冬かれし ふろ敷包行さきは しらぬたびぢに

とぼ/\と ついぢの陰にやすらへば ヤアめづらしい三味線 なんぼ大内
がたでもしやれのうきよにめぐりくる 車よせより立聞けば ハアふし
ぎやあの小歌は 我身くりに在りし時坂田のくらんど時行殿になれ
そめ 作り出せしかへしやうが 彼人ならで誰は伝へたなつかしや どふぞ入
こみ見たい物しやと出ほうだいにこえはり上 是はなにはの遊女町
に たれしらぬ者もない傾城の右筆 ぬれ一通りの状文(ぜうふみ)なら恐らく
わたしが一筆で かなはぬ恋もかな書き筆 びらりしやらりのかすり


24
ずみ生娘遊女手かけ者 後家尼人の女房迄段々のうきわけは
わたしが家の伝授ごと もしそんな御用ならお頼みあれとぞ云入れたる
おくには女中みゝをすまし さつてもかはつたうり物 いざよひ入れてちわ
文かゝせてお慰み さらしなかもんよんでおじや あいとこたへてふたりづれ
にて走り出 是はふ傾城の右筆殿はこなたか 此御殿の姫君何やら
そもじに御用有 こなたへいざと手をとれば ハア御用とは何ならんおめ
もじ様にと夕がほの 庭の飛石すな/\/\ ちよこ/\/\とおくざしきへ

何の遠慮も並いたる だいり女郎にばうてせぬ いづれそれしや
と見へにけり たなこうりの源七も何心なくそば近く かほと/\を見
合すれば ヤアりべつせし女房なむ三宝とこがくれの 女はそれと
水くさき男ぢく生人でなし あか恥かゝせてのけふかと飛立むねも
人めのせき をししづめ/\ 心をくだき折々にしりめににらぬも恋なれ
や 姫君何のきも付ず 是なふ紙子 そなたの物ごしつまはづれいか様
常の女子でなし そふしたなりになりやつたは定めし深い分けあらん 一河(が)の


25
ながれも他生のえんつゝまずかたりやと有ければ アゝどなたかはおやさ ←
しいお詞 お尋ねなく共いひたふて/\胸のたぐる折しも さらばお
咄し申ませふ 恥かしながらわたしが昔はうき河竹の傾城 萩野や
の八重霧とて太夫中間の立者と いはれし程のぜんせいの末もとげ
ぬあだ恋に のぼりつめて此通り よな/\かはる大じんの中も坂田の何
がしとて 水上の初日よりふとあひ初めて丸三年 何が互のうはきざ
かりのぼる程に/\ とうり天の中二かいよる昼なしの床入に かけだい様

と異名を受け水もらさぬ中なりしに 又同じくるわにをだ巻と云太夫
彼男にやき付て毎日百通二百通 かきもかいたりちわ文は大かた
馬に七駄半 舟につんだら千石舟 車にのせたらえいやらさ きやり
でもをんどれもいのつてもまじなふてもみぢんけもないふたりが中 弥
つのつてあふ程に をだ巻大きにはらを立忘れもせぬ八月の十八日の
雨(あま)あがり月は山よりおぼろ染の 打かけひらりと取てすて 白むく
一つにひつしごきはぎもあらはにかけ来りわたしが膝にふうはりとんとい


26
かゝつて 是八重霧 あんまり見られぬいやじやぞやサア 男をたもる
かたもらぬかいやかおゝかおゝかいやか 二つの返答が聞たいと むなづ
くらをひつ掴む こつちも一期の大じぞとよはみを見せず こりや を
だ巻とやらくだ巻とやらひかりはくはぬ出なをしや 此ひろい日本に
あの人ならで男はないか よしないにせよ有にせよそれ程床しい男
なら なぜにせんにほれなんだ男ぬす人いき傾城と いひ様取てなげ
付れば明りしやうじ打やぶり つぎ三味線をふみくだきえんより下へこ

ろ/\/\と はひびやくしん迄こけかゝり もつこく南天めつきり/\
切石の上へまうつむけ はなぢは一石六斗三升五合五勺 そりやこそ
けんくはが初まつた大じのつちの太夫様に ひけを付てはかなふまい かせい
をやれとした程に やり手引舟中いまゝたき出入の座頭あんま取祈(み)
子(こ)山伏にうらやさんせきだかたしに げたかたし わらんずがけてくるも有 だい
所からざしき迄太夫様のしかへしと あそこではたゝき合こゝではぶち合を
どり合 茶だなへつついたばこぼん当り物を幸に 打めぐうちわる


27
ふみくだくめり/\ぴしやりとなるをとに そりやぢしんよかみなりよ世
なをしくわばら/\と 我さきにと逃様に水たごたらひにこけかゝり
ざしきも庭も水だらけに成程に 南無三つなみが打てくるはなふ悲し
やとわめくやら ひさうの子猫を馬程な鼠がくはへかけ出すやら 屋ね
ではいたちがをどるやら 神武以来のりんきいさかひ此こと世上にかく
れなく かの男は其場よりおやご様のかん当受 我身もくるわを夜
ぬけしてこんぼん恋路のうき名取 なべのふた取る杓子取るなれぬせたいの

其日すぎ 男め故でござんする アゝ余(あんま)りしゃべつて息きれた お茶一つ
下さんせとぞかたりける 姫君を初めこし本衆 扨心中の女郎やたとへ
いか成身になつても 思ふ男とそふからは面白からふとの給へば されば末を
聞て下さんせ 其男のてゝ親が やみ打に討れ敵討ねば叶はぬと
私とは縁を切り行衛もなふわかれて 親の敵をねらふとは跡かたも
ないあかうそ 我身に秋風立けれ共何をしほにのかれもせず おやご
様のしなんしたをくつきやう一のかこ付に 敵討との口上はしやかでも一はい


28
参ること まんまとわたしをたばかり女房には紙子をきせ 其身はちやんと
えようらしいわかい女中に立まじり 三味線ひいていけつかり くさり
くさるを見る様あ 日本国の姫ごぜのいんぐはをひとつにかためても 我
身には及ぶまい しよたいめんの皆様へ ありし昔のさんげ咄し お恥しやと
ばかりにておろ/\ 涙にくれければ ヲゝ道理/\身にかゝらぬこちとさへけふ
たふてたまられぬ 去ながらかまへてたんきな心もちやんなや まだ咄し
たいことも有おくへ通せと姫君は みすの内に入給へば サアくるしうない

おくへおじや こちへ/\と人々は皆々一間に入給ふ 跡見送つて八重霧さら
ばおくへ参つて にくさもにくし男のさんげ いふてのけふといらんとするを 時 ←
行取て引もどしはつたとねめ エゝさすがはながれの女じやな 親の敵を
討つ迄とあひたいづくのりべつならずや 只今の詞は誰に云あてこと 未だ敵の
行衛はしれず心をくだくおつとの体(てい) あはれ共思はずをのれがえように引あ
てゝ 面白そふなあだ口 エゝうらめしやと斗にて無念涙にくれければ 女ばう
弥あざ笑ひムゝあのまが/\しい顔はいの 親の敵はいくたり有ぞ こなたの


29
妹ごいと萩殿とやらんが 先月廿三日さやの中山で討給ふ 物部の平
太は敵ではないかいの 時行はつとおどろき 何妹が敵平太をうつたるとは
必定か サ定(じやう)か誠かうすいのあら童と云人をかたらひ やす/\と討て源
の頼光様を頼みかけこみしとは日本にかくれないことゝ聞もあへず なむ三
宝天道にも見はなされ 弓矢神にもすてられし 口おしのうんめいやと我
身をつかんで泣きいたり 女房そばに立寄て 是なふ今くやんですむことか
忝くも頼光様 妹ごをかくまへ給ふいこんによつて敵の主人 えもんのかみ平の正

盛 清原の右大将と心を合せ 頼光様をざんそうし 勅勘の身と成給ふ
是程大きなさうどうを 今迄しらぬとはうろたへ者のうき名を せけんへふ
れふと云ことかぜんごをしあんして下んせ 日頃の心に似ぬの エゝおとましい世
につれて 心迄がくさつたかとすがり付てなきければ 時行つゝ立 扨は敵故
頼光の御なんぎとなつたるとや いもうとにせんこされ 親の敵は討ず共 正
盛右大将は敵の敵也 いで二人が首とつて頼光の御をんをほうじ 名字
のはぢをすゝがんとをどり出るを引とめ それ/\/\それはしつかひ気


30
ちがひか うつにうたるゝ程ならば頼光様にゆだんがあらふか かれ
らはいせいまつさい中うたれぬ子細があればこそ 日かげのお身と
なり給ふこなたが今かけ出して心やすふくびとらふとは重ねて恥が
かきたいか こなたが今迄いたづらで娘をころりとおとしたと 首をころ
りとおとすとはうんでいばんりと恥しむる 時行ほうど行つまり
アツアそふじや誤つた 然らば是より頼光の御行衛を尋ね 御け
らいと成御いせいをかつて正盛が 首引ぬかんとかけ出るを又引とゞめ

たつた今恥しめた舌もひかぬに無分別 ぶゆうたゞしき頼光様
御内には渡部の源五綱とて 一騎当千の兵(つはもの)同じくうすいのあら
どう 鬼もあざむく其中へなまぬるいなりをして 妹にせんこされ敵
を討ぬ無念故 御奉公致したいといはれふ物かいはしやるか お取あげも
ない時はすご/\とはもどられまい ぼういたゞいてもどろよりいかぬかたが
はるかにまし どふぞ分別はないかいの エゝ情ないお人やとつきたをしてぞ
泣きいたる 時行道理にせめられて行つもどつゝはがみをなし こぶしをにぎ


31
り立たりしが もふ此上の分別なしとかはごの中より 氷の様成鎧通し
をつ取 腹にぐつとつき立 せぼねをかけて引まはす 女房是は狂気かと
すがり付ばアゝ音高し/\ おことが今の悪言は伍子胥(ごししよ)が呉王を
諌めたる 金言より猶おもし 恐らく此一念項羽紀信が ゆうきに
もをとるまじと思へ共 時来らねば力なし それ迄まだ/\ながらへおく
びやう者こしぬけと ゆびさゝれんはむねんのうへの無念也 我しゝ
て三日がうち御身がたいないにくるしみあらば 我がたましひ

やどりしと心へ十月をまつてたん生せよ じんべんきたいのゆう力
のなん子と成て 今一度(たび)人がいに生れ出 正盛右大将をほろぼ
さん おことが身もけふより常の女にことかはり 飛業(ひぎやう)通力有べき
ぞ しん山しん谷(こく)をすみかとし 生るゝ子をやういくせよさらば /\と諸
共に つるぎをぬけばくれないの ちは夕立をあらそひしさいごの念
ぞすさまじき あらふしぎや切口よりほのほのまつかせ女房が 口に
いればうんと斗其まゝいきはたへてげり かゝる所にわか侍五六十無二


32
無三にむらがつて 屋かたの四方をおつ取まき ヤア/\かねふゆ 右大将
高藤公より汝が姫を召るれ共 頼光とえん組とて承引なき条
憚り千万 それによつて姫をひつ立来るべしとの御使ひ みだれ入てうばひ
とれと おめきさけぶ其こえに 兼冬卿おどろき給ひ ヤアぬし有姫
をうばゝんとは人ちくるいの右大将 返答するに及ばずあれをつちらせと
の給へ共 いふにかひなきくげ侍ふせぐかたなく見へたる所に ふしたる女
むつくとおきおもてにたつたるやつ原を 取てはなげ/\姫君のおはし

ます 御簾をかこふて立たるはさながら 鬼女のごとく也 正盛が家
の子大田の太郎 数にもたらぬ下主(げす)女何ごとか仕出さん あれ引出せ
と下知すれば 何某を女とや ヲゝ女共いへ男也けり胎内に おつとの
魂やどり木の梅と桜の花心 妻と成り子と生れ思ふ敵をうつせみの
からだはながれの太夫職 一念はさかたのくらんど時行其しるし是見よと 二
かい余りのむくの木をかた手もぢりにエイ やつとねぢおつてよりうるやつ
ばらはら/\/\ はらり/\となぎたつるは人間わざとは「見へ


33
ざりけり 此いきほひにおそれをなしかへしあはする者もなく
みなちり/\゛におちうせけり ヲゝさもそふずさもあらん我た
ましひは玉のをの 御命つゝがなく行末待せましませと姫
君に一れいし 今よりは我いづくをそこと白たへの三十二さうのかん
ばせもいかれる眼(まなこ)物すごく しまだほどけてさかさまにたち
まちやしやの鬼がはらから門 ろうもん四つ足門塀もついぢも
飛こへはねこへはねこへ飛こへ雲をわけ行衛も しらずなりにけり