読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592140?tocOpened=1
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れ大地山々われ大船二十五艘小船あまた行衛しれづ白濱つな
みにて五百かん程ながす其外伊東赤沢仁田真づるふせあたみ
しゆぜん寺辺大にそんじ北条初音山にら山三子山早川ばし相
州は小田原十一万五千百廿九石大久保加賀守様同はぎのと一万石
嶋宿家つぶれ西に二丁程東へ三四丁焼失す駿河は
沼津五万石水の出羽守様ちようち大にいたみ家
焼失す?吉原田中四万石本田豊前守様御城下
大にやけるかんばらともにつぶれる由井宿やけるおき津
は入つなみにて大にそんじ江尻宿つぶれ府中甚つよく
家つぶれ大はん焼失まりこうつのや峠大にあれるをかべ
藤へだ嶋田大にそんじ大井川古今の大水にて往来留る
遠州は金谷さがら一万石田沼玄蕃守様りよちそんじ
日坂峠大にあれる掛川五万三千七百石太田摂津守様御城下
辺大にやける横すか三万五千石西尾隠岐守様りようち
大にそんじる袋井やける見附そんじ濱松六万石井上阿内守様
御城下少々そんじる舞坂つぶれ荒井御関所入つなみに
にてながさる白すか二川吉田辺迄甚つよく大いそ平つか
ふぢ沢鎌倉辺格別のいたみなく六浦平賀四浦
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中田大津千田かんのん崎東西浦賀平根
山つるが崎吉井千代崎浅根白ヶ崎三
崎網代木和田少々いたみ武蔵は
金沢大にそんじる戸塚程か
谷かな川川崎少々いた
み品川江戸丸ノ内辺御
やしき少々いたみ外桜
田南部守様御やしき
大はんそんじ松平時之介
様御屋しき伊東様其
外御屋敷少々いたみ久保町大に
そんじ其外赤坂あざぶ十ばん辺小石
川小川丁御屋敷少々いたみ新宿大そう
霜月四日浅五つ時大坂大じしん?五日ひる七つ時あし川口
はし/\゛十ヶ所余落る人家百けん舩流出す???
??三四きやう大せん七十そう小舩かづしれず宮寺そんず 大
大にそんじる松本六万石松平丹波守様御城下
やける屋々のくづれ人馬大ひに
そんじ往来とまり昼夜何度と
なくゆりやう/\六日
夜しつまり諸人安
堵のおもいをなす遠
国の親類へあんひを
告んが為に
こゝに
しるす
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(読み間違いをそのままに読みました)
頃は天保四巳のとし?秋初め風雨はけしく田
畑をくづし米こく出来方すくなく諸民こゝろ
安からずしかるに家(忠?)有がら(?)
古廳ゟ御糧として莫大なる御米下しおかれ難有と
申も恐れありかゝる御代の御仁徳をしたひ町/\
有徳なる物持有如責又は出入抔之以御人金妙米を
施し諸人よろこぶ事限りなし中にもその地めん居
所にかゝはらす志し施したる人々をあつめかき記す
猶又もれたるは追/\組入仕候あまりめづらしき
施しゆへかゝる大事のめでたきをつゞり合し
?に?りて諸君の罵声に備ふるのみ
「霊岸島十八十助人壱人前・・・(以下略)
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(図内上)
山城国八郡
高廿三万七千石
加茂川日本第一の
「京都名所川々図会」
名川
にして
京都北奥
山石屋より
わき出る
小川二十八州
流込下に
いたりてか
つら川落
合淀川え流出る
なり水元より
淀迄里数十三
里なり
(図内下)
頃は嘉永
五子年
七月廿一日未刻頃ゟよく廿二日
辰之刻まて大風あめにて京
都北山ゟ伏見南都まての間
大あれ三条五条為流落川
筋家抔も数多流失伏見継き所
にて壱丈九尺程陸堤四ヶ所八幡堤
三ヶ所切れ落廿五日朝相成通路
難相?之候廿七日朝やふ/\往来相成
人々あんどの思ひなし
(下)
山城国八郡高廿二万七千石加茂川日本第一の名川
にして京都北奥山石屋よりわき出る小川廿八流
込下にいたりかつら川落合淀川に流?なり
七月廿一日未刻ゟ大雨大風増さかんして三條
より四條五條の川筋流失いたし家々に?数
多流れ六條御門跡様辺にて堀川かつら川
まて漏水にてらく中の大水あふかたならす
親をすて子をうしなひあるいは家根に上り
ひさしのぼりおもり置家をふせぎ廿一日辰の
刻迄弥さかんにして北山より伏見何と至る間
大あれにて家流立木なかし宮水増さかんにして
壱丈九尺程淀堤四ヶ所八幡堤五ヶ所切落橋元
より神宮寺高良社辺まて八幡町美豆生
津木津川まて廿五日朝に相成通路難成やう/\
と廿七日往来も相成平?にて人々あんとの思ひ
なしにける
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江戸十里四方 大風出水焼失 場所附
◯頃は安政三丙辰年八月廿五日夜五つ半時風雨はげしく家蔵堂社をはそんする
事おひたゞしく南は品川宿海はが大半そんじ折ふし海上より大なみを打あげ是が為に
流るゝ樹木おびたゞしく東海寺うら門海晏寺品川寺ねりべいそんじ御殿山大木倒るゝ
事数しれず尤御臺場は恙なし夫より高なは海手出茶や海中に吹入寺院の大樹往来へ
たをるゝ夫より田町本芝さつ州様御はまやしき少々そんじさつ州様御製造の大船金杉ばしの
きはに着す又札の辻より三田麻布古川広尾辺こと/\゛くそんじまた芝濱御てんはつゝがなく尾州様御蔵やしき少々そんじ同片門前より出火して表通りは宮田川町少々やけうら通りは神明まへの両かは残らず三島町の
かどにて焼どまる又増上寺御山内恙なく宿坊ねりべいはかは樹木所々たおれ同切通しゟ西のくぼ迄町家屋敷共大半
そんじ又あたご下通り同断桜田久保丁一圓格別の事なく芝口ゟ尾張丁迄のあいだ大通りはつゝがなく両仲通りは
表うら共に所々はそんあり銀座三丁目自身番火の見やぐら半鐘つりあるまゝにて往来へおちる京橋通りは大根がしへ
薪材木おびたゞしく流れきたる又日本通りは今川橋迄格別の事なく東中通り所々つぶれ家多し西中通り同断また
本町伝馬町通りは格別の事なし石原鉄砲町小伝馬町馬喰丁所々はそんあり油町塩丁横山町右同断夫ゟ橘町
ニ丁目三丁目西がは大半崩れ米沢町久松丁此辺少々そんじはま丁は大川より水あがり安藤長門守様御やしきうちへ
茶舩一艘ながれこみ此辺一えん出水の為におし流され小網丁北しんぼり永代橋中程へ八百石づみの親舩かゝり是が為に
橋杭大いにそんず又南しんぼり辺北は茅場丁八丁堀辺迄所々破損あり南は霊がんじま鉄砲洲つき地小田原町へん
所々大半そんじ其うへ出水おびたゞしく西本願寺御本堂はじめ寺中大半つぶれ講武所あき様一ツ橋様えつ中様
御屋敷所々破損あり◯又東の方は深川洲さき大出水八幡まへ仲丁同断遊女屋かりたく五十六七軒おしながされ
あるひは破損なしてわづかに残るは久喜万字や一軒のみ夫より六間堀辺高ばし右同断にて少き所は床うへ三尺の出水
なり又本所堅川通り林町緑町松井町常磐丁御旅一つ目弁天御舩蔵辺大出水家々の損じ大方ならず又南北わり
下水法恩寺橋出水おびたゞしく夫より亀井戸天神門前社内共右同断又五百羅かん辺さゝい堂大半破損なり
又本所石原番場多田薬師辺大にそんじ東橋の欄干中ほどそんじ又浅草雷門まへ広小路同観音地中所々
はそん同町あは嶋の社銅の鳥居たをれ奥山見せ物小屋樹木抔こと/\゛く折れたをるゝ其うへ仁王門雷門の大挑灯
とびちりてゆきがたしれず又矢大臣門そと松田屋かり宅つぶれ北馬道田丁通り大半そんじ大音寺まへよし原出火の上
所々そんじ南馬道は少々やぶの内西がは残らずつぶれ並木通りゟ浅草御見附迄表裏共につぶれ家二百二三十
けん余なり◯又北のかたは千住宿少々小塚原焼失夫より箕の輪金杉根ぎし坂本東坂町東えい山下黒門
まへ茶やその外少々づゝつぶれ家あり尤御山内大樹数百本打折れ下寺坊舎のうち所々そんじ夫より不忍弁財天
居廻り茶や/\゛所々そんじ善光寺坂うへ下清水門茶や町團子坂通り所々潰れ多し同端林寺残らずつぶれ同所
幡随院境内樹木打やふれ三浦坂下川ばた御旗本やしき両かは一軒残らすひらつぶし同所祖師堂恙なくくり本堂
丸つぶれ夫より根津惣門うちあかづ組御やしき所々そんじ潰れ家余ほどこれあり森様内藤様くづれ宮永町門前丁
表裏家百六十間余潰れ惣門は屋根少々そんじ権現社別条なく茅町御堀門堂大つぶれ同所うら池の端城下
うら表所々そんじ潰れ家十四五軒又無えんざか上加しう様柳原様御長屋少々いたみからたち寺めくら御長屋少々
そんじ本郷通り壱丁目より六丁目迄表家格別の事なし裏通り御組やしき所々どんじ同丸山本妙寺辺所々潰れ
そのほか梨坂たどんざか菊坂辺少々そんじ森川宿本多様并に御組やしき追分町両かはそんじ九軒屋敷町家其外
小屋敷潰れ多し夫より片町所々そんじ樹木倒れ又竹町通り鶴声がくぼ丸山新町浄心寺辺大にそんじ同坂下橋ヶ谷町
小屋敷町家抔潰れ多し又巣鴨酒井雅楽頭様御下屋敷土井大炊頭様下屋敷樹木大にたをれ御篭町通り
表通りは格別の事なし裏通りは所々そんじ伝通院領少々破損夫より板橋通り庚申塚辺樹木倒れ人家破
損なし板橋宿はたごや両かは共大そんじ又大塚浪切不動辺所々そんじ松平大学頭様御屋敷大木たをれ御長屋
少々そんじ小石川一円格別の事なしといへども所々にくづれ家あり同安藤坂辺伝通院寺中所々そんじ牛天神金杉
水道町水戸様御門通り水道橋御茶の水火消屋敷此辺所々そんじ桜の婆前田様内田様聖堂前通り
御屋敷所々そんじ又湯島天神社内別当所潰れ其外銅鳥居同裏門鳥居倒るゝ其外芝居小屋弓場
茶見せ抔損所多し同切通し天深寺前少々つぶれ橋梁屋敷所々そんじ又天神門前三組町御かご町御千代町
まで潰れ家所々是あり大半は破そん妻乞坂稲荷社少々損じ島田様裏門づぶれ三枝梅少々はそん町家
其間つぶれ大半破損す同坂下黒田様酒井様内藤様芦野様少々づゝ破損昌平橋通り同朋町
御台所町神田明神石坂下表長屋所々破そん裏長屋大半つぶれ旅籠町金沢丁外神田一えん
所々に潰れ家ありといへとも多分の事なし明神表門通り潰れ家二三軒あり昌平橋はその夜薪材木流れ
来り水すじ止まる夫より駿河だい小川町通り両かは御屋敷大半破損土屋様十の字内藤様稲葉様
土井様戸田様本多様残らず潰るゝ三河町表裏一えん所々破損つぶれ家あり◯御くるわ内は神田橋
酒井左衛門尉様御長屋一棟凡百間ほど潰れ小笠原左京太夫様御長屋片かは御作事定小屋つぶれときは
ばし御門内間部下総守様残らず潰れ龍の口にて御屋敷壱軒潰れ大名小路松平内蔵頭様裏御門通り
織田兵部少輔様小笠原様右同断鍛冶橋御門内松平阿波守様御玄関御殿潰れ銅がはら残らずおちる長井
肥前守様つぶれ松平主殿頭様御辻番より半分つぶれ内御長屋両かは倒れ土井大炊頭様一長屋たをれ日比谷
御門外松平据太夫様御長屋半分余つぶれ阿部播磨守様通用門より左右御長屋残らず潰れ秋田様
さつ州様装束やしき右同断とらの御門内亀井様御二かい半分なし西尾様表門一むねつぶれ相馬様
御長屋表門御玄関たをれ上杉様横長屋つぶれ夫より霞ヶ関芸州様御住居少々破損赤様御門内
松平出羽守様御長屋片かはそんじ渡辺様同断三軒家小屋敷残らずたをれ麹町平河天神うら門
町家大半つぶれ惣じて桜田御門内より馬場先和田倉迄御植込の大樹およそ六十本倒るゝ又西御丸
下は池田様御長屋残らずたをれ会津様両御屋敷共つぶれ其外山の手は市ヶ谷牛込四ツ谷大久保辺町家
其外土蔵くづるゝ事数しれず又赤城明神迄辺早稲田一ツ橋様御抱屋敷穴八幡まへどふり所々破損多し
夫より鮫ヶ橋紀州様御やかた辺町家寺院抔多く損ずすべて青山百人町通り渋谷道玄坂のあいだ
格別の事なしといへども所々に潰れ家あり凡御府内并に近在十里余方五海道一えん潰れ家破損
神社仏閣樹木山泉人家の存亡場所によりて多少ありといへどもいち/\かぞへあぐるにいとまあらず
広大無辺の珎事なりといへ共神国の奇瑞いちじるくよく廿六日暁六つ半時雨やみ
狂風しづまり人々あんどの思ひをなしぬそのあらましを一紙に録して山海を
へだつ遠国の親るい縁者へ安否をしらせんが為にしるすものなり