仮想空間

趣味の変体仮名

安政見聞誌 中

 

読んだ本 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wo01/wo01_03754/index.html

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安政見聞誌 中

 

2

安政見聞誌中之巻

   北東の方より西方え所々

⑳吉原中の丁邊より伏見丁江戸丁二丁同南方十二新揚(あげ)や町同北方西河岸

角丁同南方三日同抔長家七ヶ所京町二丁里俗(りぞく)云新丁抔郭中(くるはぢう)悉く焼失

尤五ヶ所土蔵大破損にて残ると雖(いへども)一円其跡(そのあと)野原のごとし

△予友村山源兵衛は中村座の板元にして瀬戸物町の家は前年類焼し今橋場に住(すめり)

一丁目の用事済(すみ)帰宅して茶を呑んと火鉢の邊(そば)へ安座するにコハ怪(あやし)や行燈(あんどう)二尺

ばかり飛上り何事成と思う間(うち)建家(やだち)に犇(ぴしゃり)と押伏られたり暫(しばし)伺居て闇(くらやみ)より表(おもて)の障子

見へしかば此所より母と妻を救(たすけ)出し畳戸障子を運(はこび)出し寒気を凌(しのぐ)用備(ようい)をするうち

母の曰怪しき哉急(にはか)に此前に大河できたりといふに源兵衛邊(あたり)を見るに現(げに)も大河を眼

前に見る事は東がじゃの軒並(のきならび)は皆潰(つぶれ)落て土手を築(つき)たるごとしされば目の前見へすき角(すみ)

田川を手近く見ゆるやう成たるより今の地震の大きなるを始て母子共にさとりつゝ

 

 

3

深く?(おどろき)し也総(すべ)て

今度の地震にて

何処(いづく)はあれ共此橋

場より浅草吉原

の邊(ほとり)は他に勝(すぐれ)

たる動揺にて右のごとく

崩(くづれ)たるにてしるべし

是又後世のため或は

他国の人のためにかくは

図せしめ

おきたり

 

△同所西方大音寺(だいおんじ)前町々大に崩焼失同前也田中新鳥越邊潰家甚多し

△千塚(ちづか)郷長国寺鷲(わし)大明神本社破損僧房碑抔大破損此邊に屋敷町家共大に崩

△竜泉寺丁其他此四方崩家多し

㉑吉原日本堤(にほんづゝ)田丁編笠茶屋両側二丁袖摺稲荷(そですりいなり)同壱丁目三谷堀の口迄やける

同所西の方残る町家大破損焼失同前也

㉒同所東方隅田川真崎(まつさき)稲荷本社無異鳥居焼篭砕(くだけ)る同所浅茅(あさぢが)原四方民

家多くうズ同所橋場船渡(ふなわたし)場南方銭座(ぜにざ)まれ大川際(きは)焼る同所西側福寿(ふくじゆ)院法源(ほうげん)

寺大破損僧房崩れ同所門前丁迄焼る同所今戸丁蓮窓(れんそう)寺妙高(めうかう)寺長昌(てうそう)寺本堂

破損僧房大破其外崩多安昌寺称福寺潰所多し

㉓同所今戸橋北方今戸丁東側一丁焼る同西側松林寺本意寺慶養寺大

破損崩多し右の寺院抔何れも碑燈篭(とうろう)悉倒れ散乱の体(てい)記がたし△同南方三

谷橋砂利場(じやりば)新鳥越一丁目同下瓦丁待乳(まつち)山東方村方悉く崩る

 

 

4

新吉原は

五町とも潰家(つぶれや)

多く所々より

一時に出火して

遊女はもとより

客人抔おほく死

せし中に毎夜こゝに

入来(いりくる)按摩(あんま)たち其

人数も多かるに唯(たゞ)二人

死せしといふ盲人ながら

よくも逃出(にげいだ)せしものなり

遊女屋のうちには京町一丁め

岡本楼同二丁目松葉屋

角町若狭屋江戸町

二丁目岡田伊勢屋

 

三浦屋吉吾兵衛等は別して

潰おびたゞしく枕遊女なども

過半焼死(やけし)したり中にも三浦屋の

家にてははき遊女を選り穴蔵へ入れ

助けんとせしに火入(いり)てみな/\やけ死すとかや

廓内(くわくない)焼亡人御しらべの高六百三十余人

土蔵壱ヶ所ゆりくづれしまゝやけのこる

のみにして家は京町一丁目下のかたに二三軒

のこり大門外五十間道西側の家残る其外

少しものこりなく焼亡ひしは実(げ)にあはれにぞ

思はれけり爰にあやうき命を助る人々は

あるまじなどいひしがたれかれも皆のがれいでゝ

又仮たくの見せをひらきいづれもにぎはひ

ける家々を見るに姿海老屋松葉屋の両家は

見えざりける

       哀しらは曲輪もぬけよ寒念仏

 

 

5(挿絵)

 

 

6

㉖浅草馬道道哲(どうてつ)木戸際(ぎは)より焼同所谷中(やなか)天王寺門前代地丁山川丁焼同所

西方寺々大崩にて止る同南方西側不二(ふじ)下少(すこし)残り夫より吉祥(きちじやう)院寺裏徳應(うらとくおう)

院庚申堂(かうしんだう)延命院地蔵堂誠心院無動院鳥寺教善院申寺抔何れも数百

軒の裏店(うらだな)悉焼る同南方浅草寺随身門前居酒屋まで焼る同向側より南方

南馬道迄一丁半やける右前書道鉄(だうてつ)より是迄南北九丁余焼失

△浅草(せんさう)寺本堂無異諸堂僧房大破損△五重大塔九輪(りん)曲る又同所馬道東側

にて又南方辯天堂青龍(せいりう)院百観音堂泉凌(せんりやう)院泉増(せんざう)院富士宮修善(しゆぜん)院寅薬師(とらやくし)

妙徳(めうとく)院迄焼る同南方医王(いわう)院卅三夜堂(やだう)こんたら堂姥が池(うばがいけ)旧跡(きうせき)一の権現まで焼る

随身門通り東方にて金剛院覚善院法善院妙音院顕松(けんせう)院同南側自證(じせう)

地蔵堂迄焼る

㉕猿若丁芝居坐(しばいざ)一丁目中村勘三郎二丁目市村羽左衛門三丁目河原崎権之介又

操(あやつり)座大薩摩吉右衛門結城孫三郎焼同楽屋新道(じんみち)役者新道百軒裏店迄悉

 

(左頁略)

 

 

7

  附録

茲又(こゝにまた)地震後(ぢしんのゝち)いまだ市中おだやかならざるうち諸方ゟさま/\゛なる一枚摺(いちまいずり)錦(にしき)

絵に本抔(など)凡其数三百弐拾余におよべり絵店(さうしみせ)又其辻々(つぢ/\)にて商(あきな)ふものあり

皆何れも人こそりてこれを求むしはらくして公(おほやけ)より御制禁の品(しな)がらゆえ

のこりなく絶板(ぜつぱん)せさしむしかはれど大江戸の繁花(はんくわ)広大(くわうだい)なれば絶板の

後(のち)もまたあまれるものさま/\゛ありその一ツふたつを因(ちなみ)によりてすえに

のするは後の世につたへて市井のなくさめに添る

   ○薬の引札(ひきふだ)

「一ふくにてこり/\薬

  妙ゆり出し

 がたくふるへるによし」

 

   気ばかりながらつよひ口上奉申上候

一抑此妙ゆり出しくづれの儀は先年信州にて揺(ゆり)弘め候所大ゆれ大難渋仕候間決して

他国へせりゆりおしゆり一切致さず御所近年諸国に紛敷にせくづれ相見へ申歟

別して京大坂東海道筋をおしゆり致し又々江戸表までもにせくづれおしゆり仕

其上火事きとうをあげしごくぐらちの義に付急度ゆりどめ申付私方いつほう

ゆりに仕候尤最(も)うさんとはゆり申さず当十月限りにゆり子へ申渡候間逃出し野宿の御さはぎなく

御安心被成楽々と御夫婦中よく夜中のゆり出しは御じしんに毎夜/\二三ふくヅゝ御用ひ可成候はゞ

御子孫繁昌致しのらくらの御子供衆は無御座候間しつかり御だきつき被成アゞモウいつそ

いゝよの中と御評判被成下御もとめの程願上候

 一目のまはるやうにいそがしい 職人 一目のかすむのは張合さし引 材木屋 一ねつのやうにあせをかく車力(しやりき) 一かたのはつた 日雇(ひよう)

 一よあかしでかせを引た 人入(ひといれ) 一つゝうにやんだ 借金 一なんじうのやまひに 施行(せぎやう)

 一高利座頭(かうりざとう) 一地面持(ぢめんもち) 一株(かぶ)もち 一かけ取(とり)とりるい一切いむ 一諸芸人参(しよげいにんじん) 一猫のぺん/\草并大たいこ小たいこ

 一土蔵の粉(こ) ○用様(もちひかた)二日のばんばら/\と一度大きくゆり廻しあとはたび/\ゆり出し人の手をかりず

              じしんに用ふべし又せんじるには火の用心を第一にすべし

「○本家取押糾明所(ほんけとりおさへきうめいどころ)こゝはどこ/\かしまのかいとう すぢまつかりとうけあつた 町百年目

 

 

8

新吉原焼失に付遊女屋仮宅之地御ゆるしの場所二十四ヶ所町名のみ爰(こゝ)に記す

浅草東仲町西仲町花川戸町山之宿町金龍山下瓦町聖天町

南馬道町田町山谷町今戸町抔なりフィカ側は永代寺門前仲町

山本町仲町佃町同松村町常盤町御船蔵前町八幡御旅所

門前八郎兵衛屋敷松井町抔又本所鐘の下入江町長崎町

陸尺屋敷時鐘屋敷等なり 此内浅草西仲町今戸町

山谷町田町は引移(ひきうつる)候者(もの)無也辰正月何れも見せびらきして

繁昌することおびたゝしく実(げ)に泰平(たいへい)の

御国恩(ごこくおん)ありかたきことどもなり

爰に山の宿町へ仮宅せし江戸町二丁目

佐野槌屋の遊女黛(まゆすみ)(幼名かね)は七才にして父母(ちゝはゝ)に

別れ人となるにしたがひ其性(そのさが)直(すなほ)に見め

かたちもいとうつくしく去(さんぬる)丑の年より遊女家

なりしが常々親を尋(たづねん)事を志にかけしに此ごろ

地震のうれひありて何方(いづく)におはすやらんなどあんじらるゝにつけ

六ケ所の御救小屋へ大なる行平鍋(ゆきひらなべ)千二百余(よ)を施し御上(かみ)ゟ御褒美

として銀二枚を給はりしが実父母(まことのふぼ)に廻逢(めぐりあひ)たきゆえ斯(かく)はなせしなりとぞ

 

     市中難十郎

      外良賣(ういらううり)せりふ

拙者かみ方(がた)で動(うご)しは先達(さきだつ)て御存(ごぞんじ)の御方々もござりませう御江戸を

始(はじめ)て二十里四方騒動畑原(はたはら)一式町中(まちぢう)右を左へ乱(らん)がましく蔵や

土塀も大破に致し唐人国(とうじんこく)は沙汰もなく我朝(わがてう)にも稀成(まれなる)狼敗(らうはい)

ういらう動天香(どうてんかう)と名を賜(たまは)り只今此(この)崩れ世上(せしやう)に廣まり方(かた)々を

大道(だいだう)へ出(いだ)し米俵や炭俵を敷(しか)せ屏風障子をお立(たて)かけ御立合も

浮説(ふぜつ)を信じ外へ飛出す折からは親方抔(など)は右りの方女中や下郎は

左りのかた八方に野宿をなされ八棟作(やつむねづく)りも堂作りも破風(はふ)もひざしも

ぎつくりと夥敷(おびたゞしき)崩れでござる扨此(さてこの)崩(くずれ)第一の奇妙には銭金不入(ぜにかねいらず

はだしで

逃(にげ)廣庭(ひろには)明地(あきち)に棒を突立(つきたて)筵を引張(ひつぱり)そりや/\/\/\震(ふる)ッて

きたは米

生米(なまごめ)飯櫃(いゝびつ)いびつ親も抱(かゝへ)子もかゝへ親から子から長夜(ちやうや)乍(ながら)も青天井

けふの雨空(あまぞら)ならなま中(なか)にちよこと四五万軒外へ出ちやたちよ町数(てうすう)

 

 

9

八百蔵数万瓦はがらりがら/\/\/\高(たか)の山夕部(ゆふべ)こぼして又こぼし

壁土ごまがら又ごまがら凸凹(でくぼく)/\三凸凹(みでくぼく)おつと合点(がてん)しや心得田圃こゝろへたんぼ)や

藪の中貴賤群衆(きせんぐんじゆ)の花の御江戸の花やかに枝もならさず静(しづか)に

なれば皆々御心(おこゝろ)がお和(やは)らぎやつといふ産子(うぶこ)這子(はうこ)に至(いたる)迄志落附(おちつき)

御慈悲の御救ひ桶出せ鉢だて摺鉢ぱち/\算盤勘定(そろばんかんぜう)えい

とう永当(えいとう)東方(とうぼう)世界息せいひつぱり呼(よん)だも欠(かけ)たも忽(たちまち)おさまり

しづけく世直し喜びざゝめく万歳楽(まんざいらく)桁梁(かうばり)取て照覧あれと

ホゝ敬(うやまつ)て家の曲りを直さつしやりませんか

    三河萬歳(みかはまんざい)

得意場(とくいば)も御満足とはお家も潰れずましんますイヤそうとうなりけるうら

店(だな)の軒(のき)ぶちかへる柱には幼子(おさなご)を夢中でおぶつてあねへの方(かた)の手をひらいて

イヤ何ら玉のやうなる泪をこぼして夜中の野宿のひだるさしるこにうめん

 

かふぎ賣(うり)諸人(しよにん)のたべたる大焼場(おほやけば)一統の柱はびしりとおれ二階の階子(はしご)は逃(にける)に

難渋三座の櫓は損亡今年(こんねん)四文も挹(ださ)ぬはしわんぼう五ヶ所の御小屋(おこや)は御仁心(ごしんしん)

六本の卒塔婆は即死の追善質屋に貸夜具(かしやぐ)難義は灰(くはい)じん鉢ほうに

響くは早半鐘(はやはんしやう)九輪(くりん)の曲(まが)るは不思議の根源滅法(めつほう)の騒ぎは女郎客〽ワツト

いふて逃られたがコレが大きな散財〽ヤレ万歳楽〽さつても是から子供抔(ら)も新(しん)

造(ざう)なんぞもそろりやどつと逃るみりやどつと参る〽ヲゝコハ旦那さんも薄着

ならおかみさんも薄着お釜の前の三助なんざァまつ裸でかなてこや

靏(つる)かばしをおんがらかいてあつちこつちかつぼぢくれば小部屋の隅から

おさんどんがでつかいけつをむくりやイヤむつくり/\這出(はいだ)した〽見舞に

おかゆなんどてゝの椀に五六杯もかつくらつてひよつくり/\まいる

騒動起した鯰なんぞはふんじなつて鹿嶋へ参るコレからはつゞいて能(よ)ひ

こと計(ばかり)参るお客なんざァあさから晩迄引切(ひつきり)なしに参るあつちから此方(こつち)からも

小判や小粒が参る廓(くるは)千軒金(かね)は万両の御受納

 

 

10(11に重複につき略)

 

 

11

返/\もおんいち座の火事郎さん

五郎/\さんへくわ原さん飛ひのさん

よりよろしく/\/\/\

文して御見舞申上参らせ候なまづ/\よく

その御地御家蔵さま御ふるひ御自然(じねん)よく

ゆらせられ御動揺に御すでかく損じ参らせ候

扨とや過にし二日の夜はおん心にかけられ

御げんの折からあひにくに信濃者の地震

助客ゆり合せ万歳らく/\との御かたらひ

もいたさず御わかりの後は地の底ぬしさま

御ことのみ思ひつゞけけふや御ゆらせあすや

おんゆりあらんかと心にかけし苦は病ひ

五七が句の夜もすがら六ツ八ツの風の吹に

つけ候ても来ぬ人を松尾(まつを)の浦の夫ならで

焼やもしほに身をこがし胸の煙りとほの

ほのけむに身をふすぼりし思ひにてきも

たましひも身にそはずぶる/\として暮しまいらせ候

年月日頃杖はしらともたのみ候

おんま衛様おざいもくを今さらおんはこびあら携

候てはかうばかりの手まへいきぢもはりもたてつゞ

 

かずいつそ自身(じしん)にみをすてんと覚悟は極め候

得どもさすが凡夫(ぼんぶ)の浅間敷(あさましく)命ありての物

だねとながらへてさへありしならばゆるかぬ御代(みよ)に

逢瀬(あふせ)もやと生死(しやうし)ひとへかまゝならでせつなき此

身を御救ひと思しめし思ひやりかふし苦(く)げんの程

鹿島(かしま)の神かけげんじ参らせ候身支度のごとし

 神あり月大安日    焼東江戸町

こわれし           火先なんぢ内

  おんがた様         御損じより

「突出し部屋もち 昼夜 三分」

「肉つき羽二重まんちう 御好次第」

「座もち太鼓もち おじぎ百疋」

「繁昌亭」

(下段)

「北國 名代 座敷餅」「ちん/\鴨ぞうに 揚づめ夜るしるこ」

               「千客万来 仮宅繁栄」

 見勢びらき

  番月初会さしなし

   御披露

御客様益御機嫌能入らせられ弥重々

奉存候さて私義旧冬類焼後(きうとうるいしやうご)仮宅出張(でばり)をかまへ名代(なだい)

座敷もちを始め突出し部屋もちるい肉づき羽二重

まんぢう格別風味よろしきをえらみ座もちたいこもち

まで大安賣仕候間昼夜(ちうや)をかけて永当/\御来賀(ごらいが)の程

奉願上候もち論餘り分量を過(すご)し召上られ候ては胸の

焼(やけ)をせうじ何程の金もちに候とも身もちをくづし女ぼう

もちは焼もちのさわぎ出来(しいだ)し身生(しんしやう)を餅につき候間

あつさりとめしあがり末長く御はこびの程伏而奉願上候以上

       深川七場所

   出張   仮宅屋賣太郎

       浅草山の宿花川戸

本家   老乱屋新造

 

 

12(略)

 

 

13

   地震火災

      やくはらひ

アゝラでッかいな/\今ばん今宵の天災を神の力ではらひませう

十月二日三ヶ日町並お門をなかむれば三国一夜のその内に土蔵や壁の

不事(ふじ)の山かゝるうきめに相生の松丸太郎杉丸太郎飾り立たる諸道具を

お庭の外(そと)へ持(もち)はこび野宿する身の苦は病ひ五七が雨とふりかゝる瓦や

石の目にしみてなみだにしめる焼原(やけはら)の昼夜(ちうや)ねづばん自身番火の

用心や身の用心春ならねども皆人の万歳楽(まんざいらく)とうたひそめかぞへた

柱もおれ口のおめでたくなる人の山これも世直し出雲から立かへりたる

神々のふみかためたる芦原(あしはら)皇國(みくに)千代に八千代に要(かなめ)石の巌(いはほ)となりて

苔のむすゆるがぬ御代をはゞからず又もやひまをかぎつけてぬらくら

物の鯰めが忽事く尾鰭を動かさば鹿嶋の神の名代に此事ふれが

おさへつけ高天が原をうちこしてみもすそ川へさらり/\

 

焼る土蔵抔残る所なし但し三丁目森田勘弥宅より北方聖天横丁東へ残る△又

一口は聖天横丁北川遍照院並裏店(うらだな)こと/\゛く焼る同所藪の内新規新道(しんきしんみち)通り数百軒

やける同東方六軒丁九品(くほん)寺山の宿(しゆく)丁みなやける但し東側残り夫より南方花川戸

丁戸沢長屋敷百軒花川戸三丁大川ばた吾妻橋際(きは)までやける

浅草寺門前広小路御救小屋立施行人名前左之通

 一金弐朱ツゝ 居丁中一軒分     浅草御そうじ丁 関 斎宮(いつき)

 一白米三升ツゝ 同断                を組 辰五郎

 一味噌汁三樽ツゝ 十月九日ゟ毎日施入  浅草駒かた丁  内田甚右衛門

 一味噌二樽 梅干四十樽           同山の宿丁  家持 伝吉

 一鱒二百本                     同仲丁   同 源兵衛

 一銭十貫文                    同田原町三丁目  松五郎

 一澤庵十樽                    同所弐丁目  三河や喜三郎

 

 

14

浅草寺境内は観音堂西の破風

大いに損ず五重塔九輪まがる

荒沢堂奥稲荷西の宮いなり

日音院(にちおんいん)太神宮(だいじんぐう)金比羅

松尾社老女弁天等(とう)

不残(のこらず)潰(つぶる)る

 

雷神門(かみなりもん)の雷神まろびおつる

ぬれ仏倒るゝ坊中崩甚しゝ

観世音は奥山花屋舗(はなやしき)へ

立のかせ奉る田町または聖天横丁

よりの出火は馬道をかぎり

少しも境内へ入らず

 

北谷中谷の

寺院こと/\゛く

つぶるゝ上

焼亡(せうはう)す

南谷は潰(つぶれ)多しと

いへども火なし

十月中大かた奥山へ

諸人野宿するもの

おほし又猿若町は普請

新しきゆえか土蔵の外(ほか)いたみ少く

して類焼でしはおしむべきなり

 

 

15

一銭七拾五貫文外に菜漬十五樽   同西仲丁家持 四人  久右衛門 次兵衛 四郎左衛門 忠助

一味噌十樽                         同北馬道 さの倉 安兵衛

一髪月代(かみさかやき)壱万五千人分 毎日施入  同猿若丁一丁目 髪結 平五郎

一銭六十貫文                        同西仲丁 吉野や 半右衛門

神奈川白米弐拾五俵 及味噌香物料 銭廿五貫文 同御蔵前八幡別当 大護院

㉖浅草門前東西仲丁並木丁竹丁材木丁大破損崩家多し同南方駒形(こまかた)

観音堂南方ゟ焼る同所駒形丁初富士といふ料理や同南方ゟ南側やける

諏訪(すは)丁すは明神やける黒舟丁両側谷中清水稲荷やける同門前谷中八軒

丁代地三好(みよし)丁御馬屋河岸(うまやがし)渡(わたし)口まで焼る同所西側榧(かや)寺門前残る是にて止(とま)る

此邊すべて大破損崩所多し同所ゟ南方旅籠(はたご)丁森田丁御蔵前天王(てんわう)橋天王

 

丁瓦丁茅丁抔大破損右町々西裏通り其外崩多し同南方柳橋両国吉川丁裏

通り迄大破損△福井丁久右衛門丁鳥越天文臺三筋丁小揚丁三軒丁田原丁抔大破

損家あり△三弦堀佐竹様表蔵破損此四方武家町家大破損七曲り辺崩所多し

△浅草西方にて新鳥越加藤様上やしき南方慶印寺幸竜寺本堂無異僧房

破損日輪寺天岳院東光院同門前丁海禅寺下谷山崎丁迄武家寺院町家共崩

所多し△同所蛇骨(じやこつ)長屋誓願寺浅草坂本丁浅留丁大破崩所多し△西方善徳

寺慈源寺凉願寺源空寺本堂崩△東本願寺添地(そへち)大破崩所多し同所幡随院門

前丁大破崩潰家多し焼失同前也

㉗乞胸(こふむね)山本仁太夫?゛構内一丁余焼る△東本願寺本堂少破損僧房大破同所

田原丁裏門同西門潰れ塔中(だうちう)三院崩其外大破損東方焼失同前也

㉘新寺丁通菊屋橋西方寺行安寺東国寺門前丁一丁焼る同向側ゟ堀端手前迄

焼る△同寺丁通り本蔵寺廣大寺東岳寺大破損同門前丁崩家あり△同所

 

 

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西光寺西照寺下谷辻番やしき抔大小(に)崩△同西方永照寺門前丁宗源寺同門前丁

廣徳寺下谷車坂丁北方武家諸寺院町家抔大小崩れ潰所こと/\゛く記しがたし

△入谷庚申堂北方正覚寺良源院抔大小崩諸碑(しよひ)抔散乱す三崎橋落同所

金杉上下町随徳院坂本東裏丁通り迄こと/\゛崩る

 一金三十壱凉三分 居丁四方へ施し  上柳原丁 家持 九兵衛

下谷山崎丁弐丁目御切手丁焼る同坂本丁ゟ御具足丁車坂丁ゟ正宝寺

門前丁迄武家町家共大小崩る

△上野東叡山寛永寺本堂無異輪王寺宮泰平同所火除(よけ)地宮様より

御救小屋建施行人左之通

 一金五両 琉球芋拾五俵     上野北大門丁 居酒渡世 雁鍋 万吉

 一銭弐拾貫文 外に下駄百足  同瀬川やしき  甘泉堂 善兵衛

 一手拭壱筋充 但し一人分    下谷六軒丁  㐂兵衛店 與兵衛

 ○上野宮様  一㐂せん茶三十五斤 但し壱軒に半斤ツゝ 

  御小屋施入

之分     一菓子弐石六十袋        浅草西仲丁 堺屋 安右衛門

上野広小路常楽寺阿弥陀堂南方ゟ焼摩利支(まりし)天横丁上野丁壱丁目

弐丁目焼同所東方下谷同朋丁三丁同所續(つゞき)にて上野拝殿やしき二丁堂御家来

屋敷下谷車坂丁替地大門丁南大門丁二丁下谷長者丁壱丁目弐丁目同代地丁

同所つゞき御徒士丁通三丁の間西側やける但し東側にて美濃部葛(かつら)山大久保抔

類焼又同所南方長者丁一丁目東横丁にて南側山瀬検校ゟ東へ半丁焼る同所

小笠原左京様中やしき残長屋大破損井上筑後様上やしき東北方崩火災(くわざい)なし

㉛御成道西方上野新黒門丁同南方石川主殿(とのも)様上屋敷田豊前様上屋敷

類焼此邊武家町家共大破損前文の内土蔵一ヶ所も残る所なし

△谷中天王寺本堂無異大塔九輪玉折落る同門前新茶屋丁八軒丁同西方

玉林寺門前丁同北方新幡随院同向側大円寺同所天王寺門前丁抔大破損崩

 

 

17

所甚だ多し△不忍池弁天社無異境内破損当社池は池中孤(はなれ)嶋なれ共同所四

方は甚だ揺強くして上野池の端までの間は崩所甚だ多し

㉝池の端仲丁此邊最揺強くして家庫とも安体なるは少し然れども仲丁通は

前年焼失家居新造に付崩所はなし近辺古家の分は多く崩△同所茅丁

壱丁目弐丁目堺稲荷まで焼る但し西方松平備後様御門外講安寺門前迄焼

東方池の端沼やける△同北方根津権現社内所々破損

根津権現本社無異境内所々破損同七軒丁三丁焼る此邊武家町家崩所

多く焼失同前也同所曙里(あけぼのさと)千駄木(せんだぎ)下丁権太坂辺迄大破損最(もつとも)多し

㉞丁谷坂本丁壱丁目大破損二丁目より両側東方たこ善横丁迄焼る小野

照(てる)明神前にて止る西方三丁目横御箪笥(たんす)丁西方前裁場(せんざいば)迄焼る北方は同四丁

目焼る△同所東叡(とうえい)山御領地同所西念寺西蔵院永称寺千歳院要伝寺同西北

方御行松の辺迄大破損にて焼失も同前也△金杉辺武家方小屋敷民家とも

 

凡(およそ)此度(こんど)の変動につき

家倉(いへくら)の破損は限(かぎり)なし

水場(みづば)にあらざるゆへ味噌屋

の糀室(かうじむろ)多し他国は陸室(おかむろ)にして

築上(つきあげ)たるゆへ自身にて破損する

とも崩(くづれ)潰(つぶれ)る等はすくなかるべし

 

 

18

江戸の糀室は穴室にし凡巾(はゞ)壱間

半長さ十間ばかり也四方竹垣のごとくして

土の間へ藁(わら)を詰(つめ)又天井は横に丸太を

渉(わたし)筵(むしろ)を敷其上に土を置(おく)也偖(さて)入口の義は

さきに画(えがき)たるごとし尓(しかる)に今度の自身のごときは

往来平地さへ響割(ひゞきわれ)る震動

なるゆへ土中深く堀込(ほりこみ)たるもの

何(なんぞ)安体(あんたい)なるべきされば揺崩(ゆりくづ)れる

中に其最荒(はなはだしき)もの些(わづか)爰(こゝ)にあぐる

○本郷新町家に九軒潰(つぶれ)その仲三河

彦兵衛同長七等住居(すまい)室の仲へ落込む

同所横根坂(よこねざか)七軒潰○同春木丁二丁目

 

四軒○同三丁目壱軒同五丁目

一軒同六丁目弐軒同丸山菊坂

四軒その中いせ屋次郎兵衛家居落込

同元町五軒○湯島天神門前

四軒○同植木丁一軒同三組丁三軒

○同六丁目二軒うらだな 同鎹(かすがい)丁一軒

○同だるま横丁二軒

神田明神社内二軒

右の分町々相糺(あいたゞし)夫々(それぞれ)

名前分明(ぶんめう)まれども

吉祥(よきこと)ならざる故

態略(わざとりやく)してしるす

 

 

19

○爰(こゝ)に本郷

新町に三河屋彦兵衛と

いふ人あり味噌渡世にて最(もつとも)繁昌

なりしが其妻とよ女は右二日の夜

家内皆寝(いね)たるゆへ南方の男子に

小便させんと庭へ下けるに折ふし

地震にて阿那(あなや)と駭(おどろき)素(もと)の所へ立返(かへら)ん

とするに大地の震動強くして右糀室開き

穴の中へ滅込(めりこむ)ととよ女は小児を抱(いたき)たる侭(まゝ)一声

喚(さけび)て落入けり是に駭(おどろき)夫彦兵衛下人迄立

騒(さはぎ)て救(たすけ)んとする間(うち)四方の土崩落(くづれおち)猶柱の根

ゆるみ大家崩倒(くづれたふれ)諸所落重(おちかさな)るゆへ残念ながら

 

救る術(てたて)なく暫(しばし)見合しけるに其家崩倒たる上

四方に火災(くはじ)起(おこり)しゆへ弥(いよ/\)以騒乱いやまし我身

すら最(はなはだ)危(あやう)し右左(とやかく)する間(うち)夜はあけ火は

鎮(しづま)りしが時々余動(よどう)は止(やま)ず捨(すて)おき

かたきにより乱崩(みだれくづれ)たるを取除(とりのけ)土中を

堀(ほり)せけるに右とよ女は小児の足を抓(つかみ)

たる侭母子共に色変(いろかはり)死畢(しにはてたり)

彦兵衛は更(さら)也心なき下人を

悲嘆の泪(なみだ)にむせび竟(ついに)葬(とむらひ)をなし

けり天災とは雖(いへとも)実(じつ)に歎(なげく)に余(あまり)あり

め卅なるを以其騒乱の甚敷を知(しる)べし右

糀室の崩たる所は丸太を橋とし今往来せしむる也

 

 

20

△根津七軒丁に屑買(くづかい)にて平吉といふもの有妻かつ娘はると云は今年十七才にて

妻女の妹くらは十六才実子也右はるは心ばへより見めもよく孝心深けれ共夫婦共

邪見にして我子の愚(おろか)なるをしらず爰に夫婦密談の事何(いかに)して聞けん家主次兵衛より

両人を呼寄(よびよせ)右はる女は孝心深く尚又義理有子也其妹くらは実子なれば賣共

故障(さはり)なし前金(てづけきん)をは受とりたる由也我方より返し理(ことはり)をいゝ遣(つかはす)ねしと云に為方(せんかた)なく

腹立(はらたつ)まゝ金五両を姉はるにもたせやりける此時右地震也平吉方は一ばんに潰れ親子三人とも

崩家の下に成しが隣家(となりに)火災起(くはじでき)て皆焼死けり姉はるは家主方に有て安全也是普く

継(まゝ)子をにくみ剰(そのうへ)遊女に賣んとせし不実を諸天王の戒(いましめ)いふ所也恐べし情べし

△池の端松平出雲守様此度の地震より火災(くはさい)に付諸人難義ならんと茅(かや)丁二丁目

より根津七軒丁迄一軒に白米三斗金壱両宛御施行あり大領の君は他領

の窮民(きうみん)おも救はせ玉ふゆへ町家にても志しあらん人は巻中に顕(あらは)すごとく

施あり善根(ぜんこん)の種は一粒万倍といふは梵天帝釈諸天の守護による所也

 

凡崩て焼失にひとし△新丁ゟ軒住迄大破損土蔵崩れて無がごとし

△簑輪(みのわ)邊大震(ゆり)強く凡崩れて焼失のごとし△蛍澤(ほたるざは)日暮(ひぐらし)里千駄木田端迄

大破損崩所少し△染井(そめい)巣鴨邊破損あれ共崩所少し△王子権現并

稲荷社共本社無異境内破損あり鰻縄手(うなぎなはて)元町邊まで破損あり

湯島天神本社屋根破損其外にもあり△妻恋(つまごひ)稲荷境内破損崩所なし

神田明神破損あれ共格別のことなし△同所建部様上やしき内殿豊後様

上屋敷共表長家崩れ其外破損同所御臺所丁同朋丁金沢丁此辺武家町家

共大破損崩所有△湯嶋通五丁目迄表側の分破損有共格別のことなし同所

桜馬場邊武家に崩とろこあり同北方金助丁春木丁辺大破損崩所有

 一銭三拾貫文

  手拭三百筋  浅草御救小屋に施入  湯嶋壱丁目 津の井 九兵衛

 一味噌五十樽 五ヶ所御救小屋に配分施入  本郷春木丁  大之津 新三郎

 

 

21

 一白米壱斗外に金弐朱ツゝ 地面内一軒へ 駒五丁 酒店 高崎屋某

△本郷通大破損追分崩所有駒込(こまごみ)富士前丁同所吉祥院門前丁片丁朝嘉(あさか)丁白

山邊大破損△鶏声が窪(けいせいがくぼ)御駕籠(かご)丁邊大破損△遠阪丁同身替(みかはり)地蔵

邊大破損崩所多し△上野御林同南方足稲荷無異同所四軒寺丁の四方

小屋敷大破崩所あり

㉟水道橋より小石川御門外大破損△水戸候泰平此三方武家町家大に崩れ

潰家多し同所西方立慶橋東方にて野中飯塚牧熊谷(くまがへ)荒川氏迄半丁余焼

此近邊武家大破損同所裏方町家崩れ所もつとも多し

㊱牛(うし)天神下半丁焼る△伝通院本堂其外破損同所裏門辺崩家多し

音羽(おとは)護持(ごぢ)院大塚邊大破損崩家有水道丁邊大破損△目白不動△鉄砲

坂関口臺(せきぐちだい)丁雑司谷(さうしがや)丁四辻迄の間大破損武家民家共破損所多し△雑司谷

鬼子母神本堂無異同所門前破損△鼠(ねづみ)山法印住居地破損練馬道ゟ上坂橋

 

△牛込矢来下(やらいした)の邊(ほとり)に東次といへるものあり是に狐の魅(つき)て有しが右十月靴化午刻

近辺の人に告(つげ)て云やう今夜かならず天災あらん何れも心して危(あやうき)を逃(のがれ)給へ我は

安全の地へ立退(のか)んといふゆへ其訳を尋(たづね)んと止る人々を刎退(はねのけ)つき倒(たふし)駆(かけ)出し行方知

ず成けり因之(これによりて)心有人々は荷物を取片付色々用心の体を見て嘲(あざけり)笑つゝ狐つきの

戯言(たはこと)を信じ今より立騒ぐ事いとおかしと大に誹(そしり)たるに其夜彼地震有しかば

東次の詞(ことば)を始てさとり後悔(かうくはひ)せし人も多かりけり扨又地震しづまりて後もかの

狐魅(きつねつき)の家に返らざる間はいまだ余動も有ならんと此事を伝へ聞たる人迄安き心は

なく猶又所々の火災(くはじ)も有しことゆへ崩家(くづれや)又は傾(かたむき)たる所より荷物家財等を持出し

襖(ふすま)障子(せうじ)等を壁とし戸を以屋根となし些(わづか)に寒気を凌(しのぐ)のみにて人々枕にも着(つか)

ず夢の暮なるうち彼狐つき返きたりしかば人々偖はもはや難もなかるべしと思ひ

狐魅の東次に足下は何所へ逃行しと聞に微笑(びせう)して凡俗(ぼんぞく)の知事ならず等(など)いゝしが各

安堵して其家を取繕(つくろひ)素(もと)のごとく家業(がう)をなしける尓(しかる)に右狐も脱(のき)て元の気と成しとぞ

 

 

22

△牛込白銀丁浅野勇次といふ人あり此人吉原大黒屋の喜瀬川と深く契り此程

打たへたるものからきせ川は切(しきり)に文もて招(まねき)ぜひ逢(あい)たき要事(やうじ)の体成しが右勇次は日頃

同所善国寺の毘沙天を信ずるゆへ参詣し其帰路(かへるさ)に一人旅僧が善国寺は何方

なると尋(たづね)けるゆへ一々(しか/\)の所也と教(おしへ)しが此僧示(しめし)て曰足下(おんみ)今革命の相あり総(そうじ)て院(いん)

に帰(きし)て最(はなはだ)不祥也と云に深く駭(おどろき)何(いか)にし是を佚(のがれ)んと云に僧が曰足下は神仏を尊み

玉ふ体ゆへ是を進(まい)らせん若(もし)止事(やむこと)を跡ず他行(たげう)する事有共深更(しんかう)に及ばず帰宅すべし

尓(しから)ば泊(とま)るは弥以凶(わる)しと云に一礼を述(のべ)て帰宅し右左(とにかく)する間程々(いろ/\)用事出来て浅草

へ行けるに其序(ついで)なればとてお喜瀬川方へ行酒宴(さかもり)し積(つもる)談(はなし)する間はや㐪刻(よつどき)にも成しかば

不斗(ふと)彼僧の云しことを思ひ出し暇(いとま)を告(つぐ)るにきせ川は切(せち)に止(とめ)けれ共終(つひ)に火災(くはし)起崩落

物音の冷(すさま)じきゆへ急(にはか)に取て返し大黒屋へ駈着(かけつけ)右きせ川外五人を救(たすけ)出しけり此夜

泊(とまり)たれば决定(けづぜう)非業(ひがう)に死(しす)べきに不思議に命を佚(のがれ)たるは普(ひとへに)信心の徳なるべし

 

△鈍亭(とんてい)主人話絶(わせつ)す拙子(せつかれ)が一友榎本(えのもと)氏の一夕話に駒込白山下なる質屋某(なにがし)の

丁稚(でつち)去卯年十月二日の黄昏(ゆふぐれ)に二階の板戸を鎖(とざし)せんとて上りたるが暫し有て

梯子(はしご)を下ながら打つぶやくやう今宵定(さだめ)て地震の愁(うれい)有てしかも震動つよか

らんと云独佼(ひとりごとし)けるを番頭聞も間(あへ)ず不祥の事を云(いふやり)ぬかな灯()ともしび)せよ疾(とく)下(おつ)よと

呵(しかり)こらして其侭に有けるに果して其夜の天災に家倉を破損し其家内辛(からう)

じて身を佚れ一同恙(つゝが)なかりし去(され)ば七日の間(うち)野宿せしをも傾(かたふ)たる家をとり

繕(つくろひ)いづれも素(もと)の家居に入(いり)て各(おの/\)安堵せしが彼(かの)丁稚の云たるを思ひ出して

主人に一々(しか/\)の由を告るに主人も訝(いぶかし)く思ひ殿丁稚を招き尋けるに丁稚答て云

僕(わたくし)の父は信州の者にて常に談(かた)るには善光寺開帳の時地しん有たる日の夕方に

西方に白雲霞のごとくたなびき又東の方に藷(つくねいも)の如き雲出たり其夜彼(かの)国の

地震也又暫(しばし)有て元のごとき雲東西に出たり是必揺返(ゆりかへし)ならんと彼(かの)雲を見

たる徒(ともがら)には家財を廣原にはこび身を竹林にひそめ居(いる)に果して其夜も又大地

 

 

23

震有しと談(かたり)たるを覚へ居て忘(わすれ)ざりしを彼二日に其雲の顕れたるを以思はず

申たる也とかたりぬ夫子(ふゝし)は童謡を信じ班固(はんこ)は巷談(こうだん)を因(いn)とす俗説も弃(すつ)べ

きにあらず況(まして)や実地(じつち)の現證(げんせう)おや野夫(やぶ)にも功の者とは是等の事成べし

甲州の絹賈人(きぬあきうど)茂介といへる人去十月二日中山道熊谷宿と立て江戸へ入ら

んと道を急(いそぎ)けるに其日は何とやらん路次(ゆくて)も果(はか)ぢらず浦和宿にて日は暮

けれ共家業(かげう)の都合あしければ道中をいそぎ蕨(わらび)宿板橋おも打すぎて

鶏声が凹(けいせいがくぼ)、あで来りし頃は㐪刻(よつどき)にして猶も道をいそぐ所に北東の方より

南方へかけて黒気(こくき)の中に青(あお)光りあるもの烈風のごとくひゞきわたり飛(とび)

さるよと見るこちに忽(たちまち)動揺の音すさまじく恐怖(けうふ)して地上に倒(たふれ)たる節(とき)大地

震にて近辺の家倉の崩(くづれ)落るに実(じつ)に五臓も引裂(さく)かと思ふばかりにして

夢のごとく更に前後をしらざると也此黒気は地震の前兆ならんかし

右と同容(どうやう)の空中を通たるもの浅草にて見たる人有是同物かしらず