仮想空間

趣味の変体仮名

人論訓蒙図彙 二巻(能芸部)

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592440?tocOpened=1

 

 

3

  能芸部(のふげいのぶ) 次第不同

歌人」和歌は此国の風俗

として神代(かみよ)よりおこれり

假名の三十一文字をつらねて

仏神の感応にもあつかり

目にみえぬ鬼をもかたふ

くる事歌に過たりもの

なし鬼神人物大(おほい)に和(やはらぐ)の

理(り)をもて日本を和国と

も号せり和歌に六義(りくぎ)有

風賦比興雅頌(ふうふひけうがしやう)これ也 又

長歌 短歌 旋頭(せんどう) 混本(こんほん) 折(おり)

 

(挿絵内)「歌人

 

 

4

句(く) 沓(くつ) 冠(まふり) 俳諧(はいかい)等(とう)の姿有り

神祇(しんぎ) 釈教(しやくけう) 恋 無常

天地 山川(さんせん) 草木(さうもく) 鳥獣(てうしう)等

のうへにいたるまても こゝろ

を種として つらねすと

いふまなく物にたいし

て情(じやう)を述(のぶ)る器(うつはもの)也  「有職者(ゆうしよくしゃ)」

本朝において諸道の製

法あり 此法をあきらめしる

人を有職の人といふ 第一上(かみ)

天子の法式より下(しも)百官の

品(しな)にいたつてさま/\の式あり

 

家々の伝説を古実と号

し代々(よゝ)の例記を記録と

称して和国の重宝と

し給へり  「詩人」詩は唐土(もろこし)

よりおこれり 此ゆへに唐(から)

歌(うた)ともいふ也 和歌に同

しく六義ありて 句を八

句になし 字は五言(こん)七言に

ならぶ 凡(をよそ)法式は詩学

成等の書にしるし 其外(ほか)

韻字(いんじ)は略韻 三重(ちう)韻等

みな詩法の良材なり

連歌師(れんがし)」連歌はむかしより

 

(挿絵内)「有識者」「詩人」

 

 

5

あつて久しき事なり 日(やま)

本武尊(とたけるのみこと) にひはりつくは(新治、筑波)を

すきて(過ぎて) いくよる(幾夜)ね(寝)つる と の

給は(宣)せけるを 燭をとる人(火焼の老人)

其すえをつきし(その歌に返して問答形式をする) 是 連

歌の始(はしめ)也とかや 定家 家(か)

隆(りう)等の句あまたあり 然(しかれ)

とも百韻の法式をたてゝさかん

にひろまる事は宗祇(そうぎ)法

師 牡丹花(くわ)にはしまれり

中頃東山殿の代(よ)にいたつて

此道盛(さかん)にして連歌の新

式定(さだめ)れり それよりして

 

代々(よゝ)つたはり 慶長の頃

昌琢(しようたく)入道 其名高く 其子

孫添削の家にして花本(はなのもと)

と号す  「俳諧師(はいかいし)」是も

和歌の一体にて 古今集

俳諧歌(はいかいうた)あり 然とも連

歌のことく百韻の法式をた

てゝ盛にひろまる事は 逍(せう)

遥軒貞徳(ようけんていとく)にはしまれり

其式をかきたる書を はな

ひ草と号す 雛屋立圃(ひなやりうほ)が

作也 其流れを汲で棟梁す

る者を点者(てんじや)と号す 近頃(ちかきころ)

 

(挿絵内)「連歌」「俳諧師

 

 

6

大坂に住(ちう)する西山宗因(そういん)元(もと)は

昌琢か門人として連歌

流(なかれ)をくむといへとも これに

すきて一風(ふう)をなせり 其弟

子おほくして又其風おゝし

「鞠」上古(しやうこ)天竺に曇王(どんわう)と

いふ大外道あり 盤古(ばんこ)大王

の太子(たいし)是を射殺して 頭(かしら)

をはね其首を鞠(きく)と名付

て八人の童子にけさしむ

是始也 日本においては用

天皇の御時よりはしま

れり 公家のもてあそびとし

 

て さま/\の法あり 其伝(でん)を

つける家を飛鳥井御子左(あすかいみこひだり)と

いふ 又賀茂の神官松下一

家(け)一流の伝あり 冠のかけをは

鞠の家飛鳥井より印(ゆるし)をえ

てかけらるゝゆへ諸家(しよけ)残らず

此家の門弟なり 装束の

高下(かうげ)桔梗袴(ききやうばかま)紫末濃(むらさきすそこ)抔(とう)の

印あり かゝりは松 楓 柳 桜

かゝりの造様(つくりやう)は横算(よこさん) 竪算(たつさん)

のわかちあり 木をもつて

かゝりを造るには他家には

許(ゆり)さす 鞠師(まりし)は新町(しんまち)通(どおり)六角

 

(挿絵内)「まり」「神道者」

 

 

7

下ル丁 竹之屋左近(さこん) 室町通

条下ル丁 竹庵(ちくあん) 丸太町(まるたまち)烏丸(からすまる)

矢野常之 二条通富小路(とみのこうぢ)

植虎(うへとら)や廣昌 大坂は道修谷

江戸京橋南弐丁めかめや

六左衛門 石(こく)町十間棚(たな)松や又左衛門

同所竹屋勘兵衛 浅草かや町

神道者」日本は神国なれ

神道をもて国家を治(おさむ)る

法(のり)あり 本朝欽明天皇

の御代(みよ)に仏法わたりてよ

神道おとろへて伝(つたはる)学

者まれなり 神書数百(すひゃく)

 

ありといへとも入鹿(いるか)が逆

心の頃 滅せしとかや 其後

天武天皇の皇子一品舎(いつほんや)

人(との)親王 日本紀を制作

あり 此中神代の二巻 本

朝の明記たり 今唯一神

と号せり 是根元の神道

なり 両部習合といふ物は

仏(ふつ)?(ほさつ:菩薩の合字で縦にササと記す)をもつて神の垂迹(すいしやく)

と立(たつ)る也  「学者」世俗学

者と称するは儒者をいふ

なり 孔子の掟を守りて仁

義礼智信の五常より

 

(挿絵内)「学者」「書道者」

 

 

8

五倫の道を をしへ 諸々の儒教

ををしへ または詩経老荘(しきやうらうそう)

の道をも人の乞(こふ)にしたが

ひて釈し教ゆる 世間出

世の名師也 醫は醫学者

歌は歌(か)学者 それ/\の師

有(ある)なり  「儒(じゆ)」儒は応神

帝の御時 阿直岐(あとき)王仁(わうにん)抔(とう:等)

論語(ろんご)孝経を持来(じらい)して

百済国(くだらこく)より渡る これ

日本にて儒のはしめと

かや  「筆道者(ひつだうしや)」唐土

蒼頡(さうけつ)鳥の足跡をみて 字

 

をつくりしより代々(よゝ)宝と

なれり 字画(じぐわく)筆勢のあ

やとりについて種々のすが

たあり 唐土(とうど)においては普(しんの)

王羲子(わうぎし)をはじめ歴代の名

人あり 日本においては弘法

をはじめ佐理(さり) 道風(どうふう) 橘逸(たちばなのはや)

勢(なり)抔の名筆 家々書伝あ

り 近代十二点といふ事出(いで)

来(き)たり  「醫師(いし)」醫は神(しん)

農(のふ)よりはじまれり 師匠な

く忽然として草木の味を

しり 八百余種をなめて五臓

 

(挿絵内)「醫師」「針師」「按摩」「小児」

 

 

9

六腑に通ずる事をさとり

て薬種をはじむ 是醫の祖

師なり 日本においては神代

の時少彦名命(すくなひこなのみこと)万病を

療治する事 針灸(しんきう)のみち

をもはじめ給ふ也 此ゆへに

日本にては少彦名命を醫(いの)

祖神とす 西洞院(にしのとういん)五条の天神

是也 此神の薬方おほく

百述を用(もちい)給ふゆへに節

分に彼(かの)社にをいて百述

をうるも神代の遺風

 

ぞかし  「針師」十四経(けい)

を考て 浮沈補瀉(ふちんほしや)の術あり

打針 捻針(ひねりばり) 管針(くだばり) 抔(とう)品々

の流(りう)あり 天子の針師をば

針博士(しんはかせ)と号す  「目醫師」

眼(まなこ)は人身第一の所なり

天性の気血の虚弱によ

りてさま/\の眼病あり

最(もっとも)大切の事なり  「按摩」

醫書にをいて保養(ほうよう)の部

に此事あり 気血を?養(つうやう:通養?) 

する補(おきない)の第一   「小児醫師(しやうにいし)」

産前産後等(とう)いつれも一

 

(挿絵内)「歯医師」「外科」「金瘡」

 

 

10

家(け)の別伝(へつでん)あり 諸医の

中(うち)にむつかしき第一とす

言語(けんぎよ)かなはされは陰陽を

わかち青黄赤白黒(せうおふしゃくひゃくこく)の五

つをかんがへ薬を用(もちゆる)の口伝

あることなり  「歯醫師(はいし)」

本朝において青陽(せいやう)の初(はじめ)

に歯堅(はかため)の祝(いわひ)是歯を養(やしない)長

生をことふくのはじなり 金(かね)

康(やす)をもつて歯醫の家と

す 此家に屠蘇(とそ)百散(ひゃくさん)の法

つたわりてあり  「外科」

外相(げさう)に出(いつ)る腫物(しゆもつ)を療(りやう)

 

するゆへに外科と号す

外科回春(くわいしゅん)唐土(たうたう)の粋書(すいしよ)也

「金瘡(きんさう)」手負(ておい)其外(ほか)一切の疵

最(もつとも)詮要(せんやう)の法なり 此人体

大気にして初(はしめ)に動ぜざ

るをよしとす 小気(せうき)にして

臆したるは本人よりさき

に散乱す 是金瘡(きんさう)の下(げ)

品(ほん)也  「諸礼者(しよれいしや)」小笠原家

の記録是武家の礼式とし

て庶人にいたるの礼法な

り 是を智人(しるひと)を諸礼者

といひ其式法を躾方(しつけがた)と

 

(挿絵内)「諸礼者」「算勘」

 

 

11

いふなり 此事将軍義

満の御代(みよ)より始れり

「算者(さんじや)」算勘(さんかん)の道は万

法にわたつてなくてか

おはす 貴賤僧俗誰かこれ

をすつべきや 天地五運の

行道も算数を考て是

をしり高山深淵をもい

たらすしてしるは是算勘

の徳なり 十露盤(そろばん)は吉田

七兵衛こしらえしとかや

むかしは算木はかりなり 十

露盤師所々(しよ/\)に住す

 

「弓」弓智(しり)是を射礼(しやれい)といふ

唐土(とうど)の弓執(ゆみとり)は揚由(やうゆう)を始とし

て其外武勇に長ずる人

弓を握(にぎら)ぬはなきゆへ武士を

さして弓執といふなり 日本

にては雪荷印斎(せつかいんさい)抔(とう)是中(ちう)

古(こ)の弓知(ゆみしり)往昔(そのかみ)教経(のりつね)抔弓に名

高き人也 又近世三十三間

堂をとをし始て是が長たる

者を天下矢数といふ頃は

慶長十一年正月十九日 浅岡

平兵衛といふ者 通矢(とをりや)五十一

 

(挿絵内)「弓」「馬乗」

 

 

12

本なり 抑(そも/\)此堂は後白川

院の御建立にて間行(けんゆき)六十

四間 縁のはゞ七尺三寸 軒裏

枡形まて高さ一丈四尺八分

枡形のはゞ一尺三寸五分なり

南の縁のはつれ七尺九寸置(おき)

て北にむかひて射通す 是当

世無双の勢兵(せいひやう)なり 寛文

九年五月二日に 尾州星野

勘左衛門 通矢(とをりや)八千 惣矢(さうや)一万

五百四十二本 今は紀州和佐(わさ)

大八郎 天下通矢八千百三十

三本 惣矢一万三千五十三

 

本なり  「馬乗(むまのり)」乗馬法(じやうばのはう)

是を乗形(のりかた)といふ 馬は武士(ぶしの)第

一の重宝(ちやうはう) 高山もやすく上(のぼ)り

大河も自在にわたす 是皆

駿馬の徳也 馬は陽畜(やうちく)なり

よつて気さかんにして心すなほ

なりといへとも あしさまに乗

入ぬればさま/\曲(くせ)出る也 其

品(しな)分れて百曲(もゝくせ)あり 其外軍

馬 平馬の乗やう 駒をしい

れ曲を直す事其法式あつ

て むかしより八乗流(じやうりう)あり 中

古に大坪(おほつぼ)の一流あつて今につ

 

(挿絵内)「鑓遣」「いあいとりて」

 

 

13

つたへて武の要道(ようたう)なり

「鑓遣(やりつかい)」鑓は其はじめをし

らす 鬼神も鑓を持物(ちもつ)とな

し 四天王も鉾(ほこ)をもてり さ

れば武用の第一鑓をもつて

す 軍中において敵をくだ

くに鑓下(やりのした)の高名とて是手

柄の第一也 凡鑓に品々あり

寸鑓 十文字鎰(かぎ)鑓 管(くだ)鑓 抔(とう)

流々(りう/\)の伝(つたへ)有て 香取(かんどり) 落合

堤 神道 塚原などの名(な)有(あり)

長刀(なぎなた)はむかしより武士は女房

も是をつかいければ 諸書に

 

此事をのせたり 鑓一流を

極めれは長刀は其中に

こもれり  「太刀遣(たちつかい)」是を兵(ひやう)

法者(はふしや)といふ 男子(なんし)第一の道に

して学(まなび)ずしては有べからす

諸流数多あり 戸田流 神

道流 神影流 柳生流なと さ

ま/\あり むかしは回国修行

の兵法者あつて盛(さかん)に是を

教弘(おしへひろ)めしが やゝもすれは

諸流と威勢をあらそひ仕

合喧嘩の中立(なかたち)となりける

ゆへ 此事停止(ちやうじ)なり 今静(せい)

 

(挿絵内)「鉄砲」「馬醫」

 

 

14

謐(ひつ)(の)御代なれば 其家ならぬ

外(ほか)民間にをいてはしらぬこ

そよけれ  「鎌遣(かまつかい)」中世奈

良の宝蔵院といふ僧あり

是鎌遣 鑓をつかふゆへに

世俗鎌宝蔵院と称す む

かしより有こ事也 其源(みなもと)たし

かならす 短き物をもつて

長きに勝(かつ)是兵法入身(いりみ)の

大事 はやわざのいたりなり

「居合(いあい)」いあひは太刀討(うち)の根

元なり 兵法といふは敵に向

て太刀をあはするは腰より

 

抜出(ぬきいだ)しての上也 抜すして兵法

有へからず 然(しかれ)は抜を第一と

す 長短の打物によつて

抜やう品々有 又は所の廣(ひろ)

狭(せば)地形(ぢきやう)の高下と 座し

たると立たるとあり 敵に

其色をさとらせす柄に手

をかくるより抜いたす遅速

によつて勝負の二道こゝに

あれはいかでか学(まなひ)すして

あらんや 諸流多き中に

関口流其名高し

「鉄砲(てつはう)」鉄砲は高麗国より

 

(挿絵内)「軍法者」茶湯者」

 

 

15

はしまれるとかや 日本にお

いては文禄の頃世にあまね

く流布せり 稲富(いなとみ)一夢斎(むさい)

といふ者 此道の宗匠とし

て其名高し 其後大筒

小筒抔品々の法わかれた

り 誠に大敵をくだくの軍

器なり  「馬醫(ばい)」馬醫を

白楽(はくらく)といふは 馬は白楽星(せい)の

つかさとる所なり 唐土のに

おいて孫楊といふ人 馬の万

病をさとり針灸薬(やく)の道

をはしむ 黄帝の師となり

 

て病馬の論をなす このゆ

へに馬師皇(ばしくはう)ともいひ白

楽ともいふなり  「軍法者(くんはうしや)」

軍法は七書其外武備志に

くはし 圍幕(いはく)のうちにあり

ながら敵の強弱をしり天

地寒雲(かんうん)五運五行のことはり

時節の変(へん)をもつて相剋相

生(しやう)をはかりて 諸卒をつかひ

夜討 忍びの秘術 かけひき

の軍配をなすに 実(まこと)に神の

ことくにして 利有(あり)を軍法者

の第一とす 侍の上(かみ)最(もっとも)知へき

 

(挿絵内)「庭作」「立花」「香嗅」「目利」

 

 

16

道也  「茶湯者(ちやのゆしや)」むかしより

有事なれとも法式品々あ

りて 数奇(すき)と号してより

数寄屋(すきや)圍(かこい)抔の茶亭をし

つらひ 路次(ろじ)入草木(さうもく)の植

やう 料理塩梅(えんはい)の品に

いたるまて こまやかにわか

れしは 利休をもつて中興

とし 古田織部 小堀遠江

流品々あり 柔和敬節を

もつてもとゝす 人論のまじ

はり 行儀をしるへきの一助

実(まこと)に益有楽(たのしみ)にてそ

 

「庭造(にはつくり)」築山(つきやま)又は仮山(かりやま)とも

いふ むかしより有て久し

きもてあそひなり 夢窓(むそう)

国師自然の数奇にして

此人の流あり 西山の西方

寺の庭 夢窓国師(の)作 よつ

て是をまなぶ也 庭作に法

式あり 四天王石 座禅石 根

からみ 見付石 置やうに口伝

あり 寺社在家の作やう

口伝 屋敷のうち山河(やまかわ)たく

わへ 富貴をたるの義あり

いつれの石も面(おもて)を いぬい へ

 

(挿絵内)「碁」「将棋」「楽人」

 

 

17

むけ 水はきも同前なり

築山 芝山 峯 平作(ひらづくり)なり

「立花(りつくわ)」池坊(いけのはう)を宗匠とす

頂法寺六角堂の別当

代々相続して一家をたつる

毎年七月七日二星(じせい)に手向(たむく)る

の立花門弟相双(ならん)て是を立(たつ)

る 洛中の貴賤群をなし

て是をみるなり 法式は

花伝書(くわてんしよ)有 近世(ちかきよ)に又立花

の書あまたあり  「囲碁

周公旦(しうこうたん)の作也 日本に来(きた)る

事は吉備大臣帰朝のとき

 

持来せり 諸々の仙人もてあそ

ひものとす 盤の面(おもて)は世界

を表(ひやう)し 三百六十の目は年月

日数(ひのかす)九目(くもく)の星は九曜星 石

の黒白(こくびやく)なるは昼夜を表す

るなり 碁盤作(つくり)法 高サ

六寸 長サ一尺四寸 廣サ一尺

三寸八歩 一目のあい七分 当

世碁所(ごところ)洛陽京極通 冷泉

通上ル丁寂光寺の内 本因坊

盤を造る所は二条通麩屋

町の西久(きう)右衛門 四条通堀川筋(すぢ)

大坂天満天神の裏門 石川

 

(挿絵内)「能」「尺八」

 

 

18

原町通 三条下ル二丁目に有

江戸盤作所 南伝馬町 乗物町 新両替町  「将棋」周武(しうのふ)

帝(てい)詔(みことのり)あつて臣下王褒(わうほう)につ

くらせしむ 是軍法の備(そなへ)也

今世に流布するを小将棋

といふ 其外中将棋 大将棋

の法あり 碁に同じく吉備

公の持来也 当世将棋の粋(すい)

は廣庭中勢(ひろにはちうしやう) 其外 鎰(かぎ)や

十兵衛 其名聞ゆる 盤をつ

くるは碁盤四一家(け)にあり

「双五六(すごろく)」阿育王の作又は

 

異朝の子建(しけん)作とも 日

本へは天?年中に渡る

盤は四季を表し 厚(あつさ)四寸

八方に表して ひろさ八寸

十二月に当て 長さ一尺

二寸十二の目をもり 天地

人の三さいにかたとり よこ

三段にわけ 陰陽の義にな

そらへて内外の二陣をなす

一月を司どりて黒白卅の石

あり 日月(しつけつ)を表して二つの

さいあり 須弥の三十三天

に表して筒の竹を三寸三

 

(挿絵内)「一節切」「料理人」

 

 

19

分(ふ)に切 とかくに官女のもてあそひものなり 源氏わかなにも あかし

の尼公/\と目をこい給ふなり  「香嗅(かうきゝ)」香の徳有て仏神も

感応まし/\ 人をして優美ならしめ 清浄(しやう/\゛)潔白の徳あり 伝(つたへ)

聞(きく)赤栴檀(しやくせんだん)蘭奢待(らんじやたい)はじめ日本にてもてあそひし柴舟(しはふね)美(み)

吉野 初音(はつね)白雪抔 諸々の名香あり よく嗅智(かきしる)人を香嗅(かうきゝ)と

号す  「目利(めきゝ)」万(よろづ)の器(うつはもの)墨跡 画図(ぐわと)によつてそれ/\の目利

是重宝の人なり 道にこゝろざす人は学(まなふ)へきは目利なり

当世の目利 劔は本阿弥光淑(ほんあみこうしゆく)曰 光碩(くはうせき)植原(うへはら)自仙(じせん)本阿弥三郎

兵衛其外あり 古筆は了因(れういん)了眠 谷中江庵(こうわん)寺の内ふや了仲

本江(ほんごう)御弓(をゆみ)町 畠山牛庵(きうわん)其外有 墨跡は玉屋 甲斐 武藤十

右衛門 品川東海寺春沢(しゆんたく) 絵は弓削(ゆげ)屋半兵衛 諸々の器物(うつはもの)は大文字や

市兵衛 福田権左衛門 石野長右衛門 大和屋十右衛門 諸道具 江戸京橋

南へ一丁目 片倉道悦(とうえつ) 兼房町 岡本重右衛門  「舞楽(ぶがく)」楽(かく)人

 

唐土(もろこし)よりはしまれり 楽(がく)調(しらへ)妙(たへ)なり事仏神を感せしめ 人

倫を和(やはらけ) 心をすましむるの法要なり すべて一切の楽

器をとる役人を伶人(れいじん)ともいへり 諸流有て京楽(きやうかく)奈(な)

良(ら)楽抔の家をたつるまり 天王寺にあり   「簫(しやう)」唐土(とうど)の

倭王の作也 日本にては聖徳太子よりつたはる楽器の第一

とて 日本において公卿のもてあそびさま/\の楽の調(てう)

子(し)あり 是を譜(ふ)といふ 当世篁造(しやうつくり)松原通富小路(とみのこうぢ)東へ入丁 山

本藤右衛門  「琴(きん)」琴(こと)は伏義(ふつき)の作る所なり 二十五絃あり 是を

瑟(しつ)といふ 弦多少あり 大は五十弦あり 日本にては天照大神

天岩戸にこもり給ふとき天下闇となりしかば いだし

奉らんとて万(よろつ)の神岩戸の前にして神楽をそうし給ふと

て 弓六張(ちやう)をならへて其弦(つる)をかきならし給ふ これ和琴(わこん)

のはじめなりとかや 和琴は楽器の中にしては我国に出(いで)来し

 

 

20

ゆへ第一の座に着するなり 是を琴といふ 又は七弦あ

り 今世(いまのよ)にもてあそぶ十三絃の琴の調(しらべ)あり 是をつくし

琴といふ 今様 小歌 さま/\のせすといふ事なく琴の手

を組といふなり 思ふに三味線にならひて組といふならん

「琵琶」琵琶は伏義の妹 女媧子(ちよくはし)の作にて魔王の股(もゝ)を

表(ひよう)して作れり 仏道において妙音(めうおん)菩薩を祖とす 日本へわ

たる事は嘉祥三年三月に掃部頭(かもんのかみ)貞敏(さたとし)入唐(にっとう)して持来(ぢらい)

せり 中世礒禅師(いそのぜんじ)生仏(じやうふつ)といふ盲目に源平の物語を作り

て教(おしへ)けるより 生仏それにふしを付(つけ)て琵琶をかきなら

しけり 今にたえず是を琵琶法師ともいへり

「箴角篥(ひちりきかき)」琵琶と同作なり 日本にては高麗国の恵

慈といふ僧に聖徳太子のならひ給ひしなり 此僧は

太子仏学の御師匠のため太唐(たいとう)の天子よりわたす人也

 

「笛」異朝の令公(れいこう)といふ人 松竹林(せうちくりん)を通しとき  鳳凰のこ

えを聞てこれをつくるとなり 簫(せうのふえくだ の数多少あり)  「能」能と

いふ事むかしより有といへとも 其伝記たしかあんらす 百

一代後 小松院(こまつのいん)の御宇 鹿苑院(ろくおんいん)相国公(しやうこくこう)の代(よ)に観世(くはんせ)世阿

弥(み)といふ者 公方家(くばうけ)の能太夫として盛に是をもてあ

そび一家をたてゝ観世流あり 今にいたつて第一也 観

世より今春(こんはる)保生(ほうしやう)わかれ 今春より金剛座わかれて是

を四座(よざ)といふ 猿楽としふ事は神代猿田彦の余流のいひ

なりとかや  「地謡(ちうたい)」謡は日本の遊興の随一なり 作者

多くあつえt神祇(じんぎ) 釈教(しやくけう) 恋 無常 唐土(とうど)日本の古事

古歌 古詩(こし)の意(こゝろ)すべて士農工商のことわざ 幽玄 鬼神

のことにいたるまでつくさすといふ事なく詞を和(やはらけ)和語を

以てつくり 枕詞たくみに詞の縁を第一とせり 神事祝

 

 

21

言(げん)の場(には) 遊宴の座敷において これをもてあそはずと

いふ事なし 国家泰平の調子 鬱をさり 老を若やぐ

の功能有て 誠にめでたき様(ためし)なり  「笛」横笛と号す

唐土(もろこし)の東坡(とうば)居士の龍吟(りうぎん)を聞て汀(みぎは)の竹をきり

て八つの穴をあけて吹(ふき)しとかや 穴を歌口(うたぐち)といふは和国

にての名なり 又 調子(ひやうし)において一穴づゝに各々名あり 竹は

漢竹を上(じやう)とす 高麗笛是をこまふえと称じてむかし

よりもてあそぶところなり 当世笛吹(ふえふき)は森田庄兵衛 春

日市右衛門 一噌?(八?)郎右衛門 庄田与兵衛 其外略す也  「皷(つゞみ)」皷に大小

有 小を小鼓と称じて大の上(かみ)に座する 秦の穆王(ぼくわう)の作也

二面の皮は天地をかたどり 花形は星を表し 調弦(しらべ)は五

五常をかたどり 筒(とう)は須弥山を表す 大鼓は陽(やう)にして

呂(りよ)也 小鼓は陰にして律(りつ)也 これ陰陽和合の器(うつはもの)なり 当

 

時小鼓打は観世宗兵衛 保生新九郎 大蔵長右衛門 幸野(かうの)清

五郎 大鼓は葛野(かとの)市郎兵衛 皷師 二条玉屋町烏丸六角下ル丁

大坂は堺筋かはら丁  「太鼓」太鼓のはしまりは釈尊

御時ゟ時の太鼓をうつよりはじまれり 其事下(しも)にみえ

たり 枹(ばち)は陰陽を表す 当時打手観世左吉 今春又次

郎 太鼓は皷屋にあり  「狂言」人として笑(わらい)を催すためな

れば法外俳優の事なり  「舞(まひ)」むかし源平の軍(いくさ)人(にん)

事(じ)の盛衰を作りて ふしをつくる 是を座してかたるを

も 舞といひ 又 仕方をなすをも舞と称ずるなり 舞

に両流あり 越前の幸若 洛陽の大(だい)柏流なり 近世(ちかきよ)女舞(をんなまひ)

ありて天冠を戴 水干に大口を着し 拍子をなす 左右は男

にして大紋に烏帽子を着して 脇と称す 当世幸若

八九郎 女舞 笠屋新勝(しんかつ) 大柏木なり  「一節切(ひとよきり)」尺八

 

 

22

より作出(つくりいだ)すものなり 尺八の略器なり さま/\の手あり 委(くはしく)は洞簫(とうしやう)

記にみえたり 当時吹手は相国寺の内原田是斎(たぜさい)寺町通三条

上ル丁 今西一音(いちおん)   「尺八」其長(なが)一尺八寸のゆへに尺八と号す 楊貴妃

哀音(あひをん)を表すとかや 玄宗帝の作なり 唐土の僧普化(ふけ)和尚是

を愛せらる 今 空毛僧(こもぞう)は此末流なり  「料理(れうり)」料理を芸

として身を立(たつ)るを料理人とも庖丁人とも号す 其者を召抱(めしかゝへ)

るはいふに及ばず貴賤の人弁(わきまへ)知べき道也 定家卿諸芸多き

中に此道に長じ給ひければ 末の世に至るまで此一流あり 凡そ

有生(うしやう)の第一は命をもつて本(もと)とす 然るに命(めい)は食(しよく)にあり 此ゆへに

人間第一の楽(たのしみ)は食を元とす よつて温寒(うんかん)冷熱の五味の品々を分(わかた)

ずしては其味(あぢはひ)を愛するによしなかるべし  「水練(すいれん)」武要(ぶよう)の一芸なれ

ば武士のみがくべき事なり 諸民においても男子のうへには

川越(かはごし)の難義なきにしもあらされば こゝろかくべし

 

「座頭(さたう)」初心 打掛 四分 勾当

検校 何も官なり 行長 平

家物語 作(つくり)教へしは 生仏と

いふ座頭なり 誠に高位にま

しわるものなれは 心 直(すなを)に

ありたきもの也 聞伝へしは

逢坂の蝉丸 または景清 日向 勾

当といひしとかや 初官

より段々の官あり 石塔(しやくたう)

二月十六日 涼み六月十九

日なり 検校入用 凡そ四拾

貫目余なり

 

(挿絵内)「検校」

 

 

23

「御前(こせ)」光孝(くわうかう)天皇

御子(みこ)雨夜の前にはじ

まるといふせつあり これ

もれき/\のおくがたへ

も出入 又は いとけなき娘(むすめ)

子に琴三味線をおしへ

侍れは みもち きやしや にあり

たきものなり

 

(挿絵内)「御前(ごぜ)」