仮想空間

趣味の変体仮名

世間胸算用 巻五

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2534240

 

 

86(左頁)

胸算用  大晦日は一日千金 巻五

 目録

一 つまりての夜市

    文反古は恥の中/\

    いにしへに替る人の風俗

二 才覚の軸すだれ

    親の目にはかしこし

    江戸廻しの油樽

 

 

87

三 平太郎殿

    かしましのお祖母を返せ

    一夜にさま/\゛の世の噂

四 長久の江戸棚

    きれめの時があきなひ

    春の色めく家並の松

 

 つまりての夜市

萬事の商なひなふて世間がつまつたといふは毎年の事

なりたとへば十匁に相場極まりて売買いたせし物を

九文目八分にうれば時の間に千貫目か物も買手有五十匁

に買ば即座に弐千貫目がものも売手有是をおもふに

大場にすめる商人の心たゞま各別に廣し売も買もみな

人/\の胸ざんようぞかし世になきものは銀といふはよき所

を見ぬゆへなり世にあるものは銀なり其子細は諸国とも

に三十年此かた世界のはんじやう目に見えてしられたり昔

わら葺の所は板びさしと成月もるといへば不破の関屋も

 

 

88

今はかはら葺にしら土の軒も見え内ぐら庭蔵大座敷の

ふすまにも砂粉(すなご)はひかりを嫌ひ泥引(でいびき)にして墨絵の物ずき

都にかはる所なし又灘の塩やきはつげの小ぐしもさゝでと誦(よみ)

しにかゝる浦人も今は小袖ごのみして上方にはやるといふ程

の事を聞あはせ見おぼえ千本松のすそ形もふるし当年

の仕出しは夕日笹のもよふとぞといまだ京大坂にもはし/\゛

はしらずして中がたのしのぶ小桐の衣装きるうちにはやい

なかに京ぞめはしやれたりむかしもようの肩さきから

染込の郭公(ほとゝぎす)の二字又はぶどうだなの所々につるはを赤

ねの染入おかし見し時は各別ぞかし何国に居ても金銀さへ

 

もちければ自由のならぬといふ事なしことさら貧者の大

節季何と分別しても済がたしないといふてから銭が壱文おか

ぬ棚をまぶりてから出所なしこれを思へば壱年に三百六十文

十年に三貫六百なり此心から算用すれば茶焼木(たきゝ)味曽

塩万事に何ほどの貧家にても一年に三十六匁の違ひ有

十年に三百六十目是に利をもりかけて見るときは三十

年につもれば八貫目余の銀高なり惣じてすこしの事

とて不断常住の事には気をつけて見るべしことにむかし

より食酒(けさけ)を呑ものはびんぼうの花ざかりといふ事有爰に

 

 

89(挿絵)

 

 

90

火ふくちからもなき其日過の釘鍛冶お火焼(ひたき)に稲荷

どのへ進ぜるお神酒徳利のちいさきに八文づゝがはした

酒日に三度づゝ買ぬといふ事なく四十五年此かた呑くら

しける此酒の高毎日小半(こなから)づゝにして四十石五斗なり

毎日二十四文の銭つもり/\十二匁銭にして銀に直し

四貫八百六十目なり此男下戸ならば是ほどに貧はせ

まじきものと笑ふ人あれば此鍛冶我家おさめたる㒵

つきして世中に下戸のたてたる蔵もなしとうたひ

てまた酒をぞ呑ける既に其年の大晦日にあらまし

に正月の用意をしてほうらいは錺りながら酒小半

 

もとむる銭なくてことのたらさる宿さひしく四十五

年此かた一日も酒のまぬ事のなきに日もこそあれ元

日に酒なくては年をこしたる甲斐はなしなと夫婦

さま/\内談するに酒手の借ところなく質種もな

くやう/\思案めくらして過つるあつさをしのきし

あみ笠いまた青/\としてそこねもやらすありける

をこれ来年の夏までは久しき事なりたからは身

のさしあはせこれをうりて当座の用にたつるより

外なしtすてに立さかりたる古道具の夜市に

まきれて世間のやうすを見るに大かた行(ゆく)所なき

 

 

91

借銭負の(おい)の㒵つきぞかし宿の亭主は売口銭(こうせん)一割のき

ほひにかゝつてふり出しけるこよひいなつてうるほとの

ものよく/\さしつまつて皆あらはれなり十二三なる娘の

子の正月布子と見えてもえぎ色に染かのこの洲崎

からはうす紅にして中綿もおします入ていまた袖

口もくけすしてこれを望はないか/\とせりけれは六匁

三分五リンづゝに落けるよもや裏ばかりもお出来まじ其頃に

丹後の細口の鰤を片身売に出しけるこれもあまら

す二匁二分五リンにうれける其跡から二畳釣の蚊屋出して

八匁より二十三匁五分まてせりのほしけるにうらすして

 

置ける是は商ひならうはつなり蚊屋大晦日

質におかす持たる身体なれはたのもしき所

ありと笑らひける其のち十枚つきの蝋地の紙に

御免筆(ひつ)の名印(ないん)まてしるしたるを売けるに一文

からやう/\五分まてねたん付けれはそれはいつれも

あまりなる事紙はかりか三匁か物か御座るといへは

いかにも/\何もかゝすにあれは三匁か紙なり無用

の手本書て五分にも高したとへいかなる人の筆に

もせよ是をふんとしといふ手しやといふそれはいかなる

事そといへは今の世に男と生れ是程かゝぬものはない

 

 

92

によつてこれをふんとし手とそ笑ひける扨又これは

われもの/\と大事にかけて置しけるは南京のさしみ

皿十枚其へたてに入たる京大坂の名ある女郎の文から

なりこれはといそかしきによみて見るに皆十二月の文

ともはいとしかはひのおもひをさつて近ころ申かね候へともと

無心の文はかりなり恋も無常銀なくては成かたし子の

皿のぬしも定めて大しんといはれて此ふみひとつが銀一枚

つゝにもあたるへし然れは皿よりは此反古に大分のねうち

ありとておの/\大わらひしける其跡に不動一体とつ

こ花さられい錫杖ごまの壇の仕廻ものさて/\此不動

 

も我身上の富貴は祈られぬ物よと沙汰しける時にく

だんのあみ笠出せは其座に売ぬしの居るもかまは

ずあはれや/\此笠幾夏かきるためとてづるきこ

かみにて紙ふくろして入てさても始末なやつが

うり物そと三文からふり出して十四文に売て此銭

うけとる時是は此五月に三十六文に買て何/\のせいもん

庚申参りに只一度かつき其まゝといひけるも其身

の恥のおかし其夜の仕舞に歳暮の礼扇の箱二十五たは

この入し箱ひとつて二匁七分に買て帰りしてたはこ箱

の下に小判三両入置しは思ひもよらぬ仕合也

 

 

93

 二 才覚のぢくすだれ

宵の年のせつなき事をわすれがたく来年からは三ヶ日

過たらは四日より商売に油断せす万事を当座ばらひ

にして銭のないときは肴も買ぬがよし諸事を五節供切と

胸算用を極め借銭乞のこはひ心をすくに正月に成

けることしは今までの嘉例をいはい替(かへ)るとて十日の帳

とぢを二日に取こし五日にせし棚おろしを三日にして俄かに

身の取なはしかしこくとかく宿を出るからに思ひよらぬ銀

をもつかひ物見もの参りにさそはれ大事の日をむな

しうくらす事無分別とおもひ定めて商売の事より

 

外には人とものをもいはす毎日心算用して諸事に付て

利を得る事のすくなき世なれは内証に物のいらさるし

あん第一と心得て三月の出替りより食たきを置す女

房にまへたれさせて我も昼は旦那といはれて見世にい

て夜は門の戸をしめ置ててつちかふみ碓を助てとらせ

足も大かたは汲たての水て洗ふほとに気を付けれ共

これかやあをちひんぼうといふなるへし又それほとにあきない

事なくていよ/\日なたに氷のことし何としても一升入

柄杓へは一升よりはいらすとむかしの人の申伝えしされは

熊野ひくにか身の一大事の地こく極楽の絵図を拝ませ又は

 

 

94

息の根のつゞくほとはやりかたをうたひ勧進をすれ

とも腰にさしたる一升ひしやくに一盃はもらひかねける

さる程に同じ後世にも諸人の心さし大きに違ひ有事哉

冬とし南都大仏建立のためとて龍松院(りうせういん)たち出給ひ

勧進修行にめくらせられ信心なき人は進め給はす無

言にてまはり給ひ我心さしあるはかりを請たまふも一

升ひしやくなるに一歩に壱貫十歩に十貫あるひは金銀を

なけ入釈迦も銭ほど光られ給ふ今仏法の昼そかし是は

各別の寄進とて八宗ともに奉伽(ほうか)の心ざし殊勝さ限り

なかりきすてに町はつれの小家かちなる所まても長者の

 

(挿絵)

 

 

95

万貫貧者の壱文これもつもれば一本拾二貫目

の丸柱ともなる事ぞかし是おもふに世はそれ/\に

気を付てすこしの事にてもたくはへをすべし

分限に成けるものは其生れつき各別なりある人の

むすこ九歳より十二のとしのくれまで手習につかはし

けるに其間の筆のぢくをあつめ其外の人のすてたるをも

取ためて程なく十三の春我手細工にして軸すだれをこし

らへ壱つを一匁五分づゝの三つまて売払ひはじめて銀四匁五分

もうけし事我子ながら只ものにあらずと親の身にしては嬉

しさのあまりに手習の師匠に語りければ師の坊此事を

 

よしとは誉給はす我此年まで数百人子共を預かりて指南

いたして見およびしに其方の一子のごとく気のはたらき過たる

子共の末に分限に世をくらしたるためしなし又乞食する

ほどの身体にもならぬもの中分より下の渡世をするもの也

かゝる事にはさま/\の子細ある事なりそなたの子斗を

かしこきやうにおほしめすれそれよりは手まはしのかしこき

子共有我当番の日はいふにおよばず人の番の日もはうき

とり/\座敷はきてあまたの子共が毎日つかひ捨たる反古

のまろめたるを一枚/\しはのばして日毎に屏風屋へうりて

帰るもあり是は筆の軸をすだれのおもひつきよりは当分の

 

 

96

用に立事ながらこれもよろしからず又ある子は神の余慶

持来りて紙つかひすごして不自由なる子共に一日一倍

ましの利にて是をかし年中につもりての徳何ほどゝいふ

限りもなしこれらはみなそれ/\の親のせちかしこき気

を見ならひ自然と出るおのれ/\が智恵にはあらずその中

にもひとりの子は父母の朝夕仰せられしは外の事なく手習を

精に入よ成人しての其身のためになる事との言葉反古には

成がたしと明くれ読(よみ)書に油断なく後には兄弟子どもすぐ

れて能書に成ぬ此心からは行末分限になる所見えたり

其子細は一筋に家業かせく故なり惣じて親より仕つゞき

 

たる家職の外に商売を替て仕つゝきたるは稀也手習

子どもゝおのれが役目の手を書事は外になし若年の時

よりすゝどく無用の欲心なりそれゆへ第一の手はかざ

ることのあさましその子なれどもさやうの心入よき事とは

いひがたしとかく少年の時は花をむしり紙鳶(いか)をのぼし智

恵付時に身をもちかためたるこそ道の常なれ七十になる

ものゝ申せし事ゆくすえを見給へといひ置れし師の坊

の言葉にたがはず此者共我世をわたる時節になつてさ

ま/\゛にかせぐほどなりさがりて軸すだれせしものは

冬日和の道のために草履のうらに木をつけてはく

 

 

97

事仕出しけれどもこれもつゞきて世にはやらず

また紙くずあつめしものはちやんぬりのかはら

け仕出して世にうれども大晦日にもともし火

ひとつの身だいなり又手ならひばかりに勢(せい)を

いえたるものは物ごとうとく見えけるが自然と

大気に生れつき江戸まはしのあぶら寒中に

もこほらぬ事を分別仕出し樽に胡椒一粒づゝ

入る事にて大分利を得て年をとりける

におなしおもひつきにて油がはらけと油樽と人

の智恵ほどちがふたる物はなかりし

 

 三 平太郎殿

古人と世帯仏法と申されし事今以て其通り也毎年

節分の夜は門徒寺に定まつて平太郎殿の事讃談せら

るゝなり聞たびに替らぬ事ながら殊勝なる義なれば

老若男女ともに参詣多し一とせ大晦日に節分ありて

掛乞厄はらひ天秤のひゞき大豆(まめ)うつ音まことにくらがり

に鬼つなぐとは今宵なるべしおそろしさて道場には太鼓

おとづれて仏前に御(み)あかしあげて参りの同行(どうぎやう)を

見合(みあはせ)けるに初夜の鐘をつくまでにやう/\参詣三人

ならではなかりし亭坊つとめ過てしばらく世間の事

 

 

98

どもをかんがへされば今晩一年中のさだめなるゆへそれ

/\にいとまなく参りの衆もないと見えました然れども

子孫に世を渡し隙(ひま)の明(あき)たるお祖母たちはあけふとても何

の用あるまじ仏のおむかひ船が来たらばそれにのる

まいといふ事はいはれまじおろかなる人こゝろふびんやな

あさましやなさりながら只三人にきかせましてさんだん

するも益なしいかに仏の事にても爰が胸算用

で御座る中々灯明の油銭も御座らねばせつかく

口をたゝいても世の耗(ついへ)なり面々に散銭取返して下向

して給はれ皆世わたりの事共にからまされ参詣もなき

 

所に各きどく千万爰を以信心女来もいそかしき中に是をは

こび給ふをそんにはさせ給はぬ也金(こがね)の大帳に付おかせられて

未来にて急度算用し給ふなればかならず/\捨たると

おぼしめすな仏は慈悲第一すこしもいつはりは御座らぬ

たのもしうおぼしめせ時にひとりの祖母泪をこぼし只今の

有かたひ事をうけたまはりまして扨も/\我心底の恥か

しう御座ります今夜の事信心にてか参りましたでは

御座らぬひとりあるせがれめがつね/\゛身過に油断いたしまし

て借銭に乞たてられまして節季/\にさま/\作り事

申てのがれましたが此節季の身ぬけ何とも分別あたはす私には

 

 

99

道場へまいれ其跡にて見えぬとなげき出し近所の衆を

たのみ太鼓かねをたゝきたづねこれにて夜をあかして済す

べしふるひ事ながら大晦日の夜のお祖母を返せは我抔が仕出し

と思案して世のふしようなればとてあたりの衆におもはぬやつ

かいかくる事是大きなる罪とそなげきける又一人は生国は

伊勢のものなるが人の縁ほどしれぬものはなし爰許(こゝもと)に親類

とてもなきに大坂旦那廻りの太夫どのにやとはれ荷物をいた

せし時此所の繁昌見まして何をしたればとてふたり三人の

口を喰事心やすき所ぞと見たて幸はひ大和がよひして

小ま物商ふ人の死跡(しにあと)にふたつになる男の子あつてかゝも

 

色じろにたくましければとも過にして世をわたり行末は

其子めにかゝるをたのもしくおもひ入聟していまた半

年もたゝぬに道をしらぬかよひ商ひにすこしの銭もみなに

なし極月はしめごろより何がなと渡世しあんするうちに女は

子を愛して我も耳があるほどに人のいふ事をよくきけ

小男でも本のとゝさまは利発にあつたとおもへ女の手わざの

食までたきて女房は宵からねさせ置て我は夜明がた

までわらんじをつくりわれは着ずに女ぼう子どもには

正月布子をこしらへ此黄がらちやのきるものも其時の名

ごりじやそ何に付てもなじみほとよきものはなし

 

 

100(挿絵)

 

 

101

もとのとゝさまこひしやとなけ/\といふたときはさりとては入聟

口おしく堪忍ならぬ所なれども是非なく日をかさね我ふる

さとにすこし借置(かしおき)たる銀子もあればこれを取あつめて

此節季仕舞とはる/\くだりける甲斐もなく其もの

どもはみな所をされば又手ぶりにてやう/\けふの夕食

前に宿へ帰りしに何とか才覚いたしける餅もつき薪も

買(かい)神のおしきに山ぐさの色めきければ世はなげくまじ

又引あぐる神も有て留守のうちに手廻しよく内証

仕舞置けるとうれしく無事で帰りたるといへば女房

もいつよりは機嫌よくして先足の湯を取もあへず

 

鰯膾を片皿に赤いわしの焼ものにて心して膳をすへける程に

箸とつて喰かゝる時伊勢の銀どもは取て御座つたかといふ不

仕合いふを聞もあへずそなたは手ぶりでようも/\戻ら

れた事じや此米は壱斗を二月の晦日切に約束してわれらが

身を手形に書入て九拾五匁の算用にして借ましたよ世間

は四拾目の米喰とき九十五匁の米を喰事そなたのどん

なるゆへにかゝる仕合持て御座つたものはふんどし一筋何も

そんのまいらぬ事夜に入ば闇(くろ)ふなります足もとの

あかひうちに出て御座れと喰かゝつた膳をとつて追出

す時近所のもの共あつまりて是は御亭さまのめいわく

 

 

102

ながら入聟のふしやうに出ていなしやるが男の本意じや

又よい所も御座ろと口々に追出しければあまりかなしくて

泣(なか)れもせず明日は国元に帰る分別いたしましたが今夜

一夜のあかし所なく我らは法華宗なれ共是へ参りま

したと身のさんげする事哀れにも又おかし又ひとりの

男は大わらひして我身の事はとかふ申がたし宿にいま

すれば方/\よりいけておかぬ身なりとなたへ申て銭

十もんかり所はなし酒は呑たし身はさむし色々無分別

年を越べき才覚なし近ことあさましきおもひつき

ながらこよひは道場に平太郎殿の讃談参り群衆(くんじゆ)

 

すべし其草履雪踏を盗み取て酒の代にせんと心がけ

しにこゝにかぎらずいづかたの道場にも人ぎれなくほとけ

の目をぬく事も成がたしと身のうへをかたりて泪をこぼ

しける亭坊も横手をうつてさても/\身の貧からは

さま/\悪心もおこるものぞかし各みな仏体なれ

ども是非もなきうき世ぞとつら/\人界(にんがい)を観じ

給ふうちに女けはしくはしり来て姪御さま只今安/\

と御平産あそばしました御しらせ申ますといふ程

なく其跡より箱屋の九蔵今のさきに掛こひと云分

いたされまして首しめて死れまして御ざる夜半

 

 

103

過に葬礼いたします御くろうながら野墓(のばか)へ御出たのみま

すといふて来る取まぜてかしましき中に仕たてもの屋

より縫に下されました白小袖をちよろりと盗まれま

したせんさくいたしまして出ませずは銀子たてまして御

そんはかけますまいとことはり申に来る東隣から御無心

なれども今晩俄かに井戸がつぶれまして正月五ヶ日水が

もらいましたいと申きたる其跡から一旦那のひとり子金

銀をつかひすごし首尾さん/\゛にて所を立のくを母親の才

覚にて御坊さまへ正月四日まで預けにつかはしける是もいや

とはいはれずうき世に住から師走坊主も隙のない事ぞかし

 

 四 長久の江戸棚

天下泰平国土萬人江戸商ひを心がけ其道/\の棚出して

諸国より荷物船路岡付(おかづけ)の馬かた毎日数万駄の問屋づき

こゝを見れば世界は金銀たくさんなるものなるにこれを

もうくる才覚のならぬは諸商人に生れて口おしき事ぞ

かしさるほどに十二月十五日より通り町のはんじやう世に寶の

市とは爰の事なるべし常のうりもの棚は捨置て正月の

けしき京羽子板玉ぶり/\細工に金銀をちりばめはま

弓一挺を小判二両などにも買う人有けるは諸大名の子

息にかぎらず町人までも萬に大気なるゆへぞかし

 

 

104

町すじに中棚を出して商ひにいとまなく銭は水のごとく

ながれ白かねは雪のごとし富士の山かげゆたかに日本橋の人足

百千万の車とゞろくに聞なしたり船町(ふなてう)の魚市毎朝の

売帳四方の海ながら??(浦/\)に鱗(うろくづ)のたねも有事よろ沙汰

し侍る神田須田町の八百屋もの毎日の大根買馬に付

つゞきて数万駄見えけるはとかく畠のあり/\かごとし半切に

うつしならべたる唐がらしは秋ふかき竜田山をむさし野に

見るに似たり瀬戸物町麹町の雁鳬(がんかも)さながら雲の黒

きを地にはへたるがごとし本町の呉服もの五色の京染

屋しき模やうのちらしがた四季一度にながめすがたの

 

はなの色香ぞかし伝馬町のつみ綿見よしの雪あけぼの

の山/\夕へにはちやうちんつらなり道明らかに大晦日の夜に

入て一夜千金家/\の大商ひ殊に足袋雪踏は諸職人

万事買物のおさめにして夜の明がたに調へに来たり一とせ

江戸中の棚にせきだか一足たびか片足ない事有幾万人

はけばとてかゝる事は日本第一人のあつまり所なれば也

宵のほどは一足七八分のせきだ夜半過には壱匁二三分と

なり夜明がたには一そく弐匁五分になれ共買人ばかり

にしてうるものなし一とせ掛小鯛二枚十八匁宛せし

事もあ有代々ひとつ金子弐歩づゝせしに高ふて買ぬと

 

 

105(挿絵)

 

 

106

いふ事なし京大坂にては相場ちがひのものはたとへ祝儀の

ものにしてから中々調ふへき人心にはあらす爰を以て大名

気とはいへり京大坂に住なれて心のちいさきものも其

気になつて銭をよむといふ事なし小判をりんだめにて

かける事なしかるきをとれば又其まゝにさきへわたし

世は廻り持のたからなれはひとりとして吟味する事

にはあらす十七八日までに上方への銀飛脚の宿を見しに

大分の金銀色もかはらず上りてはくだり一とせに道中

を幾たびか金銀ほど世に辛労いたすものは外になし

是ほと世界に多きものなれとも小判一両もたずに

 

江戸にも年をとるもの有されは歳暮の御使者とて

大方目録御小袖樽さかな箱入のらうそく何を見ても萬

代の春めきて町並の門松これぞちとせ山の山口なを

常磐橋の朝日かげ豊かに静かに万民の身に照そひ

くもらぬ春にあへり

 

 

107

元禄五壬申年初陽吉日

        京二条通堺町 上村平左衛門

書肆(しょし) 江戸青物町  萬屋清兵衛

        大坂梶木町  伊丹屋太郎右衛門 板行