仮想空間

趣味の変体仮名

碁太平記白石噺 第五

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース ニ10-01458

 

 

36(左頁6行目)

  第五

陸奥は いづくは有ど塩竈の ソレにはあらで朝夕の 煙も細く白坂の 城下に近き逆井村 与茂作

 

 

37

か留守のうち妻は春ゟぶら/\の枕も 床(とこ)もちりつもる 山田の畦は見はらせど晴ぬ思ひや有し世を

忍ぶ涙に六畝七峰(むせなゝせ) やせ百姓の気も浮かで 水に汗をやしぼるらん ヤとふじやかゝ様 ちと気色はよいかのと

ずつと這入は女房おさよ枕を上 ホ七助殿おうね女郎よふこそ見舞て下さつた 昨日けふは少頭痛もやん

で悦びます ホそりやよござる 折節見舞たふてもしつての通植付時分 与茂作もこなたの病気何かで

嘸わくせきとしていられふ アイ推量して下さりませ したが夕部ふつと見へた旅のお侍 足が病む迚宿の

御無心 けふも逗留して御ざるが 何から何迄気を付て薬迄煎じて下さる ア気の和かいお人様 それゆへ

与茂作殿もおのぶも田へやります 留たお人のおかげ故植付もはかいきと 咄しに二人がさつてものふ 与茂

 

作も元は侍で有たげな アゝ正直なよいお人 ソレに引かへアノお代官の臺七殿 百姓の油を菜種の様に

しぼりぬく無特進此まあ代官には何んが成ぞいのふ 夫いの ヤほんに夫で思ひ出した 爰の殿様の御家に

昨日大もめが有たげな ヲゝ夫々御家老の普伝殿 何やらかまを遣いかけて とう/\れこさをやられたと

の噂 今の殿様は御幼少てしよほ/\髪のうへ付時 後室様は四十たらず どふでも後家の青田でもかりかけ

たか 但お姫様をかいわり菜ちよびとつまゝなと云様な事て有かいのふ フン夫でも武士と云物か イヤ

武士はぶしじやがこくつぶし くらひつぶしと打笑 薬求めて立帰る 浪人姿やつれても 捨扶持にして

五千石一万石とは見へすく骨柄 ホコレ在所の衆御免成ませ アイタゝゝゝ ハア今かゝ様の咄で聞た御浪人 お足が

 

 

38

痛ますそふで気の毒様やの されは/\ 其諸国を廻る浪人者 ふと足を踏損じ昨夜から思はず此家のせ

話に成ます 夫はそふとナニちと所の衆にお尋申たいは エ此邊に杉本甚内殿と申人元は上方の浪人 今は

此邊の百姓と成いらるゝ由 各方御存ないか さればなァ 甚内とは覚ませぬ 銭ないならばこゝら一めん 銀ない

ちやんないお望次第 うか/\咄てかんじんの仕事忘れて銭ないに 成てはたまらうもふいにます かみ様随分用心さ

しやれ御浪人様めんだうながら 世話してしんぜて下されと打連田の面へ急ぎ行 アゝ流石田舎の正直

一ぺん ガ一ぺん尋てしれぬ人 ハテどふがなと思案の中床をたよ/\病ふの女房 御浪人様 お足の痛は

よござりますか かはつてお世話に成ますと 涙ぐめばアゝ気のよはひ 一人旅の迷惑は 宿かさぬ時は山に

寝たり野にねたり 昨日などは隣村の明神の森の内 一夜を明す程の事 一樹の陰一河(か)の流も

他生の縁 まして昨夜ゟの宿の無心 見れば人手も内証の 暮し見る目も笑止さに 介抱致す

もお宿の返礼コレハ又御迷惑 必気兼なされますな イヤ申夫に付て 今お咄の杉本甚内

といふ人 マ何の用てお尋と 問かけられてされば/\ 拙者も面(おもて)は見しらね共 其甚内と云は河州の浪

人 身が親とは至極懇意 幼少其方の娘と其 行々は夫婦にせんとの云約束 ふとした

事で浪人せられ此邊にと風の便り 此方の親も相果流浪の身 斯申は楠家の浪人 金江勘兵衛

が躮谷(たに)五郎

と 半分聞ゟヤレ夫はお珍しや 夫与茂作と申は 則其杉本甚内 ナニ 与茂作殿が舅殿か

 

 

39

オイノ 是はしたりと互に手を打 そづとはしらいで夕部からよそ外の他人あしらひ 戻つて聞れたら嘸悦び

モ夫聞てどふやら気分もよい様なと そく/\悦ぶ女房に谷五郎も安堵の思ひ イヤモほんの燈台元くらし

奥聞ふゟ口祝ひ晩は目出たふ盃事 ヲゝきのふは旅の御浪人けふは聟殿 姑御ヤレ嬉しやと女房が

病ふの床も忘れ水 汲て久敷名乗合悦びあふそ道理なる 立五郎心付 シテ其以前親々か 云

約束致せしと有御息女は何国(いづく)に 夜前ゟ左様の女も見へず 心へかたしと尋られ ハツトと胸も突つめて何と

返事も どぎまぎ/\ サア其姉娘は 今は内には ムゝすりや 外々へ縁組でも イヤ去御やしきへ御奉公 是

も追付お隙を貰ひ めでたう祝言させませふマゝ重畳/\ 然は後程親仁殿帰られ次第打明し 改て

 

聟舅 トリヤ酒買て参らふか 留主の内に戻られたら様子とつくりひつさげて酒屋へこそは急ぎ行

跡に女房がうつとりと暫し詞もなかりしが アゝ世の中の 苦は色かゆるならはしとは誰がいつの世に云初しぞ

元は楠譜代の家来 杉本甚内と云れし聟の 浪々の身のたつぎとて百姓と迄成さがり 本名

隠す其中も 以前娘の云号 勘兵衛殿の惣領子谷五郎に廻り合 女夫にせんと思ふ願ひも すぎし

年の水損卑損 仕なれぬ業(わざ)に辛苦の迫り 未進の替りに姉娘は君傾城の憂勤夫も

うは気徒(いたづら)ならず 親の水牢見ていられず 孝行kらの勤奉公 やう/\未進は納ても 納兼たる貧

の病 嘸ヤアねが心にもけふや迎ひにくる事か あすやと斗在所の空詠めてくらさん可愛やな 年月

 

 

40

こがれた婿殿に ふしぎに廻り合ながら 其娘はと問はれた時何と返事が成物ぞ うき川竹の勤め此身

多くの人に肌ふれたと 聟殿が聞れたら若あいそも尽ふかと 思へば/\いぢらしい とづぞ仕様はない事か

婿殿の戻らぬ中早ふ相談して置たい 戻つて下され親仁殿背中に腹はかへられぬ いつそ妹のあ

のおのぶ 姉の替りにやつてなと取戻しては下されぬか アゝ夫も不便さ浪人の いかに貧は苦にせ

まれは迚 姉も妹も浮勤あんまりむごいいぢらしい只さへわしが胸一ぱい しんくかんくの七重八重何と

命がつゞこふぞ談合したは親仁共 いつに替へて戻りのおそさ とふした事とのび上り親父殿

与茂作殿と呼叫び 病いよはる女気に 夫は此世を去し共しらでこがるゝ胸の火に 涙の

 

湯玉湧返りさけび あこかれ泣たをれ 病つかれたる泣寝入 はかなき〽夢をや結ぶらん

なき魂も 死出の由をさとはやなりて帰るにしかしと泣やらん 血を吐く思ひ七郎兵衛 泣入おのぶか

手を引てしほ/\戻る跡からは 戸板にむなしき与茂作が 死骸を乗せて在所の者 イヤコレ庄や殿

此仏内へ入たら直に惣堂の坊様を アゝコレシイ/\ 声高いはいの 知ての通与茂作か女房は

おれか妹 此春からの大煩ひ 此土用か持まいと案じる程の病の中へ与茂作は切れて死だと

いふたら いつそ直に泣死 モどふでは云にやならう事じやが せめて一日半時成とまめて置たはコリヤ

おのぶよふ聞よ 今内へ這入てもナア与茂作が死た事はコレ/\しやそ エゝ酒に酔てよふ寝ている

 

 

41

といふ程に 必我も嚊に泣顔店なよ ヨ サゝゝ悲しいはどうりじや 無理じやないガ今しらす

かはモ直に死でのける モ一時に二親に離れた跡 我が途方にくれて うろ/\するで有ふと思や

モ思ひ過しがしられて 涙かはら/\/\/\と イヤノウ皆の衆 一村のたばねもする者が 女子共のやうに

めろ/\泣と 笑ふてはし下さるなや シタガ又此仏の様に不仕合な男はないはいの 其くせ正直で神信心

コレを思へば世上に神も仏も おりやないと思ひますと 云におのぶも泣目を拭ひ 姉様は遠ひ

所へいてなり只さへ便りのない上に かゝ様のアノお煩ひ 杖柱共思ふているとゝ様に此様なはかない別は

何事ぞ また此上に嚊様が 若しもの事か有たらばわたしやどふせふ/\とわつと泣出す口に袖あて

 

是はしたり 今もいま迚云て聞すに コリヤ其泣声が聞と直じや/\ スリヤ第一嚊へ不孝じや

ぞよ 泣たいも孝行 所又泣ぬも孝行 ヨ かしこい者じや聞分よ アゝ親じやもの子じや物泣の

が無理ではないはいやい可愛の者やと抱しめて 短羽織のつま先も喰しばつたる恩愛の

庄屋が涙は村の時雨に まさる貰ひなき 気を取直し涙を払ひ アゝ泣まい/\ モウ/\泣ぬ モウ泣

ぬ サゝゝ皆の衆 そんなら内へ舁入て貰ひましよヤコレ今もいふた通じや 必何も云まへそ おのふ

も合点か 呑込だナ サゝゝ早ふと泣顔 隠して内に入 ホ是は又めつそふな 其大病て端近へ出て

たまる物か コレハ扨寝ているか ヲゝ夫も幸 サ此間に早ふ/\ アゝコレしつかに/\ ヲツトよし/\ そんなら

 

 

42

お寺へ行には ハテ扨いらざる事云まいてや 何も云はずといんだ/\ ヲゝ御大義/\ コリヤおのぶソレ蒲団を出し

て とゝによふ着せて置けと おさよが寝姿打守り アゝやつれたな 何として土用は越まい はし折かゞみの

鏡台 今我か死だらおれも力ないはい ガ此上は風引したらたまるまいと 立寄て抱かゝへ コリヤ/\おさよ

風吹にめつそふな サ床這入て夜着きてねや コリヤおさよ/\ 嚊様イのふと ゆり起されてふりあをのき

ヤお前は兄様 七郎兵衛様か ヲゝマゝゝ気色も大分能そふで嬉しい/\ アイ シテお前はいつの間に イヤたつた今

コレわがみや寝とぼけたか おのぶも爰に泣ているアイヤ笑ふている ヲゝおのぶ わがみやとゝ様(さん)と一所に

戻りやつたか アイ 嚊様精出して薬を呑 どふぞ早ふ達者に成て下さんせ わたしは便りないとしや

 

くり上れば ヲゝマ此子とした事が わしが煩ふていた迚とゝ様は達者なり 其上七郎兵衛様と云けつかう

な伯父様は有し 便りない事が有ぞ ソシテとゝ様はどこにじや アイ エゝコレどこにじやぞいの 急な用

が有はいの アゝ用の有も道理/\ 逢たかろ/\ ガ与茂作はナ 田から直ぐにこちへ来てナ 南無阿弥

陀仏 エゝ今年は取分苗の出来もよし南無阿弥陀仏 アノ悦んでくれと云たによつて南無あ

みだ仏 夫でアノ祝ふて名残の盃 モ夫からアノ酒呑で南無阿弥陀 夫は/\よい機嫌で そして

からアノよふ寝入て居るはい モウ/\どんな急用が有ても あれではモウ間に合まい程に おれにても相

談じや サ咄しや 急な用とは何事じや/\ ムゝ与茂作殿は酒に酔て寝てかへ ヲゝねている共/\

 

 

43

百年立ても起る事じやないはい エゝ時も時とけふに限つて ヲゝそんならお前に談合せふ コレ夕部

留た旅のお人はナ こちの聟の金江対五郎殿じやはいのふ ヤア ムゝシテ夫がどふした サアあの人もこちらを

尋て やう/\今先咄合廻り逢ふた嬉しさ 酒とてくると隣村へ ムゝまあよし サア夫に付いてお前も

ご存の 其谷五郎殿に居今付けの姉のおきのは 八年跡の難儀の時に勤奉公 ヲゝ知ている/\ 夫も

親の為じや物 大事ない/\ イエ/\夫でも婿殿の手前はそふも云れず お屋敷へ奉公にと云くろ

め 当分は夫で済め共 行/\は取戻さねば 婿殿は元ゟ 親達への聞へも ヲゝ達ぬは道理じや/\ サと

いふて金の才覚の出来る身体でも ヲゝないも知ているてや サア夫じやによつてわたしがおもふには

 

いつそアノ妹のおのぶを 不便ながら替りにやつて エゝもふそんな事云やんないのふ 年も行ぬ者を可愛

はふに イヤムゝ夫でも早ふ姉を取戻さにや 傾城に売た事ひよつと婿殿が聞れたら 日頃堅い与茂

作殿の気質では 谷五郎殿の手前を恥 短気な心でもおこらふか百姓なれど以前は武士 姉を勤

にやる時さへ 腹切の何の迚突詰た侍気質(かたぎ) 煩ふている其中に 若し其様な事が有たら わしは先へ死

まする コレ兄様どふぞよい了簡を サゝゝゝ合点じや ガおれじやと云てどうせふで マ此様な監視委事の数々が

一時に出来るといふ因果な事の聞き役は けふ一日て百年の命がちゞむと斗にて 涙呑込横しぶき

顔を背けてくひしばる エゝ可愛や妹何にも知らずに エ コレゞ兄様思案が付いたかへ サゝゝゝどふせふぞ

 

 

44

いな ヲゝ尤じやゝゝゝゝ kどふせうぞ エゝおまへの子でない故に 返事のないもヤコレ/\/\ 親父殿起てい

のふ アゝモウ起さずとよしにせいやいイエ/\お前は遠慮が有る 親父殿に咄して相談せねば気が

済ぬと 死骸に這寄女房を ハテ扨コレマゝゝゝゝ寝さしておきやいのふと独り気をもむ七郎兵衛

イエ/\ 今にでも婿殿か戻られては談合成らぬと隔る兄を押退/\ よろぼひ立寄死骸の傍

コハ心得ずと引まくる蒲団の中 ヤア親父殿は切られてか ハアハツト斗にてうんと見つめる病人を 抱

かゝへて七郎兵衛 コリヤ/\おさよ 気をすつかりと 嚊様イのふおさよヤイ エゝおれがてつきりかうで有ふと

思ふた事エゝどふせふぞ コリヤ/\おおぶ ソレ水を気付に茶碗を一口何を云やらうろたへ騒ぎ コリヤおさ

 

よヤイ 嚊様いのふ おさよヤイ かゝ様イのふかゝ様と 伯父姪声のつゞくたけ 息をばかりに呼

立れば 漸に目をひらき ヲゝ兄様か ヲゝ兄じや七郎兵衛じや 気をしつかりと アイ そしておのぶは アイ/\

爰にいるはいな ヲゝおのぶか ソレ何ぞ呑物一口 ヲゝもふえい/\ 気がはつたりと成ました コレマ兄様 与

茂作殿は誰殺したへ コレおのぶ とゝ様は誰切たぞ なぜ母に隠しやるぞ 親の敵取気はな

いか コレそなたも武士の種じやぞや コレ七郎兵衛様 敵は何処の何者ぞ おのぶしらぬか知て

いるか アイなぜ此母には隠すのじや エゝ不孝な者としかられて 云はんとすれどないじやくり

アイ/\コレ嚊様 最前おまへに薬をあげに戻り 田へいて見ればとゝ様はあの通り 傍にござるは 御代

 

 

45

官の臺七様がと皆迄聞ず ナニ御代官が ヲゝ スリヤ親父殿の敵は臺七めと立上るを七郎兵衛

コレ/\/\マゝゝゝ待て/\/\ マアせかずと跡を聞けいやい ヲゝおれも畑てあいつが泣声聞訳て いて見れば臺

七殿 日頃からの気質と云 コリヤてつきり手討にやられたと 思へど夫と証拠もなく 村の衆も一統

におのぶめが肩持て めつきしやつきの其所へ 臺七殿の弟大蔵殿が 一昨日の夜隣村の明

神の森に 切殺して有たと家来が注進 スリヤ与茂作を殺したも 大蔵殿を殺したも同じ切人(きりて)に

極ると 臺七殿の詞も一理 何でも此近在におるあぶれ者か 浪人者共が切取か 又武者修行と

いふ様なやつの仕業で有ふと 噂の内に谷五郎が以前の咄しに気の付母 ムゝ隣村の明神

 

の森の中に 一昨日の夜 ムゝ ヲゝ嬉しや兄様敵が知れた おのう悦べ エゝ ヤゝゝゝゝ敵が知れたとは トゝゝゝ

どこの何やつ イヤ外でもない聟の谷五郎 ヤア トハ又どふして サア最前何かと咄の次手 一昨日の夜は

明神の森で一夜を明せしと ツイ云咄も耳に留り 今思ひ当りしもやつぱり仏の御引合 其上小

の褄先に 血の付き有のも見付て置た わしが為には夫(おっと)の敵 此子が為には親の敵 コレ兄様

どふぞ二人が力と成り敵を討せて下さんせ頼むはお前斗ぞと手を合すれば エゝ頼むの力のとは

何の事じやぞ おれが身にもかゝつて有事 コリヤしんは泣き寄気遣すな 儕やれ年こそ寄

たれ七郎兵衛 おのぶも必油断すな 侍でも浪人でもだますに手なしじや バマア病人はあぶ

 

 

46

ない/\ おれに任して奥へ行きや サマア奥へと すゝめやり幸薄暮勝手もよし 鉢巻しつかと

身拵へ 百姓業(わざ)はなま中に錆刀ゟ棒ざんまい 娘は手馴し草刈鎌 帯引しめて谷五郎が

帰りを今やと納戸口 身をひそめたる心根は健気にも又しほらしし 永き日も 早夕暮と入相に

迷ふ山道谷五郎 やうやう戻る表口 跡ゟ付くる忍びの武士 てん手にさし足抜足とはしらず

内に入 コレハしたり 日が暮たに火も燈さず コレお代官様 痛む足で道に迷ひ大に隙取ました 嘸

お待遠 親仁様はお帰りか コレどこにじやとさぐり寄 後ろへぬつと七郎兵衛 なぎ倒さんとよつ棒の

さそくをさかして蹴飛すこなた 親の敵と打懸る娘か小腕のなぐり鎌 コハ心得ずと

 

谷五郎 かはしてずつと引よすれば わつと泣声母親が 差出す行燈知りトウ兵衛 肝を冷やしてりき身いる

ヤア其を親の敵とは子細ぞあらん何と/\ ヲゝ云はいではいの けふ晝上の田の畦道で夫(それ)を

殺したは儕で有ふがな ナニ与茂作殿を殺したとは ヒヤア云まい/\谷五郎とやら のつ引ならぬ

証拠はソレ 儕が小袖に血汐と云 一昨日の明神の森に 一夜を明したと最前の物語 コリヤ其森の

内に侍の殺して有たも儕が仕業武士に似合ぬあらこぶり 勝負/\/\/\居とつめ寄れば

谷五郎ちつ共臆せず 云分は未練に似たれど 与茂作事は真(しん)以て覚なし いかにも明神の森の中

にて一人を誤めしは 此金江谷五郎と 聞ゟ表の志賀臺七 ソレとかけ声官平丹介 じつてい振り

 

 

47

上取かこめば コハ狼藉ナニやつと云せも立ず ヤア只今儕がぬかせし森の中にて汝が手に懸し臺

蔵が兄志賀臺七 弟が敵遁れぬ所 覚悟/\と呼はれば から/\/\と打笑ひ 与茂作の敵

と切懸しは老人と云い女わらべ あしらひいたるによい所へ臺七とやら 相手に取て面白し 誰かしらねど

明神の森にて一人の侍を殺せし一条 包ず語るよつく聞け 我武者修行の願ひを發し あ

まねく日本六十余州を廻つて 我に増(まさ)りし人に逢んと一国に一箇の首塚をきづき終れど

手に立者もなき所に一昨夜隣郷にても一人の手に懸首を手向 祈願を込し感

応にや 天晴勇々敷武士に出会再会の約仕たり かく一人を切取ば此家の主をナニ害

 

せん 卑怯未練に包隠す谷五郎ならず 汝ごときのへろ/\武士敵などゝは事いかしや 一度にかゝ

れと身構へたり ヤア物な云せそ討取れと下知に随ひ一二のかけ声 左右に組付く丹助官平

首筋掴んでえのころ投 手練の手並にさしもの臺七たまして討んと引返す 遁さじ物とかけ

出す谷五郎 どつこいそふはと帯きはしつかり取付官平丹介を 蹴飛す金江の金脚(ずね)に叶はぬ

ゆるせと逃出す二人襟ぎはぐつと引すへ コリヤ此家の主与茂作を殺せしは 汝らが主人臺

七で有ふがな 何科有て手に懸しぞ サ有様に白状ひろげと ひしぎ付られ アゝ申ます/\

臺七様は宝の鏡 田の畦へ隠されしを 与茂作に見付られ 夫故の此しだら 私共は知ぬ事

 

 

48

命お助/\と 泣詫るこそ見くるしき ホゝ能ぬかした 何と何れも モウ此上は其に ヲゝ疑ひは晴ました

親仁殿の敵は臺七 ヲゝこいつらも敵の片われ 当座の腹いせ真(まつ)こうと ぐつと一しめ目をむき出し

手足をもがき死てけり イザ此上は臺七め 追かけ討んと立出る 向ふに臺七種か嶋 ねらひかた

むるこなたには 筒先伺ふ表の松の戸 立切くせ者 ヤア邪魔ひろぐなと立懸る 志賀が

眉間に打付る 礫は御鏡恟り仰天 以前の手並に二度のこり 鏡手早に拾ひ取 跡を

くらまし逃行臺七 板戸蹴破りかけ出る金江 ヤレ待たれよと声を懸 腹面頭巾取捨れば ヤ一昨

夜明神の森にて ホゝ義を鉄石に結んだる 宇治ゲ兵部の助正之(まさゆき)ムウ其正之が何故に敵

 

臺七を見遁しぞ ホゝ不審尤去ながら貴殿為には眼前舅の敵といへ共 勢ひ破竹の

北朝を討亡し南朝と取立んと義兵の大切を思ふ者 ヶ程の小事にかゝはるべからず 畢竟未練の

臺七なれど ソレ今のごとく飛道具にて取かこまば 貴殿孫呉が術有共 などか是に敵すべきや 大

切は細謹をかへりみず殊に臺七普伝が秘方の毒薬 伝授の一巻所持すれば 何卒伝へ

聞ん其為に 我手に入し天眼鏡も 思へば邪宗不祥の器(うつは)天下を治る宝にあらねば 彼へ返して

恩をかけ態と此場を見遁したり 只此上は与茂作の娘達に力を添 敵を討すが肝要な

らん 敵臺七も当所に居かたく鎌倉へ逃行ん必定我も是ゟ由比か濱に立帰り 猶も味方を

 

 

49

調じ合さん ヤナニ七郎兵衛殿とやら 何角の様子はあれにて聞 ハア御愁傷察入 中陰ことなふ相済ば 必尋来ら

れよ 姉娘も江戸にとやら 何かの用事も承らんと慈愛の詞寛仁大度 ハツト兄弟忝涙 谷五郎も理

に伏しハゝゝゝゝ誤たり/\ 臺七ごときの国賊を相手にと云もおとなげなし 敵討は兄弟の女 お願申は兵部殿

我は弥此程の 貴殿の指麾(しき)に随ひて難波の浦の惣大将 四天王寺の東門に 陣所をかまへ寄

来る諸軍 仁木細川吉良石堂 北朝無二の賊臣共 三つの浜辺の真砂の数や潮(うしほ)のことく起る

共 習ひえたりし諸家の軍法魚鱗靏翼堅早破軍 進戦追闘利変の術 堅きをくだ

き するどきを取挫(ひしぎ) 奇正突衝立花八陣五位の兼備四十八箇七十二種 三百八十四箇の兵略 爰

 

にひらきかしこに寄 変に応し奇に望 時に大江の岸打波 難波のあしの浦千鳥 むら/\ばつとまくり立

名を高天に輝さん 若しも天運至らずば かための場所を一足さらす 腹かつさばき討死の 来世の手本とな

すべしと 詞はかさにあたれるかな 反逆露顕の時至り四天王寺の東門に 體(かばね)はさらせど名は朽ぬ 金江

が義心ぞいさぎよき 兵部の介もにつtこと笑ひ ホゝ面白し/\ 其も鎌倉にて志賀臺七に尋逢 楠原普

伝か秘伝の毒業 術を以受伝へ 其後二人に力を合 姉は長刀妹は 田舎に育ば手馴しやい鎌 晝

夜鍛錬修行を積み 親の敵を討せん事此兵部が方寸に有 必気遣無用ぞと実に 頼もしき

武士(ものゝふ)の 花はみよしの南朝に 二代の忠臣菊水の 流れは世々にかんばしき 涙払ふて七郎兵衛 ホゝいさましいお咄を

 

 

50

聞に付てもはかあに与茂作 元はやつはり楠家の浪人谷五郎殿へ云号の娘は吉原傾城の勤も親へ皆かう/\

必々お見捨なふお願申谷五郎殿 兵部様にも此娘 姉と一所に親の敵 お討せなされて下さりませと 病の母も

共々に 引合子も老の身も目には涙の陸奥や 末の松山千代かけて 夫婦のかため経たらに願を金江谷五郎

けふゟ親の名を継て金江勘兵衛正国と 名乗別るゝ兵部の介 諸国を廻り武者修行大願成就此上は かまくら

立越て姿をかゆる一つの術 宇治の常悦正之と尋られよと互の誓ひ 亡骸送る泣三人 出行二人も亡人を

心斗の弔ひと 云ぬ色なる一包こかね花咲山おろし夜もしら/\と白衣の親の敵の孝行一心 五十四

郡や六十余州旭の勢ひ由比が濱 一天四海に菊水の武勇の 籏をぞ なびかせり