読んだ本
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風来六部集 三
2
跋
風来山人放屁論後編をひり出し
て予をして尻へる跋せしむ按ずるに
放屁字典に曰屁ブブウウノ反音(かへしをん)ブウ
去聲(きよせう)ぶ發(はつ)して音スウ論語に所謂(いはゆる)
舞雩(ブウ)に風じて詠じて帰らんとは
それこれ是をいふ歟此書や始(はじめ)には
3
狂言綺語(きぎよ)のすかし屁(べ)を放(ひ)り中(なかごろ)は萬物(バンブウ)
の理(り)を掌(たなごゝろ)も握り屁の極意をこき末(すへ)又
合ふて一(ひと)ツ屁の尻をすぼむ讀(よむ)者その
臭(くさき)を逐(を)はゞ高に升(のぼ)る階梯(はしご)屁の一助
たらんと云尓(しかいふ)
葛西(かさいの)土民(どみん)姑射(こや)杜老(とらう)糞舩の
中に書す
痿陰隠逸傳(まえまらいんいつでん)自叙
童謡に曰。如做出事来做得(とてもするならおほきな)
大則個。(ことしやれ)。穿寧楽盧舎那仏(ならのだいぶつの)
尻眼則個(けつしやれ)。愉快哉(なるかな)言や也。可し
以て俾つ(しむ中)慷慨の之士を。中(く)霊勃起(ラヲヲヤサ)。
4
若き夫の女(以下略)
5
故に痿(なえたりと)云爾。明和五年春三
月風来山人題す悟道軒に
(挿絵)
「祭先師志道軒図」
6
賛曰
六寸許(ばかりの)橛(きのきれ)十丈的(ほとの)舌墾(ほり)萬物の
娑婆の埒晒人の行き過るを悲世のヘノ(あともどりを)
咦(いゝ)
配閻俘の屍に不滅精血て聞一屁聲悟捺落滅するを
無名禅師撰
痿陰隠逸傳(まえまらいんいつでん)
天に日月あれは人に両眼あり。地に松
茸あれは胯に彼物あり。其父を屁と
いひ。母を於奈良といふ。鳴は陽にして
臭きは陰なり陰陽相激し無中に
有(う)を生して此物を産。因て字を
7
屁子(へのこ)といふ。稚(いとけなき)を指以ていひ。又珎宝(ちんほう)と
呼。形備りて其名を魔羅と呼び。
号を天礼菟久(てれつく)と称し。また作蔵と
異名す。万葉集に角のふくれと
詠るも。疑らくは此物ならん歟。漢にては
勢(せい)といひ。また㞗(きう)といひ。屌といひ陰茎と
いひ玉茎といひ。肉具(にくく)と呼。中㚑(ちうれ)と命(なつ)け。
俗話にては鶏巴(きいい)といひ。紅毛(おらんた)にては呂留(りよろ)と
いふ男たる人ごとに此物のあらざるはなし。
其形状(かたち)大なるあり。小なるあり。長き
あり短きあり。或は円(まろく)或は扁(ひらく)。又は
豊下(もとふと)頭かち白勢あれば黒陰茎あり
8
本魔羅あれは麩筋勢(ふまら)あり??(いぼ)
まらあれは半皮あり。空穂(うつぼ)あれはすづけ
あり。亀陵高(かりたか)あれは越前あり。上反(うはそり)あれば
下反あり。其さま同じからざることは人の面
の異なるか如くなれば。一々にいひ盡すべうも
あらす。其業(わざ)に至ても亦一般(いちやう)ならす。堯(げう)
舜(しゅん)禹湯(うとう)文武周公孔孟の魔羅骨
には詩書礼楽の教(をしへ)をこめ置。釈尊
唯我独尊と金箔の勢屎(まらくそ)を光らせ。
千早振(ちはやふる)神代には魔羅の姿も只
直(すなを)なるをもとゝなんしけるか。人の世に
9
なり下りて魔羅の心自(おのずから?)頑(かたくな)にて。川上
の梟帥(たける)をはじめ。東夷(あづまえびす)の謀反(むほん)魔羅
を。日本武尊(やまとやけるのみこと)の劔に悉く薙散(なぎちら)し
玉ひしより。此剣魔羅臭ければ
とて。臭薙(くさなき)の宝剣と号(なづけ)て末世の
むだまらの戒(いましめ)とす。将門関東に
駄魔羅を怒(おや)せは。純友(すみとも)四国にあて
手舁(かき)をなし。貞任宗任武衡家衡
が毛臀(けぢり)は頼義義家の長脚(なかばゝ)にしころ
され。前より交(しめ)しを前九年といひ。
後接(うしろどり)を後三年と云。保元平治豆の
萁(まめがら?)を燃(たび)て己(うぬ)が陰茎(へのこ)て己が肛緺(かま)をかり。
10
平家の奢(おこり)は至精(いんすい)の池をたゝえ陰(つび)毛の
林となせしも。範頼(のりより)義経の勢骨(まらほね)に
たゝき潰され。あたまの大なる頼朝の
勢は政子の陰戸(ぼゝ)の弶(わな)にかゝり。時政が
術中に陥(をちいり)て纔(わつか)三代を怒(おえ)通すことを
得ず。北条九代の大勢(まら)に三鱗(うろこ)を生じ
たるも亢龍の悔(くひ)高時の下疳(げかん)となり
新田足利の勢競(まらくらへ)も楠湊川に割勢(らせつ)
してより。後醍醐天皇犢鼻褌(ふんとし)の
しまり悪く。南北両頭の勢(まら)と分(わか)る
足利十五代の長(なか)陰茎信永武智の
早勢共に痿てより。太閤の大勢自慢
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朝鮮人の糞門(けつ)を穿(ほり)て進むこととき
勢は痿ることも速(すみやか)なり。其外倭(わ)漢(かん)
蛮国(はんこく)昔が今に至るまて智恵なきむた
まら数るに遑(いとま)あらず。爰に一つの魔羅
あり。其為勢(まらとなり)を尋るに天離夷(あまさかるひな)の毛
深きに生育(そだち)筋骨頗(すこぶる)不骨にして。白
陰茎の手薄(てうすき)にもあらす。又物を覆ひ
かくして僕ゝ(をら/\)たる皮かつきにもあらず。
事なき時は首(かうべ)をやれて麩(ふ)筋の如く。
事あるに臨(のそん)ては強き所に金鉄(きんてつ)の所々て
熱きこと火焔のことし。目なくして
見。耳なくして聞。他(ぼゝ)の広きに入て
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迷はず。豚(しり)のせまきを窮屈とせず。
变化(へんくは)きはまりなきこと恰(あたか)も龍の如し。
浮世の駄へきは屄(ぼゝ)の数とせす。常に
国(こく)へきを思ふて。世間の常にへき
せられす自(みつから)管仲(くはんちう)楽毅(がくき)か勢骨に比す。
千里の馬太鼓を撞とも世に伯楽
かや。古(いにしへ)志高きへのこは多く山林に
痿るといへども。彼西行の捨果(すてはて)て身は
なきものと思へども。雪の降る日は
寒くこそあれ。魔羅の怒日(たつひ)は志高く
こそあれ。山林に痿て志高きを堪(こらゆる)る
13
時は必ず痳病となりて世を恨み。遺精(いせい)
妄想布団を穢(よご)すことあり。されば大
陰は市中に痿(なへ)。或は醫に痿(なへ)賣卜(ばいぼく)に
痿。陶淵明(たうしんめい)は五斗米(ごとべい)に痿。東方朔(とうはうさく)は
金馬門に痿ゆ。功成(なり)名遂(とげ)て五湖に
痿(なゆ)るは前代未聞の范蠡(はんれい)が勢(まら)なり。
等茎(はりかた)を帷幕(いはく)の内にめぐらし。交接(とる)
ことを千里の外にあらはし。赤松子(せきせうし)に
沢岻て痿るは古今独歩の張良が玉(ま)
茎(ら)なり。三度(みたひ)口説て容(いれ)られず。世の
陰蝨(つひしらみ)を厭(うるさ)がり陰毛(はらのけ)を剃(そり)て痿るは
藤房卿のへのこなり。その立ところ
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各異なりといへども。痿るところは
皆一なり。尺蠖(せきくそく?)の屈むは信(のびん)が為なり。
智者のしらたがるは能痿んか為なり。餓
たる者は食をなし易く。喝(かつ)する者は
飲(いn)をなし易し世に交(す)まじきを
交(する)ものは多くは欲(したき)をこらゆる徒なり。
其したき時に臨(のそん)で止ことを得ざれば
葭(よし)町堺町に走ては。何やら天皇の
賣蜀葵(ねりき)根と共に葛西の土民の手に
渡し。吉原品川に遊んでは。落花心
あれとも流水情(じやう)なく。玉門(ぼゝ)をかりて
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手弄(せんずり)をかい。無念のむだ勢(まら)のあたま
はりて發(たつ)までは痿。なゆるまては發(たち)。
寝れば起(おき)。おきれは寝。喰ふて糞(はゝ)して
快美(きをやり)て。死るまで活(いき)る命。世を我侭の
住家と問ば。牝々(ぼゝ)と𦜇(しり)との領分境。
会陰(ありのとわたり)裏店(うらたな)に業勢(こうまら)痿(なや)して
世をおくるこれを号て痿陰隠逸
といふ
春を立また夏もたち秋も立
冬もたつ間になえるむだまら
志道軒門人
悟道軒誌
16
痿陰隠逸傳終
痿陰隠逸傳跋
痿陰先生既に隠れ濃志(のし)
古志(こし)山に。歎して曰。衆人皆
起(をえたり)。吾独り痿(なえたり)。不義にし而(て)開(ほゝし)
且(かつ)穴(けつする)。於て我に如し浮へる雲。我閲すれは
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其の勢(まらを)。即ち大なり於見(みたより)湯屋(ゆやて)
雖痿(なえたり)乎。可謂つ大陰(おほまらと)矣。
惜い哉其痿(なへて)如く麩(ふ:豆へんに麦?)。而其の
不るいを起(をこて)如く木也。嗚呼勢
骨之強。亀稜(かりの)之高きも。不れは
逢開(ほとゝ)興に穴(けつ)。則い徒に掻(かく)一本の
手弄(せんずりを)已。ゟ(よりは)其の起(をえん)也。寧ろ
痿(なえんには)。ゝ陰(なえまら)之時義大矣哉。
唐(からの)之唐人の曰。孔子も不逢
時に予おけるも痿陰先生に尓云。
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皇和明和戊子春二月
後学陳勃姑(ちんほつこ)書す于勢(まら)
臭斎(くさいに)