生写朝顔話 四の切 宿屋の段

 

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html

 

      ニ10-00109

 

80左頁

 宿やのたん
何国にも 暫しは旅とつゞりけん 昔の人の 筆の跡つれ/\゛侘る仮の宿夜の襖のすきもりて風に またゝく


81
灯火のかけも 淋しき奥の間へ 立帰る次郎左衛門 何心なく座をしめて ふつと目に付衝立の 張まぜの歌
読下し テ心得ぬ此はりまぜに有地紙の歌は 先年山城の宇治にて秋月か娘深雪が扇に某が 又
逢迄の筐にと云て与へす朝顔の歌 其後斗らず明石にて 船がゝりせし其砌(みぎり)琴に合して深雪が
ふし付 折ふし思はぬ互の出舩 あかぬ別れを悲しみて女の手づから我舩へ投込し此扇 然るに今又此家
にて思はずも此はり交ア何者が諷ひ伝へて 斗らす京の驛路(むまやじ)に 見るもふしぎと 独り言其折からの
忍はれて詠め入たる時しも有 襖押明徳右衛門小腰かゞめて入来れば こなたも扇押隠し ヲゝ亭主先刻
は扨もきつい働き危ふき難を逃れしも全くそつちが志 サ是へ/\ ハゝ冥加に余る御詞 エゝ最前こなた

へ参る砌何か三人ひそ/\咄し 合点行すと忍び聞ばしびれ薬を茶に交てあなた様へ差上んとのアゝコリヤ サア
恐ろしい工みエゝ憎さも憎し 直ぐに申上ふと存じたれどそれではどの様な科人が出来ふも知ぬと存じ ヘゝ幸い先
日慰みに求めました笑ひ薬 ヤコレ幸いとしびれ薬と取かへたを 知ずに呑たさつきの時宜此後迚も旦那様
御油断は成ませぬぞへ ホゝ其義は某もとく承知致した マそれは格別 此衝立に有朝顔の唱歌は何人の
手跡どふいふことからお身が手に入しぞ エゝそれでござり升か其歌に付てア哀れな咄し エゝ元は中国邊
歴々の娘そふながら何やら尋る人が有迚 親元を家出しそれより方々と流労して果はとふ/\゛目を泣
潰し 跡の月迄は濱松邊に其歌を諷ふて袖乞 所に又国元から 所縁の女子が尋てきて逢ました


82
カ其女子も程のふ病死夫からの又ひとりぼし此邊迄其歌を諷ふて歩きましたが何が目くらでこそ有
器量はよし 声はよし 見る程の者がいぢらしがり 朝顔/\といふて其歌を 知ぬ者はござzりませぬ 私も余り
の不便さに 此宿に足を留させ 今では宿や/\のお客の伽何とマア ふ仕合せな者も有物でござり
ますと 涙片手の物語りも心にひし/\こたゆる駒沢 もし云かはせし我妻かと 轟く胸を押しづめ ムゝ夫は
扨哀れな咄し 身も今宵は何とやら物淋しい つつさんの為其女を呼寄る事は成まいか イヤモ何が扨
お安いこと只今呼遣しますお慰みに琴か三味 ムゝ何分よきに頼み入と 云は子細の有そ共しらぬ仏気
徳右衛門尻かるにこそ立て行 跡へ相役岩代多喜太のさ/\と座に直り ヤ駒沢氏さぞ退屈でござらふ

コレハ/\岩代氏殊の外お早いことでござると うはべはとけてもとけやらぬ前垂かけの下女お鍋次の間に手をつかへ申
只今朝顔殿が見へました 是へ通しましよかいな ナニ朝顔とは何者 アイヤ此道中で琴三味を弾き旅の徒然と
慰さむる瞽女とやら拙者も何か物淋しうござればちと琴でも聞ふと存じ 亭主を頼み呼寄まして
ござる アイヤそりや止めになされ トハ又なぜな サレバサ先刻身共か知音たる萩の祐仙同席いかゞといはれた
貴殿乞食をばさしきへは通されまいかい ハテ高のしれた目くら女まんさら怪しいナソレ茶箱も持参致すまいと
しつへいがへにぎつくりと 言句に詰れどへらず口 左程御所望ならば兎も角も併しざしきへは叶わぬ
庭へ呼出し琴なと三味なと弾かし召れて早く此場をほつ帰されよと 飽迄意地もつねじけ者


83
寄ずさはらず駒沢が 差図にお鍋が心得て 朝顔殿召まする朝顔殿/\と呼立る むざんなるかな秋
月の娘深雪は身につもる 嘆きの重なりて塒(ねぐら)失ふ目なし鳥 杖柱共頼てし 朝香はもろく露
と消へ残りたる身一つを遉に捨も縁先の飛石探る足元も危うき木曽の丸木橋渡り 苦しき風
情にて漸座して手をつかへ 召ましたは此おざしきて厶り升か 拙いしらへもお笑ひ草 おはもしさまやと
会釈する 顔も深雪が馴の果不便の者やとせぐりくる 涙呑込控へ居る岩代はそれ共しらず ヤア見ぐるしい
其さまで 我々が目通りへうせたは 聞及んだ朝顔めな エゝきり/\立てうせおらふ アイヤ/\岩代氏そふもぎ
どうに仰られな 此方に呼寄たればこそ思ひがけのふ アイヤ思ひがけのふ来た物を叱るは武士の情に有す

コリヤ/\女 大義なから其朝顔とやらの歌 サア早く諷ふてきかせいと望む心千万無量知ぬ岩代つらふくらし
扨々駒沢氏にはイヤモきつい御執心 コリヤ/\目くら 何成共マア諷へ/\ハイ/\/\諷ひまするでござり升と こがるゝ夫の
有そ共 知ぬ目くらの探り手に恋ゆへ心尽し琴 誰かは憂きを斗為吟(といぎん)の 糸より細き指先にさす爪さへも
八つ橋のやつれ 果たる身をかこち 涙に曇る爪しらへ 露のひぬまの 朝顔をてらす日かけのつれなきに 哀れ
一むら雨の はら/\と ふれかし ムゝ夫を慕ふ音律の我々が身にも思ひやれて思はずもかんるい致した のふ岩代
殿いか様 琴といひ器量と云 イヤモ中々かんしん仕る イヤナニ朝顔とやらそこは定めてひへるで有ふ 身共が傍で今一曲
サア/\所望だ/\ アイヤ岩代殿もふ赦しておやりなされい 去迚は駒沢氏身共か望むを留さつしやるは ソリヤ意地の


84
悪いと申す物イヤそふではござらねど彼も定めて労(つか)れませふと存て ハアゝ然らば曲は止にしてコリヤ/\ 女そちも腹からの非人
でも有まい身の上咄しも又一興咄して聞せ サゝどふだ/\ ハイ/\ よふ問て下さります お詞にあまへお咄し申すも恥しながら
元私は中国生れ 様子有て上方住居過し卯月の中空に都の辰巳宇治の舩こがれよるべの蛍狩に思ひ切たる
恋人と 語らふ間さへ夏の夜の 短い契りのほいない別れ 所尋る便りさへ 思ふに任せぬ国の迎ひ親々にいざなはれ
難波の浦を舩出して身を尽したる憂き思ひ泣て明石の風待ちに たま/\逢いは逢ひながら つれなき嵐に吹
分けられ 国へ帰れば父母の 思ひも寄ぬ夫定め 立る操を破らじとやしきを抜て数々の憂目をしのき都
路へ登つて聞其人は京の旅と聞悲しさ 又も都を迷ひ出いつかは廻り逢坂の関路を跡に 近江路や みの

尾張さへ定めなき恋し/\に目を泣潰し 物のあいろも水とりの陸にさまよふ悲しさは いつの世いか成報ひ
にて重ね/\の嘆きの数憐れみ玉へと斗にて声を忍びて嘆きける テ扨哀れな咄し 併し男日照もない
世界に エゝ気のせまい女だな イヤもふしゆんだ咄して気かめいつた 寝酒でもたへ気を晴そふ イヤナニ女暇をkれ
る立帰れ ハイ/\有難ふござります 左様なればお客様 もふお暇申します ヲゝ朝顔とやら大義で有た初て
聞た身の上咄し 若し其夫が聞ならば嘸満足に思ふで有 ノウ岩代殿左様/\ ハゝア是は御深切なお詞
有難ふ存じますと 杖探り取ながら むしがしらする何とやら耳に残りし情の詞 名残惜さに泣々も心は
跡に探り行 折しもをくより若侍 最早余程深更に及び候 御両所共に早お休み いか様明日は正七つの出立


85
イサ 駒沢氏お休みなされぬか イヤ拙者今暫し用事もござれば お構ひなく先ずお先 ふせらふ御免下されふと
立上りしが胸に一物心を跡に奥の間へ伴れてそ入にける 行間遅しと駒沢は手を打ならし女を呼 コリヤ/\徳右衛門に急に
対面したし 呼てくりやれと 云付やり旅硯の墨流し 以前の扇押開て 何か書付用意の金子薬の包み
取認(したため)る目の先へ  畳を貫く白刃の切先気転の駒沢有合ぬるみ 刀にそゝけば血汐と心得してやつたりと縁の
下 壁踏やふり顕れ出る笆(ませ)久蔵曲者やらぬと治郎左衛門投打茶碗の眼(がん)つぶしたちろきながら不敵の久蔵
覚悟ひろけと切付る刃を恐れぬ扇のあしらひ 廊下つたひに来かゝる亭主 コハ何事と窺ふ内難なく
刀打落し 取成切なりとたんの拍子首ははるかに飛ちつたり思はずしらす徳右衛門ヤレ遖御手の内シタガ

此奴(こやつ)何者てこさります ホウ某を騙し討にせんと飛で火に入夏の虫 ハゝゝ死かいはよきに頼み入 ハゝアお気遣ひなされ
ますなカ只今召ました何の御用でござります ヲゝ徳右衛門 折入て頼み度は 先刻の朝顔と云女今一度呼
寄てたもるまいか ハ畏りましてござります が彼は直ぐに清水と申す方へ参りました 御用事なば呼には遣はし升ふ
が エゝどふで今夜はお間には ムゝハテ残念至極身は正七つの出立 マよく/\縁の エ何と御意なされます アイヤナニ
徳右衛門今の女に謝礼の為 三品を其方にしつかと預け置間朝顔が参らば渡してくりやれ ハイ/\ヲゝ コリヤマア
あびたゞしいお金其上結構な女子扇お薬迄も ヲゝサ其薬は大明国秘法の目薬 甲子(きのへね)の年に出生
せし 男子の生血を取て服すれは いか成眼病も即座に平癒 朝顔に渡してくりやれ コレハ/\何から何迄


86
心をこめられた下され物参り次第相渡し悦ばしましよと 受取折しも 時計の七つ ムゝクリヤもふ七つの刻限とか
ぞふる内に岩代多喜太 装束改め旅出立 同勢引連立出て イサ駒沢氏出立仕ふかと 勧むる詞に
治郎左衛門衣服繕ひ立出れば見送る亭主が暇乞 心そぐはぬ駒沢岩代打連てこそ出て行 跡見
送つて徳右衛門 ハアゝ同じ侍でも黒白(こくびやく)の違ひ意地くね悪い岩代に引かへ 情深い駒沢殿 アゝ遖の
侍じやなァ それはそふと朝顔に今夜の礼にはそぐはぬ下され物 ハア何ぞ様子の有そな事と 思案の折
から 深雪は何か気かゝり 座敷しもふてうと/\と又立帰る切戸の内 徳右衛門目早に見て ヲゝ朝顔
遅かつた 宵のお客様か最一度呼にやつてくれいとおつしやつたれど 清水へ往たと聞た故お断申たれば

今の先お立なされた 併しマア悦びや大まいお金と扇 又結構な目薬迄 わがみにやつてくれいとお預な
されたはいの 是は冥加に余ること お礼申さいで残り多い カ申々旦那様此扇に何ぞ書てはござりませぬか
ちよつと見て下さりませ ヲゝドレ/\ エゝ金地に一輪朝顔露のひぬまが書て有 裏に宮城阿曽次郎事 駒
沢治郎左衛門と書て有ぞや エゝアノ宮城阿曽次郎事駒沢治郎左衛門と其扇に ヲイノ ハゝアはつと斗に俄の仰天 エゝしら
なんた/\/\わいな 道理でよふ似た声と思ふたかそんならやつはり阿曽次郎様で有たか 申々旦那様其お客様
はいつお立なされたへ ヲゝ今の先のことじやカわかみは又おなじみか エゝなじみ所か年月尋る夫でござんすはいな
斯云内も心がせく 追付てたつた一言と 行んとするを引留め アコレ/\/\ マア/\/\待や/\エゝ 折悪ふ雨も降出し此くらい


87
に一人はあふない/\イヤ/\/\譬死てもいとひはせぬ サゝゝそれはそふでも目くらの身であぶない/\ イヤ放して/\と突
退刎退杖を力に降雨も いつかないとはぬ女の念力跡を したふて「追て行